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2018年7月21日 (土)

ベルギー独立記念日

225pxleopoldibelgie   1831年のこの日、初代ベルギー国王、レオポルド1世が即位している。7月21日はベルギーの独立記念日。国名は先住民のケルト系ベルガエ人の名に因む。

   ベルギーといえば何が思い浮かべるだろうか。小便小僧、名探偵ポアロの好物チョコレート。歴史好きの人ならアントワープ城、フランドル伯城(ゲント)、ディナン城(アルデンヌ)、ベールセル城(ブリュッセル郊外)、ガースペーク(ブリュッセル郊外)など。文学愛好家なら2人の象徴詩人の名前を思い出すだろう。メーテルリンクとベルファーレン。メーテルリンクの神秘性、ベルファーレンの土に根ざしたヒューマニズム。土くささと神秘性、それに加えるに軽快さ、こういったもののミックスされた味がベルギーではなのではないか。そのベルギーの歴史とは、一言でいえばフラマン系(:ゲルマン系でオランダ語を話す)とワロン系(ラテン系でフランス語を話す)との二つの民族の対立をはらみながらも、恵まれた工業資源によりいちはやく工業化を達成してヨーロッパの工業国となる過程であり、またそれらが彼らの歴史にさまざまのひずみを残しているといえよう。

   17世紀にオランダが独立したのち、今のベルギーの地は分離してスペインの手に残った。ところがスペイン継承戦争の結果、この地方はオーストリアのハプスブルグ家にうつり、またオーストリア領となった。しかもフランス革命のときには二度も革命軍に占領されている。1798年から99年に農民暴動が起こったが弾圧された。一方ナポレオン時代には各地に近代産業の萌芽がみられる。

    1815年、ウィーン会議によってネーデルランド王国(1581年に成立したネーデルランド連邦共和国の復活)が生まれるや、ベルギーはオランダに併合されてその一部となり、オラニエ家のウィレム1世が国王となった。しかし、オランダとは民族・言語・宗教および経済的利害を異にしていた上に、政府はオランダ側に代表していたため、ベルギー人は離反、独立のチャンスをねらっていた。1830年、フランスに七月革命が起こると、8月に南部が暴動を起こし、オランダ兵を撃退して10月に独立を宣言し、レオポルド1世(1790-1865)が1831年7月21日、即位した。列国はその独立を承認し、さらに1839年のロンドン条約でベルギー・オランダ両国は永世中立国の地位を与えられた。なお1831年に制定された憲法は、フランス憲法を範として、国民主権主義をうたい国民の権利の保障も進歩的で、19世紀のヨーロッパ大陸型憲法の典型といわれる。同年に即位したレオポルド1世(位1831-65)はフランスとの友好関係を確立し、オランダとの民族的対立をはらみながらも、石炭をはじめとする豊富な国内の地下資源とコンゴの鉱山資源はベルギー工業を飛躍的に発展させた。(参考:長谷川博隆「ベネルックスの歴史」世界文化シリーズ 世界文化社)

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 ディナン城

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 フランドル伯城

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 ベールセルの水城

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 アントワープ城

(Leopld,Belgium)

2018年7月20日 (金)

人物没年総覧

   人はみな死ぬ。江戸期の文人、蜀山人(大田南畝)がそのことを素直に歌っている。「今までは人のことだと思ふだに 俺が死ぬとはこいつはたまらん」。歴史を彩った英雄・偉人たちは、それぞれどのような場所で、どのような死に方をしたのだろうか。奇才・山田風太郎は「人間臨終図鑑」で著名人923名の臨終の模様を描いた。「メメント・モリ」なんじは死を覚悟せよの意味。死について考えることで、今をよりよく生きるようにしたい。ただし、故人や遺族の意志により、死因を公表していない場合もあるので、細心の注意が必要である。

