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2022年8月14日 (日)

お盆の由来は「倒懸(さかさづり)」から?

 坊さんがバイクで走るお盆かな 

  お盆は日本の年中行事のなかでも正月とならんで大事な生活習慣。「精霊(死者の霊魂)」を迎えるものです。NHKチコちゃんに叱られる拡大スペシャル。毎年、お盆になると家族で墓参りに行くが、なぜ行くのか。そもそもお盆の「ボン」とは何なのか。チコちゃんだけが知っている。お盆の意味は「逆さづり」。

 お盆は「盂蘭盆」を略したもの。盂蘭盆経、お釈迦様の教えを説いたお経のことで「仏訳盂蘭盆経」に書かれた物語。盂蘭盆とはインドサンスクリット語の「Ullambana (ウランバナ)」に漢字を当てはめたもの。UI(逆さ) lambana(吊るされる)=逆さづり。

 釈迦の弟子、目蓮は地獄のような場所で逆さづりにされている母を助けるため、沢山の食べ物をお供えして、お経を読んで供養したところ、逆さづりにされていた木蓮の母の足から、紐が外れた。その後、木蓮の母はあの世で菩薩となり、幸せに暮らした。これがお盆の始まりである盂蘭盆会の行事である。インドから中国を経て、日本に取り入れられた。日本で最初に盂蘭盆会が営まれたのは、606年、推古天皇の時代で、「日本書紀」にその記録が残っている。日本の伝統行事「お盆」は目連救母説話をモチーフとして、日本古来の霊魂観と先祖崇拝の宗教的習俗が混在して形成されていったものと考えらる。(参考文献;「盂蘭盆」考 赤松孝幸 高松大学紀要33号 2000年)

 

2022年7月28日 (木)

ひだる神

 山の峠道などで、歩いている旅人が、突然飢渇を覚え、汗をかき身体がだるくなり、歩行困難を覚えることなどを悪霊のしわざとする俗信。峠道などで行き倒れになった死者の霊の災いともいわれ、これを「ひだる神に取りつかれた」という。全国各地、特に西日本に多く、「だに・だらし・ひもじいさま・じきとり・がき」などともいう。取りつかれる場所はだいたい決まっており、つかれたら米を一粒でも食べるか、手のひらに米の字を書いてそれをなめると治るという。「山に登るときは弁当を少しだけ残しておけ」という古い諺は、この饑神(ヒダル神)に憑かれたときのためなのだ。(森山厄介)

 

2022年7月25日 (月)

天神祭り

 大阪の夏を彩る天神祭りは日本三大祭りの一つ。大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)に始まりました。神鉾を川に流して無病息災を祈る。100隻の船が川を行き交う「船渡御」は中止となりましたが、行列がまちを練り歩く「陸渡御」は3年ぶりに25日に行われる。

 

2022年7月23日 (土)

土用の丑の日

土用うし 夫婦二人で鰻一尾

   今日は「土用の丑の日」。全国的にウナギを食べる日とされているけど、なぜこの日に鰻を食べるのか、その由来を調べることは雑学研究の定番ともといえる事柄である。 そもそも天然ものの鰻は初冬が旬である。そして土用といえば、夏のことと思われがちだが、実は年に4回ある。もともとは古代中国の五行説からきたもので、宇宙は木火土金水の五元素から成ると考えられていた。そして、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前の18日もしくは19日間を土用といった。つまり季節の変わり目で、土の働きが旺盛になる期間と考えたのであろう。しかし、今日では俳句の季語でも夏であるように、土用といえば夏の土用を指すのが一般的である。今年の土用の丑の日は7月27日に当たる。

    ところで、土用にウナギを食べる習慣は、奈良時代からある。『万葉集』の中で大伴家持が吉田石麿という老人がいくら飯を食べてもやせているのを見て、夏やせにウナギがいいよ、とからかっている歌がある。

石麻呂に吾れもの申す。夏痩せによしといふものぞ むなぎとり召せ   (いつも痩せている石麻呂君よ、夏痩せに良いという鰻でも食べたらどうかね)

   だが江戸時代、夏場に鰻が売れずに困っていた。ある鰻屋が蘭学者の平賀源内に相談し、源内は、さきの大伴家持の歌を思い出し、土用の丑の日にウナギを食えば夏痩せを防ぐことができるという意味から「今日は丑の日」という看板を書いて与えたところ、たちまち広く言い伝えられウナギ屋は大繁昌した。そこで、江戸中のウナギ屋も「今日は丑の日」の看板を掲げたという。こうして「土用の丑の日には鰻」という風習が定着していったといわれる。   地方によっては、丑の日にちなんで、ウのつく食物をとると暑気にあてられないといい、うどん、うり、牛肉などを食べるところもある。

