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2024年4月29日 (月)

昭和の日

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 明治・大正・昭和・平成・令和・・・と元号は変わっていきましたが、昭和の建物や制度、映画や歌謡曲など、まだまだコンテンツとしてよく耳にし、目にします。日本人の総人口の割合では、明治・大正生まれが0.5%、昭和生まれが70.4%、平成生まれが27.5%、令和生まれが1.6%だそうです。

   昭和天皇のラジオ放送で、突然の敗戦を知らされた私たち親世代の気持ちはさぞかし複雑であったであろう。ある者は、「日本が負けるはずはない」「絶対にデマだ」と思い、ある者は「よかった。新しい出発点だ!」「ほっとした」と感じていた。

   しかし、敗戦は事実であり、戦争は終わった。廃墟と化した町からも、やがて、平和への願いをこめた再建のつち音が聞えてきた。

   だが、祖国のためにと信じて戦場に散った若者たち、戦争で肉親を失い、家を焼かれた人々、身一つで帰国した引揚者たち…戦争の傷あとは深かった。原爆症で今なお苦しむ人さえある。われわれは、二度と戦争を起こさず、未来の明るい幸福な社会を築くために、最大限の努力を傾けねばならない。

      *

未来の人間よ

君達こそ人間らしく生活してくれるだろう

愚かなことをくり返さずに

幸福に生活してくれるだろう

すべての人がよろこべるよう

働いてくれるだろう

         武者小路実篤

2023年2月21日 (火)

漱石の日

Img_0009   いつごろから本日を「漱石の日」というようになつたのか知らない。1911年のこの日、文部省が漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対して、漱石は「自分には肩書は必要ない。学位は頂きたくない」と辞退した。この逸話に由来するそうだ。名利を求めない生き方は禅の思想に由来するものかもしれない。 だが、世俗の風潮は、いつの世も、やたら賞やら金メダル、地位や名誉、名声を賞賛する。ノーベル賞や国民栄誉賞などといってもこの世だけのものであろう。大金を貯めたところで、死後遺族たちの骨肉の争いの種となるだけである。財産、社会的地位、名声、権勢などがなんになろう。このことは誰しもわかっていながら、いつのまにやら人生の目的が名声や地位、蓄財となってしまうのは何故だろう。とくに名声というのは学問や芸術を阻害する要因になるのではないだろうか。村上華岳(1888-1939)に「名声について」という一編がある。

   予に名声といふものは一つもいらない。名声といふものをむしろ唾棄する。むしろそれは我々の勉強の上に精進の上に害のある事が多くなる。時間がなくなる。ものが欲しくなる。勉強にとって、無駄なエネルギーを消磨する。名声を駆逐しようと思へば思ふ程、煩悩の深きを知る。一日として安静の心持はないのだ。故に予は名声といふものに、絶えざる注意をする。自分が虚名を求むるのではないか。人を頼んでをるのではないか。何かうまいことを、世にしようとするのではないかを、自己の心中の内に探索し警戒するのだ。(大正13年)(『画論』所収)

2023年1月12日 (木)

家庭は道徳の学校

   毎年1月、2月には全国各地で「ペスタロッチ祭」という教育関係者の研究大会が催されることが多いが、それはスイスの教育者ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(1746-1827)の生誕(1746年1月12日)と命日(1827年2月17日)に因んでのことである。ペスタロッチの教育実践は我が国の教育界では広く知られるところであり、岡山県苫田郡鏡野町ではスイスのイフェルドン市と友好憲章を締結し、町立図書館を「ペスタロッチ館」と名づけ、ペスタロッチの銅像を建てている。1階には7万冊の開架室がある。

    ペスタロッチに「家庭よ、なんじは道徳の学校なり」という名言があるそうだが、なるほど道徳や礼儀は子どもたちが学校教育を受ける以前から家庭で両親から教えられるべきものである。「チャーリーとチョコレート工場」(ティム・バートン監督)というファンタジー・コメディー映画を観たが、西欧諸国では教育の基本は家庭のしつけであり、「子どもは見られるものであって、聞かれるべきものではない」という厳格なしつけの大切さを確信していることに感心させられた。

