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2009年11月22日 (日)

艱難のなかから名著は生まれる

    周の文王は捕えられて「周易」を述べ、孔子は厄に遇って「春秋」を作った。左丘明は失明して「国語」が生まれ、孫子は両足を断たれて、その兵法が完成し、呂不韋が蜀に流されたため「呂覧」が世に伝わり、韓非が秦に囚われて、「説難」「孤憤」の篇ができた。楚の屈原は憂国のなかから「離騒」を作った。西洋においても、ルネサンスの始祖ダンテはフィレンツェを追われて、「神曲」が作られた。イギリスの詩人ミルトンは不幸にも盲目となったが、このため「失楽園」が生まれた。ジョン・バニヤンは罪なくして牢屋に入れられたが、そこで不朽の名作「天路歴程」を書き上げた。まことに世を憤り、身の不遇を悲しむ激情で書き上げられた書物は古今東西の例をみても名著が生れる。

2009年9月27日 (日)

チップス先生さようなら

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    1933年、若くて売れない小説家ジェームズ・ヒルトン(1900-1954)はクリスマスの特別付録用の小説をある雑誌社から依頼された。原稿の締め切りまで僅か2週間しかなく、焦ったヒルトンは、自分のパブリック・スクールの体験をもとにわずか4日で書き上げた。生真面目で堅物の教師チップスは、生徒たちから見ると退屈で人気がない。そんなさえない教師が運命の女性に恋をして、結婚して、校長にまでなるまでの心あたたまる一教育者の話を書いた。この風変わりな小説が思わぬ評判を呼んだ。英語版で22版を数え、1937年にはロンドンで舞台化、さらに1939年ロバート・ドナットで映画化された。ジェームズ・ヒルトンは本作「チップス先生さようなら」で一躍ベストセラー作家となった。代表作には「失われた地平線」「心の旅路」などがある。

2009年9月17日 (木)

カミュ「異邦人」

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    アルジェの船会社に勤めるムルソーは、町のどこにでもいるような平凡な青年である。養老院に入れた母親が死ぬが、通夜に出席しても彼は涙ひとつ見せず、煙草を吸い、コーヒーを飲み、眠りこんでしまう。埋葬のとき母親の年を尋ねられても正確に答えられないし、周囲の人物の様子に気をとられている。アルジェに帰ると喪章をつけたまま海水浴にでかけ、浜辺でマリーという娘と出会い、夕方喜劇映画を見たあと夜を共にする。事務所ではよく働くが、栄転の話がでると断わってしまう。またマリーを愛しているわけではないのに、せがまれると結婚を承諾する。

    ある日やくざ者のレイモンに手紙の代筆を頼まれ、それがもとでその情婦とのいざこざに巻き込まれ、招待されていった先の海岸で、彼とはなんのかかわりもないアラビア人を射殺して逮捕される。裁判の過程でこうしたムルソーの行為は、予審判事、検事といういわば伝統的価値の擁護者によってひとつひとつ検討されていく。彼らは行為のあいだに意図的な繋がりを見出し、悪しき本能が彼を殺人に導いたことを証明しようとする。彼らはしかし、すべては偶然のなせる業であると述べ、殺人の動機を太陽のせいにして、なんら悔悛の情を示さぬムルソーを、理解できぬままに、社会の敵、怪物とみなし、社会秩序の名のもとに死刑を宣言する。

   ムルソーは不自由な牢獄の生活にもすぐ順応してしまうが、終盤近く彼を神の手に縋らせようとする告解僧にたいして怒りを爆発させ、それまでの自分の生き方の真実性をはっきりと自覚する。そして星空を眺め、そこに自分と同じ無関心のしるしを認めて、意識的に世界に向かって心を開き、幸福だと思う。(参考:「世界の文芸と主役総解説」)

2009年8月 2日 (日)

