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2024年2月25日 (日)

チャップリン「スマイル」

Photo    1936年のこの日、喜劇王チャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」がアメリカで公開された。チャップリンの映画は音楽もすばらしい。「ラ・ヴィオレテラ」(街の灯)、「テリーのテーマ」(ライムライト)、「スマイル」(モダン・タイムス)などスタンダードな曲。なかでも「スマイル」はもの悲しいメロディーのなかに明日への希望が感じられ、永く多くの人々に愛されてきた。映画は、オートメーションと機械文明の将来をいちはや憂い、人間性の喪失の危機を警告していた風刺性も鋭い。機械に操られているチャップリンのパントマイム芸術も絶妙。「スマイル」はインストゥルメンタルのみだったが、1954年にナット・キング・コールが歌詞付で歌ってヒットした。以後、マイケル・ジャクソンはじめ多くの歌手によってカバーされている。またマントヴァーニ・オーケストラなどイージーリスニングとしても定番の曲である。この曲は近年フィギュアスケートの浅田真央や織田信成選手のエキシビション使用曲となり若い人も知るようになった。

  これまでに「スマイル」をカバーした主なミュージシャンは、ペトゥラ・クラーク、ニール・セダカ、スキータ・ディヴィス、ペリー・コモ、ジュディ・ガーランド、トニー・ベネットなど。希望がみえない日々で苦しい毎日、力がもらえる前向きな楽曲としてお勧めしたい。(2月25日)

 

 

 

 

2024年2月17日 (土)

演歌は滅亡するのか?

  日本の音楽のジャンルは一般に国内ロック・ポップスと歌謡曲・演歌に分けられる。大みそか恒例のNHK紅白歌合戦は、ここ数年、歌謡曲・演歌に大ヒット曲がなく、J・POP中心の番組構成になってきている。若者はいう「JAZZや演歌は今どきオワコンである!」と。しかしAKBやジャニーズばかりのグループ&ダンス歌謡もつまらない。このような状況はお隣の韓国も似ているが、韓国にはトロットといわれる大衆歌謡がある。「トロット王子」といわれるパク・ヒョンビンやチャーミングな女性歌手ホン・ジニョンが人気があり、いまでもトロットの人気は衰えをしらない。

  さて、ここで問題です。日本で初めて「歌謡曲」と名づけられた曲は?

A 大正3年の「カチューシャの唄」

B 大正14年の「夏が来たかと」

C 昭和4年の「東京行進曲」

 「カチューシャの唄」は爆発的な流行を示し、いわゆる大衆流行歌謡のルーツになっているが、当時は「流行唄」「流行小唄」などと呼ばれていた。「歌謡曲」ということばがはじめて用いられたのは、大正14年7月12日に東京放送局の本放送が始まってからであり、その直後の7月27日に「夏が来たかと」など4曲(北原白秋作詞・町田嘉章作曲)が放送されたとき、町田嘉章がこれをはじめて歌謡曲と名づけたことから始まっている。昭和4年に西条八十作詞・中山晋平作曲・佐藤千夜子の「東京行進曲」がレコードになって、当時25 万枚という売行きを示したが、このころになると、この種の歌を「流行歌」というようになり、このあとぞくぞくと流行歌が大衆のあいだにうたよれるようになる。戦後になると、NHKなどの放送で、この種の流行歌をすべて「歌謡曲」というようになって、流行歌ということばの影がうすくなっていった。昭和30年代、美空ひばりや三波春夫などの活躍で歌謡曲の全盛時代を迎えたが、海外のヒット曲を日本語でカバーする和製ポップスも出現した。昭和40年代ビートルズの来日以降、GSブームやフォーク、ニューミュージックとさまざまなジャンルが区分されるようになり、旧来の歌謡曲は次第に「艶歌」「怨歌」「演歌」ということばが用いられるようになった。井沢八郎の「艶歌一代」(「ああ上野駅」のB面、1964年発売)。カラオケブームで昭和末期まで演歌のヒット曲は生まれたが、売り上げでは次第に衰退する。平成になると旧来の和製ポップスが「Jポップス」と呼んで若者たちに支持されるようになった。しかし新時代を迎え、ふたたび昭和歌謡の名曲をカバーする動きもみられる。また若者たちが好むアニメに演歌好きな女子が登場することもある。例えば村上巴(声:花井美春)「おんなの道は星の道」など。三山ひろし、山内惠介、福田こうへい、真田ナオキ、純烈など中堅演歌歌手のガンバリに期待したい。

