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2024年6月26日 (水)

ハーメルンの笛吹き男

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  1284年6月26日、まだら模様の服を着た男が笛を吹くと、まちの子供130人が踊りながらその男について行き、遠くに消えてしまった。親たちはわが子を探したが、ついに見つからなかった。あの子供たちはどこに消えてしまったのだろうか。これまで25もの学説が生まれた。舞踏病にかかった子供たちが踊りながら消えてしまったと考える人、子供十字軍に徴兵されて聖地へ出かけていったと考える人、ペストなどの病気による大量死、崖に落ちて死んだという事故説などもある。当時、ドイツ東部、チェコ、ポーランドなどで開発がさかんに進められた。領主である貴族たちが各都市に植民請負人を派遣して移住者を募っていた。この植民請負人こそが笛吹き男であり、消えた130人の子供たちは、ハーメルンを捨てて新天地へ旅立った若者たちだと考える説もある。「ハメルンの笛吹き男」の話はゲーテ、グリム、ロバート・ブラウニングの詩などで知られる。昔話はたいていは「むかしむかし」と、期日が明確でないが、この話ははっきりと日付が記されており、史実として残っている。

   アニメ映画「千と千尋の神隠し」のように日本にも「神隠し」といって、子供などが、にわかにいなくなって、どれだけ探してもついに戻ってこなかったという話が残っている。すなわち、天狗、鬼、隠し神、隠し婆、隠れ座頭など、さまざまな妖怪によって隠されるという。平田篤胤による寅吉少年の神隠しの物語もある。( The Pied Pier of Hamelin )参考文献;阿部謹也「ハメルンの笛吹き男伝説の成立と変貌」 思想581   1972.11

2023年2月 7日 (火)

俊寛と有王丸伝説

Photo_2   三重県桑名市矢田に「有王塚」という句碑がある。正面には「塚になけ わが泣くあとを 友千鳥 句仏」とある。平家物語に登場する俊寛に関連する伝説がある。俊寛には幼いときから可愛がっていた有王丸という少年がいた。有王丸は人目を避けて隠れ住んでいる俊寛の娘をたずねて流罪中の俊寛の様子を見てくるという。有王丸はただひとりで鬼界ヶ島へ向かって旅立った。少年にとってはつらい旅だが主人をしたう心だけが有王丸を支えていた。行く先々で人に怪しまれ衣服を奪い取られるなど苦難の旅を続けた有王丸はようやく鬼界ヶ島にたどりついた。そして俊寛と再会し、12歳になる姫の手紙を渡した。そして俊寛は有王丸と会ってから23日目に37歳でその生涯を終えた。有王丸は俊寛の遺骨を抱いて持ち帰り、高野山奥院に納めたと伝えられる。一説では、有王丸は行脚の途中、病気となり、りん崇寺門前で生き倒れて死んだという。この桑名の地に塚がつくられたらしい。有王丸が実在したかは定かではない。平家物語には有王丸という侍童は述べられておらず、潤色されて有王丸が登場するのは後代の俗書のみである。しかし、少年が長旅の末に、疲れて行き倒れて死ぬという話は痛ましく涙をさそうものである。芥川龍之介「俊寛」には有王丸が登場する。

 

 

2022年4月20日 (水)

外食店の看板にはなぜ「赤」が多いのか?

Photo20091119daruma1  街を歩くと、飲食店の看板の多くには「赤」の色が使われているのに気づく。赤色はお祝い事などに使われることが多い。めでたいときは赤飯を食べ、還暦の祝いには、「赤い頭巾、赤いちゃんちゃんこ、赤い座布団、扇子」などを用意して、家族で祝う。起き上がりこぼしのダルマは江戸時代に疱瘡除けのまじないとして生れた。愛しあう男と女は見えない赤い糸で結ばれているという伝説は東アジアに広がっている。中国では足首を見えない赤い糸で結ばれているが、日本では手の小指の赤い糸へと変わっている。稲荷神社の鳥居が赤いのも、「赤は生命の躍動を表わすとともに、古来災厄を防ぐ」という意味が込められている。

 

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2021年5月16日 (日)

ダッチボーイ

Dodge_stahl__les_patins_d_argent_pa 映画「ジオストーム」に「ダッチボーイ」という人工衛星が登場する。意味は「オランダの少年」。堤防に穴があいているのを見つけた少年が自分の指で決壊を防いだ話がもとになっている。オランダのアムステルダムに近い町スパールンダムに堤防からの漏水に気がついたハンス・ブリンカー少年の像がある。それはこんな話である。

