無料ブログはココログ

2022年8月16日 (火)

「お誕生日のうた」は最近、著作権が切れた

 老若男女、現代はどんな人でもマイク片手に歌を歌う時代である。カラオケの選曲に悩む方もおおいだろう。では世界でいちばんよく歌われている歌は何か?世界中で一番歌われている歌として、ギネスブックにも登録されているのは、誕生日を祝うために歌われている「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」である。元歌は米国ケンタッキー州のミルドレッド&パティ・ヒル姉妹(Mildred J.Hill、Patty Smith Hill)が1893年に作詞・作曲した「みなさんおはよう グッドモーニング・トゥ・オール Good Morning to All」という合唱曲である。1920年前後にGood MorningとHappy Birthdayを替えた歌が広まった。当初この歌は、幼稚園の朝の挨拶の歌として歌われていた。ところが、この歌のメロディに別の歌詞がつき、替え歌の「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」が歌われたところ、大ヒットし、全世界に広まることになった。レコード化は意外と遅くて、1947年にビング・クロスビーが歌った「Happy Birthday」がリリースしている。この曲については、ワーナー・チャペルミュージックとそれに反対する団体とであらそわれていたが、2015年に正式にパブリック・ドメイン(著作権なし)となった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月 6日 (月)

西洋音楽史略年表

   冬季五輪のフィギュア競技などクラシックの名曲を聴く機会も多い。バロック以降の西洋音楽史の略年表。

 

1600年 バロック音楽は、17世紀から18世紀中ごろまでのおよそ1世紀半の時期をさす。フィレンツェのジョバンニ・バルディ伯のもとに集まった学者・詩人・音楽家のグループであるカメラータによる新しい理論の提唱とその実践とによって開始された。

1600年カッチーニ「エウリディーチェ」上演、歌劇の確立

1607年 モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」がマントヴァで上演

1627年 「ダフネ」ドイツ最初の歌劇

1637年 ヴェネツィアのサン・カシアノ劇場開設される

1656年 ロンドンのオペラ劇場開設

1661年 カンペ―ル「ポモール」初演。フランス最初の歌劇

1717年 ヘンデル、管弦楽組曲「水上の音楽」

 

1717年 バッハ、「G線上のアリア」(1717年から1723年の間)

 

1725年 ビバルディ、バイオリン協奏曲・四季

 

1727年 バッハ、管弦楽組曲。4曲あるが、作曲年代には異説がある。

 

1786年 モーツァルト、「フィガロの結婚」初演

 

1787年 モーツァルト、「アイネクライネ・ナハトムジーク」

 

1793年 ハイドン「交響曲第100番軍隊」(1793年から1794年)

 

1797年 ハイドン「弦楽四重奏曲第7番第2楽章」(神よ、皇帝フランツを守り給え)

 

1800年 ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調(作品21)。1824年までベートーヴェンの交響曲の作曲時代が続く。各国で教養ある音楽ディレッタントによる家庭音楽がさかえる。

1807年 ベートーヴェン 交響曲第5番

1824年 ベートーヴェン 交響曲第9番

1828年 シューベルト 交響曲第7番

1829年 ロッシーニ「ギヨーム・テル」(ウィリアム・テル序曲)

1833年 ショパン「練習曲集」(別れの曲)

1839年 シューマン「子供の情景」(トロイメライ)

1853年 リスト「ハンガリー狂詩曲」

1855年 ショパン「幻想即興曲」

1867年 ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」

1868年 スメタナ「交響詩(わが祖国)」

1869年 ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」

1871年 ヴェルディ「アイーダ」初演

1872年 ビゼー「アルルの女」

1874年 ムソルグスキー「展覧会の絵」

1875年 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」(ピアノコンチェルト)

1876年 グリーグ組曲「ペール・ギュント」

1877年 チャイコフスキー「白鳥の湖」初演

1880年 ボロディン「中央アジアの草原にて」初演

1883年 ブラームス「交響曲第3番」

1886年 サン・サーンス「動物の謝肉祭」(白鳥)

