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2023年9月26日 (火)

世界発明・発見の年表

Ff2a5484    快適な生活を享受している現代人も、元々は先人が発明したものばかりで暮らしている。現代はテクノロジーと交通機関の発明・発達の時代である。最先端は宇宙開発であろう。人類が地球上に誕生して間もない時期から道具は作られた。人類最初の道具は「棒切れ」と言われる。 ただし棒は腐って遺物としては残ることはない。石面を打ち欠いて製作した石器が残っている。アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、猿人が使っていたと思われるハンマーのような道具が人類史上最古と見られる。

 ガリレオはピサの斜塔を利用して落下体の加速度の実験をした話は有名である。しかしこれは、ガリレオの弟子のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニのつくり話で、本当に実験した人はオランダのシモン・ステビン(1548-1620)です。

紀元前5000頃 メソポタミア南部シュメールで主要な農耕技術が発達し、定住が進んで都市が生まれる
前3700頃 エジプト、メソポタミアにて銅器使用
前3200頃 シュメールにて文字が生まれる
前3000頃 エジプトにて運搬用に動物力の利用始まる
前2800頃 エジプト、中国にて青銅器の使用
前2500頃 エジプトにてパピルス使用、メソポタミアにてガラス製品つくられる
前2100~1950頃 ヒッタイト(トルコ)で鉄器の使用(カマン・カレホユック遺蹟)
前600頃 ペルシアにて風車が利用される
前600頃 インドの外科医ススルタ、造鼻術をおこなう
前300頃 ローマにてコンクリートとセメントの技術が生まれる
前250頃 クテスィビオス、アレキサンドリアにて水時計を作製
前240頃 アルキメデスが円周率の近似値を計算する
前102頃 ヘロン、気力球を発明

 

後105頃 蔡倫、製紙術を発明
132年 張衡、地震計を発明
230年 中国魏の華佗、麻酔術をおこなう
673年 アラビア人とのコンスタンティノープル攻防戦にて、ビザンツ人が「ギリシア火」を発明  砂時計は8世紀頃、フランスのリウトプランドが発明した。

 

1015年、イブン・アル・ハイサム、最初のカメラ・オブスクラを作る。

 

1202年、イタリアの数学者フィボナッチが「算術の書」で「0」を紹介。

 

1206年、アラブ人の博学者アル・ジャザリー、クランクシャフトとカムシャフト、吸い上げポンプを考案

 

14世紀
1302年、イタリアのジャオ、航海用コンパスを製作
1377年 フランスの南部の都市モンペリエ医学校で人体解剖合法化

 

15世紀
1445年 ドイツのグーテンベルクが活版印刷技術を発明
1498年 イタリアのフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局製法はじまる(世界最初の薬局店)

 

16世紀
1500年カブラル、ブラジルを発見。1520年、マゼランが南米大陸とフェゴ島の間にある海峡を発見。後にマゼラン海峡と命名。1531年コペルニクス、地動説を発表。鉛筆は1565年、コンラート・ゲスナーが自家製鉛筆を使用していた。1572年ヘルモント、二酸化炭素を発見。1582年ローマ教皇グレゴリウス13世、暦法改正。1585年ステビン、落体の法則を発見。1590年オランダの眼鏡職人ハンス・ヤンセン、サハリアス・ヤンセン父子が顕微鏡の原型を発明。1599年オランダのシモン・ステファンが風力で走る帆走車を発明。

 

17世紀
1605年、ストラスブールでヨハン・カロルスは新聞を創刊した。1608年、オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルスハイが望遠鏡を発明。1610年ガリレオは木星を回る4つの衛星を観察。1612年、イタリアの医師サントリーオ・サントリーオが体温計を考案した。1614年スコットランドの数学者ジョン・ネイピアが対数を発見。1623年イタリアのガスパロ・アセリ、乳摩管を発見。1628年ハーべイ、血液循環の原理を発見。1643年トリチェリー、真空を発見。1650年ヴァレニウス、初めて黒潮について記す。1655年ホイへンスが土星の衛星タイタンを発見。1656年クリスチャン・ホイヘンスが振り子時計を発明。1662年イギリスのロバート・ボイルが「ボイルの法則」を発表。1665年ロバート・フックがコルクの細胞を観察。1667年フランスの医師ドニ―が世界初の輸血を行う。1669年ニュートン、微積分法の発明。1673年レーウェンフック、赤血球を発見。1675年、カッシーニが土星の輪に隙間があることを発見。1676年、イギリスの物理学者ロバート・フックがフックの法則を発見。1678年ホイヘンス、光の波動説。1687年ニュートンが万有引力を発見。

