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2017年10月 9日 (月)

ウガンダ独立記念日

Photo_2    1962年のこの日、ウガンダがイギリスから独立した。ウガンダといえばロンドンオリンピック男子マラソン金メダリスト、スティーブン・キプロティチ。それにバナナを蒸したマトケという料理。画像は「ようことひろの自転車ぐるぐる世界旅」より引用。(10月9日,Uganda)

2017年9月29日 (金)

洋菓子の日

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 トトロのシュークリーム

    フランスではサン・ミシェル(大天使ミカエル)が菓子職人の守護聖人となっており、その祝日が9月29日であることから、「洋菓子の日」が定められた。洋菓子の定番といえばシュークリーム。関西の者は駅構内の売店にあるヒロタを思い浮かべるが、東京では「しろたえ」(港区赤坂)が人気だそうだ。ほかにも店ごとに工夫されているらしい。「白髭のシュークリーム工房」にはトトロの形をした可愛いシュークリームが売られている。

     シュークリームは明治のころからあったらしく、フランス語のシュ(chu)と英語のクリーム(cream)からなる和製外来語。シュとはキャベツのこと。寺田寅彦の随筆に鍋町の風月の2階の喫茶室に「ミルクのはいったおまんじゅう」という言葉が見える。(「銀座アルプス」昭和8年)寺田はハイカラでモダンな人だった。ミカエルマスMichaelmas

2017年9月 3日 (日)

コーヒーの話

「死ぬまでにあと何杯コーヒーが飲めるだろうか?」1日1杯だけなので、1万杯、いやいや5000杯くらいかな。老いて介護施設か病院に入れられて3000杯くらいかもしれない。

   ヨーロッパにコーヒーを紹介したのはマルコポーロと伝えられるが、本当の話ではない。コーヒーの原産地はアフリカのエチオピア、カッファー州というところである。つまりカッファーが訛ってアラビア語のカフヴェ(Kahve)やトルコ語のクァフワ(qahwa)になったのだろう。 語源はともかくコーヒーの味を初めて知ったのは人間ではなく、山羊だそうだ。山羊が木の実を食べ、それを見た人間が食べた。そして木の実を炒って粉末にしたのがアラビア人で、5~9世紀のころといわれる。少なくとも13世紀には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノーブルに初めてコーヒー店が誕生した。その後、紆余曲折があって、モカコーヒーがヨーロッパに伝わったのが1616年のことである。同年シェークスピアが死んでいるので、つまりシェークスピアはコーヒーの味を知らなかったようである。

2017年7月20日 (木)

食い合わせと陰陽五行

07_27_1r_2   今年の土用の丑の日は7月25日と8月6日。そして土用の丑の日にはウナギを食べる。むかしからウナギと梅干を一緒に食べると体に良くないと言い伝えられている。医学的な根拠はなく、あくまで迷信のたぐいである。いったい何故そのような迷信が生まれたのだろうか。一般的には、贅沢を戒めるためだろうと考えられるが、こうした「食い合わせ」は古代中国の陰陽五行にもとづくものという説がある。宇宙のすべては、木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行説があった。この5種類の元素は、人間の5つの内臓と、5つの味覚に結びつけられ、そこから「食禁(食べると害になるもの)」と「食宜(健康によい食べ物)」という考え方が生れた。この考え方は日本にも伝えられ、その後、食禁は「食い合わせ」として、貝原益軒の「養生訓」にも登場した。「カニと柿」「ミカンとナツメ」「ギンナンとウナギ」などが紹介されている。しかし科学的にみて食品成分が化学反応して毒素になるということはなさそうだ。だが、食中毒の多い季節、消化のわるいものは十分に注意が必要である。現代の栄養学では、中華食堂定番の「ラーメンと焼飯」など炭水化物摂取量が増えるため「合食禁」の悪例といえる。 西洋では果物のイチゴとバナナがよくない食べ合わせと言われている。

2017年6月13日 (火)

有東木のワサビ

   NHK「鶴瓶の家族に乾杯」静岡市葵区有東木(うとうぎ)地区が紹介される。ここはワサビの発祥地として知られる。江戸時代に有東木地区に住む村人が野生のワサビを栽培したのが、ワサビ栽培普及の端緒と伝えられる。このワサビは駿府城で徳川家康に献じられ、その味が絶賛されたことやワサビの葉が徳川家家紋の「葵」に通じることから、幕府の庇護を受けることとなった。一方で門外不出の扱いとなり、その栽培技術を他地区に広げることは禁じられた。延享元年(1744年)、天城湯ヶ島で山守を務めていた板垣勘四郎(1686-1761)は三島代官の命によりシイタケ栽培の技術指導で有東木を訪れた。板垣はワサビの栽培を天城でも行いたいと懇願し、有東木の住民はシイタケの礼から禁を犯して板垣にワサビの苗を持たせた。この後、板垣の努力で伊豆天城でもワサビ栽培が普及することになる。

2017年5月 9日 (火)

アイスクリームはお好き?

