無料ブログはココログ

2026年5月26日 (火)

レオ14世、回勅を発表

   ローマ教皇レオ14世が5月25日、最初の回勅を発表した。タイトルは「マニフィカ・フマニタス(偉大な人類)」。その中で加速するAI(人工知能)の軍事利用の危険性について警鐘をし、トランプ政権の「正当な戦争」を批判している。トランプは「レオが教皇になれたのは俺のおかげだ」と豪語していたが、「物静か」「控えめ」と言われた新教皇が、政権の圧力に屈せずに堂々と声を上げたことに賞賛の声が高まっている。その中で、AIや大規模な自動化、急速な技術進歩によって現代版の「バベルの塔」が建設されていると警告している。強欲や不道徳、人間の生命に対する敬意の欠如、現代の資本主義批判、と明快かつ大胆に信念に裏打ちされたメッセージを発信している。

2026年4月 9日 (木)

奈良の大仏さんの身長は?

Photo188077    本日は「大仏の日」。天平20年(747年)9月29日、東大寺大仏造立を開始し、5年後の天平勝宝4年4月9日、完成し、大仏開眼供養会が行われた。その後、大仏は頭部が欠落するなどの事故をたびたび引き起こし、そのつど修理を加えて維持してきたが、治承4年、平重衡の南都焼き討ちに災をこうむり、焼失した。第1回の復興は、源頼朝の援助を受けて俊乗房重源が着手し、文治元年には大仏を供養しており、東大寺全体の総供養は建仁3年盛大に執行された。ところが、永禄10年三好・松永の兵火がふたたび大仏を焼くにいたった。今回は戦国の世で復興事業はおもうように進まず、江戸期になって公慶上人がよく幕府を動かし、元禄5年大仏はここに3度雄姿を現した。これが、今日われわれが東大寺に拝む盧舎那仏大像である。奈良の大仏さんを見学する子どもたちの質問で、よくあるのが「大仏の毛髪、これを螺髪(らほつ)という、その数は?」 古くから966個と伝えられてきたが、レーザー光を使った最新技術によって492個だったことがわかった。大仏の身長は、座っているので座高は15m。蓮の台を含めると(つまり下から見上げたときの高さ)は、18mになる。高層マンションの平均階高で考えると、約5階建てに相当します。

 

 

 

 

2026年4月 3日 (金)

平成之大馬鹿門騒動

129143l 

 

   平成8年3月、京都の仏教大学が新図書館などの建設にあわせて正門周辺の改修工事をした際、彫刻家・空充秋(そらみつあき)が制作した門柱が贈られた。大学側は当初、気づかなかったが、4月3日の入学式で、教員が門柱の側面に30cm四方の大きさで「平成之大馬鹿門」と彫り込まれていることを発見した。大学と空とで題名を削るかどうか話し合いが続けられたが、決裂した。大学は「馬鹿という言葉は大学には不適切。削ってほしい」と要求。空は「作品を削るというのは、自殺しろというのと同じ」と対立。大学側が引き取りを拒否したため、2ヶ月後の6月、門柱を香川県木田郡庵治町の自宅に持ち帰った。その後、各地から門柱の要望があり、平成8年8月、空は兵庫県宍粟市へ寄贈した。現在、千種高原へ向かう道路を挟んで相対し聳える、おごしき山(1095m)と空山(901m)の、それぞれの山頂に1基づつ設置されている。(参考文献:中井真孝「平成之大馬鹿門と新聞記事」 鷹陵150号 1996年)

 

 

 

 

2026年3月12日 (木)

東大寺の「お水取り」

Otaimatu1  東大寺二月堂の修二会は、東大寺の実忠和尚が夢の中で、「十一面悔過過(じゅういちめんけかほう)」の行法を拝み、752年に、これを人間の世界に移して行ったのが始まりである。以来、今年で1273回を数える。この法会は、現在は3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「御水取り」といって、堂前の若狭井という井戸から観音さまにお供えする「お香水」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜更、大きな松明が本堂の回廊で振り回される。「おたいまつ」と呼ばれるこの松明の火の粉を浴びると災厄が除かれると伝えられるため、群衆は争って松明から出る火の粉を浴びようとする。

2026年1月27日 (火)