 

18世紀
1705年ハレーがハレー彗星の周期を発見。ピアノはイタリア人のバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが1709年に発明。1735年リンネが動植物の分類法を発表。1738年スイスの数学者ダニエル・ベルヌーイは流体内のエネルギーの和が流線上で常に一定であるというベルヌーイの定理を発表した。1750年フランクリン、避雷針の発明。1752年レオミュールが鳥の胃液の消化作用を発見。1757年キャンブベルが六分儀を発明。1766年、イギリスのキャベンディッシュが水素を発見。1771年スウェーデンのシェーレが酸素ガスを発見。1776年、アメリカのディヴィッド・ブッシュネルが最初の潜水艦を考案し、タートル号を建造。アメリカ独立戦争でイギリス軍艦イーグル号を攻撃したが、成功しなかった。1779年クロンプトンが紡織機「ミュール機」を発明。1780年ラボアジエが呼吸体内での燃焼と定義。1783年フランスのジャン・フランソワ・ピラートル・ド・ロジェとアルランド公爵は、気球に乗り、史上初の空中飛行を行う。1785年エドモンド・カートライトが力織機を発明。1795年フランスで新しい長さの単位「メートル」を決定。1796年エドワード・ジェンナー、牛痘による天然痘予防法に成功。1798年ランフォードが摩擦熱を発表。

 

19世紀
1803年イギリスのジョン・ドルトンが気体は水素・酸素・窒素・炭素・硫黄・リンという6種類の元素の組み合わせでできていると発見。1804年ソシウルが光合成の原料を発見。1803年イギリスのトレヴィシックが蒸気車を発明。1804年、トレビシックがウェールズのベニランダで史上初の軌道向け蒸気機関車の走行実験に成功。1808年イギリスのデービーがアーク灯を発明。1810年ドイツの靴職人バルタザール・クレムスがミシンを発明。1810年イギリスのピーター・デュランドが缶詰を発明。1811年ドイツの時計職人フリードリヒ・ケーニッヒが高速印刷機を発明。1812年、ドイツのフリードリッヒ・モースが「モースの硬度計」を考案。1814年イギリスのスティーヴンソンが蒸気機関車を製作。1817年、ドイツのカール・フォン・ドライスによって木製の人力二輪車ドライジーネ(自転車の原型)が製作された。1820年、デンマークの物理学者エルステッドが電流の磁気作用を発見。1821年イギリスのヘンリー・ベルが蒸気船「アーロン・マンビー号」を作製。1821年ドイツのブッシュマンがAURA(オーラ)というハーモニカの原型を試作した。1825年スティーブンソン、機関車ロケット号がストックトンとダーリントン間の45キロを走破。1826年、イギリスの化学者ジョン・ウォーカーが摩擦マッチを発明した。1829年、リバプールとマンチェスター間を走破。1829年フランスの縫製職人バルテミー・ティモニエがミシンを発明。1831年ブラウンが細胞の核を発見。1835年、チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島に到達。1835年、電灯の実験が、ジェームズ・ボウマン・リンゼイにより成功。1837年アメリカのモールスがモールス信号を考案。1838年、シュライデンとシュワンが細胞説を唱える。1839年アメリカのチャールズ・グッドイヤーがエボナイトを発明。1842年アメリカの医師クロウフォード・ロングが初めてジエチルエーテルによる麻酔を用いて手術を行う。1842年、オーストリアのドップラーがドップラー効果を発見。1842年、ドイツのマイヤーがエネルギー保存の法則を提唱する。1843年フランスのルシアン・バイディがアネロイド気圧計を発明。1843年イギリスのパディントン~スラウで世界初の電報業務を開始。