1887年 ブルックナー「交響曲第8番ハ短調」

1889年 マーラーの交響曲第一番が初演

1894年 ドビュッシー「牧羊神の午後への前奏曲」

1894年 ドヴォルザーク「交響曲第9番(新世界より)」

1899年 シベリウス「交響詩フィンランディア」

1900年 サティ「ジュー・トゥ・ヴー」

1902年 マーラー「交響曲第5番」

1910年 ストラヴィンスキー「火の鳥」初演

1926年 プッチーニ歌劇「トゥーランドット」誰も寝てはならぬ

1935年 ショスタコビッチ「第五交響曲」

1942年 ハチャトリアン「ガイーヌ」剣の舞

1957年 ショスターコヴィッチ「交響曲第11番」

1962年 オールビー「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」

 

 

2022年6月 1日 (水)

歌謡曲コレクション

Img_01342  思い出の歌、こころに響く歌、いつでも口ずさめる歌・・・人には、それぞれ胸に刻んだうたがある。曲のタイトルを五十音順に並べると、一番最初に来る歌は何だろう。手元の歌本のインデックスを引くと、最初が「ああ青森」(平川幸夫)で、最後は「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(日野てる子)だった。調べれば他にあるだろう。パティ・ペイジの「The Doggie In The Window」(1952)を桜田淳子がアルバム「淳子と花物語」(1974)の中で「ワンワン・ワルツ」というタイトルで日本語カバーしている。

   最近の石川さゆりの新曲が「あぁ・・・あんた」(吉幾三作曲)。カラオケで曲をさがすとき、いちばん最初に見つけられるようにということらしい。

 先が見づらい世の中だからこそ、多くの人の心に寄り添う歌が聞きたい。新しいJポップではなく、ふつうの流行歌が聞きたい。

 

愛は眠らない 椎名恵

 

春雨  村下孝蔵

 

夜空の笛 守屋浩

 

つまさき坂  永井龍雲

 

風色ロマンス 伊藤敏博

 

春の風が吹いていたら 四角佳子

 

涙をたばねて 小川範子

 

明日も愛して下さいますか 桜田淳子

 

あなたと生きる 石原詢子

 

selfish      前田敦子

 

そよ風の誘惑  石川ひとみ

 

街角セピア色 三東ルシア 1976

 

時計をとめて  草間ルミ

 

私のキライなもの フラワー・メグ

 

いつかある日  中沢厚子

 

春の雨はやさしいはずなのに 朝倉理恵

 

この空が味方なら 裕木奈江

 

7月の雨なら 西脇唯

 

誰よりも好きなのに 古内東子

 

想いで迷子 テレサ・テン

 

明日を忘れて ミッチ・サハラ 1966

 

ドミニク ザ・ピーナッツ 1964

 

ボーイ・ハント 千秋恵子 1961

 

カモン・ダンス 弘田三枝子 1962

 

砂に消えた涙 伊藤アイコ  1965

 

ベラ・ノッテ  本田美奈子

 

霧のカレリア  ザ・スプートニク

 

ハーフムーン・セレナーデ 河合奈保子

 

愛のめざめ 伊東ゆかり

 

私が生まれて育ったところ 野路由紀子

 

Alegria マルシア

 

八月の濡れた砂 門倉有希

 

神戸北クラブ 加門亮

 

さよならの言葉 小野香代子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月14日 (土)

東京ソング

Img_943571_34041895_0    東京を題材にした歌謡曲は佐藤千夜子の「東京行進曲」や小唄勝太郎・三島一声の「東京音頭」をはじめとして無数にある。某テレビ局が調査したところ、「東京」「TOKYO」とタイトルに冠した曲だけでも1271曲あるという。「銀座」「赤坂」「池袋」「新宿」など地域名を含めると1500曲以上はあるだろう。

    戦後は笠置シズ子「東京ブギウギ」、灰田勝彦「東京の屋根の下」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」。しかし東京ご当地ソングが増加するのは1960年代になってからである。東京オリンピック前後の東京は好景気に沸き、繁華街が大盛況となり、東京は不夜城となっていった。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、松尾和子「グッド・ナイト東京」、坂本九「サヨナラ東京」、渡哲也「東京流れ者」、井沢八郎「ああ上野駅」、西田佐知子「赤坂の夜は更けて」、日野てる子・高城丈二「青山の灯も消えて」、三田明「アイビー東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、中原理恵「東京ららばい」、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、大木英夫・津山洋子「新宿そだち」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、真田ナオキ「恵比寿」等々、ヒット曲は多い。私の好きな東京ソングはピチカート・ファイブ「トーキョーは夜の七時」、裕木奈江の「冬の東京」(1994)。韓国歌手チェウニは「トーキー・トワイライト」「東京の枯葉」「ガラスの東京タワー」など東京ソングの女王である。ズバリ「東京」というシンプルなタイトルは、やしきたかじん、マイペース、JUJU、ケツメイシ、手嶌葵の曲がある。

