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2026年9月 7日 (月)

コックさんは、なぜ高い帽子を被っている?

113972ae64e   シェフの帽子はなんで高いのか?高さには実用面と象徴的な意味の両方がある。実用面では、厨房はオーブンやコンロで高温になりやすく、普通の帽子だと蒸れやすい。象徴・デザイン上の理由は、西洋料理の世界で「料理人の象徴」として発展した。こんな逸話がある。

 ある日、フランスの有名な宮廷料理人アントナン・カレーム(1784-1833)が背の高い山高帽の客を見て、同じような白く背の高い帽子を調理場で被るようになった。それが調理場で帽子を被るのがコックの間で流行し、白くて背の高い帽子は、コックのシンボルのようになったといわれる。カレームは政治家タレーランの料理人で、あのウィーン会議で有名になった人物。ゼリーやさまざまなお菓子を考案した。フランスではトックブランシェ toque blanche(白いコック帽)、イタリアではカッペッロ・ダ・シェフ cappello da chef(シェフの帽子)という。コック帽の高さは役職ごとに差があり、総料理長が最も高い。このカレームが広めたという以外にもう一つ説がある。フランス料理人オーギュスト・エスコフィエ(1846-1935)が背が低かったため、コック帽を高くして背を高く見せたといわれる。NHK「チコちゃんに叱られる」第9回ではエスコフィエ説を採用している。(Antonin Careme)

2026年8月30日 (日)

サラダが日本の一般家庭の食卓にあげられたのはいつ頃からか?

Photo_cabbage3   生野菜を主材料として、ドレッシングやマヨネーズなどであえた料理サラダsaladは現在の食卓に欠かせない一品となっているが、いつ頃からであろうか。1960年代、もちろんサラダは普及しているが、それはレストランや軽食にトースト、コーヒー、サラダと喫茶店やホテルで出るものであり、家庭の食卓をかざるものではなかった。新鮮なサラダを毎日食べるには冷蔵庫が必要である。そして鮮度が落ちない物流システムが確立される必要がある。

 シャンソン歌手の芦野宏のヒット曲に「フルーツサラダの歌」(1960年)がある。この頃から徐々にサラダに対する関心が高まっていった。中谷宇吉郎の「サラダの謎」(初出「あまカラ」1960年1月5日)がある。

私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトと、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい20代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう30年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひているようである

   中谷宇吉郎は1900年生まれであるが、サラダ好きの物理学者の一文をもって、日本人は戦後サラダをよく食べていたと即断してはいけない。むしろ中谷は少数派の日本人で、1900年前後の生まれの日本人はほとんどサラダは食べていなかったのではないだろうか。青空文庫で「サラダ」と検索しても、太宰治(1909年生まれ)の僅かの短編に「サラダ」の文字が見られるものの、きわめて稀にしか文学作品に現れることはない。小津安二郎「丸之内点景」(東京朝日新聞朝刊1933年4月21日)に「春の夜の、コンクリートの建物の並んだ、丸之内の裏通りのアスファルトの往来に、ふと、野菜サラダのにほひを感じたと芥川龍之介は書いている」とある。

「サラダ」を検索し書誌で調べると、

 

近代的サラダの作り方 附・ドレッシングの調合法 村松信太郎編 国際料理研究所出版部 1939年

 

サラダ 飯田深雪 雄鶏社 1957

 

おいしいサラダ縫え和種 榊叔子 婦人画報社 1958

 

   などきわめて少ない。おそらく小津安二郎の映画作品に見られる食卓にはサラダをみることはないだろう。一説には1964年の東京オリンピックが契機となったといわれるが、現在みられるような一般の家庭の食卓でサラダが普及するのは1970年代をまたねばならい。1973年のキューピーマヨネーズがCMで吉永小百合を起用し、サラダが健康と美容によいというイメージが広まっていった。

   では世界のサラダの歴史をみると、古くはローマ時代にさかのぼることができる。ローマの初代皇帝アウグストゥスは病気にかかった際、レタスを食べて一命をとりとめた、という逸話が残っている。サラダの出現は中世イギリスとフランスにみえる。14世紀末にイギリスのリチャード2世の料理長がサラット(ラテン語のsal(塩)から)という名で製法をしるしているが、それによるとパセリ、セージ、ニンニク、タマネギ、ハッカ、ウイキョウなどを洗ってこまかにさき、生のアブラとまぜ酢と塩をかけて食卓に供した。この時代は、香料植物を主材料にしていたらしいが、16世紀には野菜、17世紀には魚やエビ、鶏肉、18世紀には果物を加えた。一説によると、サラダの名称は、フランスで16世紀のころに用いられた半球状の兜のことをサラードSaladeと呼んでいたが、サラダをあえたり盛ったりするサラダ・ボールの形がそれに似ているところからつけられたといわれている。

2026年7月18日 (土)

「うなぎと梅干し」は本当に食べ合わせが悪いのか?

