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2018年11月 7日 (水)

虫歯の世界史

Img_1027147_12990939_4  ドラマ「僕らは奇跡でできている」のワンシーン。女医さんの子ど向け講演会での子供の質問。どうして「虫歯」というの?虫歯の語源は先生もわからない。虫歯は医学用語では「う蝕(齲蝕)」といい、口腔内の細菌が糖質から作った酸によって、歯が溶かされる病気である。「虫歯」という言葉は明治14年刊行された高山紀斎の「保歯新論」に「虫歯論」の一節があり、明治初期から用語としての「虫歯」が使われていたことがわかる。

   古代人は虫歯の原因は歯の中で歯質を小虫が喰うためにおこると考えていた。バビロニア人は歯痛が起こるとき、アヌ神に呪文を3度唱え、ヒヨスの実を焼いて駆虫した。古代中国では隋時代の医書「諸病源候論」に「牙歯虫候」「牙虫候」という病名が記されている。前100年頃の古代ローマ人の頭蓋骨から鉄製のインプラントが見つかり、抜けた歯の処置をしていたことがわかる。中世ヨーロッパでは遊歴歯科医が町々を廻って歯みがき粉を売り歩いたり、抜歯をしていた。イタリアでは理髪師が抜歯、口腔内清掃などを行っていた。歯を抜くオドンターグ(オドントとはギリシャ語で「歯」の意味。画像はポンペイ出土1世紀頃)など器具も数種残っている。実際には近代以前の治療はいいかげんな処置をしたり、訳のわからない歯磨剤であった。近代的な歯の医療は19世紀からで、アメリカ人歯科医師グリーン・バーディマン・ブラック(1836-1915)が1881年に虫歯の原因が酸であることを発見し、のちに虫歯予防に歯ブラシの使用が普及してからである。

Odontagra


( keyword;odontagra,Green Vardiman Black )

2018年9月22日 (土)

人生ぼーっと生きています

  信号の色は左から赤・黄・青だったか、それとも青・黄・赤だったか?こうした普段見慣れたなじみの深いことがらでも、いざ質問されると意外にとまどってしまうものです。これは、いかに人間の記憶力や注意力があいまいであるかの良い証拠だといえましょう。「1グラムは何の重さ」5歳のチコちゃんは知っています。「それはフランスにある金属の塊の1000分の1」と。重さの単位には世界基準となる金属の塊があります。フランスのセーブルにある国際度量衡局には直径・高さともに約3.9mmの円柱状の金属塊が厳重に保管されている。原器が作られたのは1889年のことで長い年月で埃や湿気などのため僅かの狂いが生じてきた。今年2018年秋には新しい重さの定義が検討されるという。

2018年8月17日 (金)

何で虹は七色?

Newtonsrainbow

   わたしたちの周りには、さまざまな色が見られるが、それらの万物が固有の色をもっているのではなく、万物の表面が光の一部を反射するということなのである。リンゴが赤いのはリンゴ自体が赤いのではなく、赤色の光を反射するためであり、同じく木の葉は緑色の光を反射するから緑色に見えるのである。

 NHK雑学バラエティ「チコちゃんに叱られる」多久和理実(東京工業大学)によると虹の七色の説はニュートンが先駆だという。1672年、彼はケンブリッジ大学でスペクトルの実験を行い、物体の色はスペクトルの色の一部を吸収し、他色を反射するため生ずることがわかっていた。ところがニュートンの研究はほとんど注目をひかず、彼はがらがらの教室で講義をしていた。彼が、色は目と脳でどのようにして知覚されるか、という問題を解明したのは「光学」(1703年)を発表してからである。虹は大気中の光学現象のなかでいちばんよく知られ、古くから宗教や説話のうちにあらわれるが、光の7色のスペクトルで科学的に説明したのはニュートンが最初である。光をめぐる論争は古代ギリシア時代以来からあり、17世紀にはホイヘンスの波動説とニュートンの粒子説の論争が最高潮に達し、対立していた。粒子説はニュートンの時代から一時優勢であったが、ジェームズ・マクスウェル(1831-1879)の研究により、波動説が完全な勝利をおさめた。(Isac Newton,James Maxwel,rainbow)

2018年6月21日 (木)

あれはナイチンゲール、ヒバリじゃないわ

    ジュリエットはロミオと一夜を過ごす。夜明けが近づいてヒバリが鳴き始めて、やがてロミオとの別れが近づく。ジュリエットは別れがつらくて「あれはヒバリじゃなくて(夜に鳴いている)ナイチンゲールよ」と言う。

It was the nightingale,and not the lark.

Sudhakar1431803083   羽は赤ちゃけた色をしており、腹は灰白色で、姿は美しいとはいえないが、声はもっとも美しい鳥としてイギリスでは詩にしばしば登場する。夜明け前によく透る声で鳴く。
    英詩でナイチンゲールがうたわれるようになったのは13世紀の後半からである。この鳥は季節からいえば春と夏とにまたがっている。イギリスの夏は暦の上では夏至(6月21日)から秋分(9月22日あるいは9月23日)までをいうが、実際には5月半ばから8月下旬までをいう。イギリスの夏は涼しく、花も美しい。6月、7月が夏のさかりといってよい。

2018年6月 1日 (金)

