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2024年7月20日 (土)

アリストテレスの弟子

Alexander_aristotle

世界史の教科書で有名なチャールズ・ラプラントの挿絵(1866年) 一部分が多く、全体を紹介したものは少ない

    英雄アレクサンドロス大王(前356-前323)は紀元前356年のこの日、マケドニアで生まれた。彼は東方遠征による世界帝国の形成者という世界史上、最も重要な人物であるがアレクサンドロス自身は、もともとインドまで広がる大帝国の建設を本気で考えていたのであろうか。ただ言えることは、未知なるものに向かっていく精神の旺盛な若者であったということだけは確かであろう。アレクサンドロスがまだ皇太子のころ、13歳から16歳まで(前343年頃)、当時の最高の学者アリストテレス(前384-前322)から直接、学問を学んでいることはよく知られるところである。二人の子弟関係がどのようなものであったかは詳しいことは明らかではない。最高の賢者と最高の帝王との出会い。「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」というアリストテレスの言葉から推測すれば、ヘレニズム精神がいかに培われたか興味深いものがある。(AlexandrosⅢ,Aristotles,7月20日)

人類、月面着陸(1969年)

Photo_2 1960年代のアメリカはベトナム戦争を背景に学生の反戦運動が始まった。フォークやロックは「愛と平和」や「体制への抵抗」をうたいあげヒッピー文化が花開く。日本でも激しい学生運動が巻き起こり、東大安田講堂や新宿騒乱など大事件が相次いだ。世界が争乱のさなかにあった1968年12月、アポロ8号が宇宙から青く美しい地球の映像を届けた。

   1969年7月16日、二ール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリンの3名を乗せたアポロ11号はケネディ宇宙センターから発射され、7月20日、アームストロングとオルドリンは人類として初めて月面に降り立った。

That's one small step for a man,one giant leap for mankind.

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」とのメッセージを地球に送った。この瞬間はテレビでも放送され世界中が固唾を呑んで見守った。(Apollo,Neil Armstrong,Michael Collins,Edwin Aldrin,Jr.)

2024年7月19日 (金)

禁門の変

  元治元年のこの日、禁門の変がおこる。蛤御門の変ともいう。長州兵が蛤御門に迫ると、会津・桑名の兵と射ち合いになった。頃合を見計らった薩摩も長州兵へ射ちかけたので、ついに長州兵は大敗して退いた。長州藩の久坂玄瑞らは鷹司輔熙邸に立て篭もるが、会津・薩摩・幕府軍の攻撃を受けて焼失する。玄瑞は寺島忠三郎と共に自刃する。数え年25歳だった。真木和泉は山崎天王山で自刃する。(7月19日)

Photo 
   久坂玄瑞        

 

 

 

 

2024年7月18日 (木)

キャンディーズ解散宣言(1977年)

    現代史を記憶する方法は最も印象に残った事件を中心に、他の事柄を関連づけて覚えるのがよい。1977年7月18日、キャンディーズは解散宣言をした。この年、ピンクレディーは「ウォンテッド」「UFO」のヒットを飛ばしている。小説では三田誠広「僕って何」、池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」が芥川賞を受賞。アイドルでは榊原郁恵、大場久美子デビュー。アーチストではバリー・マニロウ。映画界は「幸福の黄色いハンカチ」「宇宙戦艦ヤマト」「ロッキー」「サスペリア」。NHK放送の米国ドラマ「大草原の小さな家」が人気。アル・パチーノがトップスターだった。円高差益。東京外国為替市場で、1ドル260円を割る。

 

 

2024年7月16日 (火)

横浜ランドマークタワー

1_100object130716     1993年のこの日、横浜ランドマークタワー(高さ296m)が開業。超高層ビルでは高さ日本一。しかし2014年春に完成する「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)高さ300mが高さで横浜を抜き、日本一高いビルとなる。(7月16日)

2024年7月14日 (日)

フランス革命

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  18世紀末のフランスでは、流血をともなう革命によって、古い体制が打ち砕かれ、国民国家が誕生した。王政から共和政へ展開する政局は複雑である。革命前の国王政府は、けっして単純に反動的だったわけではない。むしろ、時代の要請にあった近代的な改革を試みようとしていた。1789年5月ルイ16世は反対する貴族に圧されて175年ぶりに三部会を招集した。1789年6月20日、農民・市民らの第三身分代表議員らがヴェルサイユ宮殿で「球戯場の誓い」を宣言。7月9日に憲法制定国民議会ほ制定。7月14日、パリの民衆は武装蜂起し、バスチーユ牢獄を襲撃した。これにより反革命軍来襲のデマとともに農民暴動と各都市の武装という無政府状態がはじまった。騒乱はただちにフランス全土に波及し、ヴェルサイユのルイ16世にも伝えられた。このときルイが「暴動か」とたずねると、側近は「いえ、陛下、革命でございます」と答えたと伝えられる。以後10年にわたって続くフランス革命の、これが始まりである。同年8月26日に人間の自由と平等、国民主権などを謳った「人権宣言」が採択された。

  1932年公開の映画Le Quatorze Juillet(7月14日)の邦題が「巴里祭」だったことから、日本ではこの日を「パリ祭」と呼ばれるが、正式には「革命記念日」。バスティーユ牢獄は、14世紀シャルル5世のときパリ防衛の目的で築かれた要塞で、ブルボン朝のもとでは政治犯を投獄する牢獄として使用され、専制政治の象徴とみられていた。だが民衆がバスティーユを襲撃したのは、武器を得る目的であり、実際に解放された囚人は精神障碍者2人、文書偽造犯2人、非行貴族1人の計7人で、政治犯はひとりもいなかった。民衆は100人以上の死傷者を出しながらも、バスティーユを陥落させた。フランス語のbastilleは、要塞を意味する。要塞は革命後に解体され、痕跡は残っていない。現在はバイティーユ広場となっている。革命はロベスピエールらジャコバン派の恐怖政治を経て、テルミドールのクーデター(1794年)がおこり革命の嵐は10年間続くが、ナポレオンが国民の支持を得て、1799年11月9日、「プリュ―メル18日」のクーデターで政権を掌握する。フランス革命によって旧時代の地代生活者が没落し、新しい市民階級が登場する。(Fernch Revolution,Bastille、7月14日)

