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2022年7月 3日 (日)

猫にマタタビ

200pxactinidia_polygama_071027a     「猫にマタタビ、泣く子にお乳、お女郎に小判」などと言うが、非常に好きなもののたとえである。マタタビ科の蔓性落葉低木。木天蓼、藤天蓼とも書く。熱湯に浸して乾燥した果実は中風・リウマチ、また強壮に効あり。名の由来は食べるとまた旅ができるからとする説もある。なぜ猫はマタタビに反応して、顔にこすりつけたり、ゴロゴロと転がっているのであろうか。ネコ科のトラ・ヒョウなどが喜ぶのは、茎・葉・実の中にあるネペタラクトールという成分が、蚊に忌避効果があるため、ネコの体に付着させて寄ってこなくさせているのである。

2022年7月 1日 (金)

メタセコイア発見物語

 韓国ドラマ「冬のソナタ」のオープニングや各編に登場するヒノキ科(またはスギ科)の落葉針葉樹メタセコイア。第三紀に繁栄したが、地球上からほとんど姿を消した樹木である。植物学者の三木茂が岐阜県土岐市の瀬戸層群中から発見された化石をもとに「メタセコイア」と命名した。学名は、Meyasequoia glyptosboides(メタセコイア・グリプトストロボイデス)。

その後、1945年に中国四川省で現生種が発見されたので、世界各地で植えられるようになり、地球上にふたたびよみがえった。「生きている植物化石」と呼ばれる。(森山厄介)

2022年6月21日 (火)

あれはナイチンゲール、ヒバリじゃないわ

    ジュリエットはロミオと一夜を過ごす。夜明けが近づいてヒバリが鳴き始めて、やがてロミオとの別れが近づく。ジュリエットは別れがつらくて「あれはヒバリじゃなくて(夜に鳴いている)ナイチンゲールよ」と言う。

It was the nightingale,and not the lark.

 

Sudhakar1431803083   羽は赤ちゃけた色をしており、腹は灰白色で、姿は美しいとはいえないが、声はもっとも美しい鳥としてイギリスでは詩にしばしば登場する。夜明け前によく透る声で鳴く。
    英詩でナイチンゲールがうたわれるようになったのは13世紀の後半からである。この鳥は季節からいえば春と夏とにまたがっている。イギリスの夏は暦の上では夏至(6月21日)から秋分(9月22日あるいは9月23日)までをいうが、実際には5月半ばから8月下旬までをいう。イギリスの夏は涼しく、花も美しい。6月、7月が夏のさかりといってよい。

 

 

2022年6月19日 (日)

世界発明・発見の年表

Ff2a5484    快適な生活を享受している現代人も、元々は先人が発明したものばかりで暮らしている。奇跡の特効薬「ペニシリン」の発明はシャーレに繁殖したアオカビからで偶然のおかげだった。

人類が地球上に誕生して間もない時期から道具は作られた。人類最初の道具は「棒切れ」と言われる。 ただし棒は腐って遺物としては残ることはない。石面を打ち欠いて製作した石器が残っている。アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、猿人が使っていたと思われるハンマーのような道具が人類史上最古と見られる。

 ガリレオはピサの斜塔を利用して落下体の加速度の実験をした話は有名である。しかしこれは、ガリレオの弟子のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニのつくり話で、本当に実験した人はオランダのシモン・ステビン(1548-1620)です。

紀元前5000頃 メソポタミア南部シュメールで主要な農耕技術が発達し、定住が進んで都市が生まれる
前3700頃 エジプト、メソポタミアにて銅器使用
前3200頃 シュメールにて文字が生まれる
前3000頃 エジプトにて運搬用に動物力の利用始まる
前2800頃 エジプト、中国にて青銅器の使用
前2500頃 エジプトにてパピルス使用、メソポタミアにてガラス製品つくられる
前2100~1950頃 ヒッタイト(トルコ)で鉄器の使用(カマン・カレホユック遺蹟)
前600頃 ペルシアにて風車が利用される
前600頃 インドの外科医ススルタ、造鼻術をおこなう
前300頃 ローマにてコンクリートとセメントの技術が生まれる
前250頃 クテスィビオス、アレキサンドリアにて水時計を作製
前240頃 アルキメデスが円周率の近似値を計算する
前102頃 ヘロン、気力球を発明

