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2018年12月17日 (月)

おもしろ地名、西表をなぜイリオモテと読む?

   北海道や東北地方にはアイヌ語がルーツとなった地名が数多くある。長万部はアイヌ語「オ・サマム・ペッ」(川尻が横になっている)から。倶知安は「クッ・シャン・イ」(くだのを流れ出たところ)」から。クッシャニとなってさらに、クドサニとなり倶登山(くどせん)川となり、倶知安が生まれた。沖縄にも方言に漢字を当てたおもしろい地名がたくさんある。西表はなぜ「イリオモテ」と読むのか?昭和40までは「イリオモテ」と読める人は誰もいなかった。「生きた化石」といわれるイリオモテヤマネコがこの島で発見されたことから、西表島は広く知られるようになった。沖縄では、太陽が西の海に「入る」から西のことをイリという。▽モンテネグロには人口100人ほどの村Japan(ヤーパン)村が存在する。参考:「日本の地名がわかる事典」浅井建爾著 日本実業出版社

2018年12月14日 (金)

アフリカの「ん」の話

5072321877_64d049137b   古代の日本語には「ん」という発音はなかったらしい。仏教伝来とともにサンスクリット語の阿吽(あ・うん)が入ってきた。しかし「ん」はあまり普及せず、「ん」から始まる人名・地名・固有名はほんどない。しかしグローバル時代になると「ン」から始まる言葉は多く散見するようになった。南アフリカとジンバブエのンデベレ人の民族人形はビーズ細工の可愛いもので「ンデベレ人形」としてお土産に人気である。カメルーンのバナナを焼いた郷土料理は「ンドンバ」という。タンザニアのキリマンジャロは本当は「キリマ・ンジャロ」という。ザンビア共和国の都市ンドラ。ナイジェリアの都市ングル。チャドの首都ンジャメナ。タンザニアの動物自然保護地域「ンゴロンゴロ」は世界遺産に登録されている。南アフリカのズールー族(ングニ族)に伝わる武術「ングニ棒術」は近年、スポーツとして世界に広まりつつある。防御用の「ウブホコ」という長い棒と、攻撃用の「インヅク」という短い棒を使う。「アフリカの太陽」といわれたガーナの初代大統領エンクルマは、「ンクルマ」と発音するほうが現地音に近いという。本名は長くて、フランシス・ニイア・コフィー・クワメ・エンクルマという。英語表記ではNkrumahである。赤道ギニアの初代大統領はフランシスコ・マシアス・ンゲマ。(Ndola,Uboko,isiquili)

2018年12月13日 (木)

世界地名インデックス、アアラ島、アアルスメール

Img_0027     引越業者が「ア」で始まる名称が多いのは電話帳でトップに来るようにするためだという。日本地図帳などで大阪府茨木市の安威(あい)はトップではないが、かなり注目度が高い。安威川、安威小学校、安威幼稚園などいろいろある。香川県にある無人島「アアラ島」がトップらしい。外国地名ではオランダのアムステルダム南郊の町アアルスメールだ。ブリタニカ国際大百科事典総索引で4番目に登場する。アアルスメールは世界最大規模の花弁卸売市場があり、花、球根、鉢がスキポール国際空港を通じて世界中に出荷される。だが近年のコンサイス外国地名事典などの表記では「アールスメール」になってしまい、大きく後退して、代わりにオーストラリア南部にある鉱山町「アイアンノブ」がトップにきている。「ジュニア・アンカー和英辞典」では地名では「アーカンソー」が一番初めに載っている。ちなみにコンサイス外国地名事典には2万1000項目の国・都市・山・川・湖・島・海・半島などの地名が掲載している。旧約聖書に記された地名には「アイ」がある。ベデルの東にある、カナン人の町。

  (Aalsmeer、Arkansas)

2018年12月 9日 (日)

フランス歴史と文化の多様性

  フランスはどのようにしてフランスになったのか。現在、パリをはじめ各地に大規模な抗議デモが発生している。「黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動」(jauneは黄色の意味)が広がり、政府は燃料税の引き上げを延期した。日本では考えられないことで、フランスはまさに「革命とデモの国」である。

