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2017年10月17日 (火)

ああ、60年代東京ご当地ソング

Img_943571_34041895_0    東京を題材にした歌謡曲は佐藤千夜子の「東京行進曲」をはじめとして無数にある。戦後は笠置シズ子「東京ブギウギ」、灰田勝彦「東京の屋根の下」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」。しかし東京ご当地ソングが急激に増加するのは1960年代になってからである。東京オリンピック前後の東京は好景気に沸き、繁華街は大盛況となり、東京は不夜城となっていった。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、松尾和子「グッド・ナイト東京」、坂本九「サヨナラ東京」、井沢八郎「ああ上野駅」、西田佐知子「赤坂の夜は更けて」、日野てる子・高城丈二「青山の灯も消えて」、三田明「アイビー東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、大木英夫・津山洋子「新宿そだち」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」 etc.このように東京を題材としたヒット曲は無数にあるものの「東京」というシンプルなタイトルはマイペースの作品くらい。海外をみてもロンドンとかパリとか単に都市名のみの曲はあまり見当たらい。「モスクワの夜は更けて」「とんでイスタンブール」とか「想い出のサンフランシスコ」とか形容詞がつくものである。稀少例としてファウスト・チリアーノの「ローマ」(1972)がある。ローマの橋をテーマにした佳曲。彼は特捜最前線のエンディング「私だけの十字架」で日本でもお馴染みの歌手である。

2017年10月15日 (日)

世界一の名歌手・エンリコ・カルーソー

Caruso   Mステ。21世紀になって17年。CDが一番売れたアーティストは「嵐」だそうだ。でも20世紀のレコードの時代、世界中で一番レコードが売れたのはイタリアの歌手エンリコ・カルーソーだった。イタリアといえば民謡。民謡といえばナポリがまず思いうかぶ。歌とおしゃべりに明け暮れる楽天的なナポリっ子だが、南イタリア共通の貧しさがひそんでいる。ごみごみした路地にはりめぐらされた洗濯物の洪水、だがナポリっ子はそれを「ナポリの旗」だと無邪気に自慢する。

   1873年2月25日、エンリコ・カルーソー(1873-1921)は、ナポリの貧民窟サン・ジョヴァンニエッロ街の機械工の18番目の子として生まれた。父親の名前は知らないが、母親はアンナ・カルーソーという。CARUSOはナポリ風に読めばカルーゾだが、日本では一般に英語風のカルーソーで通っている。ナポリの貧民窟に住む母アンナは、なけなしの金をはたいて小さなエンリコに歌を習わせた。シニョール・ヴェルジーネはエンリコの才能をあまり評価せず、「雨戸をふきぬける風みたいな歌だ」とあざけった。アンナはエンリコの成功を見ずに死んだ。1894年ナポリの新劇場でデビューし、イタリア国内のいくつかの小劇場で歌った。1898年、ミラノで「フェードラ」が初演され、大成功を収めた。1902年、ミラノのスカラ座で歌ったとき、グラモフォン社のフレッド・ガイズバーグと出会ったことが契機となり、レコード録音をする。1903年からニューヨークのメトロポリタン劇場での成功と併せて発売されたレコードによってその名は世界的に知られるようになった。カルーソはオペラ歌手というだけでなく、民謡やポピュラーソングまで歌い、世界のあらゆる階層の人々から愛される歌手であった。カルーソはアダ・ジャケッティとの間に、正式な結婚はしていなかったが二児をもうけていた。1918年、ニューヨークの実業家の娘ドロシー・P・ベンジャミンと結婚した。絶頂期の1921年8月2日に故郷で休暇中に亡くなった。若きカルーソを評して、トスカニーニは「このナポリ人がこのように歌い続けるなら、世界中、彼の噂でもちきりになるだろう」と言った。トスカニーニの言葉どおり、彼は現代につながる発声唱法とレコード産業をも確立させた。

