無料ブログはココログ

2018年9月14日 (金)

インドの時代区分

   インド史を大きく古代、中世、近世にわけるとすると、だいたい紀元前2600年頃のインダス文明成立から5世紀フン族の侵入によりグプタ朝が滅亡するまでが古代である。カナウジの王ハルシャ・ヴァルダーナが606年ヴァルダーナ朝を建てて、647年に王の死とともに崩壊する。ハルシャの死後、デリーには多数の王国が興亡した。この時代をラージプート諸王朝と呼ぶ。10世紀になってアフガニスタンにトルコ系のガズナ朝(962-1186)とイスラム系のゴール朝(1148-1215)が相次いで興った。13世紀になると奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝と5王朝が興り、デリー・スルタン朝と総称される。1526年、バーブルがパンジャブからベンガルの境までのインドを統一してムガール帝国(1526-1859)を創始した。ここから近世が始まる。(参考文献;M・ヘーダエートゥッラ「中世インドの神秘思想 ヒンドゥー・ムスリム交流史」 1967年、大島康正「時代区分の成立根拠」筑摩書房 1949年 ) 

Imgp71130
 ブバネーシュワルのリンガラージャ寺院 11世紀

 

2018年9月 6日 (木)

三国志及び諸葛孔明関係文献目録

1173299906  「三国志」の物語は中国、台湾、韓国、そして日本でもなじみが深い。芳根京子主演のドラマ「海月姫」に登場する天水館の住人まやや(内田理央)は三国志オタク。三国志にまつわる故事成語はたくさんある。三顧の礼、水魚の交わり、苦肉の策、白眉、脾肉の嘆、老いてますます盛ん、泣いて馬謖を斬る、破竹の勢い、死せる孔明生ける仲達を走らす、臥竜・鳳雛、などはよく知られている。だが「若きは水滸を読まず、老いは三国を読まず」ということわざは中国人ならだれでも知っているが、日本人にはほとんど知られていないだろう。これは、青年期は血の気が激しいから、水滸伝を読んだら、謀反に走り、年輩の者は世渡りの経験に富んでいるから、三国志を読んだら、非常に狡猾で奸智にたけた者になる、という意味だそうだ。しかし、今のアジア各地ではそのようなことを真に受ける者はいない。日本でも小説、劇画、ゲームと何度も三国志ブームが繰り替えされている。映画「レッドクリフ」で新しい三国志ファンが生れた。

明鏡は形を照す所以古事は今を知る所以   曇りのない鏡は形を照らすから姿を見るのによく、歴史上の事実は現在のことを判断するためのよい参考になるということ。

白眼視 司馬政権に批判的だった阮籍は、司馬氏が唱える孝を強調した礼法に反発して、むやみに礼を尊ぶ礼法主義者に会うと白目をむいて素っ気なく応対した。この阮籍の態度から人を冷たい目で見ること、冷淡に扱うことを白眼視するというようになった。

月旦評 許劭は月の初めに自宅に多くの人を集めて人物批評会を開いていた。曹操が許劭に「太平の世なら有能な官僚だが、乱世だったせ姦雄となる」と言われたのは有名な話。後世、人物批評、品定めを月旦評というようになった。

    なお、「三国志」から生まれた故事俚諺としては、この他にも「白波」、「髀肉の嘆」、「鶏肋」、「危急存亡の秋」、「読書百遍義自ら見わる」、「呉下の阿蒙」「士、別れて三日、刮目してあい待す」などがある。

