無料ブログはココログ

2021年12月26日 (日)

たかが紅白、されど紅白

 大晦日の風物詩、第72回NHK紅白歌合戦。今年は東京国際フォーラムで生中継で送る。初出場は「まふまふ」「布袋寅泰」「上白石萌音」など。司会は大泉洋、川口春奈、和久田麻由子の3人が全アーティストを応援するという形式となる。ジェンダーフリーの時代に男女対抗というのは時代遅れだという声を反映したものだ。松平健の「マツケンサンバⅡ」や三山ひろしのけん玉が目玉というのも寂しい。過去NHK紅白歌合戦に一度も出場していない人気歌手が結構いる。「負けないで」「揺れる想い」などヒット曲をもつ坂井泉水(ZARD)は、2000年の紅白歌合戦の出場に前向きであったが、体調不良のため出場を辞退した。7年後、入院先の病院で転落死により、結局生涯一度も紅白に出場することがなかったが、一度見たかった。それぞれの事情により紅白出場していない歌手・俳優は多い。古くは岡晴夫。井上陽水、山下達郎、佐野元春、浜田省吾、松山千春、桑名正博、円広志、やしきたかじん、小田和正、氷室京介、スピッツ、B'z、CHAGE and ASKA、奥田民生、大黒摩季、辛島美登里、JUJUなど。ヒット曲がある俳優、勝新太郎、高倉健、石原裕次郎、天知茂、萩原健一、柴咲コウなどが一度も出場していない。

2021年12月20日 (月)

ホワイト・クリスマス

0571527701   アーヴィング・バーリン(1888-1989)が作曲した「ホワイト・クリスマス」は映画「スイング・ホテル」(1942)の挿入歌で、クリスマスソングの代表曲として21世紀に至るまで歌いつがれ、史上もっともヒットした歌曲といわれている。アメリカを代表する作曲家アーヴィング・バーリンは実はロシア人で、誕生時の名前は、イスロエル・イジドル・ベイリン Israel Isidore Balineであった。映画音楽を担当した作曲家には祖国からアメリカに亡命した活躍した人が多い。ビング・クロスビーの歌唱が有名であるが、1964年飛行機事故で亡くなったカントリーのジム・リーブスもよい。(Irving Berlin,White Christmas)

2021年12月11日 (土)

ビージー・アデール

 最近はほとんど毎日のようにユーチューブで音楽を聴いている。ビージー・アデールは女性ジャズ・ピアニストでスタンダードな誰もが知っている名曲を聴かせてくれる。CMにもよく使われるそうだ。「やさしき伴侶を」ガーシュインの作曲で1926年のミュージカル「Oh,Kay!」に使われた一曲。

 

2021年12月 6日 (月)

Emi Fujita

   Emi Fujitaといってもピンとこないかもしれない。香港や東南アジア諸国では人気のある日本人女性シンガーだ。1963年生まれで子ども時代からグループで歌い、左卜全の「老人と子供のポルカ」も歌っている。やがて演歌歌手となつたが売れず、ル・クプルという名で「ひだまりの詩」が大ヒットした。2000年代に入ると英語の歌でアジア各地で人気を得るようになった。最近はインターネット配信なので彼女の歌がいつでも聴くことができる。彼女のような謎のユーチューブ歌手は多い。とくに有名なのはヤオ・スーティンである。1983年、中国広州市生まれということしかわからない。ムーンリバーやサウンド・オブ・サイレンスのような誰もが知っている名曲をやさしく歌う。深夜に寝ながら聞くのに向いている。ベトナム人のトゥイ・ティエンは1985年生まれ。アジアの歌姫は群雄割拠の様相を呈している。

ムーン・リヴァー

Andywilliams

   チャンネル銀河で「アンディ・ウィリアムス・ショー2」を毎週見ている。今週(第9回)のゲストはヘンリー・マンシーニ、エロール・ガーナー、クロディーヌ・ロンジェ。クロディーヌは当時はアンディの妻、1975年に離婚。ガーナーはジャズピアニストで「ミスティー」が有名。この番組を欠かさず見ているが、なぜか「ムーンリバー」のフル演奏が聴けなかった。今回やっとアンディがマンシーニをバックに熱唱していた。保存版ですね。前にナンシー・ウィルソンもゲスト出演していたが、ナンシーも「ムーン・リヴァー」をジャズ・バラードとして歌っている。 ほかにジョニー・マーサーもジャズ風に歌っている。

