表現の自由と名誉毀損
実在するある場所を舞台に物語を書くとき、その舞台として使っている地名を架空とせずに、実在の地名そのまま使うケースはよくある。地名は著作物ではないので、基本的に、創作物に実在の地名を出すことは法的に差支えない。これは表現の自由として憲法によって認められている。だが、地名などが、マイナスイメージで描かれたり、地元の人に不快感を与えるとき、関係者から反発やクレームがあることが予想される。1980年、少年ジャンプ連載の漫画「私立極道高校」(宮下あきら)において作中に実在する学校名や校章などが書かれ、抗議を受けて打ち切りとなった。また野球選手のクロマティが自分の名前を使ったタイトルの漫画の実写版映画の公開差し止め請求した事件(2005年)がある。映画は公開されたが、名前の使用を許諾していないことから民事訴訟になる可能性が残っている。このように表現の自由と名誉毀損とが対立するケースはしばしば起こりうる。映画・ドラマなど創作物では「この作品はフィクションであり実在の人物団体等とは関係ありません」などといった断り書きをするのが普通になっている。
今回、村上春樹の小説「ドライブ・マイ・カー」に登場する北海道中頓別町に関する表現が屈辱的であるとして町議員6人が発行元の文芸春秋に抗議するという事件があった。村上はすばやく過ちを認め、単行本にする際に町名を変更する意向を示した。問題の部分は、タバコのポイ捨てを「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と表現されていた。今回の事件は村上春樹という著名な作家だから起こりえたケースで、売れない小説家ならスルーしたであろうし、「屈辱的」というのは大袈裟の感がする。松本清張の小説には実在の地名が多くみられるが、実在の地名でなければ作品そのものが成り立たないであろう。砂の器に登場する「亀高」も当初は迷惑であったかもしれないが、文学作品に取り上げられることでプラス面もでてくることもあるだろう。「月給四十円ではるばるこんな田舎へくるもんか」など夏目漱石「坊っちゃん」には松山に対する田舎蔑視の表現が多数みられるが、地元が漱石に抗議したという話は余り聞かない。村上春樹と漱石・清張との違いなのだろうか。
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