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2009年12月10日 (木)

伝統と革新の交錯、俳人たちの現在

   「坂の上の雲」のもう一人の主人公、香川照之演じる正岡子規のユニークな人柄をたいへん好ましく思う。「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と言った子規が、現代俳句をいかに評価するのか知りたい。「ホトトギス」は、子規の号に因み、明治30年に創刊したが、現代俳壇はホトトギス全盛といってよい。大新聞の俳壇の選者がホトトギスの門下であれば当然、花鳥風月の客観写生の句が選ばれる。ところが子規の門下の河東碧梧桐の新傾向派は自由律・無季題である。この派から尾崎放哉や種田山頭火も出たが、後継者が現われるはずもなく、途絶えたといってよい。一方の高浜虚子からは、飯田蛇笏、原石鼎、村上鬼城、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男など輩出した。現在、金子兜太らの前衛俳句もあるが、伝統対革新の構図はいつの時代もある。ここでは奇妙な名句をいくつかあげてみる。

ちんぽこもおそそに湧いてあふれる湯(山頭火)

江川投手は征露丸です咲くさくら(坪内稔典)

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(金子兜太)

2009年11月18日 (水)

パラノーマル現象の流行について

   最近のアメリカではロマンス作品の半分がパラノーマル(科学的に証明できない現象)を扱ったものである。これはアニメやテレビゲームの影響もあるだろうし、オカルトや超能力はもともとジャンルとしても確立している。マッチ箱や爪楊枝を念力で動かしたり、ユリ・ゲラーのようにスプーン曲げなどいろいろある。信じるか信じないかは個人の自由として、むかし評論家の小林秀雄は、「大昔の人達は、誰も肉体には存在しない魂の実在を信じていた」として、ユリ・ゲラーをテレビでみた小林はベルグソンの哲学を引き合いに出して科学で認められない現象を頭から否定することを難じた。(講演録「信ずることと知ること」)

    この講演のなかで柳田国男がお化けの研究をしていた話があって、田山花袋が小説のネタをほしがっていたので、柳田がお化けの話をしたことがある。すると、花袋は余り奇抜すぎて小説にできないと言った。柳田は田山が自然主義の個人的な生活の告白のうちに、立てこもっていたのは残念なことだと言っている。小林秀雄流に解釈すればパラノーマルな小説もありということか。

2009年11月16日 (月)

近松門左衛門の墓

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    江戸中期の歌舞伎狂言・浄瑠璃作者、近松門左衛門の墓と称するものはいくつかあるが、国指定史跡となったものは、広済寺(尼崎市久々知1丁目)と大阪市妙法寺の2基の墓だけである。近松門左衛門(1653-1724)は京都や大坂に住んだが、広済寺の住職・日昌上人と親交が深く、母の供養を行うなど晩年に関係が深かった。高さ48センチほどの緑泥片岩の自然石の墓石で、裏面には「享保九年十一月二十二日」と没年が刻まれている。

2009年11月13日 (金)

冬の宿

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  江戸時代は寒冷期でだいたい各地とも現在以上に冬の寒さは厳しかった。江戸では11月頃には雪が降った。雪見も盛んで、上野山内・日暮里浄光寺(雪見寺)・不忍池・道灌山・愛宕山・三囲・隅田川・神田明神・飛鳥山・向島などが雪見の名所として知られている。寒い日は温かい鍋をつつきながら熱燗の酒で雪見酒を楽しんだ。白身の魚を使った鍋は、鱈ちり、河豚ちり。そのほか、あんこう鍋、しゃも鍋、どじょう鍋。芭蕉は旅先の宿屋で何を食べたのだろうか。

いざ行かむ雪見にころぶ所まで(芭蕉)

魚食ふて口腥し昼の雪(夏目成美)

次の間で灯で膳につく寒さ哉(一茶)

2009年11月12日 (木)

砧打ち

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  むかし着物は洗濯するとこわばるので、木の台に打って柔げた。これを砧打ちという。砧はもともと中国から伝わったもので中国では擣衣といい、古くから詩にうたわれている。「長安一片の月、万戸衣を擣つの声」(李白)とある。ことに朝鮮では夏、洗濯した衣類にのりをつけてつや出しをするのに現在でも行われている。日本では、婦人が砧を打ったもので、秋の夜、その音が遠く近くひびくので、砧の音が夜寒を誘うというものが多い。「砧」は俳句でも秋の季語で、砧の音は淋しさ、哀しさ、貧しさを感じさせる。

 世に住まば聞けと師走の砧哉(西鶴)

 砧打て我にきかせよや坊が妻(芭蕉)

 憂き我に砧うて今は又止みね(蕪村)

2009年10月31日 (土)

濹東綺譚にみる東京風物

    永井荷風の「濹東綺譚」には昭和11年頃の東京風物がいろいろ克明に描写されていて興味深いものがある。浅草の活動写真、古本屋、吉原、震災後東京の変わり様、円タク、ラジオの騒音、場末の私娼街、カフェなどなど。たとえばこんな会話がある。

