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2019年11月14日 (木)

三日見ぬ間の桜かな

Img_0001_3 加治川の桜

 

 「世の中は三日見ぬ間に桜かな」三日外に出ないでいたら、桜の花が咲き揃っていたという俳句。あるいは、散っていたのかもしれない。この大島蓼太の句は世の中の移り変わりの早さを桜に例えたものとして受け止められ、「三日見ぬ間の桜」ということわざになっている。安倍総理の「桜を見る会」が来年は中止となった。開催費用は5518万円かかる。消費税も増税し、自然災害の復旧の中、税金がこんなムダ金に使われている。いま世の中は全国的に冬到来、北海道は吹雪。北国は急速に冬が訪れる。長かった我が世の春も冬が近づいているのかもしれない。

 

2019年11月13日 (水)

水の都ベネチアが浸水

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   イタリア・ベネチアの歴史地区が12日、高潮の被害を受けて水没した。中心部にある観光名所のサンマルコ広場は一面、数センチの高さにので浸水し、文字通りの「水の都」となっている。ところでベネチアはヴェネチア、ベニス、ヴェニスなど様々に表記されることがある。文学では「ヴェニスの商人」「ヴェニスに死す」だが、歴史の教科書では「ヴェネチア共和国」である。外国地名の表記は、「できるだけ原音に近く、同時に読みやすい表記を用いる。ただし、慣用の固定しているものは、これに従う」(朝日新聞の用語の手びき)これに従えば、イタリア語のヴェネチアが一番原音に近い。ところが「ベニスの商人」「ヴェニスの商人」という英語が早くに知られ、慣用が固定しているともいえる。ついついヴェネチアではなく、ベニスと言ってしまうことが多い。

2019年11月11日 (月)

スペインの地理的位置と特色

Spmap111  スペインはイベリア半島に位置し、半島の約5分の4を占め、西に国境を接するポルトガルが残り約5分の1を占めている。イベリア半島は、地中海の入口を塞ぐような形で突出しており、南端はジブラルタル海峡をへだてて南のアフリカ大陸に対している。フランス、アンドラと国境を接するが、ピレネー山脈の高峻な山々に隔てられるため、西ヨーロッパでは「ピレネーの向こうはアフリカ」とも言われてきた。現在のスペインの国土は、半島部のほかに、地中海のバレアレス諸島、大西洋のカナリア諸島から構成されている。またこれらに加え、対岸の北アフリカカにはセウタとメリリャの2都市を有している。

   スペイン内戦に勝利したフランコは、第二次大戦では中立国ではあるものの親枢軸国側であったため、戦後は各国から冷遇された。

  イギリスとの間には、1713年のユトレヒト条約以来イギリスが領有しているジブラルタルの問題がある。

 

 

2019年11月 5日 (火)

チューリップと風車だけじゃないオランダ

Photo_2  1649年の秋、哲学者デカルトが隠棲の場所として選んだのはオランダだった。鎖国の江戸幕府がヨーロッパで唯一交易を許したのもオランダである。1579年のユトレヒト同盟によって宗教的自由を勝ち得たオランダは、1581年スペインから分離宣言し、1648年のウェストファリア条約で独立を認められた。そして17世紀には東インド会社を中心とした世界的商工業国家へと繁栄していた。徳川幕府がオランダから海外情報を得ていたことは正解だったといえる。1688年英国議会の要請により国王に招請されたオランダのオラニエ公ウィレム3世(ウィリアム2世)は軍勢を率いてイギリスに上陸した。この蘭英の連合は、オランダにとって、不利益となる。以降、オランダは衰退する。植民地戦争にイギリスに敗れ、ナポレオン統治下のフランスに併合される。このような事情を徳川幕府が知っていたかは定かではない。1815年のウィーン会議でオランダ王国が成立し、1839年ベルギー、1890年ルクセンブルクが分離し、現在の国土となった。

Photo     オランダは立憲君主制の国である。現在はベアトリクス女王だが4月30日にウィレム・アレクサンダーに王位を譲位する予定である。野球オランダ代表はキュラソー、アルバなどカリブの島の選手たちが活躍している。国際試合で気付くことだが、オランダの国名は「ネーデルラント(the Nederlands)」である。日本語では慣例としてHolland(ホラント)州にちなむ俗称「オランダ(Holanda)」で呼ばれている。ネーデルランドとは「低地の国」という意味。オランダは低地で運河が多い。小川の多い地域ではフィーエルヤッペンという遊びがある。

 

Overzicht_accommodatie_hs_nfm_2010_  オランダ北東にあるフリースランド州には250年以上前から行われている伝統的スポーツで、棒高跳びのように長い棒を川や運河に差しジャンプしてよじのぼり出来るだけ遠くに飛ぶことを競うフィーエルヤッペン fierljeppen である。

 

 

2019年10月28日 (月)

