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2026年10月 2日 (金)

なぜ茶柱が立つと縁起が良いのか?

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あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷に菅の笠

 

萌えるお茶の芽もえたつたすき 唄に明けゆく宇治の里

 

宇治は茶どころ茶は縁どころ 娘やりたや婿ほしや

 

今年やこれきりまた来る春は 八十八夜のお茶に逢う

 

主は焙炉でこがれていよと わたしや茶園でうわの空

 

神に一心お茶にはニしん かけてみやんせキッと利く

 

ことしお茶にはあかねのたすき 今度五月にや黒だすき

 

宇治の里から貰うた嫁は 茶つみ上手で唄上手

 

人の手前で薄茶じやけれど 主の濃茶で目をさます

 

こよい庚申濃茶をのんで 話明かそか主さんと

 

ぬるいお茶でもお前の手から ついで貰えばあつくなる

 

朝の茶の湯に茶柱立って 運の開きか花が咲く

 

 井上円了の「迷信と宗教」に「喫茶の際、碗中に茶柱の直立することあれば、これを吉事の兆しとする」とある(大正3年)。茎の入った番茶を喫茶するようになるのは江戸時代中期以降だから、この迷信は、その当時以降の発祥となる。なぜ茶柱が立つと縁起がいいとされるのか?柱には「繫栄する」という意味があります。大黒柱は繁栄の象徴です。高級茶には茎が含まれませんので茶柱が立つということはありません。番茶には硬くなった茶や茎が多く含まれているため、あまり売れませんでした。そこで静岡の商人が番茶を売る戦略として「茶柱が立つと縁起がいい」という噂を広めて宣伝したのではないでしょうか。

 

 

 

2026年10月 1日 (木)

コーヒーの日

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 17世紀のロンドン・コーヒーハウス

  きょうは「コーヒーの日」。ほっと一息つきたいときにぴったりの「コーヒー」。一杯のコーヒーを傍らにおいて過ごす時間は、私たちの1日の中で、特別に美しい時間といえるのではないだろうか。もともと西洋人は、水以外の非アルコール飲料は知らなかった。では世界で一番最初にコーヒーを飲んだのは誰なのだうか?

 コーヒーの発祥地はエチオピアでコーヒーの液汁を飲んだのが始まりですが、実を煎じて飲むことを考えついたのは、5~9世紀のアラビア人だといいます。すくなくとも13世紀頃には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノープルにコーヒー店が誕生した。16世紀後半に、トルコで愛飲されていたカフヴェ(Kahve)がヨーロッパに伝わったものである。17世紀にはヴェネチアやロンドンに広まった。1650年、オックスフォードに作られた「ジェイコブス」がイギリス最初のコーヒーハウスといわれる。その2年後、アルメニア人バスクァ・ロゼがロンドンに簡素なコーヒー・ハウスを開業して評判をとり、その後続々とコーヒー・ハウスが誕生した。30年後にはロンドン市内だけで、その数3000軒にのぼったといわれる。1763年フランスでドリップ式のコーヒーが考案された。

   今日の世界的な用語、コーヒー(coffee)やカフェー(cafe)などはトルコ語から転化したもので、トルコへはアラビア語のカフワ(qahwa)から移されたものである。コーヒーに関する世界最初の記述といわれるものは、12世紀の医者アッ・ラージー(1149-1209)によるもので、彼は胃の薬として、エチオピアに原生するブンの種実から煮出して汁液「ブンカム」を使用していた。豆をいることによって苦味や香りの豊かな飲み物としたのは13世紀中頃から、飲酒の許されないイスラーム教徒のあいだでは、日常生活に欠かせない飲み物として広まったらしい。そしてその頃には、これを「ブンカム」と呼ばず、酒の名の一つを借りて「カフワ」と呼ぶようになった。これがトルコ語の「カフウェ」になり、17世紀のヨーロッパで「カフェ」あるいは「コーヒー」と呼ばれるようになったのである。ルイ14世とナポレオンはコーヒーの愛好家で知られる。イギリスのコーヒーハウスは男性しか入れなかった。やがて女性たちは紅茶を飲むようになり、19世紀中頃からアフタヌーンティーの習慣へと発展する。