 

2024年7月13日 (土)

ハリウッド物語

Wilcoxdaeida     1923年のこの日、ハリウッドの象徴ともいえる看板が設置された。ロサンゼルス市にある映画産業の中心地ハリウッドは1884年に禁酒運動家であるホーレス・ウィルコックス夫妻がその運動を広めるためにこの地を訪れ、ここに理想の村を建てる計画を立て、48万5600㎡の土地を購入した。1884年2月1日この地を「Hollywood(ひいらぎの森)」と命名した夫人のダイエダ・ウィルコックス(1862-1914)が考えたものといわれている。

 

Al_christie_sm   20世紀の初めの頃、映画はニューヨークやシカゴで撮影製作されていた。MPPCというエジソンのトラストが映画産業を支配していたが、トラストに加入していないアル・クリスティー(1881-1941)が新天地ハリウッドへ逃れ、ここで映画を作った。これがロサンゼルスのタレー座で大いに当たり、これがハリウッドと映画との第一歩となった。

 

 

 

 

 

Laemmlejr     東部でユニヴァーサル映画社を1909年に創立していたカール・レムレ(1867-1939)という映画興業家は1914年にハリウッドに移転。ときあたかも第一次世界大戦の勃発で、これまで映画製作していたイタリア、フランス、ドイツが困難となり、アメリカはその映画市場が発展した。D・W・グリフィス、セシル・B・デミル、さらに喜劇のチャールズ・チャップリンなどがこのハリウッドに集まり、ついにアメリカ映画は世界を征服する勢いを示したのである。

 

(Hollywood,Harvey Wilcox,Daeida Wilcox,Al Christie,Carl Laemmle、7月13日)

2024年7月 9日 (火)

鷗外忌

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 森鷗外墓(津和野)

 

    森鴎外はその死に当って、賀古鶴所に遺言を口述した。「余は石見人森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎の外一字もほる可からず。栄典は絶対に取りやめを請ふ」と厳命している。実際には従2位勲1等が贈られている。

     大正11年7月9日午前7時、千駄木の自宅にて没した。腎委縮、肺結核。享年60歳。12日、谷中斎場で仏式により、葬儀、翌13日、日暮里火葬場で荼毘に付し、向島弘福寺に納骨された。その後、分骨され郷里の永明寺(島根県鹿足郡津和野町)にも墓がつくられた。現在、三鷹の禅林寺にある鴎外の墓は、弘福寺から昭和2年に移されたものである。

2024年7月 7日 (日)

盧溝橋事件おこる

    昭和12年7月7日、北京西南の盧溝橋で起きた日本軍と中国軍との衝突事件は、もともとは銃が聞こえただけの小事件だった。陸軍参謀本部作戦課長の河辺虎太郎(1890-1960)の元に届いたのは8日早朝のことだった。「厄介なことが起こったな」それが軍務課長・柴山兼四郎の電話の第一声だった。第三課長・武藤章は「愉快なことが起こったね」と言っていた。一方はこれを何かもみ潰しをしなければならなぬという風に思い、一方では此奴は面白いから油をかけて燃やそうという気持ちの違いがある。(「河辺虎太郎少将回想応答録」)不拡大派と拡大派の対立を象徴するような言葉だった。小事件が全面衝突に発展して、日本が破滅への道を歩んだのは、後の歴史が語る通りである。このとき第1連隊長として攻撃命令を行い指揮を取っていたのは、のちにインパール作戦で多くの部下を餓死させた牟田口廉也である。

  盧溝橋事件を契機に起こった日中戦争は国家総力戦となり、政府による国民の戦争への総動員と国家総動員法をてことする戦時統制経済への移行が強力に推進された。昭和14年9月に第二次世界大戦が勃発すると、日本は不介入を声明したが、翌年には日独伊三国同盟を結んで米英との対立を深め、国内では大政翼賛会を結成し、ファシズム体制を成立させた。昭和16年12月、日本は真珠湾攻撃を行いアジア・太平洋戦争へと突入した。

七夕

20110806221616205   本日は七夕(たなばた)。本来は「しちせき」と読むのが正しい。七夕の日が雨だと牽牛と織女が会えないという伝説がある。だが韓国のチルソクではちょっと違う。この日2人は会う。流す嬉し涙。そして2日間夜に雨が続けば、別れを惜しむ涙といわれている。 

  7月7日の夜に牽牛と織女が天の川で会うという伝説がいつごろ成立したかは明らかではない。牽牛、織女の星名は「詩経」に見えるが、ここではまだ恋物語として扱われていない。七夕伝説は、傳元(217-278)の「擬天問」や文選に引かれた漢代の古詩に、天の川の女が機を織りながら牽牛星を想い雨のように涙を流すという故事がある。つまり牽牛織女の説話はすでに漢代にラブロマンスの原型が成立していたと考えられる。唐の時代には七夕の行事が宮中で盛大に行なわれていた。日本にも8世紀には伝来している。古事記には「多那婆多」と見える。万葉集に「たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ」の歌が見える。笹に歌や文字を書いた短冊を吊るして手習いの上達を祈る風習は、中国の乞巧奠(きこうでん)という習俗に由来している。

 

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