7月24日
芥川龍之介、享年35歳。昭和2年(1927年)東京府田端の自宅で服毒自殺。

7月20日
岩倉具視、享年57歳。明治16年(1883年)咽頭癌。

7月19日
久坂玄瑞、享年24歳。元治元年(1854年)京都堺町、蛤御門で死亡。

7月16日
板垣退助、享年82歳。大正8年(1919年)病死。

7月11日
佐久間象山、享年53歳。元治元年(1864年)京都三条木屋町で暗殺される。

7月9日
森鴎外、享年60歳。大正11年(1922年)東京文京区の自宅で腎萎縮、肺結核のため死去。

7月8日
ヴィヴィアン・リー、享年53歳。1967年ロンドン、ベルグレイヴィアで病死。結核。

7月7日
エドワード1世、享年68歳。1307年。

7月6日
下山定則、享年48歳。昭和24年(1949年)足立区綾瀬で轢死。

7月1日
児島惟謙、享年71歳。明治41年(1908年)死去。咽頭結核。

6月30日
川合玉堂、享年83歳。昭和32年(1957年)青梅の自宅で死去。心臓喘息病。

6月29日
瀧連太郎、享年24歳。明治36年(1903年)大分市稲荷町の自宅で死去。肺結核。

6月28日
林芙美子、享年47歳。昭和26年(1951年)急死。心臓麻痺。

6月27日
松岡洋右、享年66歳。昭和21年(1946年)東大病院で死没。肺結核。

6月26日
内藤湖南、享年67歳。昭和9年(1934年)病死。

6月25日
宮城道雄、享年62歳。昭和31年(1956年)愛知県刈谷市付近で列車から転落、病院で死没。

6月24日
美空ひばり、享年52歳。平成元年(1989年)順天堂病院で死亡。肺炎。

6月23日
国木田独歩、享年36歳。明治41年(1908年)神奈川県茅ヶ崎にある結核療養所の南湖院で死去。

6月22日
畠山重忠、享年42歳。元久2年(1205年)謀殺される。

6月21日
林子平、享年56歳。寛政5年(1793年)。

6月20日
徳川吉宗、享年56歳。寛延4年(1751年)再発性脳卒中。

6月19日
世宗(柴栄)、享年39歳。顕徳6年(959年)病没。
酒井田柿右衛門、享年70歳。寛文6年(1666年)死没。

6月18日
豊島与志雄、享年64歳。昭和30年(1955)千駄木の自宅で死去。心筋梗塞。

6月15日
空海、享年61歳。宝亀2年(774年)高野山で没。(4月22日説あり)

6月14日
毛利元就、享年75歳。元亀2年(1571年)

6月13日
明智光秀、享年55歳。天正10年(1520年)小栗栖(伏見区)で刺されて自刃。
太宰治、享年38歳。三鷹市で入水自殺。

6月12日
蘇我入鹿、享年35歳。皇極天皇4年(645年)飛鳥板蓋宮の大極殿において暗殺される。

6月11日
長谷川伸、79歳。昭和38年(1963年)聖路加国際病院で死去。

6月10日
鴨長明、62歳。建保4年(1216年)
大町桂月、57歳。大正14年(1925年)十和田湖の蔦温泉で死亡。

6月9日
有島武郎、46歳。大正12年(1923年)軽井沢の別荘で心中。

6月8日
ムハンマド(マホメット、モハメッド)、享年62歳。632年、マディーナで病死。

6月7日
西田幾多郎、享年75歳。昭和20年(1945年)鎌倉で病死。尿毒症。

6月6日
鑑真、享年76歳。天平宝宇7年(763年)病死。
袁世凱、享年56歳。1916年、北京で病死。尿毒症。

6月5日
宮部鼎藏、享年44歳。元治元年(1864年)京都池田屋で新選組に襲撃され自刃。

6月4日
最澄、享年54歳。弘仁13年(822年)比叡山の中道院で没。

6月3日
佐藤栄作、享年74歳。1974年(昭和49年)東京慈恵会医科大学附属病院で死去。脳溢血。

6月2日
織田信長、享年49歳。天正10年(1582年)京都本願寺本堂で切腹、焼死。

6月1日
ヘレン・ケラー、享年87歳。1968年アメリカ合衆国コネチカット州イーストンの自宅で死去。

5月31日
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、享年74歳。1809年ナポレオンのウィーン侵攻の中で病死。

