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2025年4月12日 (土)

パンの日

Img_0735_3  「パンさえあれば、たいていの悲しみには堪えられる」セルバンテス

 

 コメ価格高騰で、主食をパンに切り替える家庭が増えている。本日は「パンの日」。 日本語パン pan は、ポルトガル語 pao から来ている。1600年ごろ、長崎に来たポルトガル人が、その製法を教えたのである。ところが、日本は米、大麦、アワ、ヒエなどを、粒のままで煮て食べる粒食民族だったため、小麦粉で作るパンは、あまり口にあわなかったとみえ、それほど普及しなかった。   天保12年のこの日、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。昭和58年、パン食普及協議会が制定。明治になっても、どちらかというと菓子パンとして発達したのがパンの歴史である。アンパンを発明したり、ジャムパンやクリームパンなどがさかんに作られ、おやつがわりとして食べられていた。

Img_3939    日本の家庭でパンを食べるようになったのは、1900年以降で、文化人が好んで洋食として取り入れたからである。志賀直哉は大正時代末期からすでにパン、バター、牛乳という朝食スタイルだった。一般大衆がパン食になるのは、学校給食が普及した戦後からである。今では、あんパン、ジャムパンといった菓子パンからホットドック、クロワッサンやマカロンといったスイーツの種類も豊富になった。最近は炭火であぶったチョリソーを、半分に切ったフランスパンにソーセージをはさんだアルゼンチンのチョリパンが日本でも食べられる。

 

1egyptbreadmakinggranger     世界でパンを初めて食べだしたのは古代エジプト人である。6000年前ナイル流域に定着しだしたころから、ひたすらパンを主食にしてきた。パンつくりは女の仕事で、そのころ「パンをふくらます技術」は秘中の秘としてエジプト人の間に守られていたが、イオニアを経てギリシアへ、さらにローマへ伝わった。ローマ時代にはパン屋やパンの工場もできていたことが、ポンペイの遺跡発掘で、わかっている。その後、ルネサンスの勃興とともにその技術は向上し各国に広まったが、フランスにおいて特に著しい発達を遂げた。一方、イギリスには古代ローマから伝えられたものが山高の独自の形態を生み出し、現在のアメリカのパンの元祖となり、中央アジアに始まるライ麦パンはロシア・ドイツなどで発展した。(choripan) 4月12日

 

2025年1月22日 (水)

カレーの日

Yukichi_s   今日はカレーの日。1982年に全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定められた。チコちゃんに叱られるで「キャンプでカレーをつくるのはなぜ?」答えは「男女の仲を深め健全な夫婦にするため」戦後、中学の校外学習でキャンプ場で飯ごう炊飯でカレーを食べた。あれはGHQの指令だったのか。

  インド発祥の料理にして、今や日本の国民食といわれるカレーライス。カレーはタミル語「カリ(kari)」から転じたもので、「汁」という意味である。1908年に海軍が手軽に肉と野菜をバランスよくとれる食事としてカレーライスを採用したことが普及した理由といわれる。そして文献の中でカレーを初めて紹介した人物は福沢諭吉(1835-1901)であるということもクイズなどで知られている。福沢は「増訂華英通信」(1860)に簡単な意味やカタカナの発音を付記し刊行した。「Curry」は「加兀 (コルリ)」とある。はたして福沢がカレーを賞味していたかどうか定かではない。1864年には岩松太郎が著書「航海日誌」の中で、船中でアラビア人がカレーらしきものを食するのを目撃している。1871年、留学生の山川健次郎が船上で「ライスカレー」を注文するも口に合わずご飯だけを食べたと記載している。(1月22日)

 

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左2段目にCurryの語がみえる(増訂華英通信)

2025年1月10日 (金)

食物雑学知識

Photo_5 ▽アスパラガスは単子葉植物・ユリ科の多年草で野菜と観葉植物とがある。南欧の原産で、ヨーロッパで紀元前から栽培されている。日本には江戸時代にオランダから伝わり、オランダキジカクシの別名がある。▽コンニャク特有のプリプリとした歯ざわりは、コンニャクを凝固させる加工過程でグルコマンナンという成分がアルカリ性物質によって変化し、強い弾力性をもつためである。▽野沢菜漬けは意外と新しい食材である。長野県の野沢温泉村では蕪菜(かぶな)と呼んでいたが、大正時代に開設されたスキー場所を訪れた観光客が「野沢菜漬け」と呼んだことから、全国的に広まった。(asparagus,glucomannan)

