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2020年11月20日 (金)

「赤壁の戦い」はどこまでが史実か

    208年のこの日、曹操軍が揚子江の赤壁で孫権・劉備の連合軍に敗れた。赤壁の戦いは中国戦史上、最も有名な戦役のひとつである。この戦役の結果、魏、蜀、呉の国が天下を三分して鼎立するようになった。208年秋、20万の大軍を率いて曹操は南征した。これに対して孫権と劉備は同盟を結んで曹操と対決することにし、周瑜を総司令官に任命した。周瑜は、3万の水軍を率いて赤壁で、曹操の水軍に火攻めをかけ、一戦にして打ち破った。この有名な三国志の物語をアジアの人気俳優が競演するというジョン・ウー監督の映画「レッド・クリフ」が話題となった。魏の船団は、船と船を鉄のくさりで連結しているので、降伏を装って呉将黄蓋軍が火船を衝突させるという火計を企てる。ところが、真冬のため、東の風が吹かない。諸葛孔明は高台を築き風を祭って、東風をよび、火は風にあおられて曹操軍は敗走する。後世、この崖が火で赤くそまったため、赤壁という名がつけられたという。だがこういった話はほとんど後世のつくり話で、史実は映画のようなものではないらしい。曹操の陣営に疫病がはやったため、自ら軍船を焼いて北へ引き上げたという。その理由として①赤壁の戦いのあと、周瑜の地位は上がらず、加封もされていない②孔明の「後出師の表」の中で、過去に曹操が喫した敗戦を数々上げているが、その中に赤壁の戦いが出てこない③「資治通鑑」には「赤壁の戦いの1年後に、曹操が周瑜に投降するように認めさせた」との記載がある、などの理由から曹操は赤壁の戦いで敗れたのではないと考えられる。華蓉道で敗走した曹操を関羽が情けをかけて見逃したという話も創作であろう。(11月20日)

2020年11月19日 (木)

ゲティスバーグ演説

Thegettysburgaddress

  1863年7月3日、アメリカ独立戦争の転換点となったゲティスバーグの戦いは北軍の勝利で終結した。戦場に横たわる戦死者の数は、南軍北軍合わせて数千人にのぼった。11月19日、ペンシルヴェニア州南部のゲティスバーグで行われた国立戦没者墓地奉献の式典でリンカン大統領は「人民の、人民による、人民のための政治を地上から消滅させてはならない」と演説した。しかしこのとき、ほとんどの聴衆は疲れて演説を聴いていなかった。そして実はこの句はリンカンのオリジナルではなく、イギリスの宗教改革者ジョン・ウィクリフ(1320-1384)が1384年に出版した旧約聖書の序文に書いたものである。それもウィクリフの言葉を直接引用したものではなく、ユニテリアン派の牧師セオドア・パーカー(1810-1860)の著書からの孫引きだった。(Abraham Lincoln,Gettysburg,Theodore Paker)

2020年11月17日 (火)

女王エリザベス1世の誕生

Elizabeth01  1585年のこの日、イングランド女王エリザベスが即位した。   

  男子の世継ぎを望む英王ヘンリー8世(1491-1547)は、最初の妻アラゴンのキャサリンには成人できる子供を産むことができないと確信し、数年前から離婚を切望していた。6歳年上のキャサリンは、6人の子供を産んだが、生きて残っているのは娘メアリーただ1人だけであった。ヘンリー8世は、子供が死んだのは、正しくない結婚を神が罰しているためと考えた。ふつうならば、教皇クレメンス7世は離婚したいヘンリー8世の望みを聞き入れたであろう。ローマ教皇はこのような場合、一般にものわかりがよく、国家の問題がからんでいればなおさらのことだった。ところが、キャサリンは神聖ローマ帝国皇帝カール5世の叔母であり、この皇帝は家族の忠誠という感情とはまったく別に、きわめて道徳堅固な人物であって、離婚など我慢がならなかった。皇帝が教皇に加えることのできる制裁は、王が及ぼしうる圧力などとは比較にならないほど強大であった。

   しかしともかく、ヘンリー8世は1532年、侍女のアン・ブリーン(アン・ブリン、アン・ボレーン、1507-1536)を見初め二人は恋におち、アン・ブリーンは妊娠した。1533年1月25日に内密に結婚して、息子が正統の子であり、承認された王位継承者となることを保証した。しかし、ヘンリーとキャサリンの離婚の問題はなお未解決のままであった。ローマから離婚の承認を取りつける望みはなく、したがってカンタベリー大主教の手でかたをつける以外になかった。運良く、そのとき大主教のポストが空席になっていた。ウォーラム大主教は前年に死んだばかりであった。王は、聡明な若いケンブリッジの神学者トマス・クランマーを大主教に任命した。王室の主祭をしていた彼は、以前から離婚に対する支持を表明していたのである。3月30日、新任の大主教は正式に受任された。彼は通常教皇に対して行なう服従の宣誓をしたが、神の法、そしてイギリスの王、王国、法、およびその国王大権に反するいかなるものにも縛られないことを公式に宣言して、ヘンリー8世の離婚のための道を開いた。この上訴法は、イギリス大主教を、ローマとは関係なく、英国国教会法の最高の権威と認めるものである。聖職受任後ただちに、クランマーは議長としてヘンリー8世とキャサリンの結婚が神の法に反するものであることを決定し、5月10日、ダンスタブルで法廷を開いた。キャサリンは教皇の法廷に出されている問題を審理する権限をクランマーに認めず、出廷しなかった。5月23日、大主教は判決を下し、教皇はヘンリー8世の場合のような結婚に承認を与える権限をもたず、王とキャサリンはこれまで夫婦であったことはないと宣言した。5日後、クランマーはヘンリーとアン・ブリーンが合法的に結婚したと宣言し、6月1日、アンはウェストミンスター・アビーで王妃の座についた。7月11日、遅ればせながら教会の権威を守るため、ローマ教皇は破門の宣告文を作成し、9月にこれを送付した。その結果、ヘンリー8世はローマとのつながりをすべて断ち切ったのであり、イギリスの宗教改革は進展していった。

   この問題では王の個人的な欲求が、たまたま国民の熱望と一致した。彼らは民族主義と教会に対する幻滅の波のなかで、なんとかローマの影響から逃れたいと強く望んでいた。しかし、そのほかの問題については、このような一致は見られなかった。キャサリンの屈辱に民衆は深く憤り、ヨーロッパは衝撃を受け、教皇と皇帝は辱められた。9月7日の日曜日の午後、アン王妃は女子を産んだ。次の水曜日、この子はエリザベスと名づけられた。エリザベス(1533-1603)はのちに、イギリスで最も偉大な君主となった。アン王妃は1536年、姦通罪の汚名を受け斬首された。(ElizabethⅠ,Anne Boleyn,11月17日)

2020年11月16日 (月)

なぜ共和党が赤、民主党が青なのか?

