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2018年6月29日 (金)

パウロ生誕論争

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 マルタ島に難破したパウロは逆境に打ち勝った

  キリスト教をローマ帝国に普及するのに最も功の多かったのはパウロである。皇帝ネロ治下に殉教の死をとげたと伝えられ、紀元64年とも65年ともいわれる。生年は不詳。キリキア州のタルソスで生まれた。フィレモンへの手紙によれば、パウロは自分を「年老いた(ブレスビューテス)」と言っている。古代の数え方によれば「年老いた人」は60歳に達した人をいう。このことから逆算すれば、①紀元8年説②紀元10年説(万有百科大事典4)などが有力である。カトリック教会では2008年6月28日から2009年6月29日までを「パウロ年」と定めパウロの生誕を祝った。もちろん生年が明らかでないが、歴史家はパウロの生誕を紀元7年から10年までの間とみなしている。

2018年3月29日 (木)

キリスト死の記念式

Sanprashid195x300   西暦33年、イエスはゴルゴダの丘で処刑された。ユダヤ暦のニサン14日にあたる。ニサン14日を太陽暦になおすと今年は3月31日になる。一般にイエスの墓があるのはエルサレムの「聖墳墓教会」あるいは「園の墓」とされるが、なんとイエスは日本で死んで、その墓もあるとする珍説がある。1935年に鳥谷幡山が青森県戸来(へらい)村(現在・三戸郡新郷村大字戸来)で十莱塚を発見した。竹内文書には、イエスはゴルゴダで処刑されず、その弟イスキリを身代りにして日本に渡来して死に、その墓が「十莱塚」であるとする。戸来村の村名は、ヘブライに由来する。あなた信じますか?

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 青森県戸来にあるキリストの墓

2018年1月21日 (日)

フランスはカトリックの国

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    アンドレ・ジイドの「一粒の麦もし死なずば」の一節に次のような話がある。

僕の級も学校も二つの党派に分かれていた。カトリック派とプロテスタント派だ。アルザス学校へ入学して初めて、僕は自分がプロテスタントだと知った「貴様はカトリックか?それとも新教か?」これ等の奇異な言葉を生まれて初めて耳にしたので、完全にあっけにとられて、僕はそれが何のことか解らないと答えた。中に1人、親切な生徒がいて僕のために説明の労を取り、「聖母マリアを信じるのがカトリックだよ」と教えてくれた。それをきくと僕は叫んで云った。自分はプロテスタントに相違ないと。小さな痩っぽちの、今まで黙っていたのが、急に叫んで云った。「僕の父は無神論者だよ」偉そうな調子で言われると、皆が当惑してしまった。

    16世紀後半、カトリック教徒とユグノーと呼ばれたプロテスタントとの間で激しい戦争が行われた。有名な「サン・バルテルミの虐殺」という大量虐殺が行われたのもこの頃である。アンリ4世がナントの勅令を発して戦いはようやく終結したが、17世紀を通じてプロテスタントに対する圧迫はやまず、その結果、フランスではプロテスタントは減少した。現在、フランスではカトリック教徒は約80%以上であり、プロテスタントはわずか数パーセントにとどまり、ほかに若干のユダヤ教徒、イスラーム教徒がいる。さきごろフランス上院では、ブルカ禁止法が欧州で初めて成立した。

2018年1月 9日 (火)

内村鑑三不敬事件

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    明治23年10月30日に発布された教育勅語について文部省はその謄本を作成して、全国の国公私立の学校に配布した。内村鑑三が嘱託教員として勤務していた第一高等中学校では、明治24 年1月9日にその奉読式を実施した。その際、内村は、拝礼が宗教性を帯びると判断して、偶像崇拝を否定するキリスト教の信念に従い、軽く会釈する程度の敬意を表することにとどめたが、生徒および教員の一部から、この内村の行為は皇室に対する不敬であるとの非難が発生し、同年1月から、その記事・論説の数は143、掲載新聞の数は56種に達したが、そのほとんどは、「不忠の臣」「外教の奴隷不敬漢」というものであった。生徒の中には、封筒の中にカミソリを入れ、「不敬者、これで腹を切れ」という手紙を出した者もいた。新聞報道などによって「不敬事件」として一挙に社会問題となったが、内村は自分がけっして勅語の趣旨を批判するものではないと弁明し、宗教上の拝礼ではなく社会的な敬礼であればと、たまたま病床にあったために友人の教授木村駿吉に代理敬礼を委嘱した。事件後1ヵ月も経たない同年2月3日病気を理由に同校を依願退職した。全国から激しい非難を浴びた内村は、その後、病床に就く。看病した妻加寿子は、心身の疲れから、急逝した。

   しかし、この機会にキリスト教の弊害を指摘しようとする国体論者や仏教界の一部などからの画策もあって、帝国大学教授井上哲次郎が「教育と宗教の衝突」を発表するや、問題は単なる内村の一「不敬行為」への糾弾からキリスト教一般への攻撃へと展開していった。内村は井上に反論する形で「基督教徒の慰め」を出版。内村は、孤立してでも自分の信仰を守ることを主張している。のちに丸山真男は「こういう事件は、直接の被害者はひとりか数人であっても、タブーを社会的に拡大し、無数の人々の思想に目に見えない統制を加えるという点で、大きな意味をもつわけであります」と分析している。(「思想と政治」1957年8月 信濃教育第849号)

2017年12月25日 (月)

サンタの服が赤いのは!? 