長崎は今日も雨だった

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  日本全国各地の地名をおり込んだ歌謡曲。「函館の女」「港町ブルース」「伊勢佐木町ブルース」「女ひとり」「柳ケ瀬ブルース」などなどご当地ソングが無数にある。最北端は原みつるとシャネル・ブルースの「稚内ブルース」か。数でいえば東京や横浜ソングが多いが、なぜか長崎にヒット曲が多く、神戸はあまりヒットしないという。長崎という町は旅人の心を酔わせる不思議な魔力がある。踏む足に柔らかな石畳の面に唐寺の甍に、そして古びた西洋館の蘇鉄をふるわす海風に沃しい異国の香りが漂う。そんなエキゾチックな魅力がある長崎は、戦前から流行歌の格好の歌所となった。由利あけみ「長崎物語」(昭和14年)、樋口静雄「長崎シャンソン」(昭和21年)、小畑実「長崎のザボン売り」(昭和23年)、藤山一郎「長崎の鐘」(昭和24年)と長崎物は必ずヒットするといわれた。昭和40年代に入り、魅惑のムード歌謡の時代もご当地ソングのナンバー・ワンは長崎だった。高橋勝とコロラティーノ「思案橋ブルース」(昭和43年)、青江三奈「長崎ブルース」(昭和43年)、そして内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」(昭和44年)の大ヒットへと続く。「長崎は今日も雨だった」も「思案橋ブルース」のヒットがなければ、世に知られることは無かったかもしれない。ところで思案橋とは歌のせいで、長崎の橋だけと思われがちであるが、もともと江戸が元祖で元吉原の遊郭と堺町の芝居小屋が近くにあり、「行こうか戻ろうか」と思案したので思案橋という名がついたといわれている。

 

 ないているような 長崎の街

 雨に打たれて ながれた

 ふたつの心は かえらない

 かえらない 無情の雨よ

 ああ 長崎 思案橋ブルース

    ところで長崎で一番有名な橋は、やはり眼鏡橋だろう。石造2連アーチ橋と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見えるところから、この名がついたのだろう。寛永11年に興福寺の住職・黙子如定禅師(1597-1657)が造ったものである。昭和57年7月の長崎大水害では崩壊したが、復旧された。画像は昭和40年代前半のもので、周辺マンションなどが建設される以前の眼鏡橋の景観がうかがえる。

 

 

2019年10月21日 (月)

世界の海峡

 1520年のこの日、マゼランが南米大陸とフェゴ島の間に海峡を発見。後にマゼラン海峡と命名。 

    日本語では海峡は海峡だが、英語ではchannelとさらに短い距離しかないstraitに分かれる。英仏間の海全体はEnglish Channelイギリス海峡であり、最も距離が短い部分だけが、Strait of Doverドーヴァー海峡(フランスではPas de Calaisカレー海峡)と呼ばれている。

   島国日本は海峡で事実上の国境をなしている。対馬海峡、宗谷海峡、根室海峡、野付海峡、択捉海峡、占守海峡、台湾海峡など。ベーリング海峡はアメリカとロシアとの国境をなす。マラッカ海峡はマレーシアとインドネシア、ホルムズ海峡はイランとオマーン、ジブラルタル海峡はスペインとモロッコの国境を隔てている。バシー海峡、スンダ海峡。(10月21日、Bering,Malacca,Hormuz,Gibraltar)

2019年10月18日 (金)

日本の人口と統計

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 今日は「統計の日」。全国各地で統計に関する様々な行事が開催されているが、やはり統計といえば人口。人口4人に1人が65歳以上という超高齢化社会の日本。大正9年10月1日、第1回の国勢調査が実施された。その時の人口5596万3053人だった。  わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは減少を何度か繰返しながら、発展してきた。人口増加は、弥生時代から10世紀にかけてみられる稲作農耕とその普及による人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という2つの大きな流れがある。「少子化」が社会用語として使用されだしたのは、1989年に合計特殊出産率が1.57を記録し「1.57ショック」という言葉で社会問題化された。

   縄文時代には約10万~約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代には約550万人となり、室町から戦国時代にかけて人口は1000万人を超えるようになった。慶長時代は約1220万人といわれている。江戸時代には17世紀に人口が増加し、2000万人を超え、18世紀には停滞して、おおむね3100万人から3300万人で推移した。明治になって4000万人を超えて、大正9年には5596万人、昭和15年には7193万人、昭和35年には9342万人、昭和41年3月31日、日本の総人口は1億人を突破した(法務省住民登録集計による)    昭和55年には1億1706万人、平成12年には1億2638万人となった。平成22年に1億2800万人をピークに達し、その後、人口は減少に転じている。総務省統計局発表によると、令元年6月1日現在(確定値)の日本の総人口は、1億2625万2千人で、2010年から11年連続で減少している。世界の国の中で第10位です。(10月18日)

2019年8月10日 (土)