1843年イギリスのエイダ・ラブレスは世界初のプログラムを発見。1846年ヨハン・ガレ、エルヴァン・ルヴェリエらが海王星を発見。1848年ジェームズ・マーシャルがカリフォルニア州サクラメント付近で砂金を発見。1847年イギリスの工学者ジョージ・ケイリーが三葉のグライダーを製作し滑空に成功。1851年ロンドンで第1回の万国博覧会が開かれる。1853年ロンドンで地下鉄が開業。1854年イタリアのアントニオ・メウッチが最初の電話を発明。1855年ヘンリー・ベッセマー、鋼鉄の大量生産始まる(特許)。1857年パスツールがアルコール発酵の研究。1858年ハイマン・リップマンが消しゴムつき鉛筆の特許を取得。▽1860年トーマス・アダムスがチューインガムを発明。1860年フランスの博物学者アンリ・ムオがアンコールワットを発見。1862年ルイ・パスツールとクロード・ベルナールが低温殺菌法を開発。1865年メンデルが遺伝の法則を発見。1866年イギリスの技術者ロバート・ホワイトヘッドが魚雷を発明。1867年ノーベル、ダイナマイトを発明。1868年アイヴス・マガフィーが真空掃除機を発明。1868年クリストファー・レイサム・ショールズは実用的なタイプライターを考案。1869年ロシアのメンデレーエフが元素の周期律表を発表。1869年、アメリカのジョージ・ウェスティングハウスが圧縮空気を用いた鉄道のブレーキシステムを発明。1870年ジョン・ウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明。1873年フィロ・レミントンがタイプライターの生産を開始。1876年、イギリスの外科医ジョゼフ・リスターが消毒法を開発。1876年ジェン・ジェームズ・立夏ード・マクラウドはインスリンを発見。1877年エジソンが蓄音器を発明。1869年スイスのフリードリッヒ・ミーシャ―が膿のリンパ球から核酸を発見。1878年ジョゼフ・スワンはエジソンより1年早く、白熱電球を発明。1878年イギリスのデイビッド・エドワード・ヒューズがカーボン・マイクロフォンを発明。1881年アメリカのアルモン・グランガーが消火器を発明した。1881年、エジソンがニューヨークに発電所をつくった。1885年カール・ベンツ、ガソリンエンジンで走る三輪自動車を作製。1885年、フランスのレオン・セルボレが自動車を開発。1886年ジョン・ペンバートンはコカ・コーラを発明。電池はアレッサンドロ・ボルタがボルタの電堆を発明。1887年、エジソンが長時間使用できる白熱電球を完成。1887年、カール・ガスナーが乾電池を発明。1887年、ドイツのエミール・ベルリナーがレコードを発明。1888年、イギリスのジョン・ダンロップがタイヤを発明。1890年、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法を発見。1890年、アメリカで電気椅子による死刑が初めて執行された。1894年、北里柴三郎がペスト菌を発見。1894年、ミシシッピ州ウィックスバーグで瓶詰コカ・コーラが初めて販売される。1895年、ドイツの物理学者レントゲンがX線を発見。1895年、パリでシネマトグラフが初公開される。1896年、フランスのド・ボールが成層圏を発見。1896年、オランダの物理学者ピーター・ゼーマンが強い磁場中に置かれた光源からのスペクトル線が数本に分かれること(ゼーマン効果)発見した。1897年、ドイツのフェリックス・ホフマンがアスピリンを発明。1897年、志賀潔が赤痢菌を発見。1898年、キュリー夫人がラジウムを発見。イタリアの病理学者かミッロ・ゴルジが細胞内のゴルジ体を発見。1899年、コンラッド・ヒューバードが懐中電灯を商品化する。1899年、アメリカのホランドが潜水艦を考案。