  海外をみてもロンドンとかパリとか単に都市名のみの曲はあまり見当たらない。「モスクワの夜は更けて」「とんでイスタンブール」とか「想い出のサンフランシスコ」とか形容詞がつくものである。フランシス・ルマルクは日本での知名度はあまり高くないが、実力派のいかにも「シャンソン歌手」という感じで、彼の代表曲「A Paris」(1949年)がある。ジャネット・エヴラ「パリ」。また稀少例としてファウスト・チリアーノの「ローマ」(1972)がある。ローマの橋をテーマにした佳曲。彼は特捜最前線のエンディング「私だけの十字架」で日本でもお馴染みの歌手であるが本国でも有名な一流歌手だ。国名ならば「ブラジル」、メンデルスゾーンの「交響曲イタリア」。

 

 

2022年5月 7日 (土)

なぜ年末になると第九が演奏されるのか?

 1824年5月7日、ウィーンのケルントナートア劇場においてベートーヴェンの交響曲第9番がはじめて演奏された日である。ベートーベン自身が指揮した。合唱曲「歓喜に寄す」が入った第九は、今日、世界中で平和と国際協調のための賛歌とされ、もっとも有名で人気のあるクラシック作品のひとつである。ところで日本では、第九は年末の風物詩といわれ、12月になると毎年全国各地でコンサートが開催される。その理由は明らかではないが、ベルリンでは戦前からニューイヤーコンサートとして、大みそかの深夜に、ただ幾第九を演奏することが多かった。その風習が日本に持ち込まれたのかもしれない。年末に第九を演奏するというのは、もともと第一次世界大戦後、平和を願うドイツのライプツィヒで始まった。いまでも伝統行事として、大晦日に第九の演奏会が開かれている。だが海外では、年末にはヘンデルの「メサイア」(ハレルヤコーラスで有名な曲)が一般で、第九を演奏することは少ない。ではなぜ、日本に第九演奏が定着したのか?これには諸説あるが、太平洋戦争で亡くなった人々への鎮魂歌だったという意味が大きい。日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮(1884-1953)で3夜も第九の演奏会で成功を収めた。これが契機となって全国各地でも第九の演奏会が行われた。つまり、第九の演奏は貧乏な楽団員にとって年越しの餅代稼ぎとなった。第九は大合唱付きで、チケットがさばきやすかった。また12月はベートーヴェンの誕生月でもあることや、日本人に第九は絶大な人気があることがあげられる。

 

 

2022年5月 6日 (金)

懐かしの映画音楽インデックス

 フィギュアスケートの伴奏曲はクラシックだけでなく映画音楽もよく使われるようになったように思う。たとえば「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」「ライムライト」などは定番曲になっている。ロシアのエフゲニア・メドベージェワはイタリアの映画音楽作曲家ダリオ・マリアネッリの「アンナカレーニナ」(2012)を使用した。劇中、舞踏会シーンで流れた楽曲をパントマイムのような独特的な表現をしている。映画音楽の中には映画そのものより音楽のほうが有名になったものも数多くある。「キャリオカ」はラテン・ナンバーとして知られるが、もともとは映画音楽。アステア、ロジャーズの「空中レヴュー時代」(1933)のなかで2人が踊り、キャリオカ・ダンスが人気を博した。「紅の翼」はジョン・ウェイン主演の作品だが、テーマ曲がよく知られている。シャンソンの名曲「枯葉」は映画「夜の門」(1946年)でイヴ・モンタンが歌って広く知られるようになった。「チコと鮫」(音楽フランチェスコ・デ・マージ)は伊藤アイコがテーマ曲を歌っている。「ワレリアの恋」も映画よりも美しいメロディーで知られる。「愚かなり我が心」はジャズのスタンダードナンバー。もともとはスーザン・ヘイワード主演の映画。映画「世界残酷物語」のテーマ曲「モア」はイギリスの歌手ダニー・ウィリアムズが歌って大ヒットとなる。「ピクニック」の「ムーングロウ」は燃えるように鮮やかな月あかりという意味。「黒いオルフェ」の主題歌「オルフェの唄」は甘く美しいメロディをブレノ・メロが歌っていた。ムード音楽で自律神経を整える。

