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<title>ケペル先生のブログ</title>
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<description>日々の話題あれこれ</description>
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<title>女流監督アイダ・ルピノ</title>
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<description>ＣＳでデビッド・ジャンセンの「逃亡者」を放送している。何本か予約録画して見る。「...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/05/img_0015.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Img_0015&quot; alt=&quot;Img_0015&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/05/img_0015.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; ＣＳでデビッド・ジャンセンの「逃亡者」を放送している。何本か予約録画して見る。「仕組まれた情事」（Ｇａｒｄｅｎ　Ｈｏｕｓｅ）ロバート・ウェーバー、アイダ・ルピノと字幕で見つける。アイダ・ルピノ（1918-1995）は1940年代に活躍していた可愛い女優である。どこに出ているのかと楽しみにしていたが、出ていない。不思議だと思った。「虫けらの命」（Ｇｌａｓｓ　Ｔｉｇｈｔｒｏｐｅ）レスリー・ニールセン、エド・ビンズ、アイダ・ルピノと字幕にある。アイダ・ルピノは監督をしていたのだった。映画「ハイ・シェラ」などハンフリー・ボガートの相手役の妖艶な美女というイメージだったがテレビドラマの監督を多数している。ロンドン出身で父は有名なコメディアン、スタンリー・ルピーノ（1893-1942）。アイダ・ルピーノは歌もうたうし、監督もするという多才な女優だった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-05T22:52:31+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-889f.html">
<title>美しい初恋の思い出がする韓国の島々</title>
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<description>高校時代、授業の合間に帝国書院の地図帳をながめて、いつか愛する人ができたら二人で...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/04/img_0013.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Img_0013&quot; alt=&quot;Img_0013&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/04/img_0013.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;高校時代、授業の合間に帝国書院の地図帳をながめて、いつか愛する人ができたら二人で世界中の島々を旅してみたい、と思っていた。残念ながらそれは夢で終りそうだが、最近は映画・ドラマの舞台が美しい海がみえる小島がよくでてくるのでチョット気になる。とくに韓国は朝鮮半島の周囲に無数の小島があるのでよく登場する。「オール・イン」や「宮廷女官チャグムの誓い」の舞台である済州島はあまりにも開発が進みリゾート化されているので興味がない。映画「僕の、世界の中心は、君だ」で主なロケ地となった巨済島は慶商南道にある韓国で２番目に大きい島。釜山から近い。対馬にも近い位置にある。「冬のソナタ」で「不可能な家」が実在する外島（ウェド）も近くにある。ハンリョ国立海上公園内に位置している個人所有の島。「春のワルツ」の舞台となった青山島（チョンサンド）は全羅南道莞島（ワンド）郡青山面にある14個の島の中で、一番大きい島。お花畑のあるきれいな島だ。お金もないし、体力もない。映像や写真をみながら地理の勉強をしよう。韓国の地理は知らないので、韓国ドラマと地図帳で勉強する。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>地理</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T21:38:40+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-6101.html">
<title>富森助右衛門、最後の一日</title>
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<description>時は元禄16年２月４日の午後、うららかな空は晴れて、春光が静かに地上に降りそそい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 時は元禄16年２月４日の午後、うららかな空は晴れて、春光が静かに地上に降りそそいでいた。ところは細川家の高輪下屋敷。吉良上野介を討ったあと、赤穂義士たちは熊本藩細川家、松山藩松平家、長府藩毛利家、岡崎藩水野家の４家に預けられた。そのうち熊本藩主の細川越中守綱利のもとに預かりとなったのは大石内蔵助ら17人。吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五衛門、間瀬久太夫、堀部弥兵衛、小野寺十内、間喜兵衛、早水藤左衛門、磯貝十郎左衛門、潮田又之丞、赤埴源蔵、矢田源左衛門、奥田孫太夫、大石源左衛門、近松勘六、富森助右衛門である。首脳・長老たちが含まれていた。その一人、富森助右衛門は、春帆と号し、和歌俳諧をよくする風流人でもあり、また母思いの情愛のふかい義士だった。切腹の日、助右衛門は老いた母の身をあんじて、くれぐれも頼むと遺言し、くしくも４日が姉の忌日だったので次の辞世を詠んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;先立ちし人もありけり今日の日を&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;　　　　　　　　　終の旅路の思出にして&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 富森助右衛門正因。祖父は旗本の家来で、父の助太夫が赤穂浅野家に仕えた。助右衛門はその長男である。19歳のときに召し出され、馬廻りと御使番を兼ね二百石を給された。助右衛門には幼い子がいた。討入り後、細川邸に預けられたが、あるとき、小屏風に描かれた親鶏が雛を育てている絵を見て、「一家のことはほんとうに断念していましたのに、この絵を見て２歳になる子を思い出し、何やら不憫な気がいたしました。凡夫の浅ましさ、我ながら恥ずかしく思います」といった。一座の者、しばらく、しんとした。翌年の元旦、細川家から新しい小袖２枚が与えられ、酒肴さえ出された。助右衛門はさっそく筆をとって、一句したためた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;　今日も春恥ずかしからぬ寝武士かな&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本史</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T17:48:35+09:00</dc:date>
