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2021年9月 9日 (木)

クララ・シューマンとブラームスの恋

30604   クララとブラームスが出会ったのは、クララが34歳、ブラームスが20歳のときだった。引っ込み思案のブラームスだが、1853年のある日、尊敬するシューマンの家を訪問した。シューマンはこの青年の才能を高く賞賛した。しかし出会って翌年、シューマンは精神に異常をきたす。2年後に亡くなるまで、ブラームスは献身的にクララとその家族の生活を助けた。シューマンとの間に子供は8人いた(1人は1歳で間もなく死亡)。

 

   ブラームスは長い髪を肩までたらしたナイーブな青年。恩人の妻に対する尊敬の念がしだいに愛情へと変わっていった。2人の関係が生涯プラトニック・ラブであったのか、不倫であったのか、音楽史の最大の謎とまでいわれている。クララが亡くなって1年足らずして、1897年、ブラームスも後を追うようにして亡くなった。(Clara Schumann,Johannes Brahms)

2021年8月22日 (日)

ムード音楽のはじまり

   真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

 

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

 

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

 

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

 

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

 

「マドンナの宝石」 マランド楽団

 

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド楽団

 

「ミスティ」 ジョージ・メラクリーノ楽団

 

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

 

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

 

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

 

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

 

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

 

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

 

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

 

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

 

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

 

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

 

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

 

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

 

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

 

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

 

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

 

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

 

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

 

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

 

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

 

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

 

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

 

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

 

シャレード フランク・チャックフィールド

 

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

 

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

 

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

 

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

 

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

 

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

 

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

 

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

 

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

 

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

 

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

 

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

 

サンセット77  ウォーレン・バーカー

 

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

 

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

 

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

 

街角のカフェ  フランク・ミルズ

 

今宵のあなた モートン・グールド

 

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

 

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

 

ラブ・タイム・ゴウ・バイ(カサブランカ)  ビージー・アデール

 

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団、ジョージ・メラクリーノ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館でレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

 

 

 

 

2021年7月 8日 (木)

慕情「愛とは素晴らしいもの」

 本日のNHKBSプレミアムは、ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ主演の映画「慕情」(1955年)。この映画は、みなさんご承知のように、香港に在住している中国人とイギリス人の混血である女医ハン・スーインの自伝的小説を映画化したものです。主演のジェニファー・ジョーンズは「聖処女」から「タワーリング・インフェルノ」まで21本の作品に出演したが長いキャリアの割には寡作の人である。主演女優としてのプライドがあったのだろう。この映画を永遠の恋愛映画としたのは、この映画の主題曲でしょう。音楽監督アルフレッド・ニューマン、サミー・フェイン作曲、ポール・フランシス・ウェブスターの歌詞による Love is A Many‐Splendored Thingはアカデミー主題歌賞がおくられました。サミー・フェインはプッチーニの「ある晴れた日に」(蝶々夫人)をイメージして作曲したといっている。映画ではラストシーンでコーラス・グループが歌っていますが、1955年にザ・フォー・エイセスが歌って大ヒットし、その後フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、マット・モンロー、ジェリー・ベール、アンディ・ウィリアムズ、コニー・フランシスなど多くの歌手が歌っています。またインストゥルメンタルとして、マントヴァーニ、ロジャー・ウィリアム、カーメン・キャバレロなどさまざまなアレンジで演奏されていまでは映画音楽・ムード音楽のスタンダード曲となっています。Ray Conniff;Love is a many splendored thing

 

 

2021年6月30日 (水)

中国語でカバーされた日本の歌謡曲

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   「最愛」(1984)は柏原芳恵の21枚目のシングル。オリコンチャートでは最高位8位だった。芳恵のヒット曲は「春なのに」「ハローグッバイ」「花梨」など多数あるので、日本ではそれほど知られていないかもしれない。だが「最愛」はアジア圏ではとても広く知られた歌である。香港のアイドル歌手ヴィヴィアン・チョウ(周慧敏)が「最愛」をカバーして大ヒットしたからだ。上海でのコンサートでもラストに歌う曲でファンにはたまらない極上の一曲である周慧敏はスタイル抜群のとても美しい歌手である。河合奈保子の「ハーフムーン・セレナード」も中国では「月半小夜曲」として広く知られている。水越恵子の「Too Far Away」も日本ではそれほどヒットしなかったが、韓国ではジョンフンなどがカバーして今では名曲となっている。

 

蔡淳佳(ツァイ・チュンジア)はシンガポールの歌手だが、中国語で「涙そうそう」や「雪の華」をカバーしている。「療傷系紙片人」と呼ばれ、いやし系の紙のように痩せている美人という意味。

日本の歌曲はアジア各国で知られているというのは戦前からのことで、日帝植民地支配による影響が大きい。だがアジアの歌姫テレサ・テンが歌ってアジアで広まった日本の歌謡曲は多い。「グッド・バイ・マイ・ラブ」「長崎は今日も雨だった」「港町ブルース(苦海女神龍)」「襟裳岬」「北国の春」「昴」「神田川」などなど。梓みちよの「渚のシャララ」などは本国日本よりも海外で知られている。しかし歌詞は元歌の意味とは無関係に北京語でつくられことが多い。

