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2009年11月21日 (土)

枕崎台風

    枕崎台風は室戸台風(昭和9年)、伊勢湾台風(昭和34年)と並ぶ昭和の三大台風。昭和20年9月12日にマリアナ海域に発生し、9月17日、午後、鹿児島県枕崎付近に上陸、九州、中国地方、とくに広島県下に大きな被害を与えた。その後、北東に進んで山陰地方から日本海に出たが、酒田付近からふたたび本州に上陸し東北地方を横断して三陸沖に抜けた。全国の死者・行方不明3756人、傷害2452人、田畑被害16万5750㌶、建物被害44万6897棟であった。とくに広島県では秋雨前線による雨と重なったため記録的な大雨となり、洪水や無数の山津波が発生した。死者行方不明者約2000人。原爆投下から1ヵ月、人心の虚脱と自然災害に無防備状態が重なり大きな被害となった。長崎と沖縄は混乱のため正確な被害状況は不明である。枕崎台風の名称ともなった枕崎は今回、台風の目にはいった。枕崎は台風の通過地点となることが多いので、この名称の付け方に疑問視する声もある。

2009年11月17日 (火)

弁護士で生計を立てた化学者アボガドロ

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    アメデオ・アボガドロ(1776-1856)はイタリアのトリノの法律家の家に生まれ、同地で生涯の大半を送った。はじめ大学で哲学と法学を修め、教会に関する論文で学位をとり、法学博士となり数年間、弁護士を職業とした。1800年ごろから、物理・数学の研究を始め、1811年、フランスの学術雑誌「コント・ランデュ」に有名な「アボガドロの仮説」を発表した。1820年にビットリオ・エマヌエレ1世によってイタリア最初の数理学物理学講座がトリノ大学に設立され、その初代教授となった。この講座は1822年末、政治的理由によって閉鎖された。政治的事件に何らの関係もなく、おだやかで敬虔な人柄であったアボガドロは、わずかの年金で引退させられた。彼は弁護士の仕事にもどり、ひきつづき科学の研究をすすめた。10年後、王政復古がおこなわれて大学は再開され、再びその教授となり、1850年に退職するまで研究と教育に専念した。アボガドロの説は約50年間無視され1858年カ二ッツァーロ(1826-1910)によって認められ、1860年カールスルーエの国際原子量会議に紹介され、広く認知されるにいたった。

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    ドルトンの原子論(1808年)は、質量保存の法則、定比例の法則、倍数比例の法則を説明することができたが、ゲー・リュサックの気体反応の法則(1808年)を説明できなかった。そこでアボガドロはこの矛盾を解決するため、分子の概念を導入し、次の仮説を立てた。

(1)気体物質はその種類がどのようなものでも、同湿、同圧の同体積中には同数の分子を含む(図1)

(2)分子はいくつかの原子からなるもので、単体の気体では2個の原子よりなる(図2)

(3)気体の体積は、一定の圧力、一定の温度で測定すれば、系の中の分子のモデル数に比例する

2009年9月10日 (木)

秋の七草

Photo左上からオミナエシ ナデシコ クズ ススキ キキョウ フジバカマ(ヒヨドリバナ) ハギ

    万葉集に山上憶良が「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種花」「萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花」と詠んでいる。萩の花(ハギ、ヤマハギ)、尾花(ススキ)、葛花(クズ)、瞿麦(ナデシコ)、女郎花(オミナエシ)、藤袴(フジバカマ)についてははっきりしているが、朝貌については諸説がある。ムクゲ、ヒルガオ、アサガオ、キキョウなどがあげられているが、今日ではキキョウとする説が有力である。

2009年5月20日 (水)

電話の発明者ベル

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    アレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)はいつも音に関して好奇心をもっていた。彼の父アレクサンダー・メルヴィル・ベルも祖父も、耳の不自由な人たちの先生をしていた。だから幼いベルは、音というものがとても重要なものだとわかっていた。彼は自然に音は当然聞えるべきものだとは思わないようになっていた。なぜなら彼は、聴力を失った子供をたくさん知っていたからだ。結局、彼が子供のころ発達させた好奇心のために、実験や研究をするようになった。1870年父とともにカナダのオンタリオ州に渡り、1872年ボストン大学の言語生理学教授となり、かたわら音波を電流によって伝播する研究をはじめた。その結果、電磁型送受話器によるアメリカ最初の有線電話を発明した。ベルは非常に幸運にも、彼に大変興味をいだかせるようなものを重要視する環境で育てられたのである。

2009年5月10日 (日)

あれはナイチンゲール、ヒバリじゃないわ

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    ロミオはジュリエットと一夜を過ごす。夜明けが近づいてヒバリが鳴き始めて、やがてロミオとの別れが近づく。ジュリエットは別れがつらくて「あれはヒバリじゃなくて(夜に鳴いている)ナイチンゲールよ」と言う。
    羽は赤ちゃけた色をしており、腹は灰白色で、姿は美しいとはいえないが、声はもっとも美しい鳥としてイギリスでは詩にしばしば登場する。
    英詩でナイチンゲールがうたわれるようになったのは13世紀の後半からである。この鳥は季節からいえば春と夏とにまたがっている。イギリスの夏は暦の上では夏至(6月21日)から秋分(9月22日あるいは9月23日)までをいうが、実際には5月半ばから8月下旬までをいう。イギリスの夏は涼しく、花も美しい。6月、7月が夏のさかりといってよい。ところでジャズの名曲「スターダスト」の歌詞にもナイチンゲールがでてくる。子どもの頃からザ・ピーナッツの唄で何百回となく聴いた。日本人にも結構お馴染みの鳥なのだ。

2008年12月 8日 (月)

