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2017年8月 7日 (月)

ワニ・サメ論争

Gator     古事記「因幡の白兎」に登場する「ワニ」を白鳥庫吉は、「あのワニはクロコダイルやアリゲーターのような鰐ではない。あれは鮫だ」と説いた。(「和邇考」)出雲や隠岐の方言では、鱶や鮫をワニと呼んでいる。これに対して、ほかの学者からは、ワニが日本に漂着する可能性があり、気候に恵まれて繁殖していた、という。またワニが並んで伏しているというのはワニによくある生態で、鮫にはできない。つまり因幡の白兎に登場するワニはクロコダイルであって鮫や鱶ではない。この説話が南方説話の証拠だという。しかし、南方熊楠は「十二支考」で巳の年で白鳥説を支持している。白鳥の弟子の津田左右吉は海蛇であるという。このワニサメ論争は現在も明らかではない。

   しかし1964年に大阪府豊中で約40万年前の地層からワニの化石が発見された。全長8mもある大型のワニでクロコダイルの仲間であることがわかった。日本にもワニがいた!

  ちなみにアフリカからアジアに生息するのがクロコダイル、南北アメリカに生息するのがアリゲーター。語源としては、クロコダイルはギリシア語、アリゲーターはスペイン語に由来する。

参考;「ワニ氏の研究」日本古代氏族研究叢書 加藤謙吉 (crocodile,alligator)

2017年6月26日 (月)

ハーメルンの笛吹き男

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  1284年6月26日、まだら模様の服を着た男が笛を吹くと、まちの子供130人が踊りながらその男について行き、遠くに消えてしまった。親たちはわが子を探したが、ついに見つからなかった。あの子供たちはどこに消えてしまったのだろうか。これまで25もの学説が生まれた。舞踏病にかかった子供たちが踊りながら消えてしまったと考える人、子供十字軍に徴兵されて聖地へ出かけていったと考える人、ペストなどの病気による大量死、崖に落ちて死んだという事故説などもある。当時、ドイツ東部、チェコ、ポーランドなどで開発がさかんに進められた。領主である貴族たちが各都市に植民請負人を派遣して移住者を募っていた。この植民請負人こそが笛吹き男であり、消えた130人の子供たちは、ハーメルンを捨てて新天地へ旅立った若者たちだと考える説もある。「ハメルンの笛吹き男」の話はゲーテ、グリム、ロバート・ブラウニングの詩などで知られる。昔話はたいていは「むかしむかし」と、期日が明確でないが、この話ははっきりと日付が記されており、史実として残っている。

   アニメ映画「千と千尋の神隠し」のように日本にも「神隠し」といって、子供などが、にわかにいなくなって、どれだけ探してもついに戻ってこなかったという話が残っている。すなわち、天狗、鬼、隠し神、隠し婆、隠れ座頭など、さまざまな妖怪によって隠されるという。平田篤胤による寅吉少年の神隠しの物語もある。( The Pied Pier of Hamelin )参考文献;阿部謹也「ハメルンの笛吹き男伝説の成立と変貌」 思想581   1972.11

2017年2月 9日 (木)

神に頼るな。自力で突破せよ!

  大津波に襲われ転覆した豪華客船からの決死の脱出劇を描く「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)。「神に祈って頼るな。自力で苦難を突破せよ」と説くスコット牧師に率いられ生残った9人が自らの手で運命を切り拓く。サミュエル・スマイルズいわく「天は自ら助くる者を助く」(自助論)。この格言は聖書には見当たらず、ラテン語以来の古いことわざで、英語での初出は1475年頃となっている。またイソップには次のような話が見える。嵐で船が難破し乗客がみな海に投げ出された。その中の一人の金持ちのアテナイ人がいて、彼は何もせずにしきりに女神アテナに祈っていました。そこでそばにいた人は「アテナの助けを受けて、あなたも手を動かしなさい」といった。

2016年8月26日 (金)

運命の赤い糸の伝説について

   昔から言い伝えで、結婚する男と女は、生まれたときからお互いの小指と小指が目に見えない赤い糸で結ばれているといわれている。この「赤い糸」の伝承は、いかにも西洋風に思えるが、ヨーロッパにはそのような伝承はなく、実は古代中国にあると考えられる。「南方熊楠全集3」の「月下氷人」の項に類似例が載っている。「唐の宰相張嘉、五女におのおの一糸を持てのれんのかげにならしめ、郭元振して前(すすんで)牽きえた者を妻(めと)らしめると、五色の糸のうち紅線(べにすじ)を引いて第三女を得た、とある。福引で嫁取りとは捌けた仕方だ」この話は『太平広記』に収められた唐代の「続玄怪緑」(李復言)の「定婚店」がもととなっている。