5月30日
沖田総司。享年については24歳、25歳、27歳など諸説あり。明治元年(1868年)千駄ヶ谷で病死。肺結核。

5月29日
与謝野晶子、享年63歳。昭和17年(1942年)、荻窪の自宅で死去。狭心症に尿毒症を併発。

5月28日
在原業平、享年56歳。元慶4年(880年)死没。

5月27日
ジャワハルラール・ネルー、享年74歳。1964年、自宅で突発的な心臓発作で死去。

5月26日
木戸孝允、享年43歳。明治10年(1877年)京都で病死。死因は胃癌らしい。

5月24日
伊達政宗、享年68歳。寛永13年(1638年)江戸の伊達藩上屋敷で死去。死因は癌性腹膜炎あるいは食道癌と推定される。

5月23日
ヘンリック・イプセン、享年78歳。オスロにて死去。

5月22日
ヴィクトル・ユーゴー、享年83歳。1885年パリにて死去。急性肺炎。

5月21日
野口英世、享年51歳。1928年ガーナ・アクラで研究中黄熱病に感染し死亡。

5月20日
日野富子、享年57歳。明応5年(1496年)死亡。
生田春月、享年38歳。昭和5年(1930年)播磨灘沖で投身自殺。

5月19日
宮本武蔵、享年62歳。正保2年(1645年)熊本千葉城の自宅で死没。神経痛と胃癌。

5月18日
紀貫之、享年79歳。天慶8年(945年)死去。

5月17日
サンドロ・ボッティチェリ、享年65歳。1510年フィレンツェで死亡。彼の絵は人気を失い、数世紀にわたってほとんど忘れられた存在となった。

5月16日
北村透谷、享年25歳。明治27年(1894年)東京芝公園で首吊り自殺。

5月15日
犬養毅、享年76歳。昭和7年(1932年)五・一五事件で暗殺される。

5月14日
大久保利通、享年49歳。東京紀尾井坂で石川県士族島田一郎ら6人に襲われ死去。

5月13日
谷干城、享年74歳。明治44年(1911年)
田山花袋、享年60歳。昭和5年(1930年)自宅で死去。咽頭癌。

5月12日
青木昆陽、享年71歳。元禄11年(1698年)
秋田雨雀、享年79歳。昭和37年(1962年)結核と老衰のため自宅で死去。

5月11日
脇屋義助、享年38歳。興国3年、康永元年(1342年)病没。
土方歳三、享年34歳。明治2年(1869年)箱館で戦死。
萩原朔太郎、享年57歳。昭和17年(1942年)急性肺炎により世田谷の自宅で死去。
小泉信三、享年78歳。昭和41年(1966年)。心筋梗塞。

5月10日
二葉亭四迷、享年46歳。明治42年(1909年)シンガポール沖ベンガル湾洋上にて死去。腹膜炎。

5月9日
フリードリヒ・フォン・シラー、享年45歳。ザクセン・ヴァイマルの自宅で病死。
岩野泡鳴、享年47歳。大正9年(1920年)東京帝大病院で病死。腸チフス。

5月8日
テレサ・テン、42歳。1995年タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。

5月7日
真田信繁、享年49歳。慶長20年(1615年)大坂夏の陣で戦死。

5月6日
足利義満、享年49歳。応永15年(1408年)病死。

5月5日
ナポレオン1世、享年51歳。1821年セントへレナ島で死去。胃癌。

5月4日
藤原旅子、享年30歳。桓武天皇の夫人、藤原百川の長女。延暦7年(788年)死亡。
嘉納治五郎、享年71歳。昭和13年(1938年)カイロからの帰途、氷川丸船中で死去。肺炎。

