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2018年4月27日 (金)

モールス信号

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 サミュエル・モールスは電信機とモールス符号の発明者。1791年4月27日、マサチューセッツ州チャールズタウン(現ボストン)に生まれる。初め画家になることをめざしていたが、欧州旅行の帰国の船内でたまたまC.T.ジャクソン博士と一緒になり、博士の暇つぶしに電気や電信の実験談を聞かされる。電気は当時最大の謎の一つだった。その魅力はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に描かれている。怪物に生命を吹き込むのに用いられたのは、電気である。モールスは若いころから電気への興味を持っていた。そのときモールスは、電気信号が瞬間的に回路を巡ることに気がついた。1835年にモールスは最初の電信機を発明する。彼の電信機は、幕末に来航したペリーによって幕府に献上されている。(keyword;Samuel Finley Breese Morse,Charlestown,Boston,eponym )

2018年4月11日 (水)

地球一周は4万キロ

Eratosthenesmap   本日はメートル法公布記念日。フランス語「メートル」(metro)は古代ギリシア語「メトロール」(ものさし、測ることの意)からの造語である。もともと子午線上の北極から赤道までを1万キロと決めて、1000万分の1の長さが1メートルとなった。1791年にラヴォアジエなど学者らが検討し、1791年フランス科学アカデミーで決められたが、「メートル」はすぐには普及しなかった。1837年にメートル法以外の単位使用を禁じ、1875年メートル条約が締結された。

   むかし古代アレクサンドリアの学者エラトステネスは太陽の角度から地球の大きさを推定した。彼の計算では、

5000スタディオン×(360度÷7度12分)=2500000スタディオン。

   1スタディウスは178mと推定されているので、44500㎞になる。本当の地球の全周は4万キロなので1割程大きいだけである。エラトステネスは実測困難な対象も、幾何学の応用で、地球の近似値を測定したのである。

   ところで地球一周、つまり赤道の全周は約4万キロだが、もっと正確な数値はあるのだろうか。かつての地理の参考書には、赤道の全周40076、5938㎞という数字が載せられていた。これはヘイフォード楕円体で推計した地球恒数のひとつである。アメリカの測地学者ジョン・フィルモア・ヘイフォード(1868-1925)が1909年に提案した準拠楕円体で、1924年にスペイン・マドリードで開かれた国際測地学・地球物理学連合総会によって世界的に認められた。現在は赤道の周囲は40075.017㎞とされている。( keyword;Eratosthenes,Alexandria,Syena,metre,Lavoisier 、4月11日)

2018年3月20日 (火)

ニュートンとリンゴの木

Photo_3   もっとも偉大な物理学者と称えられるアイザック・ニュートン(1642-1727)は1727年のこの日、死去した。ニュートンが万有引力を発見したのは、死の直前の1726年ごろと思われるが、リンゴの落下から重力を発見したという話は本当であろうか。

   この有名な逸話は1665年に起こったとされる。ニュートンはケンブリッジ大学を卒業したが、疫病の流行によって大学が閉鎖され、故郷のイングランドのウールズソープに戻った。このときリンゴの実が落ちることがきっかけで重力の法則につながる理論を思いついたと友人の古代研究家ウィリアム・ステュークリー(1687-1765)に語ったとされる。時は1726年4月15日のことで、場所はロンドンのケンジントンのニュートン家のリンゴの木の下である。リンゴの逸話の伝聞の主であるステュークリーは牧師で医師でもあったが、地震学からストーンヘンジの研究、考古学に至るまで広い分野の学者であった。逸話の真偽の程は明らかではないが、生涯独身だったニュートンと45歳年下のステュークリーとはどのような関係だったのだろうか。(Isaac Newton、3月20日)

2018年3月10日 (土)

サボテンの語源

   3月10日は「サボテンの日」。 サボテンが日本に最初に渡来したのは長崎港へ出入していたオランダ船がもたらしたものと考えられる。1709年刊行の「大和本草」に記載があるから、それ以前の渡来である。サボテンはポルトガル語のシャボンsabaoから出た名といわれ、サボテンの茎節を切ると出る粘質 の樹液で油などの汚れがよくおちるところから、石鹸として使われたことに由来する。

  アメリカ南西部やメキシコ北部の砂漠地方に自生する高さ10m以上の巨大サボテンを「サグアロ」という。現地語で「人型サボテン」という意味である。

2018年2月18日 (日)

地球外生命体はホントにいるのか?