 

後105頃 蔡倫、製紙術を発明
132年 張衡、地震計を発明
230年 中国魏の華佗、麻酔術をおこなう
673年 アラビア人とのコンスタンティノープル攻防戦にて、ビザンツ人が「ギリシア火」を発明  砂時計は8世紀頃、フランスのリウトプランドが発明した。

 

1015年、イブン・アル・ハイサム、最初のカメラ・オブスクラを作る。

 

1202年、イタリアの数学者フィボナッチが「算術の書」で「0」を紹介。

 

1206年、アラブ人の博学者アル・ジャザリー、クランクシャフトとカムシャフト、吸い上げポンプを考案

 

14世紀
1302年、イタリアのジャオ、航海用コンパスを製作
1377年 フランスの南部の都市モンペリエ医学校で人体解剖合法化

 

15世紀
1445年 ドイツのグーテンベルクが活版印刷技術を発明
1498年 イタリアのフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局製法はじまる(世界最初の薬局店)

 

16世紀
1500年カブラル、ブラジルを発見。1520年、マゼランが南米大陸とフェゴ島の間にある海峡を発見。後にマゼラン海峡と命名。1531年コペルニクス、地動説を発表。鉛筆は1565年、コンラート・ゲスナーが自家製鉛筆を使用していた。1572年ヘルモント、二酸化炭素を発見。1582年ローマ教皇グレゴリウス13世、暦法改正。1585年ステビン、落体の法則を発見。1590年オランダの眼鏡職人ハンス・ヤンセン、サハリアス・ヤンセン父子が顕微鏡の原型を発明。1599年オランダのシモン・ステファンが風力で走る帆走車を発明。

 

17世紀
1605年、ストラスブールでヨハン・カロルスは新聞を創刊した。1608年、オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルスハイが望遠鏡を発明。1610年ガリレオは木星を回る4つの衛星を観察。1612年、イタリアの医師サントリーオ・サントリーオが体温計を考案した。1614年スコットランドの数学者ジョン・ネイピアが対数を発見。1623年イタリアのガスパロ・アセリ、乳摩管を発見。1628年ハーべイ、血液循環の原理を発見。1643年トリチェリー、真空を発見。1650年ヴァレニウス、初めて黒潮について記す。1655年ホイへンスが土星の衛星タイタンを発見。1656年クリスチャン・ホイヘンスが振り子時計を発明。1662年イギリスのロバート・ボイルが「ボイルの法則」を発表。1665年ロバート・フックがコルクの細胞を観察。1667年フランスの医師ドニ―が世界初の輸血を行う。1669年ニュートン、微積分法の発明。1673年レーウェンフック、赤血球を発見。1675年、カッシーニが土星の輪に隙間があることを発見。1678年ホイヘンス、光の波動説。1687年ニュートンが万有引力を発見。

 

18世紀
1705年ハレーがハレー彗星の周期を発見。ピアノはイタリア人のバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが1709年に発明。1735年リンネが動植物の分類法を発表。1738年スイスの数学者ダニエル・ベルヌーイは流体内のエネルギーの和が流線上で常に一定であるというベルヌーイの定理を発表した。1750年フランクリン、避雷針の発明。1752年レオミュールが鳥の胃液の消化作用を発見。1757年キャンブベルが六分儀を発明。1766年、イギリスのキャベンディッシュが水素を発見。1771年スウェーデンのシェーレが酸素ガスを発見。1776年、アメリカのディヴィッド・ブッシュネルが最初の潜水艦を考案し、タートル号を建造。アメリカ独立戦争でイギリス軍艦イーグル号を攻撃したが、成功しなかった。1779年クロンプトンが紡織機「ミュール機」を発明。1780年ラボアジエが呼吸体内での燃焼と定義。1785年エドモンド・カートライトが力織機を発明。1795年フランスで新しい長さの単位「メートル」を決定。1796年エドワード・ジェンナー、牛痘による天然痘予防法に成功。

 