0231   本日は「アイスクリームの日」。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本で初めてアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

   歴史上の人物もそれぞれ好物がある。マリー・アントワネットがこよなく愛したのがアルザス地方に伝わる焼き菓子クグロフ。徳川家康は鯛のてんぷら。家定はスイーツ(芋、カステラ)。慶喜は豚肉。西郷隆盛は鰻。夏目漱石は甘党で羊羹と最中。高浜虚子はおでん。斎藤茂吉や淀川長治はウナギ。手塚治虫はチョコレート。マザー・テレサはチョコレートが好物だった。向田邦子は水羊羹。(Beethoven,kouglof)5月9日

2017年4月13日 (木)

ポテトチップスが食べたい

Photo   「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、カルビーのポテトチップスで100円は買えません」

  40年も前のCMながら今でも100円で買える。ポテトチップスは庶民の味方だ。当時12歳だった藤谷美和子も今では54歳。病気らしく、徘徊癖があり野良猫にエサをやる姿が週刊誌に載っていた。そこにはかってのアイドル女優の面影はなく哀れさをさそう。わが国にカウチポテト族を普及させた功労者の1人といって過言ではないのだが。

  近所のスーパーではポテトチップスが無くなっている。昨年の生産地の台風の被害の影響がでてきた。種類がとても多いのも困る。カルビーの商品だけで20種類以上並んでいる。通年商品の「うすしお味」「コンソメパンチ」「のりしお」「しあわせバター」「しょうゆマヨ」など11種。最近は地域の味として「北海道バターしょうゆ味」「関東だししょうゆ味」など18種。ほかにも新製品が続々開発されている。カルビーは1949年、広島市で松尾糧食工業株式会社として設立、1964年「かっぱえびせん」がヒット商品となった。現在は丸の内に本社を持つ東証一部上場のスナック菓子の大手企業として成長した。1975年にカルビーポテトチップスが発売されてから42年になるが、ポテトチップスが消えたことはなかった。

2017年2月 8日 (水)

チビ太の大好物おでん

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 誰にでも好物はある。ドラえもんの好物といえばドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。若尾文子の好物はモンブランと大福餅。

  オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。

著名人の大好物を集める。

1129小沢昭一 蕎麦
忽那汐里 納豆
西郷隆盛 ウナギ
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ

2017年2月 3日 (金)

金富良(コンプラ)醤油瓶

    日本でいつ頃から醤油が食されるようになったかと言うと、醤油のルーツ「醤」(ししびしお)のたぐいが、縄文時代末頃からあったといわれ、縄文時代の遺跡からは、熟鮨(魚醤)の原型と思われるものが出土している。本格的に醤(ひしお)が作られるようになったのは、中国や朝鮮半島から製法が伝えられた大和朝廷時代の頃である。奈良時代に醤(ひしお)が生産されるが、これは調味料というよりは、そのまま、おかずとして「なめもの」の一種として食されていた。調味料として醤油が文献に現れるようになるのは室町時代である。

Photo     江戸時代1650年頃から、欧州に向けて長崎の出島からオランダ商人らによって醤油を波佐見焼の瓶に詰め、金富良(コンプラ)醤油の名で輸出されていた。宮廷や王室専用の調味料として貴重品に扱われ、フランスのルイ14世が宮廷料理に、肉料理の隠し味に醤油が用いられた。ディドロの「百科全書」(1772)にも醤油が記述されている。コンプラ醤油は底径7㎝、高さ15㎝、540mlで、JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ)と書かれている。オランダ人の耳には「しょうゆ」の音が、ソヤとかゾヤ(ZOYA)と聞こえたらしく、現在のオランダ・ハーグ文書館に残された日蘭貿易記録にも、醤油のことが記録されている。日本の醤油はオランダばかりでなく、幕末の頃、長崎に寄港していたロシアの船によって母国に持ち帰られていたらしく、明治39年、トルストイを訪問した徳富蘆花が、机の上に金富良醤油瓶に花が差してあるのを見た。トルストイがいつもこの瓶を一輪差しとして愛用していたことを知って、蘆花はいたく感激したものである。(Tolstoi,Diderot)

2017年1月 3日 (火)

おでん種ランキング

    おでんが食べたくなる季節。高浜虚子のおでん好きはよく知られる。「志 俳諧にあり おでん食ふ」。2016年「おでん種、大人が好きなランキング」の結果は第1位は「大根」だった。

Photo_4 1位 だいこん
2位 玉子
3位 ちくわ
4位 こんにゃく
5位 餅入り巾着
6位 はんぺん
7位 しらたき
8位 牛すじ串
9位 じゃがいも
10位 さつま揚げ

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