 

 

 

2024年2月15日 (木)

「お誕生日のうた」は最近、著作権が切れた

 老若男女、現代はどんな人でもマイク片手に歌を歌う時代である。カラオケの選曲に悩む方もおおいだろう。では世界中で一番よく歌われている歌は何か?ギネスブックにも登録されているのは、誕生日を祝うために歌われている「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」である。原曲は米国ケンタッキー州のミルドレッド&パティ・ヒル姉妹(Mildred J.Hill、Patty Smith Hill)が1893年に作詞・作曲した「みなさんおはよう グッドモーニング・トゥ・オール Good Morning to All」という合唱曲である。1920年前後にGood MorningとHappy Birthdayを替えた歌が広まった。当初この歌は、幼稚園の朝の挨拶の歌として歌われていた。ところが、この歌のメロディに別の歌詞がつき、替え歌の「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」が歌われたところ、大ヒットし、全世界に広まることになった。レコード化は意外と遅くて、ビング・クロスビーが歌った「Happy Birthday」が1947年にリリースされている。この曲については、ワーナー・チャペルミュージックとそれに反対する団体とであらそわれていたが、2015年に正式にパブリック・ドメイン(著作権なし)となった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年1月28日 (日)

古き良き時代1980年代

    朝ドラ「あまちゃん」は地元アイドルの村おこしがテーマ。ときは2008年だが、24年前の1984年がオーバーラップする。話題の「潮騒のメモリーズ」も80年代ぽい感じ。脚本のクドカンが1970年生まれで、中高校生時代影響を受けた音楽がやはり80年代歌謡ポップスなのだろうか。昨夜放送の「不適切にもほどがある」も久しぶりに面白かった。クドカンワールドがさく裂した。市郎にはスマホが何かまだわからない。ハイライトも懐かしい。 最近は「レッゴー・ヤング」や「歌のトップテン」など歌番組がそのまま再放送されている。先日ファミリー劇場で放送された「歌のベストテン」は1986年6月9日放送分。1986年という年はおニャン子クラブが大ヒットした年である。「ニャンニャン」「ちょめちょめ」がよくでてくる。

ムード音楽とは何か

   真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?実はムード音楽とかムードミュージックという英語はない。一般にrelaxing musicに近い。日本でムード音楽といえば、高級ナイトクラブで生演奏でダンス用に使われる音楽のことであろう。ハワイアン音楽の和田弘とマヒナスターズが歌謡曲でヒット曲を出して、昭和40年代男性コーラスグループが全盛となった。海外の演奏のみの音楽をムード音楽と考えるなら、1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

 

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

 

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

 

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

 

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

 

「マドンナの宝石」 マランド楽団

 

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド楽団

 

「ミスティ」 ジョージ・メラクリーノ楽団

 

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

 

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

 

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

 

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

 

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

 

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

 

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

 

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

 

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

 

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

 

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

 

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

 

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

 

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

 

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

 

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

 

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

 

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

 

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

 

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

 

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

 

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

 

シャレード フランク・チャックフィールド

 

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

 

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

 

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

 

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

 

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

 

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

 

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

 

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

 

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

 

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

 

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

 

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

 

サンセット77  ウォーレン・バーカー

 

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

 

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

 

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

 

街角のカフェ  フランク・ミルズ

 

今宵のあなた モートン・グールド

 

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

 

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

 

ラブ・タイム・ゴウ・バイ(カサブランカ)  ビージー・アデール

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団、ジョージ・メラクリーノ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館からレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

 

 

 

 

「東京ブギウギ」

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モガ・モボ全盛の銀座風景(昭和4年)

 

   モダン・ボーイとか、モダン・ガールという言葉がしきりに使われた昭和4年頃、若い女性が職業婦人として新しい職場へ進出した。スチュワーデスの前身であるエア・ガール、そしてバス・ガール、マニキュア・ガール、マネキン・ガール、ダンサー、電話交換師、美容師、雑誌編集員などパーマネントや断髪の彼女たちは、若い女性の憧れの職業だった。