Photo_3   英科学誌ネイチャーで、土星の衛星の1つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在するという研究結果が発表された。またNASAは2013年3月12日キュリオシティーが採取した火星の岩のサンプルを解析した結果、かつて火星には生命に適した環境があったと発表した。2010年から世界11ヵ国の天文台や大学などの機関が地球外知的生命体探査「ドロシー計画」を実施している。

    イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は天の川銀河(当時の全宇宙)の星を観測して、太陽系は銀河系のほぼ中心に位置すると考えた。そして音楽家でもあったハーシェルは太陽系の惑星の配列と音楽理論とを結びつけ、すべての惑星には生命はもちろん文明が存在すると考えていた。1880年頃、イタリアで火星図がつくられた。このとき、直線状の模様「すじ」が描かれ、「すじ」は、イタリア語で「カナリ(canali)」といい、これがフランス語に訳されるとき「canal(運河)」となって伝わった。そして運河のような構造物をつくることができる文明があったとされ、「火星に知的生命がいる」という考えが広まった。そのころH・G・ウェルズが火星人が地球を攻めてくるという「宇宙戦争」(1898)が発表されて、宇宙人というとタコのような生物というイメージができた。ここ10年で地球と同じような環境の惑星は10個も発見されている。いまや地球外生命体がいる可能性や確率は100%だとする宇宙学者もいる。

    1781年、ハーシェルは天王星を発見した。1846年にはフランスのユルバン・ルヴェリエ(1811-1877)とイギリスのジョン・クーチ・アダムズ(18119-1892)が海王星を発見した。太陽系のうち最も遠くにある冥王星は2006年に惑星からはずされたが、パーシバル・ローウェルの遺志を受け継いだクライド・トンボー(1906-1997)が1930年2月18日に発見した。(William Herschel,Urbain Verrier,John Couch Adams,Clyde Tombaugh,Mars,Urnus,Neptune,Pluto)

2018年2月 1日 (木)

世界発明・発見の歴史年表

Ff2a5484    快適な生活を享受している現代人も、元々は先人が発明したものばかりで暮らしている。人類最初の道具は「棒切れ」と言われる。 ただし棒は腐って遺物としては残ることはない。アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、猿人が使っていたと思われるハンマーのような道具が人類史上最古と見られる。

紀元前5000頃 メソポタミア南部シュメールで主要な農耕技術が発達し、定住が進んで都市が生まれる
前3700頃 エジプト、メソポタミアにて銅器使用
前3200頃 シュメールにて文字が生まれる
前3000頃 エジプトにて運搬用に動物力の利用始まる
前2800頃 エジプト、中国にて青銅器の使用
前2500頃 エジプトにてパピルス使用、メソポタミアにてガラス製品つくられる
前1400頃 インド、小アジアにて鉄器の使用
前600頃 ペルシアにて風車が利用される
前600頃 インドの外科医ススルタ、造鼻術をおこなう
前300頃 ローマにてコンクリートとセメントの技術が生まれる
前250頃 クテスィビオス、アレキサンドリアにて水時計を作製
前102頃 ヘロン、気力球を発明

後105頃 蔡倫、製紙術を発明
132年 張衡、地震計を発明
230年 中国魏の華佗、麻酔術をおこなう
673年 アラビア人とのコンスタンティノープル攻防戦にて、ビザンツ人が「ギリシア火」を発明  砂時計は8世紀頃、フランスのリウトプランドが発明した。

1202年、イタリアの数学者フィボナッチが「算術の書」で「0」を紹介。

1206年、アラブ人の博学者アル・ジャザリー、クランクシャフトとカムシャフト、吸い上げポンプを考案

14世紀
1302年、イタリアのジャオ、航海用コンパスを製作
1377年 フランスの南部の都市モンペリエ医学校で人体解剖合法化

15世紀
1498年 イタリアのフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局製法はじまる(世界最初の薬局店)

16世紀
1500年カブラル、ブラジルを発見。1531年コペルニクス、地動説を発表。鉛筆は1565年、コンラート・ゲスナーが自家製鉛筆を使用していた。1572年ヘルモント、二酸化炭素を発見。1582年ローマ教皇グレゴリウス13世、暦法改正。1589年ガリレイ、落体の法則を発見。1590年ヤンセン、顕微鏡を発明。1599年オランダのシモン・ステファンが風力で走る帆走車を発明。

