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2020年7月12日 (日)

ジャガイモの芽による中毒症状

    ジャガイモは新大陸の発見によって、原産地ペルーからヨーロッパへともたらされた。ジャガイモは栄養価もあり、保存性もよく、人々の飢えを救う大切な食物である。ジャガイモはナス科ナス属、学名はソラヌス。芽にはソラニンというサリンに似た一種の神経毒素が含まれる。

Img7b154288zikbzj     1969年のロンドンの小学校で食中毒が起きた。夏休み中、ずっと給食室にあったジャガイモが誤って給食の食材に使われた。6時間後、78人が倒れ、17人が入院。うち3人が重態となった。嘔吐、痙攣、発熱。重い患者は昏睡状態に陥ることがある。2019年7月12日、宝塚市の小学校で校内で採れたジャガイモを食べた児童13人が軽い食中毒になった。ジャガイモの芽は恐ろしい。

 

 

2020年7月 6日 (月)

笑顔の作り方

Photo   写真を撮るときの掛け声は日本では、「ハイ!チーズ!」だが、韓国では「ハイ!キムチ!」なんだそうだ。「キムチ」と言うと、口角がキュッと上がって、自然と笑顔になる。ところでキムチは、中国から伝わった、野菜を塩で漬ける漬物(ソ)が原型といわれる。塩漬けの野菜が汁の中に沈んでいることから、「沈菜(チムチェ)」と呼ばれ、それが、ティムチェ→チムチ→キムチと変化していった。2000年前にはキムチの原型は存在していたが、その頃のキムチには唐辛子を使っていなかった。ポルトガルから鉄砲とともに日本に伝来した唐辛子は、豊臣秀吉のころ日本から韓国に伝わった。キムチに唐辛子を使うと、腐りにくく、原料に使うアミ塩などの魚の生臭さが消えるので、最適だった。サッカーのマラドーナは「キムチばかり食べるとあんな馬鹿になるのか」と悪口を言っている。世界各国では、チーズではなく、なす(中国)、ポテト(スペイン)、オムレツ(スウェーデン)、ウィスキー(メキシコ)などさまざである。

韓国民族文化大百科事典 全28巻 韓国精神文化研究院

朝鮮大百科事典 全30巻

キムチ百科事典

2020年6月18日 (木)

おにぎりの日

Onigiri_01  本日は「おにぎりの日」。おにぎりと思われる米粒の塊が弥生時代の遺跡から発見されている。おにぎりの直接の起源は平安時代の「頓食」(とんじき)という食べ物だと考えられている。この頃のおにぎりは楕円形のかなり大型で、使われているのは蒸したもち米であった。鎌倉時代の末期頃には、うるち米が使われるようになった。おにぎりに海苔が巻かれ、現在のような形になったのは、そんなに古いことではなく、江戸時代中期と言われている。加工された四角い板海苔が「浅草海苔」などの名称で一般に普及したのは元禄の頃である。海苔は、栄養が豊富でかつ、手にご飯がつかないという便利さも相まってむ、おにぎりに海苔を巻く習慣が定着した。今や国民食となった「おにぎり」だが、もっとも一番好まれる具は何か?ある調査によると、1位が鮭で、以下、ツナマヨ、梅干し、明太子、昆布、たらこ、おかか、と続く。一般的に高菜は人気がないが、新垣結衣、ガッキーの好物は意外にも高菜ということである。(6月18日)

 

 

 

 

 

 

2020年5月23日 (土)

ホットドッグはドイツ生まれ

Hotdogbuns06   温めたソーセージを細長いパンで挟んでサンドイッチにしたホットドッグは、いかにもアメリカ的な食べ物ですが、その起源は意外にもヨーロッパである。地中海東岸ではフライにした魚をパンに挟んで食べる習慣が古くからあった。ドイツのフランクフルトではソーセージをパンに挟んで食べる。1860年頃、アメリカに移民したドイツ人は「フランクフルター(フランクフルト・ソーセージの意味)」を持ち込んだ。19世紀後半、新聞漫画でフランクフルターを犬のダックスフントに見立ててパンに挟んで「ホットドッグ」と呼んだところ、これが全米に広まった。

 

 

2020年2月 8日 (土)

おでん種ランキング

    おでんが食べたくなる季節。高浜虚子のおでん好きはよく知られる。「志 俳諧にあり おでん食ふ」。2016年「おでん種、大人が好きなランキング」の結果は第1位は「大根」だった。

Photo_4 1位 だいこん
2位 玉子
3位 ちくわ
4位 こんにゃく
5位 餅入り巾着
6位 はんぺん
7位 しらたき
8位 牛すじ串
9位 じゃがいも
10位 さつま揚げ

 おでんのルーツは、室町時代に流行した「豆腐田楽」。田楽に「お」をつけて丁寧にし、楽を省略して「おでん」となった。みそ付き豆腐田楽は、その後、進化を続けた。江戸期には屋台や居酒屋で売られる。田楽の種類も豆腐・ナス・里芋・蒟蒻・魚と増えていく。江戸後期に近郊の銚子や野田で、醤油の醸造が盛んになり、醤油味の煮込みおでんが生まれた。大正期に、関西に伝わり、「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれた。関西では、具材を昆布ダシの中で炊いて、甘味噌をつけて食した。関東大震災で関西かに来た人たちが炊き出しを行い、いわゆる関東煮を作ったので、それ以降、関東のおでんが関西風の味付けになったと言われる。煮込みおでんは下味がついているので、みそはつけなくてもよく、代わりにカラシをつけるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年2月 5日 (水)