 

 

 

 

2022年7月12日 (火)

フォークの歯はなぜ4本なのか

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 16世紀イタリアの初期のフォーク

 

 本日は「洋食器の日」。七(な)一(い)二(ふ)で「ナイフ」の語呂合わせ。中世の人びとはナイフで肉を切り、手づかみで食事をしていた。ナイフが食卓で使われたのは、15世紀以後のことである。ルイ15世紀は先端恐怖症で、ナイフの携帯を禁ずる法令をつくった。貴族社会の人びとがフォークを使いはじめたのは16世紀ころからのことである。ルネサンスのはなやかな舞台となったイタリアでは銀、白鑞(びゃくろう)ときには黄金などの貴金属に華美な彫刻をほどこしたフォークを専門の職人につくらせ、その豪華さと料理の豊かさを自慢しあっていた。4本歯のフォークが登場するのは18世紀のイタリアである。ナポリ国王フェルディナンド4世はスパゲッティが大好物であった。そこで何とか上品に食べられる方法はないかとチェーザレ・スパダッチーニが4本歯を考案したといわれている。スプーンは16世紀に入ってからだといわれています。(7月12日)

 

 

2022年6月15日 (水)

精霊流し

 お盆の伝統行事「精霊流し」の詳細な起源についてはあまりわからない。毎年8月15日、または16日の朝に盆の供え物の類を川や海に流して祖先の霊を送る。長崎県の各地や佐賀県・熊本県の一部でみられているが、1974年にフォーク歌手グレープ(さだまさし)歌唱の曲がヒットして全国的に精霊流しが知られるようになった。とくに長崎市の精霊流しは有名で、阿弥陀丸とか浄土丸などの名のついた精霊丸がつくられ、燈籠の火が港湾いっぱいに広がり美しい夜景をみせている。精霊流しの起源は、江戸時代享保年間に蘆草拙(1675-1729)が精霊物を菰(こも)で包み流しているのを見て、「これは霊に対して失礼だ」と考え、藁で小舟を作ったのがはじまりだと言われている。また、別の説では中国の彩舟流しに由来しているというものであり、こちらが有力な説と思われる。(参考:長崎精霊流し 土肥原弘久、入江清佳著 ゆるり書房 2017年)

 

2022年5月21日 (土)

古代中国の座位(座席の順序)

Tozaizu1_2    日本座敷の床の間はもともと上座から発展したものである。床の間は南面(北床)または東面(西床)するのがよいとされる。この礼法は「天子は南面する」という古代中国の思想からきている。中国の建物には堂と室があり、これにより異なる。

 

    堂は南面して建てられているので、普通、北に家長が座り、客人は南に座る。

 

     室とは部屋のことで、通常は東に門があり、西が上座になる。有名な鴻門の会では、項羽と項伯が東向き(西)に座した。つまり室での席次は、西、北、南、東の順となる。

 

(参考:岡安勇「中国古代史料に現れた席次と皇帝西面について」 史学雑誌92-9、1983年。吉原英夫「古代中国の座位」 漢文教室148   1984年)

 

 

2022年4月28日 (木)

「鯉のぼり」の風習

0000231_2  甍の波と 雲の波

 重なる波の 中空を

 橘かをる 朝風に

 高く泳ぐや 鯉のぼり

     *

 開ける広き その口に

 舟をも呑まん さま見えて

 ゆたかに振るふ 尾鰭には

 物に動ぜぬ 姿あり

     *

 百瀬の瀧を 登りなば

 忽ち龍に なりぬべき

 わが身に似るや 男子(をのこご)と

 空に踊るや 鯉のぼり

 

 男の子のいる家では、5月5日に「鯉のぼり」をあげたりするが、この風習が生まれたのは江戸時代といわれている。当初は、武士の家で、戦国時代より陣地の目印として立てられた「吹き流し」や、旗指物などとして使われた「のぼり」を飾るしきたりがあった。しかし、これらを飾ることは武家にしか許されていなかった。そこで、江戸の庶民たちはこれに対抗し、鯉の形をした吹き流しを空に泳がせて節句を祝うようになったのだ。鯉は古代中国の「登竜門伝説」に因むとされ、男の子の立春出世を願う気持ちが込められている。