    国名フランスは、5世紀末にフランク王国をたてたフランク族の名に由来する。この種族はゲルマン人の勇敢な一部族で、フランカfranka(投槍)を主要な武器としたため、フランカ族(投槍族)と呼ばれた。しかし、さらに昔のフランス、森林地帯に覆われた時代はローマ人からガリGalli(ガリア)と呼ばれていた。

Rekishi_furansu    カエサル「ガリア戦記」によれば全ガリアは、ベルガエ(北東部)、アクイタニア(南西部)、ケルタエ(中央部)に区分されている。前8世紀からケルト人が来住していたが、ゲルマン人とガリア人が混血してベルガエ人が定住するようになった。前52年、カエサルによって全ガリアがローマに支配されるようになった。476年、西ローマ帝国が滅び、クロヴィスによってメロヴィング朝が開かれる。751年、ピピン3世がカロリング朝を開く。カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝と王政が続くが、その血筋は続いている。14世紀初めに教皇庁をローマからアヴィニョンに移転させ、フランス王権の優位性を示した。このことによって、のちの宗教改革の時代よりも早く、フランス教会はカトリックの枠内にありながらローマ教皇からの事実上の独立を成し遂げた。(ガリカニスム)近世はイタリアのフィレンツェから始まり、西ヨーロッパに広まった。フランス近世の萌芽は16世紀の前半、フランソワ1世やアンリ2世の時代にみられる。国王の支配はほぼ全土におよび、この頃ヨーロッパで、最も人口の多い強国となった。しかし16世紀の後半、宗教戦争による惨禍・不安・混乱があったためアンリ4世はナント勅令を発して、信仰の自由を認め、フランスの宗教戦争は、ここに一応解決をみたのである。

   18世紀末に始まるフランス革命、ナポレオン時代に際して、数々の歴史的大事件が繰り広げられた。王政復古、第2共和制、ナポレオン3世の第2帝政に続き、1871年の普仏戦争の敗北後、第3共和制が設立。

Img_0016   第2次大戦で国土の半分がドイツに占領されたが、南半分に対ドイツ協力政権のビシー政権(ペタン元帥)が成立、1944年8月連合軍がパリを解放、9月ドゴールを首班とする臨時政府が成立、ドゴールは1958年に第5共和制を発足させ、1962年に大統領直接選挙制を導入した。(France,Jeanne d'Arc,Belgae,Celtae,Aquitania)

2018年12月 8日 (土)

中国地理学と文献書目

Chaina

地理的概観(UNIT1)

中国の位置 アジアの東部、太平洋の西岸に位置する。中国には「北に行くほどトランクが軽くなり、南に行くほどトランクが重くなる」という言葉がある。これは旅行者が北に行くにつれて、トランクから1枚ずつ着るものを取り出して重ね着して行くこと、反対に南に行くにつれて、1枚ずつトランクにしまいこんで行かねばならないことをいったものだ。南北は、緯度およそ北緯4度から54度、東西は経度およそ東経78度から東経135度のあいだにある。

中国の境域 陸上では北朝鮮、ベトナム、ラオス、ミャンマ、インド、ブータン、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、ロシア、モンゴル人民共和国と国境を接している。海上では日本、フィリピン、マレーシア、インドネシアおよびブルネイと相対している。

面積と人口 中国は面積959万7000k㎡、人口13億8271万人(台湾、香港、マカオを除く)。2016年末の統計。面積はアジア大陸の25%をしめ、ロシア、カナダについで世界第3位。人口は世界第1位である。

民族 漢人が91.5%で、少数民族が、蒙古・回・チベット・ウイグル・ミャオ・イ・チワン・プイ・朝鮮・満・高山族など55の民族がある。そのうち、北方の森林で狩猟をいとなむツングース系諸民族、ステップで遊牧をいとなむモンゴル系諸民族、オアシス世界に生きるテュルク系諸民族、高原で牧畜・農耕をいとなむチベット諸民族、南西山地で農耕をいとなむミャオ・ヤオ系およびモン・クメール系諸民族、南部で水稲耕作をいとなむタイ系諸民族のグループにわかれる。

行政区 全国には、合わせて23の省、5つの自治区(広西チワン族・内モンゴル・新疆ウィグル・寧夏回族・西蔵)、3つの直轄市(中央政府の直轄する市、北京・上海・天津市)があり、首都は北京。

