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2019年5月22日 (水)

戦争の世界全史

300px131_bataille_de_malazgirt  現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れた。17分に及ぶスピーチは人類と戦争の歴史から語られ始められた。「どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭、衰退しました。人々は支配され、解放されました。それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。広島と長崎で残忍な終わりをみた世界戦争は、裕福で力のある国によって戦われました」

   そして今も世界と日本が、激しく変革している。数千年以上の太古の昔から今日まで、人類の歴史は戦争の繰り返しの歴史といえる。戦争は何故起こるのか。最近の考古学的知見によると、世界のどこでも旧石器時代の男子の死者のおよそ15%は殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴であり、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このような激しい戦いはみとめられない。人類が道具を使うことにより、武器による先制攻撃が優位となること、確実に勝てるという合理的行動が戦闘をひきおこすのである。こうして戦争はいつの時代も絶えることなく繰り返される。戦争の原因も民族・宗教にイデオロギーが加わって、世界各地でテロが発生した。集団的自衛権を容認する安保法制が成立し、日本も紛争にまきこまれるようになった。2016年7月、ダッカでISに日本人7人が殺害された。

前25世紀、ラガシュの王エアンナトゥムがウンマの軍を破る

前23世紀、古代バビロニア、アッカド王国のサルゴン王は「戦いの王」といわれ、オリエント各地を遠征・征服を繰り返す

前1674年、ヒクソスのエジプト侵入(前1674~前1567)

前1620年、ヒッタイト・フルリ戦争(前1620~前1325)

前1457年、エジプト王国のトトメス3世はメギドの戦でカデシュ王率いるカナン連合軍(カデシュ、メギド、ミタンニ)を破る

前1350年、ヒッタイト王シュピルリウマ1世がミタンニ王トゥシュラクを滅ぼす

前1274年、エジプト王国のラムセス2世はカデシュの戦でヒッタイト王ムワタリに敗れる

前1200年、トロヤ戦争起こる。アカイア人の遠征軍と小アジアのトロイアの戦い

前1070年、殷の紂王は牧野の戦で、周の武王に敗れ、700年に及ぶ殷王朝は滅び、周王朝が成立する

前736年、スパルタがメッセニアを破る(メッセニア戦争)

前632年、晋の文公が城濮の戦で楚の成王を破る

前609年、ユダ王国のヨシヤがメギドの戦でエジプトのネコ2世に敗れる

前605年、ネコ2世はカルケミッシュの戦で新バビロニアのネブカドネザルに敗れる

前591年、プサメティク2世、クシュ王国に侵攻

前575年、晋が鄢陵の戦で楚を破る

前540年、エトルリア・カルタゴ連合軍がサルディニア島のアラリア沖で、ギリシャ軍と海戦し勝利する。

前484年、呉王夫差が艾陵の戦で斉を破る

前490年、ダリウス1世 マラトンの戦でミルティアデス率いるギリシア軍に敗れる

前480年、ギリシアのスパルタ王レオニダスはテルモピュライの戦でペルシア軍を迎え撃ち、その南下を防いたが部隊は全滅する

前480年、ギリシアのテミストクレスはサラミスの海戦でペルシアの大軍を破り、クセルクセス1世は退却する

前432年~前430年、アテネがポティダイアの戦でコリントスとペロポネソス同盟諸国に勝利した

前406年、アテネがアルギスサイの戦でスパルタに勝利した

前405年、スパルタがアイゴスポタモイの海戦でアテネに勝利した

前404年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終わる

前394年、アテネ人コノン指揮のペルシア軍はクニドスの海戦でスパルタ(ラケダイモーン)を破る

前390年、ローマ軍クイントゥス・スルピキウスがイタリアに侵入したブレンヌス率いるガリア人セノネス族とアッリアの戦で敗れる

前371年、スパルタを中心とするペロポネソス同盟軍がレウクトラの戦でテーバイを中心とするボィオティア同盟軍に敗れる

前362年、アテネ・スパルタ連合軍がマンティネイアの戦でテーベのエパミノンダスの軍に敗れる

前343年、秦は馬陵の戦で斉の孫臏の策により大敗する。

前338年、ギリシャがカイロネイアの戦でマケドニアのフィリッポス2世の軍に敗れる

前333年、ペルシア軍がイッソスの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前334年、ペルシア軍がグラニコス川の戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前331年、ペルシア軍がガウガメラの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前326年、アレクサンドロス3世はインドのパンジャブ地方まで侵攻したが、ヒュダスぺス河畔の戦で苦戦し、やむなく東方遠征をやめる。