    原作はイギリスの作家ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」。主演のジョニー・デップが工場長に扮し、「シザーハンズ」のティム・バートンとコンビを組んだ楽しい映画。しかし中味はなかなか辛口である。日本語吹き替えなのですべてのパロディを理解できないが、子どもも大人も楽しめ教訓も含まれるおすすめの映画だ。

   ここで夢のチョコレート工場に招待される5人の子どもたちを紹介しよう。最初の当選者は何よりも食べることが大好きな肉屋の肥満少年、オーガスタス・グループだった。彼はチョコレートを食べまくって、ゴールデン・チケットを手に入れた。2番目の当選者はナッツ工場の社長令嬢ベルーカ・ソルト。父の財力にものをいわせてチョコレートを買い占めた。かんくしゃく持ちの何でもすぐに欲しがるわがまま娘。3番目の当選者は、あらゆる賞を獲得することに執念を燃やす熱血少女バイオレット・ボーレガード。今はノンストップでガムをかみ続ける世界記録に挑戦中だ。勝つことにこだわり、チャーリーを「負け犬」と言っている。4番目の当選者は頭の良さをひけらかす凶暴なハイテクおたくの天才少年マイク・ティービー。彼はチョコレートの製造年月日と気候による増減と日経平均(ウソ)からチケットのありかをつきとめた。年に一度しかチョコレートを買ってもらえないチャーリー・バケット(フレデイ・ハイモア)には当選の確立は限りなく低い。彼を愛する両親(ノア・テイラー、ヘレナ・ボナム・カーター)は貧しい暮らしの中から誕生日のチョコレートをいつもよりはやくチャーリーにプレゼントする。しかし、チケットは入っていなかった。チャリーはその一枚を家族みんなに分けてあげる。(「一杯のかけそば」のパロデイか)今度はジョーおじいちゃんがくれたヘソクリのお金でチョコレートを買うが、やっぱし、チケットは入っていない。すべての望みはたたれたかに思えたが、ある雪の日、チャーリーは道でお金を拾い、チュコレートを買った。(良い子のみなさんは拾ったお金は交番に届けましょう)最後のゴールデンチケットが出てきた。当選の知らせを聞くと、寝たきりだったジョーおじいちゃんは、急にベットから起き上がり、元気いっぱいに飛び跳ねた。いよいよ工場見学の日。工場の前に5人の子どもたちと同伴者が並ぶ。そこについに伝説人物、ウィリー・ウォンカが現れる。前髪そろえのオカッパ頭にシルクハット、顔を白く塗った彼はエキセントリックな印象だ。ウィリーは子ども時代に歯科医である父(ドラキュラ役で有名なクリストファー・リー)から虐待に近い躾を受けて育ったためトラウマになって、現在もペアレンツ(両親)という言葉を口にできず、フラッシュバックを起こすアダルトチルドレンなのだ。そして子どもたちが案内された工場内で起こる奇妙な出来事で、わがまま放題の子どもたちが一人、また一人と消えていく…。そして最後に残ったのは良い子のチャーリーだけとなった。ウォンカは工場は君にあげるといい、家族は大喜びするが、チャーリーは家族が世界で一番大切なものだ、といいウォンカの申し出を断わる。家族の素晴らしさに目覚めたウォンカは、父親を訊ねる決心をする。再会したウォンカの父親は息子との再会を喜び、ふたりは長年のわだかまりを乗り越えることができた。チャーリーのおかげで家族の大切さを知ったウォンカは、結局、チャーリーに工場を譲ることになり、ふたりはチャーリーの家の食卓で温かい食事と家族の愛に包まれながら、新しいお菓子作りに夢をふくらませるのだった。「チャーリーとチョコレート工場」には「不思議の国のアリス」「オズの魔法使い」あるいはディケンズの「クリスマスキャロル」などという古典、教訓を盛り込んだ楽しいファンタジーの系譜がきっちりと生きている。発想の奇抜さ、新鮮さと時代遅れのギャグとパロディという相反する要素をおもちゃ箱に入れてそれをひっくり返す楽しさ、ハリウッドとビクトリア朝イギリスの厳格主義の合作、とても日本人には真似できないジャンルであろう。

 

 

2023年1月 1日 (日)