5月3日
和田義盛、享年67歳。建暦3年(1213年)和田合戦で敗死。
柳宗悦、享年72歳。昭和36年(1961年)脳溢血。
高橋和巳、享年39歳。昭和46年(1971年)結腸がんのため東京女子医科大学病院で死去。

5月2日
レオナルド・ダ・ヴィンチ、享年67歳。1519年フランス、アンボワーズ近郊のクルーの館で死去。
福田英子(景山英子)、享年62歳。昭和2年(1927年)死去。

5月1日
萬鉄五郎、享年41歳。昭和2年(1927年)神奈川県茅ヶ崎の自宅にて死去。結核。

4月30日
源義経、享年31歳。文治元年(1189年)衣川の戦いにて死去。

4月29日
アルフレッド・ヒッチコック、享年80歳。1980年、ロサンゼルスにて死去。腎不全。

4月28日
中里介山、享年59歳。昭和19年(1944年)東京都阿伎留病院にて死去。腸チフス。

4月27日
ソクラテス、享年70歳。紀元前399年、アテネの獄中で自殺。

4月26日
足利基氏、享年28歳。正平22年(1367年)病死。死因は麻疹とされる。

4月25日
近藤勇、享年33歳。明治元年(1868年)東京・板橋で斬首さる。

4月24日
紀伊国屋文左衛門、享年66歳。享保19年(1734年)。

4月23日
ウィリアム・シェイクスピア、享年52歳。死因は腐りきったニシンから伝染した感染症らしい。ストラトフォード。

4月22日
リチャード・ニクソン、享年81歳。ニューヨークシティで脳卒中で死去。

4月21日
ダニエル・デフォー、享年71歳。1731年ロンドンで死去。

4月20日
下村湖人、70歳。昭和30年(1955年)東京都新宿区の自宅で死去。脳軟化症と老衰。

4月19日
チャールズ・ダーウィン、73歳。1882年イギリス・ケント州ダウン村の自宅で死去。

4月18日
孔子、享年71歳。魯国哀公16年(紀元前479年)、魯で没した。

4月17日
徳川家康、享年73歳。元和元年(1616年)駿府城にて死去。胃がん。

4月16日
川端康成、享年72歳。昭和47年(1972年)神奈川県逗子市にてガス自殺。

4月15日
里見成義、享年57歳。永正元年(1504年)没。安房里見氏2代目当主。南総里見八犬伝に名前は義成(よししげ)として登場するが実在は不明。

4月14日
高杉晋作、享年27歳。慶応3年(1867年)下田市桜山にて肺結核のため死去。

4月13日
草壁皇子、享年27歳。持統天皇3年(689年)
伊能忠敬、享年73歳。文化15年(1818年)
石川啄木、享年26歳。明治45年(1912年)小石川区久堅町にて肺結核のため死去。

4月12日
武田信玄、享年53歳。天正元年(1573年)病没。

4月11日
木村正辞(国文学者)、享年87歳。大正2年(1913年)腎炎で死去。
昭憲皇太后、享年64歳。大正3年(1914年)崩御。狭心症。

4月10日
川端龍子、享年80歳。昭和41年(1966年)老衰。
桑原武夫、享年83歳。昭和63年(1988年)病没。

4月9日
藤原家隆、享年80歳。嘉禎3年(1237年)大阪の夕陽丘で死没。
足利義稙、享年56歳。大永3年(1523年)徳島県鳴門で死没。
武者小路実篤、享年91歳。昭和51年(1976年)狛江の慈恵医大第三病院にて死去。尿毒症。

4月8日
結城秀康、享年34歳。慶長12年(1607年)死去。梅毒。
吉田東洋、享年46歳。文久2年(1862年)土佐帯屋町にて暗殺さる。
高浜虚子、享年85歳。鎌倉由比ヶ浜の自宅で死去。脳溢血。