自然環境 中国の地形は西に高く、東に低いが、複雑であり、気候風土も変化に富んでいる。国土総面積に占める各種地形の比率は、山地が約33%、高原が約26%、盆地が約19%、平原が約12%、丘陵が約10%となっている。慣習的に山区といわれるものには山地、丘陵、そして比較的起伏のある高原が含まれ、それらが全国土の3分の2を占めている。

中国の地域区分

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   広大な中国の地域を、地形・気候その他の自然的条件により、また人文地理的要素を考えて、華北・華中・華南の3地域に区分することができる。華北と華中の境界は、淮河と秦嶺を結ぶ線にある。華北が黄土地帯を中心とする乾燥農耕地帯であるのに対して、華中は水田耕作に適している。「南船北馬」という言葉は、華北では馬が主要な交通機関であったのに対して、江南では交通や灌漑のための水路が縦横に発達していたことを語っている。

option  中国文明は世界最古の文明であるとともに、独自の文化を今日まで持続したという点では世界でも類例がない。このことを地理的観点から考えてみよう。

   アジア大陸の東端に位置している中国は、エジプト、メソポタミアなどの古代文明諸国からもっとも遠くはなれたところで文明を形成した。地理的位置に起因する文化的孤立性は中国の民族文化の形成に深い影響をあたえずにおかなかった。中国をふくめた四つの古代文明は、いわゆるアフロ・ユーラジアン複合体をつくっているが、世界の屋根である高峻なヒマラヤ山脈とタクラマカン砂漠などの天然の障壁とにさえぎられた遠東の中国は、他の三文明からもっともかけはなれた存在であって、相互の交渉はわずかに駱駝の背にのって砂漠をわたる隊商によってもたらされた。西アジアやヨーロッパの政治的支配が中国の領土や勢力圏に直接及んできたことは、17世紀にいたるまではなかった。したがって、中国は巨大な領域をしめながら、地理的にも、政治的にも、孤立した地域を形成し、そのなかで独自の文化を発展させてきたのである。すなわち、古い文化を発生させたエジプトのナイル川やチグリス・ユーフラテス河流域、あるいはギリシアやインダスにおいて、その文化が停滞し、衰亡したのに比べ、中国はむしろその孤立性を生かし、インドや西方の文化的な刺激を生かして、独特の文化を形成したのである。(参考:貝塚茂樹「中国の歴史」岩波新書)

中国地理関係文献

清国地理小誌 高田義甫著 島林専二郎刊行 1880
清国道中里程図誌 川端恒太郎 京都・杉本甚助 1885 地図
禹域通纂 楢原陳政 大蔵省 1888
清国本部與地図  中田貞矩編 中村芳松(大阪) 1894
中国彊域沿革図 附説略 重野安易繹 河田黒合 冨山房 1896
朝鮮支那地名辞彙 根来可敏編纂 共同出版社 1910
支那省別全誌 全18巻 東亜同文会 1917-1920
中国地名大辞典 劉鈞仁著 国立北平研究院 1930
中国古今地名大辞典 商務印書館 1931
満州地名辞典 岡野一朗 日本外事教会 1933
満州地名索引 加藤新吉 満州鉄道総局 1936
現勢上海・南京詳図 六芸社 1937
最新支那及極東地図 アトラス社編 アトラス社 1937
最新支那大地図 大林堂 1937
満州国地名大辞典 山崎惣与 満州国地名大辞典刊行会 1937
古地理学 陳兼善 長沙商務印書館 1940
支那地名辞典 星斌夫著 富山房 1941
新中国地理 森下修一訳編 古今書院 1956
中国地方誌連合目録 1964 東洋学文献センター連絡協議会編 東洋文庫 1965
アジアの農業 アジア経済講座3 石川滋編 東洋経済新報社 1971 
中国総覧 中国総覧編集委員会編 アジア調査会(霞山会) 1971-1986
中国大陸省別地図 越村衛一・矢野光二編 外交時報社 1971
中国地図帳 平凡社編 平凡社 1973
中国地名大辞典 旧・国立北平研究所版 東京美術 1974
中国の地理 浅川謙次監修 人民中国編集部編 築地書館 1975
中国地理の散歩 阿部治平 日中出版 1979
中華人民共和国地質図集 付・別冊 中国地質科学研究院主編 佐藤信次訳 築地書館 1980
現代中国地理 その自然と人間 黄就順著 山下龍三訳 帝国書院 1981
中国大陸五万分の一地図集成 8冊 総合索引 科学書院 1986-2002
中国大陸二万五千分の一地図集成 4冊 索引図 科学書院 1989-1993

2018年11月19日 (月)

郵便ポストはなぜ赤い?

