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2021年6月29日 (火)

パウロ生誕論争

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 マルタ島に難破したパウロは逆境に打ち勝った

  キリスト教をローマ帝国に普及するのに最も功の多かったのはパウロである。皇帝ネロ治下に殉教の死をとげたと伝えられ、紀元64年とも65年ともいわれる。生年は不詳。キリキア州のタルソスで生まれた。フィレモンへの手紙によれば、パウロは自分を「年老いた(ブレスビューテス)」と言っている。古代の数え方によれば「年老いた人」は60歳に達した人をいう。このことから逆算すれば、①紀元8年説②紀元10年説(万有百科大事典4)などが有力である。カトリック教会では2008年6月28日から2009年6月29日までを「パウロ年」と定めパウロの生誕を祝った。もちろん生年が明らかでないが、歴史家はパウロの生誕を紀元7年から10年までの間とみなしている。

2021年3月 6日 (土)

キリストの生没年

Leasu  イエス・キリストは、紀元前6年ないし紀元前4年ごろベツレヘムで生まれた。イエスの誕生日が12月25日という確証する記録はない。そして紀元後30年4月7日(ユダヤ暦のニサン14日、複数説あり)、生地からさほど遠くないエルサレムのゴルゴダの丘で磔刑に処せられた。むかしのユダヤ人の暦では、一日のはじまりは日没、つまり晩からであった。そのためイヴとは前夜ではなく、その言葉の通り、クリスマス当日となっている。しかしベツレヘムの12月といえば、雨の多い寒い季節である。この時期に羊飼いがヒツジの群れと共に一晩中野原で過ごすことはない。イエスは秋の初め頃、おそらく9月に生まれたのであろう。では何故、12月25日を誕生日としたのか。当時ローマ帝国で最も広く信奉されていたのはミトラ教である。そしてミトラ教の最大の祭日が12月25日だったので、クリスマスの制定に影響を与えたと考えられる。キリスト教の行事のなかで12月1日から25日までは「待降節」といい、12月25日から1月6日までは「降誕節」という。3月5日から4月20日までが「四旬節」、4月20日から6月9日までが「復活節」である。12月25日のクリスマスは日本でもお馴染みとなったが、「エピファニー」はほとんど知られていない。キリスト生誕のとき東方から来た3人の博士の前に初めてキリストが姿を現したことを記念する日であるクリスマスから12日目の1月6日に行われる。(the Epiphany)

 

 

 

 

2021年1月 9日 (土)

内村鑑三不敬事件

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   明治23年10月30日に発布された教育勅語について文部省はその謄本を作成して、全国の国公私立の学校に配布した。内村鑑三が嘱託教員として勤務していた第一高等中学校では、明治24 年1月9日にその奉読式を実施した。その際、内村は、拝礼が宗教性を帯びると判断して、偶像崇拝を否定するキリスト教の信念に従い、軽く会釈する程度の敬意を表することにとどめたが、生徒および教員の一部から、この内村の行為は皇室に対する不敬であるとの非難が発生し、同年1月から、その記事・論説の数は143、掲載新聞の数は56種に達したが、そのほとんどは、「不忠の臣」「外教の奴隷不敬漢」というものであった。生徒の中には、封筒の中にカミソリを入れ、「不敬者、これで腹を切れ」という手紙を出した者もいた。新聞報道などによって「不敬事件」として一挙に社会問題となったが、内村は自分がけっして勅語の趣旨を批判するものではないと弁明し、宗教上の拝礼ではなく社会的な敬礼であればと、たまたま病床にあったために友人の教授木村駿吉に代理敬礼を委嘱した。事件後1ヵ月も経たない同年2月3日病気を理由に同校を依願退職した。全国から激しい非難を浴びた内村は、その後、病床に就く。看病した妻加寿子は、心身の疲れから、急逝した。しかし、この機会にキリスト教の弊害を指摘しようとする国体論者や仏教界の一部などからの画策もあって、帝国大学教授井上哲次郎が「教育と宗教の衝突」を発表するや、問題は単なる内村の一「不敬行為」への糾弾からキリスト教一般への攻撃へと展開していった。内村は井上に反論する形で「基督教徒の慰め」を出版。内村は、孤立してでも自分の信仰を守ることを主張している。のちに丸山真男は「こういう事件は、直接の被害者はひとりか数人であっても、タブーを社会的に拡大し、無数の人々の思想に目に見えない統制を加えるという点で、大きな意味をもつわけであります」と分析している。(「思想と政治」1957年8月 信濃教育第849号)