4月7日
弓削道鏡、享年72歳。宝亀3年(772年)栃木県下野市で死去。
浅野長政、享年68歳。慶長16年(1611年)茨城県桜川市で死去。

4月6日
大田南畝、享年75歳。文政6年(1823年)登城の道での転倒が元で死去。
小栗上野介忠順、享年42歳。慶応4年(1868年)群馬県高崎で斬首。

4月5日
九条兼実、享年59歳。建永2年(1207年)
高田屋嘉兵衛、59歳。文政10年(1827年)背中にできた腫物が悪化。

4月4日
北条時宗、享年34歳。弘安7年(1284年)死因は結核とも心臓病ともいわれ明らかでない

4月3日
快川紹喜、享年80歳。天正10年(1582年)恵林寺において焼死。
隠元隆琦、享年80歳。延宝元年(1673年)没。
小林古径、享年74歳。昭和32年(1957年)慶応病院においてパーキンソン病と脳軟化症のため死去。

4月2日
一条兼良、享年78歳。文明13年(1481年)病没。
田沼意知、享年36歳。天明4年(1784年)江戸城内において佐野政信に殺害される。
高村光太郎、享年74歳。昭和31年(1956年)東京中野のアトリエで病没。結核。

4月1日
北條経時、享年23歳。寛元4年(1246年)死去。
岩倉具定、享年58歳。明治43年(1910年)死去。
西東三鬼、享年62歳。昭和37年(1962年)葉山で死去。

3月31日
尾崎一雄、享年83歳。昭和58年(1983年)小田原で死去。

3月30日
大槻玄澤、享年69歳。文政10年(1829年)江戸で病没。
野上彌生子、99歳。昭和60年(1985年)老衰のため成城の自宅で死去。

3月29日
八百屋お七、享年16歳。天和3年(1683年)鈴ヶ森で火刑。
立原道造、享年24歳。昭和14年(1939年)中野区江古田の市立療養所で病没。結核。

3月28日
内村鑑三、享年69歳。昭和5年(1930年)新宿区北新宿の柏木の自宅で病没。
椎名麟三、享年61歳。昭和48年(1973年)脳内出血のため世田谷区松原の自宅で死去。

3月27日
懐良親王、享年54歳。弘和3年・永徳3年(1383年)筑後矢部で病没。
広瀬武夫、享年35歳。明治37年(1904年)旅順港閉塞作戦において福井丸で戦死。

3月26日
足利義尚。享年23歳。延徳元年(1489年)近江鈎の陣中で病死。
与謝野鉄幹、62歳。気管支カタルがもとで慶應義塾大学病院で死去。
室生犀星。享年72歳。昭和37年(1963年)東京都港区虎ノ門病院で死去。肺癌。

3月25日
蘇我倉山田石川麻呂。大化5年(649年)没、享年不詳。山田寺(奈良県桜井市)で自殺。
蓮如、享年84歳。明応8年(1499年)、京都・山科本願寺で死去。

3月24日
平時子、享年59歳。文治元年(1185年)壇ノ浦の戦いで安徳天皇を抱いて入水。

3月23日
水上滝太郎、享年53歳。昭和15年(1940年)東京で病没。脳溢血。

3月22日
新美南吉、享年29歳。昭和18年(1943年)愛知県半田市の自宅で病没。結核。
藤原義江、享年77歳。昭和51年(1976年)日比谷病院で病没。脳血栓症。

3月21日
空海、享年62歳。承和2年(835年)高野山で入定。
柳生十兵衛、享年44歳。慶安3年(1650年)急逝、死因は不明。
田中絹代、享年67歳。昭和52年(1977年)順天堂病院で没。脳腫瘍。

3月20日
黒田如水、享年59歳、慶長9年(1604年)京都伏見の黒田邸で病没。
上杉景勝、享年69歳。元和9年(1623年)米沢城で病没。

人類、月に立つ 1969年

Photo_2   1969年7月16日、二ール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリンの3名を乗せたアポロ11号はケネディ宇宙センターから発射され、7月20日、アームストロングとオルドリンは人類として初めて月面に降り立った。「この一歩は小さいが、人類にとっては飛躍である」とのメッセージを地球に送った。この瞬間はテレビでも放送され世界中が固唾を呑んで見守った。

(Apollo,Neil Armstrong,Michael Collins,Edwin Aldrin,Jr.)

