愛の書
書物の中の最も驚くべき本は
愛の書。
注意ぶかく読むと
喜びのページはまれで
全編みな悩み。
一章は別れが占め、
再会は、短い章で、
断片。悲しみの巻は
説明でひきのばされ、
はてなく、節度もない。
おお、ニザミよ。だが、しまいに、
おん身は正しい道を見つけた。
解き難いものを解くのはだれか。
再び相会う愛するふたり。
*
まこと、わたしを見たのは、
わたしにキスしたのは、
あの目、あの口であった。
腰は狭く、胴はまるかった。
天国の快楽を受け入れるためのように。
あの人はあそこにいたのか。
どこに行ったのか。
まこと、あの人であった。あの人がそれを与えた。
逃げながら身を与え、
わたしの命をすっかり捕えた。
高橋健二訳
すばらしい人生を送りたいと思ったら、
過ぎ去ったことは気にせず、
腹もたてないよう努め
いつも現在をたのしみ、
とりわけ誰も憎まず、
先のことは神様にまかせること
木原武一訳
ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年8月28日にドイツのフランクフルトで生まれた。
アメリカ・イリノイ州オークパーク。シカゴから西へ約16㎞に位置するこの町は、1800年代後半に開発されたニュータウンである。レイ・クロック(マクドナルド創業者)、バローズ(類人猿ターザンの作者)、フランク・ロイド・ライト(帝国ホテルの設計者)などこの町ゆかりの有名人は多いが、なかでもアーネスト・ヘミングウェイの生家があることで知られる。へミングウェイは1899年7月21日、姉マーセリンに次いで2番目の子としてここで生まれた。最近この生家が52万5000ドルで売りに出されているらしい。(Ernest Hemingway,Oak Park)
1814年、北米捕鯨業の中心マサチューセッツ州ニュー・ベドフォード。海にあこがれを求めてやってきた、風来坊のイシュメールは「捕鯨館ピーター・コフィーン」に宿を求め、同室の銛打ちクィークェグと無二の親友になる。クィークェグは全身刺青だらけの蛮人だが案外の善人である。翌日イシュメールは、教会で昔は銛師だったマップル神父の説教を聴いた後、奇妙な男エリジャーの警告にも屈せず、老朽捕鯨船ピークォド号の乗組員に雇われる。船長の名はエイハブ。鯨骨の義足を不気味に響かせ、顔面に深い傷痕を持つ彼の姿には、威厳と共に何かしら陰惨な、物に憑かれたような感じがあった。彼は以前、モビィ・ディックと呼ぶ白鯨に片足をもぎ取られて以来、復讐の一念に凝り固まっていた。
今度の航海も目的は同じ。何も知らずに乗り組んだ荒くれ船員たちは、一日、彼の白鯨追跡宣言に驚いたが船長の狂熱ぶりに感染、賞金のスペイン金貨を得んものと夢中になる。唯一人理性を失わぬ一等運転士スターバックは、神を恐れぬこの行為に反対したが一蹴された。鯨群を追うピークォド号は、途中、ロンドンに船籍を持つサミュエル・エンダビイ号に出会う。船長のブーマーが白鯨を捕り逃したというと、エイハブは怒って彼を自分の船に追い帰す。やがて同じ捕鯨仲間のレイチェル号にもめくりあう。ガーデナー船長は、12歳になる息子を先日、海で見失い、血眼になって探し回っている。だが彼の協力の懇請も、エイハブには時間の浪費としか思えない。
数刻後、嵐が船を襲う。だが強風にもエイハブは帆を下ろせと命じない。怒ったスターバックとエイハブは豪雨の中に対立。だがエイハブの形相と白鯨への執念に、スターバックもたじろぐも、嵐は去る。
遂に宿敵のモビイ・ディックを発見し、4隻のボートが下ろされ、巨鯨との戦闘が開始される。しかしモビィ・ディックの背中へよじ上がり憎悪の銛をぶちこむ。エイハブは銛鋼の巻込まれ、怒り立った鯨もろとも、海中に姿を没する。ボートは白鯨の巨大な尾で砕け散り、スターバックが指揮するピークォド号も沈没。ただ一人生き残ったイシュメールは、クィークェグが船大工に作らせてあった棺桶の背で一昼夜を漂流した後、レイチェル号に救い上げられた。
*
