2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

2012年4月18日 (水)

黒板を背にして

Photo   「自分の生涯はその前半は、黒板を前にして座した。その後半は、黒板を後にして立った。けっきょく、黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記はつきるのだ」

   満60歳になって、京都大学退職のおり西田幾多郎(1870-1945)はこう語った。西田幾多郎は、明治3年4月19日、石川県河北郡宇ノ気村字森に生まれた。石川県専門学校で、数学の北条時敬(1858-1929)という先生と出会う。北条から数学者になるように勧められるが、哲学を志した。

 一事を考へ終らざれば他事に移らず。

 一書を読了せざれば他書をとらず。

   西田青年の学問への強い決意が、日記に記されている。

2012年3月26日 (月)

王陽明、竜場の危難

485_1_org   王陽明は、劉瑾の怒りにふれ、貴州省竜場駅に流讁され、刺客に殺されそうになったので、石室を作ってその中で日夜静座して瞑想し、思索した。そしてある夜更けに、「聖人の道は、吾が性自ら足る」すなわち格物到知の真の意味を悟った。37歳のときのことである。

2012年2月11日 (土)

デカルトとクリスティナ女王

   ルネ・デカルト(1596-1650)はスウェーデンのクリスティナ女王(1626-1689)の熱心な招聘を受けた。デカルトの親友シャニュ(1601-1662)がストックホルム駐在のフランス大使で女王にデカルトを売り込んだのだ。その19歳の若い女王はデカルトの「愛についての書簡」を読んで感動した。デカルトは寒い国に行くことは気がすすまなかった。しかし強引な女王は軍艦までよこして招聘につとめたのでさすがのデカルトも無碍に断われなくなった。1649年9月オランダを出発し、10月、ストックホルムに着いた。厳冬早朝の講義は、ひ弱で、朝寝の習慣を持っていたデカルトにとって身にこたえるものであった。1650年2月2日、デカルトは病気になった。風邪から肺炎にかかって2月11日早朝、あっけなく54歳の生涯を終えることになる。

2012年2月 5日 (日)

第3の壁

Mankind

   アメリカの社会学者ロバート・リンダーは、人間個人の生活を、三つの壁で閉じ込められた三角形の空間にたとえている。第1の壁は避けることのできない「死の壁」である。第2の壁は、もって生れた肉体的、精神的な能力である。第3の壁は、われわれの「無知と愚かさの壁」である。ただし、この壁には鍵であけることのできるドアがついている。無知や愚かさは、経験や知識、技術などを本として蓄積することによって克服できるのである。

2012年1月20日 (金)

カント 時計よりも正確

Kanti1

  哲学者カントは、その一生のほとんどをケーニヒスベルク(現カリーニングラード)という小さな町で暮らしていた。毎朝5時起床、10時就寝と定まっていた。朝食にはコーヒーを2杯飲んで、タバコを吸う。午後3時になると必ず街に散歩にでる、というのが1日の習慣である。カントの体のなかに時計があるかのごとく、実に規則正しい生活であった。

   下男のランベは5時15分前に、ベッドの傍へ行ってカントを起す。前日どんなに夜ふかしをした朝でも、彼はこの声で飛び起きた。「ランベよ、お前と30年も暮らしてきたが、1日でも、2度も3度も私を起こさねばならなかったことはあるまい」と自慢していた。

    詩人ハイネの話によれば、カントはいつも午後に散歩をしたが、その時刻は1分とちがわなかった。それで街の人々は、時々とまったりする大通りの時計を当てにできず、彼の通る姿を見て、めいめいの時計を合わせたというほど規則的であった。(参考:西元篤『逸話365日』創元社 1958)

2012年1月18日 (水)

孔子と喜怒哀楽

Tky43
 孔子像(湯島聖堂)

   喜怒哀楽は人間の本来誰しもが持っている感情である。ただ、これに振り回されると、道義を見失うことがある。孔子も本当は激しく感情的な人であったかもしれない。弟子の顔回が死んだとき、「ああ、天はわれをほろぼした」と嘆き悲しんだ。喜怒哀楽に関しては『中庸』にふれている。「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発して皆な節に中る、之を和と謂う。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物育す」とある。考えや行動などが1つの立場に偏らず中正であり、過不足なくさりとて単純に中間をとればよいというのではなく、極端にならないことがよい。(黄紹祖「孔子之喜怒哀楽」 1987年)

2011年12月24日 (土)