20世紀
 1900年、オーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナーがABO式血液型を発見。1901年、ジレットが安全剃刀を発明。1902年、マリー・キュリー夫妻、ラジウム抽出。ウィリス・キャリアはエアコンの理論を樹立。1902年アメリカの技術者ウィリス・キャリアが近代的空機調和設備(エアコン)を発明。1903年、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功。1903年、オランダの医師ウィレム・アイントホーフェンが世界初の心電図を発明。1903年、フランスの医学者ジョゼフ・ババンスキーはバビンスキー反射を発見。1904年、アメリカのルーベルが紙へのオフセット印刷機を発明。1905年、アインシュタインが特殊相対性理論の最初の論文を発表。1905年、フリッツ・シャウディンとエーリヒ・ホフマンが梅毒スピロヘータを発見。1906年、フェッセンデンがマサチューセッツで世界初のラジオ放送を実施。1907年、フランスの化学者ジョルジュ・ユルバンが新元素ルテチウムを発見。1908年、アメリカでT型フォードの第1号車が製造される。1909年レオ・ベークランドが合成樹脂ベークライトの工業化に成功。1909年フランスのルイ・ブレリオは、飛行機による初のイギリス海峡横断に成功する。1911年、ビンガムはマチュピチュを発見。1912年スウェーデンのダレーンが自動制御装置の灯台を発明した。1913年、アメリカの化学者ラングミュアが白熱電球を発明。1915年、早川徳次がシャープペンシルを発明。1920年DNA、RNAを発見。1920年アメリカ・ピッツバーグで世界初のラジオ放送局KDKAが開局。1921年カナダの整形外科医フレデリック・バンティングと医学生チャールズ・ベストが研究室でインスリンの抽出に成功した。1922年イギリスのBBCがラジオ放送を開始。1923年、スペインのファン・デ・ラ・シエルバがオートジャイロを発明。1924年、レイモンド・ダートが南アフリカでアウストラロピテクスの化石を発見。1924年、米キンバリー・クラーク社からクリネックス・ティシュー発売される。1924年、アルベール・カルメットが結核予防にBCG接種を提唱。1925年、イギリスのジョン・ロージー・ベアードがテレビ実験に成功。1926年、アメリカのロバート・ハッチンス・ゴダードが世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功。1926年、石井茂吉は写真植字機を発明。1927年、ワーナーブラザースによる世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」がニューヨークで封切り。1928年、イギリスのフレミングがアオカビからペニシリンを発見。1930年、アメリカで世界初の冷凍食品が発売される。931年、アメリカの化学者ハロルド・ユーリーが重水素を発見。1932年、イギリスの物理学者ジェームズ・チャドウィックが中性子を発見。1932年、T型フォードの発売。1933年アメリカの電気工学研究者エドウィン・アームストロングがFM放送を発明。1935年ウォーレス・カロザース、ナイロンを発明。1938年、オットー・ハーンが原子核分裂を発見。1938年、蛍光灯、アメリカで実用化。1938年アフリカのイースト・ロンドンでシーラカンスが発見される。1940年アメリカのジョージ・スティビッツが世界初のコンピュータの遠隔操作を行う。1942年アメリカのフェルミらがシカゴ大学で原子炉の核実験に成功。1943年ハンガリーでボールペンを開発。1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが自閉症を報告。1944年セルマン・ワックスマンがストレプトマイシンを発見。1946年、アメリカで世界初のコンピュータである電子計算機ENIAC(エニアック)が発明される。1948年、アメリカでインスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売。1948年、米ベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンがトランジスターを発明。1949年バーナード・シルバーとノーマン・ジョセフ・ウッドランドがバーコードを発明。1949年アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発。1950年アメリカでカラーテレビの放送開始。1952年、アメリカのダウケミカル社がサランラップを販売。1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見。1953年、ユージン・アセリンスキーとナサニエル・クレイトマンがレム睡眠を発見。1957年、樫尾製作所が電卓の元祖ともいわれる計算機を開発した(価格48万5000円)。1958年、日清食品安藤百福が即席ラーメンを発明・販売。1957年、ソ連が初の人工衛星スプートニク1号に成功。1959年、リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷でジンジャントロプス・ボイセイ(アウストラロピテクス・ロブストゥス)を発見。1961年、ガガーリンが初の有人飛行に成功。1962年、マーシャル・ニーレンバーグ、ハー・ゴビンド・コラナ、ロバート・ホーリ―が遺伝子情報の解読。1963年カセットテープ、オランダ人のルー・オッテンスが開発。1964年、ピーター・ヒッグス、フランソワ・アングレールがヒッグス粒子を発見。1967年、ダグラス・エンゲルバートがパーソナル・コンピュータのマウスを開発。1968年、大塚食品がレトルトカレー「ボンカレー」を発売。1968年、ダグラス・エンゲルバートがコンピュータのマウスを発明する。1969年、カリフォルニアとスターンフォード大学でインターネットの元型であるアーパネットが開発される。1971年、レイ・トムリンソンが電子メールを発明。1977年、初の実用的なパーソナルコンピュータ「AppleⅡ」が発売。1978年、日本語ワープロ東芝JW-10(価格630万円)を発売。1979年、NECが8ビットパソコンPCー8001を発表。パソコン時代の到来。1981年スペースシャルト・コロンビア号が時速2675kmを記録。1990年、初のWorld Wide Webのシステムが稼働。

