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2024年5月 9日 (木)

アイスクリームはもともと兵士の健康食だった?

0231   5月9日は「アイスクリームの日」。今では暑くても、寒くても一年中アイスクリームを食べる人が多くなった。アイスクリームが嫌いという人はあまり聞いたことがない。アイスクリームのそもそものルーツは諸説あるが、古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼる。冬の間に降った雪や、自然にできた氷を保存し、蜜などを加えたものを戦場で戦っている兵士に疲労回復の健康食として供したのが始まりといわれる。ほかに中国が起源とする説もある。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本でアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

 

2024年5月 6日 (月)

コロッケの日

588   日本の代表的なお惣菜コロッケ。フランス語クロケットcroquetteが訛ったもの。明治に伝来したが、大阪でジャガイモを裏ごししたコロッケが作られ、大正には庶民にまで普及した。「ワイフ貰ってうれしかったが、いつも出てくるおかずはコロッケ」(コロッケの唄、大正7年)に歌われるほど一般的になった。世界にはオランダのクロケット、ペルーのレジェーナなど多種多様のコロッケがある。

日本人で誰が最初にコロッケを作ったかについては複数の説があるが、五島英吉(ごしまえいきち)もその一人。五島は長崎県の五島列島の生まれで、戊辰戦争に巻き込まれて函館に渡り、五稜郭で戦うも敗戦。函館で西洋料理店、五島軒を開店し、カレーなどの料理を考案した。北海道のじゃがいもを使ったコロッケも彼の考案だといわれている。(croquet,rellena) 5月6日

2024年5月 5日 (日)

粽(ちまき)と柏餅

Img_997653_34974248_2     なぜ「こどもの日」(端午の節句)に粽や柏餅を食べるのか。むかし関西では粽、関東では柏餅を食べるという傾向があった。

    粽や柏餅は葉っぱに意味があります。そもそも柏餅のような葉っぱに包んだ食べ物は、弥生時代や古墳時代にかけて、田植えをする女性たちが外で働きながら食べる携帯食として葉っぱで包んだものが始まりです。

次にこどもの日ですが、その由来は平安時代に中国から端午の節句が伝来したときに粽が伝えられたと考えられる。粽は中国の戦国時代の詩人、屈原の霊を慰めたのが由来とされる。汨羅(べきら)という河に身を投げた屈原が、魚に食べられないように、楚の人々が小船の上から供物を投げ入れて弔ったのがはじまり。ある日、屈原があらわれて「米を龍にとられてしまうから、今後は楝樹(れんじゅ)の葉でもち米を包んで、色糸で結んでいただきたい。この2つは龍が嫌うものだから」といった。これが粽のはじまりだといわれる。(「続斉諧記」)

   端午の節句の厄除け行事が、日本では菖蒲の葉を軒先に飾ったりして邪気を払った。これが戦国時代になると菖蒲が「尚武」または「勝負」の響きに似ていることから男子の出生や成長を祝う行事に変化した。となると健康な男子を生むためにはお母さんが健康であることが、まず第一になってくるので、田植えの季節に古くから食べられてきた柏の葉で巻かれたお餅を食べられるようになった。柏餅の柏は昔から神聖な木とされていたことや、子孫繁栄に結びつけ、縁起のいい食べ物となったということである。

2024年4月12日 (金)

パンの日

Img_0735_3  「パンさえあれば、たいていの悲しみには堪えられる」セルバンテス

  ロシアとウクライナは小麦の主産地であるが、ウクライナ侵攻で世界の小麦供給に悪影響を及ぼしている。本日は「パンの日」。 日本語パン pan は、ポルトガル語 pao から来ている。1600年ごろ、長崎に来たポルトガル人が、その製法を教えたのである。ところが、日本は米、大麦、アワ、ヒエなどを、粒のままで煮て食べる粒食民族だったため、小麦粉で作るパンは、あまり口にあわなかったとみえ、それほど普及しなかった。   天保12年のこの日、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。昭和58年、パン食普及協議会が制定。明治になっても、どちらかというと菓子パンとして発達したのがパンの歴史である。アンパンを発明したり、ジャムパンやクリームパンなどがさかんに作られ、おやつがわりとして食べられていた。

 