三国志及び諸葛孔明関係文献
支那史研究 諸葛亮伝 市村瓚次郎 春秋社 1939
三国志 吉川英治 大日本雄弁会講談社 1942
三国演義 倉石武四郎 光風館 1944
孔明の出盧についての異説 狩野直禎 学芸5-1  1948
三国志 世界名作文庫 柴田錬三郎 偕成社 1954
三国の英雄 少年図書館選書 伊藤貴磨 生活百科刊行会 1954
三国志 4 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1956
三国志 5 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1957
三国志 6 岩波文庫 小川環樹訳  岩波書店 1960
諸葛亮 馬植杰 上海人民出版社 1957
三国志演義 上 中国古典文学全集8 立間祥介訳 平凡社 1958
三国志演義 下 中国古典文学全集9 立間祥介訳 平凡社 1959
三国志 完訳四大奇書 上下 立間祥介訳 平凡社 1960
三国志 第7冊 岩波文庫 小川環樹・金田純一郎訳 岩波書店 1961
三国志実録 吉川幸次郎 筑摩書房 1962
諸葛孔明 中国人物叢書 狩野直禎 人物往来社 1966
西晋時代の諸葛孔明観 狩野直禎 東林59-1 1966
三国志 英雄ここにあり 柴田錬三郎 講談社 1968
三国志 村上知行訳 河出書房 1968
三国志 中国古典新書 宮川尚志訳 明徳出版社 1970
三国志の世界 人と歴史シリーズ 狩野直禎 清水書院 1971
三国志 和刻本正史 長沢規矩也解題 古典研究会 1972
英雄ここにあり 上中下 講談社文庫 柴田錬三郎 講談社 1975
三国志 世界の名作文学8 山本和夫訳 岩崎書店 1975
三国志ⅠⅡⅢ 今鷹真、小南一郎、井波律子共訳 筑摩書房 1977-1989
諸葛孔明 宮川尚志 桃源社 1978
三国志 全5巻 「中国の思想」刊行委員会編訳 徳間書店 1979
三国志 上中下 岩波少年文庫 小川環樹、武部利男訳 岩波書店 1980
三国志 別巻 競いあう個性 大石智良・竹内良雄訳 徳間書店 1980
三国志語彙集 藤井守編 広島大学中国中世大学研究会 1980
乱世の奸雄 別冊コミックトム三国志3 横山光輝 潮出版社 1980
後漢・三国時代 中国の歴史5 陳舜臣 平凡社 1981
三国志の人物学 守屋洋 PHP研究所 1981
三国志の世界(人物中国の歴史6) 駒田信二編 集英社 1981
諸葛亮新伝 華映閣 上海人民出版社 1982
三国志銘々伝 渡辺精一 光村図書出版 1984
城野宏の戦略三国志  城野宏著 西順一郎編 ソーテック社 1984
三国志・座右の銘 松本一男 三笠書房 1986
三国志曹操伝 中村愿   新人物往来社 1986
諸葛亮治蜀 祖国的四川双書 譚良囀嘨 四川人民出版社 1986
名言で読む三国志 村山孚 新人物往来社  1986
三国志の統率学 松本一男 三笠書房 1986
ザ・三国志 村上知行訳 第三書館 1987
「三国志」史話 林亮 立風書房 1987
三国志世界を行く 雑喉潤 徳間書店 1987
三国志展 図録 中国画報特集号 日本三国志展実行委員会 1987
三国志と人間学 安岡正篤 福村出版 1987
三国志の世界 加地伸行編 新人物往来社 1987
現代に生かす諸葛孔明の知略と戦略 三神良三 大陸書房 1989
乱世の英雄たち 三国志1 竹崎有斐 あかね書房 1989
三国志人物事典 渡辺精一 講談社 1989
三国志 この人間的魅力を見よ! 知的生きかた文庫 松本一男著 三笠書房 1990
三国志 全5巻 羅漢中著 大櫛克之作 素人社 1990
三国志 庄葳著 岡田陽一訳 三一書房 1990
三国志Ⅱ ハンドブック シブサワコウ 光栄 1990
三国志縦横談 丘振声著 村山孚編訳 新人物往来社 1990
諸葛孔明 立間祥介 岩波書店 1990
三国・虎視たんたん 三国志絵巻9 王矛・王敏  岩崎書店 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
三国志の英雄たち 別冊歴史読本中国史シリーズ1 新人物往来社 1991
三国志人物絵巻 劉生展・画 殷占堂編 MPC 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
反三国志 周大荒 講談社 1991
三国志英傑タイムス 歴史おもしろタイムス1 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志孔明タイムス 歴史おもしろタイムス2 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志演義 井波律子 岩波書店 1994
三国志新聞 日本文芸社 1996
三国志武将画伝 立間祥介監修 小学館 1996
真三国志1 歴史群像中国戦史シリーズ 学研 1998
大三国志 改訂新版 世界文化社 2005
三国志 カラー版徹底図解 榎本秋 新星出版社 2009

