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2021年7月18日 (日)

魚へんの漢字

365b902cddf26316f77f440f2a3f46e4   魚へんの漢字はたくさんあります。

   鰰、鰯、鯵、鰆、鱚、鰈、鱸、鰊、鮪、鰖、鮞

 

「はたはた」「いわし」「あじ」「さわら」「きす」「かれい」「すずき」「にしん」「まぐろ」「たかべ」「はららご」と読みます。

では「鱻」は何と読むでしょうか?

答えは「せん」です。「新しい」「活魚」の意味を持ち、「鮮」の異体字。

  魚は毎日さまざまな形で食べている。切り身を買う。銀サケ、サバ、ブリ、サワラ。サンマやアジの開き。明太子、イクラ、とびこ、数の子など加工品。蒲鉾、ちくわ、はんぺん、さつま揚げなどの加工品。サンマ・蟹などの缶詰。鮭・鯖の水煮・味噌煮。マグロフレーク。鰹のたたき、マグロなど刺し身。魚はDHAを豊富に含む。晩御飯のおかずに困ったら、魚を想い出そう。

 

真魚鰹 まながつお

 

 

 

 

2021年6月28日 (月)

漱石と羊羹

6010d   夏目漱石が英国から帰国し大学で教鞭をとって、通称「猫の家」(文京区向ヶ丘)に住んでいたころの話である。漱石は甘党で知られる。その甘党ぶりは滑稽味があり、「君のくれた菓子は僕が大概くつて仕舞った。小供も食べました」(明治38年4月13日、森巻吉宛書簡)とある。数ある菓子の中でも特に羊羹を愛した。「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける工合は、どう見ても一個の美術品だ」(草枕)と羊羹の美術性を述べている。だがこんな逸話も伝わる。甘党のために漱石は糖尿病を患うようになった。鏡子は漱石の体調を気遣って、好物の羊羹を隠した。すると漱石は、いつものように羊羹が入っているはずの戸棚を必死に探し続けた。その様子を見かねた四女の愛子が在り処を教えてやると、漱石は娘を大いに褒め、上機嫌で羊羹を頬張ったという。

2021年5月 9日 (日)

アイスクリームはもともと兵士の健康食だった?

0231   5月9日は「アイスクリームの日」。今では暑くても、寒くても一年中アイスクリームを食べる人が多くなった。アイスクリームが嫌いという人はあまり聞いたことがない。アイスクリームのそもそものルーツは諸説あるが、古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼる。冬の間に降った雪や、自然にできた氷を保存し、蜜などを加えたものを戦場で戦っている兵士に疲労回復の健康食として供したのが始まりといわれる。ほかに中国が起源とする説もある。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本でアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

 

2021年4月12日 (月)

パンの歴史

Img_0735_3   日本語パン pan は、ポルトガル語 pao から来ている。1600年ごろ、長崎に来たポルトガル人が、その製法を教えたのである。ところが、日本は米、大麦、アワ、ヒエなどを、粒のままで煮て食べる粒食民族だったため、小麦粉で作るパンは、あまり口にあわなかったとみえ、それほど普及しなかった。1842年4月12日、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。明治になっても、どちらかというと菓子パンとして発達したのがパンの歴史である。アンパンを発明したり、ジャムパンやクリームパンなどがさかんに作られ、おやつがわりとして食べられていた。

 

Img_3939    日本の家庭でパンを食べるようになったのは、1900年以降で、文化人が好んで洋食として取り入れたからである。志賀直哉は大正時代末期からすでにパン、バター、牛乳という朝食スタイルだった。一般大衆がパン食になるのは、学校給食が普及した戦後からである。今では、あんパン、ジャムパンといった菓子パンからホットドック、クロワッサンやマカロンといったスイーツの種類も豊富になった。最近は炭火であぶったチョリソーを、半分に切ったフランスパンにソーセージをはさんだアルゼンチンのチョリパンが日本でも食べられる。

 