前305年、シリア王セレウコス1世、マウリア朝チャンドラグプタに敗れる

前260年、秦の昭王が長平の戦で趙を破る

前241年、ローマ軍がアエガテスの海戦でカルタゴを破る

前220年、メディア総督モロンはアポロニアの戦でセレウコス朝のアンティオコス3世に敗れる

前216年、ローマ軍がカンネーの戦でカルタゴのハンニバルに敗れる

前202年、カルタゴのハンニバルがザマの戦でローマのスキピオに敗れる

前202年、項羽、垓下の戦で劉邦に敗れ自殺

前85年、ローマのスッラがオルコメノスの戦でポントス王ミトリダテス6世を破る

前48年 ポンペイウス、ファルサルスの戦でカエサルに敗れる

前45年、ポンペイウス派の残党がムンダの戦でカエサルに敗れる

前42年、カエサルを暗殺したブルトゥス、カッシウスがフィリッピの戦でアントニウス、オクタウィアヌスに敗れる

前31年、アントニウス、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れる

前23年、劉秀、昆陽の戦で王莽を破り、漢室再興を果たす

後9年、ローマ帝国がトイトブルクの戦でゲルマンに大敗する

49年、ベトナムのチュン姉妹は後漢の侵略に抵抗し、処刑される

66年、ユダヤ民族のシモン・バル・ギオラが反乱を起こす。

73年、ユダヤ人の最後の拠点マサダ砦がローマ軍により陥落し、ユダヤ戦争(66-73)が終わる

191年、董卓と袁紹が虎牢関で衝突。董卓の部下呂布が盤下で董卓を殺す。

200年、曹操、官渡の戦で袁紹を破る。

208年、曹操が劉備・孫権連合軍に赤壁の戦でい敗れる。

211年、曹操が渭水の戦で馬超・韓遂らを破る。

215年、曹操が合肥の戦で孫権を破る。

219年、劉備軍の関羽が樊城の戦いで水攻めにされて殺される。

222年、劉備率いる蜀漢軍が夷陵の戦で呉の陸遜軍に敗れる。

234年、蜀諸葛亮が五丈原の戦で魏司馬懿と対戦したが、蜀漢による第五次北伐が失敗する。

260年、ローマ軍はエデッサの戦でササン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ、ウァレリアヌス皇帝は捕虜となる。

280年、晋軍、呉に侵攻。大勝して呉滅ぶ。石頭城の戦い。

312年、ローマ皇帝正帝マクセンティウスがローマ郊外のミルウィウス橋の戦(サクサ・ルブラの戦)で副帝コンスタンティヌス1世に敗れる

313年、東のローマ皇帝マクシミヌス・ダイアがツィラッルムの戦でリキニウスに敗れる

363年 ローマ皇帝ユリアヌスが、ササン朝の首都クテシフォンの城壁まで進撃するが、城を落せず撤退する

376年、ローマ皇帝ヴァレンスが、アドリアノーブルの戦で西ゴートに敗れ、戦死。

383年、前秦の符堅が淝水の戦で晋の謝石・謝玄に敗れる

451年、フン族の王アッティラ、カタラウヌムの戦で西ローマ軍のアエティウスに敗れる

486年、クロヴィス率いるフランク族がソワソンの戦で西ローマを破る

627年、ササン朝ペルシアのコスロー2世はニネヴェの戦でへラクリウス率いる東ローマ軍に敗れる

642年 ヤズデギルド3世 ニハーヴァンド(ネハーヴァンド)の戦でアラブ軍に敗れる

663年、日本軍は白村江の戦で唐軍に敗れ、百済滅ぶ

687年、フランク王国のピピン2世がテルトリーの戦でネウストリアのベルナルらを破る

722年、ペラヨがコバドンガの戦でイスラム軍に勝利する。

732年、サラセン軍、ツール・ポワチエの戦でフランク王国カール・マルテルに敗れる

751年、唐の高仙芝、イスラム軍とタラス河畔に戦う。サラセン軍に捕らわれ、製紙法を伝う

756年、唐の玄宗は潼関の戦で安禄山に敗れる

811年、東ローマ皇帝ニケフォロス1世はブリスカの戦でブルガリアに敗れ、戦死した。

849年、ナポリ・アマルフィ・ガエータなどの艦隊がオスティア沖でイスラム艦隊を破る。

955年、ハンガリーのマジャール軍がレヒフェルトの戦で東フランク王国オットー1世に敗れる

1014年、第1次ブルガリア帝国がキンバロングーの戦(クレイディオン峠の戦)で、東ローマ帝国に敗れる。

1016年、デンマーク王クヌートがアシンドンの戦いでイングランド王エドマンド2世を破る

1057年、スコットランド王マクベスはランファナンの戦でマルカム3世に敗れ死没する

1063年、イタリアの中世都市国家ピサがパレルモ沖の海戦でイスラーム艦隊に大勝する

1066年、イングランド王ハロルド2世がへースティングズの戦でノルマンディー公ウィリアム1世に敗れる

1071年、ロマノス4世ディオゲネス マンジケルトの戦でセルジューク朝に敗れる

1107年、高麗の尹瓘が女真を討ち9城を築くが(尹瓘九城の役)、翌年に撤退する。

1176年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がレニャーノの戦で北イタリア・ロンバルディア同盟軍に敗れる

1187年、ギード・リュジニャン率いるエルサレム王国の十字軍がヒッティーンの戦でサラーフ・アッディーンに敗れる

1201年、チンギス・カンはコイテンの戦でジャムカを破る

1214年、仏王フィリップ2世が、ブーヴィーヌの戦で神聖ローマ帝国、英国連合軍に勝利する

1219年、モンゴル軍はホラズムに侵攻し、翌年にはサマルカンドを攻略する

1223年、モンゴル軍はカルカ川の会戦でロシア軍を破る

1235年、マリ王国のスンディアタがキリナの戦いでソソ王国のスマンゲルを破る

1241年、シュレージェン公ハインリヒ2世、リーグニッツ(ワールシュタット)の戦でバトゥが率いるモンゴル軍と戦い、大敗し、戦死。

1260年、フィレンツェがモンタベルティの戦いでシエーナ軍に敗れる。

1260年、モンゴル軍のフレグはアイン・ジャールートの戦でマムルーク朝のバイバルスに敗れる。

1265年、イーブシャムの戦い。

1268~1274年、モンゴル軍は襄樊の戦で南宋を滅ぼす。

1274年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(文永の役)

1278年、モンゴル軍、ポーランド・ドイツ連合軍を破る

1278年、神聖ローマ帝国ルドルフ1世、マルヒフェルデの戦いでボヘミア王オットカルを破る

1279年、モンゴル軍、厓山の戦いで南宋を滅ぼす

1281年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(弘安の役)