高山樗牛、姉崎正治の友情

102785 Main_200
   高山樗牛          姉崎正治

    高山樗牛(1871-1902)は、はじめは井上哲次郎らと盛んに日本主義を唱えてキリスト教、仏教を攻撃した。だが明治34年頃からニーチェの哲学思想を讃美し、「美的生活を論ず」などの評論を発表、これをめぐって坪内逍遥、島村抱月らと論争を展開した。明治35年12月24日、危篤状態に陥ったとき、叔父に「自分は人生の光をみつけたが、これを世に伝えることは嘲風に頼みたい」と言い残した。32歳だった。遺言のなかの嘲風とは、友人で宗教学者の姉崎嘲風(姉崎正治)のことである。ともに「帝国文学」の発刊に携わり、宗教的色彩の強い文芸評論で知られた人物である。高山樗牛と姉崎嘲風との友情は厚く、二人の往復書簡は当代の青年層に大きな影響を与えた。

2011年12月17日 (土)

ショーペンハウエルと読書

Schop_atman600

    厭世哲学者ショーペンハウエルの言葉に「人は、先の40年で本文を記し、続く30年で注釈を加える」というのがある(「読書について」)。そして彼は新刊書を追い求める人々を誡め、古典に集中せよという。学問がそんなに進歩することはない。真理は昔にすでに発見されている。現代の著述家たちは売文のために新しく編集しなおしたにすぎない。そしてショーペンハウエルはインドの古代思想ウパニシャッド哲学にふれる。輪廻転生を繰り返す、宇宙原理ブラフマンと個人の魂アートマン。人間を嫌い、ついに愛犬としか話をしなくなった。愛犬の名もアートマン(atoman)という。

2011年12月14日 (水)

現代に生きる論語

Untitled

    いまでも高校漢文に論語は載っているはずである。しかしそれは理解しやすい章句だけが引用されているにすぎない。全文を理解しようとすれば相当の時間と労力を要するであろう。私は一度も全文を通読したことはない。理解しやすい章句をつまみ食いするだけである。論語は士大夫について述べたものである。だから文字を知らない一般庶民には無関係の話である。たとえ文字を知っていたとしても「士」としてみなされることは高いハードルがある。「士にして居を懐うは、もって士となすに足らず」(憲問篇)。「居」とは「安座」の意で、自分の郷里・家庭・地位など、すべて自分の安逸の情をみたしうるところ。衣食住や富、地位ばかりを求める人間は、とうてい士としての資格がないというのである。ではどういう人間が孔子の理想なのであろうか。「疎食を食らひ、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみもまたその中に在り。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし」(述而篇)とある。

   「疎食を食らひ、水を飲み」の章句は古来有名ではあるが、高校漢文の教科書にはあまり採用されたのをみたことがない。やはり明治以来、富国強兵と立身出世はセツトになっているので、青年に隠逸思想を鼓吹することは憚られたのであろう。現在のテレビのバラエティ番組はじめ多くの書物にある思想は、富と地位をえることが人生の努力目標となっているようなので、論語ほど無用なものはあるまい。退職して金も栄誉も無関係な状態になってはじめて、金言の価値を理解できるものである。

2011年11月24日 (木)

日本人と「論語」

Photo   湯島聖堂の孔子像

    戦国の名将・加藤清正が、江戸と熊本を往来する船の中で、「論語」を読みながら朱点ほほどこしているのを見ていた飼い猿が、清正が厠へ行った間に主人の真似をして「論語」の上に縦横に朱の線を走らせてしまった。戻ってきた清正はこれを見てニッコリ笑い、「おぉ、そちも聖人の教えを知りたいか」といいつ頭を撫でたという。この有名な逸話によって、清正が平生「論語」に親しんでいたことがよくわかる。清正に限らず心ある部将はみな論語を愛読した。大内義隆、徳川家康など。明治以後は渋沢栄一、下村湖人、武者小路実篤など。第一生命の創始者・矢野恒太にも『ポケット論語』の著書がある。講談社をつくった野間清治にも、事業運営の柱に「論語」を据えたことは、あまねく知られている。最近では野球の野村克也が『野村の実践論語』の著書を刊行している。

  cataloging

論語補註 2冊 和本 山本章夫註 京都・山本読書室 1903
論語弁 荻生徂徠 祥雲碓悟校 天書閣 1910
論語明解 江口天峰 至玄社 1929
論語評釈 大江文城 関書院 1935
精講 論語百講 松田金重編 三省堂 1936
論語物語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1951
論語百選 現代人のために 三省堂百科シリーズ 新垣淑明 三省堂 1957
論語発掘 通釈への疑問と解明 合山究 明治書院 1975
論語墨書 名筆による名言鑑賞 広論社出版局編 広論社 1981
論語八方破れ TOKUMA BOOKS 竹村健一 徳間書店 1982
論語は問いかける 孔子との対話 H.フィンガレット著 山本和人訳 平凡社 1989