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

モア(世界残酷物語)

 

ワレリアの恋(赤いテント)

 

マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)

 

ヴェニスの夏の日(旅情)

 

愛しのレティッシア(冒険者たち)

 

アフリカの星のボレロ(撃墜王アフリカの星)

 

カーニバルの朝(黒いオルフェ)

 

テリーのテーマ(ライムライト)

 

ララのテーマ(ドクトルジバコ)

 

ムーン・グロウ(ピクニック)

 

時の過ぎゆくまま(カサブランカ)

 

さよならをもう一度(ブラームスはお好き) マーティ・ゴールド・オーケストラ

 

トゥ・ラヴ・アゲイン(愛情物語)

 

ムーラン・ルージュの歌(赤い風車)

 

夏の日の恋(避暑地の出来事)

 

An Affair to Remember(めぐり逢い) ヴィック・ダモン

 

She(ノッティングヒルの恋人)

 

ニューヨーク・シティ・セレナーデ(ミスター・アーサー)

 

Photo_2

 

Humphreybogartanddooleywilsonhangin

 

   「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」映画カサブランカの中で歌うドーリー・ウィルソン。劇中ではバーグマン扮するイルザの求めに応じてドーリー・ウィルソンがピアノを弾く。実はもともとこの歌は1931年にハーマン・フップフェルドが作曲・作曲し、同年のミュージカル「エブリバディズ・ウェルカム(どなたも大歓迎)」に使用された。ルディ・ヴァリーのレコードがヒットし、ビング・クロスビーなどもラジオで盛んに歌っていた。

 

 

2022年4月19日 (火)

シューベルトの「未完成」はなぜ完成しなかったのか

Img_0006_2
「シューベルトと婚約者テレーゼ・グローヴ」 オットー・ノーヴァク(1874-1950)の絵

 

 青春の夢と希望は未完のまま美しく閉じられる。

   1822年秋、25歳の青年フランツ・シューベルト(1797-1828)は「交響曲第8番ロ短調」を書き上げた。この曲が「未完成」と呼ばれるのは、当時の交響曲がふつう第4楽章だったのに、シューベルトは第3楽章を書きはじめたところで作曲を中止してしまい、2度と取り上げなかったためである。なぜシューベルトは「未完成」を完成をさせなかったのか理由はわからない。一説によると、別の曲を書きはじめているうち忘れてしまったのではないかともいわれている。往年の映画「未完成交響楽」(1933年)を見た人は「我が恋の終わらざるごとく、この曲も終わらざるべし」と失恋のためと理解したがるが、もちろん後世のフィクションである。実際にはテレーゼ・グローヴという歌の上手い女性がいたそうだが、3年後にパン屋に嫁いでしまった。「未完成」は、曲の外観が未完成であるがゆえに、シューベルトの生前にはついに演奏されなかった。シューベルトの親しい友人だったヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが「未完成」の自筆楽譜のある場所をウィーンの高名な指揮者ヨハン・ヘルベックに教え、ヘルベックの尽力で自筆楽譜は世に出、かつウィーンで初演されたのだった。初演は1865年12月17日、作曲者の死後37年、作曲から実に43年間が経過していた。この日は奇しくもベートーベンの誕生日。生前、栄光が与えられなかったという点では、シューベルトはベートーベン以上に悲劇の天才であった。

 

 

2022年3月28日 (月)

アジア歌姫列伝

1930年代から上海を中心に活動した女性歌手といえば周璇(1918-1957)であろう。「天涯歌女」「四季歌」「何日君再来」「夜上海」など。戦後は香港、上海、台湾などで華語歌謡の女性歌手といえば姚莉、白光、崔萍、葛蘭、美黛、陳和美、鄧麗君、欧陽菲菲、蔡琴などがあげられる。

 

Photo 周璇Photo_2 白光Photo_3 崔萍Photo_4 葛蘭Photo_5 美黛Photo_6 陳和美Va20e5a49ce6b1bde8bb8ae38080105 欧陽菲菲

 

Img_1490967_54397738_0 鄧麗君Photo_7 蔡琴Tsai06 蔡幸娟

 