1284年、ピサがメロリアの海戦でジェノバに大敗。

1288年、ドカン率いるモンゴル軍は白藤江の戦いで陳国峻率いるベトナム軍に敗れ、モンゴルのベトナム侵攻は失敗におわる。

1291年、イスラエル王国の首都アッコン滅亡する。(十字軍戦争終わる)

1294年、英仏戦争はじまる。

1298年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世はゲルハイムの戦で長子アドルフを殺す。

1301年、オスマン1世がビザンツ帝国軍をコユンヒサルの戦で破る。

1302年、フランス王フィリップ4世はクルトレー(コルトレイク、金拍車)の戦でフランドル市民軍に敗れる

1314年、エドワード2世率いるイングランド軍がバノックバーンの戦でロバート1世のスコットランド軍に敗れる

1337年、英仏の百年戦争がおこる

1346年 フランス王フィリップ6世、クレシーの戦でエドワード3世に敗れる

1356年、フランス王ジャン2世はポアティエの戦でイギリス王エドワード黒太子に敗れる

1363年、明の朱元璋は鄱陽湖の戦で元の陳友諒を破る

1369~70年 エドワード3世、フランス王シャルル5世に敗れて獲得した領土の大部分を失う

1380年、タタール軍はクリコヴォの戦でモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイに敗れる。

1380年、ジェノバがキオッジャの海戦でヴェネツィアに完敗する。

1388年、ハプスブルク家アルブレヒト3世、ネーフェルトの戦いでスイス自由連邦に敗れる

1389年、オスマン帝国のムラト1世がコソボの戦でセルビアを破る

1396年、ハンガリー王ジギスムント率いるヨーロッパ諸国軍がニコポリスの戦でバヤズィト1世率いるオスマン帝国軍に大敗する

1402年、バヤズィト1世率いるオスマン帝国がアンカラの戦でティムールに敗れる。バヤズィト1世は捕虜になり、翌年自害する

1410年、ポーランド・リトアニア連合軍がグルンヴァルトの戦(タンネンベルクの戦い)でドイツ騎士団を破る

1415年、フランス軍がアジャンクールの戦いでヘンリー5世率いるイングランド軍に敗れる。

1419年、ボヘミアのフス戦争(~1434)。フス派の勝利。

1429年、イングランドのジョン・タルボットはパテーの戦でジャンヌとリッシュモン元帥の軍に敗れ、捕虜となる。百年戦争の仏軍の初めての勝利であった

1444年、オスマン帝国のムラト2世はヴァルナの戦でハンガリー王国を破る

1450年、百年戦争。イングランド軍はフォルミニーの戦でフランスに大敗し、ノルマンディーから撤退する。

1453年、イングランド軍はカスティヨンの戦でフランスに敗れる

1453年、東ローマ帝国コンスタンティノス11世 メフメト2世のオスマントルコ軍に攻められコンスタンティノープル陥落

1455年、ヨーク公リチャードはサマセット公エドムンド率いるランカスター派をセント・オールバーンズの戦で破る。30年にもわたるバラ戦争(~1485年)の最初の戦い。

1460年、バラ戦争、ウエイクフィールドの戦い。

1477年、ブルゴーニュ公シャルル(豪肝公)がナンシーの戦いで戦死

1485年、ヨーク派のリチャード3世はボズワースの戦でランカスター派のヘンリー7世に敗れる

1503年、フランスはチョリニョーラの戦、ガレラノの戦でスペインに敗れる

1507年、ポルトガルのインド総督アルブケルケ、ペルシャ湾口の香辛料集散地ホルムズ島を占領した。

1509年、フランシスコ・デ・アルメイダ率いるポルトガル海軍がディウ沖海戦でイスラム教徒のマムルーク朝、クジャラート・スルタン朝及びカリカットの領主ザモリンの連合海軍を破る

1514年、サファヴィ朝ペルシャ軍イスマーイール1世がチャルディラーンの戦でオスマン帝国セリム1世に敗れる。

1515年、仏王フランソワ1世・ヴェネツィアがスペイン・神聖ローマ・イギリス・ミラノのスイス傭兵軍とマリニャーノ戦いで勝利する。

1519年、スペインのコルテスがタバスコの戦でインディオに勝利し、メキシコを征服した。

1521年、独帝カール5世と仏王フランソワ1世との間にイタリア戦争始まる。

1524年、フランケンハウゼンの戦で農民軍が諸侯軍に敗れて壊滅し、ドイツ農民戦争が終結する

1526年、インドのロディ朝がパーニーパットの戦でムガール帝国のバーブルに敗れる

1526年、オスマン帝国がモハーチの戦でハンガリー王国を破る

1529年、スイスの宗教戦争、第一次カッペル戦争

1531年、第二次カッペル戦争でチューリヒのカトリック軍が勝利する。

1531年、スコットランド王ジェームズ4世が2万の軍勢を率いて国境を侵攻するが、英国軍にフロッドンの戦で大敗し、ジェームズ4世は戦死する

1531年、チューリヒの宗教改革の指導者ツヴィングリがカベルの戦で戦死

1532年、インカ帝国アタワルパ、カハマルカの戦いでピサロ率いるスペイン軍に敗れる。

1538年、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇連合軍はプレヴェザの海戦でオスマン帝国と対戦するが、連語国側は統制がとれずに敗れる。