アルプスの少女ハイジは永遠に

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   「ハイジ」の作者で知られるヨハンナ・シュピーリ(1827-1901)。(むかしはスピリと表記されていた。)医者の娘としてスイスのヒルツェルという美しい山村で生まれた。6人兄姉妹の第4子。愛称はハニー。ハイジのように、野山をかけめぐるお転婆な女の子だった。また、読書家でもあり、愛読書はゲーテ。25歳のときに結婚。幸福な家庭生活を過ごすかたわら、少年少女の物語を多く書いた。とりわけアルプスのハイジを主人公にした物語「ハイジの修行時代と遍歴時代」(1880年)と「ハイジは習ったことを使うことができる」(1881年)は世界各国語に訳され広く読まれた。ほかにも「グルトリの子どもたち」「ウィルデンスタインの城」「コルネリの幸福」などがあり、その全体が「子供と子供を愛する人々のための物語」全16巻(1879-1895)にまとめられている。ほかに「フローニーの墓の上の一葉」などがある。

2009年5月22日 (金)

シェイクスピアと徳川家康

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   シェイクスピア(1564-1616)の時代の芝居の女役は、まだ声変わりしていない少年が演じていた。従って女性の登場人物の台詞はどれもあまり長くない。女優のオフィーリアが見れるようになるのは1660年から後のことである。

   ところで戯曲「ハムレット」の出版は1603年であるが、上演初演は1600年から1601年にかけての頃であろう。「ハムレット」に似たストーリーの劇は1598年頃からなんらかの形で行なわれていたらしく、それは通常「原ハムレット」と呼ばれていて、1594年に上演されたという記録が残っている。シェイクスピアがそれをもとにして「ハムレット」を書いたことはまちがいない。おそらく1600年のことであろう。そうすると、日本で言えば慶長5年(1600年)、あの関ヶ原の戦の年である。
   シェイクスピアと徳川家康(1542-1616)とは他にも共通点がある。卒年が同じだ。シェイクスピアは1616年4月23日、52歳で世を去っている。家康は元和2年4月17日(太陽暦5月22日)、73歳で亡くなっている。死因は鯛のてんぷら説もあったが、近年は胃がん、梅毒説が有力である。

2009年5月 9日 (土)

アンドレ・ジード

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   私は書棚から一冊の本を抜き出して、それを読んだ。そしてその場所に納めた。私はその本を読んだことさえ忘れていた。しかしそれを読んだ後の私は、もはやそれを読む以前の私ではなかった。

                            アンドレ・ジード

  *  *  *  *  *  *  

   アンドレ・ジード(1869-1951)は早くからマラルメ、ヴァレリーと知り合い、象徴派風の作品を書くが、すぐに脱し、生命の歓喜、自由を追求した多くの小説を発表、簡潔明快な文章は美的完成度が高い。

ブロンテ姉妹

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   もし一冊の書物を何回も読み返してその楽しみを味わいえないならば、それは読むに値しないものである。

          オスカー・ワイルド(1856-1900)

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快晴。ブックオフへ行く。シャーロット・ブロンテ「シャーリー(上)ブロンテ全集3 みすず書房、キム・ヘスク「今だから話せる冬のソナタ」、「もっと愛したいペ・ヨンジュン真実の感動」、奥田実紀「赤毛のアンA to Z」、「狭き門・田園交響楽」、「ジェイン・エア」、「阿部知二集」「井上光晴集・高橋和巳集」「中山義秀集」「開高健・大江健三郎集」(筑摩書房)購入。

2009年4月28日 (火)

ロリータ

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    ロシア貴族の亡命作家ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)と喜劇王チャールズ・チャップリン(1889-1977)とはおそらく2人は面識はないだろうが、「ロリータ」(Lolita)という一語で繋がっている。