07_27_1r_2  夏バテの予防で「うなぎ」を食べる風習がある。とくに土用の丑の日にはウナギを食べる習慣がある。だが昔からウナギと梅干を一緒に食べると体に良くないと言い伝えられている。医学的な根拠はなく、あくまで迷信のたぐいである。いったい何故そのような迷信が生まれたのだろうか。一般的には、贅沢を戒めるためだろうと考えられるが、こうした「食い合わせ」は古代中国の陰陽五行にもとづくものという説がある。宇宙のすべては、木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行説があった。この5種類の元素は、人間の5つの内臓と、5つの味覚に結びつけられ、そこから「食禁(食べると害になるもの)」と「食宜(健康によい食べ物)」という考え方が生れた。この考え方は日本にも伝えられ、その後、食禁は「食い合わせ」として、貝原益軒の「養生訓」にも登場し、一般へ広まったといわれている。「スイカと天ぷら」「カニと柿」「ミカンとナツメ」「ギンナンとウナギ」などが紹介されている。しかし科学的にみて食品成分が化学反応して毒素になるということはなさそうだ。だが、食中毒の多い季節、消化のわるいものは十分に注意が必要である。現代の栄養学では、中華食堂定番の「ラーメンと焼飯」など炭水化物摂取量が増えるため「合食禁」の悪例といえる。 西洋では果物のイチゴとバナナがよくない食べ合わせと言われている。

 

 

2026年7月10日 (金)

江戸っ子と納豆

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 本日は納豆の日。よく煮た大豆を納豆菌で発酵させた食品が納豆である。納豆を入れた縄文土器が出土しており、日本人が古くから大豆を蛋白源として利用していたことがわかる。縄文人が何と呼んでいたか明らかではないが、後漢の中国では「豉(し)」と文献にある。平安朝の「和名抄」に「クキ」と見える。平安時代、寺院の納所(納屋)に置いていた豆が発酵して美味しかったので、売り出され、それが「納所の豆」と言われ納豆という語が生まれた。もともと納豆がよく食べるようになったのは山国である京都の人が最初であり、昔から納豆が作られ食されてきたが、江戸時代になって江戸で納豆が大流行した。早食いものが江戸っ子の気性に合っていたらしい。紀州田辺藩の原田某が書き記した随筆「江戸自慢」(安政年間成立か)の中で、「江戸に烏の鳴かぬ日はあれど、納豆売りの来ぬ日はなし」とある。このように江戸の町では、毎朝、夜明けと共に納豆売りが長屋の隅々までやってきたのである。納豆といえば水戸の名産が有名だが、意外と新しく明治になってからのことである。笹沼清左衛門が明治22年、天狗納豆を水戸駅で売り始め評判となった。(7月10日)

 

 

 

 

2026年6月18日 (木)

おにぎりの日

Onigiri_01  本日は「おにぎりの日」。「おにぎり」は英語で、rice ball。おにぎりと思われる米粒の塊が弥生時代の遺跡から発見されている。おにぎりの直接の起源は平安時代の「頓食」(とんじき)という食べ物だと考えられている。この頃のおにぎりは楕円形のかなり大型で、使われているのは蒸したもち米であった。鎌倉時代の末期頃には、うるち米が使われるようになった。おにぎりに海苔が巻かれ、現在のような形になったのは、そんなに古いことではなく、江戸時代中期と言われている。加工された四角い板海苔が「浅草海苔」などの名称で一般に普及したのは元禄の頃である。海苔は、栄養が豊富でかつ、手にご飯がつかないという便利さも相まってむ、おにぎりに海苔を巻く習慣が定着した。今や国民食となった「おにぎり」だが、もっとも一番好まれる具は何か?ある調査によると、1位が鮭で、以下、ツナマヨ、梅干し、明太子、昆布、たらこ、おかか、と続く。一般的に高菜は人気がないが、新垣結衣の好物は意外にも高菜ということである。(6月18日)

 

 

 

 

 

 

2026年6月 1日 (月)

チューインガムの日

Adamsgum   6月1日は「チューインガムの日」。この日になった理由は、平安時代の「歯固め」の風習にあります。
  ガムの製造・販売はアメリカ人のジョン・カーティス(1827-1897)で1848年のことで、パラフィンガムを発売した。昔から中部アメリカのネイティブ・アメリカンのマヤ族には、サポディラという木の皮に傷をつけてとった樹液のかたまり(チクル)を口でかむ風習があった。このチクルを原料として、香料などを加えたものがチューインガムである。このチューインガムは、1860年ごろ、アメリカ人トーマス・アダムス(1818-1905)によって初めて作られた。当初は、味をつけないままドラッグストアで販売していたが、後に甘味料を加えるなどして、加工したところ、売り上げが急増した。
その後、改良されたものが、1869年にジョン・コールガンによって、さらに1892年にはウィリアム・リグレー・ジュニア(1861-1932)によって製造され、世界的に販売された。( chewing gum,Sapodila,John B Curtis,chicle,Thomas Adams,Willam Wrigley Jr)6月1日

 

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 ジョン・カーティス

 

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ウィリアム・リグレー・ジュニア

2026年5月27日 (水)

餃子が耳の様な形をしている理由は?