Franklindroosevelt 2020年米大統領選挙、共和党トランプと民主党バイデンの戦いは激戦であった。むしろ悪名高いトランプが予想に反して7300万票を獲得し善戦したともいえる。なぜ地方の田舎州にトランプ支持者が多いのか?それは彼が、地方の産業を振興し、人々の生活を改善したからという理由があげられる。ところで民主党と共和党との違いは? 共和党の基礎は南北戦争時のリンカーンが確立し、政権を獲得するに至った。共和党は長らく保護関税等の伝統的な資本擁護策をもって大衆は繁栄に魅せられて共和党を支持していた。しかし1929年大恐慌の到来とともにこの繁栄の夢はくずれ、共和党は野に下らざるをえなかった。民主党フランクリン・ルーズヴェルトはニューディール政策によって大衆を受益者化することに成功し、共和党は長らく政権から遠ざかった。1952年、共和党はアイゼンハワー人気で勝利したが、1960年、民主党は若きケネディが出現した。1969年のニクソン以降の共和党の大統領はフォード、レーガン、ブッシュ、ジョージ・ブッシュ、トランプの5人。民主党の大統領はカーター、クリントン、オバマ、そしてバイデンを加えて4人となった。だいたい共和党は高額所得者、保守の政党というイメージがあるといってよい。

  なぜ共和党が赤で民衆党は青なのか?いつ頃から両党のイメージカラーが定着したのか、古い慣例ではなく、比較的新しいものである。2000年大統領選挙の際に、報道番組において共和党ブッシュが勝利した州を赤、民主党ゴアが勝利した州を青に色分けて表示していたため、その後もこの色の割り当てが定着したといわれる。共和党(Repubticans)はRから始まり、赤(Red)もRから始まるためともいわれる。 

このほか共和党はゾウ、民主党はロバというシンボルマークがある。起源は古く、19世紀後半のトーマス・ナイトの風刺漫画といわれる。

 

2020年11月10日 (火)

アフリカにさかえた古代王国

 アフリカには古代からさまざまな王国があり、独自の文明が発達していた。しかし、過去の歴史を記録した資料が少なく、正確な歴史を知ることがなかなか困難である。ナイル川流域に発達したエジプト王国は巨大なピラミッドを建設し、文明が発達したことが古くから知られているが、北部のナイル川の上流域にはクシュ王国(前10~後4世紀)が、南西部のコンゴ川流域にはコンゴ王国(14~19世紀)が、西部のニジェール川流域にはソンガイ王国(15~16世紀)がさかえるなど、いずれも大河を中心にさかえ、金や象牙などの交易が行われていた。しかし16世紀から18世紀の時期に、ヨーロッパ諸国の奴隷商人たちがアフリカのベニン湾の沿岸地帯や、内陸から連れて、ヨーロッパやアメリカ大陸へ送り出す奴隷貿易を行った。一説によれば5000万人以上のアフリカ人が奴隷貿易の犠牲者となった。これによってコンゴ王国やアンゴラ王国、モノモタバ王国など労働力を損出したのみならず、社会構造そのものを破壊されるという大きな痛手をこうむった。近年の歴史研究によって次第に明らかになってきているが、17世紀のンドンゴ王国のンジンガ女王はポルトガルに抵抗して独立を獲得したとして民族的英雄として称えられている。しかし1870年代以降におこる西欧諸国の帝国主義によってアフリカは分割され、植民地化された。

2020年11月 5日 (木)

ツタンカーメンの呪い

Photo    古代エジプト第18王朝の王ツタンカーメンの墓は1922年のこの日、盗掘を免れて完全な状態で発見された。ところが発見者の1人カーナボン卿が翌年に毒虫に刺されて死んだ。と、思うと、つぎつぎに発掘に関係した人々が変死を遂げた。それは「ファラオの呪い」のためであり、ツタンカーメン王の墓には、「ファラオの休息を乱した者には、たちまち死が襲うだろう」という呪いの銘文が刻まれている。ファラオとは「ペル・アア」(大いなる家)という古代エジプト語のギリシア語形で、もともと王ではなく、王宮を指すのに使われていた。「大いなる家」は神殿領や貴族の所領のような小さなペウル(家)の課税を行うことになっていた。新王国時代以降、この用語は王自身を指すのにしばしば使われるようになった。(11月5日、Tut-ankh-Amen,pharaoh)

2020年10月31日 (土)

最後の皇帝(ラスト・エンペラー)

7720tokugawayosinobu   君主の最後は1つの時代の終わりと新しい時代のはじまりを告げる役割を担う。徳川慶喜が江戸幕府最後の将軍として有名である。鎌倉幕府最後の執権は赤橋守門(1333年)、室町幕府最後の将軍は足利義昭(1573年)である。

    西洋史では、前330年、ダリウス3世は逃走中にバクトリア総督ベッソスに殺害されアケメネス朝ペルシアは滅んだ。古代エジプト最後の王はプトレマイオス15世(前30年)。パルティア最後の王アルダバヌス4世(224年)。ローマの将軍カエサルとクレオパトラの子でカエサリオンともいう。フラウィウス・エウゲニウスはローマ帝国最後の皇帝で(394年)、翌年から帝国は東西に分裂した。西ローマ最後の皇帝はロムルス・アウグストゥルス。475年10月31日に即位するが、翌年オドアケルによって退位させられる。ササン朝ペルシアのヤズデギルド3世は641年ネハーヴェントの戦いでイスラム軍に敗れて滅亡(651年)。ガズナ朝ホスロー・マリク(1186年)。インドネシアのシンガサリ王国の最後の王はクルタナガラ(1292年)。元朝最後の皇帝順帝とゴン・テムル(1370年)。シュリヴィジャヤ王国の最後はパラメスワラ(1414年)。東ローマ帝国コンスタンチヌス11世(1453年)。ティムール帝国ムザッファル・フサイン(1507年)。インカ帝国の最後の皇帝アタワルパは処刑される(1533年)。ムガール帝国最後の王バハードゥル・シャー2世(1858年)。琉球王国最後の王・尚泰王(1879年)。清朝最後の皇帝・宣統帝溥儀(1912年)。ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世(1917年)。最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(1918年)。イタリア国王ウンベルト2世(1946年)。ルーマニア国王ミハイ1世(1947年)。ギリシャ王国コンスタンティノス2世(1947年)。オスマン・トルコ帝国最後の皇帝メフメト6世(1922年)、ベトナム阮朝の皇帝はパオ・タイ(1945年)。エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ(1975年)。パフレヴィー朝ムハマンド・レザー国王(1979年)。

2020年10月30日 (金)

