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2008年6月 2日 (月)

真実の愛は儚くも素晴らしきもの

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   宝石をちりばめたような香港の夜。アメリカの妻子ある新聞記者。イギリス人の父と中国人の母を持つ女医。二人は愛を誓いあうが残された時間はわずかだった。アルフレッド・ニューマンの主題歌「恋はすばらしきもの」の愛への歓喜あふれるメロディーで世界中の人々に愛された映画「慕情」(ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ)である。

恋は美しきもの

四月の丘の上

春浅く バラ咲きいずる

恋は自然の営み

人は生きる喜びを知る

恋は人を王者とする黄金の冠

風吹く丘の上

朝霧の中に口づけを交わせば

この世も止まり

物言わぬ私の心も

君の指がふれる時

歌ふことを知る

そう、真の愛は

はかなくも素晴らしきものだから

   世の中に愛を讃美したものは古代ギリシアの時代から数多くみられる。21世紀の現代においても、詩、小説、映画、美術、さまざまなジャンルで愛を最高のものとして讃美している。たが愛を法律で規制することが現実におこっている。武田鉄矢の主演「101回目のプロポーズ」というドラマがかって人気を呼んだが、現代では被害者が告訴すればストーカー規制法という法律の適用により逮捕されるであろう。石川達三の小説「青春の蹉跌」(昭和43年)のなかで主人公の江藤賢一郎は「日本の法律のなかに、愛という字は一字もないよ。もともと男と女の愛というものは、理由のない感情なんだ」という有名なセリフがあった。愛という字が本当にないかどうか調べたことがあっが、なんと日本国憲法の前文に愛という一字はあった。嘘話であっても「愛は法律では裁けない」という不文律があるように信じていた。だから、「101回目のプロポーズ」もドラマとして共感をよぶのであろう。ところが現実社会は凶悪に犯罪も起きているのも事実である。そのため新法が俄かに成立したのである。男女の愛情問題を法律が裁くのであるから、かなり珍妙なケースも生ずるであろう。なぜなら男女の関係は千差万別だから。最近では、「今度いつ会える」と十数回メールを女性に送った人がストーカー行為として逮捕されるという事件が話題になっている。容疑者は「恋愛目的ではなかった」という供述をしている。ストーカー規制法では「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又それが満たされなかったことに対する怨念の感情を充足する目的で(云々)」とあり、あくまで「恋愛感情」があったのかが定義となっている。要するに「恋愛感情」であれば裁かれ、恋愛目的でなければ他の法律の適用になるか、軽微であれば単なる「いたずら」「悪ふざけ」の程度ですまされるのであろう。

   かつて恋愛の成就は「押しの一手」と教えられた。だが女性の自立が進んだ現代においては逆効果をうむことが多いようだ。では、片思いで相手にされないもてない君の場合、ストーカー規制時代の恋人さがしは諦めるしかないのだろうか。十数回メールを送ると逮捕される日本であれば、ふりむいてもくれない相手にどのように交際を求めるべきなのか。結論は、本当に好きなら、「好き」とはっきりと相手にいうべきである。本当に相手のことを想うならば、メールでなく、手紙で、あるいは真正面からぶっかって愛の言葉を告げることが大切である。一番大切なのは愛する心、そう、「愛とは決して後悔しないこと」である。

2008年5月31日 (土)

壺中に天あり

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   後漢の時代、河南省汝南県の町役人に費長房という人物がいた。市場に薬売りの老人がいて、彼の売っている薬を飲むと、病気はたちまちのうちに治った。費長房は高殿の上から老人の店を見ていると、不思議なことに、毎日市が終わると、店に置いてあった壺の中へ跳び込んでしまう。老人がただ者でないことを感じとっていた長房は、目をつぶって老人の後を追って壺の中へ跳び込んでいった。

   驚いたことに、壺の中には壮麗な仙宮の世界が広がっていた。美しい楼閣、二重三重の門、2階造りの長い廊下。老人は数十人の侍者を従え、長房を笑って迎えた。酒や肴のある華やかな宴に驚き、壺の中に別世界の楽しみを味わった。

   老人の姓名は、ついに判然としなかったが、のちに壺公と尊称され、俗に『壺公符』と呼ばれる全20余巻の霊符を残したとされている。壺の中の仙界は「壺中天」の名のもとに、伝説となった。費長房は人界を去り、仙人となる試験を受けるが、最後に失敗し、仙道は得なかったが、長寿と使鬼の術を授かる。彼はその符の力によってよく諸病をよく治すことができたが、符をなくして鬼のために殺された。

