ユン・ソクホ監督「四季シリーズ」の4作品(KBS)が「秋の童話」「冬のソナタ」「夏の香り」「春のワルツ」であることは今更紹介するまでもないが、四季シリーズの日本での放送を通じて「お互いが愛しあっていれば、離れていても、見えなくても、愛は永遠である」といったユン・ソクホのメッセージが日本のいわゆる韓流ファンに十ニ分に伝わったということ、それは日本と韓国との永い交流の中でも歴史的な意義をもつものとなった。
ドラマの王道である純愛というテーマは、ともすれば使いふるされて陳腐になりがちであるが、ロマンチストのユン・ソクホは純愛を21世紀の現代に鮮やかに甦らせることに成功した。映像美もさることながら、ファッション、音楽に至るまで、すべての作品が叙情的であり古典的であり現代的であった。主題曲には「禁じられた遊び」「白い恋人たち」「シューベルトのセレナーデ」「愛しのクレメンタイン」などのポピュラーな曲を選曲したが詩的な映像との相乗効果が冴えわたった。はじめ「禁じられた遊び」のギターの奏でる音色はルネ・クレマンのフランス映画の印象が強く、違和感もあったが、見ていくうちに切ないギターの調べが幼い日から続くジュンソとウンソの愛を自然に表現していた。「春のワルツ」のクレメンタイン(日本では「雪山賛歌」で知られる)も、やがて幼いウニョンとスホのテーマ曲として耳になじんできた。実はケペル世代にとっては、このクレメンタインの音楽は、「珍犬ハックル」というハンナバーバラのアニメに使用されたので、ついつい「オーマイ ダーリン オーマイ ダーリン オーマイ ダーリン クレメタイン」と犬のカーボーイーが調子よく口ずさんでいた幼き日々を思いだすのである。本国アメリカではゴールドラッシュ時代に川で溺死した少女クレメンタインであるが、韓国では漁師が島を去った娘を懐かしむ歌詞となっている。
男性視聴者からの立場でいうとやはり主演女優たちの新鮮な魅力について語らねばならないだろう。4人のうちでチェ・ジウはキャリア十分の「涙のヒロイン」であるが、日本では「冬のソナタ」が初登場だったので、やはりとても新鮮に映った。ソン・へギョは今では大スターだが「秋の童話」のときはまだまだ無名に近く、この一作で一躍シンデレラになった女優さんである。ソン・へギョ自身もインタビューで「ウンソを演じたことは、死ぬまで絶対に忘れないと思います」といっている。チェ・ジウもソン・へギョも1997年のKBSドラマ「初恋」に出ているのでぺ・ヨンジュンとも縁があったことも後で知るのだが、ソッキとチャヌの恋が「冬のソナタ」で成就してよかったと思っている。ソン・イエジンは「夏の香り」のあと、「四月の雪」「私の頭の中の消しゴム」で大ブレイクするのだが、清純な新進女優から韓国を代表する美人女優に成長していった。「春のワルツ」のウニョン役のハン・ヒョジュは2003年の「ミスにっこり」コンテストに優勝して芸能界入りしている。春をイメージしたカラフルな衣装を着たウニョンは可憐で綺麗でスホやフィリップでなくても男性ならば「守ってあげたい」と感じさせる女性である。彼女の魅力はまだ演技というよりは素のままの若さゆえの新鮮な魅力につきるであろう。これからの活躍を日本のオジサンも遠くから見守っている。女優はもちろん演技力が大切であるが、オードリー・ヘプバーンは今でも日本でトップクラスの人気があるように、やはり「ローマの休日」「麗しのサブリナ」のデビュー時の印象が強い。昭和30年ころの日本の若い娘たちのファションや雑誌にいかにオードリーの影響が大きいことか驚かされる。そしていまもオードリーの魅力は不滅である。韓国のユン・ソクホはハリウッドやフランス映画などの長所を巧みに学びながら、アジア人自身の美を発見させた人という点が高く評価ができるのではないだろうか。それまでアジア人にとっても美の典型はオードリー・ヘプバーンやアラン・ドロンであったのが、チェ・ジウやぺ・ヨンジュンであることを宣言したのである。これは韓国のみならず、中国、台湾、香港、フィリピン、シンガポール、マレーシア、そして日本などの多くの人々に大きな夢と希望を与えている。すなわち韓流ファンとは単なるミーハーや芸能人の追っかけ集団としてとらえるのではなく、アジア人としての誇りを持って積極的に美しく生きる人たちの集まりととらえたほうがいいと思うのである。
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