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<title>かわいそうな金持娘</title>
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<description>バーバラ・ハットン（1912-1979）は４歳で母を、７歳で大好きな祖父を亡くし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/04/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Photo&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/04/photo.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; バーバラ・ハットン（1912-1979）は４歳で母を、７歳で大好きな祖父を亡くした。祖父Ｆ・Ｗ・ウールワースは総合小売業の草分け的存在の人物で、彼の巨額財産の一部が孫娘のバーバラに残された。その額は現在の額に直すと約５億７千万ドル。21歳で社交界デビュー。パーティーに出席すると「お金があると幸せも買えるんでしょ」と女性たちに皮肉られた。会場から出ると、有名人みたさに集った群衆から腐ったトマトや卵を投げつけられた。硫酸をかけられたこともあった。バーバラは少女時代ふっくらとしていたが、最初の夫アレクシスに「君は太りすぎだよ」と言われて、極端なダイエットで拒食症になった。生涯７度の結婚。最初の相手はロシア貴族のアレクシス・ムディバニ公。２番目はデンマークのコート・ハウクウィッツーレンベルトロウ、３番目は俳優のケーリー・グラント、テニスの名選手ゴッドフリート・フォン・クラムなど。60歳を過ぎて、バーバラはカリフォルニアのビーチボーイを部屋に入れるようになった。1979年、ホテルの一室ですでに亡くなっているのが発見された。かつてイギリスの俳優ノエル・カワードはバーバラを「かわいそうな金持ちの小さな女の子」と呼んだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>世界史</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T11:47:55+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7ce6.html">
<title>僕の、世界の中心は、君だ</title>
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<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Photo&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/photo.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 原題は「波浪注意報」。日本公開のタイトルは、スホ（チャ・テヒョン）が星空の下で二人の永遠を願うスウン（ソン・ヘギョ）に「これからは僕の世界の中心は君だ」と究極の愛を告白をする言葉からきている。もちろん片山恭一の小説「世界の中心で、愛をさけぶ」の韓国リメイク版。世間での評価は低いかもしれないが、巨済島（コジュド）の花が咲いている美しい景色を見ているだけで癒される。ソン・ヘギョのセーラー服姿ももう見られないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;スホとかスウンを漢字で書くとどんな字になる、とお互いに手のひらに書いて見る韓国ならではのシーンがある。スホという名前は韓国ではよくある名だ。「春のワルツ」もスホだった。「スーホの白い馬」にででくる「スーホ」はモンゴル人の名前にしては変だという指摘がなされたことがある。おそらく中国の本から漢音で訳したためである。韓国人名も漢字ありきで、それに韓国流の音がつく。漢語で「約束」は「ヤクソク」とほぼ日本語と同音になることはよく知られている。たが韓国語は日本語と同じウラルアルタイ語系に属しているものの、いくら聞いてもわからない。韓国のポップスを聴くと、なんとなくカンツォーネに近い感じがする。人名で「ソルミ」（女性名）など、イタリア人の名にあったように思う。韓国人が愛を告白することがストレートなのもイタリア人によく似ている。イタリアの艶笑喜劇が好きだが韓国のラブストリーも好きだ。同じ素材で各国が競作するのも国民性がでていて楽しい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T23:50:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-f195.html">
<title>お菊と蝶</title>
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<description>正保あるいは承応の頃、番町の武士の家にお菊という下女がいて、秘宝の皿をあやまって...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 正保あるいは承応の頃、番町の武士の家にお菊という下女がいて、秘宝の皿をあやまって割ってしまった。お菊はあやまちをした指を切り落とされ後ろ手に縄で縛られ、拷問をうけ牢に入れられる。この苦痛に耐え切れず、お菊は縄を食い切って、庭にある古井戸に身を投げて死んだ。それから夜ごとにお菊の亡霊が現われ、主人一族に祟りがある。「番町皿屋敷」の伝説は江戸だけでなく、播州、四国、九州へと広く分布している。一説によると、元の話しは中国の怪異小説であるともいわれる。（岡本綺堂）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;古いところでは斉藤日岑「武江年表」の承応２年（1653年）正月二日の条に見える。