 

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Vivian Chow

2021年6月 7日 (月)

雨の日のうた

雨の日には軒を伝う雨だれの 

一番きれいなしずくを欲しいと思うの 

あなたのために あなたのために 

夜が来れば天の川の星屑の 

一番きれいな光を欲しいと思うの 

あなたのために あなたのため あなたのために 

ああ、叱れてみたい またあなたに 

叱れてみたい この私

Img_5_2  松山善三作詞、船村徹作曲の「雨の日には」である。映画「その人は昔」(1967)の挿入歌。松山の作詞といえば、一般には「一本の鉛筆」(美空ひばり)や「百万本のバラ」(クミコ)が知られている。内藤洋子の歌唱に難があるので、この歌は他の歌手が歌うことはなく、ほとんど知られていない一曲である。しかし50万枚売れた「白馬のルンナ」のB面なので、多くの人が一度は聞いたはずである。たどたどしい歌い方ながら、魔訶不思議な少女的世界が広がっている。松山には詩的感性も素晴らしいものがある。内藤洋子が病院の屋上で赤い傘を持って歌う。風になびく黒髪と真っ白な包帯、それにピンクの傘が1つに溶けあって、羽化登仙の夢見心地で見ていた。

 60年代から70年代にかけての雨の日の歌。「雨がやんだら」朝丘雪路、「雨のバラード」湯原昌幸、「雨の御堂筋」欧陽菲菲、「雨」三善英史、「傘がない」井上陽水、「雨の物語」イルカ、「銀の雨」松山千春、「九月の雨」太田裕美、「みずいろの雨」八神純子。



 

 

 

 

2021年6月 4日 (金)

天安門事件と鄧麗君

6_1r32c608_0  1989年のこの日、北京市で天安門事件が起こった。民主化を求めて数万人の市民が集結していた。軍が戦車・装甲車で出動し武力鎮圧し数千人の死傷者が出た。香港や台湾では激しい事件への抗議が起きたが、なかでも台湾出身のアジアの歌姫・テレサ・テン(鄧麗君)の行動が注目される。テレサが歌う「何日君再来」は1980年になって、中国大陸で音楽テープによって爆発的に広まっていた。共産党当局は彼女の歌を不健全な「黄色歌曲」(ピンク歌曲)として禁止していたが、人々はひそかにこの歌を聴いていた。これは1983年末まで続けられた。やがて鄧小平の開放政策への転換によって、テレサの歌も解除されたが、天安門事件によって北京コンサートは中止となる。テレサは天安門事件後、中国の自由と民主化を願っていた。「わたしはチャイニーズです」と述べた後、自由を語りはじめた。彼女の歌声は今も、台湾、香港、中国、韓国、フィリピン、日本、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、タイなどアジア各地で流れている。20世紀最高のアジアの歌姫と呼ばれている。代表曲は日本語の「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」のほか、中国語の代表曲「千言萬語」「甜蜜蜜」「小城故事」「月亮代表我的心」、アルバム「淡淡幽情」。アン・ルイスの「グッバイ・マイ・ラブ」のカバー曲「再見我的愛人」もヒットした。生前テレサはこんなことを言った「わたしには3つのことが出来なかったことがある。1つは高い学歴をもてなかった、1つは結婚できなかった、そして最後の1つは中国で歌えなかったこと。」1967年「鄧麗君之歌第一集」は二種類あり、「何日君再來」を改題した「幾時称回來」が入っているのと、「女鯨兒園」に差し替えたもの。「何日君再來」は文化統制下の台湾で禁歌だった。生涯、テレサは「何日君再來」を4回レコーディングしている。母が歌っていたというこの歌にテレサはどのような思いを重ねたのであろうか。(中薗英助「何日君再来物語」 河出書房新社) Dang Le Quan 6月4日

 

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2021年5月27日 (木)

韓国トロット「愛の迷路」「離別(イビョル)」

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   チェ・ジニ                    ブォンソンケイ


 トロットとは韓国歌謡における演歌である。「愛の迷路」や「離別」など韓国歌謡の多くはキム・ヨンジャや桂銀淑などで日本語訳詞でカバーされているが、原曲は60年代から80年代のヒット曲。「愛の迷路」はチェ・ジニ(崔辰熙)が1983年に歌った。「離別(イビョル)」は日本語歌詞でもお馴染み。「♫時には思い出すでしょう 冷たい人だけど あんなに愛した思い出を忘れはしないでしょう」ブォン・ソンケイ(潘秀瓊)はマカオ生まれで現在も元気でシンガホールに在住しているらしい。

 