A4omote_olcs3_ol   先日、宮部みゆき「火車」のテレビドラマを観ていたら、被害者の女性が宇都宮出身で刑事がそこを訪れ、餃子を食べるシーンがある。餃子は宇都宮の名物らしい。だが浜松も餃子の消費量は日本一で、宇都宮と浜松とは餃子のご当地グルメとしてPRしているのでライバル関係にある。だが歴史を調べるとそれほど古いものではない。1990年代から地元で日常的に食べられている食品を地域ブランドとして売り出す、ご当地グルメブームが起こってきた。ご当地グルメとは、戦後の高度成長期に産業の発展とともに労働者の胃袋を満たしたものを中心に現在も食文化として続いてきたものをいう。

 餃子が耳の様な形はしてるのは何故だろうか?それは中国の伝統医学と関りがある。後漢の医者・張仲景が村人が凍傷で悩んでいるため、耳の腫れを治そうと薬膳スープを考案したことによるものである。怯寒媽耳湯(きょうかんとうじとう)という今日の水餃子のようなスープである。この伝説から11月の冬至にはみんなで水餃子を食べるという習慣が中国にはある。

2026年5月15日 (金)

お子様ランチの謎

 ハンバーグやスパゲッティ、コロッケなど、子どもに人気なメニューが1枚の皿に載った「お子様ランチ」。NHK番組「チコちゃんに叱られる」では「なんでお子様ランチには旗が立っているのか?」という疑問。梅花女子大学で日本の食文化に詳しい東四栁祥子教授によると、お子様ランチが誕生したのは昭和になってからだという。昭和5年12月1日、東京日本橋にある三越デパートの食堂部主任だった安藤太郎(当時23歳)が数種類の人気メニューを揃えた子供用定食を考案し販売したのが始まりという。値段は30銭。世界恐慌の暗い時代でもあり、子供には楽しい気持ちになってもらおうと開発したという。ではなぜケチャップライスのてっぺんに爪楊枝と紙でつくられた小さな旗(日章旗など)が立てられたのか。番組では安藤太郎さんが登山が好きで富士山をイメージし、ごはんを山に見立てて旗を立てたと考えている。安藤さんは、その後どのように人生を歩んだのか、戦地へ行ったのか、戦後も生き抜いたのか、当時の記録や写真が一切残っておらず(おそらく空襲で焼失したのであろう)、一言でいえば「誰にもわからない」という事なのです。(参考文献:「文化教養講座 日本はじめて物語デパート事始め・大食堂とお子様ランチの始まり」渡邊洋一 歴史研究60-5、2018年5月)

 

2026年5月11日 (月)

ナポレオンと酒

Antiguabotelladebrandyjereznapoleon    皇帝ナポレオン・ボナパルトは高級ブランデーにその名がついていることから、さぞかし酒好きと思われるかたも多いが、実はあまり酒が飲めず、コーヒーを好んだといわれる。高級ワインを水で薄めて飲んでいた。ではどうしてブランデーにナポレオンという名称が付いたのか。1811年、ロシア遠征の前の年のこと、ヨーロッパの空に彗星が現れた。彗星は不吉な出来事とされていたのだ、人々は、戦争や飢饉が起こるのではないかと心配した。しかし、案に相違して、3月20日、ナポレオンの妃マリー・ルイーズがナポレオン2世(1811-1832)を出産。そのうえ、この年はまれにみる好天続きで、葡萄は空前の豊作、いわゆるビンテージ・イヤーだった。以前から彗星の出現した年のワインは「コメット・ワイン」として珍重されてきたが、この年、1811年の「コメット・ワイン」を蒸留してつくったブランデーは、ナポレオン2世の誕生にあやかって特に「ナポレオン・ブランデー」として名付けられ、珍重されてきた。つまり洋酒ナポレオンとは、めいがらではなく等級のひとつ。今日では、世界中に残り少なくなったので、市販されることはなく、わずかに個人の酒庫に1本か2本ずつ秘蔵されている。現在、市販されているナポレオンは、今日では、世界中に残り少なくなったので、市販されることはなく、わずかに個人の酒庫に1本か2本ずつ秘蔵されている。現在、市販されているナポレオンは、ここれらは無関係のものである。(Napoleon,Brandy)

2026年5月 9日 (土)

アイスクリームはもともと兵士の健康食だった?

0231   5月9日は「アイスクリームの日」。今では暑くても、寒くても一年中アイスクリームを食べる人が多くなった。アイスクリームが嫌いという人はあまり聞いたことがない。アイスクリームのそもそものルーツは諸説あるが、古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼる。冬の間に降った雪や、自然にできた氷を保存し、蜜などを加えたものを戦場で戦っている兵士に疲労回復の健康食として供したのが始まりといわれる。ほかに中国が起源とする説もある。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。現在のようなアイスクリームは16世紀のイタリアルネサンス期の錬金術師によって製法が発明されたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本でアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

 

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