幻獣バジリスク

Fig_1_ancientbasiliskweb   蛇・トカゲ・竜のような形態をした伝説上の怪物。チョーサーの「カンタベリー物語」に登場するバシリスクが、コカトリスに変化して広まっていく。息や視線で飛んでいる鳥を殺したりすることができる。「図説ヨーロッパ怪物文化誌事典」。basilisk cocatris

2016年8月24日 (水)

丹後国風土記の浦島伝説

Photo_3   浦島太郎の話は室町時代の「御伽草子」にみられるが、もとの話は7世紀後半の「丹後国風土記」逸文(釈日本紀所引)に見える「水江浦島子(みずのえのうらのしまこ)である。ふつう龍宮城から帰った浦島太郎は玉手箱をあけると白髪の老人になり、ツルとなって天にのぼり、浦島明神になったとあるが、これらは中世以降から登場するもので、丹後風土記では死んだところで終わっている。浦の嶋子、亀姫などの相違もある。以下、梗概を記す。

    雄略天皇の頃、浦の嶋子は漁に出たが不漁だった。ところが帰路、亀のような乗り物(五色の亀)と不思議な女に出会う。女は、「天上仙家」から来たという。女に誘われて、浦の嶋子はその五色の亀に乗るが、乗るとすぐに嶋子は、寝入ってしまう。目をさますと、海上の島が迫ってきた。そこは、これまで見たこともないきらびやかな宮殿と楼閣があった。中に入ると亀姫が現れ、嶋子はそこで亀姫と楽しい日々を送ることになる。そこには7人のスバル座星人と8人の牡牛座星人がいた。かれらはみな故郷に帰りたがっていた。そうこうしている内に、嶋子も故郷へ戻りたくなったので亀姫に暇乞いを願い出る。亀姫は、帰る嶋子に玉くしげを授ける。そして嶋子は、再び五色の亀に乗り、眠る内に故郷に着く。だが、そこには家もなく、知る人もいなかった。周りの人に事の次第を尋ねると、自分はだいたい300年も前に海で行方不明になっていたのである。なすすべを失った嶋子は、亀姫からもらった玉くしげを開ける。すると箱の中から、かぐわしい蘭のような体が、風雲に率いられて、蒼天にひるがえって飛んだ。そのあと、嶋子は、みるみる老人となり、その場で死んだ。

この説話は文章家の伊預部馬養(いよべのうまかい)が丹波国宰の時に採録したものと考えられている。

2016年6月25日 (土)

ロカルノの女乞食

 ドイツの劇作家ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)と聞いても、ご存知ないかもしれませんが、彼の作品は20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人に数えられている。「ロカルノの女乞食」(1810)は、クライストの短編中、もっとも短い怪談である。

 アルプスのふもと、北イタリアの町ロカルノの近くに古い城がありました。それはある侯爵の城で、ロカルノの北方、ザンクト・ゴットハルト峠のほうからくだってくると、今でも廃墟となったその城をながめることができます。この城には、天井の高い大きな部屋がいくつもありました。かつて、そうした部屋のひとつに、床にしいたわらに病気の体を横たえて、ひとりの老女がくらしていました。はじめ老女は城に物乞いにやってきただけだったのですが、侯爵の奥方がこの老女の身の上に同情して、部屋を貸し与えたのでした。ところで、侯爵は狩りから帰ってくると、いつもこの部屋にはいり、猟銃を肩からはずしてともの者に手渡すことにしていました。その日も、狩りをおえて、いつものようにこの部屋にはいってきた侯爵は、たまたま老女に気がつきました。そこで侯爵は老女に向かって、暖炉のうしろにうつるように不機嫌そうに命じました。老女は起き上がりましたが、磨き上げた床に松葉づえをすべらせてころび、ひどく腰をうってしまいました。それでも老女はなんとかし身をおこし、言われたとおり部屋を横切って、暖炉のうしろまでたどりついたのです。しかし、そこでうめき声をあげながらたおれ、そのまま息をひきとってしまいました。何年かたちました。そのあいだ、戦争や凶作がつづいたために、侯爵の財産もすっかりとぼしくなっていました。ちょうどそんなときのことでした。フィレンツェの騎士があらわれ、すばらしい場所にたつ侯爵の城を、売ってもらえないだろうかと申しでたのです。お金にこまっていた侯爵は、この申し出に心を動かされました。そこで、この騎士を城に泊めることにしました。しかし、騎士が案内されたのは、かつて老女が体を横たえていたあの部屋だったのです。ところが、真夜中になったころのことです。とりみだし、真っ青になった騎士が階段をかけおりると、侯爵夫妻のところへ飛びこんできました。そして、あの部屋には幽霊がでると言うのです。朝になり、騎士はその提案をことわり、そそくさと旅立っていきました。この出来事は多くの人々の関心を集めました。そのため乞食の幽霊がでるという噂が広がり、買い手がつかないのです。事実をたしかめようとした侯爵の耳に不気味な音が聞こえ、かれは狂って城に火をつけ、焼け死んでしまいました。侯爵の遺骨は、村人たちの手でひろい集められました。その真っ白な骨は、侯爵が女乞食に起き上がれと命令したあの部屋のすみに、今も安置されています。