 

 

2022年4月18日 (月)

「猫が魚を大好物」というのは誤解だった! (猫の珍談奇譚)

 イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の中で、「旧約聖書にはネコという言葉が全く出てこない」とある。ネコが登場するのは外典「エレミヤの手紙」の中の一ヶ所だけらしい。「エッセンシャル聖書コンコーダンス」などの聖書語句辞典を調べてもネコが見つからない。ユダヤ人はネコ嫌いの民族だった。ところが隣国の大国エジプトでは、ネコは穀物を荒らすネズミなどを退治するので昔から大切にされた。ヘロドトスは「エジプトではネコが死ねば、家人はミイラにして手厚く葬る」とある。バステトの祭りが行われ、ネコの女神として崇拝される。前525年ペルシアのカンビュセス2世は最前列にネコを配してエジプトを攻め、矢を放つことができないエジプト軍は滅ぼされてしまったという。▽ネコは気まぐれで、思いどうりにならない。ナポレオン、カエサル、ヒトラーといった権力者はみんなネコが嫌いだった。

 

Minnekepoeskattenstoet1▽ヨーロッパ中世では、ネコは魔女の手下とされて、多くの黒猫が殺された。3年に1度開かれるベルギーのイーペルのネコ祭りは、黒猫を時計台から放り投げて、下で受け止めると幸福が訪れるという奇習がいまも残っている。▽唐の則天武后は猫が嫌いで、宮中で猫を飼うのを禁じたとされる。▽ネコが魚好きというのは日本だけの話だそうだ。日本のネコが魚を好んで食べるようになったのは、日本人の食生活と関係している。江戸時代までの日本人には肉を食べる習慣がなく、動物性たんぱく質は主に魚肉からとっていた。そして、猫は人の食事の残りをもらっていたため、自然と魚を好むようになったと考えられている。つまり島国の食生活からつくられたものだろう。▽ことわざ「猫に小判」「犬に論語」「馬の耳に念仏」「豚に真珠」その意味は価値のあるものを、価値の分からない者に与えても無駄ということだが、「豚に真珠」だけは外来のことわざ。聖書に「豚の前に真珠を投げるな」に由来する。国木田独歩は「君等に美術の話をしたって無益だ。豚に真珠を投ずる如しだ」(5園遊会)と書いている。最初は「豚に真珠を投げるな」がそのうち「豚に真珠」と簡略化されたのだろう。ははは

 

(Basted,Kattenstoet,Ieper,雑学)

 

 

2022年4月13日 (水)

沖縄シーサーの起源

Okinawa0013  本日は「シーサーの日」。シーサーの発祥地である那覇市壺屋で2002年より実施。四(しー)三(さー)で「シーサー」の語呂合わせ。沖縄の民家といえば、石垣に囲まれた厚い赤かわらと白い漆喰の屋根が目に浮かぶ。雪害のない沖縄の民家の屋根のスロープは緩やかで、しかも低い。軒の高さは、ほぼ石垣の高さに近い。このような形態は台風の被害を防ぐためにできたもので、沖縄の民家の独特な風情を醸しだしている。青い空に赤かわらとそれを固定する漆喰の白さは鮮やかに映える。さらに、この風情を強調するものに屋根の上に置かれたシーサーと呼ばれる小さな獅子の像がある。往来から玄関の辺りに置かれたシーサーは、魔除けのためにつくられたものである。シーサーにはさまざまな形があるが、2体が対になっているのが基本である。

   シーサーの起源を求めると、中国伝統の魔除けの神獣「白澤(はくたく)」がそのルーツかもしれない。インドのライオンが中国に伝わって「白澤」となり、唐代以降時代を超えてアジア全域に広がった。日本「シシ(獅子・狛犬・唐獅子)」、朝鮮「サジャ」、沖縄「シーサー」。シンガーポールのシンガ(Sinhaシンハは獅子)。マーライオンもその影響。

   沖縄での始まりは1689年のこと。当時、富盛村(八重瀬町東風平)はたびだび火災で悩まされていた。村民が、風水師に占ってもらった結果、八重瀬岳が原因だという。その対処として山に向かって獅子を建てると良いとの助言を受けて設置したところ火事は発生しなくなった(「球陽」)。それ以来、シーサーは火災や邪気を防ぐ魔よけとして沖縄に広まっていったという。現在も富盛に石彫大獅子が残っている。

 

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