1egyptbreadmakinggranger     世界でパンを初めて食べだしたのは古代エジプト人である。6000年前ナイル流域に定着しだしたころから、ひたすらパンを主食にしてきた。パンつくりは女の仕事で、そのころ「パンをふくらます技術」は秘中の秘としてエジプト人の間に守られていたが、イオニアを経てギリシアへ、さらにローマへ伝わった。ローマ時代にはパン屋やパンの工場もできていたことが、ポンペイの遺跡発掘で、わかっている。その後、ルネサンスの勃興とともにその技術は向上し各国に広まったが、フランスにおいて特に著しい発達を遂げた。一方、イギリスには古代ローマから伝えられたものが山高の独自の形態を生み出し、現在のアメリカのパンの元祖となり、中央アジアに始まるライ麦パンはロシア・ドイツなどで発展した。(choripan)

2021年4月 3日 (土)

17世紀イギリス人は紅茶よりもコーヒーを飲んでいた!?

Photo_3  国立がんセンターの研究によると、コーヒーや緑茶を日常的によく飲んでいる人は、そうでない人に比べて死亡するリスクが低いとする結果が発表された。イギリス人といえば紅茶を思いうかべるだろうが、実は17~18世紀、むしろコーヒーを飲んでいた。イギリスで最初の本格的な「英語辞典」の編集で有名なサミュエル・ジョンソン(1709-1784)と彼の伝記を書いたジェイムズ・ボズウェルとはコーヒー・ハウスで知り合った。そのほか演劇俳優のガリック、画家のレイノルズ、思想家のエドマンド・バーク、音楽家のバーニー、歴史家のギボンらもこのコーヒー・ハウスに出入りして談話を楽しんだ。イギリスだけでなく18世紀にはヨーロッパ中にコーヒーを飲む習慣は広がり、ベートーヴェンやバルザックもコーヒーを楽しんだといわれる。

    アメリカでは17世紀の半ばころに移住してきたオランダ人によって喫茶の習慣が伝わり、当時一種の社交的手段となっていた。アメリカへ移住したイギリス人の間では最初は紅茶が飲まれていたが、ボストン茶会事件以後、独立革命の時代になって、アメリカ人はコーヒーを選ぶ国民となった。これとは反対に、本国イギリスでは18世紀半ば頃から紅茶を飲む習慣が一般化していった。ボヘアという安い紅茶が中国からの輸入により入るようになり、大衆の生活のなかで普及していった。

    コーヒーブレーク(coffee break)とは、仕事の合間の、コーヒーを飲むための小休憩時間をいう。breakとは「中断する」という意味で、1945年ごろアメリカで使われだした俗語であるといわれる。コーヒーの消費量が一人当たり一番多いのは、フィンランドだそうだ。

 

 

 

 

2021年1月25日 (月)

ホットケーキの日

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定された。本日は「ホットケーキの日」。ちなみに官義偉が好物として話題になったのは「パンケーキ」。ところが菅内閣の支持率は33%と4カ月で急落し、パンケーキの売り上げも下がったというお寒い話である。ところで著名人の素顔はどのようなものなのか知りたい。そこで人には誰にでもそれぞれの好きな食べ物があるので調べてみよう。バイデン大統領はアイスクリーム。ドラえもんの好物といえばもちろんドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。阿部寛はイケメンに似合わず焼きいもが大好き。若尾文子も甘党で好物はモンブランと大福餅。オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。1月25日

 

 著名人の好きな食べ物。

1129小沢昭一 蕎麦
忽那汐里 納豆
松岡茉優 納豆
西郷隆盛 ウナギ
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
郷ひろみ スイカ 
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ
ロナルド・レーガン ゼリービーンズ(お菓子)

 

 

2021年1月22日 (金)

国民食、カレーライスの謎

Yukichi_s   今日はカレーの日。1982年に全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定められた。インド発祥の料理にして、今や日本の国民食といわれるカレーライス。カレーはタミル語「カリ(kari)」から転じたもので、「汁」という意味である。1908年に海軍が手軽に肉と野菜をバランスよくとれる食事としてカレーライスを採用したことが普及した理由といわれる。そして文献の中でカレーを初めて紹介した人物は福沢諭吉(1835-1901)であるということもクイズなどで知られている。福沢は「増訂華英通信」(1860)に簡単な意味やカタカナの発音を付記し刊行した。「Curry」は「加兀 (コルリ)」とある。はたして福沢がカレーを賞味していたかどうか定かではない。1864年には岩松太郎が著書「航海日誌」の中で、船中でアラビア人がカレーらしきものを食するのを目撃している。1871年、留学生の山川健次郎が船上で「ライスカレー」を注文するも口に合わずご飯だけを食べたと記載している。

