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2020年1月18日 (土)

厄神詣で

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多井畑厄神(神戸市須磨区)毎年1月18日から1月20日まで行われる厄除け祭には多くの参拝者で賑わう

    男42歳、女33歳の大厄を初め、その他の厄年にあたった人が、厄難をまぬかれるために厄払いをする。厄払いにもいろいろ方法がある。家を出て身につけたものをわざと途中で落とし、顧みず、乞食などに拾わせる。褌を落としてくるふぐりおとし。年の数だけの銭を包む厄払いの包み銭など。厄神参り、厄神詣でと呼ばれるものもある。

   「やあらめでたや、こなたの御寿命申さば、鶴は千年、亀は万年、浦島太郎が八千歳、東方朔が九千歳、三浦の大介百六つ。かかるめでたき折柄に、いかなる悪魔が来るとも、西の海へさらり」などという。

2020年1月 7日 (火)

七草がゆ

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    きょうは七草粥。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、すずな、すずしろ、春の七草を刻んで食べる。万病を除くおまじないであるが、おせち料理で疲れた胃を休める効能もある。泉隆寺(神戸市中央区)は古来から水はけが良く、良質の大根を産出してきたらしい。起源は中国で、毎年1月7日に7種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、これが平安時代中期頃に日本に伝わり七草がゆが生まれた。醍醐天皇のときにこの地で栽培した若菜(七草のすずしろ=大根)を宮中へ献上したのが由来となって、若菜をそえて、食する習わしが広まった。別名「若菜寺」と呼ばれる泉隆寺では、いまでも七草がゆ法要が行われている。

2020年1月 1日 (水)

年賀状の由来

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   郵便も やや遠のきし 六日かな (蘭聚)

 正月の楽しみは年賀状だろう。江戸時代には武家も町人も、年始回りで、新年の挨拶をした。江戸城には元日早朝から、将軍家に挨拶する人たちがぞくぞくと集まってきた。町人も得意先や近所に年始回り。職人は親方のところへ、子供も寺子屋のお師匠さんに挨拶に行った。ただ、年始回りに行ったが、先生も年始回りに行って留守だった、とか、あまりに年始客が多すぎていちいち顔を出していられない、という場合もあった。そういうときは、玄関に置いてある帳面に名前を書いて帰った。それでも、先生の家が遠方だったりして、どうしても回りきれないところが出てくる。そのため、松の内が終わってから、年賀状を書いて飛脚に託したり、お使いの人に持って行かせたりした。

   明治になっても、年始回りの習慣は続いた。ただ、社会的にも個人的にも人々の交際範囲は広がり、松の内の年始回りでは追いつかなくなった。いきおい、年賀状ですませるのだが、その時期に日本にも普及しだした郵便制度である。明治6年、郵便葉書の発行により、はがきで年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。もちろん、このころは年が明けてから書いた。ところが、知恵者がいて、正月に配達する年賀状を暮れのうちから受けつけたらどうだろう、と思いついた。明治32年、年賀郵便特別取扱制度ができた。明治38年には全国どこの郵便局でも前年のうちに年賀状を受け付けることになった。(1月1日)

2019年12月31日 (火)

年越しそばの由来

    大晦日の夜を年越しともいい、除夜ともいう。現代のわれわれは「NHK紅白歌合戦」を見て、「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞くことを年越しと思うかもしれないが、これは比較的に新しい習慣であって、日本では大昔から、一日というのは日が暮れてから、次の日が暮れるまでであった。一日の境は真夜中の12時ではなく、日暮であった。だから大晦日の夜に、年棚に灯をつけ、神饌を供えて、家内そろってつく膳は、年を迎える祝いの膳であった。この夜にきまった食べものを摂ることになっていたのは、そのためである。土地によっては、新年最初の食事として、大晦日の夜に晴れの膳を家族にすえる所もあるが、これは年越しの古風である。

    年越しそば、みそかそばを食べる風習は、だいたい江戸時代に定着したものであるが、必ずしも全国的なものではない。地方によって食べ物は異なり、ある地方では田楽を食べる風習があった。豆腐と蒟蒻を焼いて味噌をつけたものである。

    年越しそばの由来については、①そばのように長く幸福にという縁起説、②金箔師が仕事場に散らばった金銀の粉を集めるのにそば粉をこねた塊をもちいたことから、金銀をかき集めるという説、③大晦日の深夜まで借金の取立てのため、夜明けまで集金して歩く町場の掛取りの慰労のため、など諸説ある。

 

 

大晦日の祖先祭祀の風習について

  ゆく年くる年。新しい年は、平和で明るい社会であることを願いたい。青森県三戸郡五戸町では今でも年の暮れから正月にかけてミタマノママと呼ばれる風習が残っていると聞く。白餅と赤餅とを菱に切って神棚に供える。盛岡では卵のように飯を握って年の内に供え、後で苞に入れて乾かしておく。山形県最上郡安楽城村では米飯を擬宝珠形に握るのを本式とする。ミタマノママとは「御魂の飯」(みたまめし)と書き、「みたま」を御先祖様と解し、大晦日の夜の先祖祭への供物である。オミタマサマ、ミタマメシ、ミタマ、ニダマなどともいう。

