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2017年4月 5日 (水)

トイレット・ペーパーの端が折られているのは?

 トイレット・ペーパーの端が三角に折られているのは何故か。先ずはトイレット・ペーパーの歴史を知っておこう。トイレット・ペーパーの登場は水洗便所の普及と関係がある。1880年代に欧米で水洗化が進み、一般家庭にシャワー、トイレが作られるようになる。この時代にアメリカのスコット兄弟(エドワードとクラレンス)が製紙業界で活躍する。最新式の便器「一体成型台座つき便器」が製造され、巻取り式のトイレット・ペーパーが普及する。

 日本では明治以来、ちり紙(落とし紙)であったが、水槽便所が増えて、ちり紙等に代わって、水に流れるトイレット・ペーパーへの需要が増えた。昭和5年に京都で発行されている新聞に、トイレット・ペーパーの広告がみえる。

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  昭和5年5月29日京都日日新聞夕刊

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   嶋村商会のトイレットペーパー

   全国どこでもトイレット・ペーパーを使用するようになるのは戦後からで、昭和34年に丸富製紙がトイレット・ペーパーの生産を開始している。

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 スコッティのトイレット・ペーパー

  トイレットペーパーの端を三角に折るのを「ファイアーホールド」という。この名前の由来は、消防士が緊急出動命令を受けてから迅速に対応できるようにするため考案された折り方である。つまりトイレで用を足している時に緊急出動があっても、すぐに紙を出して済ませて出てこられるようにするため、ということ。今ではホテルや飲食店でよく見かけるが、これは清掃員が清掃したことを示す目印として使ったことから一般に広がったと言われている。 fire hold

2017年4月 1日 (土)

エイプリル・フール

Aprilfools 4月ばか、April Fool、万愚節。友人たちをかついで興じる日。この習慣がなにに由来するかについては定説はない。16世紀頃からフランスで始まった習慣とされる。フランス語でPoisson d'Avril(4月の魚)といい、この時期よく捕れるサバのことを指している。1564年にシャルル9世がいまの暦であるグレゴリオ暦にかえたが、なかなか浸透しない。そこである貴族が4月1日に公爵の屋敷でパーティーがあるという嘘の招待状を出したのがはじまりといわれている。

   「4月ばか」の慣習は18世紀初めまでは一般化されていなかった。イングランドでは、もっとも好まれた遊びは「無駄なお使い」に出すことであり、Aが犠牲者をBのところに使いに出すと、Bはさらに彼をCに送る。こうして犠牲者は、気づくまであちこちにやられるのである。北欧のスウェーデンでもエイプリルフールは盛んである。April skamt  アプリール・ファムト(四月冗談)という。

  エイプリルフールは一説によると、キリスト教の死んだ日と関係するといわれる。キリストが死んだ日は春分の日(ニサン)の新月の日から14日たった日といわれる。(4月1日)

2017年3月12日 (日)

壱岐のイカ干し

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   壱岐は古くから日本と朝鮮との交通の要路に当たり、重視された。集落の特色は、畑作を主とする「在」と呼ばれる散村集落と、海浜の「浦」と呼ばれる漁村集落とにはっきり分かれていたことである。在は「触」と呼ばれる小字に統合され耕作を主としたが、浦は壱岐八浦とよばれる漁村で、いまは港町として発達している。勝本港では特産のイカ干し風景で知られる。韓国ドラマ「冬のソナタ」でも終盤にチュンサンとユジンが最後の旅を湫岩海岸の民宿で過ごす。そしてユジンが寝ている内にチュンサンは去ってゆく。民宿の軒に干していたイカが印象的であった。イカは韓国語で「オジンオ」という。湫岩海岸は東海にある。つまり日本海。壱岐と韓国とは風俗・習慣が近いことがドラマから知ることができる。

2017年2月24日 (金)

古代中国の座位(座席の順序)

Tozaizu1_2    日本座敷の床の間はもともと上座から発展したものである。床の間は南面(北床)または東面(西床)するのがよいとされる。この礼法は「天子は南面する」という古代中国の思想からきている。中国の建物には堂と室があり、これにより異なる。

    堂は南面して建てられているので、普通、北に家長が座り、客人は南に座る。

     室とは部屋のことで、通常は東に門があり、西が上座になる。有名な鴻門の会では、項羽と項伯が東向き(西)に座した。つまり室での席次は、西、北、南、東の順となる。

(参考:岡安勇「中国古代史料に現れた席次と皇帝西面について」 史学雑誌92-9、1983年。吉原英夫「古代中国の座位」 漢文教室148   1984年)

2017年2月12日 (日)

もうすぐバレンタインデー

Photo   バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本だけとよくいわれる。広辞苑にはバレンタインデーにチョコレートを贈ることは「1958年頃より流布」したとある。しかしバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本特有のものではなく、1868年イギリスのチョコレート会社キャドバリー社がギフト用チョコレートボックスを製造し世界に広まったらしい。日本では神戸モロゾフ社が英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」(1936年2月12日)の広告を出した。1958年2月には新宿の伊勢丹でメリーチョコレートが日本で初めてのバレンタインデーのチョコレートを販売した。

Bill3  1960年からは森永製菓がバレンタインデーの宣伝を大々的にするようになり、1970年代には女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈ることが浸透した。だがギフト商品はチョコレートだけにこだわらず、ハンカチ・ネクタイなどの小物、ウィスキー・シャンパンなどお酒、香水などギフトとして喜ばれる。