21世紀
2001年、世界中で無料オンライン百科事典「ウィキペディア」が公開される。
2005年、動画投稿サイトはじまる。
2006年、ツィッターの一番最初の「つぶやき」。
2012年 アンドレア・ゲズらが銀河系中心部に超大質量コンパクト天体(ブラックホール)に関する発見。

参考資料
世界の発明発見歴史百科 テリー・プレヴァートン著 原書房 2015年

 

 

2023年9月15日 (金)

地球外生命体はホントにいるのか?

Photo_3 9月12日メキシコ議会で未確認飛行物体に関する初の公聴会が開かれ、宇宙人の遺体とされるものが公開された。遺体は両手に3本の指があり、細長い頭部を持つ。約1000年前のものとされ、2017年にペルーのナスカの地上絵付近で発見された。映画のETみたでホントなのかな~。

英科学誌ネイチャーで、土星の衛星の1つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在するという研究結果が発表された。またNASAは2013年3月12日キュリオシティーが採取した火星の岩のサンプルを解析した結果、かつて火星には生命に適した環境があったと発表した。2010年から世界11ヵ国の天文台や大学などの機関が地球外知的生命体探査「ドロシー計画」を実施している。

    イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は天の川銀河(当時の全宇宙)の星を観測して、太陽系は銀河系のほぼ中心に位置すると考えた。そして音楽家でもあったハーシェルは太陽系の惑星の配列と音楽理論とを結びつけ、すべての惑星には生命はもちろん文明が存在すると考えていた。1880年頃、イタリアで天文学者スキアパレッリが火星図をつくった。このとき、直線状の模様「すじ」が描かれ、「すじ」は、イタリア語で「カナリ(canali)」といい、これがカミーユ・フラマリオンによってフランス語に翻訳されて「canal(運河)」となって伝わった。アメリカの天文学者ぱーしぱる・ローウェルは運河のような構造物をつくることができる文明があったとすれば、「火星に知的生命がいる」という考えが広まった。そのころイギリスの作家H・G・ウェルズが火星人が地球を攻めてくるという「宇宙戦争」(1898)が発表されて、宇宙人というとタコのような生物というイメージができた。アメリカで1938年オーソン・ウェルズのラジオ番組「宇宙戦争」で、聴取者から本物のニュースと間違われて、パニックを引き起こした。ここ10年で地球と同じような環境の惑星は10個も発見されている。いまや地球外生命体がいる可能性や確率は100%だとする宇宙学者もいる。

    1781年、ハーシェルは天王星を発見した。1846年にはフランスのユルバン・ルヴェリエ(1811-1877)とイギリスのジョン・クーチ・アダムズ(18119-1892)が海王星を発見した。太陽系のうち最も遠くにある冥王星は2006年に惑星からはずされたが、パーシバル・ローウェルの遺志を受け継いだクライド・トンボー(1906-1997)が1930年2月18日に発見した。(William Herschel,Urbain Verrier,John Couch Adams,Clyde Tombaugh,Mars,Urnus,Neptune,Pluto)

2023年8月12日 (土)

天災は忘れたころにやってくる

  日本はチリやアメリカのカリフォルニア州などとともに、太平洋をとりまく環太平洋造山帯の上にあるため、地震や火山の噴火による被害が多い。とくに、1923年の関東大震災や、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災では多くの犠牲者を出した。日本の気象災害のなかでとくに被害が多いのは、台風による風水害である。コンクリートとアスファルトで道路を固められた都市部では、大雨が降ると雨水が地面にしみこまず、一気に河川に流れこみ、氾濫がおこることがある。台風7号進路予想。14日午前に紀伊半島沖に達する見込みで関西を直撃する。

また、いつどこで巨大地震が起きても不思議ではない、と専門家は警鐘しています。東大地震研究所は「震災をきっかけに首都圏では地震活動が活発化してM7級直下地震が30年以内に70%の確率で首都直下地震が発生する」と発表している。関東で相次ぐ地震は首都直下地震の予兆である。首都直下地震が発生した場合、平日の昼間だと帰宅困難者は最大約453万人と予測されている。

東大地震研究所は1925年(大正14年)11月25日、東京帝国大学付属地震研究所として設立された。初代所長は末広恭二(1877-1932)、2代目所長は石本巳四雄(1893-1940)。地震研究所の設立には寺田寅彦(1878-1935)も大きく協力していたようだ。正面玄関の壁には寺田による碑文が今も掲げられている。

   明治24年濃尾地震の災害に鑑みて震災予防調査会が設立され、我邦における地震学の研究が漸く其緒に就いた。大正12年帝都並びに関東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震学の基礎的研究の必要を啓示するものであった。この天啓に促されて設置されたのが当東京帝国大学付属地震研究所である。(中略)本所永遠の使命とする所は地震に関する諸現象の科学的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の予防並びに軽減方策の探求である。この使命こそは本所の門に出入りする者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。

   有名な警句「天災は忘れたころにやってくる」は寺田寅彦の言葉として一般によく知られるが、全集をはじめ彼のすべての著作物からその言葉を探してみたが、よくわからず、結局出所を明らかにすることはできなかった。「天災と国防」(1934年)という随筆には地震による被害が増大すると指摘し、防災の必要性を説いている。この言葉は寺田が地震研究所にいたころ生まれたのではないだろうか。だれかれということなく、寺田の考えを要約した警句として流布していった。中谷宇吉郎の「天災」という一文の中に、寺田寅彦の名言として紹介され、江湖に広まった。中谷の「天災は忘れた頃来る」(西日本新聞1955年9月11日)にもそのようなことが記されており、中谷が「寺田寅彦の言葉」として残した、といほうが正確なようである。

同様の言葉は英語の諺にもあるらしい。

Natural disasters comes when we've forgorten all about then.

