図書館員・関位太郎の死
「蟹工船」の小林多喜二(1903-1933)の名前は知っている人は多いが、同時期に「戦旗」などで活動していた図書館員の関位太郎(1905-1938)の名前を知る人は少ない。関位太郎は明治38年9月27日、関位平太郎の子として北海道に生まれた。大正11年札幌第一中学校の在学中、左翼運動に参加し、北大予科を軍事教育反対運動に努力し放校される。大正15年9月、府立図書館に書紀兼司書として採用される。この頃より無産階級解放運動に接近する。関位太郎、永島房雄、駒林菊松らは日刊新聞に反資本主義的な短歌などを載せる。昭和2年には日本プロレタリア芸術連盟の演劇の北海道の興行に尽力する。この頃、関位は小林多喜二とも交流を深める。小林と共にナップ(全二本無産者芸術連盟)北海道地方協議会を主宰する。関位はにわかに強まった文化運動への弾圧の中で、地下に潜ることを余儀なくされたが、昭和13年4月、突如、逮捕され札幌署に拘留中、容態急変し入院、窄孔性腹膜炎で5月17日、死んだことになっている。真相は闇に包まれているが、特高の拷問によって虐殺された可能性が強い。機関誌「戦旗」は小林多喜二、徳永直、三好十郎らの有力な新人が続々登場したが、関口が変名を用いたと考えられるので著作は特定できない。(秋田雨雀からもらったとされる「鷹栖林之介」というペンネームを一時期使用したとされる)当時の関係者たちもアカと聞くと口を閉ざしているので、詳細は闇に消えてしまった。(参考文献:梅澤幸平「忘れられた図書館員・関位太郎」みんなの図書館1985.8)












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