   日本にコーヒーが伝わったのは、室町時代のことで、キリスト教の布教で渡ってきたポルトガル人やスペイン人が携えてきたと考えられている。より確かな説では、江戸時代の1780年代にオランダ商人が長崎の出島に持ち込んだとされる。コーヒーの味を初めて知った日本人はおそらく幕府のオランダ通詞であろう。「紅毛船上にてカウヒイというものを飲めり。焦げくさくして味わうるに堪えず」と、太田蜀山人は感想を語っている。コーヒーに、「珈琲」の漢字を最初に当てたのは、儒学者の宇田川榕庵(1798-1846)である。

 コーヒーが健康に与える影響については科学者たちが何年にもにわたって研究してきた。飲みすぎるとカフェイン依存症につながる一方、毎日適量飲むと心臓病のリスクが下がるという報告もされている。コーヒーの健康効果についてはいまだ謎が多い。DNA遺伝子が関係しており、からだにいい人と悪い人と、人によって違いがあるらしい。(参考:「サロンとコーヒーハウス」成瀬治『大世界史』13) 10月1日

 

 

2026年9月 7日 (月)

中将姫伝説

Photo    岐阜県岐阜市にある願成寺の境内に中将姫誓願桜がある。この桜は婦人病に霊験があるとされる。

    中将姫は美貌と才能に恵まれていたが、継母にいじめられ、奈良の当麻寺に入り尼となる。その後、仏の助力を得て一夜で当麻曼荼羅を織ったとされる。月岡芳年が描く中将姫の傍らに蛇がいるが、これは継母の姿であろう。中将姫は婦人病に悩まされたということから、ツムラ(前身・津村順天堂)は婦人薬「中将湯」は明治26年に発売した。月経や更年期障害に伴う不快な症状に効く。現在も発売されている。

 有島武郎の小説「或る女」の一節。

「その胸にかかれた中将湯という文字を、何げなしに一字ずつ読み下すと、彼女は突然私生児の定子の事を思い出した」

 

 

 

 

 

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2026年9月 1日 (火)

誕生日を祝う風習について

 朝ドラ「とと姉ちゃん」。3月10日の誕生日を祝うつもりが、突然の大空襲の話。ネットでは「戦前の日本には個人の誕生日を祝う風習はなかった」と書き込みが見られる。誕生日を祝うようになったのは、昭和25年に満年齢制度ができてからだとか。江戸時代以前は現在の満年齢でなく、数え年という年齢の数え方をしていたので、一般的には誕生日を祝うという風習はなかったとよく言われている。だが坂本龍馬の暗殺事件で11月15日の晩に「今日は儂の誕生日だから好物の軍鶏が食べたい」と峯吉に鳥屋に買いに行かせたエピソードがよく知られる。だから、江戸時代の人も皆自分の誕生日くらいは知っていて意識していたのではないだろうか。加賀藩三代目藩主である前田利常の「金澤古蹟志」第三、寛文12年6月12日の条に次のような話が記されている。利常の誕生日は11月25日であるが、毎年この日には「こは飯」を蒸してお祝いしていたとある。この飯とはおそらく赤飯のことか。利常は誕生日の日に母親からお酒を送られたり、赤飯を炊いてお祝をしてもらっていたのである。しかし一般庶民が誕生日を祝うようになるのは戦後からであろう。

 例外的な話としては、武者小路実篤が大正7年に宮崎県に「新しき村」を創設したが、村の祭日に釈迦とキリスト、そしてトルストイとロダンの誕生日などを決めた。一部の進歩的な人は個人の誕生日を祝うという西洋的な考えが芽生えていたといえよう。芥川龍之介の「少年」に「少女はやっと宣教師の顔へみずみずしい黒眼勝ちの眼を注いだ。「きょうはあたしのお誕生日」

 結論でいうと、大正時代にはキリスト教のクリスマスの影響で、個人のお誕生日を祝う風習も一般に知られていた。

 

2026年8月27日 (木)

戦後神戸の流行「おじゃみ」

   昭和30年代、神戸の子供たちは小学校の授業の休み時間に、男の子は小石を布で包んだ「お手玉」を足でけって落とさず何回連続できるかをきそっていた。サッカーのリフティングと同じで、それを「じゃみげり」とよんでいた。いろいろ調べると、中国の「ティチェンツー(踢・毛+建・子)」がルーツで、穴の空いた硬貨に鳥の羽根をさし、硬貨の部分を布か革で包んだ羽根(チェンツー)をけって遊ぶものである。神戸には南京街があって中国の習俗が広まりやすいからだろう。

 

 

2026年8月10日 (月)

お盆の由来は「倒懸(さかさづり)」から?

