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2019年8月28日 (水)

ヴァイオリンの日

   本日は「ヴァイオリンの日」。明治13年8月28日、東京深川の三味線職人、松永定次郎が国産初のヴァイオリンを制作、これを記念したものです。

2019年8月24日 (土)

歴史的事件の特異日

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K・ブリュロフ画「ポンペイ最後の日」1830-1833年

   8月24日という日は過去の出来事を調べると、大災害が虐殺、戦争など凶事が多い。ヴェスヴィオス火山の大噴火(79年)。火山灰で埋められたポンペイの人口はおよそ2万人と推定される。源頼朝、石橋山で大敗(1180)。山科本願寺が焼き討ちされる(1532年)。聖バルテルミの虐殺(1572年)では約1000人が殺害された。島根県美保関沖合で駆逐艦「蔵」、軍艦「神通」と衝突沈没、116名死亡(1927)。パレスチナのヘブロンでアラブ人がユダヤ人を攻撃し、ユダヤ人65人が死亡(嘆きの壁事件、1929)。羽田沖上空で民間機衝突して市街地に墜落、死傷者130人(1938)。第二次ソロモン海戦、日本の敗北(1942年)。浮島丸事件。朝鮮半島出身者を釜山に送還中に沈没。死者550人(1945年)。森永ヒ素ミルク事件(1955年)。三宅島の大噴火。4戸焼失(1962年)。石川五右衛門が釜茹での刑に処せられる(1594年)など。

 

 

2019年8月23日 (金)

会津若松城の悲劇

Photo_5    1868年のこの日、会津藩の白虎隊が自刃した。幕末、最後の会津藩主が松平容保(1835-1893)である。この容保が、1862年12月、京都守護職として、1000人の藩兵を率い、京都に乗り込んだことが、その後の会津戦争の直接的契機となった。1868年、幕末維新の動乱は最終局面を迎えていた。8月、会津若松城(鶴ヶ城)は新政府軍の猛攻撃を受けた。8月22日、白虎隊343名が出撃した。その後、士中二番隊士、日向内記(1826-1885)率いる37名らが戸の口原へ援軍に向う。だが20名の隊士がはぐれてしまった。篠田儀三郎(1852-1868)らは、独自で進軍を決める。その途中、飯盛山から、鶴ヶ丘城が焼けているのが見えた。これを落城の兵火と思い、絶望した儀三郎らは自害してしまった。飯沼貞吉(画像、1854-1931)は足軽印出新蔵の妻ハツに救助され、蘇生し、その状況が知られることになる。飯沼は維新後、逓信省の技師となり、精勤。白虎隊の悲劇を後世に伝えた。(8月23日、参考:早乙女貢「敗者から見た明治維新 松平容保と新選組」)

 

 

 

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 晩年の松平容保

 

 

 

 

2019年8月22日 (木)

モナリザの盗難

Davinci_monalisa00_convert_20100706     1911年8月22日、ルーブル美術館から「モナ・リザ」が盗まれた。行方は杳として分からなかった。詩人のアポリネールや画家のピカソまでもが逮捕されたが、1週間後に釈放された。「モナ・リザ」は2年3ヵ月の間、行方を絶った。

   犯人は32歳のイタリア人放浪者ヴィチェンツォ・ペルージャという男だった。ペルージャは愛国主義的な動機で「モナ・リザ」を盗んだと主張したが、間もなく彼の手帳が発見された。アルゼンチンの詐欺師エドゥアルド・デ・マルケス・バルフィエルノに雇われていた。彼は贋作を作成してアメリカの富豪ロックフェラー、カーネギー、モルガンなどに売りつけようと計画していた。事件後、ルーブルを訪れる人の間では、あれ以来ほんものの「モナ・リザ」は美術館の奥深く秘蔵され、精巧な模写が飾ってあるのだというまことしやかな噂が流された。「モナ・リザ」はもはや微笑していない、と。

2019年8月21日 (水)