17世紀
1605年、ストラスブールでヨハン・カロルスは新聞を創刊した。1608年、オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルスハイが望遠鏡を発明。1610年ガリレオは木星を回る4つの衛星を観察。1612年医師サントリーオ・サントリーオが体温計を考案した。1623年イタリアのガスパロ・アセリ、乳摩管を発見。1628年ハーべイ、血液循環の原理を発見。1643年トリチェリー、真空を発見。1650年ヴァレニウス、初めて黒潮について記す。1655年ホイへンスが土星の衛星タイタンを発見。1656年クリスチャン・ホイヘンスが振り子時計を発明。1669年ニュートン、微積分法の発明。1673年レーウェンフック、赤血球を発見。1678年ホイヘンス、光の波動説。1687年ニュートンが万有引力を発見。

18世紀
1705年ハレーがハレー彗星の周期を発見。ピアノはイタリア人のバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが1709年に発明。1735年リンネが動植物の分類法を発表。1750年フランクリン、避雷針の発明。1757年キャンブベルが六分儀を発明。1776年、アメリカのディヴィッド・ブッシュネルが最初の潜水艦を考案し、タートル号を建造。アメリカ独立戦争でイギリス軍艦イーグル号を攻撃したが、成功しなかった。1779年クロンプトンが紡織機「ミュール機」を発明。1785年カートライトが力織機を発明。1796年エドワード・ジェンナー、牛痘による天然痘予防法に成功。

19世紀
1803年イギリスのトレヴィシックが蒸気車を発明。1808年イギリスのデービーがアーク灯を発明。1810年ドイツの靴職人バルタザール・クレムスがミシンを発明。1810年イギリスのピーター・デュランドが缶詰を発明。1812年、ドイツのフリードリッヒ・モースが「モースの硬度計」を考案。1814年イギリスのスティーヴンソンが蒸気機関車を製作。1817年、ドイツのカール・フォン・ドライスによって木製の人力二輪車ドライジーネ(自転車の原型)が製作された。1821年イギリスのヘンリー・ベルが蒸気船「アーロン・マンビー号」を作製。1821年ドイツのブッシュマンがAURA(オーラ)というハーモニカの原型を試作した。1829年フランスの縫製職人バルテミー・ティモニエがミシンを発明。1835年、電灯の実験が、ジェームズ・ボウマン・リンゼイにより成功。1839年アメリカのチャールズ・グッドイヤーがエボナイトを発明。1843年フランスのルシアン・バイディがアネロイド気圧計を発明。1846年ヨハン・ガレが海王星を発見。1855年ヘンリー・ベッセマー、鋼鉄の大量生産始まる(特許)。1858年ハイマン・リップマンが消しゴムつき鉛筆の特許を取得。1860年トーマス・アダムスがチューインガムを発明。1860年フランスの博物学者アンリ・ムオがアンコールワットを発見。1862年ルイ・パスツールとクロード・ベルナールが低温殺菌法を開発。1865年メンデルが遺伝の法則を発見。1867年ノーベル、ダイナマイトを発明。1868年アイヴス・マガフィーが真空掃除機を発明。1870年ジョン・ウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明。1873年ショールズがタイプライターを発明。1878年デーヴィッド・ヒューズはマイクロフォンを発明した。1876年ジェン・ジェームズ・立夏ード・マクラウドはインスリンを発見。1877年エジソンが蓄音器を発明。1869年スイスのフリードリッヒ・ミーシャ―が膿のリンパ球から核酸を発見。1878年ジョゼフ・スワンはエジソンより1年早く、白熱電球を発明。1881年アメリカのアルモン・グランガーが消火器を発明した。1885年カール・ベンツ、ガソリンエンジンで走る三輪自動車を作製。1886年ジョン・ペンバートンはコカ・コーラを発明。電池はアレッサンドロ・ボルタがボルタの電堆を発明し、乾電池はカール・ガスナーが1887年に発明した。懐中電灯はコンラッド・ヒューバードが1899年に商品化した。1890年、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法を発見。