   現代の歌姫としては、フェイ・ウォン(中国)、hebe(台湾)、宇多田ヒカル(日本)、BOA(韓国)など国際的な活躍がみられる。

 

Faye_pフェイ・ウォンHebe1410 hebe2713904020_bee6e94ca2 宇多田ヒカル2072503376_e0c514245f BOA

2022年3月25日 (金)

日本歌謡史

  日本の近代歌謡曲の歴史は明治に始まる。大河ドラマ「いだてん」で綾瀬はるかが自転車に乗って歌う曲は「自転車節」。明治41年の神長瞭月作詩・作曲だが歌詞が少し違う。「♪ 会いたかばってん会われんたい」というのは熊本弁。レコードのない時代、メロディーにのせてそれぞれ各地で歌詞が替えられた。子供のとき聞いたのは、漫才の砂川捨丸が「ハイカラ節」(チリリン節)だった。歌は世につれ、世は歌につれ」というが大衆に好まれ、ひろく歌われる曲は流行歌・歌謡曲は大正になってから。はじめは「はやり唄」と称され、明治からあった。「宮さん宮さん」は1868年に作成されトコトン節もしくはトンヤレ節ともいう。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎(品川の恋人・中西君尾が節をつけたという説もある)。「ギッチョンチョン」「コチャエ節」「ざんぎん節」「官員節」「梅ヶ枝節」「すててこ」「ダイナマイト節」「ちょんこ節」「さいこどんどん」「オッペケペー節」「日清談判」「法界節」「剣舞節」「春はうれしゃ」「レールエ節」「さのさ節」「東雲節」「魔風恋風」「ロシャコイ節」「ラッパ節」「チャカホイ節」「ああ金の世」「スカラー・ソング」「間がいいソング」「奈良丸くずし」とくに大正4年、松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」は全国津々浦々に広まった。関東大震災の中、物悲しい「船頭小唄」が大流行した。昭和に入ると、歌謡曲は一段と飛躍した。音楽家が西洋音楽にようやく馴染み出し、蓄音機が普及し、それに加えてラジオの誕生が、大きな要素になった。「恋はやさし野辺の花よ」「ゴンドラの唄」「ばらの唄」「さすらいの唄」「新金色夜叉」「東京節」、「籠の鳥」、「復興節」、「ストトン節」、「ヨサホイ節」。藤原義江「鉾をおさめて」、二村定一「アラビアの唄」「君恋し」、佐藤千夜子「東京行進曲」、川崎豊・曽我直子「沓掛小唄」、二村定一「洒落男」、河原喜久恵「ザッツ・オー・ケー」、藤山一郎「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」、小林千代子「涙の渡り鳥」、小唄勝太郎「島の娘」、松平晃「サーカスの唄」、東海林太郎「赤城の子守唄」、ディック・ミネ「ダイナ」、東海林太郎「旅笠道中」、音丸「船頭可愛いや」、ディック・ミネ、星玲子「二人は若い」、ディック・ミネ「上海リル」、渡辺はま子「忘れちゃいやよ」、美ち奴「ああそれなのに」、藤山一郎「青い背広で」、上原敏「妻恋道中」、淡谷のり子「別れのブルース」、楠木繁夫「人生劇場」、霧島昇、ミス・コロンビア「旅の夜風」、渡辺はま子「支那の夜」、岡晴夫「上海の花売娘」、高峰三枝子「湖畔の宿」、灰田勝彦「鈴懸の径」、小畑実・藤原亮子「勘太郎月夜唄」、近江俊郎「月夜船」、並木路子「リンゴの唄」、二葉あき子「夜のプラットフォーム」、笠置シズ子「東京ブギウギ」、近江俊郎「湯の町エレジー」、久保幸江「トンコ節」、伊藤久男「イヨマンテの夜」、二葉あき子「水色のワルツ」、美空ひばり「越後獅子の唄」、津村謙「上海帰りのリル」、美空ひばり「りんご追分」、神楽坂はん子「ゲイシャ・ワルツ」、織井茂子「君の名は」、春日八郎「お富さん」、島倉千代子「この世の花」、三橋美智也「りんご村から」、三波春夫「チャチキおけさ」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」、水原弘「黒い花びら」、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、坂本九「上を向いて歩こう」、水原弘「黒い花びら」、村田英雄「王将」、北島三郎「なみだ船」、舟木一夫「高校三年生」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、美空ひばり「柔」、マイク真木「バラが咲いた」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトー」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、森進一「港町ブルース」、菅原洋一「今日でお別れ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」、南こうせつとかぐや姫「神田川」、さくらと一郎「昭和枯れすすき」、布施明「シクラメンのかほり」、山口百恵「横須賀ストーリー」、ピンク・レディー「UFO」、ゴダイゴ「ガンダーラ」、西城秀樹「ヤングマン」、ジュディ・オング「魅せられて」、海援隊「贈る言葉」、寺尾聡「ルビーの指輪」、あみん「待つわ」、細川たかし「矢切の渡し」、玉置浩二「ワインレッドの心」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」、吉幾三「雪国」、光GENJI「パラダイス銀河」、美空ひばり「川の流れのように」、「おどるポンポコリン」、「情けねぇ」、Dreams Come True「晴れたらいいね」、Mr.Choldren「innocent world」、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」、SMAP「夜空ノムコウ」、宇多田ヒカル「Automatic」、サザンオールスターズ「TSUNAMI」、スピッツ「チェリー」、SMAP「世界に1つだけの花」、夏川りみ「涙そうそう」、一青窈「ハナミズキ」、秋川雅史「千の風になって」、ゴールデンボンバー「女々しくて」、西野カナ「会いたくて会いたくて」、植村花菜「トイレの神様」、EXILE「Ti Amo」、AKB「ヘビーローテーション」、いきものがかり「風が吹いている」、星野源「恋」。だが、ここ数年、歌謡曲・演歌には大ヒット曲がなく、日本レコード大賞も低調になっている。はたして演歌はこのまま滅亡の運命をたどるのか。平成になって氷川きよし、水森かおりが登場し、カラオケブームによって昭和演歌は歌い継がれている。山内惠介、三山ひろし、福田こうへい、純烈などの個性的な演歌歌手が牽引して新しい演歌の道の模索がなされている。真田ナオキ「渋谷で・・・どう」は近年のヒット曲。令和の時代は一部の熱烈なファンに支えられている状況である。