    作詞はジョニー・マーサー。「ムーン・リバー」はトルーマン・カポーティーの短編小説「ティファニーで朝食を」の映画主題歌。劇中でホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘプバーン)がギターを爪弾きながら歌う。歌詞の意味は月夜の川をあなたと渡ってみたいという感じ。「My Hakleberry friend (ハックルベリー・フレンド)」とあり、直訳すると「コケモモの実の友」だが、作詞者の造語らしい。マーク・トウェーンの「ハックルベリーフィンの冒険」をもじっているので、ミシシッピ川がうかんでくるが空想の川なのだろう。訳詩を調べると「幼馴染みの冒険仲間」とある。原作にはもちろん「ムーン・リバー」はない。英詩があって、「空の牧場をさすらってみたい」という意味の一文がみえる。「牧場」が「河」になったのだろうか。

 「ムーン・リバー」をカバーした歌手は世界中に多数いるので正確な数を知ることは不可能である。最近はヤオ・スーティン(中国)、グロリア・イップ(香港)などアジアの女性歌手が歌うことが定番である。では日本で最初に「ムーン・リバー」を歌ったのは誰か?テレビのショー番組でザ・ピーナッツあたりが最初かもしれないが不明である。youtubeで検索すると、ペア・バンビーズと言うデュオが1962年に歌っている。ただし英語であり、ソノシー盤である。当時洋楽ポップスでソノシート盤がよく販売されていた。その翌年1963年には梓みちよが「ムーンリバー」を日本語訳でリリースしている。1967年のザ・ピーナッツの映画音楽を収めたアルバムには「ムーンリバー」がある。意外な人物としては1969年の勝新太郎が歌っている。ペギー葉山もその頃だろうか。80年代になると「ムーンリバー」はアイドルの定番となり、松田聖子や河合奈保子が歌っている。1990年代、大橋純子。20世紀に入り、平井堅(2009)、手嶌葵、薬師丸ひろ子など多数の歌手がカバーしている。

2021年12月 5日 (日)

モーツァルト忌

Mozart   ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。ちなみに「ヴ」というカタカナはもともとなかったが、福沢諭吉が外国語を翻訳するので作ったとされる。1756年、オーストリアのザルツブルクで生まれたモーツァルトは25歳のときに故郷を捨ててウィーンに来た。そして彼は経済的には苦しかったが、独立した音楽家として自由を勝ちとることに成功した作曲家である。歌劇「フィガロの結婚」「魔笛」にはフランス革命の自由と平等の精神が盛り込まれている。モーツァルトには時代を見る目があった。1791年12月5日未明チフスのため死亡。6日の葬儀は数人の弟子が集まっただけで、折からの雷雨のため誰1人付き添わずにウィーンの共同墓地に葬られたため、現在も遺骨の所在は不明である。その急死について、当時から、彼の才能を妬んだイタリア人の宮廷楽士サリエリによる毒殺との噂もでたが、必ずしも信頼できず、やはりチフスが原因であったであろう。

  ところで、「♪眠れよい子よ、庭や牧場に~」で知られるモーツァルトの子守歌。長い間、モーツアルトの作曲といわれていたが、実はベルハルト・フリースの作曲である。作詞はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッター。(Mozart)

2021年11月25日 (木)

東京ソング

Img_943571_34041895_0    東京を題材にした歌謡曲は佐藤千夜子の「東京行進曲」や小唄勝太郎・三島一声の「東京音頭」をはじめとして無数にある。某テレビ局が調査したところ、「東京」「TOKYO」とタイトルに冠した曲だけでも1271曲あるという。「銀座」「赤坂」「池袋」「新宿」など地域名を含めると1500曲以上はあるだろう。

    戦後は笠置シズ子「東京ブギウギ」、灰田勝彦「東京の屋根の下」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」。しかし東京ご当地ソングが増加するのは1960年代になってからである。東京オリンピック前後の東京は好景気に沸き、繁華街が大盛況となり、東京は不夜城となっていった。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、松尾和子「グッド・ナイト東京」、坂本九「サヨナラ東京」、渡哲也「東京流れ者」、井沢八郎「ああ上野駅」、西田佐知子「赤坂の夜は更けて」、日野てる子・高城丈二「青山の灯も消えて」、三田明「アイビー東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、中原理恵「東京ららばい」、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、大木英夫・津山洋子「新宿そだち」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、真田ナオキ「恵比寿」等々、ヒット曲は多い。私の好きな東京ソングはピチカート・ファイブ「トーキョーは夜の七時」、裕木奈江の「冬の東京」(1994)。韓国歌手チェウニは「トーキー・トワイライト」「東京の枯葉」「ガラスの東京タワー」など東京ソングの女王である。ズバリ「東京」というシンプルなタイトルは、やしきたかじん、マイペース、JUJU、ケツメイシ、手嶌葵の曲がある。