産業革命と社会問題

  18世紀のイギリスでは、毛織物工業を中心とする工場手工業が発達し、鉄鉱石と石炭が国内で豊富に産出した。また、海外に広い植民地をもっていたため、原料の供給地と製品の市場があり、豊かな資本をたくわえていて、産業革命がおこる基礎があった。やがてジョン・ケイの飛び杼を初めとして、ハーグリーブスのジェニー紡績機、アークライトの水力紡績機、クロンプトンのミュール紡績機などの木綿工業で織布・紡績の機械の発明・改良がなされた。またニューコメンやワットなどの蒸気機関の動力発明が相ついで、技術的な革新が起こり、18世紀後半には、工場制、機械制大工場の工業化への道を開いた。産業革命は近代国家発展への幕開けとなった。しかし。一方で大都市環境を悪化させるという負の面もあったことを看過してはならない。

  産業革命以前のヨーロッパ社会は、伝染病とくにペストの侵入によって大きな影響を受けた。14世紀半ばの黒死病の流行は、ヨーロッパの4分の1の人口を減少させた。これは荘園制度の崩壊と農奴制度の没落を来し、イギリスでは急激な人口減少が農地の維持を困難にしたため、広大な牧野と羊の飼育が行なわれるようになったことは、産業革命を促す引き金にもなったといわれる。しかしペストの流行も、1665年のロンドン大流行を最後に局地的な小流行を残すだけになった。産業革命のあとは、コレラ、腸チフスのような急性伝染病の流行や結核による急激な死亡の増加といった現象を生むに至った。

    とくに結核菌は、空気感染する疾病のため風が吹かない閉鎖空間で感染する疾患である。このため人口が集中し室内で社会活動が行なわれる大都市環境を好んで結核感染が起こりうる。イギリスでは工業化の進展によって、19世紀初頭にはマンチェスター、リバプール、バーミンガム、リーズ、グラスゴー、エジンバラなどの工業都市が出現し、都市環境が大きく変化したことにより、結核は「白いペスト」と呼ばれて大流行した。1830年ころのロンドンでは5人に1人が結核で亡くなったといわれる。当時の労働者は賃金が低く抑えられていたうえに、1日の労働時間が、14~15時間が普通であった。また急激な都市への人口集中によってスラムが形成され、人びとは生活排水をテムズ川などの河川に投棄し、その川の水を濾過して飲料水とするなど、生活環境も劣悪であった。過労と栄養不足が重なり、抵抗力が弱まったことから結核菌が増殖し、非衛生な都市環境がそれに拍車をかけたものと考える。

    産業革命後のイギリスの経済的発展のかげに、労働者階級の急激な結核死亡の増加は重要な社会問題となったが、この頃、今日の公衆衛生学的な考えの父ともいうべきエドウィン・チャドウィック(1800-1890)が現われた。彼は「最大多数の最大幸福」という哲学原理で当時有名であったベンサムの弟子で弁護士であった。1832年に救貧法制定委員会が設立され、チャドウィックはやがてその委員長になった。イギリスでは19世紀後半から、生活水準の向上に伴って結核の死亡は漸次低下の傾向を示していった。(世界史)参考図書:アーノルド・トインビー「英国産業革新論」 大日本文明協会 1908

 

 

 

 

戦争の世界全史

300px131_bataille_de_malazgirt  現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れた際の17分に及ぶスピーチは人類と戦争の歴史から語られ始められた。「どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭、衰退しました。人々は支配され、解放されました。それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。広島と長崎で残忍な終わりをみた世界戦争は、裕福で力のある国によって戦われました」今も米イラン間の対立が激化し、戦争の危機が高まっている。数千年以上の太古の昔から今日まで、人類の歴史は戦争の繰り返しの歴史といえる。戦争は何故起こるのか。最近の考古学的知見によると、世界のどこでも旧石器時代の男子の死者のおよそ15%は殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴であり、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このような激しい戦いはみとめられない。人類が道具を使うことにより、武器による先制攻撃が優位となること、確実に勝てるという合理的行動が戦闘をひきおこすのである。こうして戦争はいつの時代も絶えることなく繰り返される。ヒストリーチャンネル「MANKIND人間史」によると有史以来人類は1万4500回もの戦争を繰り返してきたとある。戦争の原因も民族・宗教にイデオロギーが加わって、世界各地でテロが発生した。集団的自衛権を容認する安保法制が成立し、日本も紛争にまきこまれるようになった。2016年7月、ダッカでISに日本人7人が殺害された。

前25世紀、ラガシュの王エアンナトゥムがウンマの軍を破る

前23世紀、古代バビロニア、アッカド王国のサルゴン王は「戦いの王」といわれ、オリエント各地を遠征・征服を繰り返す

前1674年、ヒクソスのエジプト侵入(前1674~前1567)

前1620年、ヒッタイト・フルリ戦争(前1620~前1325)

前1457年、エジプト王国のトトメス3世はメギドの戦でカデシュ王率いるカナン連合軍(カデシュ、メギド、ミタンニ)を破る

前1350年、ヒッタイト王シュピルリウマ1世がミタンニ王トゥシュラクを滅ぼす

前1274年、エジプト王国のラムセス2世はカデシュの戦でヒッタイト王ムワタリに敗れる

前1200年、トロヤ戦争起こる。アカイア人の遠征軍と小アジアのトロイアの戦い

前1070年、殷の紂王は牧野の戦で、周の武王に敗れ、700年に及ぶ殷王朝は滅び、周王朝が成立する

前736年、スパルタがメッセニアを破る(メッセニア戦争)

前632年、晋の文公が城濮の戦で楚の成王を破る

前609年、ユダ王国のヨシヤがメギドの戦でエジプトのネコ2世に敗れる

前605年、ネコ2世はカルケミッシュの戦で新バビロニアのネブカドネザルに敗れる

前591年、プサメティク2世、クシュ王国に侵攻

前575年、晋が鄢陵の戦で楚を破る

前540年、エトルリア・カルタゴ連合軍がサルディニア島のアラリア沖で、ギリシャ軍と海戦し勝利する。

前484年、呉王夫差が艾陵の戦で斉を破る

前490年、ダリウス1世 マラトンの戦でミルティアデス率いるギリシア軍に敗れる

前480年、ギリシアのスパルタ王レオニダスはテルモピュライの戦でペルシア軍を迎え撃ち、その南下を防いたが部隊は全滅する

前480年、ギリシアのテミストクレスはサラミスの海戦でペルシアの大軍を破り、クセルクセス1世は退却する

前432年~前430年、アテネがポティダイアの戦でコリントスとペロポネソス同盟諸国に勝利した

前406年、アテネがアルギスサイの戦でスパルタに勝利した

前405年、スパルタがアイゴスポタモイの海戦でアテネに勝利した

前404年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終わる

前394年、アテネ人コノン指揮のペルシア軍はクニドスの海戦でスパルタ(ラケダイモーン)を破る

前390年、ローマ軍クイントゥス・スルピキウスが初めてイタリアに侵入したブレンヌス率いるガリア人セノネス族とアッリアの戦で敗れる

前371年、スパルタを中心とするペロポネソス同盟軍がレウクトラの戦でテーバイを中心とするボィオティア同盟軍に敗れる

前362年、アテネ・スパルタ連合軍がマンティネイアの戦でテーベのエパミノンダスの軍に敗れる

前343年、秦は馬陵の戦で斉の孫臏の策により大敗する。

前338年、ギリシャがカイロネイアの戦でマケドニアのフィリッポス2世の軍に敗れる

前333年、ペルシア軍がイッソスの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前334年、ペルシア軍がグラニコス川の戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前331年、ペルシア軍がガウガメラの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前326年、アレクサンドロス3世はインドのパンジャブ地方まで侵攻したが、ピュダスぺス河畔の戦でパンジャブ地方の領主ポロス王に苦戦し、やむなく東方遠征をやめる。