   「オーソーレミオ」(私の太陽)というエドゥアルド・ディ・カープア(1865-1917)作曲のナポリ民謡はカルーソーの創唱で世界中に知られるようになった。のちのオペラのテノール歌手たちがこぞってナポリ民謡をうたのうは、カルーソーの影響によるものだろう。

2017年10月14日 (土)

古い歌でも毎日よく耳にする

   いまの若い人たちが、イアホンで普段どんな曲を聴いているのか気になりませんか?現在エムオンのランキング一位はDAOKO×米津玄師「打上花火」。でも乃木坂の西野七瀬は大阪に帰る新幹線の中で聴いた曲で泣いたという。ちあきなおみ「喝采」(1972)の「それでも私は今日も恋の歌うたっている」という歌詞に勇気づけられた。缶コーヒーBOSSのCMで流れた。そういえばビールのCMにもよく古い曲がつかわれる。「♪サンマか、サザエか~」とグレン・ミラーの「茶色の小瓶」を堤真一が口づさむ。そのほかナット・キング・コールのLOVEとかイタリアのボラーレとかポピュラーな名曲もよく流れている。きっと若い人には新鮮に聞こえるのだろう。

2017年10月12日 (木)

休日の音楽

70217001   本日の徹子の部屋に八代亜紀が出演。「帰ってくれたら嬉しいわ」演歌とジャズ。むかしサム・テイラーは昭和の歌謡曲を取り上げて多数演奏している。「夜霧よ今夜も有難う」「影を慕いて」「有楽町で逢いましょう」「夜霧の第二国道」などなど。

  真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いてもあきないのかもしれません。

   映画音楽やムード・ミュージックを聴いて眠る。レコード、カセット、CDといろいろあるが、いますぐ好きな曲を聴こうとすると、捜すのが一苦労。そんなときyoutubeが便利だ。ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

「マドンナの宝石」 マランド楽団

「トゥーランドット」 パバロッティ

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

シャレード フランク・チャックフィールド

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

サークル・ゲーム(いちご白書)

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

サンセット77  ウォーレン・バーカー

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

街角のカフェ  フランク・ミルズ

今宵のあなた モートン・グールド

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、レイ・コニフ、101ストリングス・オーケストラ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファウスト・パペッティ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館でレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

2017年10月11日 (水)

似ている曲

620_1chanson     戦後、近江俊郎の「ハバロスク小唄」(1949年)がヒットしたが、これは林伊佐緒が昭和15年に歌った「東京パレード」の替え歌だった。やがて村田英雄が同じ曲に歌詞を変えて「皆の衆」を歌いまたもヒットした。やはり聞き覚えのあるメロディーはヒットしやすいらしい。冠二郎の「旅の終りに」も大正10年の「流浪の唄」とメロディーはまったく同じである。「♪流れ流れてさすらう旅は きょうは函館あしたは釧路」むかしは「流れ流れておちゆく先は 北はシベリア南はジャワよ」だった。大正時代のほうがスケールはでかかった。小松政夫の「♪しらけ鳥飛んでゆく南の空に~」はザ・キャラクターズの「港町シャンソン」の歌い出しと同じだ。鈴木雅之「ロンリー・チャップリン」はホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン「Take Good Care Of My Heart」に酷似している。小林亜星「どこまでも行こう」と服部克久「記念樹」は裁判にまで及ぶ。

   福山雅治「ひまわり」の出だしはlsland「stay with me」に似ている。クマムシのヒット曲「あったかいんだからぁ~」。SMAP「笑顔のゲンキ」や松田聖子「レモネードの夏」など20曲近くによく似たフレーズがある。メロディーが1フレーズ似ていると感じるときは大抵コード進行が同じだからである。朝ドラ「あさが来た」の主題歌「365日の紙飛行機」が三輪車「水色の街」とよく似ているという噂である。かまやつひろし「あの時君は若かった」。フランク・シナトラ&トミー・ドーシー楽団「フールズ・ラッシュ・イン」(1940年)というジャズの名曲に似ている。Fools Rush Inという、直訳すれば「愚か者たちが駆け込む」だが警句で「恋は愚かというけれど」という18世紀の詩人アレクサンダー・ポープの一節。