Buzon_amarillo   町の中で、「赤」いものの代名詞にもされているのが郵便ポスト。「空があんなに青いのも電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもみんなあたしが悪いのよ」 痴楽綴り方教室でお馴染みのこの台詞だ。日本人は世界各国で赤い郵便ポストがもっとも多いと思っている人が多い。実は世界中で一番多いのは黄色である。左画像、スペインでは郵便のことをコレオスcorreosといい、ポストは黄色である。ドイツ、フランス、スイス、スペイン、ポルトガル、フィンランド、ノルウェイ、オーストリア、ルクセンブルク、ユーゴスラビア、チュニジア、ブラジルなどヨーロッパの国は黄色が多い。なぜヨーロッパの多くの国が郵便ポストを黄色にしたのか理由は今もって謎である。考えられる理由としては、イギリスが赤なので、イギリス嫌いのドイツ、フランスは黄色にしたのではないかと推察している。当時「郵便時間厳守」で信頼性の高かったスイスが黄色いポストだったので、フランス、ドイツがまねたそうである。

Redpostalboxmailboxmyanmarburma300x  最近、ミャンマーの郵便事業の改善に日本が幅広く協力しているというCMを見た。郵便ポストの歴史は古く、フランスが世界で最初である。1652年にパリ市内の要所に設置されたが、何色であったかはわからない。次いでイギリスのカーライルで1852年に第1号のポストが登場するが、このときは円柱形で緑色だった。1874年にロンドンのトラファルガー広場に設置された赤色のポストが評判を呼び、10年かけて全国のポストを赤色に統一した。アメリカとロシアの郵便ポストは青色。中国、香港、アイルランドは緑色。赤色は日本のほか、韓国、台湾、タイ、インドネシア、インド、アルゼンチン、オランダ、ベルギー、ハンガリー、モナコ、南アフリカなどアジア中心に世界に広がっている。日本のポストが赤いのは、イギリスの郵便制度を真似たからである。郵便制度が始まった明治4年当初は、黒塗りのポストだった。ところが、まだまだ街中の照明設備などの発達していない頃で、夜になると、良く見えなくて、苦情が続出したといわれる。そこで考えられたのが「赤」い目立つポストといわけである。赤いポストの登場は明治21年、以来、赤いポストが登場して、これが評判となり日本では「赤」が定着した。現在、ほとんどの国のポストが赤、黄、青、緑、この4色のいずれかを使っている。

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  アメリカのポスト

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  中国のポスト

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   アイルランドのポスト

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   韓国の郵便ポスト


  世界の郵便ポストは赤、黄、青、緑の4色がほとんどだが、インドネシアのオレンジはめずらしい。

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 インドネシアのポスト

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オーストラリア。赤いポストは一般郵便物。黄色は翌日配達郵便(Express Post)

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ホルンがデザインされたドイツの郵便ポスト。ポストの色は緑や青など様々な変遷の末、ヨーロッパに多い黄色を採用した。

2018年10月18日 (木)

日本の人口と統計

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 今日は「統計の日」。全国各地で統計に関する様々な行事が開催されているが、やはり統計といえば人口。人口4人に1人が65歳以上という超高齢化社会の日本。大正9年10月1日、第1回の国勢調査が実施された。その時の人口5596万3053人だった。  わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは減少を何度か繰返しながら、発展してきた。人口増加は、弥生時代から10世紀にかけてみられる稲作農耕とその普及による人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という2つの大きな流れがある。「少子化」が社会用語として使用されだしたのは、1989年に合計特殊出産率が1.57を記録し、「1.57ショック」という言葉で社会問題化された。

    縄文時代には約10万~約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代には約550万人となり、室町から戦国時代にかけて人口は1000万人を超えるようになった。慶長時代は約1220万人といわれている。江戸時代には17世紀に人口が増加し、2000万人を超え、18世紀には停滞して、おおむね3100万人から3300万人で推移した。明治になって4000万人を超えて、大正9年には5596万人、昭和15年には7193万人、昭和35年には9342万人、昭和41年3月31日、日本の総人口は1億人を突破した(法務省住民登録集計による)    昭和55年には1億1706万人、平成12年には1億2638万人となった。総務省統計局発表によると、平成30年9月1日現在(概算値)の日本の総人口は、1億2642万人で、2010年から10年連続で減少している。世界の国の中で第10位です。(10月18日)

