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2026年6月18日 (木)

おにぎりの日

Onigiri_01  本日は「おにぎりの日」。「おにぎり」は英語で、rice ball。おにぎりと思われる米粒の塊が弥生時代の遺跡から発見されている。おにぎりの直接の起源は平安時代の「頓食」(とんじき)という食べ物だと考えられている。この頃のおにぎりは楕円形のかなり大型で、使われているのは蒸したもち米であった。鎌倉時代の末期頃には、うるち米が使われるようになった。おにぎりに海苔が巻かれ、現在のような形になったのは、そんなに古いことではなく、江戸時代中期と言われている。加工された四角い板海苔が「浅草海苔」などの名称で一般に普及したのは元禄の頃である。海苔は、栄養が豊富でかつ、手にご飯がつかないという便利さも相まってむ、おにぎりに海苔を巻く習慣が定着した。今や国民食となった「おにぎり」だが、もっとも一番好まれる具は何か?ある調査によると、1位が鮭で、以下、ツナマヨ、梅干し、明太子、昆布、たらこ、おかか、と続く。一般的に高菜は人気がないが、新垣結衣の好物は意外にも高菜ということである。(6月18日)

 

 

 

 

 

 

2026年6月 1日 (月)

チューインガムの日

Adamsgum   6月1日は「チューインガムの日」。この日になった理由は、平安時代の「歯固め」の風習にあります。
  ガムの製造・販売はアメリカ人のジョン・カーティス(1827-1897)で1848年のことで、パラフィンガムを発売した。昔から中部アメリカのネイティブ・アメリカンのマヤ族には、サポディラという木の皮に傷をつけてとった樹液のかたまり(チクル)を口でかむ風習があった。このチクルを原料として、香料などを加えたものがチューインガムである。このチューインガムは、1860年ごろ、アメリカ人トーマス・アダムス(1818-1905)によって初めて作られた。当初は、味をつけないままドラッグストアで販売していたが、後に甘味料を加えるなどして、加工したところ、売り上げが急増した。
その後、改良されたものが、1869年にジョン・コールガンによって、さらに1892年にはウィリアム・リグレー・ジュニア(1861-1932)によって製造され、世界的に販売された。( chewing gum,Sapodila,John B Curtis,chicle,Thomas Adams,Willam Wrigley Jr)6月1日

 

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 ジョン・カーティス

 

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ウィリアム・リグレー・ジュニア

2026年5月27日 (水)

餃子が耳の様な形をしている理由は?

A4omote_olcs3_ol   先日、宮部みゆき「火車」のテレビドラマを観ていたら、被害者の女性が宇都宮出身で刑事がそこを訪れ、餃子を食べるシーンがある。餃子は宇都宮の名物らしい。だが浜松も餃子の消費量は日本一で、宇都宮と浜松とは餃子のご当地グルメとしてPRしているのでライバル関係にある。だが歴史を調べるとそれほど古いものではない。1990年代から地元で日常的に食べられている食品を地域ブランドとして売り出す、ご当地グルメブームが起こってきた。ご当地グルメとは、戦後の高度成長期に産業の発展とともに労働者の胃袋を満たしたものを中心に現在も食文化として続いてきたものをいう。

 餃子が耳の様な形はしてるのは何故だろうか?それは中国の伝統医学と関りがある。後漢の医者・張仲景が村人が凍傷で悩んでいるため、耳の腫れを治そうと薬膳スープを考案したことによるものである。怯寒媽耳湯(きょうかんとうじとう)という今日の水餃子のようなスープである。この伝説から11月の冬至にはみんなで水餃子を食べるという習慣が中国にはある。

2026年5月15日 (金)

お子様ランチの謎

 ハンバーグやスパゲッティ、コロッケなど、子どもに人気なメニューが1枚の皿に載った「お子様ランチ」。NHK番組「チコちゃんに叱られる」では「なんでお子様ランチには旗が立っているのか?」という疑問。梅花女子大学で日本の食文化に詳しい東四栁祥子教授によると、お子様ランチが誕生したのは昭和になってからだという。昭和5年12月1日、東京日本橋にある三越デパートの食堂部主任だった安藤太郎(当時23歳)が数種類の人気メニューを揃えた子供用定食を考案し販売したのが始まりという。値段は30銭。世界恐慌の暗い時代でもあり、子供には楽しい気持ちになってもらおうと開発したという。ではなぜケチャップライスのてっぺんに爪楊枝と紙でつくられた小さな旗(日章旗など)が立てられたのか。番組では安藤太郎さんが登山が好きで富士山をイメージし、ごはんを山に見立てて旗を立てたと考えている。安藤さんは、その後どのように人生を歩んだのか、戦地へ行ったのか、戦後も生き抜いたのか、当時の記録や写真が一切残っておらず(おそらく空襲で焼失したのであろう)、一言でいえば「誰にもわからない」という事なのです。(参考文献:「文化教養講座 日本はじめて物語デパート事始め・大食堂とお子様ランチの始まり」渡邊洋一 歴史研究60-5、2018年5月)

