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2026年7月 2日 (木)

見付小学校

 明治になって本格的な洋風建築が見られるようになった。官庁や大規模な建築は、外国人技術者の設計になるものが多いが、小学校や個人住宅などは、日本人技術者が担当したものも少なくない。それらのほとんどは現在その姿を消してしまったが、さいわいにしていくつかの建物が保存されていて、その面影をしのぶことができる。東海道五十三次の28番目の宿場「見附」。静岡県磐田市にある旧見付小学校は、明治8年に建てられた日本最古の小学校校舎で国の史跡に指定されている。明治16年に3階部分を増築し、5階の建物となる。現在は教育資料館として教育関係の資料を展示している。設計は名古屋の堂宮大工、伊藤平左衛門でその肖像は国立国会図書館の「近代日本人の肖像」でみることができる。代表作は旧愛知県庁舎、旧三重県庁舎、東本願寺御影堂などがある。

2026年5月20日 (水)

米沢市の大火

 大正6年のこの日、山形県米沢市で大火が発生した。午前10時30分、米沢市の代官町から出火し、北西の強風に煽られて大火災となり、市街地はほとんど焼失した。死者11名、罹災者10,464名、焼失3,325棟の被害を出し、午後4時30分頃に鎮火した。その後、大正8年にも大火があり、現在見られる伝統様式の町並みは、大火後の大正期から昭和初期につくられたものである。したがって近世の直江兼続が作った城下町の遺構はあまり残っていない。江戸から明治前期までは、山形市より米沢市のほうが人口は多かったが、大正期の2度の大火で米沢市の人口が減少した。

参考文献
米澤市火災後の新家屋 建築雑誌368  1917年8月 

 

2026年5月 1日 (金)

宇和島城

 宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎の手によって築かれた近世城郭である。現在、見られる天守などの建築は宇和島伊達家によるものである。慶長19年に伊達秀宗が入封、以後仙台伊達家の別家として仙台伊達家が9代に渡り幕末まで城主となる。秀宗は城の改修を幕府に願い出て、寛文2年から天守を築き始めた。三重三層の美しい姿から「鶴島城」とも呼ばれて、江戸時代から残っている全国に12しかない現存する天守である。

 

2025年12月23日 (火)

東京タワーの名付け親は11歳の女の子だった

Photo_3   1958年のこの日、東京タワーが完成し、完工式が行われた。東京タワーの正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。愛称は1958年10月9日に開かれた審査会で決定した。86,269通の応募のうち、一番多かった愛称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。審査委員のひとり徳川夢声が「ピタリと表しているのは東京タワーを置いて他にありませんな」と推挙し、その結果「東京タワー」に決定した。「東京タワー」と応募した223通のうち、抽選で当選した神奈川県の小学5年生、高田幸子さんに賞金10万円が贈られた。(12月23日)

2025年6月13日 (金)

日本名城めぐりの旅

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   日本の城は、古記録に残る城を含めると、その数3万余りあるともいわれる。慶長20年6月13日(陽暦1615年8月7日)、江戸幕府は一国一城令を布告した。数日のうちに約400の城が壊された。これによって安土桃山時代に3000近くもあった城郭が約170ほどに激減した。また、武家諸法度という法令によって、新築はもちろん櫓や石垣の改築にすら厳しい規制がかかり、城に手が入ることは少なくなった。

   城を地形で区分けすると、山城、水城、平山城、平城と区別される。現在、天守閣、櫓、城門、石垣などが揃っている城となると、数百にすぎない。城郭を中心に家臣団の屋敷と町家が集中し、城下町として発達し、明治以降は近代都市が形成された。