2018年10月 1日 (月)

アンドラ共和国

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    ピレネー山脈の南斜面にあり、フランスとスペインに挟まれた国、アンドラ。面積は金沢市とほぼ同じで、首都はアンドラ・ラ・ベリヤ。8世紀カール大帝がおいたウルヘル伯領を起源とする。のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したスペインのウルヘル司教と、フォワ伯爵領との間に争いが起き、1278年、宗主契約が結ばれた。1607年にはアンリ4世が、フランス王とウルヘル司教を共同大公とする勅令を出し、アンドラは公国となった。フォワ伯の権限はナバラ王→ブルボン家→フランス大統領に引き継がれた。1993年、新憲法を制定し、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする独立国家が誕生した。現在の首相はアルベール・ピンタート。

2018年9月15日 (土)

フランスはあまりに遠し

 日本とフランスは1858年10月9日、日仏修好通商条約を締結し、両国間の外交関係が開設された。フランス代表はグロ男爵、日本側全権は水野忠徳ら6名。今年、日本政府はパリを中心に日本文化紹介事業「ジャポニズム2018」を実施している。フランス映画3本。アラン・レネの「二十四時間の情事」(1959)19世紀パリ社交界、裕福なユダヤ青年スワンと娼婦オディツトの恋。マリーヌ・ヴァクト主演の「17歳」売春する現代の少女の危ない心理を描く。いずれもフランス芸術文化は理解し難し。今夜はBSで「とことんフランス深田恭子5時間スペシャル」。現在のフランス大統領はだれか?エマニュエル・マクロンである。近代日本はなぜフランスに学ばなかったのか。陸軍はフランス式を導入したというが、憲法はドイツ、議会制度はイギリス、戦後は多くはアメリカ。明治期ヨーロッパではフランスは大国だったが政治的には不安定だった。それにフランス革命でルイ16世が処刑されたこと知って驚愕した。今の日本がまねるとすればフランス制度がベストだと思うが、やはり天皇制が存続する限りは共和制、大統領制は無理。象徴天皇制、議員内閣制から脱却できないだろう。エッフェル塔と東京スカイツリーのネーミングの違いをみればよくわかる。エッフェルは建築家の名前だが、日本では一個人の名前がシンボルに使われることまずないだろう。天皇陛下以外はみな臣民の国である。「ふらんすに行きたとし思へど ふらんすはあまりに遠し」。

Ff808d4a   ちなみに東京タワー、通天閣(2代目)の設計者、内藤多仲(1886-1970)もむかしの百科事典にはその名前すら記載されなかったが、近年はクイズの問題にも登場するようになっている。

2018年8月11日 (土)

アジア人文地理関係文献目録

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    宇宙からアジアを見ると、東京やソウルが夜景のため輝くばかりの光を放っている。世界最古の文明の発祥地であるアジアは、世界最大の人口をもちながら、日本をのぞく多くの国々は、19世紀と20世紀半ばまで西欧の支配を受けていた。第二次世界大戦後に、これらの国々はつぎつぎに独立し、新しいアジアに生まれかわった。アジアは広大な地域であるから、地形はきわめて複雑で、地域によりちがいが大きい。アジアには、北部に居住する北方系と南部に住む南方系とに分かれ、前者にはフィン族やマジャール族のほか、トルコ人・モンゴル人・ツングース人・朝鮮人および日本人などがあり、後者には中国人(漢族)・チベット人・アンナン人・タイ人・ビルマ人などがある。世界人口74億のうちアジアは42億人といわれる。アジア民族の活動舞台となる地形は、「世界の屋根」といわれるパミール高原(タジキスタン共和国の東部ゴルノ・バダフシャン自治州に属し、一部は中国、アフガニスタンにはいる)から放射状にのびる山系によって分けられている。すなわち北西にはアルタイ山脈、北東には天山山脈が走り、アルタイ山脈はさらにサヤン山脈と合し、バイカル湖から北東にはヤブロノイ山脈があって、これはさらにオホーツク海北岸に聳えるスタノヴォイ山脈にとつづいている。さらにパミール高原から東に向かっては、カラコルム、ヒマラヤ、アルチンターク、崑崙などの大山脈が延び、崑崙はさらに秦嶺となって中国につづき、華北と華南の境界を形成する。ヒマラヤの東の延長は数条のインドシナ山脈となり、その一つは南嶺として華南とインドシナ半島とを境している。日本と隣接する朝鮮、中国、台湾、ロシアなどはこれまで複雑な歴史を有している。