生麦事件

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生麦村の古写真(横浜開港資料館蔵)

    勅使の大原重徳(1801-1879)を警護して薩摩藩兵とともに東海道を下った島津久光(1817-1887)は、文久2年6月7日に江戸高輪の下屋敷に入った。江戸での大原は将軍徳川家茂に朝廷からの沙汰書を渡すとともに朝廷の意向を伝えた。薩摩側の強い働きかけもあって、幕府は将軍後見職に一橋慶喜、大老に松平慶永の就任を認めた。目的を果たした久光は8月21日、高輪の下屋敷を出発し京へ向かった。品川宿で休息をとり、川崎宿で昼食を兼ねた休息をした一行は、鶴見村の辺りで馬に乗って遠出したいたアメリカ領事館の書記官ヴァン・リードと遭遇した。3年前に日本に上陸していたリードは日本の習慣にも通じており、馬を下りて脱帽の上膝をついて頭を下げた姿で行列が過ぎるのを待ったため、何事もなく久光一行も通り過ぎた。だが行列は武州生麦村に通りかかったところで、馬に乗ったイギリス人の男女4人に行き会った。下馬せず行列を横切ろうとしたので、先頭の藩士が抜刀し、商人チャールズ・レノックス・リチャードソンを殺害、他の2人に負傷させた。加害者は同藩士奈良原喜左衛門(1831-1865)、久木村治休、海江田信義(1832-1906)であるが表に出ないで架空の岡野新助ということにした。イギリス公使ニールは、幕府に対し強硬に抗議するとともに、賠償金を要求、別に薩摩藩に対しては犯人引渡しと賠償金を幕府を通じて要求した。文久3年5月9日老中格の小笠原長行は、独断で賠償金をイギリスに支払った。しかし薩摩藩は幕府の説得を拒否したため、イギリスは薩摩藩と交渉、決裂に及んで薩英戦争が開かれた。藩内は、早期講和を主張する国元藩士と、江戸屋敷にいる攘夷による強硬の反対派とに二分していた。この収拾のため大久保一蔵(大久保利通)は、江戸屋敷の反対派に対して、「慰謝料は遺族扶助料の名目として要求どおり7万両を払うが、その金は幕府から借用する」という案を示し、反対派をとりまとめた。文久3年9月28日、横浜で薩英双方の和議は成立した。なお後年、久木村は陸軍中佐、海江田は奈良県知事になっている。

 

 

2019年8月20日 (火)

蚊取りブタは何故ブタなのか?

  きょうは「蚊の日」。1897年のこの日、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスがハマダラカ類の蚊の胃袋からマラリアの原虫を発見した。日本の夏といえば金鳥。蚊取り線香はなぜブタの陶器に入っているのか?蚊取り線香は1890年に上山英一郎が線香に除虫菊を練り込むことを考案した。それより以前は「蚊遣火」(かやりび)と言って、蚊遣木(マツ、スギ、カヤなど)を燻していた。蚊遣火には殺中効果はなく、蚊を追い払うのみだった。江戸時代、すでに蚊遣火を入れたブタの容器が出土している。「蚊遣り豚」といい、常滑焼の土産物として販売したところ人気で全国に広がったといわれる。8月20日

 

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 江戸時代後期の蚊遣り豚

2019年8月19日 (月)

俳句の日

Img_190342_31424114_1    本日は「俳句の日」。「坂の上の雲」のもう一人の主人公、香川照之演じる正岡子規のユニークな人柄をたいへん好ましく思う。「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と言った子規が、現代俳句をいかに評価するのか知りたい。「ホトトギス」は、子規の号に因み、明治30年に創刊したが、現代俳壇はホトトギス全盛といってよい。大新聞の俳壇の選者がホトトギスの門下であれば当然、花鳥風月の客観写生の句が選ばれる。ところが子規の門下の河東碧梧桐の新傾向派は自由律・無季題である。この派から尾崎放哉や種田山頭火も出たが、後継者が現われるはずもなく、途絶えたといってよい。一方の高浜虚子からは、飯田蛇笏、原石鼎、村上鬼城、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男など輩出した。現在、金子兜太らの前衛俳句もあるが、伝統対革新の構図はいつの時代もある。ここでは現代名句をいくつかあげてみる。