   韓国歌謡で有名な歌は「木浦の涙」(1935)イ・ナンヨン(李蘭影、1916-1965)は戦後渡米しラスベガスで活躍したが晩年は不遇でアル中で49歳で亡くなった。韓国歌謡で定番曲は、アン・ジョンエ(安貞愛)の「大田ブルース」(1959)、イ・ソンエ(李成愛)の「カスマブゲ」(1977)など。イ・ソンヒ(李仙姫)の「J」(1984)は門倉有希がカバーして日本でもよく知られる。

 

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   朝鮮戦争が終わったあとの1955年「タンジャンのミアリ峠」イ・へヨン(李海燕)が流行した。日本語訳詞では「断腸のミアリ峠」。「連れて行かれたあなた、ミアリ峠は涙の峠、恨み多い峠」ミアリ峠はソウル北東部にあり、朝鮮戦争の激戦地だった。

1970年代、ナ・フナ(羅勲児)とナ・ムジン(南珍)が人気を二分した。現在、ディスコとトロットを融合した「トロットの女神」ホン・ジニョンが人気ある。「愛のバッテリー」「生きるということは」「私の好きなもの」

 

 

2021年3月16日 (火)

春はセンバツから(選抜入場行進曲の話)

  19日からセンバツが始まる。本大会から投手の負担軽減のため1人の投手の投球数を1週間で500球以内に制限される。ところで、今年の開会式入場行進曲は「パプリカ」。通常は前年に世に流行ったヒット曲から選ばれることが多いが、近年は、日本レコード大賞を受賞した曲が入場行進曲に採用されるケースは少なくなっている。過去に8回あるが、昭和34年から平成29年までの大賞受賞曲でダブル受賞がわずか8曲とはなかなかの狭き門である。これまでの全曲は次のとおり。多様性の時代の表れなのか。

 

いつでも夢を(橋幸夫、吉永小百合)

 

こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)

 

また逢う日まで(尾崎紀世彦)

 

ルビーの指輪(寺尾聰)

 

パラダイス銀河(光GENJI)

 

おどるポンポコリン(B.B.クイーンズ)

 

TSUNAMI(サザンオールスターズ)

 

蕾 つぼみ(コブクロ)

 

 

 

 

2021年2月 5日 (金)

チャップリン「スマイル」

Photo    1936年のこの日、喜劇王チャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」がアメリカで公開された。チャップリンの映画は音楽もすばらしい。「ラ・ヴィオレテラ」(街の灯)、「テリーのテーマ」(ライムライト)、「スマイル」(モダン・タイムス)などスタンダードな曲。なかでも「スマイル」はもの悲しいメロディーのなかに明日への希望が感じられ、永く多くの人々に愛されてきた。映画は、オートメーションと機械文明の将来をいちはや憂い、人間性の喪失の危機を警告していた風刺性も鋭い。機械に操られているチャップリンのパントマイム芸術も絶妙。「スマイル」はインストゥルメンタルのみだったが、1954年にナット・キング・コールが歌詞付で歌ってヒットした。以後、マイケル・ジャクソンはじめ多くの歌手によってカバーされている。またマントヴァーニ・オーケストラなどイージーリスニングとしても定番の曲である。この曲は近年フィギュアスケートの浅田真央や織田信成選手のエキシビション使用曲となり若い人も知るようになった。

  これまでに「スマイル」をカバーした主なミュージシャン。ペトゥラ・クラーク、ニール・セダカ、スキータ・ディヴィス、ペリー・コモ、ジュディ・ガーランド、トニー・ベネットなど。世界中がコロナ禍で苦しむ毎日、力がもらえる前向きな楽曲としてお勧めしたい。(2月25日)

 

 

 

 

2020年12月17日 (木)

聴いていて気恥ずかしくなる歌謡曲

   子供のころに聞いた曲で、題名も歌手もなかなか思い出せないが、忘れられない曲が誰にもあるものだ。ふとした切っ掛けで、耳にすることができた。なんとも気恥ずかしいような曲調で、いまではテレビで聞くことはほとんどできないだろう。愛川みさ「誰にも云わないで」(1969)である。当時、ラジオはもちろんテレビの歌番組でもよく流れていた。「♪どことなくさみしそな あのひとが好きなのよ じっと見ているだけで 泣けてくるわたし」女の媚びを含んだなまめかしい声、いわゆる嬌声である。昭和40年代は、特異な声が流行った時代であり、若い頃の日吉ミミも嬌声歌手の1人だった。作詞・作曲は国民栄誉賞の遠藤実である。遠藤には「星影のワルツ」や「北国の春」のような名曲もあるが、お色気ソングも多い。ミノルフォン・レコードの楽曲は気恥ずかしくなるような曲が多い。それが歌謡曲の醍醐味かもしれない。愛川みさ「誰にも云わないで」は誰もカバーできないだろう。実は1983年に小久保尚美でカバーしている。嬌声ではなくサラリと歌っていて聞きやすい。愛川のような気恥ずかしくなるほどの歌謡曲というのも遠い昭和の思い出かもしれない。五月みどり「おひまなら来てよね」(1961)は遠藤がたまたま目にした仏映画「今晩おひま?」ジャン・ピエール・モッキー監督のポスターから着想したそうだ。

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