「この辺は井戸か水道か」
とわたしは茶を飲む前に何気なく尋ねた。
井戸の水だと答えてから、茶は飲む振りをしておく用意である。

チフスにならないよう注意していたようだ。お雪の髪型について詳しく描写されている。

盛り場の女は700から800人くらいだが、その中で、島田や丸髷を結っている女は、10人に1人くらいだ。大体は女給まがいの日本風と、ダンサー好みの洋装とである。

    そして、玉の井のお雪はドブ際の家に住んでいるが、いつも島田潰か丸髷を結っている。震災で消えていった過去の幻影を再現させてくれるのである。

    「濹東綺譚」は新聞に連載されたそうだが、たいへんな人気だったらしい。当時の読者は、消えていく江戸情緒を哀惜する明治人が多かったのであろう。

2009年10月29日 (木)

若き日の釈迢空

   本名、折口信夫(1887-1953)は大阪府西成郡木津村(浪速区)に生まれた。はじめ服部躬治(1875-1925)の門をたたき、明治42年から根岸短歌会に出席、大正6年にはアララギの同人となった。古典的教養を踏まえた浪漫的な匂いのする作風である。

たびごころ  もろくなり来ぬ。志摩のはて 安乗の崎に、燈の明り見ゆ。(大正元年作)

どこの子のあぐらむ凧ぞ。おおみそか むなしき 空の ただ中に鳴る(大正5年作)

    大正3年、大阪の今宮中学校教諭の職を退いた折口信夫は、上京して小石川の金富町に下宿していたが、たちまち生活は窮迫していった。友人の武田祐吉が万葉集の口訳をして出版したらどうかとすすめた。「口訳万葉集」は参考書一冊もなしで書き上げた。訳了したものの、どこから出版するというあては無かった。いろいろ頼みまわって、芳賀矢一博士監修の「国文口訳叢書」に加えてもらえることになった。その第三篇として「万葉集・上」が出版されたのは大正5年9月、中・下巻が出たのはその翌年の6月であった。

2009年10月28日 (水)

インケツの政

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    映画「秋深き」(池田敏春監督)は織田作之助の短編「秋深き」「競馬」を映画化したものである。とくに「競馬」の筋をベースに現代に置き換えている。原作は青空文庫で読むことができるらしい。ここでは「競馬」と映画との共通事項を取り上げてみる。

   「競馬」の主人公・寺田は小心者の教師。実家は仏具屋。見初めた女・一代は癌で死ぬ。競馬で迷いもせず「1」の数字を買う。映画では「1-4」の馬券。病気快癒のため神社などお百度参り。映画ではインチキの壺を買う。かつての一代の愛人「インケツの政」という男。映画では佐藤浩市が演じる。

   つまり映画と小説とでは大きくことなる。当然、テーマも違う。これは織田作之助の遺族側との話し合いで改変が可能だったのだろうか。ともかく原作を自由に変更しても、なおかつ原作の味があるというのは異例のことである。とくに「インケツの政」の存在は映画のほうがウェートが大きい。

「そんなある日、一代の名宛で速達の葉書が来た。明日午前11時、淀競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待っている。来い」とある。葉書いっぱいの筆太の字は一代を自由にしていた男にちがいない。淀競馬場にいた男を寺田は再び浴室で見つける。背中に「一」という刺青がある。炭鉱のあらくれ坑夫が、稚児いじめに刺青をさせられたのだ。オイチョカブ賭博の一(インケツ)、つまりこの札を引けば負けと決まっている「インケツ」の意味である。競馬の好きないい女を知っている。よせばいいのに教師などと世帯をもったのはばかだった。

    原作に登場する「インケツの政」はこの程度の扱いである。織田作之助の「競馬」はタイトルどおり競馬小説のようで、夫婦愛があまり感じられなかったが、映画「秋深き」には切ない愛情が十分に表現されているように思う。

2009年10月21日 (水)

冬近し

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   10月も半ばを過ぎて、秋も終わりに近づくと、野山にも街のたたずまいにも、冬のきざしが漂い始める。

    鶏頭きれば卒然として冬近し

                   島村はじめ

2009年10月14日 (水)

春は馬車に乗って

    大正から昭和にかけて、横光利一(1898-1947)を中心とした新感覚派の活動にはみるべきものがあった。芥川龍之介が昭和2年に自殺をして、志賀直哉は全く創作をせず、奈良の高畑に住んでいた。佐藤春夫は第一線を退き、谷崎潤一郎は関西に移住し、新しい文壇との接触が絶たれていた。そのため昭和初年代には、横光利一がほとんど文壇の中心的な存在となっていたのである。

    のちに横光利一はアンドレ・ジッドの影響をうけて「純粋小説」を提唱する。「自分を見る自分」という第4人称を設定し、通俗小説の構成の複雑さと、純文学の内面的な必然性を主張している。この「春は馬車に乗って」は20代後半の妻の看護という実生活が反映されているが、そこにもすでに「自分を見る自分」という第4人称的な部分がすでにみえる。それは妻の看護をする自分を客観視するという作家的態度である。

彼の此の苦痛な頂天に於てさへ、妻の健康な時に彼女から与へられた自分の嫉妬の苦しみよりも、寧ろ数段の柔かさがあると思った。してみると彼は、妻の健康の肉体よりも、此の腐った肺臓を持ち出した彼女の病体の方が、自分にとってはより幸福を与へられてゐると云ふことに気がついた。これは新鮮だ。俺はもうこの新鮮な解釈によりすがってゐるより仕方がない。

    「春は馬車に乗って」における病気の妻の看護にあって、妻の病体のほうが幸福だという気持ちは複雑ではあるが、当時としては苛酷な実体験を客観的に内面を描出するという作家的態度は新鮮に読者に写ったにちがいない。

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