19世紀
1803年イギリスのジョン・ドルトンが気体は水素・酸素・窒素・炭素・硫黄・リンという6種類の元素の組み合わせでできていると発見。1804年ソシウルが光合成の原料を発見。1803年イギリスのトレヴィシックが蒸気車を発明。1804年、トレビシックがウェールズのベニランダで史上初の軌道向け蒸気機関車の走行実験に成功。1808年イギリスのデービーがアーク灯を発明。1810年ドイツの靴職人バルタザール・クレムスがミシンを発明。1810年イギリスのピーター・デュランドが缶詰を発明。1811年ドイツの時計職人フリードリヒ・ケーニッヒが高速印刷機を発明。1812年、ドイツのフリードリッヒ・モースが「モースの硬度計」を考案。1814年イギリスのスティーヴンソンが蒸気機関車を製作。1817年、ドイツのカール・フォン・ドライスによって木製の人力二輪車ドライジーネ(自転車の原型)が製作された。1821年イギリスのヘンリー・ベルが蒸気船「アーロン・マンビー号」を作製。1821年ドイツのブッシュマンがAURA(オーラ)というハーモニカの原型を試作した。1825年スティーブンソン、機関車ロケット号がストックトンとダーリントン間の45キロを走破。1829年、リバプールとマンチェスター間を走破。1829年フランスの縫製職人バルテミー・ティモニエがミシンを発明。1831年ブラウンが細胞の核を発見。1835年、チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島に到達。1835年、電灯の実験が、ジェームズ・ボウマン・リンゼイにより成功。1837年アメリカのモールスがモールス信号を考案。1838年、シュライデンとシュワンが細胞説を唱える。1839年アメリカのチャールズ・グッドイヤーがエボナイトを発明。1842年アメリカの医師クロウフォード・ロングが初めてジエチルエーテルによる麻酔を用いて手術を行う。1842年、オーストリアのドップラーがドップラー効果を発見。1842年、ドイツのマイヤーがエネルギー保存の法則を提唱する。1843年フランスのルシアン・バイディがアネロイド気圧計を発明。1843年イギリスのパディントン~スラウで世界初の電報業務を開始。1843年イギリスのエイダ・ラブレスは世界初のプログラムを発見。1846年ヨハン・ガレ、エルヴァン・ルヴェリエらが海王星を発見。1848年ジェームズ・マーシャルがカリフォルニア州サクラメント付近で砂金を発見。1847年イギリスの工学者ジョージ・ケイリーが三葉のグライダーを製作し滑空に成功。1851年ロンドンで第1回の万国博覧会が開かれる。1853年ロンドンで地下鉄が開業。1854年イタリアのアントニオ・メウッチが最初の電話を発明。1855年ヘンリー・ベッセマー、鋼鉄の大量生産始まる(特許)。1857年パスツールがアルコール発酵の研究。1858年ハイマン・リップマンが消しゴムつき鉛筆の特許を取得。▽1860年トーマス・アダムスがチューインガムを発明。1860年フランスの博物学者アンリ・ムオがアンコールワットを発見。1862年ルイ・パスツールとクロード・ベルナールが低温殺菌法を開発。1865年メンデルが遺伝の法則を発見。1866年イギリスの技術者ロバート・ホワイトヘッドが魚雷を発明。1867年ノーベル、ダイナマイトを発明。1868年アイヴス・マガフィーが真空掃除機を発明。1868年クリストファー・レイサム・ショールズは実用的なタイプライターを考案。1869年ロシアのメンデレーエフが元素の周期律表を発表。1869年、アメリカのジョージ・ウェスティングハウスが圧縮空気を用いた鉄道のブレーキシステムを発明。1870年ジョン・ウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明。1873年フィロ・レミントンがタイプライターの生産を開始。1876年、イギリスの外科医ジョゼフ・リスターが消毒法を開発。1876年ジェン・ジェームズ・立夏ード・マクラウドはインスリンを発見。1877年エジソンが蓄音器を発明。1869年スイスのフリードリッヒ・ミーシャ―が膿のリンパ球から核酸を発見。1878年ジョゼフ・スワンはエジソンより1年早く、白熱電球を発明。1878年イギリスのデイビッド・エドワード・ヒューズがカーボン・マイクロフォンを発明。1881年アメリカのアルモン・グランガーが消火器を発明した。1885年カール・ベンツ、ガソリンエンジンで走る三輪自動車を作製。1885年、フランスのレオン・セルボレが自動車を開発。1886年ジョン・ペンバートンはコカ・コーラを発明。電池はアレッサンドロ・ボルタがボルタの電堆を発明。1887年、エジソンが長時間使用できる白熱電球を完成。1887年、カール・ガスナーが乾電池を発明。1887年、ドイツのエミール・ベルリナーがレコードを発明。1888年、イギリスのジョン・ダンロップがタイヤを発明。1890年、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法を発見。1890年、アメリカで電気椅子による死刑が初めて執行された。1894年、北里柴三郎がペスト菌を発見。1894年、ミシシッピ州ウィックスバーグで瓶詰コカ・コーラが初めて販売される。1895年、ドイツの物理学者レントゲンがX線を発見。1895年、パリでシネマトグラフが初公開される。1896年、フランスのド・ボールが成層圏を発見。1896年、オランダの物理学者ピーター・ゼーマンが強い磁場中に置かれた光源からのスペクトル線が数本に分かれること(ゼーマン効果)発見した。1897年、ドイツのフェリックス・ホフマンがアスピリンを発明。1897年、志賀潔が赤痢菌を発見。1898年、キュリー夫人がラジウムを発見。イタリアの病理学者かミッロ・ゴルジが細胞内のゴルジ体を発見。1899年、コンラッド・ヒューバードが懐中電灯を商品化する。