20世紀
   1901年、ジレットは安全剃刀を発明。1902年、マリー・キュリー夫妻、ラジウム抽出。ウィリス・キャリアはエアコンの理論を樹立。1903年、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功。1904年、アメリカのルーベルが紙へのオフセット印刷機を発明。1909年レオ・ベークランドが合成樹脂ベークライトの工業化に成功。1911年、ビンガムはマチュピチュ発見。1915年、早川徳次はシャープペンシルを発明。1920年DNA、RNAを発見。1920年アメリカでラジオ放送開始される。1921年カナダの整形外科医フレデリック・バンティングと医学生チャールズ・ベストが研究室でインスリンの抽出に成功した。1923年、スペインのファン・デ・ラ・シエルバがオートジャイロを発明。1924年、レイモンド・ダートが南アフリカでアウストラロピテクスの化石を発見。1924年、米キンバリー・クラーク社からクリネックス・ティシュー発売される。1924年、アルベール・カルメットが結核予防にBCG接種を提唱。1925年、イギリスのジョン・ロージー・ベアードがテレビ実験に成功。1926年、アメリカのロバート・ハッチンス・ゴダードが世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功。1926年、石井茂吉は写真植字機を発明。1928年、イギリスのフレミングがアオカビからペニシリンを発見。1932年、T型フォードの発売。1935年カローザース、ナイロンを発明。1938年、蛍光灯、アメリカで実用化。1942年アメリカのフェルミらがシカゴ大学で原子炉の核実験に成功。1943年ハンガリーでボールペンを開発。1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが自閉症を報告。1944年セルマン・ワックスマンがストレプトマイシンを発見。1946年、アメリカで世界初のコンピュータである電子計算機ENIAC(エニアック)が発明される。1948年、インスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売。1948年、米ベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンがトランジスターを発明。1949年バーナード・シルバーとノーマン・ジョセフ・ウッドランドがバーコードを発明。1949年アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発。1952年、アメリカのダウケミカル社がサランラップを販売。1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見。1957年、樫尾製作所が電卓の元祖ともいわれる計算機を開発した(価格48万5000円)。1959年、リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷でジンジャントロプス・ボイセイ(アウストラロピテクス・ロブストゥス)を発見。1963年カセットテープ、オランダで開発。1964年、ピーター・ヒッグス、フランソワ・アングレールがヒッグス粒子を発見。1968年、大塚食品がレトルトカレー「ボンカレー」を発売。1968年、ダグラス・エンゲルバートがコンピュータのマウスを発明する。1971年、レイ・トムリンソンが電子メールを発明。1978年、日本語ワープロ東芝JW-10(価格630万円)を発売。1981年スペースシャルト・コロンビア号が時速2675kmを記録。1990年、初のWorld Wide Webのシステムが稼働。

21世紀
2001年、世界中で無料オンライン百科事典「ウィキペディア」が公開される。
2005年、動画投稿サイトはじまる。
2006年、ツィッターの一番最初の「つぶやき」。

参考資料
世界の発明発見歴史百科 テリー・プレヴァートン著 原書房 2015年

2018年1月20日 (土)

アーケオテクトニクス時代

   地質構造発達史は、古い順にアーケオテクトニクス時代、パレオテクトニクス時代、メソテクトニクス時代、ネオテクトニクス時代に区分されている。日本で、化石によってわかっている最古の地層は、旧古生代のシルル紀中期のもので4億2000万年より前のころである。

  しかし北上山地ではこの地層よりも古いといわれる花崗岩体がある。また、西南日本外側の紀州・四国・南九州などでは、ある細長い構造体の中にシルル系と共に分布し、シルル紀以前ら変成したと判断される高度変成岩類がある。しかしウェブで「アーケオテクトニクス」と検索してもほとんどヒットしないことから、現在の地学用語で使用されているかどうか疑問である。 Archeotectonics

2018年1月17日 (水)

天災は忘れたころにやってくる

   阪神・淡路大震災23年で追悼の集い。日本列島は地震活動期に入っており、毎日のように地震速報がだされている。東大地震研究所が「震災をきっかけに首都圏では地震活動が活発化してM7級直下地震が4年以内に70%の確率で来る」と発表した。東大地震研究所は大正14年、東京帝国大学付属地震研究所が設立された。初代所長は末広恭二(1877-1932)、2代目所長は石本巳四雄(1893-1940)。地震研究所の設立には寺田寅彦(1878-1935)も大きく協力していたようだ。正面玄関の壁には寺田による碑文が今も掲げられている。

