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2018年11月12日 (月)

イギリス文学16世紀

   18世紀ダニエル・デフォー(「ロビンソン・クルーソー」の作者)以後、ヨーロッパでいち早く近代のリアリズム小説を確立したといわれるイギリス文学だが、その萌芽はすでに16世紀からみられる。

    「航海と発見、音楽と戯曲と詩歌、調和と創造の時代」エリザベス女王のイギリスはまさに黄金時代であった。

    ルネサンスの精神をトマス・モアによって導入されたイギリスは、今や文学の開花を待つばかりであった。ジョン・リリーのエッセイふうの恋愛物語『ユーフュイーズ』は、イギリス最初の小説といわれ、派手で気どった文体ゆえに、ユーフュイズムという語を生みだした。フィリップ・シドニーも『アーケイディア』という恋愛小説を書いたが、彼の詩の擁護論は後の世代にまで影響を与えている。楽しませると同時にためになるという説は、英文学の伝統として長く残るものである。詩形としては無韻詩が生まれて、シェークスピアによって完成される。

   エドマンド・スペンサーの『神仙女王』はエリザベス女王の弥栄をことほぐものであった。スペンサーの重要性は、彼がアングロ・サクソン的人生のための芸術と、フランス的芸術のための芸術というイギリス文学の二大潮流の合流点に立っているということである。ベーコンは散文で当時の思考を代表し、そしてシェークスピアがその不朽の喜劇・悲劇・史劇をもって演劇を代表する。『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』『ベニスの商人』『ハムレット』『マクベス』・・・・彼は巧みな筋の運びと、ヒューマーにあふれた性格描写と、美しい詩の世界をもって、エリザベス朝の花と咲いた。(参考:『大英帝国の世界』<世界の旅10> 櫻庭信之、『イギリス文学史概説』三ッ星堅三)

2018年11月 2日 (金)

マーティン・マルプレレット論争

 1588年から翌年にわたって、英国国教会を激しく非難した一連のパンフレットが、マーティン・マルプレレットというペンネームを使い、秘密の出版社から出された。これに対して、リリー、ナッシュ、ハーヴィー兄弟ら、当時の著名な作家たちが時を移さずにやりかえしたが、筆鋒鋭く切り込み、力強くてよどみのない文章をつづった匿名の作家にたちうちできる者は誰もいなかったという。この論戦の発端は、カンタベリー大主教ジョン・ヴィットギフトの非国教会牧師に対する不公平な取り扱いに起因している。彼は、国王至上法、統一法、39ヵ条などの法令に物言わせて、英国国教会の教養を押しつけようとした。最後まで自分の名前を隠して、文筆の威力を見せつけた玄人はだしの人物は、どうやら長老教会派のジョブ・スロックモートンであろう。しかし、当局側から嫌疑をかけられた者の中に、ジョン・ベリーとジョン・ユードルが含まれており、言わば見せしめのための懲罰で、前者は処刑され、後者は獄死した。(三ッ星堅三「イギリス文学史概説」) Martin Marprelate

2018年8月16日 (木)

ジョン・ファウルズ

348150_501   ジョン・ファウルズ(1926-2005)は、イギリス・エセックス州にある町リー・オン・シーで生まれる。オックスフォード大学卒業後、教師をしながら小説を書く。1963年、処女作「コレクター」を書くと、映画化されストーカー小説の先駆としてセンセーショナルな話題作品となった。1968年にはドーセットに移り住み、そこを舞台とした「フランス軍中尉の女」を書き始めた。同年、「魔術師」を脚色し直し映画化されたが、映画としては失敗した。ファウルズは寡作ながら、ポストモダニズムの父と捉えられ高い評価をえている。(John Fowles,The Collector,Essex,Leigh-on-Sea,Dorset)

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2018年7月22日 (日)

「赤と黒」の題名

Img_0006_2     「赤と黒」(1830年出版)は、スタンダールの故郷グルノーブルに近いある村で実際に起こった犯罪にそのまま題材を得ている。1827年7月22日、アントワーヌ・ベルテという青年は、家庭教師先の夫人や娘を誘惑し、最後にその夫人を狙撃して死刑になった。