     かつて日本には一年に盆(7月)と正月(12月)、先祖祭の日があった。「徒然草」第19段に「亡き人の来る夜として魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東の方にはなほすことにてありしこそあはれなりしか」とある。つまり兼好の時代には京都ではもう12月には祖先祭祀の風習はなくなっていたが、関東には昔の風習が残っていたようだ。お盆が仏教による魂祭りであったのに対し、大晦日の祭りは仏教的な色彩がうすれて、地方において神祭的なものになっていったのはなぜだろうか。(参考:田中久夫「みたまのめし」史泉第50号 昭和50年) 12月31日

除夜の鐘の由来

大晦日定めなき世の定めかな(西鶴)

 

ともかくもあなたまかせの年の暮れ(一茶)

 

高窓に星吹き寄せぬ除夜の鐘(花野女)

 

 大晦日を「除日(じょじつ)」ともいう。旧年を除く日ということである。除日の夜が除夜だ。除夜の鐘を108つくのは、中国の仏教儀式で、宋時代から始まったという。ただつけばよいというわけではなく、交互に、強く54点、弱く54点、そして107点までは旧年に、最後の一点を新年につく。

   108の数は、1年12ヵ月と、立春などの24節気、それを三分した72候、の合計だというが、後に108の煩悩を一つずつ消すためといわれるようになった。108の煩悩とは、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)と六塵(色、声、香、味、触、法)におのおの好、悪、平があるので、計36程の煩悩が生じ、それが過去、現在、未来あるので108となる。

    古くは1日が夜からはじまって朝につづくと考えられていたので、祭は多く前夜から行われた。年越しの祭も前夜からはじまるとし、大晦日の夜を「おおとし」「としのよ」といい、年神(歳神)を迎るために厳重な物忌をし、夜通し起き明かすのが古風な作法であった。今でも除夜の鐘を聞くまで床に入らなかったり、早く寝ると白髪になるとか、しわがよるとかいい、また寝るというのを忌んで、「寝る」ことを「稲を積む」という地方もある。また年ごもりといって、この夜は神社に参籠(さんろう)して夜を明かすところがあったが、現代では一般にそれを簡略して夜中に参るか元旦未明に参るようになった。また「歳籠り」といって氏神の社にこもって夜を明かす風習もあり、京都祇園社の「おけら祭」などのように、古い社では除夜に、新しく火を鑽り出し、氏子に配る行事がある。農家などでは、大歳の晩から元旦にかけて、いろりの火を絶やさぬようにするところも多い。この際、火種にする薪を「ようぎほだ」「せちほだ」などと呼び重要視した。そのほかいろりや氏神の境内で大火をたくところもあり、兵庫県では「年越しとんど」といって、古い注連縄などの神飾りの不用なものを焼くところもあった。

2019年12月17日 (火)

歳の市

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買物の好きな女に師走来る(星野立子)

    師走の半ばころになると各地で行われる市。大きな神社や寺院の門前で開かれる。歳の市では、正月飾りや注連縄、神仏具などをはじめ、羽子板、破魔弓、手毬など正月に使うものばかりでなく、日用品・衣類・食料品なども売られる。男児が生れた家には破魔弓、女児が生れた家には羽子板を贈る習慣がある。

2019年12月 7日 (土)

「人生七十古来稀なり」 年齢の異称

 政府は成人年齢を20歳から18歳に引き下げることを2022年の施行を目指して検討している。結婚年齢を男女ともに18歳に統一するが、飲酒・喫煙などは20歳未満禁止を維持するらしい。

   三木露風の「赤蜻蛉」の三番目の歌詞。「十五でねえやはよめにいき おさとのたよりもたえはてた」戦前の婚姻適齢は男子17歳、女子15歳だった。だが実際には守られていなかったらしい。大正11年の国勢調査によると、東京市には9歳の男子と7歳の女子が結婚している例がある。これほどでなくても、10歳から15歳までで配偶者のある者は、男44人、女145人もあったという。

    戦後、わが国の民法において男子が18歳以上、女子が16歳以上にさだめられたのは、当時のアメリカの各州の婚姻適齢がこのケースが多かったため倣ったとされている。世界各国の婚姻適齢を調べると、だいたい男女を問わず、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女問わず結婚相手が18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものである。どうやら女子16歳を婚姻適齢の開始とする国が多いようである。だが、人口問題をかかえる現代中国では男子22歳、女子20歳と婚姻適齢を各国に比べ遅らせている。ただし、古くから中国では女子16歳のことを「破瓜(はか)」といい、詩文などで使われることがあった。「瓜」は二つの「八」字に分けられ、二八の16歳。転じて8の2乗で男子64歳をいうこともある。また女子の処女膜が性交によって破られることを意味する。この意味での使用が多いという。