 ある晴れた日の午後、少年は堤防の向こう側の、ハールレムの町はずれに住んでいるおじさんにお菓子を持っていくことになった。おじさんの家で1時間ばかり遊んで、別れをつげて、家路についた。運河のふちを歩いているうち、見れば、秋の長雨で、運河の水が、ひどく増えている。その時、少年は、ちょろちょろ流れる水の音を聞きつけて、はっとした。いったい、どこから聞こえてくるのであろうか。堤防を見上げると、上のほうに小さな穴があいていて、そこからすこしずつ水が流れ出ている。ちょろちょろ水の流れるままにしておけば、この小さな穴が、じきに大きな穴になって、やがて、恐ろしい大洪水になるだろう。とっさのまに、少年は、どうしなければならないかをさとった。少年は、穴にとどくところまで、堤防をよじのぼった。そして夢中で、自分の小さな指をその穴につっこんだ。水は止まった。最初のうちは、まずうまくいった。けれど、そのうち、夜になって、寒さと恐ろしさで震えだした。「だれか来てください」けれど、誰も来なかった。少年は神に助けを祈った。祈りは答えられて、やがて少年の心には、「朝までここを守ろう」という神々しい決意が生まれた。明け方、ある牧師さんが、堤防の上を歩いていた。彼は、何かうめき声が聞こえるように思った。かがんでみると、ずっと下のほうに、ひとりの子供が、苦しみもだえている。「これこれ、何をしてるのだね」と、牧師は叫んだ。「水をとめているんです。」と、けなげな子供は、短く答えた。「みんなに、すぐ来るように言ってください。」そこで、言うまでもなく、村人たちはかけつけてきた。(メアリー・メイプス・ドッジ著「銀のスケート靴」にでてくるオランダの古い話) Spaarndam,Hans Brinker

 

 

2021年1月16日 (土)

お尻をみせると悪魔が退散する

Photo 森永製菓のロゴマークにはお尻をみせた天使が描かれている。なぜだろうか?アイドル歌手きゃりーぱみゅぱみゅはお風呂のあとで自分のお尻をプリンプリンして、友だちに見せつける癖があるという。癖といえば笑福亭鶴瓶の露出癖。いまでこそ鶴瓶は全国区のタレントだが、一時期、在京のテレビ局から、まったくおよびがかからない時代があった。鶴瓶は山口百恵が歌っている最中に急に下半身を露出し、百恵がその局部を見て絶叫したという。事態を重くみた、テレビ局は数年間、鶴瓶を出入り禁止処分とした。民放で見放された鶴瓶だが、さだまさしの後を継いだ家族に乾杯で人気を回復したというのは人生わからないものである。下半身を露出したり、お尻をカメラに突出したりすることは、タブーだが、むかしのヨーロッパの迷信に「お尻をみせると悪魔が退散する」というのがある。お尻信仰の由来は、ほかの類人猿にはない丸いお尻こそが、人間であることの特徴とされるからだと説かれている。

 

 

2020年12月25日 (金)

ただ風が吹いているだけ

 今年もあと5日。年の瀬になると老人は「死」を考える。新型コロナが大流行した今年はなおさらである。除夜の鐘が待ち遠しい。人は死んだらどうなるのか?中川信夫監督の「地獄」(1960)は血の池地獄、針山など日本古来の地獄絵をスクリーンに再現している。水木しげるワールドのようだ。先ず「死出の山」と呼ばれる険しい山がある。暗い山道を登っていき峠を越えると、明るくなってくる。見下ろす山の麓には、曼珠沙華の美しい花畑が広がっている。山を降りると大きな川が見えてくる。これがこの世とあの世の境界となる「三途の川」である。賽の河原では奪衣婆が亡者から衣類をはぎとり、懸衣翁が枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計る。最後に閻魔大王(映画では嵐寛寿郎が扮している)が死者の生前の罪を裁く。判決が下り六道の辻と呼ばれる道にそれぞれが進む。出演は天知茂、三ツ矢歌子。沼田曜一がネズミ男のような悪魔の友人を演ずる。

 

2020年12月18日 (金)

ひれふりの嶺

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   佐賀県松浦の地方は、魏志倭人伝にも「末廬」と見えて、はやくから大陸文化と関わりの深いところである。唐津は大陸にわたる要港であった。宣化天皇のむかし(6世紀前半)新羅攻撃に向かう青年・大伴狭手彦が土地の長者の娘である松浦佐用姫と恋をした。しかし、やがて狭手彦は再会を約し、哀惜の情を1枚の鏡に託して航路についた。佐用姫は別れ易く、会うことの難いことを嘆いて、鏡山(唐津市)に登り領巾(ひれ、婦人の肩にかける布)を振って船を招いたので、その山を「ひれふりの嶺」と名づけたという伝説が残されている。さらに後日譚として、佐用姫は船を追い、松浦川を渡り、加部島の丘に果てた。七日七晩泣き続け、ついに石に化したという。