仁科芳雄と石原純

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アインシュタイン来日の記念写真/アインシュタイン夫妻を中心に、穂積陳重、岡野敬次郎、長岡半太郎、北里柴三郎などがみえる

    益川敏英、小林誠、南部陽一郎(欠席)の3人がスウェーデンのストックホルムで10日、ノーベル物理学賞を受ける。朝日新聞朝刊によると、日本理論物理学の源流は仁科芳雄(1879-1955)にあるという。仁科は昭和6年春に京大で量子力学の特別講義をした。聴衆の中には20代の湯川秀樹と朝永振一郎がいた。湯川の精神は坂田昌一、益川敏英、小林誠らに受け継がれる。一方、朝永のもとには、東大の木庭二郎、西島和彦、山口嘉夫らが学んだ。その系譜は南部陽一郎、小柴昌俊、戸塚洋二に受け継がれる。また阪大の菊池正士の流れは熊谷寛夫、西川哲治に受け継がれている。

   だが日本の物理学ブームの発端はアインシュタイン(1879-1955)来日にある。大正11年、改造社の招待でアインシュタインは日本を訪れた。日本への航海中、船上でノーベル賞の受賞の知らせを受け、このことは日本にも伝えられ、アインシュタインの各地での講演は大盛況となった。11月19日、慶大講堂での「特殊および一般相対性理論について」の講演を皮切りに、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡など会場は聴衆で溢れた。ちなみに、通訳は石原純(1881-1947)がつとめたが、難解な理論をだれにも理解できる言葉で伝える、見事な通訳だった。前年、原阿佐緒との恋愛事件で失職していた石原の学者人生は総じて不遇だったといえるが、日本の理論物理学の発展に影で支えていた。

2008年9月27日 (土)

上野のパンダはいつ来るの?

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    今年の4月末にパンダのリンリンが亡くなってから、上野動物園の客足が激減しているという。このままだと今年の入園者数は年間300万人を割り込む。パンダブームの1974年度には約765万人あった。都の石原慎太郎知事は、パンダ借り入れには消極的だそうだ。年間1億円といわれるレンタル料は高すぎるという声もあり、当初都民の抗議もあったが、最近は「パンダはいつ来るの?」という子どもからの問い合わせもあり、意見が分かれており、複雑な政治情勢も絡んでパンダ問題は難航しているようだ。

2008年9月16日 (火)

体育の四原則

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    施薬院解男体臓図(1798年)

   体育の普及の手段としての内容は体操からスポーツを中心に移行し、近代スポーツは、オリンピック大会、アジア大会、ユニバーシアード大会、国体などの大きなスポーツ行事と、一般人の場合しリクレーションとしてのスポーツが急激に発達し、ややもすれば体育はむしろスポーツにおきかえられた感がある。ここにスポーツと体育の混同をきたした。医師や保健婦からも「あなたはスポーツはなにもしないのですか?」と聞かれる。「身体的な体操や運動は日常的にしていますが、競技としてのスポーツは何もしていません」というと、けげんな顔をされる。とくに日本の場合、明治の初期からフィジカル・トレーニングとしての体操と、競技としてのスポーツがほぼ同時に学校で取り入れられたため古くから混同されてきた。

  では体育とは何か。ここでは少しふるいが、アメリカにフィットネスの概念を導入した体育生理学者アーサー・スタインハウス(A.H.Steinhaus)の「体育の四原則」を紹介する。

1.人間尊重の原則

体育が教育であるためには人間尊重の原則を忘れてはならない。教育である手段では、特に身体的、精神的、道徳的のために相当のトレーニングを必要とする場合もあろうが、その手段としてはいろいろなスポーツが用いられる。しかし、それらスポーツ種目と人間が同価値のものではあり得ない。たとえば、コーチや学校を有名にするためそれを行なわせたとすれば、人間性は無視され教育の分野から除外される。

2.オーバー・ロードの原則

筋や呼吸循環機能は、現在能力をこえた、一般人が1日作業する強度をこえた負荷(刺激)を与えない限りそれ以上の発達はしない。

3.可逆性の原則

人間のからだはトレーニングを反復しなければ元に戻る。身体運動というストレスを長く与えると多くの組織器官はこれに対する適応力を与えられるが、これを中断して実行しなければ可逆的である。

4.integrationとintegrityの原則

全身の全機能を動員する能力、心身一体の行動をintegrationというが、この機能が社会から容認された理想に向かって、社会的因子、知的因子、情緒的因子が統合作用に権威と方向を与えるときintegrityである。体育はこの両面がなければならない。(参考文献:森脇勤「保健体育学概論」啓文社)

2008年8月20日 (水)

赤いフリージア

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   今日の誕生花はフリージア。甘い香りで人気のフリージアは、清楚で鉢植や切花として好まれる。メロン記念日の歌に「赤いフリージア」というのがあるが、花言葉は色によって異なり、白はあどけなさ、黄は無邪気、そして赤は純潔だそうだ。

2008年8月11日 (月)

忍冬の花

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    忍冬(すいかづら)は山野に自生する蔓性の小低木で、初夏、葉のつけ根に二つずつ並んで細い筒形の香りのよい花を開く。白く咲いて翌日は黄色く変わるので「金銀花」とも呼ぶ。花で薬用酒をつくり、葉は利尿剤等に用いる。中国では冬でも葉がしおれないで忍ぶところから「忍冬(にんどう)」という漢語が当てられた。語源としては、水を吸うカヅラ、スヒカツラ(吸葛)の義、冬を忍ぶシヌヒカツラ(忍蔓)の義、など諸説ある。

  すひかづら今来し蝶も垂れ下り

                       (東中式子)

  白と見し黄と見し花の忍冬

                       (前内木耳)