あらすじを紹介すると、単なる海洋冒険小説のようだが、原作のすごさは、詳細な記述、作者の知識の豊富さに感心させられる。「白鯨」を皮肉って「鯨学講義」とか「捕鯨ハンドブック」と名づけてもよさそうな、詳細なものです。そして、鯨とは何かをめぐってありとあらゆる知識と思想をてんこもりにして、結局「わからん」というのだから始末が悪い。自分にはすべてがわかると信、科学で武装した唯我主義者エイハブの破滅に作家メルヴィルのいわゆる不可知論が反映されている。メルヴィルはカント以下のドイツ・ロマン派哲学の影響下に思いっきり、知と不可知をめぐる大哲学小説を書いた。文学には楽しませる面のほかに、「教える」という知的な面があって、その両面が面白い具合に絡まりあった時、長い年月や国境を越えて読み継がれる名作がうまれるのである。
1926年、マーガレット・ミッチェルは落馬による左足首を捻挫し、関節炎を起こし、回復に手間どったため、5月にアトランタ・ジャーナル社を退社。この頃からむさぼるように読書する。読書の範囲は広く、文学、歴史、医学、考古学、探偵小説等。一日8冊を読み上げるので、夫のジョン・ロバート・マーシュは毎日一抱えの本を持って市立図書館へ往復しなければならなかった。この年、夫のすすめに従い「風と共に去りぬ」を書き始める。執筆の動機は母の話がきっかけだった。少女時代、あまり学問が好きでなかったので、母はある日の午後アトランタの郊外へ彼女を伴い、南北戦争で荒廃したままの土地を見せて歩いた。戦争から多くの歳月が過ぎたそのころでも、この地方の土地や生活には戦禍のあとがまだなまなましく残っていた。母はあちこちの建物を指して、戦争と復興の苦難を乗り越える意力と能力のあった家と、うちつづく困苦を切りぬけるだけの力がなかったために没落していった家とを教えて、彼女の心に、あくまでも生きぬく力を喚起させ、そのためには学業がいかにゆるがせにならぬものかを説いてきかせた。そのときのことはのちのちまでも忘れられなかったという。その人たちの中には成功しようとして戦いぬいた人と、その戦いに雄々しくいどんで敗れた人と、やっと生きのびているだけの人とがあったわけで、これをテーマに小説を書こうと思ったのが、畢生の大作を生む動機となったのである。1933年、前後7年間にわたって断続的に書きつづけた「風と共に去りぬ」はほぼ脱稿した。1935年、マクミラン出版社の副社長ハロルド・S・レイサムは、ミッチェルが大作の草稿を筐底に秘めていることを知り、ぜひそれを見せるようにと懇願した。ミッチェルは気がすすまなかったが、ついに決心して原稿を副社長に見せることにした。マクミラン出版社がこれの刊行を決定したのは同年夏のことである。1936年6月30日、「風と共に去りぬ」はニューヨークのマクミラン出版社から刊行され、一年間で150万部を売りつくした。
本の題名については、出版社側は「明日がある」(アナザー・デイ)を採用することを内定していたが、彼女はさまざまな題名を提案しつづけた。その一部をあげると、「苦難を荷え」「一里塚」「めえ、めえ、黒羊=無頼の嘆き」「いつかは日が開く」「無情の星」「ラッパの調べは切なし」
最後の題名は、つぎのような南北戦争時代の戦歌からとったものである。「ラッパの調べは切なし、夜の雲低く垂れ、星が空にきらめくころ。兵士みな地に伏す。疲れしものは眠り、傷つきしものは死に」この題名そのものは、かなり彼女の気に入ったのだが、「ラッパの調べ」が彼女のいわんとするところを切実に物語るものとも思えなかった。しかし、それを契機として、何かほかの詩のなかに引用できる辞句があるのではないかという期待をもつようになり、それとなく気をつけていた。やがて10月の最後の週に、マーガレットは一冊の英詩集を開いて、アーネスト・ダウスンの詩「われはもはやシナラをともに愛せしころのわれにあらず」に、なにげなく目をやった。この題はホレースの頌詩からとったものである。マーガレットは以前からこの詩を愛していた。1900年に肺結核で短い数奇な生涯をとじた審美派の英詩人ダウスンの代表的叙事詩で、当時の若い世代の人々はこの詩の冒頭を読んだだけで、異常な感動にうたれたのであった。「前夜、ああ、昨夜、かの女とわが唇の間に、きみは影を落とした。シナラ!」そして、つぎの反復句がつづく。「われはわれなりに、きみにまことをささげてきた。シナラ!」やがてつぎの二行がマーガレットの目をとらえた。