2017年10月 9日 (月)

フルーツ歌謡曲

   フルーツをテーマにする曲がイメージしやすいのは、フルーツが私たちにとって最も身近にあるものだから。戦後日本のヒット曲第1号は並木路子の「リンゴの唄」だった。川田正子「みかんの花咲く丘」、美空ひばり「リンゴ追分」、三橋美智也「リンゴ村から」、浜村美智子「バナナ・ボート」、スリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」、神戸一郎「りんごちゃん」、田代みどり「パイナップル・プリンセス」、森山加代子「メロンの気持ち」、伊藤アイコ「レモンのキッス」、中尾ミエ「いちごの片想い」、九重佑三子「レモン片手に」、ずうとるび「みかん色の恋」、藍美代子「ミカンが実る頃」、大竹しのぶ「みかん」、松田聖子「ガラスの林檎」、裕木奈江「りんごでもいっしょに」、大塚愛「さくらんぼ」、そして極めつけは、中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴだね」。

2017年10月 7日 (土)

マリアナ沖漁船団遭難事故

1006165167   小桜姉妹の歌「くじけちゃいけない海の子は」(ビクターEPレコード)がある。フランク永井「坊や」とのカップリング。この歌は海で亡くなった漁師たちの家族を慰めるために作られたらしい。1965年10月7日、マリアナ海域のアグリハン島付近で、カツオ漁船団が台風に巻き込まれて209人の犠牲者がでた。遭難したのは静岡県の焼津港と戸田港の遠洋漁船7隻。当時はまだ日本の気象庁に正確な観測データを得ることができず、事前に大型台風の襲来を知ることができなかった。

2017年10月 4日 (水)

歌姫たちのデビュー曲

  戦前戦後の歌姫たちをデビュー曲と共にふりかえる。榎本美佐江は戦時中は工場や軍隊の慰問などに回っていたが、1946年にテイチクに入社し、市丸の代役で歌った「十三夜」(オリジナルは1940年の小笠原美都子)がヒットした。当時レコード化されていなかったが、実質的に榎本の初ヒットといえる。鈴を鳴らしたような美声と美貌で新東宝で多数出演したが、レコード歌手として地位を確立したのは1949年ビクター移籍後のことである。由紀さおりの「ヒッチハイク娘」はどんな歌なのだろう。