Photo_4     一般に、イエスは12月25日に生れたとされている。「クリスマス」は「キリストのミサ」、つまりキリスト降誕を祝うミサを意味する。しかし聖書にはイエスの誕生の日付は記されていない。12月25日は、農耕神サトゥルヌスを讃えるサトゥルナリア祭やローマのソルとペルシャのミトラという太陽神の祝祭を合体させたものである。それらの異教の祝祭日を教皇ユリウス1世が西暦350年にキリスト教の誕生日であると宣言したことにはじまる。研究者によると、実際のイエスの誕生日は古代ユダヤ暦のエタニムの月(9~10月)だそうだ。初期キリスト教の伝道者たちはイエスの誕生を祝ったりせず、イエスの死だけを記念して祝った。もちろんサンタクロースの話などはイエスと無関係。小アジア(現在のトルコ)のミラの聖ニコラウス大司教に由来する。聖ニコラウスを意味するオランダ語がなまって「シンテルクラース」から派生した。今日の、赤と白の衣裳に白いあご髭をたくわえた優しそうなおじいさんのサンタは、当時の有名な画家サンドプロムが描いたコカ・コーラの広告(1931年)が世界中に広がって、知られるようになった。クリスマスにプレゼントを贈ったり、ゲームを楽しんだり、パーティで馬鹿騒ぎすることは、古代ローマ人の太陽の誕生を祝うという偽りの宗教に由来する習慣である。教会の指導者たちは、真理を教えることよりも、教会の信者席をいっぱいにすることに熱心になり、コンサートとか行事を催している。クリスマスに愛する異性と夜を過ごすという日本の風潮も嘆かわしいもの。世俗化・商業化されたクリスマスは地域経済の活性化に大きく貢献していると人はいうかもしれない。しかし経済的負担をかけることは神の崇拝とは無縁のことである。最近ではデパートなどショッピング・センター以外にも公共の場でも大きなクリスマス・ツリーをみかける。ツリーを飾る習慣は、ドイツで行われていた樹木信仰を取り入れたもので、19世紀以降に北ヨーロッパや北米に広まった。イエスをたたえるはずの時が、子供をだます時になるのはおかしなことではないだろうか?

2017年8月 8日 (火)

日本で最初の和訳聖書はいつか?

   レファレンス協同データーベースの質問「聖書の和訳が日本でできた年を知りたい」とある。大阪府立図書館の回答(キリスト教33)によれば、「明治4年のゴーブル訳「摩太福音書」とある。

   「摩太福音書」とは「マタイ福音書」のことで、ジョナサン・ゴーブルによる抄訳であるが、明石書店から1989年に復刻版が刊行されている。永田方正(1838-1911)による「西洋教草(おしえぐさ)」は、2年後の明治6年のことで、これも抄訳ではあるが、かなり分量が増えており、こちらのほうを日本最初とする本もある。全訳としては、日本聖書協会が明治12年に「新約聖書」を、明治21年に「旧約聖書」を完成している。明治13年にはネイサン・ブラウンが「志無也久世無志與(しんやくせいしょ)」が日本語としては初めての、新約聖書全巻の翻訳である。

    ところでジョナサン・ゴーブル(1827-1896)は若い頃、強盗で2年間刑務所で服役。のち海兵隊に入隊し、ペリー艦隊として来日。1859年、宣教師として再来日している。( Jonathan Goble )

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2017年4月 3日 (月)

アダムが食べた木の実はリンゴではない!?