「われは多くを忘れ去った。シナラよ!すべては風と共に去った。バラは、棘もろともあらあらしく吹き飛ばされた」 I have forgot much,Cynara!gone with the wind
「風と共に去った」 これこそ、まさに彼女が探していた言葉だった。(参考:フィニス・ファー「マーガレット・ミッチェル物語」河出書房)
( Margaret Mitchell,Ernest Dowson、アーネスト・ダウサン )
アメリカの小説家オー・ヘンリーは1910年のこの日、死去した。「最後の一葉」「20年後」など約280の短編があるが、やはり代表作は「賢者の贈り物」である。クリスマス・イブの夜。貧しい若夫婦のジムとデラはプレゼントを交換する。ジムは金時計を売って櫛を買う。デラは髪を切って夫の金時計につける鎖を買う。お互いに贈り物は無駄になったが、お互いの深い愛情をたしかめあうという、心温まるストーリー。オー・ヘンリーの小説「賢者の贈り物」(1905年)のデラは妻のアソル・エステス(1868-1897)がモデルという。ヘンリーは実際に見聞したことを題材にして小説にするタイプだ。若い頃、二人があるセレモニーに参加し、アソルが記念に自分で髪を切って入れるのを、ヘンリーが見てこころひかれた。デラが自分の髪を切り、プレゼントをするという話は、若くして亡くなった愛妻アソルへの想い出が込められていたのだった。(6月5日)
本日のBSプレミアムは、永遠の妖精オードリー・ヘプバーンの代表作は「ティファニーで朝食を」である。トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」の初版が出たのは1958年の秋だった。それから3年後にオードリー・ヘプバーンで映画化され、主題曲「ムーン・リヴァー」と共に世界的に知られるようになったので小説よりも映画のイメージが強いことは否めない事実である。しかし原作のホリー・ゴライトリーという女性を読者の想像力に委ねるために、最近刊行された村上春樹の新訳では、本のカヴァーには映画のシーンなどを使っていないような配慮もされている。滝口直太郎の訳と一部分を比較してみただけの印象であるが、村上訳はこなれた平易な現代語でより読みやすくなっている感じがする。
ホリー・ゴライトリーはニューヨークのアパートに、猫だけが同居のひとり暮らしをしている。彼女をとり巻くあまたの男性のうちには、映画人とか百万長者とかブラジルの外交官とかさまざまな人間がいたが、もともと籠の鳥になることを望まない野性の女ホリーは、自分の属する住所も持たず、名刺のアドレスには「旅行中」と印刷してある。時あたかも1940年代の初め、アメリカの社会は「いやな赤」の恐怖におののいている。ダイヤモンドなど大嫌いな彼女だが、ティファニーの宝石店にはよく足をはこぶ。そこのどっしりと落ちついた雰囲気の中に立った彼女は「いやな赤」の恐怖から救われ、いつの日にかはこのような所に住んで、「朝食」を取れるようになれればよいのにと思う。
同じアパートに無名作家のポールが住んでいて、ホリーに好意を持つようになる。ある日、二人はセントラル・パークで乗馬を楽しんでいるとき、馬があばれ出して五番街にとび出し、やっと警察官にとりおさえてもらう。ところが、ホリーがマリファナを使っていることがばれ、麻薬密輸のギャングとかかわりがあるのではないかということになって大きなスキャンダルになる。これより前、ホリーは毎週木曜日にシング・シング刑務所に収容されていたギャングの幹部を訪問し、週100ドルの報酬をもらっていたことがバレる。このスキャンダルのおかげで、結婚の相手を夢見ていたブラジル外交官ホセに逃げられ、保釈中にもかかわらずブラジルにホセを追いかけて行く。
映画ではオードリー・ヘプバーンがジョージ・ペパードと結ばれハッピー・エンドとなっているが、原作ではホリーはブラジルに渡り、さらにアフリカまで放浪の旅を続けることになっている。