2018年9月 4日 (火)

エジプトはナイルの賜物(古代エジプトの農業と政治)

Kings18

  「ナイルの源流については何人も確認することはできない・・・その流れははるかな彼方からエジプトにはいってくる」(ヘロドトス)

  「歴史の父」といわれる古代ギリシアのヘロトドスはアフリカも旅行したが、ナイル川の源流については、ついに確かめることができなかった。

   「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、ナイル川の増水を活用した農業によってエジプトの経済は成り立っていた。農作物の中心は麦で、ナイル川の増水によって毎年もたらされる肥沃な耕地に、種がまかれ育てられた。収穫は穂だけを刈り取り、乾かしたあと家畜に踏ませ脱穀した、風の力で選別された穀粒は集められて、おもにパンやビールの原料とするために粉にひかれた。

   古代エジプトの王朝は第1王朝とか第18王朝のように、番号で表されている。第1王朝の初期の王メネスから、第31王朝のプトレマイオス15世(カイサリオン)まで約3100年の歴史が繰り広げられた。この番号はプトレマイオス朝の神官マネト(前305-前285頃)がその著書に使用したものである。彼の生涯についてはほとんど明らかではない。初期のメネス王からアレクサンドロス大王までの間を31の王朝に区分し、王名やその統治年数などを年代記風に記述した。その原本は残っていないが、後世の年代記学者などの著作に引用され、ほぼその全貌をうかがうことができる。近代のエジプト史研究にマネトの番号付の王朝名は大きな影響を与えている。

初代の王、メネスについては存在した物証が少ない。メネス王とナルメル王は同一人物といわれる。1896年に発見された石の碑文は「ナルメルのパレット」と呼ばれ、上下エジプトを統一した功績が讃えられている。学者は年代を紀元前3000年から2850年の間と推定している。マネトによれば、メネスの治世は62年間に及んだが、最期はカバに踏み殺された、と記している。

セントヘレナのナポレオンと島の娘ポリー

Mort_napoleon_convert_2012011218011     ワーテルローで敗れたナポレオン(1769-1821)は、1815年6月22日に退位した。6月29日、アメリカへ亡命するため、パリを離れてロシュフォールの港に向かったが、すでに港が封鎖されていることを知り、イギリス軍艦ベレロフォン号に投降した。しかしイギリス亡命は認められず、ナポレオンは1815年10月15日、南大西洋の孤島セントへレナに流刑された。セントへレナ島はイギリス東インド会社の仲継基地で、少数の農民のほか奴隷に売られたインド人や中国人の姿が診られた。ナポレオンはロングウッドという丘陵地の粗末な木造家屋に収容された。

    セントへレナ島でナポレオンは、イギリスの行政官ハドソン・ローと口論したり、回想集を口述したりしながら余生を送った。孤島での幽閉生活は淋しいものだった。英雄の唯一の愉しみは、ポリー・メイスンとの木の下でのデートだった。と言っても2人は共通する言葉を持たなかった。ポリーは明るく奔放な性格といわれるが、ナポレオンとは20歳以上も年が離れていた。ナポレオンの死後、ポリーは嫁いで幸せな家庭を持ったのかは、島の人たちも何も知らない。