  長い髪した   マルクスボーイ

  今日も抱える 「赤い恋」

  かわる新宿 あの武蔵野の

  月もデパートの 屋根に出る

    この年、「ジャズ」「ダンサー」「リキュール」「ラッシュアワー」「シネマ」「デパート」などの横文字を散りばめて東京の最先端風俗を表現した流行歌「東京行進曲」が25万枚の大ヒットとなった。「東京行進曲」は、菊池寛の小説を原作とした日活映画「東京行進曲」(溝口健二監督、夏川静江主演)の主題歌だった。西条八十・中山晋平のコンビで佐藤千夜子が唄った。つまり「東京行進曲」は、映画、レコード、ラジオという新しいメディアの相乗りで作ったマスコミ主導型の大ヒットだった。ただし前掲の4番の歌詞は、レコード会社の意向で「シネマ見ましょかお茶のみましょか」と変更されて売り出された。

   「東京行進曲」以降、流行歌の世界では、東京は繰り返し歌われるかっこうの題材となった。また東京物はヒットするというジンクスのようなものが生れた。実際、東京を題材にしたヒット曲は多い。小唄勝太郎「東京音頭」、藤山一郎「東京ラプソディー」、岡晴夫「東京の花売娘」、笠置シズ子「東京ブギウギ」、高峰秀子「銀座カンカン娘」、美空ひばり「東京キッド」、暁テル子「東京シューシャインボーイ」、三浦洸一「東京の人」、大津美子「東京アンナ」、コロンビア・ローズ「東京のバスガール」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「東京カチート」、島倉千代子「東京だよおっ母さん」、神戸一郎「銀座九丁目は水の上」、守屋浩「僕は泣いちっち」、フランク永井・松尾和子「東京ナイト・クラブ」、石原裕次郎・牧村洵子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、三波春夫「東京五輪音頭」、西田佐知子「東京ブルース」「赤坂の夜は更けて」、井沢八郎「ああ上野駅」、三田明「アイビー東京」、竹越ひろ子「東京流れ者」、坂本九「サヨナラ東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、山内賢・和泉雅子「二人の銀座」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、かぐや姫「神田川」、内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」、中原理恵「東京ららばい」、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」、宇多田ヒカル「東京NIGHTS」、桑田佳祐「東京」。銀座という街をモチーフにした曲たげで、770曲以上あるといわれるから、東京全体だと1500曲以上はあるだろう。

   だが近年、東京を題材をした歌謡曲にヒット曲がでないのは何故だろうか?(個人的にはマイペースの「東京」が好きだ。もちろん新しい曲ではない。「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む美しい都。東京へはもう何度も行きましたね。君が咲く花の都」というサビの部分が懐かしい青春の一曲です)ネットで探すと、ポルノグラフィティ「東京ランドスケープ」、ゴスペラーズ「東京スヰート」、小田和正「Little Tokyo」、銀杏BOYS「東京」、福山雅治「東京」、コフクロ「東京の冬」、角松敏生「Tokyo Tower」などでているようだが、ケペルの年齢のためかなじみがない。

Kitajima_hidetomo   ところで「東京」という地名はいつごろどうして生まれたか。岩倉具視の側近である北島秀朝(1842-1877)が慶応4年に「江戸を東京と改むべし」という建白書を新政府に提出している。その提言によって、江戸城の明け渡しなども終えた明治元年7月17日、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」という詔勅が出た。北島こそ、東京の名付け親である。

 

 

2024年1月16日 (火)