 

 

2020年12月25日 (金)

明治最初のクリスマス

Tumblr_mfhf4o9lle1qbn3ato1_500   日本人が初めてクリスマスを祝ったのは、1874年、米国長老教会の宣教師の指導の下、原胤昭(1853-1942)が東京・築地湊の第一長老教会で催したクリスマス祝会で、戸田忠厚という者が裃をつけ、大小脇差を携えて、大森カツラをかぶったお殿様姿でサンタクロースとして登場した。同年中、この教会で受洗し後牧師となる田村直臣も、この祝会に参加したが、「さんたくろすがとんなものか見たことはなく、クリスマスとどう関係があるかも知らず、ただのその名前が大変奇妙に聞えた」と述懐している。1898年、進藤信義が日曜学校の子供向け教材として作成した冊子「さんたくろう」(三太九郎)の扉絵は、ロバを従えクリスマスツリーを抱えて、ややドイツ風のサンタクロースであった。

2020年12月24日 (木)

クリスマスの風習とサンタクロース

Sc02   この時期になると街中にクリスマス・イルミネーションが点灯される。クリスマスという、現在の日本にとっても馴染みのある習慣は、老いも若きも何となくうきうきする季節だろう。家のリースやツリー、クリスマス・ケーキ、そしてプレゼント。「我が持てる包の中もクリスマス」(山内山彦)だがコロナ禍の今年のクリスマスはいつもとちょっと違う。

  クリスマスの歴史は長く複雑な意味をもつ。キリスト教とのつながりや、キリスト教以前の、ずっと古代に遡る、ヨーロッパ・地中海に面している諸文化の世界観や信仰の形態の影響が認められる。したがって、今日の世俗化されたサンタクロースの意味を理解するためには、キリスト教またはキリスト教以前の様々な信仰の形態の理解が前提になってくる。とくにサンタクロースは死者の象徴であると、レヴィ・ストロースが主張している。古代からのヨーロッパの民間信仰では、我々一般人にあの世から豊穣をもたらすのは、国家に認定された公式の神々ではなく、むしろ地域の小さな神々であった。これらは、多くの場合、先祖に限りなく近い性質をもっていた。現在、クリスマスが主に家族中心の祝いになっているのも、古代からのこの伝統的思想を継承しているからだと思われる。サンタクロースの根底には、冬に関する古代からのシンボリズムが認められる。キリスト教がこの複雑なシンボリズムを横領し、それをキリストの降誕と習合させた。

   このようなキリストの生誕を祝うクリスマスの風習や行事が世界中に広まったのは19世紀に入ってからのこと。とくに今日のようにみんなでお祝いするのは一冊の本がきっかけとなっている。英国の文豪チャールズ・ディケンズが1843年に書いた「クリスマス。キャロル」である。内容は守銭奴スクルージがクリスマス・イヴに超常的な体験をして改心というスートリー。ちなみにアンデルセンの「マッチ売りの少女」はその5年後の1848年のことである。(参考:ファビオ・ランべッリ「サンタクロースの文化史のための覚え書き」比較文化論叢 札幌大学文化学院紀要19、2007年)

2020年12月19日 (土)

キリスト十字架はりつけ刑の謎

800pxandrea_mantegna_029 磔刑図 アンドレア・マンテーニャ 1457-60年 

 

Img_0011 2人の盗賊の中に磔けられるキリスト アントネロ・ダ・メッシーナ 1475年

 

   イエスが処刑されたのは一般的には十字架であったと信じられている。しかし横木を用いた十字形ではなく、スタウロスという「杭」で処刑されたという学説もかなり古くから存在する。つまりイエスは両手を頭上に伸ばした形で杭に手と足に太い釘が打ち込まれた。釘の刺さった箇所が体の重みで裂けるため、痛みは耐え難いものである。当時のユダヤはローマ支配下にあってローマ時代の一般的な方法は十字架刑ではなく杭殺刑であったというのがその根拠である。中世の絵画では、マンテーニア(1431-1506)の作品にみられるような十字架刑がほとんどである。ところがメッシーナの作品のように左右の罪人を杭刑で、イエスを十字架刑に区別しているものもある。しかし、杭と十字架を並べることはいかにも不自然である。十字架磔刑説はキリスト教がヨーロッパに普及して成立したものであろう。

