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2017年6月13日 (火)

有東木のワサビ

   NHK「鶴瓶の家族に乾杯」静岡市葵区有東木(うとうぎ)地区が紹介される。ここはワサビの発祥地として知られる。江戸時代に有東木地区に住む村人が野生のワサビを栽培したのが、ワサビ栽培普及の端緒と伝えられる。このワサビは駿府城で徳川家康に献じられ、その味が絶賛されたことやワサビの葉が徳川家家紋の「葵」に通じることから、幕府の庇護を受けることとなった。一方で門外不出の扱いとなり、その栽培技術を他地区に広げることは禁じられた。延享元年(1744年)、天城湯ヶ島で山守を務めていた板垣勘四郎(1686-1761)は三島代官の命によりシイタケ栽培の技術指導で有東木を訪れた。板垣はワサビの栽培を天城でも行いたいと懇願し、有東木の住民はシイタケの礼から禁を犯して板垣にワサビの苗を持たせた。この後、板垣の努力で伊豆天城でもワサビ栽培が普及することになる。

2017年4月13日 (木)

ポテトチップスが食べたい

Photo   「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、カルビーのポテトチップスで100円は買えません」

  40年も前のCMながら今でも100円で買える。ポテトチップスは庶民の味方だ。当時12歳だった藤谷美和子も今では54歳。病気らしく、徘徊癖があり野良猫にエサをやる姿が週刊誌に載っていた。そこにはかってのアイドル女優の面影はなく哀れさをさそう。わが国にカウチポテト族を普及させた功労者の1人といって過言ではないのだが。

  近所のスーパーではポテトチップスが無くなっている。昨年の生産地の台風の被害の影響がでてきた。種類がとても多いのも困る。カルビーの商品だけで20種類以上並んでいる。通年商品の「うすしお味」「コンソメパンチ」「のりしお」「しあわせバター」「しょうゆマヨ」など11種。最近は地域の味として「北海道バターしょうゆ味」「関東だししょうゆ味」など18種。ほかにも新製品が続々開発されている。カルビーは1949年、広島市で松尾糧食工業株式会社として設立、1964年「かっぱえびせん」がヒット商品となった。現在は丸の内に本社を持つ東証一部上場のスナック菓子の大手企業として成長した。1975年にカルビーポテトチップスが発売されてから42年になるが、ポテトチップスが消えたことはなかった。

2017年2月 8日 (水)

チビ太の大好物おでん

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 誰にでも好物はある。ドラえもんの好物といえばドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。若尾文子の好物はモンブランと大福餅。

  オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。

著名人の大好物を集める。

1129小沢昭一 蕎麦
忽那汐里 納豆
西郷隆盛 ウナギ
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ

2017年2月 3日 (金)

金富良(コンプラ)醤油瓶

    日本でいつ頃から醤油が食されるようになったかと言うと、醤油のルーツ「醤」(ししびしお)のたぐいが、縄文時代末頃からあったといわれ、縄文時代の遺跡からは、熟鮨(魚醤)の原型と思われるものが出土している。本格的に醤(ひしお)が作られるようになったのは、中国や朝鮮半島から製法が伝えられた大和朝廷時代の頃である。奈良時代に醤(ひしお)が生産されるが、これは調味料というよりは、そのまま、おかずとして「なめもの」の一種として食されていた。調味料として醤油が文献に現れるようになるのは室町時代である。

Photo     江戸時代1650年頃から、欧州に向けて長崎の出島からオランダ商人らによって醤油を波佐見焼の瓶に詰め、金富良(コンプラ)醤油の名で輸出されていた。宮廷や王室専用の調味料として貴重品に扱われ、フランスのルイ14世が宮廷料理に、肉料理の隠し味に醤油が用いられた。ディドロの「百科全書」(1772)にも醤油が記述されている。コンプラ醤油は底径7㎝、高さ15㎝、540mlで、JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ)と書かれている。オランダ人の耳には「しょうゆ」の音が、ソヤとかゾヤ(ZOYA)と聞こえたらしく、現在のオランダ・ハーグ文書館に残された日蘭貿易記録にも、醤油のことが記録されている。日本の醤油はオランダばかりでなく、幕末の頃、長崎に寄港していたロシアの船によって母国に持ち帰られていたらしく、明治39年、トルストイを訪問した徳富蘆花が、机の上に金富良醤油瓶に花が差してあるのを見た。トルストイがいつもこの瓶を一輪差しとして愛用していたことを知って、蘆花はいたく感激したものである。(Tolstoi,Diderot)

2017年1月 3日 (火)

おでん種ランキング

    おでんが食べたくなる季節。高浜虚子のおでん好きはよく知られる。「志 俳諧にあり おでん食ふ」。2016年「おでん種、大人が好きなランキング」の結果は第1位は「大根」だった。

Photo_4 1位 だいこん
2位 玉子
3位 ちくわ
4位 こんにゃく
5位 餅入り巾着
6位 はんぺん
7位 しらたき
8位 牛すじ串
9位 じゃがいも
10位 さつま揚げ

