インドには14億以上の人々が日本の約9倍の面積にあたる広い国土に住んでいる。UNFPAの推計によると、インドの人口は14億4,170万人(2024年現在)に達し、中国をぬいて世界一の人口になっている。その人種と民族もきわめて複雑な構成を示している。言語は方言を含むと800種類以上が数えられる。法律で認められている言語は、ヒンディー語、ベンガル語、マラーティー語、テルグ語、タミル語、ウルドゥー語、グジャラート語、カンナダ語、オリアー語、パンジャーブ語、マラヤ―ラム語、サンスクリット語、オリヤー語、ビハール語、ラージャスターン語、アッサム語、ビリー語、サンタル語、カシミール語などの22言語がある。言語の問題は、この国の文化的統一をはかるうえで非常に重要な意味をもっている。
インドは「嫌悪すべきものと崇高なもののすべてを包含している」「インドの多様性ときたら大変なものである。それはもう、はっきりとしたものだ」という、ジャワハルラール・ネルーの言葉に示されるように、多様性を持ち、はげしい矛盾に満ちた複雑な国である。われわれはインドの歴史を研究すればするほどインド文化が、単一の基盤から成り立っているのではないことを教えられる。インドの美術や文化をみても、紀元前2500年頃にインダス河流域に繁栄したインダス文化は現在ではパキスタンの領土となっている。また西暦1世紀頃から起こったガンダーラ美術も従来はインド美術として考えられているがやはり現在の領域でいえばパキスタンの美術として考えなければならない。つまりインドという名称は、インド大陸だけをさす場合と、東西パキスタンを含めて拡大されたインドの2つがある。「インド亜大陸」といえば、バングラデシュ・ネパール・ブータンなどの国々を含めることが多い。
そもそもインドという地名の語源は、インド・アーリア人の言語で「川」を意味する「シンドゥ(sindhu)という語にある。この普通名詞が、彼らがインドで接した大河、インダス川の意味にも使われるようになりさらに、インダス川の流れる広大な土地の意味にもなった。この「シンドゥ」という地名をペルシア人がなまって「ヒンドゥ」と呼び、さらにこれをギリシア人がなまって「インディア」と呼んだ。このギリシア語なまりが、ヨーロッパで使われるようになったのである。
ヒンドゥー社会は、ヴァルナによる身分枠と各自が生まれながらに属するジャーティとよばれる社会集団によって規定されてきた。このヴァルナとジャーティを合わせたインド特有の社会制度がカースト制度である。今日では、カースト制度による差別は憲法で禁止されているが、現実社会にはいまもなお結婚などに根強く残っている。
13世紀にイスラーム教がインドに伝わり、ヒンドゥー教の影響を受け生まれたイスラーム文化、ムガール帝国の庇護下で発展した。17世紀後半、アウランゼーブ帝は、ジズヤの復活やヒンドゥー教寺院の破壊など、ヒンドゥー文化への抑圧策をとった。そのため彼らの離反を招き、帝国内は混乱に陥る。さらにイギリスやフランスがインドへの進出を狙っており、帝国に危機が迫っていた。
参考文献:「アーリヤ人の誕生」長田俊樹 講談社学術文庫
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