    寺田寅彦は明治11年11月28日、寺田利正・亀の長男として東京で生まれた。明治14年、郷里の高知に転居。明治30年、熊本第五高等学校の学生だった寅彦は両親のすすめで、阪井重季の娘・阪井夏子(1883-1902)と結婚する。夏子は少女時代から目立つ美人で、松山に住んでいた頃、松山の中学生だった安倍能成(1883-1966)が憧れていたといわれる。目が大きく、「お夏さんの目が光るからランプはいらぬ」と親族の子どもから言われた。だが寅彦と夏子の幼い夫婦は熊本と高知と離れ離れの新婚であった。

    明治31年1月17日の寅彦の日記には次のようにある。「夏子より手紙きたる。先日、送りやりし泰西婦女亀鑑の礼や、夏の休暇の待たるる事やしたためたる末に、近来川田兄のしきりに伉儷を詮索される旨も書き添えたり」とある。伉儷(こうれい)とは夫婦の意。つまり寺田寅彦夫婦は両家公認ながら内密なものであった。その理由は、父親同士が陸軍仲間で夏子は不倫の子であり、祖母に育てられた夏子を幸せにしてあげたいという周囲のおもいやりからでたものという。寅彦の欠落した日記は結婚の経緯を秘密にしておくためだったと朝日新聞は推測している。明治32年東京帝国大学に入学した寅彦は夏子と東京での同居が始まり暮らし、明治34年に長女貞子も生まれるが、翌年の秋、僅か19歳で夏子は肺結核で亡くなる。(参考:牧村健一郎「愛の旅人・ハンカチ振る浜辺の妻」朝日新聞2008.1.12,寺田寅彦「天災と国防」)

2023年4月11日 (火)

地球一周は4万キロ

Eratosthenesmap   本日はメートル法公布記念日。フランス語「メートル」(metro)は古代ギリシア語「メトロール」(ものさし、測ることの意)からの造語である。もともと子午線上の北極から赤道までを1万キロと決めて、1000万分の1の長さが1メートルとなった。1791年にラヴォアジエなど学者らが検討し、1795年フランス科学アカデミーで決められたが、「メートル」はすぐには普及しなかった。1837年にメートル法以外の単位使用を禁じ、1875年メートル条約が締結された。

   むかし古代アレクサンドリアの学者エラトステネスは太陽の角度から地球の大きさを推定した。彼の計算では、

5000スタディオン×(360度÷7度12分)=2500000スタディオン。

   1スタディウスは178mと推定されているので、44500㎞になる。本当の地球の全周は4万キロなので1割程大きいだけである。エラトステネスは実測困難な対象も、幾何学の応用で、地球の近似値を測定したのである。

   ところで地球一周、つまり赤道の全周は約4万キロだが、もっと正確な数値はあるのだろうか。かつての地理の参考書には、赤道の全周40076、5938㎞という数字が載せられていた。これはヘイフォード楕円体で推計した地球恒数のひとつである。アメリカの測地学者ジョン・フィルモア・ヘイフォード(1868-1925)が1909年に提案した準拠楕円体で、1924年にスペイン・マドリードで開かれた国際測地学・地球物理学連合総会によって世界的に認められた。現在は赤道の周囲は40075.017㎞とされている。現在、1メートルの定義は1983年に「光が299792458分の1秒間に進む距離」とされている。( keyword;Eratosthenes,Alexandria,Syena,metre,Lavoisier 、4月11日)

2023年3月 4日 (土)

花粉症の季節になりました

Photo_2   風に乗って大気中に飛び散った花粉を吸い込むことが原因で起こる、アレルギー性の鼻炎や喘息など、毎年、決まった時期になると発症する身近な病気「花粉症」。本日は全国的に晴れて、花粉が飛散しやすく、花粉が非常に多い状況となっている。

 

 

 

 

   1819年にイギリスのジョン・ボストックが牧草の干草と接触することによって発症することと考え、枯草熱(こそうねつ)と報告している。Blackley その後、イギリスのチャールズ・ブラックレイ(画像,1820-1900)の「枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実証的研究」(1873年)により、花粉が原因で発症する「ポリノシス(花粉症)」と呼ばれるようになった。