英国のキジ

   キジは本州、四国、九州に留鳥として分布している。昔話「桃太郎」にもサル、イヌと共に登場し、親しまれている日本の野鳥で、1947年に日本鳥学会が国鳥として選定した。しかしユーラシア大陸にも広く分布する。英語ではpheasant。ロレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」で森番のメラーズが鳥小屋を作り、キジの雛をかえしている情景が描かれている。Mellors raises pheasants there for hunting.(メラーズは狩猟のためにキジを育てていた) ロレンス夫人との愛のキューピッド的な役割をはたしている。

2018年5月31日 (木)

アーベルとガロア

Photo エヴァリスト・ガロア

    フランスのエヴァリスト・ガロワ(1811-1832)とノルウェーのニールス・アーベル(1802-1829)は同時代の数学者だが共通している点が多い。専門が楕円関数論と代数方程式論であることや、ガウスの影響を受けていること、若くして悲劇的な死をとげていることである。ガロアが1832年5月31日、決闘で受けた傷がもとで死んだことはよく知られているが、アーベルは病死である。ガロアは近世の高次代数方程式が代数的に解けるための必要十分条件を群の言葉で与えた。アーベルは五次以上の代数方程式は、一般に代数的には解けないことを証明した。楕円関数論およびアーベル関数論で知られる。2人はもちろん出会ったことはなかったし、論文を通じての認識すらなかったらしい。

2018年4月27日 (金)

モールス信号

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 サミュエル・モールスは電信機とモールス符号の発明者。1791年4月27日、マサチューセッツ州チャールズタウン(現ボストン)に生まれる。初め画家になることをめざしていたが、欧州旅行の帰国の船内でたまたまC.T.ジャクソン博士と一緒になり、博士の暇つぶしに電気や電信の実験談を聞かされる。電気は当時最大の謎の一つだった。その魅力はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に描かれている。怪物に生命を吹き込むのに用いられたのは、電気である。モールスは若いころから電気への興味を持っていた。そのときモールスは、電気信号が瞬間的に回路を巡ることに気がついた。1835年にモールスは最初の電信機を発明する。彼の電信機は、幕末に来航したペリーによって幕府に献上されている。(keyword;Samuel Finley Breese Morse,Charlestown,Boston,eponym )

2018年4月11日 (水)

地球一周は4万キロ

Eratosthenesmap   本日はメートル法公布記念日。フランス語「メートル」(metro)は古代ギリシア語「メトロール」(ものさし、測ることの意)からの造語である。もともと子午線上の北極から赤道までを1万キロと決めて、1000万分の1の長さが1メートルとなった。1791年にラヴォアジエなど学者らが検討し、1791年フランス科学アカデミーで決められたが、「メートル」はすぐには普及しなかった。1837年にメートル法以外の単位使用を禁じ、1875年メートル条約が締結された。

   むかし古代アレクサンドリアの学者エラトステネスは太陽の角度から地球の大きさを推定した。彼の計算では、

5000スタディオン×(360度÷7度12分)=2500000スタディオン。

   1スタディウスは178mと推定されているので、44500㎞になる。本当の地球の全周は4万キロなので1割程大きいだけである。エラトステネスは実測困難な対象も、幾何学の応用で、地球の近似値を測定したのである。

   ところで地球一周、つまり赤道の全周は約4万キロだが、もっと正確な数値はあるのだろうか。かつての地理の参考書には、赤道の全周40076、5938㎞という数字が載せられていた。これはヘイフォード楕円体で推計した地球恒数のひとつである。アメリカの測地学者ジョン・フィルモア・ヘイフォード(1868-1925)が1909年に提案した準拠楕円体で、1924年にスペイン・マドリードで開かれた国際測地学・地球物理学連合総会によって世界的に認められた。現在は赤道の周囲は40075.017㎞とされている。( keyword;Eratosthenes,Alexandria,Syena,metre,Lavoisier 、4月11日)

2018年3月20日 (火)

ニュートンとリンゴの木

Photo_3   もっとも偉大な物理学者と称えられるアイザック・ニュートン(1642-1727)は1727年のこの日、死去した。ニュートンが万有引力を発見したのは、死の直前の1726年ごろと思われるが、リンゴの落下から重力を発見したという話は本当であろうか。

   この有名な逸話は1665年に起こったとされる。ニュートンはケンブリッジ大学を卒業したが、疫病の流行によって大学が閉鎖され、故郷のイングランドのウールズソープに戻った。このときリンゴの実が落ちることがきっかけで重力の法則につながる理論を思いついたと友人の古代研究家ウィリアム・ステュークリー(1687-1765)に語ったとされる。時は1726年4月15日のことで、場所はロンドンのケンジントンのニュートン家のリンゴの木の下である。リンゴの逸話の伝聞の主であるステュークリーは牧師で医師でもあったが、地震学からストーンヘンジの研究、考古学に至るまで広い分野の学者であった。逸話の真偽の程は明らかではないが、生涯独身だったニュートンと45歳年下のステュークリーとはどのような関係だったのだろうか。(Isaac Newton、3月20日)

2018年3月10日 (土)

サボテンの語源

   3月10日は「サボテンの日」。 サボテンが日本に最初に渡来したのは長崎港へ出入していたオランダ船がもたらしたものと考えられる。1709年刊行の「大和本草」に記載があるから、それ以前の渡来である。サボテンはポルトガル語のシャボンsabaoから出た名といわれ、サボテンの茎節を切ると出る粘質 の樹液で油などの汚れがよくおちるところから、石鹸として使われたことに由来する。

  アメリカ南西部やメキシコ北部の砂漠地方に自生する高さ10m以上の巨大サボテンを「サグアロ」という。現地語で「人型サボテン」という意味である。

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