小説にはもちろん映画主題歌「ムーン・リヴァー」は登場しないが、ホリーがギターを爪びきながら歌う場面が一箇所ある。その歌詞を紹介する。(滝口直太郎訳)
眠りたくもなし、
死にたくもない、
ただ旅して行きたいだけ、
大空の牧場通って。
村上の新訳では「眠りたくもない、死にたくもない。空の牧場をどこまでもさすらっていたい」とある。
1842年のこの日、スタンダールはパリの街頭で脳出血で倒れ死去した。享年59歳。スタンダールという筆名で知られるアンリ・ベール(1783-1842)は、現在ではもっぱら小説家として有名であるが、小説を書くことが彼の職業であったことはじつは一度もない。軍人、食料品商、参事院書記官、ジャーナリスト、イタリア駐在フランス領事であり、著述はそれと並行しておこなわれた。「紙をインクで汚すこと」が喜びであった59年間の生涯に書き残されたものの量は膨大である。「イタリア絵画史」「ローマ、ナポリ、フィレンツェ」「ナポレオンの生涯」「ラシーヌとシェイクスピア」「ロッシーニの生涯」「アルマンス」「ローマ漫歩」「赤と黒」「アンリ・ブリュラールの生涯」「リュシャン・ルーヴェン」「ナポレオンに関する覚書」「パルムの僧院」「カストロの尼」「ラミエル」。これらの作品はほとんど生前、世間的成功を収めていない。彼は、1880年、1935年の読者に期待すると予言し、その予言は見事に的中した。現在では、バルザックとともに最も大きな影響を近代小説の上におよぼしたフランスの小説家のひとりとされている。(3月23日)
「地下鉄の電車はどこから入れたの?」「銭湯の桶はなぜケロリン桶なのか?」「鉛筆は六角形なのに色鉛筆が丸軸なのはなぜ?」「海の中で昆布のダシが出ないのはなぜ?」それらを考えてると一晩中寝られない。世の中にはあらゆるギモンに満ち満ちている。日々の暮らしで生じたあらゆる疑問にケペル先生がお答えします。たとえば、壊れやすい物を梱包するクッション材「プチプチ」の正式名称は何でしょう。答えは「気泡緩衝材」または「エアクッション」です。
Q.数字に3桁ごとにコンマで区切るのはなぜ?
A.明治6年、福沢諭吉がアメリカの商業簿記の書物「帳合之法」を翻訳したとき、数字に3桁ごとにコンマで区切ることを紹介している。それが広く普及したためといわれている。
Q.忠臣蔵を題材とした流行歌は数多くありますが、四十七士の一人、矢頭右衛門七をテーマにした歌謡曲が知りたい。
A.舟木一夫の「右衛門七討ち入り」西沢爽作詩、遠藤実作曲。昭和39年11月発売。
Q 吉幾三の「人生(みち)」の三番目の歌詞にある「労而不怨(ろうじふえん)」の意味は?
A 四字熟語で「どんなに苦労をしても不満を持たないこと」。出典は「論語」で、里仁第四に「子曰く、父母につかうるには幾諫す、志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨みず」とある。孔子は子の親に対する心得の一つを説いている。解釈は学者により多少異なる。魚返義雄は「つらくてもうらまない」、下村湖人は「苦しいこともあるだろうが、決して親を恨んではならない」、木村英一は「どんなに苦労をしても遺憾がないようにせよ」とある。一般に「労」を「労苦」「親のために骨を折ること」と解されるが、金谷治は清の王引之の説により、「労」を「憂」の意味に読み、「心配はするけれど怨みには思わない」としている。
Q 「かっぱ読み」とは何?
A 一般に漢字の熟語は音読みどうし、訓読みどうしを組み合わせて読む。その例外として、「合羽」(かっぱ)のように、上の字は音で下の字は訓でよむことを「かっぱ読み」(または重箱読み)と言い、その反対を湯桶読みと言う。
Q 目の見えない人のため犬が歩行の補助をする盲導犬はいつ頃できたのか?
A 盲人の歩行の補助に犬が使われた例は古代ローマやポンペイの発掘品の中に見られるが、近代になって盲導犬として訓練されるようになったのは、1819年、ウィーンの神父ヨハン・ヴィルヘルム・クライン(1765-1848)が最初である。
Q 日本プロ野球で最初の退場者は誰か?