    「壺中に天あり」とは、壺の中からも満天の世界に通じるの意で、一つの小天地、別世界をいう。壺中有天は安岡正篤の説く「六中観」、つまり死中、苦中、忙中、壺中、意中、腹中の一つでもある。現実生活を強く生き抜くためには、自分の楽しみを持つ心が大切である、という意味にも通じる。

2008年5月 4日 (日)

楽水楽山

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         孔子廟大成殿内の孔子像

   黄金週間の後半。山へ海へ河へとお出かけに人も多いだろう。ある町を歩いていたら「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」という言葉が碑に刻まれていた。どのような意味かわからないので辞書で調べてみると、『論語』雍也第6にある孔子の言葉だった。

  知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ

  知者は動き、仁者は静かなり

  知者は楽しみ、仁者はいのちながし

    水は形を変えよどみなく流れるように、知恵ある人は臨機応変に事にあたり、巧みに処理をする。山は安らかにゆったりとしていて動かないことで、人の本来の姿を取り戻せるというのである。孔子は知者を評価しつつ、仁者をいっそう高く評価した気持ちがよくうかがわれる。つまり、結論としては、

  静かにしていたずらに動かない

    連休もどこへも出かけず、一日中、掃除をして、洗濯をして、そしてブログを書こう!

2008年4月29日 (火)

「昭和の日」雑感

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   昭和天皇のラジオ放送で、突然の敗戦を知らされた私たち親世代の気持ちはさぞかし複雑であったであろう。ある者は、「日本が負けるはずはない」「絶対にデマだ」と思い、ある者は「よかった。新しい出発点だ!」「ほっとした」と感じていた。

   しかし、敗戦は事実であり、戦争は終わった。廃墟と化した町からも、やがて、平和への願いをこめた再建のつち音が聞えてきた。

   だが、祖国のためにと信じて戦場に散った若者たち、戦争で肉親を失い、家を焼かれた人々、身一つで帰国した引揚者たち…戦争の傷あとは深かった。原爆症で今なお苦しむ人さえある。われわれは、二度と戦争を起こさず、未来の明るい幸福な社会を築くために、最大限の努力を傾けねばならない。

      *

未来の人間よ

君達こそ人間らしく生活してくれるだろう

愚かなことをくり返さずに

幸福に生活してくれるだろう

すべての人がよろこべるよう

働いてくれるだろう

         武者小路実篤

2008年1月21日 (月)

金人三緘

    孔子が、あるとき、周の国に見物に行きました。方々を見てまわって、最後に、周の太祖、后稷の廟に入りました。すると、階段の前に、金属でつくつた人の像が立っていました。そして、その像は、口を三重に封じられて、背には、つぎのような銘がありました。

   これは古の言葉をつつしんだ人の像である。

   これを見ていましめよ  いましめよ

  言葉かずが多くないようにせよ

 言葉かずが多いと事を取ることも多い

  事が多くないようにせよ

  事が多いと心配も多い

これを見た孔子は、弟子たちをかえりみて、いいました。

「お前たち、この言葉を忘れてはいけないよ。この言葉は卑俗な言葉ではあるが、よく実際にあたっているぞ」(孔子家語)

2008年1月12日 (土)

家庭は道徳の学校

   今日はスイスの教育者ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(1746-1827)の誕生日。毎年1月や2月の寒い時期には全国各地で「ペスタロッチ祭」という教育関係者の研究大会が催されることが多いが、それは生誕(1746年1月12日)と命日(1827年2月17日)に因んでのことだろう。ペスタロッチの教育実践は我が国の教育界では広く知られるところであり、岡山県苫田郡鏡野町ではスイスのイフェルドン市と友好憲章を締結し、町立図書館を「ペスタロッチ館」と名づけ、ペスタロッチの銅像を建てている。

    ペスタロッチに「家庭よ、なんじは道徳の学校なり」という名言があるそうだが、なるほど道徳や礼儀は子どもたちが学校教育を受ける以前から家庭で両親から教えられるべきものである。昨夜のテレビで「チャーリーとチョコレート工場」(ティム・バートン監督)というファンタジー・コメディー映画を観たが、西欧諸国では教育の基本は家庭のしつけであり、「子どもは見られるものであって、聞かれるべきものではない」という厳格なしつけの大切さを確信していることに感心させられた。