2018年7月19日 (木)

久坂玄瑞の死

  元治元年のこの日、禁門の変がおこる。蛤御門の変ともいう。長州藩の久坂玄瑞らは鷹司輔熙邸に立て篭もるが、会津・薩摩・幕府軍の攻撃を受けて焼失する。玄瑞は寺島忠三郎と共に自刃する。数え年25歳だった。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」禁門の変(蛤御門の変)。久坂には東出昌大が、寺島は鈴木伸之が扮した。(7月19日)

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   久坂玄瑞         寺島忠三郎

2018年7月18日 (水)

1977年キンディーズ解散宣言

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    現代史を記憶する方法は最も印象に残った事件を中心に、他の事柄を関連づけて覚えるのがよい。1977年7月18日、キャンディーズは解散宣言をした。この年、ピンクレディーは「ウォンテッド」「UFO」のヒットを飛ばしている。小説では三田誠広「僕って何」、池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」が芥川賞。アイドルでは榊原郁恵、大場久美子デビュー。アーチストではバリー・マニロウ。映画界は「幸福の黄色いハンカチ」「宇宙戦艦ヤマト」「ロッキー」「サスペリア」。NHK放送の米国ドラマ「大草原の小さな家」が人気。姉メリッサー・スー・アンダースンもお年頃。アル・パチーノがトップスターだった。円高差益。東京外国為替市場で、1ドル260円を割る。

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2018年7月14日 (土)

フランス革命とバスティーユ襲撃

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   1789年のこの日、パリの民衆は武装蜂起し、バスチーユ牢獄を襲撃した。騒乱はただちにフランス全土に波及し、ヴェルサイユのルイ16世にも伝えられた。このときルイが「暴動か」とたずねると、側近は「いえ、陛下、革命でございます」と答えたと伝えられる。以後10年にわたって続くフランス革命の、これが始まりである。バスティーユ牢獄は、14世紀シャルル5世のときパリ防衛の目的で築かれた要塞で、ブルボン朝のもとでは政治犯を投獄する牢獄として使用され、専制政治の象徴とみられていた。だが民衆がバスティーユを襲撃したのは、武器を得る目的であり、実際に解放された囚人は精神障碍者2人、文書偽造犯2人、非行貴族1人の計7人で、政治犯はひとりもいなかった。民衆は100人以上の死傷者を出しながらも、バスティーユを陥落させた。フランス語のbastilleは、要塞を意味する。要塞は革命後に解体され、痕跡は残っていない。現在はバイティーユ広場となっている。(Fernch Revolution,Bastille、7月14日)

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2018年7月13日 (金)

13日の金曜日

Friday13b   13日の金曜日が不吉で悪い出来事が起きる、というのは英語圏の多くとドイツ、フランスなどで広まっている迷信である。金曜日がなぜ不吉なのか。イエス・キリストが磔刑されたのが金曜日とされるが、聖書には13日の記述はみられない。Fridayという言葉は北欧神話の神フリッグから来ており、フリッグが「金曜日に悪魔を招いて悪事を企んでいる」と信じられるようになったから。金曜日に13を合わせて13日の金曜日を不吉とする風習は、古文献には見られず、19世紀になってから成立したとする意見がある。13を不吉な数とするのは、キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから生じたものであろう。1980年の映画「13日の金曜日」(1980)では殺人鬼ジェイソンがキャンプ場を舞台に若者たちを次々と惨殺するというホラー作品で、この影響によって、この日を不吉とする考えは世界的に広まった。しかし13日の金曜日=不吉で悪い出来事がおこる、という警戒感から、交通事故などを避けるため、事故件数は通常より少なく、安全な日という報告もなされている。2015年の11月13日の金曜日、パリで同時多発テロが発生し、120人以上が死亡した。