1546年、シュマルカルデン戦争がはじまる。

1547年、プロテスタント軍がミュールベルクの戦で神聖ローマ軍に敗れる

1558年、リヴォニア戦争(~1583)。

1562年、ユグノー戦争

1571年、オスマントルコ海軍がレパントの海戦でスペイン国王フェリペ2世に敗れる

1587年、スペイン王フェリペ2世の無敵艦隊(アルマダ)がプリマス沖、カレー沖の海戦でイギリス艦隊に敗れる

1593年、オスマントルコ帝国ムラート3世の宰相ハサン・パシャは、シサクの戦でクロアチア軍に敗れる

1593年、ハプスブルク家とトルコの十五年戦争(~1606)。

1593年、小早川隆景らが李如松率いる明軍を碧蹄館の戦いで破る

1618年、三十年戦争

1619年、ヌルハチ率いる後金(のちの清)がサルフの戦で明を破る

1620年、白山の戦。

1630年~31年、ルター派の都市マグデブルクが包囲され、破壊・略奪される(三十年戦争)

1631年、神聖ローマ帝国がブライテンフェルトの戦でグスタフ2世アドルフ率いるスウェーデンに敗れる。

1632年、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国がリュッツェンの戦でグスタフ・アドレス2世(スウェーデン)の軍に敗れる。

1632 年、ロシアがスモレンスクの戦でポーランドの軍に敗れる。

1640年、ポルトガルの貴族ブラガンサ公ジョアンらがリスボンのスペイン王宮を襲撃、ポルトガル王政復古戦争が始る。

1641年、清のホンタイジが松山・錦州の戦で明を滅ぼす

1644年、チャールズ1世がマーストンムーアの戦でクロムウェル率いる議会軍に敗れる。

1645年、イギリス、ルーパート王子軍がネーズビーの戦でクロムウェルの議会軍に敗れる。

1653年、ポートランドの海戦(第一次英蘭戦争)

1654年から1667年、ロシア・ポーランド戦争

1659年、ロシア大公アレクセイ3世がコノトプの戦でウクライナ・コサック軍に敗れる。

1672年、英仏対オランダの戦争始まる(第三次英蘭戦争)。ソールベイの海戦ではオランダの勝利。

1674年、英蘭戦争、ウェストミンスター条約の締結。イギリスの制海権が確立。北米植民地ニューアムステルダム(ニューヨーク)はイギリスに返還される。

1675年、デンマーク・スウェーデンでスコーネ戦争始まる(~1679年)。

1685年、清の康熙帝はロシアが東方に進出して黒竜江流域にきずいたアルバジン城を奪回した。

1688年、フランスのルイ14世が神聖ローマ帝国領のファルツ公家の継承問題に介入してファルツ戦争(~1697年)が始まる。

1697年、オスマン帝国がゼンタの戦でオーストリア軍に大敗する。

1700年、スウェーデンがナルヴァの戦でロシアに勝利する。

1701年、スペイン継承戦争始まる。

1706年、オーストラリア軍がトリノの戦いでフランス軍を破る(スペイン継承戦争の一つ)