Img_3939    日本の家庭でパンを食べるようになったのは、1900年以降で、文化人が好んで洋食として取り入れたからである。志賀直哉は大正時代末期からすでにパン、バター、牛乳という朝食スタイルだった。一般大衆がパン食になるのは、学校給食が普及した戦後からである。今では、あんパン、ジャムパンといった菓子パンからホットドック、クロワッサンやマカロンといったスイーツの種類も豊富になった。最近は炭火であぶったチョリソーを、半分に切ったフランスパンにソーセージをはさんだアルゼンチンのチョリパンが日本でも食べられる。

 

1egyptbreadmakinggranger     世界でパンを初めて食べだしたのは古代エジプト人である。6000年前ナイル流域に定着しだしたころから、ひたすらパンを主食にしてきた。パンつくりは女の仕事で、そのころ「パンをふくらます技術」は秘中の秘としてエジプト人の間に守られていたが、イオニアを経てギリシアへ、さらにローマへ伝わった。ローマ時代にはパン屋やパンの工場もできていたことが、ポンペイの遺跡発掘で、わかっている。その後、ルネサンスの勃興とともにその技術は向上し各国に広まったが、フランスにおいて特に著しい発達を遂げた。一方、イギリスには古代ローマから伝えられたものが山高の独自の形態を生み出し、現在のアメリカのパンの元祖となり、中央アジアに始まるライ麦パンはロシア・ドイツなどで発展した。(choripan) 4月12日

 

2024年4月10日 (水)

最初の駅弁は握り飯だった

   本日は「駅弁の日」。平成5年、日本鉄道構内営業中央会が。「弁当」の「とう」から10日、「4」と「十」を合成すると「弁」の見えることから、この日に。駅弁の魅力をPRするのが目的。
    一般に日本最初の駅弁は明治18年7月16日、旅館「白木屋」の嘉平が宇都宮駅で竹皮に包んだ梅干し入りの握り飯を5銭で販売したのが始まりとされ、現在この日は「駅弁記念日」と制定されている。しかし最初の駅弁は他にも梅田駅(明治10年)、神戸駅(明治10年)、敦賀駅(明治15年)、上野駅(明治15年)、高崎駅(明治17年)など諸説あるようだ。ちなみに現在のような折り詰め「幕の内駅弁」は明治22年に「まねき食品」の竹田木八(画像 1851-1903)の発売したものが最初とされる。当初は列車が少なく、一緒に始めた友人は撤退したが、日清・日露戦争時には軍隊弁当がよく売れ、現「まねき食品」を創業した。(4月10日)

 

 

2024年3月28日 (木)

コーヒーは一日三杯まで

Blend1   コンビニや駅の売店、自動販売機、どこでも気軽に飲めるコーヒーですが、集中力を高める効能があるカフェインは、大量に摂取すると中毒を起こし、最悪の場合、死亡するリスクもある。18世紀スウェーデンの王グスタフ3世は、コーヒーが毒だと信じていた。それを証明するべく、王は1人の殺人犯に死ぬまで毎日コーヒーを飲み続ける刑を科した。比較のため、別の殺人犯が毎日紅茶を飲む条件で釈放された。実験の監督と、検死の医師が2名雇われた。いの一番に死んだのは、医者だった。ついで王がストックホルムの劇場で反対派から銃で撃たれて死亡した。そして、殺人犯の1人が83歳で死んだ。紅茶を飲み続けた方の囚人だった。結局コーヒー有害説を立証できなかった。その後、コーヒーは世界中に普及していく。フランスの文豪バルザックは毎日50杯のコーヒーを20年間も飲み続けた。51歳で早逝したがコーヒー中毒ではなく過食による糖尿病が原因といわれる。彼によると「コーヒーを胃に入れると、脱兎のごとくアイデアが沸き上がるという」。

    最近のある調査によると、コーヒーを1日に2杯から4杯飲む人は、まったく飲まない人よりも自殺する確率が50%も低くなるという。コーヒーを定期的に飲まないと頭痛がする、気分が落ち込むなどいう人がいるが、カフェインには緩やかな抗うつ剤のような役割があるらしい。

 