    現在アジアの国は全部で39ヵ国。約4400万k㎡で地球全面積の32%を占めている。面積の大きい国を10位まであげると、中国・インド・サウジアラビア・インドネシア・イラン・モンゴル・パキスタン・トルコ・ミャンマー・アフガニスタン。

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  アジア関係文献一覧

世界都路1 亜細亜洲 仮名垣魯文 1872
改正萬国地誌略図一覧1 亜細亜・亜非利加之部 伊東正貫編 京都・笹田辰之助 1877
亜細亜言語集 上 支那官話 広部精編輯 青山堂書房 1880
中亜細亜紀事 西徳二郎 陸軍文庫 1886
総訳亜細亜言語集 支那官話部 全4巻 広部精訳 青山清吉 1892
亜細亜大陸旅行日誌並清韓露三国評論 原田藤一郎 1894
亜細亜之存亡 岡本監輔編 哲学書院 1900
亜細亜ニ於ける露西亜 落合昌太郎合著 嵩山房 1903
亜細亜歴史地図 石沢発身編輯 弘文館 1903
古代埃及及西南亜細亜史 高桑駒吉 早稲田大学出版部 1903
亜細亜東部ノ覇権 戸水寛人 1904
亜細亜之将来 タウンセンド 金港堂書籍 1905
高等地理 巻之3 亜細亜洲 矢津昌永 丸善 1906
五大洲探検記1 亜細亜大陸横行 中村直吉 博文館 1908
小学地理教材2 亜細亜洲大洋洲 北垣恭次郎 宝文館 1909
大亜細亜主義論 小寺謙吉 東京寶文館 1916
亜細亜大観 黒竜会出版部 1918
回教民族の活動と亜細亜の将来 渡辺巳之次郎 大阪毎日新聞社 1923
白禍に悩む支那 亜細亜聯盟へ 長野朗 燕塵社 1924
アジアを跨ぐ 副島次郎 大阪毎日新聞社 1927
アジアの二大運動 回教徒とユダヤ人 山岡光太郎 渡辺事務所 1928
亜細亜の生きるの途 蜷川新 日本書院出版部 1929
アジアの概説と満州・蒙古 地理講座1 飯本信之ほか 改造社 1933
黎明大亜細亜 満洲建国を顧みてこの大躍進を語る 満洲国通信 1938
亜細亜史概説 中世篇(歴史学叢書) 守屋美都雄編 蛍雪書院 1940
アジア人名辞典 アジア問題講座12 尾崎秀実ほか 創元社 1940
アジア周辺民族史 竹尾弌著 今日の問題社 1943
アジア研究1 アジア経済学会編 如水書房 1954
アジア 付オセアニア 社会科地理文庫 多田文男・小堀巌 三省堂 1955
アジア史 文庫クセジュ ルネ・グルッセ 前嶋信次訳 白水社 1955
アジア史概説 松田壽男 河出書房 1956
アジア 世界地理シリーズ ぺりかん写真文庫 平凡社 1957
アジア 歴史と私 島田正郎 啓文社 1962
アジア史小論 石橋秀雄 山本書店 1962
アジア高原の旅 アーノルド・トインビー 黒沢英二訳 毎日新聞社 1962
アジア古代史概説 光島督 成文堂 1965
アジア現代史 衛藤瀋吉編 毎日新聞社 1969
アジア史概説 宮崎市定 学生社 1973
アジア学の展開のために 創樹選書 竹内好編 創樹社 1975
アジア現代史 全4巻 別巻 歴史学研究会 青木書店 1979-1985
ヨーロッパとアジア 大東名著撰2 榎一雄 大東出版会 1983
アジア稲作文化への旅 NHKブックス 渡辺忠世 日本放送出版協会 1987
アジア・女・民衆 松井やより 草風館 1988

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