前305年、シリア王セレウコス1世、マウリア朝チャンドラグプタに敗れる

前260年、秦の昭王が長平の戦で趙を破る

前241年、ローマ軍がアエガテスの海戦でカルタゴを破る

前220年、メディア総督モロンはアポロニアの戦でセレウコス朝のアンティオコス3世に敗れる

前216年、ローマ軍がカンネーの戦でカルタゴのハンニバルに敗れる

前202年、カルタゴのハンニバルがザマの戦でローマのスキピオに敗れる

前202年、項羽、垓下の戦で劉邦に敗れ自殺

前168年、ピュドナの戦い。共和政ローマ軍がマケドニア軍に圧勝し、第三次マケドニア戦争が終結。

前85年、ローマのスッラがオルコメノスの戦でポントス王ミトリダテス6世を破る

前52年、アレシアの戦いが終結し、ガリアがローマ帝国の版図に組み込まれる。

前48年 ポンペイウス、テッサリア平原のファルサルスの戦でカエサルに敗れる

前46年 タプススの戦い。カエサル軍が元老院派の軍を破る

前45年、ポンペイウス派の残党がムンダの戦でカエサルに敗れる

前42年、カエサルを暗殺したブルトゥス、カッシウスがフィリッピの戦でアントニウス、オクタウィアヌスに敗れる

前31年、アントニウス、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れる

前23年、劉秀、昆陽の戦で王莽を破り、漢室再興を果たす

後9年、ローマ帝国がトイトブルクの戦でゲルマンに大敗する

49年、ベトナムのチュン姉妹は後漢の侵略に抵抗し、処刑される

66年、ユダヤ民族のシモン・バル・ギオラが反乱を起こす。

70年、ローマ軍がエルサレムを破壊する。

73年、マサダ砦に籠城したユダヤ人967人が集団自決し、ユダヤ戦争(66-73)が終わる

191年、董卓と袁紹が虎牢関で衝突。董卓の部下呂布が盤下で董卓を殺す。

200年、曹操、官渡の戦で袁紹を破る。

208年、曹操が劉備・孫権連合軍に赤壁の戦でい敗れる。

211年、曹操が渭水の戦で馬超・韓遂らを破る。

215年、曹操が合肥の戦で孫権を破る。

219年、劉備軍の関羽が樊城の戦いで水攻めにされて殺される。

222年、劉備率いる蜀漢軍が夷陵の戦で呉の陸遜軍に敗れる。

234年、蜀諸葛亮が五丈原の戦で魏司馬懿と対戦したが、蜀漢による第五次北伐が失敗する。

260年、ローマ軍はエデッサの戦でササン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ、ウァレリアヌス皇帝は捕虜となる。

280年、晋軍、呉に侵攻。大勝して呉滅ぶ。石頭城の戦い。

312年、ローマ皇帝正帝マクセンティウスがローマ郊外のミルウィウス橋の戦(サクサ・ルブラの戦)で副帝コンスタンティヌス1世に敗れる

313年、東のローマ皇帝マクシミヌス・ダイアがツィラッルムの戦でリキニウスに敗れる

363年 ローマ皇帝ユリアヌスが、ササン朝の首都クテシフォンの城壁まで進撃するが、城を落せず撤退する

378年、ローマ皇帝ヴァレンスが、ハドリアノポリス(アドリアノーブル)の戦で西ゴート族に敗れ、戦死。

383年、前秦の符堅が淝水の戦で晋の謝石・謝玄に敗れる

451年、フン族の王アッティラがカタラウヌムの戦で西ローマ軍のアエティウスに敗れる

486年、クロヴィス率いるフランク族がソワソンの戦で西ローマを破る

627年、ササン朝ペルシアのコスロー2世はニネヴェの戦でへラクリウス率いる東ローマ軍に敗れる

642年 ヤズデギルド3世 ニハーヴァンド(ネハーヴァンド)の戦でアラブ軍に敗れる

663年、日本軍は白村江の戦で唐軍に敗れ、百済滅ぶ

687年、フランク王国のピピン2世がテルトリーの戦でネウストリアのベルナルらを破る

722年、ペラヨがコバドンガの戦でイスラム軍に勝利する。

732年、サラセン軍、ツール・ポワチエの戦でフランク王国カール・マルテルに敗れる

751年、唐の高仙芝、イスラム軍とタラス河畔に戦う。サラセン軍に捕らわれ、製紙法を伝う

756年、唐の玄宗は潼関の戦で安禄山に敗れる

811年、東ローマ皇帝ニケフォロス1世はブリスカの戦でブルガリア皇帝クルム・ハーンに敗れ、戦死した。

849年、ナポリ・アマルフィ・ガエータなどの艦隊がオスティア沖でイスラム艦隊を破る。

955年、ハンガリーのマジャール軍がレヒフェルトの戦で東フランク王国オットー1世に敗れる

1014年、第1次ブルガリア帝国がキンバロングーの戦(クレイディオン峠の戦)で、東ローマ帝国に敗れる。

1014年、ブライアン・ボル―軍とレンスターのアイルランド人とダブリンのヴァイキングの連合軍が、クロンターフの戦いで、ボル―軍が勝つが戦死する。

1016年、デンマーク王クヌートがアシンドンの戦いでイングランド王エドマンド2世を破る

1057年、スコットランド王マクベスはランファナンの戦でマルカム3世に敗れ死没する

1063年、イタリアの中世都市国家ピサがパレルモ沖の海戦でイスラーム艦隊に大勝する

1066年、イングランド王ハロルド2世がへースティングズの戦でノルマンディー公ウィリアム1世に敗れる

1071年、ロマノス4世ディオゲネス マンジケルトの戦でセルジューク朝に敗れる。

1099年、第1回十字軍のエルサレム攻囲戦が始まる。

1107年、高麗の尹瓘が女真を討ち9城を築くが(尹瓘九城の役)、翌年に撤退する。

1147年、レコンキスタで、ポルトガル王国アフォンソ1世がイスラムの勢力下からリスボンを奪回。

1148年、第2回十字軍、ダマスカス攻撃。もつとも成果の少ない十字軍だった。

1176年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がレニャーノの戦で北イタリア・ロンバルディア同盟軍に敗れる