 

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左2段目にCurryの語がみえる(増訂華英通信)

2020年11月10日 (火)

飛龍頭

  寒くなって、おでんの季節になると、おでん種に欠かせないのが「がんもどき(雁擬)」です。豆腐をくずして中に細かく切った野菜・麻の実などを入れて油で揚げたもの。関東で「がんもどき」、関西で「飛龍頭(ひりょうず)」といった。飛龍頭の語源はポルトガル語の fillhoses で、「ひりうず」とか、「ひろうず」とよんだ料理をあて字したもの。もともとは南蛮渡りの油菓子の名称であったのが、元禄のころにはすっかり日本化して、精進料理の揚げ物の名になっていったようである。

2020年11月 1日 (日)

コーヒー、紅茶と日本人

   11月1日は「紅茶の日」。ある調査によると、コーヒーや紅茶、嗜好品を好む人は高所得者ほど飲む量が多いという話だ。コーヒーと紅茶、日本に伝来したのは、どちらが先だろうか?答えは、ほぼ同じころだそうだ。

    コーヒーは世界で最も多くの国で飲用されている嗜好飲料である。喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ)は近代社会において人々が情報を得る場所として文化的にも大きな役割を果たしてきた。日本には天明年間(1781年~1788年)頃に、長崎の出島にオランダ人が持ち込んだといわれる。

   NHK「ひるブラ」(2012年2月1日放送)で、はしのえみが幕末の弘前藩士が飲んでいた珈琲を味わっていた。酸味と苦味がある。寒さなどで殉難が多かったので薬用として珈琲を飲んでいたという。大田南畝は1804年に珈琲を飲んだときのことを次のように記している。「紅毛船にてカウヒイというものをすすむ。豆を黒く炒りて粉にし白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪えず」とある。1855年ころ青森県弘前で珈琲が飲用されていたとは驚きである。

    紅茶は1791年11月1日、大黒屋光太夫がロシアのエカテリーナ2世から茶会に招かれ、日本人として初めて紅茶を飲んだとされる。日本紅茶協会は、昭和58年、この史実をもとに、11月1日を「紅茶の日」に制定している。

 

 

2020年10月 2日 (金)

豆腐に歴史あり

Hiyayakko   本日は「豆腐の日」。森羅万象、世のいかなるものにもそれぞれに歴史がある。島国日本は、朝鮮半島経由で中国から伝来したものが多い。漢字や仏教からに箸文化の日用品や食品に至るまで数多くある。日本で最も愛される妖怪、河童も実は中国に由来するという説があるがはっきりしない。

  毎日の食卓にみる豆腐は日本人に親しみのある食材のひとつ。夏は冷奴で、冬はお鍋で1年中食べる。木綿豆腐に醤油とカツオ節が一般的な食べ方。豆腐の発明は中国人のもので、前漢の淮南王劉安といわれる。彼は学者を集めて著書を刊行したが、そのなかに「淮南王万畢術」 という本がある。それに豆腐の製法が述べられていたという。

  豆腐が我が国に渡来した時期はあまりはっきりしない。日本に伝わったのはおそらく奈良時代だろうが文献には見えず、鎌倉・室町時代に中国に留学した僧侶が、製法を覚えてきて広まったと考えられる。文安元年(1444年)の『下学集』に豆腐という語がのっている。豆腐はとくに江戸時代になって庶民にまで広まった。

    徳川家光の慶安御触書では農民に飲酒、喫茶、煙草など禁止している。また衣類は木綿以外は着用しないこととある。贅沢禁止に関連して豆腐の製造を禁止している。家光自身は豆腐が大好物だったが、農民たちが豆腐を食べると大豆が高騰することを懸念したからであろうか。(10月2日)

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