    原作はイギリスの作家ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」。主演のジョニー・デップが工場長に扮し、「シザーハンズ」のティム・バートンとコンビを組んだ楽しい映画。しかし中味はなかなか辛口である。日本語吹き替えなのですべてのパロディを理解できないが、子どもも大人も楽しめ教訓も含まれるおすすめの映画だ。

   ここで夢のチョコレート工場に招待される5人の子どもたちを紹介しよう。最初の当選者は何よりも食べることが大好きな肉屋の肥満少年、オーガスタス・グループだった。彼はチョコレートを食べまくって、ゴールデン・チケットを手に入れた。2番目の当選者はナッツ工場の社長令嬢ベルーカ・ソルト。父の財力にものをいわせてチョコレートを買い占めた。かんくしゃく持ちの何でもすぐに欲しがるわがまま娘。3番目の当選者は、あらゆる賞を獲得することに執念を燃やす熱血少女バイオレット・ボーレガード。今はノンストップでガムをかみ続ける世界記録に挑戦中だ。勝つことにこだわり、チャーリーを「負け犬」と言っている。4番目の当選者は頭の良さをひけらかす凶暴なハイテクおたくの天才少年マイク・ティービー。彼はチョコレートの製造年月日と気候による増減と日経平均(ウソ)からチケットのありかをつきとめた。

   年に一度しかチョコレートを買ってもらえないチャーリー・バケット(フレデイ・ハイモア)には当選の確立は限りなく低い。彼を愛する両親(ノア・テイラー、ヘレナ・ボナム・カーター)は貧しい暮らしの中から誕生日のチョコレートをいつもよりはやくチャーリーにプレゼントする。しかし、チケットは入っていなかった。チャリーはその一枚を家族みんなに分けてあげる。(「一杯のかけそば」のパロデイか)今度はジョーおじいちゃんがくれたヘソクリのお金でチョコレートを買うが、やっぱし、チケットは入っていない。すべての望みはたたれたかに思えたが、ある雪の日、チャーリーは道でお金を拾い、チュコレートを買った。(良い子のみなさんは拾ったお金は交番に届けましょう)最後のゴールデンチケットが出てきた。当選の知らせを聞くと、寝たきりだったジョーおじいちゃんは、急にベットから起き上がり、元気いっぱいに飛び跳ねた。いよいよ工場見学の日。工場の前に5人の子どもたちと同伴者が並ぶ。そこについに伝説人物、ウィリー・ウォンカが現れる。前髪そろえのオカッパ頭にシルクハット、顔を白く塗った彼はエキセントリックな印象だ。ウィリーは子ども時代に歯科医である父(ドラキュラ役で有名なクリストファー・リー)から虐待に近い躾を受けて育ったためトラウマになって、現在もペアレンツ(両親)という言葉を口にできず、フラッシュバックを起こすアダルトチルドレンなのだ。そして子どもたちが案内された工場内で起こる奇妙な出来事で、わがまま放題の子どもたちが一人、また一人と消えていく…。そして最後に残ったのは良い子のチャーリーだけとなった。ウォンカは工場は君にあげるといい、家族は大喜びするが、チャーリーは家族が世界で一番大切なものだ、といいウォンカの申し出を断わる。家族の素晴らしさに目覚めたウォンカは、父親を訊ねる決心をする。再会したウォンカの父親は息子との再会を喜び、ふたりは長年のわだかまりを乗り越えることができた。

   チャーリーのおかげで家族の大切さを知ったウォンカは、結局、チャーリーに工場を譲ることになり、ふたりはチャーリーの家の食卓で温かい食事と家族の愛に包まれながら、新しいお菓子作りに夢をふくらませるのだった。

    「チャーリーとチョコレート工場」には「不思議の国のアリス」「オズの魔法使い」あるいはディケンズの「クリスマスキャロル」などという古典、教訓を盛り込んだ楽しいファンタジーの系譜がきっちりと生きている。発想の奇抜さ、新鮮さと時代遅れのギャグとパロディという相反する要素をおもちゃ箱に入れてそれをひっくり返す楽しさ、ハリウッドとビクトリア朝イギリスの厳格主義の合作、とても日本人には真似できないジャンルであろう。

