日本人物伝・左甚五郎
慶安4年(1651年)のこの日、日光東照宮の眠り猫などで知られる江戸寛永の名工・左甚五郎が56歳で逝去した。播磨国明石の生まれで、京都に出て禁裏大工の棟梁遊佐与平次に師事し、豊臣秀吉・徳川家康とも面識があった。寛永12年、師のあとを継いで禁裏大工の棟梁となった。日光東照宮・上野寛永寺の造営に従事したが、晩年は讃岐国高松の松平家に召しかかえられ、そこで没した。東照宮の眠り猫、寛永寺の水呑み竜などは彼の作とされるが、いずれも疑わしい。その作品があまりにも精巧をきわめたために、それらが抜け出て行動するという伝説がある。甚五郎は、きわめてさっぱりとした性格で、すこしもモノに対する執着というものが無かった。だから貯えているものがなくれば、その業につとめるという有様だった。ある人がこれを諌めると、甚五郎はニッコリとして、
たのしみは貧しさにあり梅の花
と詠じたという。ただし類似の歌は「講談・紀伊国屋文左衛門」にもある。(4月28日)
左甚五郎のまとまった伝記資料は講談などでお馴染みの人物のわりに少ない。出身地も播磨明石、紀伊根来、讃岐高松など諸説ある。
匠左甚五郎伝 柳沢武運三 福老館 1888
左甚五郎 名人奇談 中村兵衛 大学館 1908
左甚五郎 山本瑞雲 書画骨董雑誌100 1916
左甚五郎利勝の略史 香川県先哲宣揚会編刊 1934
名匠左小刀実記左甚五郎伝 左光挙 世界社 1953
讃岐と左甚五郎:考証左甚考 左光挙 先哲宣揚会 1958
左甚五郎考 森本一雄 飛騨春秋35 1959












ところがテニスとか卓球とか小さい球の競技は、一球ごとに必ず拳を握りしめる。福原愛は「サーッ!」と掛け声でガッツポーズを連発。スポーツによって考え方が違うようである。本日は「ガッツポーズの日」。1974年のこの日、ガッツ石松がボクシングWBCライト級タイトルマッチでチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレスにKO勝ちした。この時両手を挙げて喜びを表わした姿を新聞記者の柏英樹が「ガッツポーズ」と表現したのが、ガッツポーズが広まるきっかけとなった、と巷間では言われているが、これは正確ではない。「勇気、気力、根性」という意味で外来語「ガッツ」が使われだしたのは1964年の東京オリンピック以降で、1970年ころには和製英語「ガッツポーズ」は既にボウリング界などで一般的に使われていた。1972年11月30日発行のボウリング雑誌「週刊ガッツボウル」が、ストライクを取った時のポーズをガッツポーズと言っている。(4月11日)



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