   世界遺産の姫路城の大天守保存修理が全て完了し、一般公開が始まった。あまりにも白すぎて綺麗に見えないというのが正直な感想である。色が落ち着くまで数年はかかりそうだ。おもな名城を北からあげると、五稜郭、松前城、弘前城、盛岡城、仙台城、山形城、会津若松城、松本城、小諸城、岐阜城、犬山城、小谷城、安土城、彦根城、二条城、名古屋城、大坂城、明石城、赤穂城、篠山城、和歌山城、岡山城、広島城、高松城、高知城、松山城、宇和島城、鳥取城、小倉城、熊本城、人吉城、鹿児島城、今帰仁城、中城城、首里城。いつか全国城めぐりの旅をしたいものである。

 

 

2025年5月17日 (土)

琵琶湖疏水と田辺朔郎

Tanabe 琵琶湖の水を京都に運ぶ「琵琶湖疏水」が国宝に指定される。最近、ダム・橋梁・トンネル・閘門・港など近代土木遺産の技術と美が注目されている。琵琶湖疏水は滋賀県大津市観音寺から京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疎水」、第1疎水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmの「第2疎水」、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3km「疎水分線」などから成ります。大津市から京都市蹴上まで続く運河は明治23年に完成ましたが、現在も利用されています。

  田辺朔郎(たなべさくお 1861-1944)は、文久元年、洋式砲術家田辺孫次郎の長男として、江戸に生まれた。工部大学校(東大)を卒業するとともに琵琶湖疏水工事を担当した。これは当時、東京遷都で、経済が衰退した京都を復興させようとする京都府知事・北垣國道(1836-1916)の構想があった。田辺の実地踏査と測量に基づく卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」が、採用されるという大抜擢であった。明治18年に起工するが、機材は乏しく、人員にも事欠く始末。しかも、工事自体がオランダ人技師デ・レーケが「技術的・財政的に無理」と断じた難工事だった。第一疏水の大津市三井寺~京都市蹴上間には全長2436mの長等山トンネルなど、3つのトンネルを掘らねばならず、困難を極めた。工事費も国家予算の1.8倍という巨額で、市民の反対の声も上がった。しかし、田辺らは挫けることなく、トンネルを日本の竪坑方式で掘削し、当初の計画を変更して水力発電を導入するなど、未知の領域に踏み込んで、次々と新しい試みに挑戦した。その結果、明治23年、西欧諸国が驚嘆する疏水を造り上げた。完成後、ここから供給された電力が、京都の日本初の路面電車の動力源となるなど、古都の近代化を支えた。現在、若王子橋から銀閣寺橋までの疏水べりは哲学の道と呼ばれる散策コースとして人気スポットである。

 

          *

 

春日さす疎水の水の諸子魚かな 

                                河東碧梧桐

 

垣に残る夕顔の雨意疎水べり      

                            野澤節子

2025年5月 7日 (水)

幸福の700メートル

    朝鮮半島の地形の特徴は75%が山地である。700メートル以上の高峻な山地に富む高山性山地である。それに比べて日本列島は、国土の80パーセントは山地であるものの、中央アルプス以外は高峻な山地は韓国に比べ少なく、高くても標高300メートルくらいの山地である。日本人は大部分は海に近い平野に住むのに比べ、韓国では山地にもかなりの人々が住む習慣がある。水稲耕作の弥生人の時代からの遺伝子が日本人にはあるのだろう。東京、大阪、名古屋、横浜、神戸、福岡、鹿児島、仙台ほとんどの政治的、経済的中心の都市は海岸に面している。ところが韓国では内陸部にも政治的、経済的都市がある。アメリカやフランスでも内陸部に中心都市がある。このことは異常気象の続く現代たいへん危険なことである。100年後の海面上昇は日本で平均9~19cm程度の上昇が予測される。海域によっては30cm近くも上昇するところがある。関東の東で27cm、関東の南で20cm上昇すると予測されている。図書館とかアーカイブスとか水に大変弱い施設にもかかわらず海に近い立地をえらぶ行政政策には首をかしげたくなる。私の以前勤務していた図書館も旧防潮堤の際である。裏庭にはむかしの海岸のなごりの松がそのままある。沈砂地といって地盤も脆弱である。大洪水など付近の地面はコンクリートで固められているので水浸する恐れは十分にある。それも一階部分には集密書架が備えられている。せめて自分で私設文庫を建設するときは高地に建設しようと思い、甲山(標高309m)の山麓を選んだ。お山のてっぺんにあるわけではなく、市街地なので精々標高40メートルのところである。漁業を職業とするのでないなら、なるべく高地に住むことをオススメする。「幸せの700メートル」と呼んでいる。松本市が600m、諏訪湖が800m、軽井沢が700mである。大気汚染の影響が少なく、空気もきれいで、動物・植物が最も快適に暮らすことができる。