2007年12月30日 (日)

美しい人生

    ケペルは今年の健康診断で便に潜血がみられるので精密検査をするように言われた。しばらく何もしないでいたが、心配なので病院に行くと、大腸にポリプがあるとのこと。来年1月7日から入院するので、しばらくはこのブログも休筆します。夜、就寝中に内心得たいの知れない不安が襲う。ふと思いうかべるのは、黒澤明監督の「生きる」(昭和27年)。渡辺勘次(志村喬)は、市役所の市民課長。30年間無欠勤の彼が、その日初めて休んだ。医師から癌で余命いくばくもないと告げられる。彼は残り少ない命を立派に生きる。雪の朝、静かに横たわっている彼の死に顔には、満ち足りた色が明るく澄んでいた。

   そういえば今年は「千の風になって」が流行し、死ということについて考えさせられる一年であった。古代ローマの英雄ジュリアス・シーザー(前100-前44)は暗殺される前日に友人たちを招いて晩餐をした。席上、「どんな死に方が最良か」と話がはずんだ。シーザーはそれに「突然の死」と答えたという。

   「理想の死に方」でネットを検索すると多くの意見を見ることができる。西行は「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と風雅に歌っている。花とはもちろん桜である。「桜のようにぱっと散る」とは太平洋戦争末期、若者たちが「特攻」として死んでいったことを思い出してしまう。

    今日の朝刊を読むと「西成の宿泊所で3人練炭自殺か」という小さな記事がある。死亡したのは、吹田市のフリーターの男性(40歳)、徳島市のフリーターの男性(35)、川崎市の無職女性(41)。警察では3人はインターネットで知り合ったとみている。こうした若者の集団自殺が近年多くなっている。この日本は昭和20年も平成20年もかわりなく、戦争、格差社会で若者を犠牲にする国なのだろうか。

    100歳まで生きて、孫、ひ孫に囲まれて老衰で死ぬという大往生だけが「理想の死に方」とは思わないが、この世で与えられた尊い命を大切にして、精一杯に生きることこそが美しい人生だと考える。

2007年12月23日 (日)

サムエル・ウルマン「青春」

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときはじめて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも我にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、20歳だろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり、80歳であろうと人は青春の中にいる。

(サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳)

    いま作者不詳のアメリカの詩「千の風になって」(訳詩・作曲:新井満)が秋川雅史の歌によって多くの人に愛されていますが、このアメリカ人による詩「YOUTH」(青春)も、長く日本で愛されています。作者サムエル・ウルマン(1840-1924)はドイツにいましたが、ユダヤ系であったため迫害を避けて渡米しました。この詩は『80歳の歳月の高見にて』に収められていますが、マッカーサーが座右の銘としたので、日本でも知られるようになりました。

2007年11月 2日 (金)

尾を塗中に曳く

    荘子が釣りをしていると、楚王の使いがやってきた。「王は、先生に国政を任せるといって招いておられます。ぜひご出仕ください」すると、荘子は竿を握ったまま、ふり向きもしないでいった。「楚には、死んで三千年にもなる神亀がおり、王は廟堂で祀っておられると聞いたがまことかな?」「まことでございます」「この亀は死んで骨を留め、祀られるのを望んでいるのか、それとも生きて泥のなかをはい回っていたいだろうか?」「それは、もちろん、泥のなかで生きている方がよいでしょう」それを聞くと、荘子は言った。「お行きなされ。わたしも泥の中をはい回っていたいのでな」

 世の名声のために身を滅ぼすよりも、たとえ泥のなかに尾をひきずっても生きていたいという荘子の思想は、隠遁というよりも、名声とか汚辱の中央官界に対する在野精神の原点とみるべきであろう。この故事から「曳尾塗中(えいびとちゅう)」「尾を塗中に曳く」とは「仕官せずのんびりと暮らすこと」を意味する。(出典:「荘子」秋水篇)

2007年8月23日 (木)

顰に倣う

   西施があるとき癪を病んで郷里に帰省した。癪で痛む胸を片手で押さえ押さえ、眉を顰めて歩くいていても、さすがは絶世の美人、えもいわれぬ風情で、見る人びとをうっとりさせる。すると、同じ村にすむ醜女たちがこれを見て、自分も胸を押さえ眉を顰めて、村の通りを歩きまわった。村人たちは、うっとり見惚れてくれるどころではない。ただでさえ醜いのに、とんでもない様子におじけをなして、金持ちの家では門を固く閉じて外に出ようとする者もなく、門もない貧乏人の家では、妻子をひき連れて村を逃げ出すという始末であった。