 

2026年5月11日 (月)

ナポレオンと酒

Antiguabotelladebrandyjereznapoleon    皇帝ナポレオン・ボナパルトは高級ブランデーにその名がついていることから、さぞかし酒好きと思われるかたも多いが、実はあまり酒が飲めず、コーヒーを好んだといわれる。高級ワインを水で薄めて飲んでいた。ではどうしてブランデーにナポレオンという名称が付いたのか。1811年、ロシア遠征の前の年のこと、ヨーロッパの空に彗星が現れた。彗星は不吉な出来事とされていたのだ、人々は、戦争や飢饉が起こるのではないかと心配した。しかし、案に相違して、3月20日、ナポレオンの妃マリー・ルイーズがナポレオン2世(1811-1832)を出産。そのうえ、この年はまれにみる好天続きで、葡萄は空前の豊作、いわゆるビンテージ・イヤーだった。以前から彗星の出現した年のワインは「コメット・ワイン」として珍重されてきたが、この年、1811年の「コメット・ワイン」を蒸留してつくったブランデーは、ナポレオン2世の誕生にあやかって特に「ナポレオン・ブランデー」として名付けられ、珍重されてきた。つまり洋酒ナポレオンとは、めいがらではなく等級のひとつ。今日では、世界中に残り少なくなったので、市販されることはなく、わずかに個人の酒庫に1本か2本ずつ秘蔵されている。現在、市販されているナポレオンは、今日では、世界中に残り少なくなったので、市販されることはなく、わずかに個人の酒庫に1本か2本ずつ秘蔵されている。現在、市販されているナポレオンは、ここれらは無関係のものである。(Napoleon,Brandy)

2026年5月 9日 (土)

アイスクリームはもともと兵士の健康食だった?

0231   5月9日は「アイスクリームの日」。今では暑くても、寒くても一年中アイスクリームを食べる人が多くなった。アイスクリームが嫌いという人はあまり聞いたことがない。アイスクリームのそもそものルーツは諸説あるが、古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼる。冬の間に降った雪や、自然にできた氷を保存し、蜜などを加えたものを戦場で戦っている兵士に疲労回復の健康食として供したのが始まりといわれる。ほかに中国が起源とする説もある。13世紀の終わりころ、中国でアイスクリームを食べたマルコ・ポーロが帰国後、そのつくり方をイタリアに伝えたといわれる。現在のようなアイスクリームは16世紀のイタリアルネサンス期の錬金術師によって製法が発明されたといわれる。楽聖ベートーヴェンもアイスクリームが好きだった。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。日本でアイスクリームが広まるのは明治になってから。米国で製法を学んだ出島松蔵が明治6年、明治天皇にレイシの果物と共に「あいすくりん」を献上したのが始まりである。

 

2026年4月22日 (水)

嵯峨天皇と喫茶の宴

Dsc02138   平安時代初期の弘仁6年(815年)4月22日、嵯峨天皇が近江国(大津市)に行幸したとき、梵釈寺の永忠という僧が、茶を煎じて献上したという記録が「日本後紀」に見える。これが確認できる、日本最初の喫茶の記録である。その茶がどういうものであるかは伝わっていないが、永忠は在唐30年の留学僧である。新渡の唐風俗である喫茶をもたらしたと思われる。おそらく永忠は苗木を持ち帰り、栽培した。苗木は10年もすれば成木となり、風味が生まれ、献茶にふさわしい条件をそろえたであろう。嵯峨天皇はこの茶が気に入り、直ちに各地に茶の栽培を命じたといわれる。しかし抹茶を用いるようになるのは鎌倉時代になるまで待たなければならない。

 

 

 

 

2026年4月12日 (日)

パンの日

Img_0735_3  「パンさえあれば、たいていの悲しみには堪えられる」セルバンテス

 