長期間癌で苦んだあとの1821年5月5日、暴風雨の夕べ、ナポレオンは51歳で世を去った。いよいよ最期が近づいたとき、ナポレオンは「フランス、軍旗、ジョゼフィーヌ」と死ぬ間際に言ったという。5月8日、生前好んで散歩した柳の木のもとに葬られたが、その葬儀はまことに簡素であった。彼の死後2年経た1823年に出版されたラス・カーズの「セント・ヘレナ日記」は大きな反響をよぶ。「セーヌ川のほとりに眠りたい」というナポレオンの最後の願望はかなえられ、1840年に彼の遺骸はパリのオテル・デ・ザンヴァリード(廃兵院)に改葬された。ナポレオンはいまもフランス国民の英雄である。

   ナポレオンの死因については今も論議されている。胃癌と肝臓病とする病死説が一般的であるが、彼の復活をおそれたイギリスが毒を少量ずつ与えたという毒殺説がでた。近年、イタリアの国立物理学研究所で毛髪を分析した結果によると、ヒ素中毒で亡くなったということは否定されている。(Napoleon Bonaparte,Saint Helena,Polly Mason)

2018年8月26日 (日)

屈原

4kutsugen

   楚の王室に生れた屈原(前340-前278)は、懐王から信任を得て国事に奔走した。ところが彼の改革に反対する者に陥れられ、追放のうき目にあう。自分の政策を受け入れず、放浪生活を余儀なくされる。このとき作ったのが「離騒」である。

 路曼曼としてそれ脩遠なり

 吾れまさに上下して求索(もと)めんとす

ついに屈原は汨羅の淵に身を投じて死ぬ。

屈原 岩波文庫 郭沫若著 須田禎一訳 岩波書店 1956
屈原 佐藤春夫全集5 講談社 1967
屈原 岩波新書 目加田誠 岩波書店 1967
屈原 中国の詩人1  竹治貞夫 集英社 1983
屈原 中国古典入門叢書4  敦維森著 安藤信広訳 日中出版 1984
屈原研究 郭沫若 新文芸出版社 1953
屈原詩集 カラー版中国の詩集1  黒須重彦訳 角川書店 1973
曹植と屈原 小守郁子 1989
屈原 畑中昭彦 日本文学館 2007

2018年8月25日 (土)

秦の昭王と周室の最期

  周の赧王の在位は59年に及んだが、もはや乱世を生き抜くだけの力もなければ、天下統合のシンボルとしての権威も失われていた。周王最後の忠臣周最(しゅうさい)は、秦に入り、昭王に献言する。「周を攻めるのは決してお国のためになりません。攻め取ったとて実利はほとんどなく、天子の国を討ったという汚名を得るだけで、諸侯を斉の側に追いやり、秦の孤立化を招くことになりましょう。これでは諸侯の旗頭になることは不可能です」と説いた。だが昭王は前250年、洛邑を攻め、ついに周を滅ぼしてしまった。