A 「日本プロ野球事件史」(ベースボール・マガジン社)巻末の退場者一覧によると、1936年12月20日、東京セネタースの苅田久徳(1911-2001)選手が二出川延明塁審を突き飛ばしたことにより退場とある。
Q 三一書房から昭和32年に刊行された「淀川」の著者である井上俊夫の没年が知りたい。
A 図書館での参考業務でよくたずねられる調べものの1つが著述家の没年である。今日のようなコンピュータの発達していない時代、文化人名録(著作権台帳)がたよりの参考書であった。赤色をした大部な本で、1951年から刊行され第26版(2001年)まで刊行されたが、現在は終了している。もともと著作権の保護期間を調べる目的で作られた本であるが、図書館では没年だけでなく、著者の略歴や名前の読み方を調査するために用いられていた。ところで、著者の没年を調べるには、現在は国立国会図書館のOPやウィキペディアが便利である。井上俊夫は1928年大阪生まれの詩人で、2008年に死去している。
Q フィンランドの初代首相 Pehr Evind Svinfuvud の読み方は?
A ペール・スヴィンヒュー(1861-1944)あるいはスヴィンフッヴド。
Q 英語「mebos(ミーボス)」の意味は?
A オックスフォード英語辞典によると、日本語umeboshi(梅干し)が訛って18世紀ころ英語となったらしい。
Q 「眠りが窪の伝説」という翻訳作品の作者と原題は?
A アメリカの文学者ワシントン・アーヴィング著「スケッチ・ブック」(1819-1820)の中にある短編「Sleepy Hollow」。1923年刊行の森巻吉「全訳スケッチブック」の下巻に「眠りが窪の伝説」が収録されている。
Q.最初にウェディングドレスを着て結婚式を行なった日本人女性はだれ?
A.明治6年に長崎で中国人と結婚した磯部於平(いそべおつね)といわれる。その2年後に森有礼も広瀬常と西洋式の結婚式を挙げている。
Q.昭和18年南方の海軍基地を視察中、ソロモン諸島上空で戦死した山本五十六。その時の護衛機は零戦6機であるが、うち5名はまもなく戦死している。唯一の生存者である零戦パイロットの名前が知りたい。
A.柳谷謙治(1919‐2008)。1988年4月、アメリカで開かれたシンポジウムに出席し、P38パイロットのレックス・バーバー米空軍退役大佐と面会している。(参考:高城肇「六機の護衛戦闘機」)
Q.大正の後期から昭和の初期に活躍した出版人、梅原北明が発行した「近世社会大驚異史」(白鳳社)のページ数は?
A.1864ページ。国立国会図書館サーチで調べても1冊とあるだけで、ページ数は明らかにされない。ネットには1800ページ以上という記載もあるが、鹿野政直「日本の歴史27」によれば1864ページと明記されている。内容は慶応4年から大正元年までの新聞記事から抜粋の性風俗を中心とした資料集。
Q.内山完造著「そんへえおおへえ」という本がある。その書名の意味は?
A.内山完造は戦前に上海で書店を開業していた。もともと「上海」という地名と並び「下海」地区も存在していた。上海及び下海の名称は、上海市内を流れる呉淞江の支流であった上海浦及び下海浦に由来する。「そんへえ(上海)」「おおへえ(下海)」はそれぞれ現地語の発音を表記したものである。
Q.明代、嘉靖年間から万暦年間の人で『陰隲録』の著者として知られる袁凡了(えんぼんりょう)は一般に生没年不詳とされるが、あえて知りたい。
A.一説には生年は1533年、没年は1606年。
Q.江戸時代、特に大名屋敷をねらって荒らしまわった大盗賊、鼠小僧次郎吉のお墓は?
A.両国の回向院(墨田区両国2丁目)にある。
Q.香港の女優、任剣輝の生没年。
A.京劇の広東版にあたる奥劇の人気女優任剣輝(じんけんき、ヤム・キムファイ)。1913-1989。
Q.蠶養國神社の読み方。
A.福島県会津若松市蚕養町にある神社で、「こかいくにじんじゃ(蠶養國神社)」と読む。「蠶」は「かいこ」の意味。
Q.「泣きぼくろ」という題の歌が知りたい。
A.現在までに和田弘とマヒナスターズ、天童よしみ、若原りょう、松原のぶえの四歌手によって「泣きぼくろ」という同名異曲の歌が確認される。
Q.赤穂義挙の後、四十六士は、それぞれお預けの四大名で切腹して果てた。大石内蔵助たち17人は熊本藩細川家の下屋敷において切腹した。このとき大石内蔵助の介錯を勤めた武士の名前を知りたい。
A.馬場一平。
Q.1886年、イギリスの貨物船ノルマントン号が紀州沖で座礁沈没した事件の船長の名前とその後の消息は?