 

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2020年12月 5日 (土)

アダムのりんご

18adameve   今日すべてのリンゴの起源はカザフスタンの野性リンゴの子孫だと考えられる。そして、リンゴは中央アジアの山岳地帯を越えて、西へ東へ広まった。旧約聖書の創世記にしるされた話。エデンの園で、アダムとイブが食べた禁断の木の実は、英語の聖書には単に the fruit of the treeと書かれているが、一般に appleといわれている。

  民間の伝承から生まれた言葉として、英語で「アダムス・アップル」というのがある。これは、喉頭隆起、つまり、のどぼとけのことで、アダムが神の眼を盗んで禁断の実を食べたとき、神から声をかけられあわてて飲み込んだところ、それが喉につかえたために、子々孫々の男性は、それを、喉に記念として残した、というのである。

 ギリシア神話ではトロイ戦争の発端ともなった黄金のりんごの話がある。りんごは愛情の表象ともいわれる。(世界史こぼれ話)

2020年12月 4日 (金)

聖バルバラの日

 

 

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 1世紀ごろ、ローマ帝国は、国家の神々の尊崇を人民の義務とはしたが、諸宗教に寛容なことが統治の良策であると考え、国家宗教を外形的に認めるならば、これとならんで他宗教を崇拝することは妨げなかった。キリスト教は、その特異な性格のため異教徒の民衆のあいだで早くから憎悪されていたが、はじめユダヤ教の一派と認められていたから、アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウスなどの皇帝たちはおおむね寛容に取り扱っていた。国家による迫害はきわめてまれで、64年のネロの迫害も、ローマ市の大火災の責任を民衆に憎悪されているキリスト教徒に転嫁しようという特殊事情にもとづくものであり、迫害の範囲もローマ市に限られていた。エルサレム陥落後、キリスト教とユダヤ教の対立、キリスト教の独立の存在が明らかとなり、つづいて皇帝崇拝が強化されていく時代にキリスト教徒が皇帝崇拝を拒絶するにおよんで、ドミティアヌス、トラヤヌス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウスなどの治下に、やや大規模な迫害がおこなわれた。しかしこれらも全帝国にわたるものではなく、また継続的なものでもなかった。迫害されたキリスト教徒は、地下に深く迷路のように掘られたカタコンベなどに逃れて信仰を続けた。キリスト教への信仰に目覚めた少女バルバラが処刑された。303年、伝統的なローマの神々への信仰を重んじ、皇帝崇拝を強制したディオクレティアヌス帝が大迫害を行ったが、ますます増える信者の勢いに、迫害より懐柔と、313年、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令によってキリスト教を公認。たちまち教会組織が整えられ、聖職者の身分が生れた。(catacombe、12月4日)

2020年10月 4日 (日)

聖フランチェスコ

Photo サセッタ「恍惚の聖フランチェスコ」 フィレンツェ

 

  本日は「世界動物の日」。アッシジのフランチェスコの聖名祝日。イタリアのアッシジの裕福な商家に生まれたフランチェスコ(1181-1226)は、やがてキリストに目覚めて、父も家業も捨てて求道生活に入る。その魅力ある人柄は「キリストに最も似た人」と評せられ、カトリック、プロテスタントを通じて最も愛せられた聖人となっている。シエナの画家サセッタ(1392-1450)は1437年から1444年にかけて聖フランチェスコの絵を多数描いている。(10月4日)

2020年8月 3日 (月)

モーゼの墓

Photo_2   古代ヘブライの予言者モーゼの墓が日本にあるという。石川県押水町。シナイ山に登ったモーゼは天浮船に乗り、能登宝達山に辿り着いた。その後、583歳まで生き、三ッ子塚に葬られた。モーゼパークは、そんな聖者が眠る伝説の森である。

   ところで、「モーゼ」それとも「モーセ」、とちらが正しいのか?本によってモーゼとなっていたり、モーセとなっていたりするが、古い本は「モーゼ」が多い。広辞苑や日本聖書協会発行の新共同訳聖書では「モーセ」となっている。

 

 

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