1683年、芭蕉庵焼失
「枯枝に鳥のとまりたるや秋の暮」
延宝8年、深川に移る。これが芭蕉庵の始まりである。天和2年3月、「武蔵曲」においてはじめて芭蕉の号を用いた。この年12月28日、駒込の大円寺を火元とする大火があって、芭蕉庵も類焼した。芭蕉は辛うじて難を免れ、門人高山麋榯に招かれて甲斐国谷村の高山邸に身をよせ、ここに半年あまり寓居した。翌年5月江戸に帰ったが、其角によれば、この災難によって芭蕉は「猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発」したという。6月には郷里の実母の死去の悲報に接し、冬には素堂ら友人門弟の勧進によって新庵が落成し、ここに落着いた。このころから芭蕉の人生観、俳諧観が大きく変わったものと考えられる。
31 朝顔は 酒盛知らぬ盛りかな
32 蕣は 下手のかくさへ哀なり
33 朝茶のむ 僧静なり菊の花
34 朝露に汚れて涼し瓜の泥
35 朝な朝な 手習すすむきりぎりす
36 あさむつや 月見の旅の明けばなれ
37 あさよさを 誰まつ島ぞ片心
38 紫陽花や 帷子時の薄浅黄
39 明日は粽 難波の枯葉夢なれや
40 遊び来ぬ 鱁釣りかねて七里迄



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