  海外をみてもロンドンとかパリとか単に都市名のみの曲はあまり見当たらない。「モスクワの夜は更けて」「とんでイスタンブール」とか「想い出のサンフランシスコ」とか形容詞がつくものである。フランシス・ルマルクは日本での知名度はあまり高くないが、実力派のいかにも「シャンソン歌手」という感じで、彼の代表曲「A Paris」(1949年)がある。また稀少例としてファウスト・チリアーノの「ローマ」(1972)がある。ローマの橋をテーマにした佳曲。彼は特捜最前線のエンディング「私だけの十字架」で日本でもお馴染みの歌手であるが本国でも有名な一流歌手だ。国名ならば「ブラジル」、メンデルスゾーンの「交響曲イタリア」。

 

 

2021年10月29日 (金)

ムード音楽のはじまり

   真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?実はムード音楽とかムードミュージックという英語はない。一般にrelaxing musicに近い。日本でムード音楽といえば、高級ナイトクラブで生演奏でダンス用に使われる音楽のことであろう。和田弘とマヒナスターズが歌謡曲でヒット曲を出して、昭和40年代男性コーラスグループが全盛となった。海外の演奏のみの音楽をムード音楽と考えるなら、1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

 

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

 

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

 

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

 

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

 

「マドンナの宝石」 マランド楽団

 

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド楽団

 

「ミスティ」 ジョージ・メラクリーノ楽団

 

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

 

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

 

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

 

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

 

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

 

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

 

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

 

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

 

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

 

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

 

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

 

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

 

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

 

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

 

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

 

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

 

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

 

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

 

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

 

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

 

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

 

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

 

シャレード フランク・チャックフィールド

 

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

 

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

 

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

 

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

 

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

 

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

 

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

 

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

 

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

 

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

 

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

 

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

 

サンセット77  ウォーレン・バーカー

 

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

 

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

 

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

 

街角のカフェ  フランク・ミルズ

 

今宵のあなた モートン・グールド

 

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

 

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

 

ラブ・タイム・ゴウ・バイ(カサブランカ)  ビージー・アデール

 

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団、ジョージ・メラクリーノ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館でレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

 

 

 

 

2021年9月 9日 (木)

クララ・シューマンとブラームスの恋

30604   クララとブラームスが出会ったのは、クララが34歳、ブラームスが20歳のときだった。引っ込み思案のブラームスだが、1853年のある日、尊敬するシューマンの家を訪問した。シューマンはこの青年の才能を高く賞賛した。しかし出会って翌年、シューマンは精神に異常をきたす。2年後に亡くなるまで、ブラームスは献身的にクララとその家族の生活を助けた。シューマンとの間に子供は8人いた(1人は1歳で間もなく死亡)。

 

   ブラームスは長い髪を肩までたらしたナイーブな青年。恩人の妻に対する尊敬の念がしだいに愛情へと変わっていった。2人の関係が生涯プラトニック・ラブであったのか、不倫であったのか、音楽史の最大の謎とまでいわれている。クララが亡くなって1年足らずして、1897年、ブラームスも後を追うようにして亡くなった。(Clara Schumann,Johannes Brahms)

2021年7月 8日 (木)

慕情「愛とは素晴らしいもの」

 本日のNHKBSプレミアムは、ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ主演の映画「慕情」(1955年)。この映画は、みなさんご承知のように、香港に在住している中国人とイギリス人の混血である女医ハン・スーインの自伝的小説を映画化したものです。主演のジェニファー・ジョーンズは「聖処女」から「タワーリング・インフェルノ」まで21本の作品に出演したが長いキャリアの割には寡作の人である。主演女優としてのプライドがあったのだろう。この映画を永遠の恋愛映画としたのは、この映画の主題曲でしょう。音楽監督アルフレッド・ニューマン、サミー・フェイン作曲、ポール・フランシス・ウェブスターの歌詞による Love is A Many‐Splendored Thingはアカデミー主題歌賞がおくられました。サミー・フェインはプッチーニの「ある晴れた日に」(蝶々夫人)をイメージして作曲したといっている。映画ではラストシーンでコーラス・グループが歌っていますが、1955年にザ・フォー・エイセスが歌って大ヒットし、その後フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、マット・モンロー、ジェリー・ベール、アンディ・ウィリアムズ、コニー・フランシスなど多くの歌手が歌っています。またインストゥルメンタルとして、マントヴァーニ、ロジャー・ウィリアム、カーメン・キャバレロなどさまざまなアレンジで演奏されていまでは映画音楽・ムード音楽のスタンダード曲となっています。Ray Conniff;Love is a many splendored thing

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31