「補陀洛渡海」信仰

Photo   和歌山県の那智勝浦に補陀洛山寺がある。同寺では毎年、立春大護摩祈祷会に合わせて節分を前にして、一足早い豆まきが行われる。今年も1月27日に行われた。補陀洛とは遙か南方海上にあると信じられた山である。中世の観音信仰の1つで、熊野の那智権現には補陀洛山寺がある。補陀洛渡海といって、寺の住職は61歳の11月に観音浄土をめざして生きながら海に出て往生を願う渡海上人の慣わしがあった。補陀洛というと熊野のほかに有名なのが栃木県の日光である。それにしても、なぜ北関東の一山である男体山が補陀洛山とされたのか不思議である。782年に勝道が開山したときは補陀洛山(ほたらやま)と称した。いつしか「フタアラ」ないし「フタラ」と呼ばれ、弘法大師が二荒山(にこうさん)と呼んだことから、人々も二荒(にこう)、日光となったといわれる。

参考文献

根井浄「補陀洛渡海考」 2001年

神野富一「常世と補陀洛」 甲南国文51号、2004年

 

 

2025年11月24日 (月)

進化の日

Photo

  美は真実であり、真理は美しい。それこそこの世界で知ること、知るべきことなのです。(キーツ)

 本日は1859年のこの日、ダーウィンがイギリスで「種の起源」を出版したことに由来し、「進化の日」が制定されている。

   ドイツのフリッツ・ロイターFritz Rcuter(1810-1874)は世界的に知られた作家であるが何故か日本ではほとんど知られていない。おそらく宗教的な内容を多く含んでいるからであろうか。かつて神を次の言葉で言い表している。

 

初めも終りも、主よ、あなたのもの。

その間の短い時、人生はわたしのもの。

されどわたしたちは暗やみの中を迷い、

なにも見いださない。

主よ、あなたは光であり、

光はあなたのみ住まいです。

   われわれは宇宙という天空の幻想の中で生きている。最近は大型望遠鏡によってはるかはなたの宇宙の果てまで画像を見ることができる。科学がもたらした新知識で広大な宇宙の神秘が解き明かされようとしている。現代の知識では宇宙はおよそ140億年前に誕生した。そして何十億という星雲のなかの一つである銀河系のなかの一つの小さな惑星、それが地球である。創造か進化か。なぜ人間は神のことを考えるのか。多くの民族は、表現の違いこそあれ、人間は自分ひとりで立っているのではなく、またそうすることはできないと考えた。人間は自分の外の自然や社会の種々の力を極めて重要な関係を持っており、その力に依存してさえいるのである。人は自分が世から離れて立つことのできる力の中心ではないことをぼんやりとではあれ、はっきりとであれ、知っているのだ。

 ダーウィンは「人類はサルから進化した」とは決して言っていない。環境により適応氏し、変化すると言っている。つまり、「進歩」「前進」「発展」「改良」などを意味しているevolutionとは異なる変化、変容、変態、転成(translation)を唱えたかったのである。

自然界で、生き物が作り出した造形美には驚嘆すべきものが少なくない。貝類はその最も代表的なもので、自ら貝殻をつくって彫刻士し、色とりどりの模様に仕上げている。この神秘的ともいえる造形は、約5億年前の古生代に出現した先祖から、長い歴史をへて環境に適応してきた進化の結果によるものである。(11月24日)

 参考:「科学的分析に基づく進化学方法論の基礎的考察」八杉龍一 1961年

 

 

 

2025年2月17日 (月)

ハイネ忌

   ある古本屋でぱらっとめくって、眼に留まった詩があったので買っておいた。ハインリヒ・ハイネの詩集である。

「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人」

    芹洋子の「四季の歌」で知られるようにハイネは日本では「愛の詩人」として最も親しまれている。またハイネの詩「ローレライ」はフリードリヒ・フィリップ・ジルヒャー(1789-1860)の曲、近藤朔風の訳詩で今でも多くの人に愛唱されている。ところが、本国ドイツではハイネの評価はさまざまである。ハイネの活動はドイツとフランスの二つの国で行われた。つまり「ドイツ人の間ではユダヤ人、フランス人の間ではドイツ人、ドイツでは排斥された者、フランスでは外国人だった」

    28歳のハイネはゲッチンゲン大学で博士号を取得し、名をハリー・ハイネからハインリヒ・ハイネと改め、キリスト教に改宗した。しかし彼は、すぐこのことを後悔した。「今や私は、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒からも憎まれている」と友人宛ての手紙で嘆いている。