20世紀
 1900年、オーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナーがABO式血液型を発見。1901年、ジレットが安全剃刀を発明。1902年、マリー・キュリー夫妻、ラジウム抽出。ウィリス・キャリアはエアコンの理論を樹立。1902年アメリカの技術者ウィリス・キャリアが近代的空機調和設備(エアコン)を発明。1903年、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功。1903年、オランダの医師ウィレム・アイントホーフェンが世界初の心電図を発明。1904年、アメリカのルーベルが紙へのオフセット印刷機を発明。1905年、アインシュタインが特殊相対性理論の最初の論文を発表。1905年、フリッツ・シャウディンとエーリヒ・ホフマンが梅毒スピロヘータを発見。1906年、フェッセンデンがマサチューセッツで世界初のラジオ放送を実施。1909年レオ・ベークランドが合成樹脂ベークライトの工業化に成功。1911年、ビンガムはマチュピチュを発見。1912年スウェーデンのダレーンが自動制御装置の灯台を発明した。1913年、アメリカの化学者ラングミュアが白熱電球を発明。1915年、早川徳次がシャープペンシルを発明。1920年DNA、RNAを発見。1920年アメリカ・ピッツバーグで世界初のラジオ放送局KDKAが開局。1921年カナダの整形外科医フレデリック・バンティングと医学生チャールズ・ベストが研究室でインスリンの抽出に成功した。1922年イギリスのBBCがラジオ放送を開始。1923年、スペインのファン・デ・ラ・シエルバがオートジャイロを発明。1924年、レイモンド・ダートが南アフリカでアウストラロピテクスの化石を発見。1924年、米キンバリー・クラーク社からクリネックス・ティシュー発売される。1924年、アルベール・カルメットが結核予防にBCG接種を提唱。1925年、イギリスのジョン・ロージー・ベアードがテレビ実験に成功。1926年、アメリカのロバート・ハッチンス・ゴダードが世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功。1926年、石井茂吉は写真植字機を発明。1927年、ワーナーブラザースによる世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」がニューヨークで封切り。1928年、イギリスのフレミングがアオカビからペニシリンを発見。1930年、アメリカで世界初の冷凍食品が発売される。931年、アメリカの化学者ハロルド・ユーリーが重水素を発見。1932年、イギリスの物理学者ジェームズ・チャドウィックが中性子を発見。1932年、T型フォードの発売。1933年アメリカの電気工学研究者エドウィン・アームストロングがFM放送を発明。1935年ウォーレス・カロザース、ナイロンを発明。1938年、オットー・ハーンが原子核分裂を発見。1938年、蛍光灯、アメリカで実用化。1938年アフリカのイースト・ロンドンでシーラカンスが発見される。1940年アメリカのジョージ・スティビッツが世界初のコンピュータの遠隔操作を行う。1942年アメリカのフェルミらがシカゴ大学で原子炉の核実験に成功。1943年ハンガリーでボールペンを開発。1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが自閉症を報告。1944年セルマン・ワックスマンがストレプトマイシンを発見。1946年、アメリカで世界初のコンピュータである電子計算機ENIAC(エニアック)が発明される。1948年、アメリカでインスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売。1948年、米ベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンがトランジスターを発明。1949年バーナード・シルバーとノーマン・ジョセフ・ウッドランドがバーコードを発明。1949年アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発。1950年アメリカでカラーテレビの放送開始。1952年、アメリカのダウケミカル社がサランラップを販売。1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見。1953年、ユージン・アセリンスキーとナサニエル・クレイトマンがレム睡眠を発見。1957年、樫尾製作所が電卓の元祖ともいわれる計算機を開発した(価格48万5000円)。1958年、日清食品安藤百福が即席ラーメンを発明・販売。1957年、ソ連が初の人工衛星スプートニク1号に成功。1959年、リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷でジンジャントロプス・ボイセイ(アウストラロピテクス・ロブストゥス)を発見。1961年、ガガーリンが初の有人飛行に成功。1962年、マーシャル・ニーレンバーグ、ハー・ゴビンド・コラナ、ロバート・ホーリ―が遺伝子情報の解読。1963年カセットテープ、オランダ人のルー・オッテンスが開発。1964年、ピーター・ヒッグス、フランソワ・アングレールがヒッグス粒子を発見。1967年、ダグラス・エンゲルバートがパーソナル・コンピュータのマウスを開発。1968年、大塚食品がレトルトカレー「ボンカレー」を発売。1968年、ダグラス・エンゲルバートがコンピュータのマウスを発明する。1969年、カリフォルニアとスターンフォード大学でインターネットの元型であるアーパネットが開発される。1971年、レイ・トムリンソンが電子メールを発明。1977年、初の実用的なパーソナルコンピュータ「AppleⅡ」が発売。1978年、日本語ワープロ東芝JW-10(価格630万円)を発売。1979年、NECが8ビットパソコンPCー8001を発表。パソコン時代の到来。1981年スペースシャルト・コロンビア号が時速2675kmを記録。1990年、初のWorld Wide Webのシステムが稼働。