鉄砲伝来とその影響

Photo     1543年のこの日、種子島の南端、西之村に外国船が漂着した。船は赤尾木湊に曳船され、島主の種子島恵時・時尭が鉄砲2挺をポルトガル人から金2千両で購入した。それから1年余りで数十挺の鉄砲が製造された。数年後、同島で鉄砲は盛んに製造され、種子島銃と呼ばれるようになる。鉄砲は、弓・刀・槍による戦法を一変させた。しかし実際には鉄砲が普及し、戦場で使用されるまでかなりの年月を要している。戦国時代と鉄砲の関係から注目すべき武将は織田信長である。1575年5月21日、織田信長、徳川家康連合軍と武田勝頼とは、三河国南設楽郡の長篠城と、その西南の設楽原で激突した。この長篠の戦によって織田・徳川の3000挺の鉄砲が武田騎馬勢を撃破し、火力の差が勝敗を決定したことはよく知られている。だが、このとき武田側も鉄砲を重視し、設楽原の決戦でも兵器として使用していた。なぜ織田軍がこの戦いで勝ち、武田勢が敗れたのか。勝負を決めたのは鉄砲の運用面にある。よく知られる織田の「3段撃ち」は同時代の史料にはない。3段撃ちは江戸後期の軍記物に登場し、明治になって陸軍参謀本部編「日本戦史」に採用され、広く世間に広まった。信長が他の大名よりもいち早く安定的に鉄砲と硝石の供給元を確保したことにある。信長が長篠に送りこんだ大量の鉄砲には、レンタル品も数多くあった。そして長篠以前から合戦において既に鉄砲を使用していた。1569年、国司北畠氏が籠城する大河内城を攻めたとき鉄砲を使用した。この時は雨で鉄砲が役に立たず多くの戦死者を出したが、幾つかの教訓を得た。専門集団としての鉄砲衆の編成である。1570年、朝倉景恒の籠る金ヶ崎手筒山を攻めたが、配下の佐々成政率いる鉄砲隊は大戦果をあげた。こうして、姉川の合戦、小谷城攻め、石山本願寺の戦い、と鉄砲は実践で役立つ兵器となっていった。鉄砲伝来により、統一事業と兵農分離の進行がはやまったことは、封建社会を確立させるうえで、最も大きな影響である。

  では世界ではどのような戦いがおこなわれていであろうか。北インドでは1526年、パーニパッドでバーブル率いる1万2000の軍とイブラーヒーム率いる10万の軍隊とが激突した。鉄砲と騎兵を巧みに利用したバーブルが象を率いたローディー朝の10万の軍を破った。16世紀前半には世界は鉄砲の時代になっていたのである。(8月25日)参考;洞富雄「鉄砲 伝来とその影響」 思文閣出版 1991)

2018年8月22日 (水)

インドネシアの人名

  インドネシアといえば大体デヴィ・スカルノ夫人(旧姓・根本七保子)の名前が挙げられるくらいで、日本人はインドネシアのことをあまりよく知らない。高校世界史ではジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス)が人類誕生の項で登場する。1891年オランダ軍医ウジェーヌ・デュボワがソロ川近くのトリニール で発見した。ソロ川は全長約540kmのジャワ島最長の河川である。

「♪ブンガワン・ソロ 果てしなき青き流れに今日も祈らん」

  ブンガワン・ソロとはジャワ島中部を流れるソロ川のこと。ブンガワンは大河の意。グサン・マルトハルトノ(1917-2010)の作曲で、日本では昭和22年、松田トシが歌い広く知られている。

そのほか8世紀から9世紀シャイレーンドラ朝の時代に建てられたボロブドゥール遺跡。7世紀から15世紀東南アジアに栄えたシュリーヴィジャヤ王国。ジャワ島のクディリ朝のアイルランガ王。

ジャカルタにあるスカルノハッタ国際空港。ハッタとはインドネシア独立運動においてスカルノとともに独立の主導的役割を果たしたモハマッド・ハッタ(1903-1980)である。独立後、スカルノ大統領、ハッタ副大統領と2人は双頭体制をとるが、次第に対立し、ハッタは1956年に副大統領を辞職した。

多様性を重んじるインドネシアでは姓を義務づける法律はなく、例えばスカルノやスハルトはファーストネームのみで個人の名前である。現在のジョコ大統領も正式名はジョコ・ウィドドだが、姓と名との区別はなく、全部が個人の名前であるる。しかし最近では西洋風に苗字のある人も増えてきた。

4927039

スディルマン(1916-1950)、グスティ・ングラライ(1917-1946)

2018年8月15日 (水)