   この醜女たちは、西施が眉をしかめるようすの美しさはわかっても、何が眉をしかめることを美しく見せるかという理由がわからなかったのだ。聖人のことだからといって、猿まねは禁物だ。荘子は乱世の時代に、魯や衛の国がかつての周王朝の理想政治を再現させようというのは、とんでもない身のほどしらずで、西施の「顰にならう」みたいなもので、人から相手にされないというのである。(「荘子」天運篇)

2007年8月19日 (日)

楡の梢までしか飛べない小鳥の話

    何千里もある翼を持ち、九万里を飛ぶことができるという鵬という鳥がいる。斥鷃(みそさざい)は、鵬のありさまを見て、あざ笑っていう。「われわれは力いっぱい飛んでも、楡の梢までしか飛べない。それでも結構飛ぶことの楽しみはあろうというもんだ。それなのにやつはいったいどこまで飛ぼうというんだろう」

   ここに、小さいものと大きいものの区別があり、小鳥に大鵬の心を知ることがどうしてできるであろうか。(「荘子」逍遥遊篇)

   荘子(前370?-前290?)。宋の蒙(河南省商邱県)の人。姓を荘、名を周という。漆園の番人をつとめたり、手内職などで飢えをしのぎ、戦乱の世をよそに、ひとり悠々と生活し、貧困のうちに一生を終わったといわれている。

   この逸話から「鵬鷃(ほうあん)」(大小の懸隔のはなはだしいことのたとえ)という言葉もある。荘子にはまず対象を二分法で捉えるが、それはあくまで人間思考の相対的なものでしかないとする。人為をなくすと、あとに残る世界は。二元の対立のない、すべてが斉(ひと)しい一つの世界である。これが「万物斉同」の立場である。

2007年7月20日 (金)

武者小路実篤の言葉

   薬師丸ひろ子の歌に「天に星、地に花」(作詞・松本隆、作曲・筒美京平)がある。NTTのCMに使用された「あなたを・もっと・知りたくて」がヒツトしていた頃である。歌詞には「優しい人が言いました。いま天に星、地には花、君に愛を」というサビのフレーズが印象的であった。この言葉はオリジナルではなく、どうやら武者小路実篤がルーツであることを知ったのは最近のことである。昭和40年頃から実篤の人生論の図書や色紙の複製品などが広く世の中に出回っていた。「仲良き事は美しき哉」「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」こういう色紙に見覚えある人は多いだろう。「天に星、地には花、君に愛を」という色紙は見たことはない。芳賀書店から出版していた「実篤人生論シリーズ」(昭和42年頃)は第6集まで刊行されたが、その第3集のタイトルが「天に星地に花人に愛」である。現物を見ていないが、同タイトルの詩があるのかも知れない。二見書房から刊行された「愛ただひとつの言葉」(昭和44年)のタイトルページには「天に星地に花人に愛」という画と画賛が掲載されていた。松本隆は実篤をパクったのだろうか。それとも武者小路実篤というあまりにも有名な人の言葉ということで、文化的な共有財産ということで容認されるのであろうか。そのような著作権上のことはおいておくとして、実篤は40歳頃にあたる大正末年頃から絵筆をとり始め、昭和51年に90歳で亡くなる直前まで書画の制作を続けていた。色紙に添えられた言葉を画賛というが、その数もかなりなものになるだろう。幾つか印象に残った言葉を取り上げる。

思い切って咲くもの萬歳(向日葵、昭和43年)

何故に我が花咲くか知らねども我は素直に我が花咲かす(木蓮)

勉強勉強勉強のみよく奇跡を生むかく思ひつつ我は勉強する也(勉強勉強 昭和12年)

我ただ天意に従って生長す(樹木図 昭和10年代)

生まれけり死ぬる迄は生くる也(自画像 昭和15-25年)

我水を愛し又沈黙を愛す(「鯉之図 昭和34年)

この道より我の生きる道なしこの道を歩く(この道 昭和35-40年)

この世に美しき物あるは我等の喜び(この世に美しき物 昭和47年)