1187年、ギード・リュジニャン率いるエルサレム王国の十字軍がヒッティーンの戦でアイユーブ朝のサラーフ・アッディーンに敗れる

1201年、チンギス・カンはコイテンの戦でジャムカを破る

1214年、仏王フィリップ2世が、ブーヴィーヌの戦で神聖ローマ帝国、英国連合軍に勝利する

1219年、モンゴル軍はホラズムに侵攻し、翌年にはサマルカンドを攻略する

1223年、モンゴル軍はカルカ川の会戦でロシア軍を破る

1235年、マリ王国のスンディアタがキリナの戦いでソソ王国のスマンゲルを破る

1241年、シュレージェン公ハインリヒ2世、リーグニッツ(ワールシュタット)の戦でバトゥが率いるモンゴル軍と戦い、大敗し、戦死。

1258年、モンゴル軍のフレグがバグダードの戦いでアッバース朝の首都を包囲する。

1260年、フィレンツェがモンタベルティの戦いでシエーナ軍に敗れる。

1260年、モンゴル軍のフレグはアイン・ジャールートの戦でマムルーク朝のバイバルスに敗れる。

1264年、イングランド王ヘンリー3世に対してレスター伯シモン・ド・モンフォールらが反乱。王党派の勝利に終わった。これを第2次バロン戦争という。

1265年、イーブシャムの戦い。

1266年、ホーエンシュタウフェン家がイタリアのベネヴェントの戦でカペー家と、敗れる。シチリアの支配が終わる

1268~1274年、モンゴル軍は襄樊の戦で南宋を滅ぼす。

1272年、最後の十字軍(第9回十字軍)終わる。

1274年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(文永の役)

1278年、モンゴル軍、ポーランド・ドイツ連合軍を破る

1278年、神聖ローマ帝国ルドルフ1世、マルヒフェルデの戦いでボヘミア王オットカルを破る

1279年、モンゴル軍、厓山の戦いで南宋を滅ぼす

1281年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(弘安の役)

1284年、ピサがメロリアの海戦でジェノバに大敗。

1288年、ドカン率いるモンゴル軍は白藤江の戦いで陳国峻率いるベトナム軍に敗れ、モンゴルのベトナム侵攻は失敗におわる。

1291年、イスラエル王国の首都アッコン滅亡する。(十字軍戦争終わる)

1294年、英仏戦争はじまる。

1298年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世はゲルハイムの戦で長子アドルフを殺す。

1301年、オスマン1世がビザンツ帝国軍をコユンヒサルの戦で破る。

1302年、フランス王フィリップ4世はクルトレー(コルトレイク、金拍車)の戦でフランドル市民軍に敗れる

1314年、エドワード2世率いるイングランド軍がバノックバーンの戦でロバート1世のスコットランド軍に敗れる

1315年、スイスがモルガルテンの戦でオーストリア軍を破り、現在に至る永久盟約を得る

1337年、英仏の百年戦争がおこる

1346年 フランス王フィリップ6世、クレシーの戦でエドワード3世に敗れる

1356年、フランス王ジャン2世はポアティエの戦でイギリス王エドワード黒太子に敗れる

1363年、明の朱元璋は鄱陽湖の戦で元の陳友諒を破る

1369~70年 エドワード3世、フランス王シャルル5世に敗れて獲得した領土の大部分を失う

1380年、タタール軍はクリコボの戦でモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイに敗れる。

1380年、ジェノバがキオッジャの海戦でヴェネツィアに完敗する。

1382年、百年戦争。ローゼンバーグの戦いでフランス軍がフランドル諸都市を破る。

1385年、ジョアン1世率いるポルトガル軍がアルジュバロータの戦いでカスティーリャ王ファン1世を破る。

1388年、ハプスブルク家アルブレヒト3世、ネーフェルトの戦いでスイス自由連邦に敗れる

1389年、オスマン帝国のムラト1世がコソボの戦でセルビアを破る

1396年、神聖ローマ皇帝・ハンガリー王ジギスムント率いるヨーロッパ諸国軍がニコポリスの戦でバヤズィト1世率いるオスマン帝国軍に大敗する

1402年、バヤズィト1世率いるオスマン帝国がアンカラの戦でティムールに敗れる。バヤズィト1世は捕虜になり、翌年自害する

1410年、ポーランド・リトアニア連合軍がグルンヴァルトの戦(タンネンベルクの戦い)でドイツ騎士団を破る

1415年、フランス軍が百年戦争アジャンクールの戦いでヘンリー5世率いるイングランド軍に敗れる。

1419年、ボヘミアのフス戦争(~1434)。フス派の勝利。

1429年、ジャンヌ・ダルクに率いられたフランス軍がパテーの戦いでイングランド軍に圧勝。イングランドのジョン・タルボットは敗れて、捕虜となる。百年戦争の仏軍の初めての勝利であった

1444年、オスマン帝国のムラト2世はヴァルナの戦でハンガリー王国を破る。

1450年、百年戦争。イングランド軍はフォルミニーの戦でフランスに大敗し、ノルマンディーから撤退する。

1453年、イングランド軍はカスティヨンの戦でフランスに敗れる。百年戦争最後の戦い。

1453年、東ローマ帝国コンスタンティノス11世 メフメト2世のオスマントルコ軍に攻められコンスタンティノープル陥落

1454年、十三年戦争が始まる。

1455年、薔薇戦争最初の戦い。ヨーク公リチャードはサマセット公エドムンド率いるランカスター派をセント・オールバーンズの戦で破る。

1460年、薔薇戦争、ウエイクフィールドの戦い。

1461年、薔薇戦争。タウトンの戦い。ヨーク家のエドワード4世がマーガレット王妃らランカスター派を破る。

1466年、ポーランドとプロシア連合の同盟とドイツ騎士団国とのあいだで起きた十三年戦争がプロシアとポーランドの勝利に終わる(~1454年)。

1471年、薔薇戦争・テュークスベリ―の戦い。ランカスター家のエドワード王太子の戦死。

1477年、ブルゴーニュ公シャルル(豪肝公)がナンシーの戦いで戦死

1485年、ヨーク派のリチャード3世はボズワースの戦でランカスター派のヘンリー7世に敗れる

1487年、薔薇戦争の最後の闘いストーク・フィールドの戦いが行われる

1503年、フランスはチョリニョーラの戦、ガレラノの戦でスペインに敗れる

1507年、ポルトガルのインド総督アルブケルケ、ペルシャ湾口の香辛料集散地ホルムズ島を占領した。

1509年、フランシスコ・デ・アルメイダ率いるポルトガル海軍がディウ沖海戦でイスラム教徒のマムルーク朝、クジャラート・スルタン朝及びカリカットの領主ザモリンの連合海軍を破る