    なお、「赤と黒」という風変わりな題名については、出版当時からさまざまな解釈が行なわれ、運命が赤か黒かによって決定されるルーレットに人生をたとえたのだとする説もあるが、ポール・ブールジェのいうように、「赤」は軍服、「黒」は僧衣を象徴し、それらによってナポレオン没落後、武勲による立身の希望を失ったフランスの貧しい青年が、いかにして社会に進出せんとしたか、を示したものと今日では一般的に解釈されているようである。スタンダール自信の残したノートによると「赤」は共和主義者を意味したらしい。後に書いた未完小説「リュシアン・ルーヴェン」(1835年)を「赤と白」と題しようとしたことがあり、そのとき「赤」をもって共和派のリュシアンを、「白」をもって王党派のシャストレ夫人を示すつもりだった。このことからも、赤はジュリアンの共和主義精神を、黒は僧侶階級を示していると見ることが妥当であろう。

2018年5月 5日 (土)

エッフェル塔とモーパッサン

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  1889年5月5日、パリのエッフェル塔が公開された。フランス政府はフランス革命100周年にあたるこの年に開催するパリ万博の目玉にエッフェル塔の建設を決定した。ところが作家、詩人など約50人が、「パリに鉄塔を建てるとはパリの名誉を汚すものだ」と大変な剣幕で連名の陳情書が出された。陳情書には作家のアレクサンドル・デュマ・フィス、ギ・ド・モーパッサン、ジョリス・カルル・ユイスマンス、作曲家のシャルル・グノー、画家のエルネスト・メイソニエ、詩人のフランソワ・コペー、シュリー・プリュードムらが名を連ねていた。とくにモーパッサンのエッフェル塔嫌いは有名で、「工場の煙突のように滑稽でうすっぺらな生まれぞこないの横顔をみせる、巨大で不格好な骸骨」と罵った。1889年3月31日、エッフェル塔は完成した。

   ところが1889年5月6日、エッフェル塔が公開されると大評判となり、とくにレストランは美味しい料理と上等のワインで大賑わいであった。あるとき新聞記者がエッフェル塔に取材に行くと、なんと反対運動をしたモーパッサンがレストランにいた。それを見た記者は「あんなに反対したのに、やっぱり出来てみればあなたもこの塔が気に入ったのですね」と話しかけた。ところが流石はモーパッサン。落ち着きはらって「ここがパリでエッフェル塔が見えない唯一の場所だからね」と平然と答えたという。

Maupassant  

( keywod;Alexander Gustave Eiffel,Maupasant,Alexandre Dumas,Jons Karl Huismans,Charles Fracois Gounod,Jean Louis Ernest Meissonier,Francois Coppee,Sully Prudhomme )

2018年4月23日 (月)

シェイクスピアは存在しなかった?

Photo   本日は「サン・ジョルディの日」。守護聖人サン・ジョルジュを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る。スペインでは「本の日」とされる。この日はセルバンテスやシェイクスピアの誕生日でもある。

  ところでイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの名前を知らない人はほとんどいないだろう。「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」の四大悲劇をはじめ、恋愛悲劇「ロミオとジュリエット」、喜劇「真夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」など、生涯に約37編の戯曲と7編の詩を残している。ところが、これだけ有名な作家でありながら、生涯については、わからないことが多い。1564年、ストラットフォード・アポン・エイヴォンの手袋商人の家で生まれた。だが正確なかれの誕生日がわからない。英国の中部、ウォリックシアの都市ストラットフォードの教会にはウィリアム・シェイクスピアが1564年の4月26日に洗礼をうけた記録があるが、生れた日はわからない。公式に4月23日をかれの誕生日と定めているが、当時の風習として子供が生れて2、3日のうちに洗礼をうけさせたことや、たまたま4月23日はかれの命日にあたることや、さらにこの日がイギリスの守護聖者、聖ジョージの祝日にあたることなどから、この日が選ばれたという。そこで現れたのが、「シェイクスピアは不在だった」という説である。つまり、誰か別の高名な作家がシェイクスピアの名前で作品を発表した、というのである。シェイクスピアの正体はベーコンだったという説などが有名だが、その確証はない。さまざまな資料を照らし合わせてみたところ、エリザベス朝時代にシェイクスピアが存在したことは確かだが、その人物が果たして数々の戯曲を書いた本人と同一人物なのかどうか、はっきりと確認できなかった。ジョージ・ギッシングの言葉に「英国に生れたのを喜ぶ多くの理由の中で、まず最初にあげたい一つは、シェイクスピアを母国語で読めるということだ」