映画音楽はすばらしい

 NHKで放送の安田顕MCの「映画音楽はすばらしい」を楽しみに見ている。でも選曲が80年代以降の映画中心でわたし的にはものたらない。最近 フィギュアスケートの伴奏曲はクラシックだけでなく映画音楽もよく使われるようになったように思う。たとえば「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」「ライムライト」などは定番曲になっている。ロシアのエフゲニア・メドベージェワはイタリアの映画音楽作曲家ダリオ・マリアネッリの「アンナカレーニナ」(2012)を使用した。劇中、舞踏会シーンで流れた楽曲をパントマイムのような独特的な表現をしている。映画音楽の中には映画そのものより音楽のほうが有名になったものも数多くある。「キャリオカ」はラテン・ナンバーとして知られるが、もともとは映画音楽。アステア、ロジャーズの「空中レヴュー時代」(1933)のなかで2人が踊り、キャリオカ・ダンスが人気を博した。「紅の翼」はジョン・ウェイン主演の作品だが、テーマ曲がよく知られている。シャンソンの名曲「枯葉」は映画「夜の門」(1946年)でイヴ・モンタンが歌って広く知られるようになった。「チコと鮫」(音楽フランチェスコ・デ・マージ)は伊藤アイコがテーマ曲を歌っている。「ワレリアの恋」も映画よりも美しいメロディーで知られる。「愚かなり我が心」はジャズのスタンダードナンバー。もともとはスーザン・ヘイワード主演の映画。映画「世界残酷物語」のテーマ曲「モア」はイギリスの歌手ダニー・ウィリアムズが歌って大ヒットとなる。「ピクニック」の「ムーングロウ」は燃えるように鮮やかな月あかりという意味。「黒いオルフェ」の主題歌「オルフェの唄」は甘く美しいメロディをブレノ・メロが歌っていた。ムード音楽で自律神経を整える。

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

モア(世界残酷物語)

 

ワレリアの恋(赤いテント)

 

マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)

 

ヴェニスの夏の日(旅情)

 

愛しのレティッシア(冒険者たち)

 

アフリカの星のボレロ(撃墜王アフリカの星)

 

カーニバルの朝(黒いオルフェ)

 

テリーのテーマ(ライムライト)

 

ララのテーマ(ドクトルジバコ)

 

ムーン・グロウ(ピクニック)

 

時の過ぎゆくまま(カサブランカ)

 

さよならをもう一度(ブラームスはお好き) マーティ・ゴールド・オーケストラ

 

トゥ・ラヴ・アゲイン(愛情物語)

 

ムーラン・ルージュの歌(赤い風車)

 

夏の日の恋(避暑地の出来事)

 

An Affair to Remember(めぐり逢い) ヴィック・ダモン

 

She(ノッティングヒルの恋人)

 

ニューヨーク・シティ・セレナーデ(ミスター・アーサー)

 

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   「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」映画カサブランカの中で歌うドーリー・ウィルソン。劇中ではバーグマン扮するイルザの求めに応じてドーリー・ウィルソンがピアノを弾く。実はもともとこの歌は1931年にハーマン・フップフェルドが作曲・作曲し、同年のミュージカル「エブリバディズ・ウェルカム(どなたも大歓迎)」に使用された。ルディ・ヴァリーのレコードがヒットし、ビング・クロスビーなどもラジオで盛んに歌っていた。

 

 

2023年12月15日 (金)

シューベルトの「未完成」はなぜ完成しなかったのか

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「シューベルトと婚約者テレーゼ・グローヴ」 オットー・ノーヴァク(1874-1950)の絵

 

 青春の夢と希望は未完のまま美しく閉じられる。

   1822年秋、25歳の青年フランツ・シューベルト(1797-1828)は「交響曲第8番ロ短調」を書き上げた。この曲が「未完成」と呼ばれるのは、当時の交響曲がふつう第4楽章だったのに、シューベルトは第3楽章を書きはじめたところで作曲を中止してしまい、2度と取り上げなかったためである。なぜシューベルトは「未完成」を完成をさせなかったのか理由はわからない。一説によると、別の曲を書きはじめているうち忘れてしまったのではないかともいわれている。往年の映画「未完成交響楽」(1933年)を見た人は「我が恋の終わらざるごとく、この曲も終わらざるべし」と失恋のためと理解したがるが、もちろん後世のフィクションである。実際にはテレーゼ・グローヴという歌の上手い女性がいたそうだが、3年後にパン屋に嫁いでしまった。「未完成」は、曲の外観が未完成であるがゆえに、シューベルトの生前にはついに演奏されなかった。シューベルトの親しい友人だったヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが「未完成」の自筆楽譜のある場所をウィーンの高名な指揮者ヨハン・ヘルベックに教え、ヘルベックの尽力で自筆楽譜は世に出、かつウィーンで初演されたのだった。初演は1865年12月17日、作曲者の死後37年、作曲から実に43年間が経過していた。この日は奇しくもベートーベンの誕生日。生前、栄光が与えられなかったという点では、シューベルトはベートーベン以上に悲劇の天才であった。

 

 

2023年12月12日 (火)

なぜ年末になると第九が演奏されるのか?