Large  コーヒー党の有名人といえば、高倉健。松本清張は煙草もコーヒーもよく飲んだが天寿を全うしている。 世界一の長寿王ハビエル・ペレイラ翁はなんと167歳!(非公認)彼は長寿の秘訣を「くよくよせずにたくさんコーヒーを飲んでうまい葉巻を吸うことさ」といっている。この名言はコロンビアの記念切手に書かれている。(Javier Pereira)  

2024年3月 2日 (土)

ホットドッグはドイツ生まれ

Hotdogbuns06   温めたソーセージを細長いパンで挟んでサンドイッチにしたホットドッグは、いかにもアメリカ的な食べ物ですが、その起源は意外にもヨーロッパである。地中海東岸ではフライにした魚をパンに挟んで食べる習慣が古くからあった。ドイツのフランクフルトではソーセージをパンに挟んで食べる。1860年頃、アメリカに移民したドイツ人は「フランクフルター(フランクフルト・ソーセージの意味)」を持ち込んだ。1901年、新聞漫画のタッド・ド―ガンがフランクフルターを犬のダックスフントに見立ててパンを新聞に載せたところ、読者はその際ダックスフントのスペルがわからず「ホットドッグ」(熱い犬の肉)と悪口を言ったところ、店主は、むしろその言葉を応用して「ホットドッグあります」と看板に大きく書いて宣伝した。めずらし好きのアメリカ人は、なんのことかと、さつそくおおぜい詰めかけ、大盛況。アメリカ中の評判になり、店舗を増やしていってホットドッグが全米に広まった。

 

 

2024年1月25日 (木)

ホットケーキの日

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定された。本日は「ホットケーキの日」。人には誰にでもそれぞれの好きな食べ物があるので調べてみよう。バイデン大統領はアイスクリーム。ドラえもんの好物といえばもちろんドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。阿部寛はイケメンに似合わず焼きいもが大好き。若尾文子も甘党で好物はモンブランと大福餅。オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。1月25日

 

 著名人の好きな食べ物。

1129小沢昭一 蕎麦
岸田文雄 広島風お好み焼き
忽那汐里 納豆
松岡茉優 納豆
西郷隆盛 ウナギ
齋藤京子 ラーメン
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
郷ひろみ スイカ 
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ
ロナルド・レーガン ゼリービーンズ(お菓子)

 

 

2024年1月22日 (月)

カレーの日

Yukichi_s   今日はカレーの日。1982年に全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定められた。チコちゃんに叱られるで「キャンプでカレーをつくるのはなぜ?」答えは「男女の仲を深め健全な夫婦にするため」戦後、中学の校外学習でキャンプ場で飯ごう炊飯でカレーを食べた。あれはGHQの指令だったのか。

  インド発祥の料理にして、今や日本の国民食といわれるカレーライス。カレーはタミル語「カリ(kari)」から転じたもので、「汁」という意味である。1908年に海軍が手軽に肉と野菜をバランスよくとれる食事としてカレーライスを採用したことが普及した理由といわれる。そして文献の中でカレーを初めて紹介した人物は福沢諭吉(1835-1901)であるということもクイズなどで知られている。福沢は「増訂華英通信」(1860)に簡単な意味やカタカナの発音を付記し刊行した。「Curry」は「加兀 (コルリ)」とある。はたして福沢がカレーを賞味していたかどうか定かではない。1864年には岩松太郎が著書「航海日誌」の中で、船中でアラビア人がカレーらしきものを食するのを目撃している。1871年、留学生の山川健次郎が船上で「ライスカレー」を注文するも口に合わずご飯だけを食べたと記載している。(1月22日)

 

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左2段目にCurryの語がみえる(増訂華英通信)

2024年1月17日 (水)

マカロンは恋と夢の味

Photo 月9ドラマ「君が心をくれたから」パティシェになるため上京した永野芽郁。マカロンがドラマに重要なアイテムとして使われる。ところでマカロンはフランスの代表的なお菓子だと思われがちだが、実はイタリアが発祥地。16世紀にフランス国王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスによって、フランスに持ち込まれたと言われる。今日風のマカロンの元祖はパリにある老舗菓子店ラデュレ(創業1862年)のピエール・デフォンテーヌが1930年に2枚のマカロンにジャムやクリームをはさんだで売り出した「マカロン・パリジャン」が始まり。正式な名称はマカロン・ムー(柔らかいマカロンという意味)という。Loduree、macaron mou

 

 

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