渡辺はま子 「海鳴る空」 1933
美ち奴 「さくらおけさ」 1934
二葉あき子「愛の揺り籠」  1936
菅原都々子「お父さんの歌時計」 1937
越路吹雪「ブギウギ巴里」 1946
笠置シズ子「東京ブギウギ」 1947
吉岡妙子「昼も夜も」 1947
美空ひばり「河童ブギウギ」 1949
宮城まり子「なやましブギ」 1950
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952
ペギー葉山「ドミノ」       1952
雪村いづみ「想い出のワルツ」 1953
楠トシエ「僕は特急の機関車で」 1953
大津美子「千鳥のブルース」 1955
島倉千代子「この世の花」 1955
西田佐知子「伊那の恋唄」 1956
浜村美智子「バナナ・ボート」 1957
伊東ゆかり「かたみの十字架」 1958
ザ・ピーナッツ「可愛い花」 1959
こまどり姉妹「浅草姉妹」 1959
森山加代子「月影のナポリ」 1960
弘田三枝子「子供ぢゃないの」 1961
岸洋子「たわむれないで」 1962
木の実ナナ「東京キカンボ娘」 1962
梓みちよ「ボッサ・ノバでキッス」 1962
岸洋子「たわむれないで」 1962
三沢あけみ「ふられ上手にほれ上手」 1963
九重佑三子「シェリー」 1963
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」 1964
都はるみ「困るのことヨ」 1964
大月みやこ「母恋三味線」 1964
小林幸子「ウソツキ鴎」 1964
日野てる子「カイマナ・ヒラ」 1964
渡辺順子(黛ジュン) 「ダンケ・シェン」 1964
三船和子「ベトナムの赤い月」 1965
由紀さおり(安田章子)「ヒッチハイク娘」 1965
青江三奈「恍惚のブルース」 1966
山本リンダ「こまっちゃうナ」 1966
加藤登紀子「誰も誰も知らない」 1966
日吉ミミ「涙と艶歌船」 1967
E7acacefbc90efbc91e99b86テレサ・テン「鄧麗君の歌第1集」 1967
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967
瀬川瑛子「涙の影法師」 1967
渚ゆう子「早くキスして」 1967
和田アキコ「星空の孤独」 1968
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」 1969
芹洋子「野に咲く花のように」 1969
藤圭子「新宿の女」 1969
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」 1970
八代亜紀「愛は死んでも」 1971
天地真理「水色の恋」 1971
小柳ルミ子「わたしの城下町」 1971
天童よしみ「風が吹く」 1972
森昌子「せんせい」 1972
松任谷由実「返事はいらない」 1972
山口百恵「としごろ」 1973
石川さゆり「かくれんぼ」 1973
キャディーズ「あなたに夢中」 1973
川中美幸「新宿天使」 1973
キム・ヨンジャ「教えてください」 1974
中島みゆき「アザミ娘のララバイ」 1975
岩崎宏美「二重唱(デュエット)」 1975
大場久美子「あこがれ」 1977
榊原郁恵「私の先生」 1977
渡辺真知子「迷い道」 1977
矢野顕子「いろはにこんぺいとう」 1977
竹内まりや「戻っておいで・私の時間」 1978
松田聖子「裸足の季節」 1980
小泉今日子「私の16才」 1982
中森明菜「スローモーション」 1982
原田悠里「俺に咲いた花」 1982
星ひろみ(伍代夏子)「恋の家なき子」 1982
菊池桃子「青春のいじわる」 1984
中山美穂「C」 1985 
南野陽子「恥ずかしすぎて」 1985
浅香唯「夏少女」 1985
渡辺美里「I'm free」 1985
中村美律子「恋の肥後つばき」 1986
島津亜矢「袴をはいた渡り鳥」 1986
椎名恵「今夜はANGEL」 1986
坂本冬美「あばれ太鼓」 1987
森高千里「NEW SEASON」 1987
藤あや子「ふたり川」 1987
工藤静香「禁断のテレパシー」 1987
香西かおり「雨酒場」 1988
夏川りみ(旧芸名・星美里)「しほり」 1989
田川寿美「女…ひとり旅」 1992
安室奈美恵「太陽のSEASON」 1995
華原朋美「keep yourself alive」 1995
水森かおり「おしろい花」 1995
宇多田ヒカル「Automatic」 1998
浜崎あゆみ「poker face」 1998
椎名林檎「幸福論」   1998
aiko「あした」       1998
MISIA「つつみ込むように」 1998
水樹奈々「想い」     2000
中島美嘉「STARS」   2001
一青窈「もらい泣き」   2002
JUJU「光の中へ」    2004
Perfume 「リニアモーターガール」 2005
新妻聖子「夢の翼」   2006
西野カナ「I」        2008 
miwa「don't cry anymore」 2010
家入レオ「サブリナ」   2012
栞菜智世「Hear 信じあえた証」 2016

2017年9月22日 (金)