 1824年5月7日、ウィーンのケルントナートア劇場においてベートーヴェンの交響曲第9番がはじめて演奏された日である。ベートーベン自身が指揮した。合唱曲「歓喜に寄す」が入った第九は、今日、世界中で平和と国際協調のための賛歌とされ、もっとも有名で人気のあるクラシック作品のひとつである。ところで日本では、第九は年末の風物詩といわれ、12月になると毎年全国各地でコンサートが開催される。その理由は明らかではないが、ベルリンでは戦前からニューイヤーコンサートとして、大みそかの深夜に、ただ幾第九を演奏することが多かった。その風習が日本に持ち込まれたのかもしれない。年末に第九を演奏するというのは、もともと第一次世界大戦後、平和を願うドイツのライプツィヒで始まった。いまでも伝統行事として、大晦日に第九の演奏会が開かれている。だが海外では、年末にはヘンデルの「メサイア」(ハレルヤコーラスで有名な曲)が一般で、第九を演奏することは少ない。ではなぜ、日本に第九演奏が定着したのか?これには諸説あるが、太平洋戦争で亡くなった人々への鎮魂歌だったという意味が大きい。日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮(1884-1953)で3夜も第九の演奏会で成功を収めた。これが契機となって全国各地でも第九の演奏会が行われた。つまり、第九の演奏は貧乏な楽団員にとって年越しの餅代稼ぎとなった。第九は大合唱付きで、チケットがさばきやすかった。また12月はベートーヴェンの誕生月でもあることや、日本人に第九は絶大な人気があることがあげられる。

 

 

2023年9月29日 (金)

歌謡曲コレクション

Img_01342  思い出の歌、こころに響く歌、いつでも口ずさめる歌・・・人には、それぞれ胸に刻んだうたがある。曲のタイトルを五十音順に並べると、一番最初に来る歌は何だろう。手元の歌本のインデックスを引くと、最初が「ああ青森」(平川幸夫)で、最後は「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(日野てる子)だった。調べれば他にあるだろう。パティ・ペイジの「The Doggie In The Window」(1952)を桜田淳子がアルバム「淳子と花物語」(1974)の中で「ワンワン・ワルツ」というタイトルで日本語カバーしている。

   最近の石川さゆりの新曲が「あぁ・・・あんた」(吉幾三作曲)。カラオケで曲をさがすとき、いちばん最初に見つけられるようにということらしい。

 先が見づらい世の中だからこそ、多くの人の心に寄り添う歌が聞きたい。新しいJポップではなく、ふつうの流行歌が聞きたい。

 

愛は眠らない 椎名恵

 

春雨  村下孝蔵

 

夜空の笛 守屋浩

 

つまさき坂  永井龍雲

 

風色ロマンス 伊藤敏博

 

春の風が吹いていたら 四角佳子

 

涙をたばねて 小川範子

 

明日も愛して下さいますか 桜田淳子

 

あなたと生きる 石原詢子

 

selfish      前田敦子

 

そよ風の誘惑  石川ひとみ

 

街角セピア色 三東ルシア 1976

 

時計をとめて  草間ルミ

 

私のキライなもの フラワー・メグ

 

いつかある日  中沢厚子

 

春の雨はやさしいはずなのに 朝倉理恵

 

この空が味方なら 裕木奈江

 

7月の雨なら 西脇唯

 

誰よりも好きなのに 古内東子

 

想いで迷子 テレサ・テン

 

明日を忘れて ミッチ・サハラ 1966

 

ドミニク ザ・ピーナッツ 1964

 

ボーイ・ハント 千秋恵子 1961

 

カモン・ダンス 弘田三枝子 1962

 

砂に消えた涙 伊藤アイコ  1965

 

ベラ・ノッテ  本田美奈子

 

霧のカレリア  ザ・スプートニク

 

ハーフムーン・セレナーデ 河合奈保子

 

愛のめざめ 伊東ゆかり

 

私が生まれて育ったところ 野路由紀子

 

Alegria マルシア

 

八月の濡れた砂 門倉有希

 

神戸北クラブ 加門亮

 

さよならの言葉 小野香代子

 

手を握って歩きたい 後藤真希

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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