泰西人の孔子を評するを評す 井上哲次郎 東学芸4  1882
孔子ノ教ハ支那国ニ如何ナル影響ヲ与ヘンヤ 赤座好義 東学芸3-46  1885
孔子の学術を汎論す 柳沢保恵 輔仁会雑23,24,28  1893~94
孔子之道と徂徠学 加藤弘之 東哲1-6  1894
孔子以後の学派 藤田豊八 東哲1-8,11,12   1894,95
孔孟の道 内藤耻叟  東哲1-3  1894
孔子とイエス 大塚繁樹 媛大紀要1-4  1953
詩書と孔子の天及び天命の思想 米田登 文と思6  1953
孔子および孟子の兵戦思想 内田智雄 同志社法学26  1954
孔子学団 宇都宮清吉 東洋学報(京都)25  1954
天下周遊の構造 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報5  1954
孔子の管仲譚 華夷論の一端として 高田真治 東洋研究6  1963
孔子の仁の思想について 馮友蘭著 高橋均訳 漢文教室64  1963
貝塚茂樹著「孔子」についての往復書簡 西谷啓治、貝塚茂樹 図書24  1951
孔子に於ける仁思想成立の過程 石黒俊逸 支那学研究8  1951
尚書孔子伝の態度 加賀栄治 学芸3-1  1951
人間孔子 谷川徹三 斯文4  1951
孔子死生の説 那智佐典 東洋学研究7  1938
孔孟以後の儒教 秋月胤継 斯文20-6  1938
東洋史上に於ける孔子の位置 宮崎市定 東洋史研究4-2  1938
論語に現われたる孔子の人間観 西村侃三 斯文21-11,12  1939
孔子的自我の展開 牧尾良海 哲学雑誌55-639,642  1940
孔子の仁 平田栄(講演)  斯文22-1  1940
孔子の学的精神とその展開 田所義行 漢学雑9-3,10-1  1941-42
孔子より孟子に至る自己観の展開に就いて 赤塚忠(講演) 斯文24-12  1942
孔子の思索生活  1,2 田所義行 漢学雑11-2,3;12-1,2   1943~44
孔子の教学 佐藤匡玄  建大研月報38  1944
孔学総論 谷本富 東学芸4-73  1945
孔子について 貝塚茂樹 世界10  1946
人間孔子 林語堂 実藤恵秀訳 新中国1-3  1946
マルクス孔子に会う 郭沫若 実藤恵秀訳 中国文学95  1946
孔子と子産 貝塚茂樹 東光1   1947
孔子の学問精神 原佑 叙説4  1950
孔子の人間観 板野長八 学士院紀要8-1  1950
春秋著者説話の原形 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 叙説5  1950
孔子の精神に関して所感を陳ぶ 元良勇次郎 東洋哲学2-10  1895
孔子の誕生会に就て 日下寛 東洋哲学2-9  1895
孔夫子誕生祭に就き 関根正直 東洋哲学4-2  1896
孔子誕生に就きて 重野安繹 東洋哲学3-1  1896
孔子の精神 日下寛 東洋哲学4-2  1897
孔子の降誕に就きて  島田重礼 東洋哲学4-1  1897
孔子の学説 松村正一 東洋哲学8-9~12 1901
孔子の教育及宗教 穂積秀範 龍谷史壇10  1902
孔夫子と儒教 島田三郎 東洋哲学 9-1,2  1902
孔子の所謂君子に就きて 蟹江義丸 東洋哲学10-1  1903
孔子教の趣旨 星野恒 東洋哲学11-1   1904
孔夫子研究を評す 中島徳蔵 丁酉倫33,34  1905
孔子ノ人格ニ就テ 井上哲次郎 太陽13-10  1907
孔聖の修養 山田準 東洋哲学15-6  1908
孔夫子の運命観 大島順三郎 東洋哲学17-6,8・18-3 1910~11
孔子に対する社会的信仰の矛盾 村上専精 丁酉倫101  1911
孔子の倫理説に就て 松村正一 東洋哲学18-5   1911
支那に於ける孔夫子の尊崇 服部宇之吉 東亜研究1-1  1911
孔夫子の政治上に於ける教訓 深作安文 東亜研究3-6  1913
孔子教 及川生 慶義学208,209  1914
孔子 井上哲次郎 斯文20-6  1938
孔子伝より見たる論語の解釈 岡村利平 大東文化16  1937
孔子と老子 諸橋轍次 斯文33-4  1937
遭難 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報6  1955
文学としての孔子世家 バートン・ワトソン 中文教2  1955
孔子の思想について 吉川秀一 阪学大紀4  1956
孔孟の命について 金谷治 日中会報8  1956
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報7  1956
孔子の陳蔡厄考 田中佩刀 静岡女子大紀要4  1957
「孔子の道」の解釈をめぐる二三の疑義 近藤康信 東支学報3 1957
孔教私観 長谷川如是閑 斯文22  1958
孔子と易 高田真治(講演)  大東漢学1  1958
孔子と墨子 山室三良 九中会報5  1959
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報9  1959
孔門の十哲に就いて 山本徳一 漢学研究1  1936

 

 

より以前の記事一覧