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2026年8月21日 (金)

生麦事件と薩英戦争

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生麦村の古写真(横浜開港資料館蔵)

    勅使の大原重徳(1801-1879)を警護して薩摩藩兵とともに東海道を下った島津久光(1817-1887)は、文久2年6月7日に江戸高輪の下屋敷に入った。江戸での大原は将軍徳川家茂に朝廷からの沙汰書を渡すとともに朝廷の意向を伝えた。薩摩側の強い働きかけもあって、幕府は将軍後見職に一橋慶喜、大老に松平慶永の就任を認めた。目的を果たした久光は8月21日、高輪の下屋敷を出発し京へ向かった。品川宿で休息をとり、川崎宿で昼食を兼ねた休息をした一行は、鶴見村の辺りで馬に乗って遠出したいたアメリカ領事館の書記官ヴァン・リードと遭遇した。3年前に日本に上陸していたリードは日本の習慣にも通じており、馬を下りて脱帽の上膝をついて頭を下げた姿で行列が過ぎるのを待ったため、何事もなく久光一行も通り過ぎた。だが行列は武州生麦村に通りかかったところで、馬に乗ったイギリス人の男女4人に行き会った。下馬せず行列を横切ろうとしたので、先頭の藩士が抜刀し、商人チャールズ・レノックス・リチャードソンを殺害、他の2人に負傷させた。加害者は同藩士奈良原喜左衛門(1831-1865)、久木村治休、海江田信義(1832-1906)であるが表に出ないで架空の岡野新助ということにした。イギリス公使ニールは、幕府に対し強硬に抗議するとともに、賠償金を要求、別に薩摩藩に対しては犯人引渡しと賠償金を幕府を通じて要求した。文久3年5月9日老中格の小笠原長行は、独断で賠償金をイギリスに支払った。しかし薩摩藩は幕府の説得を拒否したため、イギリスは薩摩藩と交渉、決裂に及んで薩英戦争が開かれた。藩内は、早期講和を主張する国元藩士と、江戸屋敷にいる攘夷による強硬の反対派とに二分していた。この収拾のため大久保一蔵(大久保利通)は、江戸屋敷の反対派に対して、「慰謝料は遺族扶助料の名目として要求どおり7万両を払うが、その金は幕府から借用する」という案を示し、反対派をとりまとめた。文久3年9月28日、横浜で薩英双方の和議は成立した。なお後年、久木村は陸軍中佐、海江田は奈良県知事になっている。

 

 

2026年8月20日 (木)

蚊取りブタは何故ブタなのか?

 本日は「蚊の日」。1897年のこの日、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスがハマダラカ類の蚊の胃袋からマラリアの原虫を発見した。日本の夏といえば金鳥。蚊取り線香はなぜブタの陶器に入っているのか?蚊取り線香は1890年に上山英一郎が線香に除虫菊を練り込むことを考案した。それより以前は「蚊遣火」(かやりび)と言って、蚊遣木(マツ、スギ、カヤなど)を燻していた。蚊遣火には殺中効果はなく、蚊を追い払うのみだった。江戸時代、すでに蚊遣火を入れたブタの容器が出土している。「蚊遣り豚」といい、常滑焼の土産物として販売したところ人気で全国に広がったといわれる。

 ところで豚の形をした陶器は貯金箱も広く使われている。その起源は中世ヨーロッパにあるといわれる。当時、陶器は「Pygg」いう粘土で作られることが多かったが、イギリスの陶器職人に「Pyggの陶器を作ってほしい」と頼んだところ「Pig(豚)」と勘違いして作られた貯金箱が評判となり世間に広まったとされる。日本では豚の貯金箱が作られるようになったのは江戸時代のこと。豚は一度にたくさんの子どもを産むことから幸運の象徴とされ、デザインに取り入れられるようになったといわれる。 (8月20日)

 

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 江戸時代後期の蚊遣り豚

2026年8月19日 (水)