くらがりの天地にひびく花火哉(子規)

 

静けさや音いきりたつ扇風器(草城)

 

ちんぽこもおそそに湧いてあふれる湯(山頭火)

 

江川投手は征露丸です咲くさくら(坪内稔典)

 

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(金子兜太)

 

八月や六日九日十五日(萩原枯石)

 

父はやく死にしあと母風の盆(古沢太穂)

 

算術の少年しのび泣けり夏(西東三鬼)

 

卒塔婆を抱きて乗り込む盆列車

 

ただ一人少年墓を拝みけり(月二郎)

 

さうめんの真白き昼餉 夏休(皆吉爽雨)

 

(8月19日)

2019年8月18日 (日)

チンギス・ハンはどこに眠っているのか?

Ghengisbr    チンギス・ハンの生年については1155年、1161年、1162年、1167年など諸説あるが、忌日は1227年8月18日とはっきりしている。これは奇しくも豊臣秀吉と同日である。西夏を滅ぼした帰途、負傷がもとで陝西省六盤山山麓で病没し、ケルレン河畔で葬られた。遊牧民であるモンゴル民族には、地上に墓標などを立てずに埋葬する風習がある。そのため、モンゴル帝国の偉大な始祖・チンギス・ハンも、死後どこに埋葬されたのか墓の所在がわからない。いまも多くの学者がその墓を探すため取り組んでいる。埋葬された最有力候補地はモンゴル北東部のボルハン・ハルドゥン(ブルカン・カルドゥンとも。「神の山」の意)で「モンゴル秘史」にも記された生まれた場所で、墓所もあると考えられている。いつか世界史最大の謎とされるチンギス・ハンの墓が明らかになる日がくるのだろうか?(Chingis Khan) 

参考:白石典之「チンギス・カンの考古学」 2001年
チンギス・ハン伝 ウラデミルツォフ 小林高四郎訳 1936年
成吉思汗伝 ウラジ―ミルツォフ 生活社 1943年
チンギス・ハンの末裔たち 騎馬民・モンゴル族踏査行 森田勇造 講談社 1986年

 

 

 

 

2019年8月13日 (火)

左利きの日

120679923511216402492     本日は国際的には「左利きの日」。だが、わが国ではお盆にあたるので2月10日を「左利きの日」としている。野球ではサウスポーといい、左腕投手が珍重される。野球場は、午後の日差しが観戦の妨げにならぬよう、「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は、東北東に向かっていることを理想とする」(MLB公認規則)とある。このため左投手は南側(サウス)の手(ポー)で投球することになり、その事から左投手がサウスポーと呼ばれるようになったという説が一般的に説かれる。また、アメリカ南部出身の大リーグ所属投手に左利きが多かったことから、語が生まれたとする説もある。

 左利きの有名人として、レオナルド・ダ・ヴィンチや左甚五郎といった芸術家が多い。ビル・クリントン、バラク・オバマなど米大統領も左利きである。(8月13日)

2019年8月12日 (月)

日航ジャンボ機墜落34年

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   昭和60年8月12日午後6時24分30秒。羽田空港を飛び立った日本航空123便大阪行きには524人の乗員乗客が搭乗していた。折りしも、お盆の帰省シーズンだった。ジャンボ機は相模湾上空で操縦不能となり、群馬県御巣鷹山山中に墜落、大破炎上。死者520人、生存者4人。単独機として世界最大の事故である。激しく揺れる機内で、ある乗客は家族への伝言を記した。「本当に今まで幸せな人生だったと感謝している」別の人は「恐・恐・恐、助けて」とゆがむ字で書き続けた。事故原因は「圧力隔壁の破損」によるとされる。

 

 

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