    1840年7月に発表した「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」(「ルートヴィヒ・ベルネ覚え書」)という内容は周囲から反感をかうこととなった。1843年12月から1845年2月まで、パリでマルクス夫妻と知り合い、親しく交際する。ハイネ46歳、マルクス25歳。そしてハイネは科学的社会主義を準備する雑誌「フォアヴェルツ(前進)」誌に、社会詩、革命詩を発表する。こうして無神論者ハイネは革命詩人でもあった。しかし、晩年、脊椎の病が悪化する。1849年、52歳のハイネは不安と絶望のうちに日々を過ごし、無神論を捨てて再びキリスト教に改宗する。1856年2月17日、詩人ハイネは多彩な生涯を閉じた。享年58歳。パリのモンマルトルの墓地に埋葬されている。

2024年1月 2日 (火)

七福神の中で日本出身の神様は恵比寿だけ

16711cb96da86dd310c777d8a3cb31c5   初夢とは、元日に見る夢が本当の「初」となるのだろうが、一般的には、正月2日の夜から3日の朝にかけて見る夢のことを言う。2日の夜となったのは、初荷、初売り、書初め、等、事始が2日に多いからだ。宝船の絵を枕の下に敷いて眠り、一冨士、ニ鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭の夢が縁起が良いとされている。そして元旦から七草までの7日間に七福神を祀っている社寺を参詣してまわる。七福神とは、寿命の寿老人、有福の大黒天、人望の福禄寿、清廉の恵比寿、愛嬌の弁財天、威光の毘沙門天、寛大の布袋の7神を基本とし、地域によっては吉祥天ほかが加わることもある。江戸の人々は、信心だけでなく、行楽としても七福神めぐりを行った。日本出身の神様は、商売繁盛のご利益でも人気の恵比寿だけで、ほかの神仙たちはインドや中国出身である。

2023年5月 2日 (火)

20世紀初頭のイギリス思想と宗教界

Photo チェスタートン

 

  今日からみれば、19世紀から20世紀へと移り変わってゆくときは、時代の終焉をきざむ平穏な時期のようにみえる。しかし、一見穏やかにみえたヨーロッパ文明の背後には、実は多くの緊張がかくされていたのである。植民地の獲得によって、ヨーロッパの前に世界市場への門戸が開かれたが、そのため国家間の競争ははげしさを加え、敵対意識が生まれ、強力な同盟が諸国の間に結ばれるきっかけとなった。これら一触即発の状況が、のちに悲惨な大爆発を引き起こすことになるのである。ヴィクトリア女王が崩御した後に王位に就いたのはエドワード7世。エドワード7世の治世は1901年~1910年と10年だった。ヴィクトリア女王の治世をヴィクトリア朝と呼ぶのに対してエドワード朝と呼ばれている。次がジョージ5世。1910年~1936年。名探偵ポアロの時代はジョージ5世の頃である。ここで取り上げるイギリス人、とくにロンドンっ子といえば思想的には保守的でジェントルマンという固定したイメージがある。そして宗教は英国国教会でカトリックは少ないと考えるだろう。イギリスのバイブルを定めたルターの影響がいろいろあったが、教会は本質的にはカトリック的であった。19世紀の初め、産業革命の結果として商業主義がはびこると、1833年から1841年にオックスフォード大学に宗教運動が起こり、英国国教会をローマへ近づけようとした。イギリスの社会主義はトーマス・ヒル・グリーン(1836-1882)が先駆で、第一次世界大戦からバートランド・ラッセルが社会主義を主張し、思想界ではラスキやコールら知識人がマルクス主義に傾倒していく。宗教ではギルバート・ケイス・チェスタートン(1874-1936)やイーヴリン・ウォー(1903-1966)、グレアム・グリーン(1904-1991)ら作家も1920年代、カトリックへの改宗がみられる。またラッセルなどの無神論もみられる。個人の信仰や思想の自由が相当保障されていたのであろうか。

2021年7月16日 (金)

東西教会の分裂

   1054年のこの日、ローマのカトリック教会(教皇レオ9世)とビザンツのコンスタンティノープル(総主教ケラリオス)が相互破門したことで、東西2つの教会は完全に分裂する。大シスマ(schisma)と呼ばれる。16世紀の宗教改革によって、プロテスタント各派が次々に誕生していった。西方教会と東方教会は1965年に相互の破門を解き、和解した。

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2026年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30