初心忘るべからず

    一年の始めの月を象徴するにふさわしい色は、何といっても白だろう。真っ白な雪、お供えやお雑煮の餅、社に詣でると魔除けのための白い色。「清浄」、「真っ白な心」、「純粋な心」、「素朴」、「初心」どれもいい言葉だ。そして「初心忘るべからず」という言葉を連想する。

   広辞苑をみると「学び始めた当時の気持ちを忘れてはならない。常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならないの意」とある。つまり、ある程度、技量がついて自信をもち始めた時期が「慢心」という陥穽にはまる時期であり、この時期こそ「初心を」といさめているのである。

   出典は、世阿弥の「当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず」(『花鏡』)である。世阿弥(1363-1443)は観阿弥の子で足利義満に認められて、以後その支援をえて、二条良基ら当代一流の文化人との交流をつうじて芸道・学問に精進し、名声をたかめ、乞食の所行とさげすまれてきた猿楽を室町時代を代表する芸能にまで押し上げることに貢献した。生まれたままの心で、初心を忘れず、自然に感謝し、小さい一草一花の美しさに新鮮な喜びを感じたいものである。(1月1日)

 

 

2022年3月11日 (金)

コラムニスト

 コラム(column)の原義は円柱のこと。それが18世紀イギリスで(ページの)段・欄・囲み記事の意で使われ、1751年イギリスの新聞「ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット」で世界で初めてコラムが掲載された。現在、大手新聞の社説には「天声人語」(朝日新聞)「編集手帳」(読売新聞)「余禄」(毎日新聞)「産経抄」(産経新聞)などがある。コラムには、個人的な分析・意見も含めたエッセイもあり、コラムニストという物書きがいる。ボブ・グリーン、ヘレン・トーマス、天野祐吉、ナンシー関などが有名なコラムニストである。ここでは寺田寅彦の一文を引用してみよう。「困ったことには、自然は過去の習慣に忠実である。地震や津波は新思想の流行などに委細かまわず、頑固に、保守的に、執念深くやってくるのである。紀元前20世紀にあったことが、紀元20世紀にも全く同じように行われるのである。科学の法則とは、畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである」(「津波と人間」初出は昭和8年5月「鉄塔」より)

 

 

 

2019年1月 7日 (月)

人生は航海なり

A_picture_training_ship_investigati  人生については、多くの偉人・賢人がいろいろな名言を残しているが、詩人ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)のこの言葉は最も簡明なものであろう。ユゴーは晩年の19年間を英仏海峡のジャージー、ガーンジー両島で過ごした。「人生は航海なり」という有名なユーゴーの名言の出典を探したが見当たらない。同様の表現として、次のような一文がある。

 なるほど人生とは、ある港を出帆して大洋を航海するようなものであり、楽しいうちにも困難に遭い、目的の港に向かって進んでいくのである

  俳優のアラン・ドロンもこの名言を継いで、「老人は難破船に乗っているようだ」とNHKのインビューで率直に答えている。引退宣言した後で、体調が思わしくないらしい。「わびしい、苦しい、さびしい、しんどい」ネガティブな苦痛や老境の淋しさは世紀の二枚目ですらおとずれるようだ。  (Victor Hugo)

2017年4月30日 (日)

荘周胡蝶之夢

94dcf7da3a1bb401b781cf50aefed21c   荘子といえば「胡蝶の夢」の故事がよく知られる。夢の中で蝶がひらひらと飛んでいた所、目がさめたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という話である。そのほかにこんな話がある。

   あるとき荘子は、楚の国へ行く道すがら、路傍に野ざらしのうつろな髑髏を見た。手にした鞭でそれを叩きながら、荘子はおもむろに語りかけた。「御身は生をむさぼり、私欲にくらんでかく成りはてのか。はたまた亡国の禍い、処刑の咎に遭ってかく成りはてたのか」言い終わった荘子は髑髏を枕にうち臥した。その夜半、髑髏が夢に現われて語るには、「御身の言のなめらかなるは、世の常の弁者とさえも似たることながら、御身の数えあげた事は、いずれも生身の人の世の累にて、死者の世界にはほとんど縁のないことじゃ。さても死者の世界というものは、上に君なく下に臣なく、また四時の別すらもない。この楽しみにくらべれば、人の世の南面の王者の楽しみとて、とんとおよばぬことであろうわい」
生は喜ぶに足らず、死は悲しむに足らず、否むしろ死には生にまつわる苦しみがなく、生にまさる喜びがある。(参考:原富男「胡蝶と荘周」 三信図書 1982)