1513年、スコットランドがフロドゥンの戦でイングランドに大敗し、国王ジェームズ4世が戦死。

1514年、サファヴィ朝ペルシャ軍イスマーイール1世がチャルディラーンの戦でオスマン帝国セリム1世に敗れる。以後両国の戦いは124年間続く。

1515年、仏王フランソワ1世・ヴェネツィアがスペイン・神聖ローマ・イギリス・ミラノのスイス傭兵軍とマリニャーノ戦いで勝利する。

1516年、オスマン帝国がマルジュ・ダービクの戦でマムルーク朝を破り、シリアを支配する。

1519年、スペインのコルテスがタバスコの戦でインディオに勝利し、メキシコを征服した。

1521年、独帝カール5世と仏王フランソワ1世との間にイタリア戦争始まる。

1524年、フランケンハウゼンの戦で農民軍が諸侯軍に敗れて壊滅し、ドイツ農民戦争が終結する

1525年、仏王フランソワ1世、パヴィアの戦でスペインに敗れる。

1526年、インドのロディ朝がパーニーパットの戦でムガール帝国のバーブルに敗れる

1526年、オスマン帝国がモハーチの戦でハンガリー王国を破る

1529年、スイスの宗教戦争、第一次カッペル戦争

1531年、第二次カッペル戦争でチューリヒのカトリック軍が勝利する。

1531年、スコットランド王ジェームズ4世が2万の軍勢を率いて国境を侵攻するが、英国軍にフロッドンの戦で大敗し、ジェームズ4世は戦死する

1531年、チューリヒの宗教改革の指導者ツヴィングリがカベルの戦で戦死

1532年、インカ帝国アタワルパ、カハマルカの戦いでピサロ率いるスペイン軍に敗れる。

1538年、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇連合軍はプレヴェザの海戦でオスマン帝国と対戦するが、連語国側は統制がとれずに敗れる。

1546年、シュマルカルデン戦争がはじまる。

1547年、プロテスタント軍がミュールベルクの戦で神聖ローマ軍に敗れる

1558年、リヴォニア戦争(~1583)。

1562年、ユグノー戦争

1571年、オスマントルコ海軍がレパントの海戦でスペイン、ベネチア、ローマ教皇の連合軍に敗れる

1587年、スペイン王フェリペ2世の無敵艦隊(アルマダ)がプリマス沖、カレー沖の海戦でイギリス艦隊に敗れる

1593年、オスマントルコ帝国ムラート3世の宰相ハサン・パシャは、シサクの戦でクロアチア軍に敗れる

1593年、ハプスブルク家とトルコの十五年戦争(~1606)。

1593年、小早川隆景らが李如松率いる明軍を碧蹄館の戦いで破る

1618年、三十年戦争

1619年、ヌルハチ率いる後金(のちの清)がサルフの戦で明を破る

1620年、白山の戦。

1630年~31年、ルター派の都市マグデブルクが包囲され、破壊・略奪される(三十年戦争)

1631年、神聖ローマ帝国がブライテンフェルトの戦でグスタフ2世アドルフ率いるスウェーデンに敗れる。

1632年、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国がリュッツェンの戦でグスタフ・アドレス2世(スウェーデン)の軍に敗れる。

1632 年、ロシアがスモレンスクの戦でポーランドの軍に敗れる。

1640年、ポルトガルの貴族ブラガンサ公ジョアンらがリスボンのスペイン王宮を襲撃、ポルトガル王政復古戦争が始る。

1641年、清のホンタイジが松山・錦州の戦で明を滅ぼす

1643年、清教徒革命。国王軍がアドウォルトン・ムーアの戦で議会軍に勝利する。

1644年、清教徒革命。チャールズ1世の国王軍がマーストン・ムーアの戦でクロムウェル率いる議会軍に敗れる。

1645年、イギリス、ルーパート王子軍がネーズビーの戦でクロムウェルの議会軍に敗れる。

1648年、ウェストファリア講和条約。三十年戦争終わる。

1653年、ポートランドの海戦(第一次英蘭戦争)~1654年まで

1654年から1667年、ロシア・ポーランド戦争

1659年、ロシア大公アレクセイ3世がコノトプの戦でウクライナ・コサック軍に敗れる。

1667年、第二次英蘭戦争終わる。

1670年、ロシアでステンカ・ラージンの農民反乱おこる。(~1671年)

1672年、英仏対オランダの戦争始まる(第三次英蘭戦争)。ソールベイの海戦ではオランダの勝利。

1674年、英蘭戦争、ウェストミンスター条約の締結。イギリスの制海権が確立。北米植民地ニューアムステルダム(ニューヨーク)はイギリスに返還される。

1675年、デンマーク・スウェーデンでスコーネ戦争始まる(~1679年)。

1685年、清の康熙帝はロシアが東方に進出して黒竜江流域にきずいたアルバジン城を奪回した。

1687年、清ジュンガル戦争起こる。康熙帝、乾隆帝と三次にわたるが、清に対して反乱を起こしたアムルサナーは1759年敗れる。

1688年、フランスのルイ14世が神聖ローマ帝国領のファルツ公家の継承問題に介入してファルツ戦争(~1697年)が始まる。

1697年、オスマン帝国がゼンタの戦でオーストリア軍に大敗する。

1700年、スウェーデン王カール12世がナルヴァの戦でロシアのピョートル1世に勝利する。

1701年、スペイン継承戦争始まる。1714年まで続く。

1706年、オーストラリア軍がトリノの戦いでフランス軍を破る(スペイン継承戦争の一つ)

1709年、スウェーデンのカール12世、ポルタヴァの戦でロシアに敗れる。

1710年、スペイン・フランス連合軍がビリャビシオーサの戦でカール大公率いるハプスブルグ家を破る(スペイン継承戦争の一つ)