2018年3月26日 (月)

李杜水死伝説の謎

   詩仙・李白と詩聖・杜甫は盛唐の詩人として「李杜と並び称される。どんな本でも「李白と杜甫」はあるが「杜甫と李白」はない。杜甫は李白よりも9歳年下の後輩である。李白が62歳、杜甫が59歳でこの世を去った。李白、杜甫ともに病死であるが、こんな伝説がある。ある日、李白は揚子江の采石磯で舟遊びをした。例によって泥酔、この世ともあの世とも区別さだかならぬ境地に達していたが、やがて川面に映る月影を見て、月をつかまえるのだといって水に飛びこんだまま溺死してしまった。杜甫も揚子江に舟を浮かべてさまよい、江水の増水に遭って岸に近づけず、県令に10日目に救助されてたが、すでに舟中で亡くなっていた。

2018年3月24日 (土)

最古の孫悟空

  現在伝えられている「西遊記」の作者は明の終わりのころの呉承恩といわれている。しかしその元になった話は宋の時代には、さかんに語られ、芝居にもなっていたらしい。「西遊記」の最初の形は誰にもわからない。先ごろ、河南省文物考古研究所が所蔵する陶器(河南省亰鞏義市出土)から西遊記に登場する孫悟空像が発見された。頭に輪をはめて猿の形をしている。唐代のもので最古の孫悟空像である。

2018年3月23日 (金)

小説家スタンダール

Img_0006    1842年のこの日、スタンダールはパリの街頭で脳出血で倒れ死去した。享年59歳。スタンダールという筆名で知られるアンリ・ベール(1783-1842)は、現在ではもっぱら小説家として有名であるが、小説を書くことが彼の職業であったことはじつは一度もない。軍人、食料品商、参事院書記官、ジャーナリスト、イタリア駐在フランス領事であり、著述はそれと並行しておこなわれた。「紙をインクで汚すこと」が喜びであった59年間の生涯に書き残されたものの量は膨大である。「イタリア絵画史」「ローマ、ナポリ、フィレンツェ」「ナポレオンの生涯」「ラシーヌとシェイクスピア」「ロッシーニの生涯」「アルマンス」「ローマ漫歩」「赤と黒」「アンリ・ブリュラールの生涯」「リュシャン・ルーヴェン」「ナポレオンに関する覚書」「パルムの僧院」「カストロの尼」「ラミエル」。これらの作品はほとんど生前、世間的成功を収めていない。彼は、1880年、1935年の読者に期待すると予言し、その予言は見事に的中した。現在では、バルザックとともに最も大きな影響を近代小説の上におよぼしたフランスの小説家のひとりとされている。(3月23日)

2017年11月24日 (金)

南米のスペイン語圏とポルトガル語圏

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18世紀後半の世界 新大陸ではブラジルだけがポルトガルの植民地だった

   南米は12ヵ国あるがポルトガル語が公用語なのはブラジルだけである。ブラジルは1500年ポルトガル人カブラルによって発見され、以後19世紀初めまで新世界で唯一のポルトガル王国の植民地となっていた。そのため現在もブラジルの公用語はポルトガル語である。スペイン語圏の文学を中心とするラテン・アメリカ文学からブラジルは除かれる場合もある。これまでラテンアメリカ文学から6人(ミストラル、アストゥリアス、ネルーダ、マルケス、パス、ジョサ)のノーベル文学賞受賞者を出しているが、ブラジルからは1人もいない。スペイン語は強い。

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