河川の語源

Fukei09919     人にそれぞれ名前があるように、河川にもそれぞれ古くから名前がある。河川の色から名づけられたのは中国の黄河、日本の緑川(熊本県)、白川(熊本県)、黒川(福島・栃木県)、赤川(山形県)など。

    アメリカのミシシッピ川(Mississippi)はインディアン語の「メスシピ」(Messipi)「水の父」が語源である。その支流オハイオ川(Ohio)はインディアン語地名で「美しい川」「丘と丘」の意味がある。ミズーリ川(Missouri)は「濁れる水」の意味。セントローレンス川(St.Lawrence)は1535年8月10日フランスの探検家ジャック・カーターがこの地を発見。当日が聖ローレンスの祝日にあたっていたのでこの名がつけられた。

    ヨーロッパ大陸を北流するライン川(Rhein)はケルト語で「川、水」を意味する語から生まれたとするのが定説である。イタリア北部を流れるポー川(Po)はローマ時代にはパドス川(Padus)と呼ばれ、これが転化してポーになった。パドスは、リグール語のボデンクス(bodincas)「非常に深い」か、ボデゴス(bodeghos)「底なしの」が語源であるといわれる。

   シベリア西部を流れるオビ川(Ob')は、上流地方の土着民が話したペルシア語の普通名詞アブ(ab)「水、川」と考えられる。この語が、同系の言葉タジク語に入り、アブ→オビとなり、川の名前に用いられた。

    南アメリカ大陸を南下する大河のうち、パラグアイ川の下部よりラプラタ川の上流部までの間を、パラナ川(Parana)と称する。インディアン語のパラpara「川」が語源である。

    中国東北部とロシアのシベリア国境を流れるアムール川(Amur)は、ツングース満州語のアマール(amar)「川」が語源。モンゴル人は、この川をハラムレン(Kharamuren)「黒い川」、中国人は黒龍江、黒河と呼んでいる。

     東シベリアを流れ北極海に注ぐレナ川(Lena)。原住民エベンケ族は、川をエリヨエネ(Eljoene)と呼んでいた。16世紀にロシア人がシベリアへ進出すると、この地名は、ロシア語に表記され、短縮してレナ(Lena)と呼ばれるようになった。

2019年8月 1日 (木)

島の日

A0024_000221_m   本日は「島の日」。オーストラリアより小さい陸地を「島」というらしい。世界にいくつ島があるかは不明。大きい順にあげると、グリーンランド、ニューギニア、カリマンタン、マダガスカル、バフィン、スマトラ、本州、ビクトリア、グレートブリテン、エルズミーア。▽バフィンはカナダ北東部の北極諸島にあり、面積は約50万㎢。▽日本は北海道、本州、四国、九州、沖縄島の5つの大きな島と6847の離島、合計6852島から成り立っている(SHIMADASより)。離島のなかには名称もない島があったが、総合海洋政策本部は2014年8月1日付で、「領海の外縁を根拠付ける離島の地図及び海図に記載する名称の決定」をホームページで公開している。タンネソ東小島(北海道広尾町)をはじめ158の新しい名が生まれた。タンネソ東小島周辺は昆布の好漁場として知られる。尖閣諸島では、南小島に隣接する2島を「南東小島」「南西小島」、久場島に隣接する3島を「東小島」「南東小島」「西北西小島」とそれぞれ名付けた。北海道えりも町のトド岩は、すでに小樽市に無人島のトド岩が存在し紛らわしい名前である。158ある離島のなかにはユニークな名前がある。68番はなんと「ソビエト」(和歌山県すさみ町沖ノ里島)という。古くから釣り人らに言い伝えられてきたが、名前の由来は不明である。沖縄県渡嘉敷村の「ウン島」はなぜか「フカヌシー」と改称される。「ふなっしー」の人気にあやかったのか?▽馬毛島(まげしま)鹿児島県種子島の西12キロにある無人島。▽南極にあるオングル島。▽インドネシアのスラウェシ島。▽ベトナムのフーコック島。(8月1日)

 

 

 

 

2019年7月29日 (月)

震災復興を遂げた古都アンディグア(グアテマラ)

Photo_10  2012年9月、中米のグアテマラで首都グアテマラ市南西45㎞のフエゴ火山が噴火し、住民3万5000人が避難。フエゴとはスペイン語で「炎の火山」を意味する。グアテマラは過去に何回も大地震が起きている。アンティグア・グアテマラは度重なる震災にもかかわらず復興した都市として知られ、1979年ユネスコ世界遺産に登録されている。ラ・アンティグア・グアテマラとは「古いグアテマラ」を意味する。特に1717年9月29日にこの町を襲った大地震により、壊滅的な被害を受け、政府は首都の移転を考慮するようになった。そして1773年7月29日に起きたサンタ・マルタ地震により、町は廃墟となった。1776年に首都をヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオン(現グアテマラシティ)に遷都された。アンティグア・グアテマラは、この町を愛する人々の尽力で色彩豊かなに復興した。(Guatemala,Fuego)

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