2024年11月 7日 (木)

一杯のお茶

Konbui 立冬の昆布茶すする昼餉かな (厄介)

   本日は立冬、暦の上では冬が始まります。今朝は冷え込みが強まり、今季の最も低い気温を観測しました。これからだんだんと寒くなってきます。一日の生活の中でもっともうれしい瞬間の一つは、昼下がり夫婦一緒にあたたかいこぶ茶を飲むとき。じいさん、ばあさんの何もない一日ですが、不図この「昆布茶」を発明した人は誰なのか疑問がわく。こぶ茶の歴史は確かな記録が残ってないので定かではないが、江戸時代には既に刻み昆布を熱湯に入れて飲んでいたらしい。現在のような粉末状の昆布に各種調味料を加えた形の「こぶ茶」が発明されたのは大正時代のこと。1918年に藤田馬三(1894年生まれ)がお湯を注ぐだけで簡単に作れる昆布茶を考案した。

 

 

 

 

 

 

 

2024年10月12日 (土)

豆乳の日

 今日は豆乳の日。豆乳は、大豆を水に浸してすりつぶし、水を加えて煮つめて汁を漉した飲料である。昭和50年前後に飲料商品として豆乳が販売されるようになった。(10月12日)

 

2024年10月 2日 (水)

豆腐に歴史あり

Hiyayakko   本日は「豆腐の日」。森羅万象、世のいかなるものにもそれぞれに歴史がある。島国日本は、朝鮮半島経由で中国から伝来したものが多い。漢字や仏教からに箸文化の日用品や食品に至るまで数多くある。日本で最も愛される妖怪、河童も実は中国に由来するという説があるがはっきりしない。

  毎日の食卓にみる豆腐は日本人に親しみのある食材のひとつ。夏は冷奴で、冬はお鍋で1年中食べる。木綿豆腐に醤油とカツオ節が一般的な食べ方。豆腐の発明は中国人のもので、前漢の淮南王劉安といわれる。彼は学者を集めて著書を刊行したが、そのなかに「淮南王万畢術」 という本がある。それに豆腐の製法が述べられていたという。

  豆腐が我が国に渡来した時期はあまりはっきりしない。日本に伝わったのはおそらく奈良時代だろうが文献には見えず、鎌倉・室町時代に中国に留学した僧侶が、製法を覚えてきて広まったと考えられる。文安元年(1444年)の『下学集』に豆腐という語がのっている。豆腐はとくに江戸時代になって庶民にまで広まった。

    徳川家光の慶安御触書では農民に飲酒、喫茶、煙草など禁止している。また衣類は木綿以外は着用しないこととある。贅沢禁止に関連して豆腐の製造を禁止している。家光自身は豆腐が大好物だったが、農民たちが豆腐を食べると大豆が高騰することを懸念したからであろうか。(10月2日)

2024年9月29日 (日)

洋菓子の日

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 トトロのシュークリーム

    フランスではサン・ミシェル(大天使ミカエル)が菓子職人の守護聖人となっており、その祝日が9月29日であることから、「洋菓子の日」が定められた。洋菓子の定番といえばシュークリーム。関西の者は駅構内の売店にあるヒロタを思い浮かべるが、東京では「しろたえ」(港区赤坂)が人気だそうだ。ほかにも店ごとに工夫されているらしい。「白髭のシュークリーム工房」にはトトロの形をした可愛いシュークリームが売られている。

     シュークリームは明治のころからあったらしく、フランス語のシュ(chu)と英語のクリーム(cream)からなる和製外来語。シュとはキャベツのこと。寺田寅彦の随筆に鍋町の風月の2階の喫茶室に「ミルクのはいったおまんじゅう」という言葉が見える。(「銀座アルプス」昭和8年)寺田はハイカラでモダンな人だった。ミカエルマスMichaelmas

2024年7月24日 (水)

「うなぎと梅干し」は本当に食べ合わせが悪いのか?