2016年12月31日 (土)

大晦日の餃子

   日本では大晦日の夜は年越しそばを食べるという習慣があるが、中国北方の北京では大晦日の晩に家族が集まって餃子をつくる。映画「妻への家路」(2014)にもそのようなシーンがある。ちなみに中国で餃子というば水餃子のこと。焼き餃子は「鍋貼(ゴーティエ)」と言う。年越しに餃子を食べるという習慣は明代のころから始まったといわれる。

2016年12月20日 (火)

のんべ安は作り話

  忘年会やクリスマスとお酒を飲む機会が多い季節である。中国には陶淵明、李白、杜甫、白楽天、蘇東坡などの詩人が飲酒を高らかに詠う伝統のようなものがあるので、偉人、文人は酒飲みという風潮がみえる。ところが西洋ではキリスト教の影響かあまり偉人が酒を好むという話は知らない。キリスト教とは無関係のシーザー、チンギス・ハーンも体質的に酒を好まなかったようだ。ナポレオンは高級ブランデーにその名がついていることから、さぞかし酒好きと思われるだろうが、実はあまり酒が飲めず、コーヒーを好んだといわれる。トランプ大統領もその過激な発言や行動から酒を好むタイプかと思いきや、実は全くお酒は飲まない。これは下戸というわけではなく、「飲まない主義」という方が正しいらしい。日本でも源義経、毛利元就、明智光秀、芭蕉らは下戸である。意外なところでは西郷隆盛、大久保利通、武市瑞山、近藤勇らもあまり酒は飲めなかったらしい。高田の馬場での決闘や吉良亭邸討入りで知られる堀部安兵衛は講談で「のんべ安」とされるが下戸である。「徳利の別れ」赤垣源蔵が大酒のみというのも作り話である。(8月24日)

2016年11月26日 (土)

おにぎりの歴史

Onigiri_01   おにぎりと思われる米粒の塊が弥生時代の遺跡から発見されている。おにぎりの直接の起源は平安時代の「頓食」(とんじき)という食べ物だと考えられている。この頃のおにぎりは楕円形のかなり大型で、使われているのは蒸したもち米であった。鎌倉時代の末期頃には、うるち米が使われるようになった。おにぎりに海苔が巻かれ、現在のような形になったのは、そんなに古いことではなく、江戸時代中期と言われている。加工された四角い板海苔が「浅草海苔」などの名称で一般に普及したのは元禄の頃である。海苔は、栄養が豊富でかつ、手にご飯がつかないという便利さも相まってむ、おにぎりに海苔を巻く習慣が定着した。今や国民食となった「おにぎり」だが、もっとも一番好まれる具は何か?ある調査によると、1位が鮭で、以下、ツナマヨ、梅干し、明太子、昆布、たらこ、おかか、と続く。一般的に高菜は人気がないが、新垣結衣、ガッキーの好物は意外にも高菜ということである。

2016年11月 1日 (火)

コーヒー、紅茶と日本人

   11月1日は「紅茶の日」。コーヒーと紅茶、日本に伝来したのは、どちらが先だろうか?答えは、ほぼ同じころだそうだ。

    コーヒーは世界で最も多くの国で飲用されている嗜好飲料である。喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ)は近代社会において人々が情報を得る場所として文化的にも大きな役割を果たしてきた。日本には天明年間(1781年~1788年)頃に、長崎の出島にオランダ人が持ち込んだといわれる。

   NHK「ひるブラ」(2012年2月1日放送)で、はしのえみが幕末の弘前藩士が飲んでいた珈琲を味わっていた。酸味と苦味がある。寒さなどで殉難が多かったので薬用として珈琲を飲んでいたという。大田南畝は1804年に珈琲を飲んだときのことを次のように記している。「紅毛船にてカウヒイというものをすすむ。豆を黒く炒りて粉にし白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪えず」とある。1855年ころ青森県弘前で珈琲が飲用されていたとは驚きである。

    紅茶は1791年11月1日、大黒屋光太夫がロシアのエカテリーナ2世から茶会に招かれ、日本人として初めて紅茶を飲んだとされる。日本紅茶協会は、昭和58年、この史実をもとに、11月1日を「紅茶の日」に制定している。

2016年10月29日 (土)

ボジョレー・ヌーボー

   ボジョレー・ヌーボーの解禁に向けて、3000本余りのボトルを積んだ航空便が29日朝、羽田空港に到着した。フランスのブルゴ―ニュ地区のブドウの収穫は、記録的な日照量に恵まれ、好ましい作柄という。今年の解禁日は11月17日午前0時。ボジョレー・ヌーボーの解禁日制度ができたのは1984年からで、日付変更線の関係で本国フランスより8時間も早く飲める日本ではこのころからボジョレー・ヌーボーの話題が盛んになった。(Beaujolais nouveau)

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