「牛込御門の内青山某の婢女菊といふ者、主家にて秘蔵の皿を破りて害せられ、其の霊魂祟りをなせし事、人口に膾炙すれども、未だ実否を知らず。多くは付合の談なるべし」とある。17世紀中頃には、お菊と皿の奇談はすでに流布していたものであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 「雲錦随筆」にも次のように記されている。「寛政７年卯とし。おきく虫といひてもてはやせり。世俗におきくの年忌ごとに出るといへり。是妄談の甚しきなり。漢名を蛹（よう）といひて、毛むしなどの蝶とならんとする前に、光かくの形になれり」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; これは古井戸に埋められて死んだお菊が蝶に変身して、ひらひらと翅にまかせて舞うという伝説が生まれ、人は「お菊虫」とよんだ。アゲハ蝶の幼虫がとげ状の突起があり、その奇妙な形が、お菊が後ろ手に縛り上げられている姿を連想するからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 伝通院の了誉上人は怨霊を済度して、妖怪変化の祟りは納まったという。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本史</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T22:36:14+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c37d.html">
<title>屋代島はどこにあるか？</title>
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<description>瀬戸内海にはおよそ600ほどの島々がある。淡路島、小豆島、豊島、直島、本島、広島...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/tachiiwa01091753.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Tachiiwa01091753&quot; alt=&quot;Tachiiwa01091753&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/tachiiwa01091753.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 瀬戸内海にはおよそ600ほどの島々がある。淡路島、小豆島、豊島、直島、本島、広島、北上島、真鍋島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、大崎上島、大崎下島、上蒲刈島、下蒲刈島、江田島、能美島、倉橋島、柱島、屋代島、平郡島、長島、祝島など。屋代島（面積128.3平方キロ）は、山口県の南東端、柳井市の南２キロの位置にあり、昭和51年に「大島大橋」が架設された。瀬戸内海では淡路島、小豆島に次ぎ３番目に大きい島である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 漁業と農業を営み、山口ミカンの産地として知られるが、ほかにみるべき産業がないため出稼ぎ、ハワイ移民も多かった。島にはハワイ移民資料館がある。「忘れられた日本人」の著作で知られる民俗学者の宮本常一（1907-1981）はこの島の出身。久賀歴史民俗資料館、橘民俗資料館、農村交流伝承館・文化財収蔵庫、周防大島交流文化センターなど文化施設も多数ある。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>地理</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T17:30:12+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-eba8.html">
<title>スロベニアはどこにあるか？</title>
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<description>パウロ・コエーリョの世界的ベストセラー「ベロニカは死ぬことにした」の冒頭部分。あ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/photo_lg_slovenia.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Photo_lg_slovenia&quot; alt=&quot;Photo_lg_slovenia&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/03/photo_lg_slovenia.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; パウロ・コエーリョの世界的ベストセラー「ベロニカは死ぬことにした」の冒頭部分。ある日、ベロニカはなにげなく手にしたフランスの雑誌で「スロベニアはどこにあるか」という記事を目にする。ベロニカはスロベニア生まれだ。スロベニアはヨーロッパの中央部に位置し、歴史もある。だが読者の大半は首都リュブリｬーナどころか、スロベニアさえどこにあるか知らないと思った。彼女は雑誌社に手紙を書く…。それはコンピュータ・ゲームの紹介記事でフランスの製品、スロベニアの工場でつくられている。もちろん安い労働力だから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; スロベニアは西にイタリア、南と東にクロアチア、北東にハンガリー、北にオーストリアと接している。隣国クロアチアは古代ローマ共和制時代、ダルマチアという属州であったが、スロベニアの地も歴史的には古代ギリシア、マケドニア、ローマ帝国の支配下にあった。スロベニア人（スロベニア語を使用する民族）は６世紀ごろユーゴスラビアの北西部の山岳地帯に定住し、スロベニア語は７世紀から９世紀のあいだに隣接のセルボ・クロアト語から方言的に分化した。双数の保存などスラブ語の古形の状態を保存している。最古の文献は10世紀末にさかのぼる。バルカンの人びとは長い間オスマン・トルコ帝国の支配で苦しんだ。「バルカン」とはトルコ語で「山脈」という意味である。スロベニアの地はトルコ（イスラム圏）の支配をのがれて、ヨーロッパ圏（ローマ・カトリック圏）に属していた。19世紀になってロシアがトルコ勢力をしりぞけてから民族国家の形成がされていく。第二次大戦はイタリア・ドイツの支配下にあったが、戦後はユーゴスラビア連邦を構成する共和国となった。1990年春、自由選挙を実施して民主化政権を樹立し、1991年６月25日、連邦から独立を宣言した。1992年５月、国際連合に加盟。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 国土の大半はアルプスに連なる山岳地帯で森林が全面積の45％を占める。早くから西欧圏に属し、経済は安定し、工業発展が著しい。面積は２万平方キロで、総人口は約203万人。住民はスロベニア人が89％、クロアチア人が10％、その他１％。主要都市は首都リュブリャナ（人口26万人）、マリボル（人口11万人）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>地理</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T14:16:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9c1c.html">