07_27_1r_2  本日は土用の丑の日。そして土用の丑の日にはウナギを食べる習慣がある。むかしからウナギと梅干を一緒に食べると体に良くないと言い伝えられている。医学的な根拠はなく、あくまで迷信のたぐいである。いったい何故そのような迷信が生まれたのだろうか。一般的には、贅沢を戒めるためだろうと考えられるが、こうした「食い合わせ」は古代中国の陰陽五行にもとづくものという説がある。宇宙のすべては、木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行説があった。この5種類の元素は、人間の5つの内臓と、5つの味覚に結びつけられ、そこから「食禁(食べると害になるもの)」と「食宜(健康によい食べ物)」という考え方が生れた。この考え方は日本にも伝えられ、その後、食禁は「食い合わせ」として、貝原益軒の「養生訓」にも登場し、一般へ広まったといわれている。「スイカと天ぷら」「カニと柿」「ミカンとナツメ」「ギンナンとウナギ」などが紹介されている。しかし科学的にみて食品成分が化学反応して毒素になるということはなさそうだ。だが、食中毒の多い季節、消化のわるいものは十分に注意が必要である。現代の栄養学では、中華食堂定番の「ラーメンと焼飯」など炭水化物摂取量が増えるため「合食禁」の悪例といえる。 西洋では果物のイチゴとバナナがよくない食べ合わせと言われている。

 

 

2024年7月15日 (月)

コーヒーは一日三杯まで

Blend1   コンビニや駅の売店、自動販売機、どこでも気軽に飲めるコーヒーですが、集中力を高める効能があるカフェインは、大量に摂取すると中毒を起こし、最悪の場合、死亡するリスクもある。18世紀スウェーデンの王グスタフ3世は、コーヒーが毒だと信じていた。それを証明するべく、王は1人の殺人犯に死ぬまで毎日コーヒーを飲み続ける刑を科した。比較のため、別の殺人犯が毎日紅茶を飲む条件で釈放された。実験の監督と、検死の医師が2名雇われた。いの一番に死んだのは、医者だった。ついで王がストックホルムの劇場で反対派から銃で撃たれて死亡した。そして、殺人犯の1人が83歳で死んだ。紅茶を飲み続けた方の囚人だった。結局コーヒー有害説を立証できなかった。その後、コーヒーは世界中に普及していく。フランスの文豪バルザックは毎日50杯のコーヒーを20年間も飲み続けた。51歳で早逝したがコーヒー中毒ではなく過食による糖尿病が原因といわれる。彼によると「コーヒーを胃に入れると、脱兎のごとくアイデアが沸き上がるという」。

    最近のある調査によると、コーヒーを1日に2杯から4杯飲む人は、まったく飲まない人よりも自殺する確率が50%も低くなるという。コーヒーを定期的に飲まないと頭痛がする、気分が落ち込むなどいう人がいるが、カフェインには緩やかな抗うつ剤のような役割があるらしい。

 世界でいちばんコーヒーを飲んでいる国はどこ?コーヒー製品の国内供給涼をランキングすると、第1位はアメリカ、2位フィリピン、3位フラジル、4位日本、5位ドイツでした。もちろん人口割りの調査で比べと、北欧ヨーロッパも多い。

Large  コーヒー党の有名人といえば、高倉健。松本清張は煙草もコーヒーもよく飲んだが天寿を全うしている。 世界一の長寿王ハビエル・ペレイラ翁はなんと167歳!(非公認)彼は長寿の秘訣を「くよくよせずにたくさんコーヒーを飲んでうまい葉巻を吸うことさ」といっている。この名言はコロンビアの記念切手に書かれている。(Javier Pereira)  

2024年7月12日 (金)

ジャガイモの芽による中毒症状

    ジャガイモは新大陸の発見によって、原産地ペルーからヨーロッパへともたらされた。ジャガイモは栄養価もあり、保存性もよく、人々の飢えを救う大切な食物である。ジャガイモはナス科ナス属、学名はソラヌス。芽にはソラニンというサリンに似た一種の神経毒素が含まれる。今年の7月9日、鳥取県八頭町で児童がジャガイモを調理して食べた後、腹痛を訴える食中毒が発生した。

Img7b154288zikbzj     1969年のロンドンの小学校で食中毒が起きた。夏休み中、ずっと給食室にあったジャガイモが誤って給食の食材に使われた。6時間後、78人が倒れ、17人が入院。うち3人が重態となった。嘔吐、痙攣、発熱。重い患者は昏睡状態に陥ることがある。2019年7月12日、宝塚市の小学校で校内で採れたジャガイモを食べた児童13人が軽い食中毒になった。ジャガイモの芽は恐ろしい。

 

 

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