2017年4月 9日 (日)

サミュエル・ウルマン「青春の詩」YOUTH

   青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

    青春とは臆病さを退ける勇気、やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときはじめて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

    60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも我にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。

    霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、20歳だろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり、80歳であろうと人は青春の中にいる。(サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳)

Samuelullman     作者サムエル・ウルマン(1840-1924)はドイツにいたが、ユダヤ系であったため迫害を避けて渡米した。この詩は『80歳の歳月の高見にて』(1920)に収められているが、マッカーサーが座右の銘としたので、日本でも知られるようになった。(Samuel Ullman,MacArthur,From the Summit of Years Four Score)

2016年5月12日 (木)

実篤の色紙に添えられた言葉

Photo  本日は1885年、武者小路実篤の誕生日。薬師丸ひろ子の歌に「天に星、地に花」(作詞・松本隆、作曲・筒美京平)がある。NTTのCMに使用された「あなたを・もっと・知りたくて」がヒツトしていた頃である。歌詞には「優しい人が言いました。いま天に星、地には花、君に愛を」というサビのフレーズが印象的であった。この言葉はオリジナルではなく、どうやら武者小路実篤がルーツであることを知ったのは最近のことである。昭和40年頃から実篤の人生論の図書や色紙の複製品などが広く世の中に出回っていた。「仲良き事は美しき哉」「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」こういう色紙に見覚えある人は多いだろう。「天に星、地には花、君に愛を」という色紙は見たことはない。芳賀書店から出版していた「実篤人生論シリーズ」(昭和42年頃)は第6集まで刊行されたが、その第3集のタイトルが「天に星地に花人に愛」である。現物を見ていないが、同タイトルの詩があるのかも知れない。二見書房から刊行された「愛ただひとつの言葉」(昭和44年)のタイトルページには「天に星地に花人に愛」という画と画賛が掲載されていた。松本隆は実篤をパクったのだろうか。それとも武者小路実篤というあまりにも有名な人の言葉ということで、文化的な共有財産ということで容認されるのであろうか。そのような著作権上のことはおいておくとして、実篤は40歳頃にあたる大正末年頃から絵筆をとり始め、昭和51年に90歳で亡くなる直前まで書画の制作を続けていた。色紙に添えられた言葉を画賛というが、その数もかなりなものになるだろう。幾つか印象に残った言葉を取り上げる。(5月12日)

 

思い切って咲くもの萬歳(向日葵、昭和43年)

 

何故に我が花咲くか知らねども我は素直に我が花咲かす(木蓮)

 

勉強勉強勉強のみよく奇跡を生むかく思ひつつ我は勉強する也(勉強勉強 昭和12年)

 

我ただ天意に従って生長す(樹木図 昭和10年代)

 

生まれけり死ぬる迄は生くる也(自画像 昭和15-25年)

 

我水を愛し又沈黙を愛す(「鯉之図 昭和34年)

 

わが行く道に茨多し。されど生命の道は一つ。この道より我の生きる道なし。この道を歩く(この道 昭和35-40年)

 

この世に美しき物あるは我等の喜び(この世に美しき物 昭和47年)

 

 

 

一滴の水 書になり画になる よく生かしたし(昭和42年)

 

花ありて人生楽し

 

共に咲く喜び

 

君は君 我は我也 されど仲よき

 

和而不同

 

美愛眞

 

石を愛せ草を愛せ喜びその内にあり

 

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2015年11月11日 (水)

ジョルジョ・モランディ

   兵庫県立美術館で12月8日から「ジョルジョ・モランディ展」が開催される。テーブルの上に置かれた瓶、水差し、碗など、何の変哲もない質素な容器。色彩は白、灰色、クリーム色などを主調とした地味な絵画ばかり。20世紀を代表するイタリアの巨匠ジョルジョ・モランディ(1890-1964)の作品には日本画と共通するような静謐の美がある。

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