俳句の日

Img_190342_31424114_1    本日は「俳句の日」。NHKドラマ「坂の上の雲」のもう一人の主人公、香川照之が演じた正岡子規のユニークな人柄をたいへん好ましく思う。「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と言った子規が、現代俳句をいかに評価するのか知りたい。「ホトトギス」は、子規の号に因み、明治30年に創刊したが、現代俳壇はホトトギス全盛といってよい。大新聞の俳壇の選者がホトトギスの門下であれば当然、花鳥風月の客観写生の句が選ばれる。ところが子規の門下の河東碧梧桐の新傾向派は自由律・無季題である。この派から尾崎放哉や種田山頭火も出たが、後継者が現われるはずもなく、途絶えたといってよい。一方の高浜虚子からは、飯田蛇笏、原石鼎、村上鬼城、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男など輩出した。現在、金子兜太らの前衛俳句もあるが、伝統対革新の構図はいつの時代もある。ここでは現代名句をいくつかあげてみる。

くらがりの天地にひびく花火哉(子規)

静けさや音いきりたつ扇風器(草城)

ちんぽこもおそそに湧いてあふれる湯(山頭火)

江川投手は征露丸です咲くさくら(坪内稔典)

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(金子兜太)

八月や六日九日十五日(萩原枯石)

父はやく死にしあと母風の盆(古沢太穂)

算術の少年しのび泣けり夏(西東三鬼)

跳び箱の突き手一瞬冬が来る(友岡子郷)

卒塔婆を抱きて乗り込む盆列車

ただ一人少年墓を拝みけり(月二郎)

さうめんの真白き昼餉 夏休(皆吉爽雨)

羅(うすもの)や人悲します恋をして(鈴木真砂女)

甲子園勝っても負けても涙かな(大塚美佳)

白葱のひかりの棒をいま刻む(黒田杏子)

遺失物係の窓のヒヤシンス(夏井いつき)

湯上りの尻のつめたき秋の暮(千葉皎史) 

若き日の妻の鏡台捨てて秋(遠藤若狭男)

 

                                             (8月19日)

2026年8月18日 (火)

太閤忌

250pxtoyotomi_hideyoshi 慶長3年8月18日の丑の刻(午前二時)。豊臣秀吉は病に伏し、跡継ぎの豊臣秀頼をくれぐれも頼むと家康や利家に言い残しながら、伏見城にて病没。享年、61歳である。

   死後、秀吉の侍女孝蔵主が、蒔絵の文箱におさめてあずかっていた色紙を、取り出して北政所にわたした。辞世の歌が書いてある。

露と落ち、露と消えにしわが身かな、難波のことは、夢のまた夢(大阪城天守閣木下家文書)

   京都・高台寺の所蔵する秀吉画像、賛によって、秀吉没後まもなく描かれた事実がわかる。狩野光信(1565-1608)の筆による。華やかな雰囲気のうちに天下人の威厳を感じさせる優れた構図・描法である。織田信長や徳川家康の画像と比べると、どこか寂しさを感じさせ、苦労人という印象を与える「猿面」である。右手に笏を持っているが、秀吉は6本指だったという風説がある。ルイス・フロイスの「日本史」の中に「秀吉の片手には、6本の指(seis dedos)があった」と記している。前田利家も「国祖遺言」に右の手おや指が一つ多かったことにふれている。専門医によれば秀吉が多指症だったことは大いにありうることらしい。日本、中国および朝鮮の3つの民族には多指症が多く、ことに母指の基節骨から分岐するタイプのものがよくみられる。両側対称性の多指症は遺伝関係が濃厚だが、秀吉のように片側性のものは突然変異が考えられると言っている。秀吉先天性多指症説の信憑性はかなり高い。(太閤忌)

 

 

 

 

2026年8月14日 (金)

コルベ神父

Kolbe   ポーランド・ズドゥニスカ・ヴォラの織物職人の子として生まれたマキシミリアノ・コルベ(1894-1941)はフランシスコ会に入り、1930年から6年間日本の長崎で宣教活動を行なった。帰国後ゲシュタポに捕えられて、アウシュビッツ強制収容所に送られた。そこで、みせしめのために処刑される。見ず知らずの他人の身代わりとなって餓死刑となり、8月14日に47歳で世を去った。(Maksymilian Kolbe,Zdunska Wola,Auschwitz)