   年齢には面白い異名がつけられている。今はふつう満年齢で数えるが、この場合はむかしの風習で数え年が用いられる。15歳は「志学」、30歳は「而立」、40歳は「不惑」、50歳を「知命」、60歳は「耳順(じじゅん)」、61歳は「還暦」。これから先は賀寿名。66歳は「緑寿(ろくじゅ)」、70歳は「古稀」、77歳は「喜寿」、80歳は「傘寿」、81歳は「半寿(はんじゅ)」「盤寿(ばんじゅ)」、88歳は「米寿」、90歳は「卒寿」、99歳は「白寿」、100歳は「期(き)」または「上寿(じょうじゅ)」紀寿(きじゅ)」という。108歳は「茶寿」、111歳は「皇寿(こうじゅ)」「川寿(せんじゅ)」、119歳は「頑寿(がんじゅ)」。120歳は「昔寿(せきじゅ)」「珍寿(ちんじゅ)」という。これほどの長寿は珍しいということから。大還暦(だいかんれき)還暦が2回迎えられたことから。長寿世界一だった泉重千代さんに向けて作られたという。特に年齢は決まっていないが、「長寿の祝い」として「頌寿(しょうじゅ)」がある。(参考;中野展子「年齢の話題事典」)

2019年10月31日 (木)

ハロウィンがやってくる

  仮装やコスプレをして、パーティを開いて楽しむ人たちが増えて近年盛んになってきたけどハロウィンっていったい何?もとはアングロ・サクソン系の祭日。10月31日すなわちキリスト教の万聖節の前日をいう。古くはヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝の祭日「サウィン祭」で、ケルト暦の大みそかにあたり、ケルト伝説によればこの夜、悪霊たちが迫りくる長い冬を避けて遠くに飛び去り、魔術師たちが戸外を駆け巡って来年の予想を声高に叫び歩いたという。現在でもこれらの習慣が残されており、仮面をかぶって広場で踊り、子供たちがカボチャをくりぬいたランプを提げて行脚を行う。「ジャック・オ・ランタン」という。本来はカブのランタンをともしながら暗い道を歩き続けたというアイルランドの伝説に由来される。

  ハロウィンが日本で知られるようになったのは1970年代になってのこと。でもレイ・ブラッドベリの小説「ハロウィーンがやってきた」(1975年)や映画「キャスパー」(1995年)などハロウィーンを題材とした作品はわずかである。東京ディズニーランドでイベントが催されたり、お菓子メーカーが作られて、次第に日本人にも90年代末頃から浸透してきました。さて、ここでハロウィンに関する三択クイズです。ハロウィンといえばカボチャですが、そのほかにも世界中で食べられるお菓子があります。それは何んでしょうか?

A.クッキー

B.チョコレート

C.ケーキ

  ↓
  ↓
  ↓

答え A

 

 

 

 

 

 

2019年7月27日 (土)

土用の丑の日

土用うし 夫婦二人で鰻一尾

   今日は「土用の丑の日」。全国的にウナギを食べる日とされているけど、なぜこの日に鰻を食べるのか、その由来を調べることは雑学研究の基本といえる。 そもそも天然ものの鰻は初冬が旬である。そして土用といえば、夏のことと思われがちだが、実は年に4回ある。もともとは古代中国の五行説からきたもので、宇宙は木火土金水の五元素から成ると考えられていた。そして、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前の18日もしくは19日間を土用といった。つまり季節の変わり目で、土の働きが旺盛になる期間と考えたのであろう。しかし、今日では俳句の季語でも夏であるように、土用といえば夏の土用を指すのが一般的である。今年の土用の丑の日は7月27日に当たる。

    ところで、土用にウナギを食べる習慣は、奈良時代からある。『万葉集』の中で大伴家持が吉田石麿という老人がいくら飯を食べてもやせているのを見て、夏やせにウナギがいいよ、とからかっている歌がある。

石麻呂に吾れもの申す。夏痩せによしといふものぞ むなぎとり召せ   (いつも痩せている石麻呂君よ、夏痩せに良いという鰻でも食べたらどうかね)

   だが江戸時代、夏場に鰻が売れずに困っていた。ある鰻屋が蘭学者の平賀源内に相談し、源内は、さきの大伴家持の歌を思い出し、土用の丑の日にウナギを食えば夏痩せを防ぐことができるという意味から「今日は丑の日」という看板を書いて与えたところ、たちまち広く言い伝えられウナギ屋は大繁昌した。そこで、江戸中のウナギ屋も「今日は丑の日」の看板を掲げたという。こうして「土用の丑の日には鰻」という風習が定着していったといわれる。   地方によっては、丑の日にちなんで、ウのつく食物をとると暑気にあてられないといい、うどん、うり、牛肉などを食べるところもある。

 

 

 

 

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