諸説あり!「じんじろげ」

  おさげ髪をした森山加代子がむかし歌っていた「じんじろげ」。「♪ジンジロゲヤ ジンジロゲ ドレドンガラガッタ ホーレツラッパノ ツーレツ」意味不明の歌詞が続く。「そんな変な歌、歌うんじゃありません」と母に叱られた。歌詞は日本語と外国語をごちゃまぜにしたようにみえる。当時、森山の所属する芸能事務所社長の曲直瀬正雄が学生時代に覚えた歌詞にあうよう作曲家中村八大に作らせたといわれる。レコードは昭和36年1月に東芝音楽工業から「じんじろげ」として発売された。おりからテレビが各家庭に普及しだしたときであり、キュートな森山の印象とともに多くの人々の記憶に残る。しかし出所不明な歌曲であることから今日歌われることはほとんどない。第二の説は久留島秀三郎(1888-1970)が明治41年にインド人から聞いたとする説。その後、ボーイスカウトを通じて広まった。第三の説は大正中期の旧制高校寮歌。「ヂンヂロゲ踊り」という暗闇で行う結婚式を擬した秘祭。第四の説は昭和38年頃、元演歌師、渋谷白涙が自分の作品だとする。彼の話によれば、大正6、7年ころ、ボビーというインド人から教えられたという。裁判に及んだものの証拠不十分ということで渋谷の主張は認められなかった。しかしこの原曲がインドの民謡であることは可能性が高い。「ヒラミヤバミヤ チヨイナダ ディーヤ」の部分については、ヒンズー語で「雨が降ってきた忽ち川と流れる」(Hila mil pari a jori nana diya)と解することができる。つまり原曲はインド民謡「雨期礼賛の歌」と考えられるが、いまだこの民謡が本当に歌われ存在するのか確証はとれていない。曲直瀬が記憶していたのは大正初期の演歌師が歌っていた俗謡だろう。ちなみに「じんじろげ」とは一説によると「女性の陰毛」のことと説かれるがあまり根拠はない。その卑猥性のため今日あまり放送されないのかもしれない。

2017年8月30日 (水)

映画音楽大全集

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 映画の主題歌を日本語訳詞でカバーリングすることは戦前の昔からある。ペギー葉山が1961年に自ら訳詞・歌唱した「ドレミのうた」(サウンド・オブ・ミュージック)が、もっとも広く知られている楽曲かもしれない。洋画主題歌を日本語カバーするのは最近はディズ二ー作品しか見られないのがちょっと寂しい。

Fall in Love Agin (嘆きの天使) 1930 川畑文子

巴里の屋根の下 1930 田谷力三

La Violetera (街の灯) 1931 川畑文子

ただ一度だけ(会議は踊る) 1931 奥田良三

時の過ぎゆくままに (カサブランカ) 1943 フランク永井

枯葉 (夜の門) 1946 越路吹雪

ボタンとリボン (腰抜け二挺拳銃) 1948 池真理子

遥かなる山の呼び声 (シェーン) 1953 雪村いづみ

帰らざる河 1954 美空ひばり

Love is a many splendored-thing (慕情) 1955 ウィリー沖山

ケ・セラ・セラ(知りすぎた男) 1955 ペギー葉山

ラブレター 1957 ジェリー伊藤

アフリカの星のボレロ 浜村美智子 1957

河は呼んでいる 1958 中原美沙緒

四月の恋 1957 雪村いづみ

夏の日の恋 (避暑地の出来事) 1959 スリー・グレイセス

ラノビア (恋愛専科) 1962 ペギー葉山

シャレード 1963 八代亜紀

ブーべの恋人 1963 ザ・ピーナッツ

北京の55日 1963  克美しげる

史上最大の作戦  克美しげる

シェルブールの雨傘 1964  ザ・ピーナッツ

ドレミの歌(サウンド・オブ・ミュージック) 1965 ペギー葉山

愛は限りなく 1968 倍賞千恵子

サークル・ゲーム(いちご白書) 1970 アグネス・チャン

ボタンとリボン 1970 木の実ナナ

ゴッドファーザー 愛のテーマ 1972 尾崎紀世彦

ブラザー・サン・シスター・ムーン 1972  桑原一郎

そうなつたら素敵(マイ・フェア・レディより) 桜田淳子

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