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2019年12月 9日 (月)

漱石忌

Photo_2   夏目漱石は大正5年11月21日、築地の精養軒における辰野隆、江川久子(山田三良)の結婚披露式に出席した。翌日、机上の原稿紙に189と『明暗』の回数を書いたままうつぶせ、ひとり苦しんでいた。胃潰瘍の5度目の発作が起こった。真鍋嘉一郎が主治医となったが、11月28日、大内出血があり、12月9日午後6時50分、永眠。享年49歳。12日、青山斎場で葬儀が行われた。導師は釈宗演。戒名「文献院古道漱石居士」。狩野亨吉が友人代表として弔辞を読む。28日、雑司ヶ谷墓地に埋葬された。漱石の死は明治という時代が終わったという感がある。

   その最期は、物静かに「有難い」と一口云って息を引き取ったと伝えられる。(別冊太陽、夏目漱石)漱石の臨終記録は、このほかに、

いよいよ臨終となった時、寝間着の胸をはだけ、「ここに水をかけてくれ!死ぬと困るから…」と叫んで意識を失い、そのまま息を引き取っている。

   とある。「則天去私」の境地とは程遠いが、おそらくこちらが真実であろう。

  また漱石家もその頃、家族8人、鏡子夫人、長男純一(1907生)、長女筆子(1899生)、次女恒子(1901-1936)、三女栄子(1903生)、四女愛子(1905生)、次男伸六(1908生)が住んでいた。それに、小宮豊隆、阿部次郎、森田草平、内田百閒、赤木桁平、松根東洋城、野上豊一郎、鈴木三重吉、岩波茂雄、安倍能成などの木曜会のメンバーたちが臨終にいたであろう。(未確認)

つまり漱石の最期はかなり賑やかなものだったと想像される。

  漱石の脳がエタノールに漬けられた状態で、東京大学医学部で保管されている。その重さは1425グラムで、日本人の男子の平均より75グラム重く、天才的頭脳の型であった。

 

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Photo  道後温泉本館三階の一室「漱石の間」には「則天去私」の掛け軸がある。直筆ではなく平田抱山が書いた偽物。そこには「小さな私を去って自然にゆだねて生きる」と簡潔な説明がある。弟子の小宮豊隆は「漱石先生は晩年に至って則天去私という悟りの境地に達しておられた」と書いている。東洋的な調和の境地はすでに初期の作品にもみれるが、漱石自身が晩年に至るまで「則天去私」という言葉を一度も書き残していないことから、ついに最後まで悟りの境地に達することができなかったのではないだろうか。つまり則天去私とは漱石の晩年の思想というより、悲願、こうありたい、という切実な求道であった。

 漱石揮毫の「則天去私」の四文字は最晩年に仙紙半紙より短い紙に、行書体で書かれたもの。日本文章学院編「文章日記」(大正5年)に初めて掲載されている。(参考:石崎等「漱石と則天去私」 跡見学園短期大学紀要 1978-03)

 

 

2019年11月28日 (木)

芭蕉忌

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   芭蕉忌。陰暦10月12日(陽暦の11月28日)。桃青忌、時雨忌、翁忌などとも呼ばれ、旧暦の気候にあわせて毎年11月の第2土曜日に法要が営まれる。

 秋深き隣は何をする人ぞ

    元禄7年秋、芭蕉(1644-1694)は各務支考と共に大坂に行く。園女亭で「秋深き」の句を詠む。斯波園女(1664-1726)は伊勢の神官の娘で芭蕉の門弟であった。数日後、下痢をして床につく。11月末、病床に侍していた呑舟を呼び、

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る

    と書き取らせた。11月26日の暮れ方から高熱を発し、11月28日、申の刻(午後4時頃)、大坂南御堂前の旅舎で永眠した。享年51歳。その夜、遺骸を淀川の川船で伏見に送り、翌日、近江膳所の義仲寺に運んだ。埋葬し、門人の焼香者80人、まねかざるに来る会葬者は300人以上いたと伝えられる。芭蕉が木曽義仲が眠る義仲寺(大津市馬場)に葬られたのは、義経や義仲のような悲劇的な最期をとげた武人にとりわけ思いを寄せていたからといわれる。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句がある。

  芭蕉忌とよばれるのは、江戸中期以降、俳壇で芭蕉復興が叫ばれるようになってから。素丸の句に「はせを忌の古則や茶飯(ちゃめし)茶の羽織」がある。芭蕉の命日には茶飯を食べて、芭蕉が愛した茶色の羽織を着るという習慣があったらしい。溝口素丸は1795年没。芭蕉発句註解の「説双大全」を著した。

 

 

2019年11月23日 (土)

一葉忌

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下村為山画「樋口一葉像」

   樋口一葉の1896年の忌日。一葉は明治19年8月20日、遠田澄庵の紹介で中島歌子の萩の舎に入る。上流家庭の子女の集まるこの歌塾にあって下級官吏の娘であった一葉はしばしば肩身の狭い思いを味わったが、早くから歌の才能を示し、姉弟子の三宅花圃とならんで同門の才媛と称された。明治22年7月12日、父の樋口則義は失意のうちに病没した。花圃が「藪の鶯」の発表以後小説家として活躍し始めたのに刺激され、生活の資を得るため小説を書く決意をし、明治24年4月15日、野々宮きく子の紹介で半井桃水を訪ねて、弟子入りした。