1709年、スウェーデンのカール12世、ポルタヴァの戦でロシアに敗れる。

1712年、スウェーデンがガーデブッシュの戦でデンマークに敗れる。

1714年、ロシアのピョートル1世がハンゴ沖海戦でスウェーデンを破る。

1721年、スウェーデンとロシア・デンマークを中心に行われた大北方戦争(1700-1721)が終る。ニスタット条約を締結。

1722年から1725年までラル神父戦争。アメリカ東部植民地とインディアンの戦い。セバスチャン・ラルがノリッジウォックの戦いで戦死。

1733年、ポーランド継承戦争始まる。

1740年、オーストラリアのマリア・テレジアが即位し、オーストラリア継承戦争始まる。

1741年、マリア・テレジアがモルヴィッツの戦でフリードリヒ2世のプロシアに敗れる。

1745年、フランスがフォントノワの戦で英蘭墺連合軍に勝利する

1756年、ヨーロッパで七年戦争始まる。

1757年、プロイセンのフリードリヒ2世がロスバッハの戦、ロイテンの戦でオーストリアを破る。

1757年、フランス勢力と組んだベンガル太守のシラージュ・ウッダウラはプラッシーの戦でロバート・クライブ率いるイギリス軍に敗れる。

1759年、プロイセン軍がクネルスドルフの戦でロシア・オーストリア連合軍に敗れる。

1761年、第3次バーニーパッドの戦い、マラーダ連合軍敗北する。

1764年、イギリス東インド会社がインドのブクサールの戦でムガル帝国を破る。

1767年、第1回マイソール戦争(~1769)。マイソール王国がイギリス東インド会社に勝利する。

1768年、露土戦争起こる。

1775年、アメリカ独立戦争始まる。ボストン北西のコンコードで英軍と米植民地兵が武力衝突。

1775年~82年。マラータ同盟がイギリス東インド会社に勝利する。

1776年冬、大陸軍はニュージャージーの戦いでイギリス軍に勝利する。

1777年、英軍バーゴイン将軍がサラトガの戦で米植民地軍に敗れる。

1781年、チャールズ・コンーウォリス率いるイギリス軍はヨークタウンの戦でジョージ・ワシントン率いる独立軍に攻囲され敗れる。

1781年、インドのポルト・ノヴァでマイソール王国はイギリス軍に敗れる。(第二次マイソール戦争の1つ)。

1789年、フランス革命起こる。

1790年、第3回マイソール戦争。

1793年、フランス軍はナポレオン率いる革命軍にツーロン要塞の攻撃で敗れる。

1796年、オーストリア軍がカスティリオーネの戦でナポレオン軍に敗れる。

1798年、オスマン帝国がピラミッドの戦でナポレオン軍に敗れる。

1799年、第4回マイソール戦争。

1800年、オーストリア軍がアルプスを越えて侵攻したナポレオン軍にマレンゴの戦で敗れる。

1805年、オーストリア・ロシア連合軍がアウステルリッツの三帝会戦でナポレオンに敗れる。

1805年、ナポレオン、トラファルガルの海戦でイギリスのネルソンに敗れる。

1806年、プロシア軍がイエナ・アウエルシュタットの戦でフランス軍に敗れる。

1809年、ナポレオン、ワグラムの戦でオーストリア軍に大勝する。

1812年、モスクワに遠征したナポレオンがクトゥーゾフ将軍のロシア軍とボロジノの戦で交戦。10万人の犠牲を出したが勝敗は決せず。

1813年、ナポレオン軍がライプチヒの戦でプロイセン・オーストリア・ロシア連合軍に敗れる。

1814年、アメリカ軍はブラーデンスバーグの戦でイギリス軍に敗れ、ワシントンのホワイトハウスなどの建物が焼失した。

1814年、イギリス東インド会社とネパール(ゴルカ朝)とのグルカ戦争が起こり、1816年イギリスの勝利により、スガウリ条約が結ばれる。

1815年、ナポレオン、ワーテルローの戦でイギリス・プロシア連合軍に敗れる。

1815年、米英戦争ニューオーリンズの戦でイギリス軍はアンドリュー・ジャクソン率いる5千人の兵に敗れる。

1817年、第3回マラータ戦争。

1819年、シモン・ボリバルの独立革命軍はボヤカの戦(コロンビアのボゴタ近郊)でスペイン軍に勝利する。

1821年、スペイン軍がカラボボの戦でシモン・ボリバル率いる反乱軍に敗れ、ベネズエラの独立が決定した。

1824年、スペイン軍がアヤクーチョの戦でスクレ将軍率いるペルー解放軍に敗れる。

1824年~26年、ビルマ戦争。イギリスがビルマのコンバウン朝に勝利する。

1827年、英仏露3国艦隊がナヴァリノの海戦でトルコ艦隊を破る。

1836年、テキサス軍がサンジャシントの戦いでメキシコ軍を破る。

1839年、バーラクサイ朝アフガニスタン首長国がイギリスを討つ(第1次アフガン戦争(~1842年)

1840年、アヘン戦争(~1842年)

1845年~46年、第一次シク戦争。シク王国とイギリス東インド会社の戦争。イギリスの勝利。

1848年、サルディニア王カルロ・アルベルトがクストッツァー・ノヴァラの戦でオーストリアに敗れる。これにより、イタリアの統一運動は一時中絶した。

1854年、クリミア戦争でロシアのセヴァストーポリ要塞を目指す英仏軍がアルマでロシアと交戦する。

1855年、セヴァストーポリ要塞が英仏軍の攻撃によって陥落する。

1856年、アロー号戦争(~1860年)

1860年、ガリバルディ率いるイタリア義勇軍はヴォルトルノ河畔の戦でナポリ軍を破り南イタリアを制圧する。

1861年、アメリカの南北戦争、北軍はブル・ランの戦で南軍に敗れる。

1862年、メキシコがプエフラの戦でフランスに勝利する。(フランス・メキシコ戦争1862-1867)

1863年、南北戦争、ゲッティスバーグの戦で南軍の衰勢が決定した。

1866年、イタリア海軍がリッサの海戦でオーストリア海軍に敗れる。

1866年、オーストリア帝国はチェコのケーニヒグーレツの戦(サドワの戦)でプロシアに敗れる。

1868年、アメリカ軍のカスター中佐が率いる第7騎兵隊がシャイアン族インディアンを虐殺する(ウォシタ川の戦)。

1868年、エチオピアのテオドロス2世、マグダラの戦いでイギリス軍に大敗し、自殺する。

1870年、モルトケ率いるドイツ軍がグラヴロットの戦でバーゼル率いるフランス軍を破る

1870年、フランスのナポレオン3世はセダンの戦でプロイセン軍に敗れる。

1873年、アチェ-戦争、オランダがスマトラのアチェー王国征服(1904年)

1876年、アメリカ陸軍とインディアンがモンタナ州のリトルビックホーンで戦い、カスター将軍の本隊が全滅した。

1877年、露土戦争(~1878)

1879年、ズールー戦争おこる。イギリスと南アメリカのズールー王国との間で行われた戦争でアフリカの植民地支配がはじまる。

1880-1881年、イギリスがトランスヴァール共和国に破れる(第一次ボーア戦争)

1885年、ビルマ王ティーボーは英緬戦争でイギリス軍に敗れ、コウバウン朝は滅亡し、イギリス領インド帝国に併合される。

1894年、日清戦争(~1895年)

1896年、イタリアのエチオピア侵攻軍がアドワの戦でエチオピアのメネリックに大敗する。

1898年、米西戦争。7月アメリカ軍がキューバのサン・ファン・ヒルの戦いでスペイン軍を撃破する。

1899年、南ア、ボーア戦争(~1902年)。

1904年、日露戦争(~1905年)