1712年、スウェーデンがガーデブッシュの戦でデンマークに敗れる。

1714年、ロシアのピョートル1世がハンゴ沖海戦でスウェーデンを破る。

1721年、スウェーデンとロシア・デンマークを中心に行われた大北方戦争(1700-1721)が終る。ニスタット条約を締結。

1722年から1725年までラル神父戦争。アメリカ東部植民地とインディアンの戦い。セバスチャン・ラルがノリッジウォックの戦いで戦死。

1733年、ポーランド継承戦争始まる。

1740年、オーストラリアのマリア・テレジアが即位し、オーストラリア継承戦争始まる。

1741年、マリア・テレジアがモルヴィッツの戦でフリードリヒ2世のプロシアに敗れる。

1743年、オーストリア継承戦争。英墺連合軍と仏軍がディティンゲンで戦い、英墺連合軍が勝利する。

1745年、フランスがフォントノワの戦で英蘭墺連合軍に勝利する。

1746年、カロデンの戦い。スコットランドで名誉革命反対派・ジャコバイトによる最後の戦い。

1756年、ヨーロッパで七年戦争始まる。

1757年、プロイセンのフリードリヒ2世がロスバッハの戦、ロイテンの戦でオーストリアを破る。

1757年、フランス勢力と組んだベンガル太守のシラージュ・ウッダウラはプラッシーの戦でロバート・クライブ率いるイギリス軍に敗れる。

1759年、プロイセン軍がクネルスドルフの戦でロシア・オーストリア連合軍に敗れる。

1761年、第3次バーニーパッドの戦い、マラーダ連合軍敗北する。

1764年、イギリス東インド会社がインドのブクサールの戦でムガル帝国を破る。

1767年、第1回マイソール戦争(~1769)。マイソール王国がイギリス東インド会社に勝利する。

1768年、露土戦争起こる。

1775年、アメリカ独立戦争始まる。ボストン北西のコンコードで英軍と米植民地兵が武力衝突。アメリカ軍はモントリオールを占領するが、ケベックの戦いに敗れる。

1775年~82年。マラータ同盟がイギリス東インド会社に勝利する。

1776年冬、大陸軍はニュージャージーの戦いでイギリス軍に勝利する。

1777年、英軍バーゴイン将軍がサラトガの戦で米植民地軍に敗れる。

1780年、アメリカ独立戦争・ワックスホーの戦。戦闘に勝利した英軍は、大陸軍が白旗を挙げたのを無視して大陸軍兵113人を虐殺。

1781年、アメリカ独立戦争・ヘンリー岬の海戦・チェサピーク湾の海戦。イギリス軍の敗北。

1781年、チャールズ・コンーウォリス率いるイギリス軍はヨークタウンの戦でジョージ・ワシントン率いる独立軍に攻囲され敗れる。

1781年、インドのポルト・ノヴァでマイソール王国はイギリス軍に敗れる。(第二次マイソール戦争の1つ)。

1789年、フランス革命起こる。

1790年、第3回マイソール戦争。

1793年、フランス軍はナポレオン率いる革命軍にツーロン要塞の攻撃で敗れる。

1796年、オーストリア軍がカスティリオーネの戦でナポレオン軍に敗れる。

1798年、オスマン帝国がピラミッドの戦でナポレオン軍に敗れる。

1799年、第4回マイソール戦争。

1800年、オーストリア軍がアルプスを越えて侵攻したナポレオン軍にマレンゴの戦で敗れる。

1805年、オーストリア・ロシア連合軍がアウステルリッツの三帝会戦でナポレオンに敗れる。

1805年、トラファルガルの海戦でイギリス艦隊がナポレオン率いるフランス・スペイン聨合艦隊に勝利。ネルソン提督は戦死。

1806年、プロシア軍がイエナ・アウエルシュタットの戦でフランス軍に敗れる。

1809年、ナポレオン、ワグラムの戦でオーストリア軍に大勝する。

1810年、セブンオークスの戦い。カナダのレッドリバー植民地で毛皮交易をめぐり交易会社同士で争い。

1812年、モスクワに遠征したナポレオンがクトゥーゾフ将軍のロシア軍とボロジノの戦で交戦。10万人の犠牲を出したが勝敗は決せず。

1812年、米英戦争はじまる。

1813年、ナポレオン軍がライプチヒの戦でプロイセン・オーストリア・ロシア連合軍に敗れる。

1814年、アメリカ軍はブラーデンスバーグの戦でイギリス軍に敗れ、ワシントンのホワイトハウスなどの建物が焼失した。

1814年、イギリス東インド会社とネパール(ゴルカ朝)とのグルカ戦争が起こり、1816年イギリスの勝利により、スガウリ条約が結ばれる。

1815年、ナポレオンがワーテルローの戦でイギリス・プロシア連合軍に敗れる。

1815年、米英戦争ニューオーリンズの戦でイギリス軍はアンドリュー・ジャクソン率いる5千人の兵に敗れる。

1816年、セブンオークスの戦。カナダのレッドリバー植民地で毛皮交易をめぐり交易会社同士で争い。

1817年、第3回マラータ戦争。

1819年、シモン・ボリバルの独立革命軍はボヤカの戦(コロンビアのボゴタ近郊)でスペイン軍に勝利する。

1821年、スペイン軍がカラボボの戦でシモン・ボリバル率いる反乱軍に敗れ、ベネズエラの独立が決定した。

1824年、スペイン軍がアヤクーチョの戦でスクレ将軍率いるペルー解放軍に敗れる。

1824年~26年、ビルマ戦争。イギリスがビルマのコンバウン朝に勝利する。

1827年、英仏露3国艦隊がナヴァリノの海戦でトルコ艦隊を破る。

1836年、テキサス軍がサンジャシントの戦いでメキシコ軍を破る。

1839年、バーラクサイ朝アフガニスタン首長国がイギリスを討つ(第1次アフガン戦争(~1842年)

1840年、アヘン戦争(~1842年)

1845年~46年、第一次シク戦争。シク王国とイギリス東インド会社の戦争。イギリスの勝利。

1848年、サルディニア王カルロ・アルベルトがクストッツァー・ノヴァラの戦でオーストリアに敗れる。これにより、イタリアの統一運動は一時中絶した。

1854年、クリミア戦争でロシアのセヴァストーポリ要塞を目指す英仏軍がアルマでロシアと交戦する。

1855年、セヴァストーポリ要塞が英仏軍の攻撃によって陥落する。

1856年、アロー号戦争(~1860年)

1856年、コスタリカ軍が第二次リバスの戦いでニカラグア軍を破る。

1859年、イタリア統一戦争・ソルフェリーノの戦い。アンリ・デュナンが戦場の惨状に衝撃を受け、後の赤十字運動につなげる。

1860年、ガリバルディ率いるイタリア義勇軍はヴォルトルノ河畔の戦でナポリ軍を破り南イタリアを制圧する。

1861年、アメリカの南北戦争、北軍はブル・ランの戦で南軍に敗れる。

1862年、アメリカの南北戦争、セブンパインズの戦。決着つかず。

1862年、アメリカの南北戦争、シャイローの戦。北軍の勝利。

1862年、メキシコがプエフラの戦でフランスに勝利する。(フランス・メキシコ戦争1862-1867)