   明治24年濃尾地震の災害に鑑みて震災予防調査会が設立され、我邦における地震学の研究が漸く其緒に就いた。大正12年帝都並びに関東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震学の基礎的研究の必要を啓示するものであった。この天啓に促されて設置されたのが当東京帝国大学付属地震研究所である。(中略)本所永遠の使命とする所は地震に関する諸現象の科学的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の予防並びに軽減方策の探求である。この使命こそは本所の門に出入りする者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。

   有名な警句「天災は忘れたころにやってくる」は寺田寅彦全集をはじめ彼の著作物からその出所を明らかにすることはできない。だがこの言葉が寺田が地震研究所にいたころ生まれたのではないだろうか。だれかれということなく、寺田の考えを要約した警句として流布していった。英語の諺にもあるらしい。

Natural disasters comes when we've forgorten all about then.

    寺田寅彦は明治11年11月28日、寺田利正・亀の長男として東京で生まれた。明治14年、郷里の高知に転居。明治30年、熊本第五高等学校の学生だった寅彦は両親のすすめで、阪井重季の娘・阪井夏子(1883-1902)と結婚する。夏子は少女時代から目立つ美人で、松山に住んでいた頃、松山の中学生だった安倍能成(1883-1966)が憧れていたといわれる。目が大きく、「お夏さんの目が光るからランプはいらぬ」と親族の子どもから言われた。だが寅彦と夏子の幼い夫婦は熊本と高知と離れ離れの新婚であった。

    明治31年1月17日の寅彦の日記には次のようにある。「夏子より手紙きたる。先日、送りやりし泰西婦女亀鑑の礼や、夏の休暇の待たるる事やしたためたる末に、近来川田兄のしきりに伉儷を詮索される旨も書き添えたり」とある。伉儷(こうれい)とは夫婦の意。つまり寺田寅彦夫婦は両家公認ながら内密なものであった。その理由は、父親同士が陸軍仲間で夏子は不倫の子であり、祖母に育てられた夏子を幸せにしてあげたいという周囲のおもいやりからでたものという。寅彦の欠落した日記は結婚の経緯を秘密にしておくためだったと朝日新聞は推測している。明治32年東京帝国大学に入学した寅彦は夏子と東京での同居が始まり暮らし、明治34年に長女貞子も生まれるが、翌年の秋、僅か19歳で夏子は肺結核で亡くなる。(参考:牧村健一郎「愛の旅人・ハンカチ振る浜辺の妻」朝日新聞2008.1.12,寺田寅彦「天災と国防」)

2017年11月16日 (木)

校正ミス

日本学術協力財団の「地球温暖化にどのように対処すべきか」1997年11月に日本学術会議(東京都港区)で開催された講演記録集。第6の講演が小川直宏の「人工面から見た地球温暖化対策」。「人工」は「人口」の誤りである。学術誌にしてはあまりにも初歩的な校正ミスである。

2017年9月10日 (日)

熊川良太郎と「青年日本号」

Photo_3 左から熊川良太郎、栗村盛孝

    1903年、アメリカのライト兄弟がガソリンエンジン飛行機で本格的飛行に成功して以来、フランス、ドイツ、イギリスでも新しい飛行機が試作された。わが国は1891年、二宮忠八が模型動力飛行機の試作に成功したが、欧米に著しく遅れをとっていた。1910年12月14日、代々木練兵場で日野熊蔵が60mの初飛行に成功、しかしこの記録は抹消され、12月19日の徳川好敏の飛行をもって「日本の初飛行の日」となった。しかしこれは外国から輸入した飛行機で飛行に成功したので、国産機で最初に成功したのは、1911年の奈良原三次の鳳号で、70mの飛行に成功した。昭和になって国が航空技術の発展に力を入れはじめ、1930年ごろになって、純国産機も出現するようになった。1931年5月から8月にかけて、法政大学航空部の熊川良太郎と栗村盛孝は「青年日本号」で羽田からローマのリットリオ飛行場までの飛行に成功した。熊川良太郎の著書「征空一萬三千秤」が1933年刊行された。なおこの本は南洋一郎がゴーストライターであることが判明している。

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