A.事件の審理は領事裁判権によって、イギリス領事が行い、イギリス人の全員無罪が決定、日本国民を憤慨させた。再審で船長ジョン・ウィリアム・ドレークだけ禁固3ヵ月の軽い刑が科せられた。船長のその後の消息は目下調査中。
Q.趙樹里の農村小説「李有才板語」のタイトルの読みは?
A.「リユウサイウタモノガタリ」李有才のお話という意味。
Q.アメリカ民謡「峠の我が家」の作詞家、作曲家は?
A.作詞はブリュスター・M・ヒグリー(1823-1911)。作曲はダニエル・E・ケリー(1843-1905)。
Q.昭和期に活躍した文芸評論家、亀井勝一郎の著作「三人の先覚者 民族の独立」(要書房 昭和25年刊)の3人とは誰?
A.栗本鋤雲、岡倉天心、内村鑑三。
Q.「悪太郎の一生」の作者は?
A.イギリスのジョン・バニヤンの「The Life and Death of Mr.Badman」(1680年)のことか。高村新一の翻訳で「悪太郎の一生」(新教出版社)が1955年に刊行されている。
Q.何語かわからないが「コンノルモク」とは何か?
A.韓国語で「踏切」の意味。
Q.ベアト本とは何か?
A.中世ヨーロッパ、聖書の黙示録に挿絵を描いた写本の総称。現在ジローナ大聖堂など数カ所で保管されている。 ベアト(Beato)とはスペイン北部、アストゥリアス地方のリエバナ修道院ベアトゥス(Beatus)にちなむ。ベアトゥスは786年ころに「黙示録注釈書」を著したが、同書はモサラべ典礼の中で重要な位置を占め、10世紀以降の挿画には、竜や悪魔、火災等に苦しむ人間を色鮮やかに表現して、天の軍勢や天上のエルサレムと強い対照をなし、ロマネスク美術の形成に大きな影響を与えた。
Q.『南門鼠』という作品が読みたい。
A.「南門鼠(みなとねずみ)」は享和2(1802)年に刊行された塩屋艶二の品川・遊里の噂話を題材にした洒落本。活字化された本としては、「洒落本大成第18巻」(中央公論社、1983年)に所収。
Q 江戸八百八町といわれているが、実町数を知りたい。
A.幕末には1700以上もの町があった。(参考:「江戸ものしり用語事典」14p)
Q.ハリウッドの西部劇映画で乗馬などの危険なシーンを専門に演じたスタントマンとして長年、活躍したジャック・N・ヤングについて知りたい。
A.映画人の俳優や監督・カメラマンなどは事典で調査できるが、スタントマンは所載されないことが一般的である。英語版ウィキペディアに拠る。ジャック・N・ヤング(1926-2018)は誕生名はJack Norwood Young。アメリカ合衆国ヴァージニア州フィンキャッスルに生れる。乗馬のエキスパートとして、「ウィンチェスター銃73」、「OK牧場の決闘」、「リオ・ブラボー」などに出演。「アラモ」の撮影中に瀕死の重傷を負うも復活した。他に「西部開拓史」、「真昼の決闘」、「荒野のガンマン」など。後年は、キャスティング・マネージャーとしても活動した。
Q.中国とロシアのハンカ湖付近の国境の町トゥリー・ログについて知りたい。
A.トゥリー・ログ(Turiy-Rog)はロシア連邦沿海地方ハンカ地区にある町(村落)。「トゥリロゴ」と表記されることがある。2010年国勢調査による人口は472人。清朝時代の名称は快当別であった。
Q.「アンコール踏査行」(東洋文庫)の著者ドラポルトの略歴。
A.ルイ・ドラポルト(1842-1925)。フランスの海軍少尉でシャム駐在中の1866年カンボジアのアンコール遺跡に出会い、遺物を多くフランスに持ち帰る。1878年のパリ万博でクメール美術品が初展示される。
Q.歌詞に「外国で飛行機が墜ちました。ニュースキャスターは嬉しそうに乗客に日本人はいませんでした」とある曲名は?
A.THE YELLOW MONKEYの「JAM」(1996年)
Q.ヨーロッパで最も最初にできた漢籍目録は?