2026年8月13日 (木)

左利きの日

120679923511216402492     本日は国際的には「左利きの日」。だが、わが国ではお盆にあたるので2月10日を「左利きの日」としている。野球ではサウスポーといい、左腕投手が珍重される。野球場は、午後の日差しが観戦の妨げにならぬよう、「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は、東北東に向かっていることを理想とする」(MLB公認規則)とある。このため左投手は南側(サウス)の手(ポー)で投球することになり、その事から左投手がサウスポーと呼ばれるようになったという説が一般的に説かれる。また、アメリカ南部出身の大リーグ所属投手に左利きが多かったことから、語が生まれたとする説もある。

 左利きの有名人として、レオナルド・ダ・ヴィンチや左甚五郎といった芸術家が多い。ニュートン、ダーウィン、エジソン、アインシュタインなど科学者。ビル・クリントン、バラク・オバマなど米大統領も左利きである。(8月13日)

2026年8月12日 (水)

クレオパトラは本当に美女だったのか?

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 シーザーとクレオパトラとの出会い

 

    紀元前30年のこの日、エジプト女王クレオパトラは毒蛇のコブラに乳房を噛ませて自殺したとされる。古来からクレオパトラは絶世の美女とされ、これまで何度も映画化された。ジョヴァンナ・テリビリ・ゴンザレス、セダ・バラ、クローデット・コルベール、ヴィヴィアン・リー、リンダ・クリスタル、パスカル・プティ、マガリ・ノエル、ジョーン・クレール、エリザベス・テーラー、ヒルデガード・ニールなど。なにせ世界中で映画化されているのでその正確な数はわからない。

    このようにクレオパトラは現代でも美貌と知性を兼ね備えた女性として人気は高い。NHKプレミアム8「華麗なる宮廷の妃たち・クレオパトラ」(2010.6.8放送)でも現代キャリア女性にクレオパトラの人生を重ねあわせ、ゲストがその心のうちを解析していくのが興味深い。

    キケロはクレオパトラに会った印象を次のように記している。「女王は嫌いだ。ティベリウス河の対岸の別邸にいったときの女王の傲慢ぶりは、思い出すたびに実に腹立たしい」(「友人アティックスへの手紙」)キケロはローマ滞在中のクレオパトラにかなりぞんざいに扱われたらしい。クレオパトラにも傲慢な一面があったと考えるべきだろう。クレオパトラは小柄で痩せ型だったようだが、正しい容貌はよく分からない。プルタークが伝えるところではクレオパトラは特段の美女ではなかったらしい。「彼女の容姿は会話の際には説得力があり、また同席している人々にいつの間にか浸みこむ性格を持っていて、針のように人の心にはいりこんだ」とある。13ヶ国語を話す会話上手の一面が現れている。

    シーザーやアントニーとの関係は恋だったのか、政治的打算だったのか。吉村作治はエジプト女王という立場にあるクレオパトラの政治力を強調する。現代女性が思い描く女性像ではないと指摘する。その裏づけとしてアクティウムの海戦でこれまでクレオパトラは敵前逃亡したと言われてきた。ところがクレオパトラ率いるエジプト艦隊60隻は大型軍船からなるもので財宝を積んでいる。これらを無事本国に帰還させるといことは再起を図るねらいがあった。当時、戦いにはマストと帆は積まないことになっているが、あらかじめマストと帆を積んで戦場にのぞんだことは退却も想定していたことである。クレオパトラは戦局を見る冷静な判断力をもった司令官でもあったのだ。

    最後に、吉村はクレオパトラの魅力は容貌の美しさよりも、教養の高さ、着こなし、飾り物の豪華さ、化粧のうまさ、洗練された優雅さにあったと指摘している。「シーザーはクレオパトラの教養の深さに驚き、夫のいうことをただ黙って聞き、家事にあけくれるローマの女に比べ、何という違いだろうとため息をついたに違いない」と記している。(参考:吉村作治「クレオパトラの謎」講談社現代新書) 8月12日

 

 

2026年8月11日 (火)