1905年、ロシアのバルチック艦隊が日本海海戦で日本の連合艦隊に敗れる。

1911年、イタリア・トルコ戦争。イタリアがオスマントルコ領リビアの領有を図って起こす。イタリア敗北。

1912年、バルカン戦争(~1913年)。

1914年、ロシアがタンネンベルクでドイツに大敗。

1914年、ベルギーを突破し、北仏に進軍したドイツ軍(モルトケ)は、マルヌの戦でフランス軍(ジョッフル)に敗れる。

1914年、ロシア軍がタンネンベルクの戦でドイツ軍に包囲、殲滅される。

1915年、オスマン帝国はガリポリの戦で連合軍に勝利する。

1916年、ヴェルダンの戦、フランスは守り切った。

1916年、ソンムの戦。第一次世界大戦における最大の戦争であるが、英仏連合軍とドイツ軍がフランスのソンムで激突したが、両軍目立った戦果をあげることがなかった。

1917年、ロシア革命。

1917年、第一次世界大戦におけるカンプレーの戦いで、英軍が世界初となる大規模な戦車の投入を行った。

1920年、ポーランド・ソ連戦争。ポーランドの旧版図回復。

1935年、イタリア、エチオピア侵略。

1936年、スペイン内戦始まる。

1937年、日中戦争始まる。

1939年、満蒙国境線めぐりノモンハン事件。

1940年、フランス軍はダンケルクの戦でドイツに敗れ、降伏する。

1941年、太平洋戦争始まる。

1942年、ドイツの戦車軍団ロンメルは北アフリカのエル・アラメインの戦で英軍モントゴメリーに敗れる。

1942年、ドイツ軍はソ連とのスターリングラードの戦で消耗し、これによってドイツの後退が始まる。

1943年、ドイツ軍はドニエプル川の戦でソ連軍に敗れる。

1943年、ドイツ軍はクルスクの戦でソ連軍に大敗。

1944年、日本はレイテ沖海戦で米軍に大敗し、事実上壊滅。

1944年、連合軍、ノルマンディー上陸作戦に成功する。

1946年、フランス・インドシナ戦争(~1954年)

1950年、朝鮮戦争が始まる(~1953年)

1953年、ポークチョップヒルの戦い

1954年、フランスとアルジェリアでアルジェリア戦争始まる(~1962年)。

1954年、フランスはディエンビエンフーの戦でベトナム軍に敗れインドシナから撤退する。同年ジュネーヴ協定結ばれる。

1959年、チベットで反中国暴動。

1963年、インドネシア、マレーシア戦争(~1966年)

1963年、アメリカ軍と南ベトナム軍がアプバクの戦いでベトコンに敗北する。

1967年、ビアフラ戦争(~1970年)。

1968年、南ベトナムのケサンでアメリカ軍と北ベトナム軍が戦う。

1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終了。

1982年、アルゼンチンはフォークランド紛争でイギリスに敗れる。

1988年、ソマリア内戦はじまる(~継続中)。

1991年、第一次湾岸戦争。

1991年、スロヴェニア独立戦争。

1994年、ルワンダで内戦始まる。50万人が殺される。

2001年、アメリカのアフガニスタン侵攻。

2003年、第二次湾岸戦争。

2005年、イラク戦争。ハディサで米軍兵士がイラク市民24人を虐殺(ハディサ事件)。

 

 

2019年5月18日 (土)

共和党と民主党

Franklindroosevelt 2020年は五輪イヤーであるが、米大統領選挙の年でもある。共和党トランプに挑む民主党の候補はだれなのか?ところで民主党と共和党との違いは? 

   共和党の基礎は南北戦争時のリンカーンが確立し、政権を獲得するに至った。共和党は長らく保護関税等の伝統的な資本擁護策をもって大衆は繁栄に魅せられて共和党を支持していた。しかし1929年大恐慌の到来とともにこの繁栄の夢はくずれ、共和党は野に下らざるをえなかった。民主党フランクリン・ルーズヴェルトはニューディール政策によって大衆を受益者化することに成功し、共和党は長らく政権から遠ざかった。1952年、共和党はアイゼンハワー人気で勝利したが、1960年、民主党は若きケネディが出現した。1969年のニクソン以降の共和党の大統領はフォード、レーガン、ブッシュ、ジョージ・ブッシュの4人。民主党の大統領はカーター、クリントン、オバマの3人。だいたい共和党は高額所得者、保守の政党というイメージがあるといってよい。

2019年5月12日 (日)

看護の日

Photo_3     本日を「看護の日」とするのは、1820年フローレンス・ナイチンゲールの誕生日に由来する。1853年、トルコとロシアの間にクリミア戦争が始まった。イギリス、フランスらがトルコを支援した。この戦争には19世紀を代表する2人の人物が関わっている。ナイチンゲールとトルストイである。1853年、ナイチンゲールはロンドンのハーレー街の小さな婦人施療院で看護婦として働いていた。これが陸軍大臣シドニー・ハーバートの目にとまった。翌年10月、ナイチンゲールは38人の看護婦とともにクリミアに向かった。同年7月、ロシアの青年将校トルストイは激戦地セバストーポリに従軍している。信仰心の篤い2人が戦場でみた光景が何であっのかそれは知らない。ただ戦争が青年たちの人生観を大きくかえる出来事だったことは間違いない。ナイチンゲールとトルストイは同じ年の1910年に亡くなっている。ナイチンゲールが亡くなるとき、国葬にしてウェストミンスター寺院に葬ることが話されたが、ナイチンゲールは遺書で拒否し、ハンプシャーのイーストウェロウの小さな教会墓地に埋葬された。世間が偉人と認めながら、偉人であることを拒みつつけた2人はよく似ている。(5月12日)

 

 

 

 

2019年5月11日 (土)

歴史・地理用語あれこれ

N1521882282   むかし学校で確か「リアス式海岸」と習ったはずなのに、子どもの教科書は「リアス海岸」となっている。こんな経験ありませんか。歴史や地理の用語表記も時代とともに変わるのです。セポイの反乱は、最近の教科書では「シパーヒーの反乱」と表記されている。現地呼称主義といってなるべく現地の人がする発音に近い表記に改めるそうである。また民族運動など、反乱とする見方も改められている。アラービー・パシャの反乱はアラービー運動、東学党の乱は甲午農民戦争となる。ウェストファリア条約はウェストファーレン条約。日本史では大化の改新→乙巳の変、蒙古襲来、元寇→モンゴル襲来と改められている。( keyword;sipahi,Arabi Passa )