    明治25年3月、4月、7月発行された半井桃水主宰の同人雑誌『武蔵野』に、樋口一葉は第一編創刊号に「闇桜」、第二編に「たま襷」、第三編に「五月雨」とたて続けに載せている。ほかに、畑島桃蹊、小田果園、柳塢亭寅彦、三品藺蹊、斉藤緑雨らが寄稿した。「闇桜」は、一葉の小説がはじめて活字になったのものであり、またはじめて「一葉」という筆名を使ったのも、この『武蔵野』が最初である。だが、桃水との噂が萩の舎で問題化した。また桃水の身辺多忙と売れ行きの減退から雑誌は3号で廃刊となり、一葉は思いを残しながら桃水と絶交の形をとる。しかし、一葉の桃水への愛情は終生変わることはなかった。(11月23日)

 

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2019年11月 6日 (水)

馬琴忌

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 鏑木清方「曲亭馬琴」 明治40年

  嘉永元年、1848年のこの日、滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」の作者・滝沢馬琴は82年の生涯を閉じた。滝沢馬琴は、明和4年(1767年)、父・滝沢興義、母・吉尾門左衛門の娘お門の五男として、江戸深川に生まれた。安永5年から天明7年の間、はじめ松平、次に戸田、水谷、小笠原、有馬の各家に仕えたが持前の傲慢な性格と不遜な野望が禍をして、いずれも短期で仕を辞している。寛政元年頃、亀田鵬斎に入門、石川五老から狂歌を学ぶ。翌年山東京伝を訪ねて知遇を得、京伝から貰った大栄山人の号で「用尽二分狂言」を刊行したのが戯作生活のはじめで、旺盛な創作活動が開始された。

  「南総里見八犬伝」(1814-1842)の第1輯が刊行されたのは、馬琴が48歳の時で、最後の第9輯帙下の下編の刊行を見たときは、馬琴は78歳に達していた。つまり八犬伝は28年という長年月を費やされて完成されたものであった。

   天保4年の秋のある朝のことである。67歳の馬琴は右目が見えなくなっていることに気づいた。長年の執筆の疲労が表れたのである。それでも左目がみえるので、苦にすることもなく書き続けていると、天保9年からは左目もかすみだし、11年の夏になるとまったく朦朧たる状態になり、原稿も手探りで書くようになった。八犬伝の完成のため、息子の宗伯(天保6年死亡)の嫁お路(みち)に口述筆記させることで完成しようとした。ところが、お路は無筆に近く、まず字の書きようから教えねばならない。八犬伝は、普通の読本以上に難字僻句が多用されているから、これを教わるお路の苦労は並大抵のものではない。ついには辛さのあまり泣き出すほどである。その内にはお路も仕事になれて、八犬伝の名前くらいは空で書けるようになり、進度もはかどるようになった。そして天保13年(1842年)8月20日、「南総里見八犬伝」が完成した。日本で最も長い小説、いな、世界でも有数の長編小説である。八犬伝の完成のうらには、一人の寡婦の血のにじむような苦闘があったのである。(参考:「南総里見八犬伝」日本の古典16、世界文化社)11月6日

2019年11月 2日 (土)

白秋忌

Img24aa7f18zikczj   からたちも秋はみのるよ

 

  まろいまろい金のたまだよ

 

   今日は白秋忌。「からたちの花」の詩が「赤い鳥」に発表されたのは、大正13年。白秋はやがて40歳になろうとする頃だった。

   北原白秋(1885-1942)。本名は隆吉。生地は福岡県山門郡沖靖村。海産物問屋、柳河藩の御用達を勤めた家の生まれ。白秋の小学生のころ、柳川の家の路地に咲くからたちの花をながめながら通学したという。当時、次々と新作童謡を発表していた。「砂山」「この道」「ペチカ」「あわて床屋」「待ちぼうけ」「城ヶ島の雨」など、今なお歌い継がれている同様が数多く残されている。白秋は2番目の妻、江口章子と離婚した後、菊子夫人と再婚している。ところが昭和12年、眼疾のため失明する。昭和17年、腎臓病で没した。享年57歳。(11月2日)

 

 

2019年10月23日 (水)

俳人高井几董

F0003283_18261842   蕪村の高弟高井几董(1741-1789)は京都の高井几圭の次男として生まれ、中興俳諧の指導的役割を担った。寛政元年、松岡士川の伊丹の別荘で、49歳で急逝した。几董忌は陰暦10月23日、冬(11月)の季語。

 

  悲しさに魚食ふ秋の夕かな

 

  舟慕ふ淀野の犬や枯尾花

 

  馬鹿づらに白き髭見ゆけさの秋

 

 裏店やたんすの上の雛祭り

 