山の日

 本日は山の日。地球上には、森林を主体とした山が身近にある。とくに日本は国土の7割が森か山である。信仰の対象とされ、古くから崇められてきた山々が多数ある。日本人の名字も漢字の「山」や「森」が付く人が多いのもそのためだろう。日本の登山人口は年間800万人ともいわれ、現代は空前の登山ブームである。日本にはいくつ山があるか知っていますか?「何を山と数えるか」の定義で大きく変わりますが、国土地理院の2万5000分の1の地形図に乗っている山の数は、1万6667もの山があります。私の家から一番身近な山は岩倉山(標高488.4m)です。宝塚駅から塩尾寺を経由し岩倉山へ向かう5.9㎞が一般的なコースです。

  私たちは、なぜこれほど山に登るのでしょうか?イギリスの登山家マロリーは、アメリカでの講演中に「なぜエベレストに登るのか」という質問に、「山がそこにあるから」と答えたといわれる。山に登るということは先史時代から行われていたようであるが、何世紀ものあいだ、山は神と人間とが出会う神聖な場所だと思われていた。モーセはシナイ山で十戒を授かっている。ハンニバルは前218 年、6万人の兵と37頭の象とともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされる。125年にローマ帝国のハドリアヌス帝は朝日を見るためにエトナ火山に登った。1336年4月26日にイタリアの詩人、ペトラルカは弟ジェラルドを連れてフランスのヴァントゥ山の頂に登った。このことからペトラルカは「登山の父」と呼ばれている。我が国で最初に富士登山に成功した人物は聖徳太子という俗説がある。ある日、聖徳太子は黒駒に乗ってフワフワと空中に浮き、そのまま富士山をめぐりあるいて二日で帰ってきた。太子信仰の隆盛にともない生まれた伝説の一つで、本当に登山をしたという確証はない。太子は達磨に会ったという逸話もある。達磨の方が太子よりも一世代も前の人だが、太子の前世が中国・天台宗の高僧・南嶽慧思であるという。この慧思が達磨の教えを受けて、日本に転生して仏教を広めにきたという。時代は北魏末の仏教文化が衰退するので、東伝の布教するためであった。
 ちなみに、「山の日」が制定されたのは、作曲家の船村徹が2008年に「海の日があるのに、山の日がないのはおかしい」と新聞紙上で言ったことが発端で、2016年より「山の日」が施行されるようになった。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことが目的。なぜ11日なのか。当初、お盆前のシーズンである12日にする案が候補として挙げられたが、日航機墜落事故が起こった日であり、ふさわしくないとの理由から、最終的に1日ずらした8月11日となった。つまり8月11日に特別の意味はないが、1858年のこの日、チャールズ・バリントンがスイスのアイガー北壁の登頂に初成功している。(8月11日)

参考文献
山の思想史 三田博雄 岩波新書

2026年8月 9日 (日)

ヘッセ忌

11030608hermannhesse     ヘルマン・ヘッセの小説に『青春はうるわし』という短編がある。夏休み、ふるさとに帰った若者が両親や弟妹とひと夏をすごす。青年は美しい少女に夢中になるが、彼女には婚約者がいることを知る。やがて妹の友だちの、あたたかい心の少女にひかれていくが、この恋もやぶれて、傷心のまま、故郷を去る。すべて美しいものは、はかなく、過ぎてから気がつくものなのだろうか。あの夏の暑さのように。1962年8月9日、ヘッセは85歳でこの世を去った。(Herman Hesse)

2026年8月 8日 (土)

世界中に猫は何匹いるの?

   本日は「世界猫の日」。この記念日は、国際的な記念日です。2002年カナダに本部がある「ifaw(国際動物福祉基金)」が制定しました。猫の殺傷処分を減らし、動物をうやまい、すこしでも救おうとする目的があります。

  世界中に猫は何匹いるのか?ノラ猫まで含めると正確な統計はないが、推計でペット猫はなんと6億匹が飼われている。ちなみに犬は約4億といわれる。スミソニアン博物館のアビゲイル・タッカー博士は猫のことを「地球の小さな征服者」と読んでいる。(8月8日)

 

 

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