エムス電報事件

    ドイツをつねに分裂状態に置くことはフランスの伝統的政策であったが、ナポレオン3世がビスマルクの巧妙な外交政策に乗ぜられて普墺戦争に干渉の機を失したことは、大いにかれの威信をきずつけた。同時に、これ以上プロシアの強大化を許すことはフランスの安全をおびやかすものであったから、ナポレオン3世は、プロシアと対立する南ドイツ諸邦と結ぶために積極的に働きかけた。いっぽうビスマルクは、フランスとの衝突の不可避を予期して軍備の拡張を進め、ナポレオン3世の領土的野心を暴露してドイツ国民の敵愾心をあおり、秘密のうちに南ドイツ諸邦と攻守同盟を結んでフランスに対抗した。こうしてドイツ統一の完成にあたり、プロシア・フランスの決戦はさけられない情勢となったが、衝突の直接の動機となったのは、スペイン王位継承問題であった。

    1868年にスペインに革命が起こり、新政府はプロシア王の一族レオポルド親王を国王に立てようとした(1870)。これに対しフランスの世論は大いに沸騰し、ナポレオン3世は欧州の勢力均衡を破壊するという理由で、プロシア王に強硬な反対意見を通告した。1870年7月13日、ビスマルクは、西ドイツの温泉場エムスにおけるプロシア王とフランス大使の会見を報じた電文を、フランス大使が不当な要求をしたかのように内容をゆがめて発表した。この有名なエムス電報事件という策略により、大いにドイツ国民は激昂し、対仏戦争に結集させることに成功した。同時にフランス人の敵愾心は爆発し、議会は1870年7月17日プロシアに宣戦を布告した。普仏戦争(1870-71)はけっきょく外交工作と軍備に立ち遅れたフランスの大敗に終った。(参考:吉岡力「世界史の研究」)

2018年7月10日 (火)

フロリダとアダムズ・オニス条約

2672_fit588x588   映画「真夜中のカウボーイ」ダスティン・ホフマンが演じる足の不自由なラッツォが夢見たフロリダ。アメリカ有数のリゾート地として知られる。1821年7月10日、アメリカとスペインの間にアダムズ・オニス条約が発効される。これによってスペイン領フロリダの領土権を得た。アダムズとはモンロー大統領下の国務長官ジョン・クィンシー・アダムズ。オニスはスペインの外務大臣ルイス・デ・オニス。(Adams-Onis Treaty,Florida,Miami,Tampa,Orlando)

2018年7月 7日 (土)

七夕

20110806221616205 大雨の影響で3日連続で休店。近くの川の氾濫が心配だ。

  本日七夕(たなばた)。本来は「しちせき」と読むのが正しい。この日が雨だと牽牛と織女は会えない。だが韓国のチルソクではちょっと違う。この日2人は会う。流す嬉し涙。そして2日間夜に雨が続けば、別れを惜しむ涙といわれている。   

  7月7日の夜に牽牛と織女が天の川で会うという伝説がいつごろ成立したかは明らかではない。牽牛、織女の星名は「詩経」に見えるが、ここではまだ恋物語として扱われていない。七夕伝説は、傳元(217-278)の「擬天問」や文選に引かれた漢代の古詩に、天の川の女が機を織りながら牽牛星を想い雨のように涙を流すという故事がある。つまり牽牛織女の説話はすでに漢代に原型が成立していたと考えられる。唐の時代には七夕の行事が宮中で盛大に行なわれていた。日本にも8世紀には伝来している。古事記には「多那婆多」と見える。万葉集に「たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ」の歌が見える。

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