2a312001_2    日本で花粉症が一般に知られるようになったのはいつごろか、正確な時期は明白ではない。高度経済成長期の東京オリンピック頃から患者が急増する。1963年に東京医科歯科大学の斎藤洋三医師が鼻や目にアレルギー症状を生じる患者を多く診察したことが知られている。また馬場実の「アレルギー疾患としてのPollinosis(花粉症)とくにHay Feverについて」(「小児科」1964年10月号)や堀口申作「スギ花粉症Japanese Cedar Pollinosisに関する臨床的観察」(「日本耳鼻咽喉科学会会報」1965年10月号)など先行研究がある。一般に「花粉症」という言葉がマスコミに取り上げられるようになったのは1980年代に入ってからのようで、沢田亜矢子の曲に「花粉症」(1982年発売)がある。ところが由美かおるのヌードで話題となった映画「同棲時代」(1973)の中に花粉症で悩む女性の話がある。今日子の高校時代の友人・淳子(岩崎和子)が東京に来る。春が嫌いで、毎年この季節になると花粉で悩まされ、マスクをしている。この病気が原因で一生結婚ができないという。この時代はまだよくわからなかったらしく「花粉病」と言っている。1984年、プロ野球の田淵幸一は花粉症のために引退した。(John Bostock,Charles H. Blackley、3月9日)

2022年10月13日 (木)

サトイモは地下茎を食べる

54sweetpotatokabu  今日はサツマイモの日。根菜類とは地中にできるものを食べる野菜。いも類の中で、サツマイモは太った根を食べる。ほかにダイコン、カブ、ニンジン、ゴボウなどは根を食べる。

 

 

 

54tarokabu    サトイモは地下茎を食べる。ほかにジャガイモ、レンコン、クワイ、チョロギ、ショウガなど地下茎を食べる。

 

 

 

 

 

_shoot1230600x450   では玉ねぎは葉・茎・根のどの部分を食べるのか。実は葉の部分である。葉の下の葉鞘と呼ばれるところが成長するに従って厚みを増し、重なり合って球体に太った物である。

 

 

 

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大根は根と胚軸を食べる

2022年10月10日 (月)

「スポーツの日」は雨だった

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 施薬院解男体臓図 1798年

 

  本日は「スポーツの日」。各地でスポーツ系イベントが予定されているが、あいにくの雨模様である。北海道~北陸は雨、関東~九州は午前中は雨、午後は晴れ間のの所もある。昭和39年10月10日、東京で第18回オリンピックが開かれた。これを記念として、10月10日を「体育の日」として、国民の休日とした。2020年からは10月の第2月曜を「スポーツの日」と変更された。 体育の普及の手段としての内容は体操からスポーツを中心に移行し、近代スポーツは、オリンピック大会、アジア大会、ユニバーシアード大会、国体などの大きなスポーツ行事と、一般人の場合しリクレーションとしてのスポーツが急激に発達し、ややもすれば体育はむしろスポーツにおきかえられた感がある。ここにスポーツと体育の混同をきたした。医師や保健婦からも「あなたはスポーツはなにもしないのですか?」と聞かれる。「身体的な体操や運動は日常的にしていますが、競技としてのスポーツは何もしていません」というと、けげんな顔をされる。とくに日本の場合、明治の初期からフィジカル・トレーニングとしての体操と、競技としてのスポーツがほぼ同時に学校で取り入れられたため古くから混同されてきた。

 

  では体育とは何か。ここでは少しふるいが、アメリカにフィットネスの概念を導入した体育生理学者アーサー・スタインハウス(A.H.Steinhaus)の「体育の四原則」を紹介する。

 

1.人間尊重の原則

体育が教育であるためには人間尊重の原則を忘れてはならない。教育である手段では、特に身体的、精神的、道徳的のために相当のトレーニングを必要とする場合もあろうが、その手段としてはいろいろなスポーツが用いられる。しかし、それらスポーツ種目と人間が同価値のものではあり得ない。たとえば、コーチや学校を有名にするためそれを行なわせたとすれば、人間性は無視され教育の分野から除外される。

 

2.オーバー・ロードの原則

筋や呼吸循環機能は、現在能力をこえた、一般人が1日作業する強度をこえた負荷(刺激)を与えない限りそれ以上の発達はしない。

 

3.可逆性の原則

人間のからだはトレーニングを反復しなければ元に戻る。身体運動というストレスを長く与えると多くの組織器官はこれに対する適応力を与えられるが、これを中断して実行しなければ可逆的である。

 