21世紀
2001年、世界中で無料オンライン百科事典「ウィキペディア」が公開される。
2005年、動画投稿サイトはじまる。
2006年、ツィッターの一番最初の「つぶやき」。
2012年 アンドレア・ゲズらが銀河系中心部に超大質量コンパクト天体(ブラックホール)に関する発見。

参考資料
世界の発明発見歴史百科 テリー・プレヴァートン著 原書房 2015年

 

 

2022年6月12日 (日)

スイートピー

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  スイートピーはシチリア島だけに自生する野生の花でフランシス・クパーニ司教が、1699年に種子をロンドンのロバート・ユーヴデイル博士に送った。この人物は多くの珍しい種の愛好家で、当時はまだスイートピーは雑草扱いだった。その後イギリス王室で愛され、品種も多彩になった。やがてアメリカへ移り、温室で栽培された。モナコ公国のグレース后妃も「古風なスイートピー」を好んだ。日本では松田聖子の「赤いスイートピー」が結婚式ソングの定番。実はスイートピーの花言葉は「別離」。(森山厄介)

 

 

2022年4月19日 (火)

カレン・クィンラン事件

 アメリカで初めて「死ぬ権利」が認められ、尊厳死の考え方が普及していくきっかけとなった事件。

 1975年、カレン・アン・クィンランという21歳の女性が、アルコールと精神安定剤を同時に摂取したために意識不明となり、植物状態となった。両親は延命措置を中止するように求めたが病院が拒否したため訴訟を起こすと、翌1976年に裁判所はカレン本人の「死ぬ権利」を認め、本人が意志表示できない場合には家族が代理でできるとする判断を下した。この事件をきっかけに、カリフォルニア州で自然死法が成立するなど、生前との意思に基づいて延命治療を中止し、自然な死を迎えさせる尊厳死の考え方が全米に広まった。なお、カレンは生命維持装置を外されたあとも、自力で呼吸を続け植物状態のまま自力で呼吸を続け、7年間生き続け、1985年に肺炎で亡くなった。

 

2022年4月12日 (火)

ロンドン・グリニッジはなぜ経度0°なのか?