史記・司馬遷関係文献目録

3748c057fa9942ec487fd6d091ac364b

  前漢武帝の治世の元朔3年(前126)、司馬遷20歳のとき、天下漫遊の旅に出た。河南、安徽、江蘇、浙江、江西、湖南、湖北、山東の各省にわたる大旅行で、前後二、三年はついやしたようである。司馬遷は淮陰に立ち寄った。この地は、漢王朝の成立後、劉邦にあっけなく滅ぼされたが、劉邦、項羽の漢楚興亡のただ中にあっては斉王となり、漢室の一敵国となした名将・韓信の故郷である。司馬遷はこの地の父老たちから韓信の人柄を示す故事を聞くことができた。韓信は若い頃、屠殺屋仲間の若者にばかにされて、その股をくぐらされた「韓信の股くぐり」の話は有名であるが、のちに韓信は、その若者を召し出し、「わしの今日があるのはおまえのおかげだ」といって厚く報いたという。司馬遷は、どのように、こうしたエピソードを集めたのであろうか。じつは「史記淮陰候列伝」の論賛に、司馬遷が収集の経緯の一端を語っている。

    わたしが淮陰に行ったとき、淮陰の人々はわたしにこういった。「韓信は平民であったときでも、その気がまえは普通のものとはちがっていました。彼の母が死にましたとき、貧乏で葬式もできなかったのです。ところが、彼は高爽な、ひらけた場所に墓をつくり、将来その周囲に何万軒もの墓守りをおけるようにしたのです。」と。わたしは彼の母の墓を見にいったが、まことにその通りであった。もし韓信が道理を学び、謙虚な態度をとって自分の功績を自慢せず、その才能を鼻にかけなかったならば、漢室に対して、その勲功はかの周公、召公や太公望などにも比せられて、後世ながく国家の元勲として廟に祭られることにもなったろうものを。ところが彼はそうなろうとつとめずに、天下が統合されたあとで、なお反逆をたくらんだ。一族全滅にみまわれたのも当然ではなかろうか。

    ここには司馬遷の韓信の人柄に対する愛情と、それ故にこそあえて加える批判の筆とがよくあらわれている。(参考:大島利一「司馬遷」清水書院)