<title>歴史人物の評価の難しさ</title>
<link>http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9c1c.html</link>
<description>来年のＮＨＫ大河ドラマは福山雅治の「龍馬伝」である。坂本龍馬は昭和43年に北大路...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 来年のＮＨＫ大河ドラマは福山雅治の「龍馬伝」である。坂本龍馬は昭和43年に北大路欣也で「竜馬がゆく」を放送している。その外これまでも何人もの役者が演じているだろう。いささか新鮮味に欠ける気がする。歴史的にみて坂本龍馬は過大評価されすぎ。龍馬が関連した幕末の事件といえば、「薩長同盟」と「大政奉還」。しかし「薩長同盟」の本当の立役者は中岡慎太郎であり、「大政奉還」は後藤象二郎の功績のほうが大きい。維新後、土佐人は薩摩や長州に負けないだけの英雄像を創り上げたのであろう。これまで大河で取り上げなかった高杉晋作のほうがいいように思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; このように歴史的に人物評価することはなかなか難しい。現代美術でも印象派、フォービズム、キュビズムなどの流れのなかで、ゴッホ、セザンヌ、マチス、ピカソなど巨匠とされるが、同じフォービズムの仲間でもブラマンク、ドランはやや過少評価されているように思える。これは彼らがナチスの協力者とみなされて烙印をおされたことと関連するように思える。ナチスの退廃芸術追放が芸術家にとって忌まわしいことであるが、彼らの芸術性そのものとは無縁のことと思えるのだが、なかなかそうはいかない。もう少し時代を経てみなければ評価は定まらないのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 日本の近代文学についてもいえる。志賀直哉の小説、文体、スタイルを神様のように信奉する人は純文学のなかでは多い。評論家・小林秀雄の後押しもいくぶん影響しているだろう。阿川弘之が現代文壇の重鎮であることも関連する。ともかく志賀直哉の弟子にあたる作家が多くいることは、彼の文壇での地位をゆるぎのないものにしている。ところが志賀の全仕事、作品そのももの数では長編は「暗夜行路」のであり、珠玉の短編はあるものの、戦後は「灰色の月」か随筆くらいで文壇では老大家という印象がある。これに反発を感じていた太宰治や織田作之助たち。彼らの人生は時代が悪く、破滅、悲惨そのものであったが、不思議に現代の若い世代に共感され、表現方法は太宰の影響が見える。各種の読書調査においても太宰治がダントツで一位をなることが多い。同世代の小林秀雄や三島由紀夫などはまるで太宰を評価していない。だが50年後、どのようになるかわからないが、いまも普通の男性の作家は太宰のようなものをどこか意識して書いている風に思える。日本の近代文学史のとくに昭和からの流れは、なかなか難しくて、主流が何であるか見えにくいところがあるが、作家の本当の評価も死後100年はかかると思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本史</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T09:48:40+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-3cfd-1.html">
<title>今日の名画</title>
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<description>ホドラー　「走る女たち」　1895年　ジュネーブ美術館 フェルディナント・ホドラ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/02/img_0015.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;Img_0015&quot; alt=&quot;Img_0015&quot; src=&quot;http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/02/img_0015.jpg&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&amp;nbsp; &lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.6em;&quot;&gt;ホドラー　「走る女たち」　1895年　ジュネーブ美術館&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; フェルディナント・ホドラー（1853-1918）はスペインのベルンに生まれ、５歳のとき父を、14歳のときに母を亡くし、貧困のなかで育った。1869年トゥーンでフェルディナント・ゾンマーに学び、1872年ジュネーブに出て風景画・歴史画家バルテルミー・メンに師事した。一方、デューラーやレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論も研究した。1878年にスペインのマドリードに旅行している。初期にはコロー、クールベや印象派の影響のみられる自然主義的な作品を描いたが、1880年後半から作風が変わり、印象主義の影響はなくなり、シンメトリーとパラレリスム（平行原理）によって配置する独特なリズムで群像的な人物を描き、律動的な効果をあげ、表現主義の先駆者となった。後期には、近代的感覚にあふれた歴史画、寓意画などで独自の画風を確立した。&lt;/p&gt;

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<dc:subject>今日の名画</dc:subject>

<dc:creator>ケペル先生</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T22:17:55+09:00</dc:date>
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