    この松浦佐用姫伝説は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれている。

遠つ人松浦佐用比売つま恋ひに  頒巾振りしより負へる山の名 山上憶良(巻5-871)

行く船を帰れとか 頒巾振らしけむ松浦佐用比売 大伴旅人(巻5-874)

行く船を振り留みかね如何ばかり 恋しくありけむ松浦佐用比売 大伴旅人(巻5-875)

2020年4月13日 (月)

運命の赤い糸の伝説について

   昔から言い伝えで、結婚する男と女は、生まれたときからお互いの小指と小指が目に見えない赤い糸で結ばれているといわれている。この「赤い糸」の伝承は、いかにも西洋風に思えるが、ヨーロッパにはそのような伝承はなく、実は古代中国にあると考えられる。「南方熊楠全集3」の「月下氷人」の項に類似例が載っている。「唐の宰相張嘉、五女におのおの一糸を持てのれんのかげにならしめ、郭元振して前(すすんで)牽きえた者を妻(めと)らしめると、五色の糸のうち紅線(べにすじ)を引いて第三女を得た、とある。福引で嫁取りとは捌けた仕方だ」この話は『太平広記』に収められた唐代の「続玄怪緑」(李復言)の「定婚店」がもととなっている。「古事記」「日本書紀」にも「三輪山伝説」という話があり、赤い糸のルーツとする説もある(「雑学王 話のネタ大事典」河出書房新社 97p)

 

 

 

 

2018年3月24日 (土)

マザー・シプトンの洞窟

   予言者マザー・シプトン(1488-1561)はイングランド・ヨークシャー州ネアズバラで生まれた。その容貌の醜さから悪魔の子とも噂された。彼女は1512年にヨーク近郊の大工トビー・シプトンと結婚し、生涯を通じて多くの予言を残した。国王たちの命運、1588年のスペイン無敵艦隊の敗北、1666年のロンドン大火、鉄の船の誕生など。彼女が生まれた地ネアズバラには「マザー・シプトンの洞窟」という井戸がある。ここを訪れた観光客は、マザー・シプトンの不思議な力の御利益を求めて、この井戸に、ラブレターやお守り、そして近ごろはクマの縫いぐるみなどを投げ込んでいく。 Mother Shipton's Cave

2018年3月20日 (火)

バアルの神殿

  1928年、シリア北部ラス・シャムラでシリア人の農夫が、奇妙な粘土板を掘り出した。町の郊外にある丘の麓に、青銅器時代の古代都市ウガリットが埋もれていた証拠でもあった。まもなくクロード・シェフェール(1898-1982)率いるフランスの考古学調査隊によって何百もの粘土板が発見された。大半の粘土板には、カナンの神話に登場するバアル神を主人公にした大叙事詩が記されていた。これらの物語は「バアル史詩集成」と呼ばれている。一連の物語は、バアル神がライバルのヤムを倒して王権を握るところから始まる。バアルを称えて宴が催されるが、翌日、妹であり恋人でもあった戦の神アナトがウガリットの町の戦士たちを皆殺しにしたため、町の人々は恐れをなして町から逃げ出してしまう。バアルが、せっかくヤムとの戦いに勝ったのに、父のイルは自分の神殿を持つことを許してくれない、とアナトに不満を漏らすと、アナトはイルのもとに行き、もしバアルが自分の神殿を持つことを許さないのなら、その灰色の髪を血に染めてやると脅かした。するとアナトの足もとから地震が起こる。イルは慌てて玉座の間から逃げ出した。この地震はきっと上なる神々のご意志に違いないと信じたイルは、ウガリットの神殿をバアルに与えた。物語はバアルと死の神モートの戦いで終わる。バアルが永遠にモートの下僕と化してしまうことがないようにと、太陽の女神シャパシュはバアルに知恵を授ける。モートとの最後の闘いの際に、自分の身体を身代わりの身体とすり替えておくように、と助言したのだ。闘いのあと、バアルは山中に身を隠す。そのため神々はバアルが死んだものと思った。深い悲しみに沈んだアナトは、兄を探して冥界に降りていき、その命を返してほしいとモートに乞うた。だがモートはかかと笑って女神を相手にしない。怒った女神は剣をとってモートに襲いかかり、その骨を身体からつかみ出し、肉を細かく切り刻み、遺骸を鳥どもに投げ与えた。恨みを晴らしたアナトはイルのもとに帰る。だがそこで彼女を迎えたのはバアル自身だった。彼はついにウガリットの王となったのである。Claude Schaeffer

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