 コメ価格高騰で、主食をパンに切り替える家庭が増えている。本日は「パンの日」。 日本語パン pan は、ポルトガル語 pao から来ている。1600年ごろ、長崎に来たポルトガル人が、その製法を教えたのである。ところが、日本は米、大麦、アワ、ヒエなどを、粒のままで煮て食べる粒食民族だったため、小麦粉で作るパンは、あまり口にあわなかったとみえ、それほど普及しなかった。

   天保12年のこの日、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。昭和58年、パン食普及協議会が制定。明治になっても、どちらかというと菓子パンとして発達したのがパンの歴史である。アンパンを発明したり、ジャムパンやクリームパンなどがさかんに作られ、おやつがわりとして食べられていた。

Img_3939    日本の家庭でパンを食べるようになったのは、1900年以降で、文化人が好んで洋食として取り入れたからである。志賀直哉は大正時代末期からすでにパン、バター、牛乳という朝食スタイルだった。一般大衆がパン食になるのは、学校給食が普及した戦後からである。今では、あんパン、ジャムパンといった菓子パンからホットドック、クロワッサンやマカロンといったスイーツの種類も豊富になった。最近は炭火であぶったチョリソーを、半分に切ったフランスパンにソーセージをはさんだアルゼンチンのチョリパンが日本でも食べられる。

 

1egyptbreadmakinggranger     世界でパンを初めて食べだしたのは古代エジプト人である。6000年前ナイル流域に定着しだしたころから、ひたすらパンを主食にしてきた。パンつくりは女の仕事で、そのころ「パンをふくらます技術」は秘中の秘としてエジプト人の間に守られていたが、イオニアを経てギリシアへ、さらにローマへ伝わった。ローマ時代にはパン屋やパンの工場もできていたことが、ポンペイの遺跡発掘で、わかっている。その後、ルネサンスの勃興とともにその技術は向上し各国に広まったが、フランスにおいて特に著しい発達を遂げた。一方、イギリスには古代ローマから伝えられたものが山高の独自の形態を生み出し、現在のアメリカのパンの元祖となり、中央アジアに始まるライ麦パンはロシア・ドイツなどで発展した。(choripan) 4月12日

 

2026年2月28日 (土)

ジャガイモの芽による中毒症状

    ジャガイモは新大陸の発見によって、原産地ペルーからヨーロッパへともたらされた。ジャガイモは栄養価もあり、保存性もよく、人々の飢えを救う大切な食物である。ジャガイモはナス科ナス属、学名はソラヌス。芽にはグリコアルカロイドという化合物が高濃度に含まれており、人にとって毒性がある。嘔吐、腹痛、下痢などの症状が現れ、まれに死に至るケースもある。

2024年7月9日、鳥取県八頭町で児童がジャガイモを調理して食べた後、腹痛を訴える食中毒が発生した。

Img7b154288zikbzj     1969年のロンドンの小学校で食中毒が起きた。夏休み中、ずっと給食室にあったジャガイモが誤って給食の食材に使われた。6時間後、78人が倒れ、17人が入院。うち3人が重態となった。嘔吐、痙攣、発熱。重い患者は昏睡状態に陥ることがある。2019年7月12日、宝塚市の小学校で校内で採れたジャガイモを食べた児童13人が軽い食中毒になった。ジャガイモの芽は恐ろしい。

 

 

2026年1月22日 (木)

カレーの日

Yukichi_s   今日はカレーの日。1982年に全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定められた。チコちゃんに叱られるで「キャンプでカレーをつくるのはなぜ?」答えは「男女の仲を深め健全な夫婦にするため」戦後、中学の校外学習でキャンプ場で飯ごう炊飯でカレーを食べた。あれはGHQの指令だったのか。

  インド発祥の料理にして、今や日本の国民食といわれるカレーライス。カレーはタミル語「カリ(kari)」から転じたもので、「汁」という意味である。1908年に海軍が手軽に肉と野菜をバランスよくとれる食事としてカレーライスを採用したことが普及した理由といわれる。そして文献の中でカレーを初めて紹介した人物は福沢諭吉(1835-1901)であるということもクイズなどで知られている。福沢は「増訂華英通信」(1860)に簡単な意味やカタカナの発音を付記し刊行した。「Curry」は「加兀 (コルリ)」とある。はたして福沢がカレーを賞味していたかどうか定かではない。1864年には岩松太郎が著書「航海日誌」の中で、船中でアラビア人がカレーらしきものを食するのを目撃している。1871年、留学生の山川健次郎が船上で「ライスカレー」を注文するも口に合わずご飯だけを食べたと記載している。(1月22日)

 

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左2段目にCurryの語がみえる(増訂華英通信)

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