A.東洋史学者・坂出祥伸によると、19世紀のフランスで活躍したユリウス・ハインリヒ・クラプロートが1822年につくった目録とある。(『初学者のための中国古典文献入門』ちくま学芸文庫 214p)
Q.「365日をどう生きるか」(ダイヤモンド社)の著者である伝説的名医といわれる精神衛生学のシンドラー博士のフルネームと生没年は?
A.ジョン・A・シンドラー(John Albert Schindler)1903-1957。
Q.「♪勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷を出たからは」戦時中、最も流行した軍歌「露営の歌」の作詞者、薮内喜一郎の生没年は?
A.薮内喜一郎は奈良県出身、京都市役所勤務。1905-1986。
Q.「長崎親切」という言葉があるが、どのようなことから生まれた語か?
A.長崎の人は親切である、と一般にいわれるが「長崎親切」という言葉の由来や語源に関しては文献が見つからなかった。歌手のさだまさしがコンサートで「長崎の人は親切」とふれている。
Q.「敖漢旗」の読み?
A.敖漢旗は「ごうかんき」、現地の発音では「アオハンチー」。敖漢という一部族名。中華人民共和国内モンゴル自治区赤嶺市を位置とする旗。
Q.16世紀後半から17世紀にかけてアフリカにあった「アクワㇺ王国」について。
A.15世紀、ポルトガル人がアフリカに奴隷貿易の城砦を建設。1642年アクワム要塞をポルトガルから奪取した。山口昌男の「黒い大陸の栄光と悲惨 世界の歴史6」に詳しい。174~176頁。現在のガーナに位置していた。
Q.1895年ごろの日清戦争の戦後交渉において、ロシア・ドイツ・フランスが日本に三国干渉する。当時、ロシアはニコライ2世、ドイツはヴィルヘルム2世。ではフランスの元首は?
A.第3共和政第7代大統領フェリックス・フォール。
Q.掃径迎良友の読みは?
A.みちをはきてりょうゆうをむかえる。茶道表千家十三代家元・即中斎の言葉。
Q.ゲンチオピクリンを成分として含んでいる植物の名前が知りたい。
A.リンドウ科の植物には含まれる。
Q.「石蕗の季節」という本は、いつ、どこの出版社から刊行されたか知りたい。
A.国立国会図書館サーチで書名検索で調べる。俳句の本で梅田桑弧句集「石蕗の季節」胴の会、1969年刊行であることがわかる。なお石蕗は「つわぶき」と読む。
Q.興文社取締役の石川寅吉の生没年が知りたい?
A.円本ブームの全盛期、「小学生全集」を刊行して出版史にその名を残した石川寅吉。「出版人物事典」(出版ニュース社)など調べても、生年は1894年東京生れ、とあるが没年は太平洋戦争中に故人となり不詳である。
Q.2021年の全国の交通事故死者数は?
A.警察庁が発表した統計によると、2021年の全国の交通事故死者数は2636人で、1948年の統計開始以来、過去最少を更新した。参考;令和4年警察白書
Q.中村真一郎の言葉に「人生では無理はいつかほころびてしまうものだ」とあるが、出典は何か?
A.中村真一郎の昭和29年発表の小説「夜半楽」の中にでてくる。
Q.銀行原理とは何か?
A.「経済辞典」(有斐閣)の「銀行原理」の項には、「銀行は私企業ではあるが、公衆の資金を取り扱っていることから公共的な性格をもっており、銀行の投資行動には収益性・流動性と確実性が要求されるということ」(147p)と解説がある。
Q.日本で最初のロシア文学の翻訳「露国奇聞 花心蝶思録」(プーシキン「大尉の娘」)。高須治助訳。「英米児童文学年表翻訳年表」研究社では発行所不詳とあるが知りたい。
A.発行所は東京の法木書屋で明治16年に刊行。
Q.喫茶去の読み方?
A.きっさこ。禅語で、「お茶でも飲んで去れ」という意味の言葉。元々は相手を叱咤する語であったが、後には「お茶でも召し上がれ」の意として、日常即仏法の境地をなす語と解された。
Q.日本で最北端にある小学校は?
A.稚内市立大岬小学校。宗谷岬の約1.7㎞南東、北緯45度30分50秒に位置する。明治27年に開校し、今年6月1日をもって130年目を迎える。
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