1863年、南北戦争、ゲッティスバーグの戦で南軍の衰勢が決定した。

1864年、曽国藩が太平天国の乱を鎮圧した。

1866年、イタリア海軍がリッサの海戦でオーストリア海軍に敗れる。

1866年、オーストリア帝国はチェコのケーニヒグーレツの戦(サドワの戦)でプロシアに敗れる。

1868年、アメリカ軍のカスター中佐が率いる第7騎兵隊がシャイアン族インディアンを虐殺する(ウォシタ川の戦)。

1868年、エチオピアのテオドロス2世、マグダラの戦いでイギリス軍に大敗し、自殺する。

1870年、モルトケ率いるドイツ軍がグラヴロットの戦でバーゼル率いるフランス軍を破る

1870年、フランスのナポレオン3世はセダンの戦でプロイセン軍に敗れる。

1873年、アチェ-戦争、オランダがスマトラのアチェー王国征服(1904年)

1876年、アメリカ陸軍とインディアンがモンタナ州のリトルビックホーンで戦い、カスター将軍の本隊が全滅した。

1877年、露土戦争(~1878)

1879年、ズールー戦争おこる。イギリスと南アメリカのズールー王国との間で行われた戦争でアフリカの植民地支配がはじまる。

1880-1881年、イギリスがトランスヴァール共和国に破れる(第一次ボーア戦争)

1885年、清仏戦争でフランスによるベトナムの植民地化が始まる。

1885年、ビルマ王ティーボーは英緬戦争でイギリス軍に敗れ、コウバウン朝は滅亡し、イギリス領インド帝国に併合される。

1894年、日清戦争(~1895年)

1896年、イタリアのエチオピア侵攻軍がアドワの戦でエチオピアのメネリックに大敗する。

1898年、米西戦争。7月アメリカ軍がキューバのサン・ファン・ヒルの戦いでスペイン軍を撃破する。

1899年、南アフリカ、ボーア戦争(~1902年、イギリスの勝利)。

1904年、日露戦争(~1905年)

1905年、ロシアのバルチック艦隊が日本海海戦で日本の連合艦隊に敗れる。

1911年、イタリア・トルコ戦争。イタリアがオスマントルコ領リビアの領有を図って起こす。イタリア敗北。

1912年、バルカン戦争(~1913年)。

1914年、ロシアがタンネンベルクでドイツに大敗。

1914年、ベルギーを突破し、北仏に進軍したドイツ軍(モルトケ)は、マルヌの戦でフランス軍(ジョッフル)に敗れる。

1914年、ロシア軍がタンネンベルクの戦でドイツ軍に包囲、殲滅される。

1915年、オスマン帝国はダーダネルス海峡のガリポリの戦で英仏連合軍に勝利する。

1915年、第一次大戦・イ―ペルの戦い。ドイツ軍がフランス軍に対し、毒ガス攻撃。

1916年、ヴェルダンの戦、フランスは守り切った。

1916年、ソンムの戦。第一次世界大戦における最大の戦争であるが、英仏連合軍とドイツ軍がフランスのソンムで激突したが、両軍目立った戦果をあげることがなかった。

1916年、ユトランド沖海戦。

1916年、アメリカ、パンチョ・ビリャ遠征軍をメキシコに派遣。

1917年、ロシア革命。

1917年、第一次世界大戦におけるカンプレーの戦いで、英軍が世界初となる大規模な戦車の投入を行った。

1920年、ポーランド・ソ連戦争。ポーランドの旧版図回復。

1922年、トルコ軍がドゥムルプナルの戦でギリシャ軍に勝利する。

1935年、イタリア、エチオピア侵略。

1936年、スペイン内戦始まる。

1937年、日中戦争始まる。

1939年、満蒙国境線めぐりノモンハン事件。

1940年、ドイツ軍がオランダ・ベルギーに侵入(ベルギーの戦い)。

1940年、フランス軍はダンケルクの戦でドイツに敗れ、降伏する。

1941年、太平洋戦争始まる。

1942年、ドイツの戦車軍団ロンメルは北アフリカのエル・アラメインの戦で英軍モントゴメリーに敗れる。

1942年、ドイツ軍はソ連とのスターリングラードの戦(~1943年)で消耗し、これによってドイツの後退が始まる。

1942年、太平洋戦争最大の激戦、ガダルカナルの戦いで日本軍が全滅。

1943年、ドイツ軍はドニエプル川の戦でソ連軍に敗れる。

1943年、ドイツ軍はクルスクの戦でソ連軍に大敗。

1944年、日本はレイテ沖海戦で米軍に大敗し、事実上壊滅。シブヤン海海戦・戦艦武蔵が沈没。

1944年、連合軍、ノルマンディー上陸作戦に成功する。

1944年、フィンランドとドイツ連合軍はタリ・イハンタラの戦いでソ連軍の侵攻を阻止する。

1945年、独ソ戦最後の戦い、プラハの戦い。

1945年、硫黄島の戦いで、アメリカが硫黄島を完全占領

1946年、フランス・インドシナ戦争(~1954年)

1950年、朝鮮戦争が始まる(~1953年)

1950年、マッカーサーの国連軍が長津湖の戦いで毛沢東率いる中国軍と戦う。

1953年、ポークチョップヒルの戦い

1954年、フランスとアルジェリアでアルジェリア戦争始まる(~1962年)。

1954年、ディエンビエンフーのフランス軍拠点が陥落。インドシナから撤退する。同年ジュネーヴ協定結ばれる。

1959年、チベットで反中国暴動。

1963年、インドネシア、マレーシア戦争(~1966年)

1963年、ギニアビサウ独立戦争(~1974年)

1963年、アメリカ軍と南ベトナム軍がアプバクの戦いでベトコンに敗北する。

1967年、ビアフラ戦争(~1970年)。

1967年、第三次中東戦争。

1968年、南ベトナムのケサンでアメリカ軍と北ベトナム軍が戦う。

1973年、第四次中東戦争。

1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終了。

1982年、アルゼンチンはフォークランド紛争でイギリスに敗れる。

1988年、ソマリア内戦はじまる(~継続中)。

1991年、第一次湾岸戦争。

1991年、スロヴェニア独立戦争。

1994年、ルワンダで内戦始まる。50万人が殺される。

2001年、アメリカのアフガニスタン侵攻。

2003年、第二次湾岸戦争。

2005年、イラク戦争。ハディサで米軍兵士がイラク市民24人を虐殺(ハディサ事件)。

 

 

2020年10月22日 (木)

キューバ危機

Newyorkdailynewsfrontpagecubanmissi   1962年のこの日、ジョン・F・ケネディ米大統領は、テレビ・ラジオを通じて、ソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設中であると演説して、キューバへの直接攻撃は避けたが海上封鎖を声明。1959年にキューバに成立した革命政府を敵視するアメリカは、1961年1月に国交を断絶、4月にケネディ政権は、亡命キューバ人部隊を使いキューバ上陸侵攻作戦を決行し、これが失敗に終わると秘密工作員を潜入させ、破壊活動をさせていた。(Cuban Missile Crisis)10月22日 

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