   ナボコフの小説は、中年男ハンバート・ハンバートが12歳の少女ロリータに惹かれてその母親と結婚し、彼女の死後ロリータを手に入れるが、やがてハンバートは逮捕され、獄死するという話である。この背徳的な小説は最初アメリカでは出版されず、1955年パリで出されたが発売禁止となるが、デンマーク、スウェーデン、イタリア、ドイツ、オランダと各国語に訳され世界的ベストセラーとなるや、1958年になってニューヨークでパトナム社から出版されるにいたった。主人公ハンバート・ハンバートという奇妙な名前はさておき、ロリータというのはラテン語Doloresの変化したものである。ドロレスとは「悲しみ」「悲哀」の意味で、キリスト教の「マリアの悲しみ」に由来するといわれている。ところが、ロリータの本当の由来はチャップリンの2番目の幼な妻リタ・グレイから来ていると映画評論家の町山智治は記事に書いている。ナボコフは1940年にアメリカに亡命したが、1943年に有名なチャップリン裁判があった。ジョーン・バリーという無名の女優の赤ん坊の認知訴訟であったが、チャップリンの過去が取り沙汰され、2番目の妻との離婚も1927年のことだがむしかえされる羽目になった。そしてナボコフはリタ・グレイという女優の本名であるリリータからロリータを借用したというのである。真偽のほどは定かではないが、少女を崇拝するような習癖、ニンフエットだけを一生求めるところがチャップリンにはあったことは事実である。最初の妻ミルドレッド・ハリスは16歳、2度目の妻も16歳、3度目の妻ウーナ・オニール(劇作家ユージン・オニールの娘)は18歳である。ちなみに「モダンタイムス」のポーレット・ゴダードは日本に新婚旅行に来たが入籍はなかった。大人の男が未成熟の少女に執着する愛は当時のアメリカではタブーであったため、たとえ合法に結婚したといえども、チャップリンは世論から陰で非難されたようだ。小説『ロリータ』の出版から半世紀以上が経つが、社会道徳としては、大人の男にとっては依然少女は禁断の実であることには変わらない。(参考:週刊新潮2009.5.7.14号)

2009年3月17日 (火)

エミリーに恋して

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              愛

  一時間 待つことは長い

  もし 愛がすぐ向こうにあるならば

  永遠に 待つことは短い

  もし 愛が終りにあるならば

          ディキンソン  安藤一郎訳

    エミリー・ディキンソン(1830-1886)はアメリカの女流詩人。厳格な清教徒の家に生まれ、1847年マウント・ホリヨーク女子学院に入学したが1年で中退、詩作を始めた。1855年妻子あるワーズワース牧師を知って以来、その詩的才能は堰を切ったようにあふれ出た。1755篇にのぼる作品はあまりに斬新な詩風のため生前は認められなかったが、死後次々に詩集が出版された。エミリーは生涯、家のなかにひきこもり勝ちに、きわめて孤独な日々をおくったといわれる。

2009年1月26日 (月)

コンスタン「アドルフ」

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    コンスタン         シュニッツラー

   賭博狂コンスタン(1767-1830)の莫大な借金を、彼の尽力で七月革命で王位についたルイ・フィリップ(1773-1850)が返済してやったところ、彼は「ありがとうございます。でも陛下が自由に背けば、私たちはたちどころに叛逆します」と言明したという。コンスタンは著名な文学者スタール夫人(1760-1817)との長年の関係も有名である。

    筑摩書房の世界文学大系91巻は近代小説集。ペイター「宮廷画家の花形」「セバスティアン・ヴァン・ストーク」、ワイルド「ドリアン・グレイの画像」、マイヤー「説教壇から射つ」、シュトルム「北の海」、ハウプトマン「踏切番ティール」、ホーフマンスタール「騎兵の物語」、シュニッツラー「グストル少尉」、コンスタン「アドルフ」、ノディエ「アルジールの妖精トリルビー」、メリメ「マテオ・ファルコネ」、ネルヴァル「シルヴィ」、ドーデー「アルルの女」、リラダン「ヴェラ」、フランシス「赤い卵」、アーヴィング「リップ・ヴァン・ウィンクル」、クレイン「街の女マギー」。

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    ワイルド            ペイター

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     シュトルム          マイヤー

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     ホフマンスタール              ハウプトマン

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