人類と酒の起源

 ワイン、ウィスキー、ブランデー、ラム、ジン、スコッチ、カルヴァドス、ウォッカ、コニャック、テキーラ、日本酒、焼酎、泡盛。現代人にとって、酒は魅力的な飲み物だ。酒に含まれるエタノールには、脳内でセロトニン、ドーパミン、エンドルフィンなどの放出を促進する働きがある。つまり、酒を飲むと不安が和らぎ、楽しい気分になるのだ。トルコ南東部にあるギョベックリ・テぺ遺蹟は世界最古の宗教建築物で知られている。推定11,5000年前の遺跡で、旧石器時代に狩猟と採集の生活をしていた人類は、やがて定住して農耕を始めた。このころ人類史上の最大事件に酒が大いに関わっていたと考えられる。遺跡から出土した壺からアルコールの残滓が確認されている。文明の時代になると、酒の起源は多くの神話によって語られているが、エジプトではオシリス神がビールを教えたと伝えている。この神はエジプト人を開化にみちびいた農耕の神であるが、エジプト人が穀物から酒をつくることを知ったのは5000年以前のことであり、はじめこの酒をヘッタとよんだことが文献にのこされている。参考:NHKスペシャル食の起源「酒」飲みたくなるのは進化の宿命!?

 

 

 

2020年1月22日 (水)

国民食、カレーライスの謎

Yukichi_s   今日はカレーの日。1982年に全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定められた。インド発祥の料理にして、今や日本の国民食といわれるカレーライス。カレーはタミル語「カリ(kari)」から転じたもので、「汁」という意味である。1908年に海軍が手軽に肉と野菜をバランスよくとれる食事としてカレーライスを採用したことが普及した理由といわれる。そして文献の中でカレーを初めて紹介した人物は福沢諭吉(1835-1901)であるということもクイズなどで知られている。福沢は「増訂華英通信」(1860)に簡単な意味やカタカナの発音を付記し刊行した。「Curry」は「加兀 (コルリ)」とある。はたして福沢がカレーを賞味していたかどうか定かではない。1864年には岩松太郎が著書「航海日誌」の中で、船中でアラビア人がカレーらしきものを食するのを目撃している。1871年、留学生の山川健次郎が船上で「ライスカレー」を注文するも口に合わずご飯だけを食べたと記載している。

 

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左2段目にCurryの語がみえる(増訂華英通信)

2019年11月 8日 (金)

昆布茶の歴史

Konbui  立冬の昆布茶すする昼餉かな

   本日は立冬、暦の上では冬が始まります。だんだんと寒くなってきましたが、昼下がり夫婦一緒にあたたかいこぶ茶を飲むと心も体もあったまる。じいさん、ばあさんの何もない一日ですが、不図この「昆布茶」を発明した人は誰なのか疑問がわく。こぶ茶の歴史は確かな記録が残ってないので定かではないが、江戸時代には既に刻み昆布を熱湯に入れて飲んでいたらしい。現在のような粉末状の昆布に各種調味料を加えた形の「こぶ茶」が発明されたのは大正時代のこと。1918年に藤田馬三(1894年生まれ)がお湯を注ぐだけで簡単に作れる昆布茶を考案した。

 

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 玉露園の創業者、藤田馬三

 

 

 

 

 

 

2019年10月12日 (土)

古代エジプトのパン、ぶどう酒、ビール

Breadmaking

 

   「人はパンのみにて生くるにあらず」「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れようとはしない」これら有名な聖句は古代イスラエル人がモーセ以前、古代エジプトで約400年間も奴隷となって苦しめられていたことを表わすとともに、エジプトから文化・文明を享受していたことを表わしている。

    古代エジプトでは、もっとも貧しい人々でさえ、パン、ビール、そして数種類の野菜とくに玉ねぎを食べて生活していた。古王国以降のエジプトの墳墓に刻まれた供養文には、「千のパン、千のビール…」という言葉を入れるのが普通だった。パンはエンマー小麦から作られた。この小麦は、鞍形挽き臼で苦労して挽かれた。パンは日常の食用と儀式用に特別に作られるものがあった。葬祭殿の壁画には、儀式用のパンが作られ、供物奉献の場面が見事に描かれている。

    ビールは普通、大麦(ホルデウム・ヴルガレ Hordeum vulgare)から作られ、濃厚でどろどろしたスープのような液体であって、アルコール分は必ずしも強くなかったが、栄養は豊富だった。新王国のインテフィケルの墓の壁画には、鉢をもった子供の姿が描かれ、「私に少しエールをください。お腹がすいていますから」というせりふが一緒に書かれており、ビールが単なる飲み物というよりむしろ、食物としての性格をもっていたことがわかる。ビールはまた、ナツメヤシで甘味をつけていたり、ほかの果物で味付けされることもあった。このように中世後期まで、ビールの醸造は広く、一般に家庭内で行われていたが、さまざまなビールが出回るため、1516年4月23日、ドイツのバイエルン公ウィルヘルム4世がビール純粋令を公布して泡立ちあるビールを完成させた。

    ぶどう酒はエジプト社会では豊かな階級が飲むものだった。貴族の邸宅の庭では、使用人がぶどうを摘み、踏み潰し、主人が客人にすすめるぶどう酒を作った。ワインを入れた壷には、種類と醸造の場所と年がしばしば記されていた。これらはビンテージ・ワインではなく課税のためである。

 

Photo

2019年5月 9日 (木)

アイスクリームはもともと兵士の健康食だった?

0231   5月9日は「アイスクリームの日」。今では暑くても、寒くても一年中アイスクリームを食べる人が多くなった。アイスクリームが嫌いという人はあまり聞いたことがない。アイスクリームのそもそものルーツは諸説あるが、古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼる。冬の間に降った雪や、自然にできた氷を保存し、蜜などを加えたものを戦場で戦っている兵士に疲労回復の健康食として供したのが始まりといわれる。ほかに中国が起源とする説もある。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本でアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

 

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