史記 影印本「二十五史」所収 2冊 台北・芸文印書館
史記考要 柯維騏 明
史記啓弁 詳論註解 堤大介編 松林堂 1879
啓蒙史記列伝 太田秀敬 青梅堂 1881
史記列伝講義 太田才次郎 開新堂 1893
史記国字解 8冊 桂五十郎 早稲田大学出版部 1919~1920
史記読本 田中慶太郎校訂 文求堂 1930
史記会注考証 10冊 瀧川亀太郎 東方文化学院研究所 1932-34
司馬遷の見たる古代支那の人文地理に就いて 藤田元春 地球16-2、3  1931
史記の孔子伝大要 岡崎文夫 史林17-3  1932
司馬遷と班固 岡崎文夫 史林17-3  1932
史記新講 新撰漢文叢書 梁田忠山 三省堂 1933
史記列伝 上下(国訳漢文大成・経史子部) 国民文庫刊行会 1934
史記・書・世家 国訳漢文大成・経子史部14  国民文庫刊行会 1935
新撰史記鈔詳解 沢田総清・滝沢良芳編 健文社 1936
史記著作考 支那学翻訳叢書5 シャヴァンヌ著 岩村忍訳 文求堂書店 1939
史記編述年代考 山下寅次 六盟館 1940
史記及注釈綜合引得 北平・哈仏燕京学社 1947
史記物語 世界名作全集 増田渉 講談社 1956
史記会注考証校補 全15冊 水沢利忠著 史記会注考証校補刊行会 1955~1960
現代語訳史記4列伝篇 小竹文夫・小竹武夫訳 弘文堂 1957
史記 楚漢篇 新訂中国古典選11  田中謙二・一海知義 朝日新聞社 1967
史記 漢武篇 新訂中国古典選12  田中謙二・一海知義 朝日新聞社 1967
史記研究資料索引和論文専著提要 楊燕起・兪樟華編 蘭州大学出版社 1989
史記研究的資料和論文索引 中国科学院歴史研究所 科学出版社 1957
史記 上 中国古典文学全集 野口定男、頼惟勤、近藤光男、吉田光邦訳注 平凡社 1958
史記 中・下 中国古典文学全集 野口定男ほか 平凡社 1959
史記故事精選連環画 全4冊 冀汝枢等編絵 二世一世 1990
史記三家注引書索引 段書安 中華書局 1982
史記参考書目 二十五史史記後附録 開明書店 1935
史記書録 賀次君 商務印書館 1958
史記 楚漢篇 中国古典選 田中謙二・一海知義 朝日新聞社 1958
史記 世界文学大系 小竹文夫・小竹武夫 筑摩書房 1962
史記 中公新書 貝塚茂樹 中央公論社 1963
史記人名索引 呉樹平 中華書局 1982
史記人名索引 鐘華 中華書局 1977
史記 司馬遷の世界 講談社現代新書 加地伸行 講談社 1978
史記新論 白寿彜 北京・新華書店 1981
史記菁華録 楊姚荢田輯 王興康等標点 上海古籍出版社 1988
史記地名考 銭穆 
史記桃源抄の研究 全5巻 亀井孝・水沢利忠 日本学術振興会 1965~1969
史記桃源抄の研究 本文篇3 日本学術振興会 1970
史記・十八史略演習 吹野安編 笠間書院 1970
史記・十八史略新釈 吹野安編 笠間書院 1970
史記百三十篇篇目的研究 劉偉民 香港聯合書院学報第10期 1972
史記・十八史略 明解古典学習シリーズ 三省堂 1973
史記列伝 下 漢文大系7 重野安繹 冨山房 1973
史記列伝 全5冊 岩波文庫 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 岩波書店 1975
史記研究之資料与論文索引 王民信編 台湾学海出版会 1976
史記選 項羽本紀 漢文講読課本6 朋友書店 1979
史記を語る 岩波新書 宮崎市定 岩波書店 1979
史記世家 上岩波文庫 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 岩波書店 1980
史記を読む 研文叢書7 野口定男 研文出版 1980
史記世家 中岩波文庫 岩波書店 1982
史記列伝 世界古典文学全集20  小川環樹他訳 筑摩書房 1982
史記水滸伝唐代伝奇 朝日文庫 陳舜臣 朝日新聞社 1983
「史記」を中国語で読む 相浦杲 PHP研究所 1985
史記選注賄匯評 韓兆琦編注 中州古籍 1990
史記世家 下岩波文庫 岩波書店 1991
史記雕題 上 懐徳堂文庫復刻刊行会監 吉川弘文館 1991
史記探源 二十四史研究資料叢刊 崔適 北京・中華書局 1986
史記点描 人間の生きざまをつづった四十二話 山崎正 公人社 1987
史記・本紀1 新釈漢文大系 吉田賢抗 明治書院 1988
史記・本紀2 新釈漢文大系 吉田賢抗 明治書院 1988
史記・世家上 新釈漢文大系 吉田賢抗  明治書院 1988
「史記」小事典 久米旺生・竹内良雄・丹羽隼兵 徳間書店 1988