 ロンドン南東部に位置するグリニッジには基準子午線を決定する観測のために設置されたグリニッジ天文台がある。北緯51°28`38"、経度0°0`00"に位置し、グリニッジ標準時で世界に知られている。19世紀ころ、時刻や経緯度の違いがさまざまな障害になったため、それらを統一する国際会議が1884年にワシントンで開かれた。英・仏・独などの当時の強国がどの国に統一するのかを競ったが、当時は世界の7つの海を支配した大英帝国イギリスの発言力が最も強く、最終的にロンドン郊外のグリニッジを通る経緯を本初子午線にすることが決まった。

2022年4月11日 (月)

地球一周は4万キロ

Eratosthenesmap   本日はメートル法公布記念日。フランス語「メートル」(metro)は古代ギリシア語「メトロール」(ものさし、測ることの意)からの造語である。もともと子午線上の北極から赤道までを1万キロと決めて、1000万分の1の長さが1メートルとなった。1791年にラヴォアジエなど学者らが検討し、1795年フランス科学アカデミーで決められたが、「メートル」はすぐには普及しなかった。1837年にメートル法以外の単位使用を禁じ、1875年メートル条約が締結された。

   むかし古代アレクサンドリアの学者エラトステネスは太陽の角度から地球の大きさを推定した。彼の計算では、

5000スタディオン×(360度÷7度12分)=2500000スタディオン。

   1スタディウスは178mと推定されているので、44500㎞になる。本当の地球の全周は4万キロなので1割程大きいだけである。エラトステネスは実測困難な対象も、幾何学の応用で、地球の近似値を測定したのである。

   ところで地球一周、つまり赤道の全周は約4万キロだが、もっと正確な数値はあるのだろうか。かつての地理の参考書には、赤道の全周40076、5938㎞という数字が載せられていた。これはヘイフォード楕円体で推計した地球恒数のひとつである。アメリカの測地学者ジョン・フィルモア・ヘイフォード(1868-1925)が1909年に提案した準拠楕円体で、1924年にスペイン・マドリードで開かれた国際測地学・地球物理学連合総会によって世界的に認められた。現在は赤道の周囲は40075.017㎞とされている。現在、1メートルの定義は1983年に「光が299792458分の1秒間に進む距離」とされている。( keyword;Eratosthenes,Alexandria,Syena,metre,Lavoisier 、4月11日)

2022年3月12日 (土)

地球外生命体はホントにいるのか?

Photo_3   映画「インデペンデンス・デイ」(1996)を見る。内容は単純で異星人に地球が侵略されて人類が力わ合わせて必至に立ち向かうお話。当時大ヒットしたが、やはり映画は単純なストーリーがいい。異星人はタコのような化け物だった。

 英科学誌ネイチャーで、土星の衛星の1つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在するという研究結果が発表された。またNASAは2013年3月12日キュリオシティーが採取した火星の岩のサンプルを解析した結果、かつて火星には生命に適した環境があったと発表した。2010年から世界11ヵ国の天文台や大学などの機関が地球外知的生命体探査「ドロシー計画」を実施している。

    イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は天の川銀河(当時の全宇宙)の星を観測して、太陽系は銀河系のほぼ中心に位置すると考えた。そして音楽家でもあったハーシェルは太陽系の惑星の配列と音楽理論とを結びつけ、すべての惑星には生命はもちろん文明が存在すると考えていた。1880年頃、イタリアで天文学者スキアパレッリが火星図をつくった。このとき、直線状の模様「すじ」が描かれ、「すじ」は、イタリア語で「カナリ(canali)」といい、これがカミーユ・フラマリオンによってフランス語に翻訳されて「canal(運河)」となって伝わった。アメリカの天文学者ぱーしぱる・ローウェルは運河のような構造物をつくることができる文明があったとすれば、「火星に知的生命がいる」という考えが広まった。そのころイギリスの作家H・G・ウェルズが火星人が地球を攻めてくるという「宇宙戦争」(1898)が発表されて、宇宙人というとタコのような生物というイメージができた。アメリカで1938年オーソン・ウェルズのラジオ番組「宇宙戦争」で、聴取者から本物のニュースと間違われて、パニックを引き起こした。ここ10年で地球と同じような環境の惑星は10個も発見されている。いまや地球外生命体がいる可能性や確率は100%だとする宇宙学者もいる。