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(St.Valentine's day,chocolate)

2017年2月 3日 (金)

節分の豆撒き

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  浅草寺節分会

  本日は節分。夜になって、「鬼は外、福は内」などと唱えながら豆を内外に投げ、鬼を追って戸口をとざす。節分の豆まきの習俗は何時ごろかわからない。陰陽道の影響があり、室町期に中国の風俗を採り入れたものと考えられている。江戸時代に民間に盛行し、社寺でも厄除神事として定着した。現代でも節分の豆撒きの風習は消えたわけではない。ただし入口に「立春大吉」のお札を貼ったりする風習は都会では見られなくなった。(2月3日)

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入口に貼られた「立春大吉」のお札(昭和30年頃)

2017年2月 1日 (水)

アイヌ人のルーツは縄文人か?

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              悪魔払い(ウニエンテ)の儀式

   アイヌ語は、大きくは北海道方言、樺太方言、千島方言とに分かれる。北海道の多くの地名や、トナカイ、ラッコ、オットセイ、シシャモなどの単語など、知らないうちに日本語になったアイヌ語も多い。アイヌ語は文字のない言語で、表記はローマ字やカタカナが使われる。文法面では、否定辞が動詞の前にくる以外は、日本語とほとんど語順が同じで、学びやすい言語の一つである。

 アッシ(着物)

 イコロ(お金)

 イトウ(神にささげる祭具)

 イヨマンテ(熊送り)

 ウタリ(仲間)

 カムイ(神)

 カムイワッカー(酒)

 キムンカムイ(ヒグマ)

 ク(弓)

 コタン(村)

 チセ(家)

 チャランケ(なんくせ)

 ヌブリ(山)

 ノンノ(花)

 ハボ(母)

 ピリカ(美しい)

 ベツ(川)

 ミナ(父)

 メノコ(女)

 ユーカラ(詩曲)

 ワッカー(水)

2017年1月29日 (日)

土葬の話

   米の世論調査によれば、非武装のビンラディンを殺害したことに関して93%の人がこれを支持し、不支持はわずか3%だったそうだ。殺害と拘束とどちらが良かったかについては、殺害派60%、捕獲派33%である。遺体の扱いに関してはデータはないが、ビンラディンを水葬にしたことについてはイスラム関係者から非難の声が上がっている。カイロのアズハルモスクは「宗教上の慣習からいって埋葬して丁重に弔意を示すべきだった」と声明している。米国防総省は水葬した理由については、土葬する土地が手配できず、遺体を引き取る国が見つからなかった、と述べている。死者の弔葬は重要である。とくに敵対関係にあった人物を殺害した場合、遺体をどのように扱ったかによってでさらなる憎悪が生じるとも限らない。イスラム、キリスト教国、中国、韓国では土葬である。土葬は最も一般的であり、死者の国が地下にあるという観念と結びついている。インドでは土葬、火葬、水葬、風葬などの四葬が古くから行われたが、火葬は荼毘と称して、仏教徒によって、仏教文化とともに周辺に広まった。日本も基本的には土葬であったが、戦後、土地の事情などから火葬となっている。ヨーロッパでも火葬が普及している。要するに土葬にしたいものの場所と経費がかかるので、各国とも火葬にするのが一般的である。ただし特別な政治的な要人は別格で、毛沢東、レーニン、金日成、ホーチミンらは土葬されている。1970年代から1990年代にかけて中華圏で活躍した永遠なるアジアの歌姫テレサ・テンが42歳の若さで急死した。あまりの突然の悲しみに世間はおどろき、準国葬の葬儀をしたたけでなく、なんと永遠の姿を残そうとエンバーミングなどの処理が施され、土葬扱いとなった。台湾では、蒋介石、蒋経国、テレサテンの3人だけである。

2017年1月18日 (水)

厄神詣で

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多井畑厄神(神戸市須磨区)毎年1月18日から1月20日まで行われる厄除け祭には多くの参拝者で賑わう

    男42歳、女33歳の大厄を初め、その他の厄年にあたった人が、厄難をまぬかれるために厄払いをする。厄払いにもいろいろ方法がある。家を出て身につけたものをわざと途中で落とし、顧みず、乞食などに拾わせる。褌を落としてくるふぐりおとし。年の数だけの銭を包む厄払いの包み銭など。厄神参り、厄神詣でと呼ばれるものもある。

   「やあらめでたや、こなたの御寿命申さば、鶴は千年、亀は万年、浦島太郎が八千歳、東方朔が九千歳、三浦の大介百六つ。かかるめでたき折柄に、いかなる悪魔が来るとも、西の海へさらり」などという。

2017年1月 7日 (土)

泉隆寺の七草がゆ法要

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    きょうは七草粥。春の七草を刻んで食べる。万病を除くおまじないであるが、おせち料理で疲れた胃を休める効能もある。泉隆寺(神戸市中央区)は古来から水はけが良く、良質の大根を産出してきたらしい。醍醐天皇のときにこの地で栽培した若菜(七草のすずしろ=大根)を宮中へ献上したのが由来となって、毎年1月7日に若菜をそえて、食する習わしが始まった。別名「若菜寺」と呼ばれる泉隆寺では、いまでも七草がゆ法要が行われている。

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