4.integrationとintegrityの原則

全身の全機能を動員する能力、心身一体の行動をintegrationというが、この機能が社会から容認された理想に向かって、社会的因子、知的因子、情緒的因子が統合作用に権威と方向を与えるときintegrityである。体育はこの両面がなければならない。(参考文献:森脇勤「保健体育学概論」啓文社)

2022年9月17日 (土)

枕崎台風

    「シンギュラリティー」(Singularity)とは特異日のこと。例年、ある天気が高い確率で現れる特定の日。例えば、11月3日は晴れることが多く、9月17日と26日は強い台風の襲来が多い。本日は台風14号が非常に強い勢力で沖縄や九州南部に接近している。67年前の今日「枕崎台風」が日本を襲った。枕崎台風は室戸台風(昭和9年)、伊勢湾台風(昭和34年)と並ぶ昭和の三大台風。昭和20年9月12日にマリアナ海域に発生し、9月17日、午後、鹿児島県枕崎付近に上陸、九州、中国地方、とくに広島県下に大きな被害を与えた。その後、北東に進んで山陰地方から日本海に出たが、酒田付近からふたたび本州に上陸し東北地方を横断して三陸沖に抜けた。全国の死者・行方不明3756人、傷害2452人、田畑被害16万5750㌶、建物被害44万6897棟であった。とくに広島県では秋雨前線による雨と重なったため記録的な大雨となり、洪水や無数の山津波が発生した。死者行方不明者約2400人。原爆投下から1ヵ月、人心の虚脱と自然災害に無防備状態が重なり大きな被害となった。長崎と沖縄は混乱のため正確な被害状況は不明である。枕崎台風の名称ともなった枕崎は今回、台風の目にはいった。枕崎は台風の通過地点となることが多いので、この名称の付け方に疑問視する声もある。

2022年8月22日 (月)

メタセコイア発見物語

 韓国ドラマ「冬のソナタ」のオープニングや各編に登場するヒノキ科(またはスギ科)の落葉針葉樹メタセコイア。第三紀に繁栄したが、地球上からほとんど姿を消した樹木である。セコイアに類する落葉高木だが、葉が枝に対生する点、球果の鱗片が対生する点で、現存のセコイアと区別される。1941年、物学者の三木茂が岐阜県土岐市の瀬戸層群中から発見された化石をもとに「メタセコイア」という別属を設けて、これに入れた。学名は、Meyasequoia glyptosboides(メタセコイア・グリプトストロボイデス)。その後、1945年に中国四川省で現生種が発見されたので、世界各地で植えられるようになり、地球上にふたたびよみがえった。「生きている植物化石」と呼ばれる。(森山厄介)

2022年8月16日 (火)

血液型の話

140526_typeb   人間の血液にA型、B型、0型の種類があることを最初に発見したのは、ウィーン大学の生物学者カール・ラントシュタイナー(1868-1943)で、1901年のことである。この血液型と性格との関連性を初めて論文としたのは日本人で、大正5年に原来復と小林栄が「血液ノ類属的構造ニ就イテ」(医事新報954号)であるが、そののち古川竹二(1891-1940)が書いた「血液型と気質」(1932年)で広く知られるようになった。戦後は、フランスの心理学者レオン・ブールデル(1907-1966)が「血液型と気質」(1960年)、能見正比古(1925-1981)の「血液型人間学」「血液型でわかる相性」がベストセラーになった。その後も血液型性格診断は相性判断となって、酒席で「B型っぽい」とか「A型らしくないね」という話題をすれば盛り上がる。しかしながら、ほんとうに血液型で性格がわかるのだろうか。現在のところ、血液型による性格判断は科学的に証明されていない。血液型性格診断は根拠がなく擬似科学性が指摘されている。でも「A型は几帳面」とか「B型の男は自分勝手で我が儘」といえば、なぜか思い当たることがある。だれにでもあてはまることを言われると、自分のことと思ってしまう心理がはたらく。これをバーナム効果という。先ごろ、九州大の縄田健吾講師が、血液型と性格の関連性に科学的根拠はないとする統計学的な解析結果を発表した。最近では、血液型によって就職などで差別されるブラッドタイプ・ハラスメントが問題化している。このように日本や韓国では、血液型と言えば、相性や性格診断のイメージが強いが、欧米では血液によって「病気リスク」の差があるという研究が進んでいる。血液型の中で、最も免疫力が少ないのはA型で、いちばん病気に強いのはO型である。O型の人は脳梗塞、心筋梗塞になりにくいらしい。だがO型が新型コロナに感染しにくいとか、蚊に刺されやすとかいう話しは迷信の類である。

 

 

 

 

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