 

 

2025年4月28日 (月)

アルハンブラ宮殿

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Dscn0046   スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿。711年のこの日、イスラム教徒のムーア人が、ジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に侵入し、アルハンブラの丘を占領し定住した。創建当時、軍事要塞アルカサーバだけが建てられていた(現在、宮殿の最も西の部分)。アルハンブラ宮殿が完成したのは、13世紀ナスル朝グラナダ王国ムハンマド1世(在位1232-1273)の時代で、ムハンマド7世(在位1392-1408)のとき漸く全体が完成した。したがってアルハンブラ宮殿は13~14世紀にかけて造営された城郭宮殿であると共に、グラナダ王国全盛時代の遺構でもある。アルハンブラとはアラビア語で「赤い城」を意味する。1377年頃の着工の獅子の中庭(パティオ)が有名である。12頭の獅子の口頭から泉水が流出する仕掛けになっている。天井やアーチは繊細な装飾模様(アラベスク)で覆われている。1492年1月2日、グラナダはついにキリスト教徒に攻略され、ナスル朝最後の王ボアブディル(1460-1527)は落城の途中、宮殿を振り返って惜別の涙を流したという。(Alhambra,Granada,Boabdil、4月28日)

2024年12月18日 (水)

東京駅開業(大正3年)

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  6年の歳月をかけた東京駅は、大正3年3月19日、完成し、その年の12月18日に完成式と開業が行われた。設計者は辰野金吾(画像 1854-1919)。鉄骨レンガ、石材造りの3階建て。ルネサンス調建造物として近代西洋建築の頂点を示している。 

931   100年以上の歴史ある東京駅だが、最大の事件といえば、大正10年に起きた原首相の暗殺事件であろう。原敬(1856-1921)は11月4日、中岡艮一により刺殺された。66歳。背後関係はいまだ不明である。

2023年4月11日 (火)

修道院モン・サン・ミッシェル

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   映画「ラストコンサート」がムービープラスで放送していた。フランスのノルマンディにある世界遺産モン・サン・ミッシェルが2人の出会いの舞台である。天国に向かって舞い上がる尖塔はお伽話の城のような建物で、フランスの観光地としてトップクラスの人気スポットである。しかし50年前までは海外からの観光客はまだ少なかった。モーパッサンは「レースのように繊細にカットされた、みごとなカメオ細工のごとき巨大な宝石」と評した。サン・マロ湾上に浮かぶ小島モン・サン・ミシェルに築かれた修道院。聖堂の高さは約150m。城郭は満潮時には海に浮かび、干潮時には陸地と繋がっている。この島は、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれていたが、先住民ケルト族の間に信じられている海の墓場であったことを示す。708年、アヴランシュ司教オベールが礼拝堂を建てたのが始まりである。966年にはノルマンディー公リシャール1世(在位942-996)がベネディクト会の修道院を建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。1000年近くの間、巡礼地となった。しかしフランス革命で修道院制度が廃止されたため、モン・サンミッシェルは監獄として使用されるようになる。モン・サン・ミシェルはいまだかつて一度も攻略されたことのない城砦といわれている。1254年にルイ9世が島全体を城砦化して、百年戦争、カルヴァン派の攻撃にも耐え守り抜いた堅固な城砦である。( keyword;Mont Saint Michel,Mont Tombe,RichardⅠ,duc de Normandie,Benediccti )

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