一滴の水 書になり画になる よく生かしたし(昭和42年)

共に咲く喜び

君は君 我は我也 されど仲よき

和而不同

美愛眞

石を愛せ草を愛せ喜びその内にあり

2007年6月 2日 (土)

アイザックのたからもの

   むかし、アイザックという貧乏な男がいた。ある晩、夢をみた。

「都へゆき、宮殿の橋のしたで、たからものをさがしなさい」

   不思議な夢のおつげにしたがって、アイザックは旅にでた。森をぬけ、山をこえ、ようやく都にたどりついた。アイザックは宮殿をまもる衛兵隊の隊長から、おもいがけない話をきく。「わたしもいつだったか夢をみた。あの夢を信じるなら、すぐさまおまえさんの町へいって、アイザックという男の家のかまどの下で、たからをさがすだろうな」

    アイザックは、隊長におじぎをし、はるばるきた道をもどりはじめた。山をこえ、森をぬけた。ようやく自分のすむ町に着いた。家に帰ると、かまどの下をほった。たからものがでてきた。アイザックはそれから一生、心やすらかに暮らし、二度とひもじいおもいをすることはなかった。(ユリ・シュルヴィッツ「たからもの」より)

2007年1月 1日 (月)

初心忘るべからず

    一年の始めの月を象徴するにふさわしい色は、何といっても白だろう。真っ白な雪、お供えやお雑煮の餅、社に詣でると魔除けのための白い色。「清浄」、「真っ白な心」、「純粋な心」、「素朴」、「初心」どれもいい言葉だ。そして「初心忘るべからず」という言葉を連想する。

   広辞苑をみると「学び始めた当時の気持ちを忘れてはならない。常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならないの意」とある。

   出典は、世阿弥の「当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず」(『花鏡』)である。世阿弥(1363-1443)は観阿弥の子で足利義満に認められて、以後その支援をえて、二条良基ら当代一流の文化人との交流をつうじて芸道・学問に精進し、名声をたかめ、乞食の所行とさげすまれてきた猿楽を室町時代を代表する芸能にまで押し上げることに貢献した。生まれたままの心で、初心を忘れず、自然に感謝し、小さい一草一花の美しさに新鮮な喜びを感じたいものである。

2006年12月10日 (日)

福沢諭吉「心訓七則」

    世に福沢諭吉の「心訓七則」というのがある。福沢の数多い箴言のなかでも、今日でも世人に最も良く知られた言葉である。額装された「心訓」が地方の土産物屋のみならず、都会の100円ショップで購入できる。けれども残念ながらこの心訓は福沢の言葉ではない。どこかの知恵者が勝手に、それもどうやら戦後になってつくり上げた、偽作である。「福沢諭吉全集」第20巻の附録で、富田正文が「福沢心訓七則は偽作なり」と断定している。近年、清水義範の「福沢諭吉は謎だらけ」でいろいろこれに関して推理しているが面白い。とくに福沢諭吉の「脱亜論」は時事新報社の石河幹明が書いた論説で1933年の「福沢諭吉全集」に収められたという平山洋の「福沢諭吉の真実」の新説を採用している。そして「脱亜論」は戦前それほど知られておらず、1951年の遠山茂樹、1961年の竹内好らによって、福沢諭吉の「脱亜論」はよく知られるようになったのだという。

訂正とお詫び(12月18日)論説「脱亜論」の初出は、明治18年3月16日付の時事新報の無署名の社説であるが、昭和8年7月刊行の慶応義塾編「続福澤全集第2巻」(岩波書店)に福沢諭吉の著作物として収録されたものである。「福沢諭吉の真実」の著者の平山洋氏から、「脱亜論」は福澤諭吉の真筆であると考えておられる旨のご指摘があったので、ここに訂正とお詫びを申し上げる。

              心訓

一、世の中で一番楽しく立派な事は 一生涯を貫く仕事を持つという事です。

一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。

一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。

一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。

一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。

一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。

一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

2006年8月27日 (日)

人に多くを求めるな

   人びとからは決してあまり多くのものを、あなた自身のために、期待してはならない。経験に照らしてみても、われわれが人びとからなにも求めなくなると、すぐさま彼らははるかに好ましい者になる。そして彼らは、このような利己心のない愛を実に本能的に感づくのがつねである。あなた自身のためには、ひたすら神の祝福に頼るがよい。どんな人間によっても満たされぬほど、要求のとくべつ多い心をさえ、神の祝福は完全に満たすことができるものだ。(ヒルティ『眠られぬ夜のために』)