「史才と文章上より見たる司馬遷」 日下寛 東亜研究2-5  1912
「司馬遷の性行と史記の文章」 児島献吉郎 東亜研究2-5  1912
「史記と外交」 武藤長年 東亜研究2-5  1912
「司馬遷年表並に其孝道」 中山久四郎 東亜研究2-5  1912
「司馬遷の経学」 狩野直喜 哲学研究3-7  1918
「司馬遷の自由放任説」 小島祐馬 政治経済学論叢1-1   1919
「公羊家の観たる史記」 小島祐馬 支那学1-1  1921
「司馬遷の歴史観に就いて」 本田成之 支那学2-8,9  1922
「史記ノ漢高本紀ニ就テ」 稲葉岩吉 東亜経済研究8-2  1924
「司馬遷の生年に関する一新説」 桑原隲蔵 史学研究(東京)1-1  1929
「史記貨殖列伝論稿」 穂積文雄 東亜同文書院論文集 1930
「司馬遷の人文地理学」 藤田元春 立命館大学1-12  1934
「史記と春秋学」 岡崎文夫 文化1-9  1934
司馬遷 東洋思想叢書 武田泰淳 日本評論社 1943
司馬遷 教養文庫 岡崎文夫 弘文堂書店 1947
司馬遷之人格与風格 李長之 上海開明書店 1948
司馬遷 史記の世界 創元文庫 武田泰淳 創元社 1952
司馬遷著作及其研究資料書目 上海市歴史文献図書館 1955
司馬遷 李鎮淮  上海人民出版社 1955
司馬遷年譜 鄭鶴声編 商務印書館 1956
司馬遷 岡崎文夫 弘文堂 1958
司馬遷 史記の世界 武田泰淳 文芸春秋社 1959
司馬遷 記録者の意義と生涯 小倉芳彦(世界の歴史3) 筑摩書房 1960
司馬遷所見考 金徳建 上海人民出版社 1963
司馬遷 筑摩叢書 バートン・ワトソン著 今鷹真訳 筑摩書房 1965
司馬遷 史記の世界 武田泰淳 講談社 1965
司馬遷 史記列伝 世界の名著11  貝塚茂樹編 中央公論社 1968
司馬遷 史記の成立 人と歴史シリーズ 大島利一 清水書院 1972
司馬遷 史記の世界 講談社文庫 武田泰淳 講談社 1972
史記3 支配の力学 丸山松幸・和田武司訳 徳間書店 1972
史記 中国古典シリーズ1 陳舜臣 朝日新聞社 1974
史記補注 池田四郎次郎 明徳出版社 1975
世界をとらえた生涯 司馬遷 市川宏 人物中国志3 1975
史記 中国古典選 田中謙二・一海知義 朝日新聞社 1978
司馬遷 中公バックス世界の名著11  貝塚茂樹編 中央公論社 1978
司馬遷 諷刺と称揚の精神 李長之著 和田武司訳 徳間書店 1980
司馬遷 起死回生を期す 中国の人と思想6 林田慎之助 集英社 1984
司馬遷評伝 肖黎著 吉林文史出版社 1986
史記世家 上中下 新釈漢文大系 吉田賢抗 明治書院 1986
史記 司馬遷 徳間書店 1987
司馬遷的創作意識與写作技巧 范文芳 文史哲出版社 1987
司馬遷和史記 劉乃和主編 北京出版社 1987
司馬遷與其史学 周虎林 文史哲出版社 1987
史記 中国古典百言百話 西野広祥 PHP研究所 1988
司馬遷 徳間文庫 李長之著 和田武司訳 徳間書店 1988
史記 呉越燃ゆ 久松文雄 講談社 1989
史記 世界の名作全集 渡辺武訳 国土社 1990

2018年8月 9日 (木)

世界の戦争と平和

  今日、長崎は「原爆の日」。原爆死没者の冥福と核兵器廃絶を祈った。日の丸、君が代の大合唱。これまでの狭い国民国家の枠にとわれたものの見方や考え方が、大震災のあとますます強固になりつつある。

800pxurakamitenshudojan1946 1014kinokogumo36
Okinawa S201103148327001l

000cf1bdd0220c991a6b0b Photo Dmz001pan_m2 Img_603681_13175318_0_2 20061228_33600 1811_4 652d7421d4027522b712c830675bbb8e Axis Img_370519_4846289_0 O0800053011401813403 Nankingkanraku Auschild51 Abc266c24081f32e477824a711de5dbf Anpo3 Beto01 Image Zero81 20110109131604

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30