 なぜ日本は年中行事が多いのだろうか。とくに8月の暑いさかりに全国各地で夏祭りや盆踊り、花火大会など楽しいイベントがあり賑やかである。

 坊さんがバイクで走るお盆かな 

  お盆は日本の年中行事のなかでも正月とならんで大事な生活習慣。「精霊(死者の霊魂)」を迎えるものです。NHKチコちゃんに叱られる拡大スペシャル。毎年、お盆になると家族で墓参りに行くが、なぜ行くのか。そもそもお盆の「ボン」とは何なのか。チコちゃんだけが知っている。お盆の意味は「逆さづり」。

 お盆は「盂蘭盆」を略したもの。盂蘭盆経、お釈迦様の教えを説いたお経のことで「仏訳盂蘭盆経」に書かれた物語。盂蘭盆とはインドサンスクリット語の「Ullambana (ウランバナ)」に漢字を当てはめたもの。UI(逆さ) lambana(吊るされる)=逆さづり。

 釈迦の弟子、目蓮は地獄のような場所で逆さづりにされている母を助けるため、沢山の食べ物をお供えして、お経を読んで供養したところ、逆さづりにされていた木蓮の母の足から、紐が外れた。その後、木蓮の母はあの世で菩薩となり、幸せに暮らした。これがお盆の始まりである盂蘭盆会の行事である。インドから中国を経て、日本に取り入れられた。日本で最初に盂蘭盆会が営まれたのは、606年、推古天皇の時代で、「日本書紀」にその記録が残っている。日本の伝統行事「お盆」は目連救母説話をモチーフとして、日本古来の霊魂観と先祖崇拝の宗教的習俗が混在して形成されていったものと考えらる。(参考文献;「盂蘭盆」考 赤松孝幸 高松大学紀要33号 2000年)

 

2026年7月26日 (日)

土用の丑の日

土用うし 夫婦二人で鰻一尾

   今日は「土用の丑の日」。全国的にウナギを食べる日とされているけど、なぜこの日に鰻を食べるのか、その由来を調べることは雑学の定番ともいえるで事項である。 そもそも天然ものの鰻は初冬が旬である。そして土用といえば、夏のことと思われがちだが、実は年に4回ある。もともとは古代中国の五行説からきたもので、宇宙は木火土金水の五元素から成ると考えられていた。そして、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前の18日もしくは19日間を土用といった。つまり季節の変わり目で、土の働きが旺盛になる期間と考えたのであろう。しかし、今日では俳句の季語でも夏であるように、土用といえば夏の土用を指すのが一般的である。今年の土用の丑の日は7月26日に当たる。

    ところで、土用にウナギを食べる習慣は、奈良時代からある。『万葉集』の中で大伴家持が吉田石麿という老人がいくら飯を食べてもやせているのを見て、夏やせにウナギがいいよ、とからかっている歌がある。

石麻呂に吾れもの申す。夏痩せによしといふものぞ むなぎとり召せ   (いつも痩せている石麻呂君よ、夏痩せに良いという鰻でも食べたらどうかね)

  ウナギといえば蒲焼で、蒲の穂の形、あるいは焼き上がりが蒲色になるところから呼ばれたらしい。蒲焼が庶民の中にゆきわたるのは江戸時代にはいってからである。 だが夏場に鰻が売れずに困っていた。文化年間、ある鰻屋が蘭学者の平賀源内に相談し、源内は、さきの大伴家持の歌を思い出し、土用の丑の日にウナギを食えば夏痩せを防ぐことができるという意味から「今日は丑の日」という看板を書いて与えたところ、たちまち広く言い伝えられウナギ屋は大繁昌した。そこで、江戸中のウナギ屋も「今日は丑の日」の看板を掲げたという。こうして「土用の丑の日には鰻」という風習が定着していったといわれる。 地方によっては、丑の日にちなんで、ウのつく食物をとると暑気にあてられないといい、うどん、うり、牛肉などを食べるところもある。

 

 

 

 

2026年7月 1日 (水)