2006年8月24日 (木)

自分自身のことは語らぬこと

    自分自身のことは全く語らないのが、一番よろしい。口に出しても、手紙ででも、そうだが、、日記のなかでは特にそうである。自賛にわたることは、いやなあと味をもつし、また、自己非難は、われわれの存在と生命の根源である神のみ業に、ともすると触れることになるので、これもなすべきではない。

   他人はわれわれを大体において正しく評価するものである。われわれはそんなことを気にやむ必要はない。真に有為な人がながく軽んじられたためしはいまだかつてない。多くの人びとがしっかりした頼りと支えとを必要としているために、おのずからそうなるわけだ。われわれ自身にとっては、あらゆる自己評価のかわりに、そういう他人の評価で十分である。(ヒルティ『眠られぬ夜のために』)

2006年8月 1日 (火)

心に喜びを持て

    激しい雨や風に襲われれば、鳥までふるえあがる。これに対して、晴れたおだやかな日和に恵まれれば、草木までが喜びにあふれる。これで明らかなように、天地には一日として和気が欠かせず、人の心にも一日として喜びが欠かせないのである。(菜根譚)

2006年7月22日 (土)

立志について

    孔子の志とは、理想の国家の建設など壮大なものを思うだろうが、日常心がけている仁や信といった基本の実践であった。そして徳を崇くして業を建てようとするには、先ず志を立て、しっかりした目標を持つことである。志を立てて、堅固にして、変えず、強めて息まざれば、期するところ遠大であっても、到達するという。

子曰く、吾十有五にして学に志す(為政)

子曰く、三軍も師を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからざるなり(子罕)

(大軍でも、その総大将を奪い取ることはできる。しかし、一人の傲慢な男でも、志を立てた以上は、その志を奪い取ってこちらの意思に服従させることはとうていできない)

子路曰く、願はくは子の志を聞かん。子曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん(公冶長)

(子路さん、「先生の志望をお聞かせくださいませぬか」先生、「老人には安心してもらい、友だちとは信頼し合い、若い者には懐かれるようにありたい」)

子曰く、道に志、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ(述而)

(道理にかなうことを目標とし、体験を基礎として人間らしく在ることを基準としながら、思う存分教養人としての生活を楽しむものだ)

2006年7月16日 (日)

松下幸之助 「道」

自分には 自分に与えられた道がある

天与の尊い道がある

広い時もある せまい時もある

のぼりもあれば くだりもある

思案にあまる時もあろう

しかし心を定め 希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる

深い喜びも そこから生まれてくる

2006年6月28日 (水)

三分の侠気 一点の素心

友に交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶべし。

人となるには一点の素心を存するを要す。

『菜根譚』の著者・洪自誠(こうじせい)については、明の万暦年間の人で、名を応明、号を還初道人といったというだけで、それ以外のことはいっさい判らない。

(通釈)侠気を持たないものには友との交わりはできない。純粋な気持ちをすっかり失ってしまっては人としての成長は望めない。(参考:『菜根譚』神子佩・吉田豊訳 徳間書店)

2006年6月16日 (金)

人生は航海なり(ユーゴー)

 人生については、多くの偉人・賢人がいろいろな名言を残しているが、詩人ユーゴーのこの言葉は最も簡明なものであろう。

 なるほど人生とは、ある港を出帆して大洋を航海するようなものであり、楽しいうちにも困難に遭い、目的の港に向かって進んでいくのである。

2006年6月 3日 (土)

ロングフェローの言葉

さらば、われら、奮起して励もう

いかなる運命にも勇気をもって。

絶えず成し遂げ、絶えず追い求め、

刻苦してあとは待つことを学ぼう。

  (ロングフェロー「人生讃歌」の一部)

ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(1807~1882)。19世紀のアメリカで最も広く愛誦された詩人。しかし20世紀に入ると、「単純な人生理解、露骨な教訓調など、この詩はほとんど嘲笑の対象になった」(岩波文庫『アメリカ名詩選』)とある。明治時代の日本ではロングフェローの詩は大いに歓迎された。ピューリタン精神とわかりやすい表現、今もって愛すべし。