   聖書の中で、アダムとイブはこの世に登場した最初の人類として描かれている。エデンの園に暮らしていた2人は、蛇にそそのかされて、禁断の木の実を食べ、それがもとで2人は楽園から追放される。だが、そのもととなった古代ヘブライ語の原文では、単に「果物」と書かれているだけで、リンゴやほかの果物とは特定されていない。しかし一般に禁断の木の実は、リンゴ(青リンゴ)だといわれる。しかしリンゴというのは寒い地方になる果物であり、エデンの園周辺にリンゴの木は存在しなかったとされ、「禁断の果実」はリンゴである可能性は低いと考えられる。それはラテン語の「malus」の意味をとりちがえたものらしい。malus は、形容詞では「邪悪な」を意味するが、名詞になると「リンゴ」の意味になる。禁断の木の実=リンゴ説が一般化するのは、ミルトンの「失楽園」(1667年)からだといわれる。しかし、「聖書」創世記2章17には「善悪の知識の木」とあり、リンゴという記述はない。東欧のスラブ語圏では、禁断の木の実はブドウと考えている。またアダムとイブがイチジクの葉で体を隠していたことから、イチジクの実に違いないという説もある。ミケランジェロ・ブオナローティのシスティーナ礼拝堂天井画はイチジクが描かれている。このほか、ザクロ、キャロブ、シトロン、ナシ、ダチュラ、トマトなどが禁断の果実という説がある。リンゴが西欧世界で性のメタファー(隠喩)となるのは、ギリシア神話の影響があるからだとする説もある。争いの女神エリスがリンゴを投げ入れ、「最も美しき女性に」と書かれたことから、アフロディテ、ヘラ、アテーナーの3人が争った。その審判をトロイア王のパリスが行った。パリスは、アフロディーテを選び、その結果、世界一美しい女性へレンを得た。これがトロイア戦争の発端となるという「黄金のリンゴ」の伝説は、アダムとイブの「禁断の果実」とも結びついているというのである。

2017年3月20日 (月)

イサクの犠牲

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  アブラハムはメソポタミア南部の大都市ウルで生まれたが、父に連れられて北方のハランに移住し、75歳のときそこからまた、神の命令に従い、パレスチナに移った。アブラハムにはサラという妻がありましたが、2人は長い間、子どもに恵まれなかった。ところがアブラハムが99歳になったとき、神が彼にのぞんでいわれた。「彼女によってあなたに1人の男の子を授けよう」アブラハムは、自分が100歳近く、サラは90歳にもなってどうして子が生れようか、心のなかで笑いました。けれども、実際に男の子が生れて、イサクと名づけました。イサクとは「笑い」という意味である。

 あるとき「あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」という驚くべき命令を神から与えられたが、黙ってこれに従い、息子を連れて3日間旅をして指定された場所に着いた。そして連れてきたふたりの従者は、乗ってきたロバとともに麓に残し、イサクに薪を背負わせ、彼自身は火と刃物を手に持ちふたりだけで、のちにエルサレムの神殿が築かれることになる山を登り、そこに祭壇を設け、イサクをしばり、薪の上に載せると、刃物を振って殺そうとした。しかしその瞬間に、天使が声をかけて彼をとめ、アブラハムが目をあげて見ると、背後のやぶに1頭の雄羊がいたので、彼はこれを捕らえ、イサクの代わりに生贄として神に供えて、それを生贄とした。イサクが結婚する年齢になった時、アブラハムは彼のために妻を見つけさせた。これがリベカである。イサクとその家族はカナンとネゲブとの間を往来した。イサクの羊飼いが、ある井戸のことで争いを起こしたので、「7つの井戸」と呼ばれるベエル・シバに移った。イサクが死んだ時、彼もまたマクペラの洞穴のなかのアブラハムのそばに葬むられた。

2016年12月24日 (土)

ベツレヘムの星

    イエス・キリスト生誕の地はエルサレムの南方約8キロにあるベツレヘムとされている。一般にイエスの生年はヘロデ大王(在位前67年ー前4年)の死んだ紀元前4年の少し前とされる。誕生から間もなく救世主の誕生を祝う星が東方からやって来た3人の博士(マギ)たちを導いて、幼児イエスのいるベツレヘムまでゆき、その上でとどまった。ベツレヘムの星である。まさしくイエスはメシア・キリストという証明なのだ。東方三博士の名はガスパール、バルタザール、メルチョールの三人。ガスパールは金髪で白人の若い博士。イエスに乳香を贈った。バルタザールはひげの褐色の肌の壮年博士。イエスに没薬という高価な薬を贈った。メルチョールは白いひげの白人の老博士。イエスに黄金を贈った。黄金はイエスの生まれながらにもつ王権をあらわす。

    イエスが誕生したことを知ったヘロデはベツレヘムの2歳以下の男子を皆殺しにしようとした。ヨセフ、マリア、イエスたちは、危うくエジプトへ逃れた。

2016年12月15日 (木)

明治のクリスマス

Tumblr_mfhf4o9lle1qbn3ato1_500   日本人が初めてクリスマスを祝ったのは、1874年、米国長老教会の宣教師の指導の下、原胤昭(1853-1942)が東京・築地湊の第一長老教会で催したクリスマス祝会で、戸田忠厚という者が裃をつけ、大小脇差を携えて、大森カツラをかぶったお殿様姿でサンタクロースとして登場した。同年中、この教会で受洗し後牧師となる田村直臣も、この祝会に参加したが、「さんたくろすがとんなものか見たことはなく、クリスマスとどう関係があるかも知らず、ただのその名前が大変奇妙に聞えた」と述懐している。1898年、進藤信義が日曜学校の子供向け教材として作成した冊子「さんたくろう」(三太九郎)の扉絵は、ロバを従えクリスマスツリーを抱えて、ややドイツ風のサンタクロースであった。

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