2019年5月 8日 (水)

探検の世界史

 Trirememosaicfromcarthage未知の地域を踏破し、調査する事業を探検というが、探検の歴史はそのまま人類の地理的な知識の発展史といえる。 NHKスペシャル「幻の山カカボラジ」2014年3人の日本人登山家の登頂ドキメンタリー。あとわずかのところまで来たものの雪山で断念する。

前1100年 アッシリアのティグラト・ピレセル1世、ティグリス川を探る
前989年、周の穆王、洛陽からウルムチ、オムスク付近までを探る(穆天子伝)
前7世紀末 フェニキア人、エジプト王ネコ(前610~595)の命により、アフリカ海岸を探検
前630年  ギリシアのコラエウス、エーゲ海から地中海を渡り、ジブラルタル海峡を通る。初めて大西洋に達したギリシア人となる
前510年  ペルシアのシラックス、インダス川より出帆、アラビア半島をまわって、エジプトに至る
前470年  カルタゴのハンノ、アフリカの西海岸をシェルブロ海峡まで探検
前401年  ペルシアのギリシア人傭兵クセノフォンの脱出行(~前400年)
前332-326年  マケドニアのアレクサンドロス大王、軍勢をひきいて、中央アジア、エジプト、ペルシアを征服、インダス川に至る
前218年 カルタゴのハンニバル、軍勢をひきいて、スペインからアルプスを越え、イタリアに侵入
前120年 ギリシアのエウドクソス、エウエルゲテス2世によって、エジプトからインドへの海のルートを見つけるため派遣される
前56年 ローマのユリウス・カエサル、フランス・ドイツ・イギリスに遠征
前20年 ローマのストラボン、地理学的な情報を求めて、ヨーロッパ・アジア・エジプト、そしてリビアを旅行した
60-70年 ディオゲネスがナイルの源を見つける
84年    ローマのユリウス・アグリコーラ、イングランドを周航
97年    後漢の班超が甘英をペルシャ湾まで派遣
102年   李広、フェルガナ遠征に成功
114年   ローマがメソポタミアまで遠征し、この時ローマ帝国の境域が最大となる
150年   プトレマイオス、「地理学」を出版
166年   大秦王安敦の使者が中国に来る
255年   ゴート人、ギリシアを侵略する
399年   法顕のインド旅行「仏国記」が書かれる(~414年)
629年   玄奘のインド大旅行(~645年)
730年   イギリスの聖ウィリーバルドがサウザンプトンからイェルサレムに至り、イギリス人として聖地に最初の足跡を残す
1291年  マルコ・ポーロの東方旅行(~1295年)
1325年  イブン・バトゥータがアフリカ・アラビア・ペルシア・インド・中国と大旅行(~1354年)
1445年  ポルトガルのジョアン・フェルナンデス、ヴェルデ岬を発見
1488年  バーソロミュー・ディアス、喜望峰に到達
1492年  コロンブス、北米発見
1497-1499年 アメリゴ・ベスプッチの航海
1498年  バスコダ・ガマ、インド航路の発見
1498年  ジョン・カボット、北米海岸を発見
1500年  カブラル、ブラジル発見
1501-1502年 アメリゴ・ベスプッチ、ブラジル海岸踏査
1508年  カボット、北米を探検し、ハドソン湾を発見し、フロリダまで達した
1513年  バルボア、太平洋を発見
1519-1522年 マゼラン一行の世界周航
1526年  カボット、ラプラタ川流域を探検(~1527)
1567年  スペインのメンダーニャ、太平洋を航海、ソロモン諸島を発見
1648年   セミョン・デジニョフ、ロシア・チュクチ半島のデジニョフ岬に到達
1768年  イギリスのジェイムズ・クック、世界周航に成功。ニューカレドニア諸島を発見
1849年  イギリスのリヴィングストン、カラハリ砂漠を超えてアフリカ奥地を探検。ザンベジ川およびヴィクトリア湖を発見(~1973)
1858年  イギリスのバリントンがスイスのアイガーを初登頂に成功。
1858年  イギリスのジョン・スピーク、ヴィクトリア湖およびナイル川の源を発見
1878~79年 スウェーデンのノルデンショルド、北極海からベーリング海峡をぬけ、北東航路をひらいた
1880年  イギリスのウィンバー、南米のチンボラソ山に登頂
1893年  スウェーデンのスウェン・ヘディン、チベットおよびモンゴルを探検(~1907年)
1909年  アメリカのロバート・ピアリー、北極点に到達
1911年  ノルウェーのアムンゼン、南極点に到達
1912年  デンマークの貨客船セランディア号、世界初のエンジンにより航海
1926年  アメリカのバードとベネット、飛行船で北極点飛行に成功
1927年  アメリカのリンドバーグ、大西洋の横断飛行に成功
1929年  アメリカのバード、南極にリトル・アメリカ基地を設営、飛行機で南極点上を飛ぶ
1953年  イギリスのヒラリーおよびネパールのテンジン、エヴェレスト山に登頂
1961年  ソ連のガガリーン、ヴォストーク1号に乗って、人類最初の宇宙飛行に成功
1969年  アポロ11号、人類初の月世界到達成功した。全世界の何十億の人がテレビを通じて見守る中を、アームストロングが初めて月面を歩いた人間となった。
1976年  植村直己、グリーンランド~カナダ~アラスカの犬ぞり一人旅に成功