姨捨伝説

 昔、親が老齢になると山に捨てる風があった。信濃の戸倉町(現在は千曲市)に冠着山があるが、ある男が伯母を親のように大切にしていたが、妻がにくんで捨てることになり、だまして山に置いてくる。その男は帰ってから一晩中、月をながめて悲しみ、「わが心なぐさめかねつ更級の姨捨山に照る月を見て」の歌を詠み、たまらず迎えに行ったという(古今集)。冠着山には高浜虚子の「更級や姥捨山の月ぞこれ」の句碑がある。

参考文献
「姨捨伝説と冠着山」戸倉町誌 第2巻 1999年

 

2026年5月15日 (金)

案山子(かがし)の話

    農作物の鳥獣害を避ける手段は、およそ3種に分類できる。

1.農神や田の神を迎えて豊穣を祈るとともに、害を避けようとする方法で、神の依代の人形や神札を田畑に立てたり、注連を張り廻す。これを中部東海地方ではソメといい、静岡地方では山人(やまびと)、北陸近畿以西では脅(おどし)といっている。

2.悪臭のする物を畦畔に置いて、鳥獣を畏怖または嫌悪させる方法で、襤褸(ぼろ)・毛髪・魚の頭・獣肉などを焼いて串に挟んだり注連に下げたりする。これを一般に嗅(かが)しという。

Photo_5 3.物音を立てたり、鳥獣の死屍を吊し下げて畏怖させる方法で、人が大声で追うたり、水車・板木・空缶・空砲を利用したり、死屍を吊るしたり、その方法は近年の発案が極めて多く変化に富んでいる。山の添水(そうず)・ボットリというのは、水力による搗杵の音の利用名であり、夜追・猪追・鳥脅そのほか新案の名称も多い。現在ではこれらのものを総称して案山子(かがし)という。 かかしを「案山子」という字をあてる理由は判然としない。元々中国の僧侶が用いた言葉で、「案山」は山の中でも平らなところを意味し、「子」は人や人形のことだそうだ。かかしは、「鹿驚(かがせ)」の意から出たともいわれるが、一般には悪臭を発して鳥獣を追う「嗅(かがし)」が語源とされる。

参考までに世界の「かかし」の単語を列挙する。

scarecrow スケアクロウ 英語

 

epouvantail エプヴァンタイユ 仏語

 

Vogelscheuche フォーゲルショイヒェ 独語

 

spaventapasseri スパヴェンタパッセリ 伊語

 

espantapajaros エスパンタパッハロス 西語

 

スキャフトロ  ギリシャ語

 

ブーガラ    ロシア語

 

フォルミード formido   ラテン語

 

ダオツァオレン 稲草人 中国語

 

ホスアビ 韓国語

 

 鳥取県八頭町では案山子を使った町おこしに取り組んでいる。2013年には世界13ヵ国の案山子を集めた「世界かかしサミット」が開催された。韓国やロシア、モロッコなどさまざまな国の案山子が展示された。 

参考文献
『案山子考』横井照秀編 住吉研究会 1935年
『呵呵誌 案山子百科全集』佐藤信二 2003年

 

 

 

2026年4月24日 (金)

世界の墓地

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 アーリントン国立墓地(米国ワシントン)

    国の数だけの風俗・習慣がある。とくに多種多様なのはお墓である。イスラム教はお墓がないといわれる。英語で言う墓地 graveyardは、たいていは教会の中庭に設けられている。おそよ17世紀頃からヨーロッパでは、教会の統制の下に、行なわれるようになってきた。通常、キリスト教国は土葬で、腐ると掘り起こして納骨堂に納められた。しかし、ペストやコレラなど伝染病の蔓延につながり公衆衛生上の問題から、お墓が都市から離れた場所に作られるようになった。19世紀のイギリスでは多くの共同墓地セメタリーcemeteryが建設され、共同墓地は先行した教会墓地と対照的な点が多い。米国ワシントンDCの国立アーリントン墓地。主な埋葬者。ウィリアム・ハルゼー、グレン・ミラー、ジョー・ルイス、リー・マーヴィン、最も有名なのは、第35代大統領ジョン・F・ケネディのお墓である。パリで有名な墓地はモンマルトルの丘にあるモンマルトル墓地。ここにはゾラ、ハイネ、デュマ(子)、スタンダール、モーパッサン、ベルリオーズ、オッフェンバッハ、ボードレール、サルトル、ボーヴォワール、フラゴナール、ドガなどが眠っている。

 

 

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