車掌が鼻にかかった声でアナウンスするのはなぜ?
中川家礼二や徳永ゆうきがよく車掌のモノマネで鼻にかかった独特のしゃべり方をする。車内アナウンスで意識して鼻腔跫音という方法で話すのは、騒音の中でもお客さんが聞こえやすくするためだといわれています。しかし最近は独特な話し方をする車掌は減っているそうです。放送設備の性能が良くなったからです。
中川家礼二や徳永ゆうきがよく車掌のモノマネで鼻にかかった独特のしゃべり方をする。車内アナウンスで意識して鼻腔跫音という方法で話すのは、騒音の中でもお客さんが聞こえやすくするためだといわれています。しかし最近は独特な話し方をする車掌は減っているそうです。放送設備の性能が良くなったからです。
本日は「ハコの日」。段ボール箱や空箱を常備しておくといざという時に便利だ。900mlのペットボトル12本入りサイズが年寄りにも運ぴやすくてよい。厚紙は19世紀のイギリスで作られたが、1856年これをシルクハットの内側に巻き、汗取り用として使ったところ大ブームとなった。1871年、アメリカのアルバート・ジョーンズが包装材として段ボール紙を使った。その数年後、1874年オリヴァー・ロングが片面段ボールを開発した。1880年、現在と同じような形の段ボール箱がロバート・H・トンプソンによって開発された。日本では1909年、井上貞次郎(1881-1963)が東京で三盛社を創業、国産ダンボール紙を作った。(cardboard box,Albert Jones,Oliver Long,Robert H.Thompson、8月5日)
英語で「信号機」はなんと言う? 答えは「traffic light」。 信号機の色は「赤、黄、青」の3色で国際共通である。英語では「グリーンライト」というが日本語では「青信号」と呼ぶ。緑色なのになぜ「青信号」と呼ばれるのか。もともと、日本の古来の色名は「赤、青、黒、白」の4色で、この「青」には現在の「緑」の両方が含まれていた。つまり「青」と「緑」は厳密に区別するという考え方はあまり強くなかった。日本に最初の信号機が日比谷交差点に設置された1930年の交通に関する法令では「緑信号」と書かれていた。しかし、信号機の設置を紹介する当時の新聞記事などで「青」と記された事により青の呼び方が広まったと考えられている。その後、法令も「青」と書きかえられた経緯がある。
中国内モンゴル自治区にある広大なタクラマカン砂漠を緑化しようとした日本人がいる。遠山正瑛(1906-2004)はトングリ砂漠にブドウ園をつくり、モウス砂漠にポプラ100万本を植林した。恩格貝の砂漠開発規範区には遠山の銅像が立っている。タクラマカンの意味は諸説あるが、ウイグル語で「死」や「無限」などを意味する合成語で、「一度入ったら出られない」の意味らしい。
遠山正瑛の著作目録
<単行書>
砂丘の幻想 淡交社 1970
よみがえれ地球の緑 佼成出版社 1989
沙漠緑化に命をかけて TBSブリタニカ 1992
<論文>
山陰地帯のナシの栽培1・2 農耕と園芸5(7)(9) 1950
ナシ栽培の今後経営についての問題 富民22(7) 1950
梨の樹型 果実日本 1950
トマト青枯病の発生 育種と農芸5((8) 1950
躍進する砂丘地園芸 農耕と園芸7(11) 1952
果樹の砂丘地栽培法 農業および園芸28(1) 1953
二十世紀梨果実の発育に就いて 鳥取農学会報10(1,2) 1953
砂丘地の園芸的利用に関する研究 1 鳥取農学会報10(3) 1954
砂丘地の園芸的利用に関する研究 2 農業および園芸29(6) 1954
砂丘地農業と畑地灌漑法 1・2 農業および園芸31(8)(9) 1956
和梨果実の発育に関する研究1,2 園芸学会雑誌25(4) 1957
砂丘地高度利用の実例 農業および園芸33(1) 1958
砂丘地の天恵と開発の推進 農業技術21(2) 1966
シルクロード、タクラマカン沙漠の農業開発 砂丘研究27(2) 1980
中国山地の地域開発を実践する 地域開発182 1979
砂丘利用開発研究の軌跡 砂丘研究30(1) 1983
ポプラ100万本中国・クブチ砂漠を緑に変えよう 省エネルギー47(8) 1995
NGO第一線 第116回中国 日中に緑の懸け橋を 世界週報78(41) 1997
五歳の女の子の素朴な疑問「なんで東海道新幹線の車体の色は青と白なのか?」チコちゃんは知っています「色を決める会議の席にあったタバコの箱が青と白だったから」
1964年東海道新幹線が開業した。その数年前のこと。車体の色を決める会議で赤派と白派が対立していた。ある幹部が机の上に置かれたタバコの箱をみて、「この色、いいんじゃない」と言った。当時人気があった「ハイライト」の白と青のシンプルなデザインはスピード感ある色合いだ。すぐに青と白の二色を参考にデザインすることに決定した。この挿話は新幹線の当時の内部資料にも残っているらしい。
時刻表にもとづき電車やバスは毎日全国各地を運行している。朝も昼も夜も、多くの人々が利用し、それぞれの人生がある。テレビ東京の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」はとても面白い。汽車や高速バスを利用せず、路線バスだけとなると乗り継ぎがむずかしい。途中、バス路線がなく数キロの雨中行軍や、トンネル工事のため、やむをえずロケ車移動もあったが何とか時間内にゴールできた。この番組の醍醐味は太川陽介や蛭子能収の珍道中にあるが、実はバスの運転手や案内所の職員や旅館の女将、あるいは行きずりの市井の人であるような気がする。ラスト近くでダメかと思われたが、案内所の職員の機転で裏技が発見された。「松本清張のミステリーみたい」という言葉が印象的だった。
日本で指先で簡単に紙が綴じられるホッチキスが現れたのは、1952年7月、山田興業(現マックス)がハンディタイプのホッチキス「STC10」を発売した。価格は200円。それまでは重量のある卓上型のホッチキスか、キリで穴をあけ、和紙でよった紙縒りで綴じるのが一般的であった。この小型のホッチキスが販売される以前も我が国ではすでに紙綴器を「ホッチキス」と呼んでいたらしい。1903年、伊藤喜(現イトーキ)が最初に輸入販売した製品ケイズ・ディに「HOTIKISS.№.1」と刻印していたからである。ホッチキスとは商品名(会社名)で英語ではステープラーと呼ばれる。ホッチキスの起源には諸説ある。①機関銃の弾丸送出機構をヒントにベンジャミン・バークレー・ホッチキス(1826-1885)が考案したとする②ベンジャミンではなく、弟のエーライ・W・ホッチキスが発明したとする③そのどちらでもなく、イギリスのアーサー・W・ホジキンスが発明したとする。
真相は現在もわからず、語源が人名にあることだけは確実なようである。広辞苑には「ホッチキスの名は兵器発明家ベンジャミン・バークレー・ホッチキスに因む」とあるが、彼は1885年に没しており、会社創設は1895年であることから、弟である可能性が高い。19世紀の半ば頃には今日の卓上型の紙綴器が存在していたらしい。
最近は、針を使わず、紙を紙でとじる「針なしホッチキス」が話題である。あまり分厚く綴じられないことや、小さな穴があくことが難点である。(stapler,K'sDee)
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