 

 

 紙草紙に鎮おく店や春の風

 

 

 

 やはらかに人わけゆくや勝角力

 

 

 

 虹の根に雉なく雨の晴れ間かな

 

 

 

 

2019年10月10日 (木)

素逝忌

  古書漁りして昏れにけり素逝の忌 (松崎豊)

 10月10日はホトトギスの歌人長谷川素逝(1907-1946)の忌日。素逝は日華事変に召集され、戦場の体験を句集「砲車」で詠み、世間に知られた俳人。

2019年10月 5日 (土)

読んでからみるか見てから読むか

Gtbr0744  若い女性銀行員が「最近、人間失格を読みました。少し難しかったです」と話す。どうも映画をみて原作を読む気になったらしい。今さら太宰治の文学談義も気恥ずかしい気がするが、なぜか話が盛り上がった。私は志賀直哉との軋轢を話したら、彼女は「その話は映画にもありましたよ」という。蜷川実花監督の太宰治「人間失格」が公開中である。太宰治の小説を原作としてものではなく、太宰と3人の女性との愛憎を基にしたフィクションである。女性客を狙った映画だが、ネット上でも評価をみるかぎり低い。太宰作品の映画化は過去数本あるが、いずれも成功したとは言い難い。根岸吉太郎監督「ヴィヨンの妻」を期待せずに見たが、太宰作品のエッセンス(ヴィヨンの妻をベースに、思い出、桜桃、姥捨、灯篭、きりぎりす、二十世紀旗手など)をうまく取り込んだ脚本で良かった。根岸は80年代に頭角を現した「ジャパニーズ・ニューウエイブ」の1人。「遠雷」「キャバレー日記」「探偵物語」など話題作が続いたが、90年代に入り寡作でどうなったかと思ったが本作で名監督であることが実証された。NMB48の歌に「太宰治を読んだか?」がある。青年が生きる意味を小説から探すという内容の歌である。太宰を他の人に置き換えてもしっくりこない。「君はカントを読んだか?」「カフカを読んだか?」「村上春樹を読んだか?」やっぱり太宰治しかない。太宰が世を去って70年以上経つにもかかわらず、太宰の作品群は現代の若者層に人気がある。中高生の読書感想文に「人間失格」が圧倒的に多い。文庫本で130頁足らずで小説入門者に読みやすさもある。本書は昭和初期に青春を過ごした人物の回想記である。もちろん虚構も交えているがほぼ太宰の半生と重なる。東北の名家に生れ、都会での放蕩生活、心中事件など生々しい。過去の太宰映画としては、「四つの結婚」(「佳日」1944)、「看護婦の日記」(「パンドラの匣」1947)、「グッドバイ」(1949)、「真白き富士の嶺」(「葉桜と魔笛」1963)、「奇巌城の冒険」(「走れメロス」1966)、「パンドラの匣」、「人間失格」、「斜陽」、「ヴィヨンの妻」。最近のベストセラー小説は浅田次郎「大名倒産」、大門剛明「死刑判決」、月村了衛「欺す衆生」。戦後最大の詐欺事件とされる横田商事事件を題材とする。その残党たちが再興し、ついには国家を欺く大事業へと発展していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月16日 (月)

おでんと凡人

 波乱万丈、貧乏暇なし、平々凡々と、人にはさまざまな人生があるものの、所詮はみんな同じ一生である。  江戸川柳に、「どぶろくとおでんは夜の共稼ぎ」がある。屋台の寒い冬には屋台のおでんが美味しい。ホトトギスの高浜虚子(1874-1959)には、何故かおでんの句が多い。虚子は若いころから酒好きであったが、大正8年に軽い脳溢血で倒れた。そのため大好きな酒はたしなむ程度にしたが、おでん屋でおでんを食べながら少量の酒を楽しんでいたようだ。虚子におでんの句が多いのは、平凡を愛する心が人生観となっているからであろうか。

 

  振り向かず返事もせずにおでん食ふ

 

  おでんやを立ち出でしより低唱す

 

  戸の隙におでんの湯気の曲り消え

 

  硝子戸におでんの湯気の消えていく

 

  志 俳諧にあり おでん食ふ

 

  おでんやの娘愚かに美しき

 

 

2019年9月 1日 (日)

与謝野晶子と関東大震災

   1923年9月1日午前11時58分、東京・横浜を中心としてマグニチュード7.9の大地震がおこった。多くの家屋が倒壊し、ちょうど昼食時に重なり、炊事用の竈から出火して、各地に火災が発生して被害を大きくした。このとき、与謝野晶子は44歳で夫の鉄幹とともに、神田駿河台の文化学院で教鞭をとっており、近くの逓信病院付近に住んでいた。晶子は、こんな短歌を詠んでいる。

 

もろもろのもの心より搔き消える天変うごくこの時に遭ひ

 

天地崩(く)ゆ生命を惜む心だに今しばしにて忘れはつべき

 

 また文化学院に預けておいた「新新源氏物語」の原稿も焼失してしまった。

 

十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰

 

 

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