 

2022年3月20日 (日)

「GT」とは何か

Photo  本日は「電卓の日」。日本事務機械工業会が1974年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定した。1964年3月18日にシャープが国産初の電卓を発売したことを記念し、記念日は覚えやすい3月18日とした。ところで、電卓に「GT」というボタンがあるのをご存じたろうか?グランド・トータルキーで「総合計」の機能がある。知っておくと大変に便利だ。だが一般に「GT」といえばクルマのことを連想するであろう。西郷輝彦のヒット曲に「恋のGT」がある。先ごろ、西郷さんが前立腺がんがもとで亡くなった。まだ75歳で早すぎるという感じがする。若い方は俳優としてのイメージが強いかもしれないが、やはり御三家の1人、歌手としての西郷輝彦を高く評価したい。2015年「BS日本のうた」で西郷輝彦と野口五郎が出演し、西郷は新曲「オリオン急行」を披露した。何かもの悲しい不思議なメロディーだ。初期の西郷の歌「君だけを」も悲しい感じだった。西郷はjポップの男性歌手のスタイルを形づくった人だと思っている。森進一や五木ひろしは歌は上手いけど一個人だけのもの。西郷は後のにしきのあきら、西城秀樹、野口五郎など男性歌手に大きな影響を与えている。1970年の「真夏のあらし」はサビで、♪ワーオ!というシャウトが入るロックと歌謡曲を融合した作品で、青春歌謡からロック・ポップス調へと移行していった歌謡史における功績は大きい。子供のころ「恋のGT」という歌を真似て歌っていたことがある。GTの意味を知ったのはだいぶん後からだった。「真夏のあらし」「情熱」など歌謡ポップスの流れでは先駆的な作品だろう。「恋のGT」(1966年)は「西銀座五番街」のB面だが、発売時よく歌番組で流れていた。イメージ的には高速で走るスポーツカーあるいはレーサー用の車、と理解していたが、元来、グランド・ツーリングが語義で、大旅行に使える車の意味。この歌が出た数年前に「いすずペレットGT」や日産の「プリンス・スカイラインGT」が発売された。近年、GTは陳腐化されて、普通のファミリーカーよりはスーポーティーな車、といった程度の意味で使われる。

 

20110907_1230406

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2022年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30