    1781年、ハーシェルは天王星を発見した。1846年にはフランスのユルバン・ルヴェリエ(1811-1877)とイギリスのジョン・クーチ・アダムズ(18119-1892)が海王星を発見した。太陽系のうち最も遠くにある冥王星は2006年に惑星からはずされたが、パーシバル・ローウェルの遺志を受け継いだクライド・トンボー(1906-1997)が1930年2月18日に発見した。(William Herschel,Urbain Verrier,John Couch Adams,Clyde Tombaugh,Mars,Urnus,Neptune,Pluto)

2021年11月20日 (土)

天災は忘れたころにやってくる

  本日午前8時57分頃、東京都多摩東部を震源とする地震があった。日本は世界でも有数の地震国であり、また日本列島は地震活動期に入っており、毎日のように地震速報がだされている。現在、どこで巨大地震が起きても不思議ではない。東大地震研究所は「震災をきっかけに首都圏では地震活動が活発化してM7級直下地震が30年以内に70%の確率で首都直下地震が発生する」と発表している。関東で相次ぐ地震は首都直下地震の予兆である。東大地震研究所は1925年(大正14年)11月25日、東京帝国大学付属地震研究所として設立された。初代所長は末広恭二(1877-1932)、2代目所長は石本巳四雄(1893-1940)。地震研究所の設立には寺田寅彦(1878-1935)も大きく協力していたようだ。正面玄関の壁には寺田による碑文が今も掲げられている。

   明治24年濃尾地震の災害に鑑みて震災予防調査会が設立され、我邦における地震学の研究が漸く其緒に就いた。大正12年帝都並びに関東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震学の基礎的研究の必要を啓示するものであった。この天啓に促されて設置されたのが当東京帝国大学付属地震研究所である。(中略)本所永遠の使命とする所は地震に関する諸現象の科学的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の予防並びに軽減方策の探求である。この使命こそは本所の門に出入りする者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。

   有名な警句「天災は忘れたころにやってくる」は寺田寅彦の言葉として知られるが、全集をはじめ彼の著作物からその出所を明らかにすることはできない。「天災と国防」(1934年)という随筆には地震による被害が増大すると指摘し、防災の必要性を説いている。この言葉は寺田が地震研究所にいたころ生まれたのではないだろうか。だれかれということなく、寺田の考えを要約した警句として流布していった。中谷宇吉郎の「天災」という一文の中に、寺田寅彦の名言として紹介され、江湖に広まった。中谷の「天災は忘れた頃来る」(西日本新聞1955年9月11日)にもそのようなことが記されており、中谷が「寺田寅彦の言葉」として残した、といほうが正確なようである。

同様の言葉は英語の諺にもあるらしい。

Natural disasters comes when we've forgorten all about then.

    寺田寅彦は明治11年11月28日、寺田利正・亀の長男として東京で生まれた。明治14年、郷里の高知に転居。明治30年、熊本第五高等学校の学生だった寅彦は両親のすすめで、阪井重季の娘・阪井夏子(1883-1902)と結婚する。夏子は少女時代から目立つ美人で、松山に住んでいた頃、松山の中学生だった安倍能成(1883-1966)が憧れていたといわれる。目が大きく、「お夏さんの目が光るからランプはいらぬ」と親族の子どもから言われた。だが寅彦と夏子の幼い夫婦は熊本と高知と離れ離れの新婚であった。

    明治31年1月17日の寅彦の日記には次のようにある。「夏子より手紙きたる。先日、送りやりし泰西婦女亀鑑の礼や、夏の休暇の待たるる事やしたためたる末に、近来川田兄のしきりに伉儷を詮索される旨も書き添えたり」とある。伉儷(こうれい)とは夫婦の意。つまり寺田寅彦夫婦は両家公認ながら内密なものであった。その理由は、父親同士が陸軍仲間で夏子は不倫の子であり、祖母に育てられた夏子を幸せにしてあげたいという周囲のおもいやりからでたものという。寅彦の欠落した日記は結婚の経緯を秘密にしておくためだったと朝日新聞は推測している。明治32年東京帝国大学に入学した寅彦は夏子と東京での同居が始まり暮らし、明治34年に長女貞子も生まれるが、翌年の秋、僅か19歳で夏子は肺結核で亡くなる。(参考:牧村健一郎「愛の旅人・ハンカチ振る浜辺の妻」朝日新聞2008.1.12,寺田寅彦「天災と国防」)

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