2016年5月27日 (金)

並木宗輔作「苅萱桑門筑紫のいえずと」

   いまから450年ばかり前のことである。九州の筑紫に、加藤左衛門繁氏という大名がいた。もとは平家方の大将だったが、平家が戦いに敗れた後、源氏に降り、源頼朝に仕えた。繁氏には千里姫という美しい側室がおり、世継ぎとして生れたのが石童丸だった。これが正室の妬みをかい、ある夜、千里姫の身の危険を感じて身代わりとして寝ていた侍女が、とうとう刃で刺されてしまった。繁氏はこのような醜い妻と妾の諍いをみて世の無常を感じ、ある夜、城を捨て、行方知れずとなってしまった。繁氏は出家して、刈萱道心と号して、高野山に登った。そして隣の大名である大内義弘が加藤の領地を奪ってしまう。息子の石童丸は成長すると父を慕う気持ちが強くなり、母とともに父親探しの旅にでる。旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。高野山は女人禁制、母を麓の宿において1人で山に登り、偶然父親である等阿法師苅萱道心に出会う。苅萱は引き寄せて、抱きしめて、ほんとうのことをいってしまおうかと心は乱れたが、「いや、まて!高野山へ登ったときから、ふたたび妻や子には会わないと、御仏に約束したじぶんではないか!」きびしい山のおきてと、仏への誓いを思い出し、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りをいう。実の父親に会っていながらそれと知らずに戻った石童丸に不幸がさらにおそった。母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である刈萱道心の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えることとなった。嘆き悲しむ石堂丸にも、不幸ばかりは続かなかった。やがて、にくい敵の大内義弘を滅ぼして、晴れて筑紫へ帰る日が、待っていたのである。苅萱道心は、高野山に残って、日夜仏道に励んだおかげでのちには、りっぱな僧となり、多くの人から尊敬されたと伝えられる。

2016年5月18日 (水)

お尻をみせると悪魔が退散する

Photo アイドル歌手きゃりーぱみゅぱみゅはお風呂のあとで自分のお尻をプリンプリンして、友だちに見せつける癖があるという。癖といえば笑福亭鶴瓶の露出癖。いまでこそ鶴瓶は全国区のタレントだが、一時期、在京のテレビ局から、まったくおよびがかからない時代があった。鶴瓶は山口百恵が歌っている最中に急に下半身を露出し、百恵がその局部を見て絶叫したという。事態を重くみた、テレビ局は数年間、鶴瓶を出入り禁止処分とした。民放で見放された鶴瓶だが、さだまさしの後を継いだ家族に乾杯で人気を回復したというのは人生わからないものである。下半身を露出したり、お尻をカメラに突出したりすることは、タブーだが、むかしのヨーロッパの迷信に「お尻をみせると悪魔が退散する」というのがある。お尻信仰の由来は、ほかの類人猿にはない丸いお尻こそが、人間であることの特徴とされるからだと説かれている。

2015年11月 2日 (月)

フェアギスマインニヒト

  中世のドイツの騎士であったルドルフは、1人のかわいい少女を愛しておりました。その少女はベルタという名前でした。ある時、ルドルフとベルタはドナウ河にそって散歩をしていました。その時、ベルタはけわしい岸辺に一輪のかれんな、青い花を見つけました。彼女はその花をほしがりました。ルドルフは岸辺を下りてゆき、その花をつもうと、手を伸ばしました。しかし彼は足をすべらし、川にころげ落ちてしまいました。流れは非常に強かったために、彼は岸辺に泳ぎ帰ることができませんでした。彼はその花をベルタに向かって投げ、叫びました:「ぼくのことを忘れないで!」・・・流れは彼をのみ込んで行ってしまいました。

それ以来、人はその花を「フェアギスマインニヒト(忘れな草)」と呼ぶのです。(VergiBmeinnicht)

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