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンヌ・ダルク祭

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  イザボー・ド・バヴィエール

  1429年5月8日、ジャンヌ・ダルク(1412-1431)はオルレアンの包囲を破ってイギリス軍を大敗させた。ジャンヌの父はジャック・ダルク、母はイザベル・ロメールといわれる。しかしフランスには「フランスはイザボーによって破滅し、ジャンヌによって救われた」という言葉がある。この意味はジャンヌ・ダルクはフランス王室(シャルル)の血を受け継ぐものであったという伝説にもとづくものである。イザボーとはシャルル5世の王妃イザボー・ド・バヴィエール(1370-1433)のこと。イザボーは夫のシャルル5世が発狂したあと、シャルル5世の弟ルイ・ド・ヴァロア(オルレアン公)と親密な関係となり、生まれた子がジャンヌ・ダルクと一説にいわれている。ところがヴァロワは1407年謀殺されているので、ジャンヌ・ダルクの生年は定説よりも5年もさかのぼることになるので、24歳で処刑されたことになる。もちろん生年とされる1412年説も明確な根拠があるわけではないのだが、これらの伝説が生まれる背景には、聖女の母親がたとえ裏切者、売国奴、淫乱とされるイザボーであっても、オルレアン党を正当な王統とする史観があるからであろうか。ジャンヌの王女伝説を信奉する人々を「バタルディザン」(バタールとは私生児の意)と呼ぶ。

 

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2019年5月 7日 (火)

ルシタニア号沈没、隠された真実

  1915年5月7日、午後3時10分、ドイツのUボートは、第一次大戦の最中、南部アイルランド沖を航行中の英豪華客船ルシタニア号に魚雷を発射した。一発の魚雷は命中し、2度の大爆発を起こして、客船は10分たらずで沈没した。この混乱の中、米国人128人を含む1198人の命が失われた。イギリスは「無実の一般市民を攻撃」とドイツを非難。ところがルシタニア号の積み荷には、173トンの弾薬があり、当時の国際法に照らし合わせると、ルシタニア号は攻撃を受けても仕方がなかった。最近おこなわれた海底調査で、沈没したルシタニア号の船内には違法な武器と火薬が積載されていたことが判明された。ドイツの野蛮な攻撃に対してアメリカの世論は沸騰、これによってそれまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まり、アメリカも参戦することとなった。ルシタニア号沈没からおよそ2年後の1917年4月6日、ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告した。

 

 

 

 

2019年5月 5日 (日)

五月は悪月?

    そのむかし中国では相当古くから5月を悪月とみなす習慣があった。史記によると、斉の田嬰には40余人の子供があり、そのなかの一人に田文がいた。田文は賤妾の子で、しかも5月5日に生まれた。当時の俗説では「5月5日に生まれた子どもは父母に仇をする」といわれた。田嬰もはじめはいい顔をされなかったが、実はなかなかの才人で、やがて父のあとをついで城主になる。善政をおさめて、食客数千人を招いて厚遇し、その勢力は諸侯に聞こえ、孟嘗君として戦国末の四君の1人に数えられるようになった。なぜ5月が悪月なのか不明である。さわやかな新緑の季節なのに五月病というようにノイローゼなどの症状が現れるのもこの季節。5月は注意が必要である。

2019年5月 4日 (土)

楚漢抗争と漢王朝の成立

鴻門の会 前206年12月、項羽は咸陽に入城したが、既に劉邦が陥れていた。劉邦は項羽100万の大軍に恐れて鴻門に入り謝罪する。項羽の謀将范増はこの機に劉邦を殺そうと図ったが、部下の張良と樊噲によって劉邦は危うく逃れることができた。

十八王の分封 項羽は西楚覇王、劉邦は漢王となる。

垓下の戦いと漢の成立  漢の臣下韓信は、斉の都の臨菑を陥落させた。斉王韓信、漢王劉邦は項羽を垓下(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)に包囲する。前202年に劉邦は項羽を敗死せしめて中国を統一し、諸侯は漢王を挙げて皇帝とした。これがすなわち漢の高祖であり、ここに漢王朝が誕生する。

名刺のルーツ

Garamontdebernyetpeignotdsc4444    本日は「名刺の日」。May(メイ)と四(し)で「めいし」の語呂合わせ。日本のサラリーマンが必ず持っているもので、欧米ではあまり見られないものに名刺がある。だが世界で最初に名刺が使われたのはヨーロッパで、16世紀のドイツが起源といわれている。当時、人を訪ねていって不在だった場合、自分の名前を書いたカードを残していったのが名刺の始まり。その後18世紀、名刺はヨーロッパ社交界で盛んになる。この頃の名刺は銅版画を入れた美しいものが流行った。

 

Img_news    官僚制度が古くから発達した中国では名刺の起源は、少なくとも秦の末期に遡ることができる。漢代には「刺」「謁」と言い、謁見を求める者の姓名と身分を札に記して、取り次ぎを要請するのに使われた。三国、唐と「名謁」「名刺」と呼ばれ、宋代以降「名帖」「名紙」「拝帖」などの呼称がある。近年、古い名刺が墓から出土している。1984年に呉の武将、朱然(182-248)の名刺が発見された。「丹陽朱然再拝 問起居 字義封」と墨書してあり、木簡の長さは24.8㎝、幅3.4㎝。(参考:「漢晋時期における名謁・名刺」呂静香、程博麗、東洋文化研究所紀要160、「人間関係のはじまり」貝塚茂樹 1971、5月4日)

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