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2025年5月14日 (水)

歌謡曲 Playlist

 NHK放送100年である。人にとって音楽とはなにか。スマホのない時代、はじめてラジォが普及したときさぞや人々を驚いたことだろう。のどかな暮らしで自然音しかしらなかった日本人が、放送局から流れる音声や機械音、メロディーを聞くと、それは情報であるととに、雑音でもあっただろう。有名な小津安二郎監督の「東京物語」の名シーンで、老夫婦が伊豆の旅館で就寝しようとするが、なかなか眠れない。のどかな温泉町に歌謡曲「湯の町エレジー」はあきらかに騒音そのものだった。

 いまの現代人は雑踏の中で生きているので、騒音になれている。むしろBGMがないと落ち着かない人も多い。勉強や読書や作業している間、生産的な仕事をするのに心地よい音楽が作業効率を高める。歌謡曲、j-POP、フォーク、ニューミュージック、民謡、唱歌・童謡、ロック、ソウル、ディスコ、ジャズ、ボサノバ、クラシック、イージーリスニング、効果音なんでもいい。昭和平成歌謡のリストを作成してみる。

「あなたに会えてよかった」題名だけだと誰の歌だったか思い出せなかった。聞いて小泉今日子の楽曲だと思い出した。TBS系ドラマ「パパとなっちゃん」主題歌。最近では、森七菜がカバーしている。▽「トーキョー・トワイライト」韓国のトロット歌手チェウニは日本でも長く活動している。60歳だけどとても若く見える。「Tokyoに雪が降る」「星空のトーキョー」「ガラスの東京タワー」「東京の枯葉」大ヒットはないが東京ご当地ソングの女王となっている。悲しくて切ない声、そして心地よく響くヴォーカルは病みつきになる。▽「風蓮湖」演歌界の貴公子と呼ばれる山内惠介の楽曲。山内は2001年「霧情」デビューなので厳密にいうと平成歌謡なのだが、美空ひばりに憧れていることから、昭和歌謡のテイストがする。「釧路空港」「流氷鳴き」「想いで小樽」「残雪根室本線」「カラオケ流し」「オホーツクの舟唄」と北海道を舞台にした楽曲も多数ある。▽「夢で逢えたら」大瀧詠一の作詞・作曲。吉田美奈子が1976年にリリース。鈴木雅之・薬師丸ひろ子・原田知世など多くの歌手がカバーしている。▽「さようなら」オフコース最大のヒット曲。シンプル・イズ・ベスト。ドラマ「3年B組金八先生」の挿入歌で1980年にヒットした。▽「17才」南沙織のリメイクが森高千里で1989年ヒットしていた。元歌になじんでいたのでディスコ調があまり好きになれなかった。1993年「渡良瀬橋」の頃からやっと好きになってきた。

 

 

 

 

2025年3月20日 (木)

LPレコードの日

 1951年のこの日、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売された。ブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮ニューヨーク・フィルによる2枚組の「ベートーヴェン第九」だった。戦後間もなくの日本では、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルターを三大巨匠と呼んでいた。(3月20日)

 

 

 

 

2025年2月24日 (月)

安らぎと癒しを与えるジャズとボサノバ

 音楽は騒音にもなるし、癒しにもなる。その日の体調にも大きく関係している。ところでみなさんは、最近、音楽を聴いていますか?真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。安らぎと癒しを与えてくれるムード音楽について考えてみましょう。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?実はムード音楽とかムードミュージックという英語はない。一般にrelaxing musicに近い。日本でムード音楽といえば、高級ナイトクラブで生演奏でダンス用に使われる音楽のことであろう。ハワイアン音楽の和田弘とマヒナスターズが歌謡曲でヒット曲を出して、昭和40年代男性コーラスグループが全盛となった。海外の演奏のみの音楽をムード音楽と考えるなら、1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

 

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

 

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。70年代はポール・モーリアが一番ポピュラーだった。ヘンリー・マンシーニのような映画音楽の作曲家ではなく、すでに原曲があるものに自分のアレンジをほどこしてムード音楽にするのがポール・モーリアの真骨頂である。

 

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

 

「マドンナの宝石」 マランド楽団

 

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド楽団

 

「ミスティ」 ジョージ・メラクリーノ楽団

 

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

 

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

 

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

 

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

 

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

 

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

 

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

 

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

 

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

 

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

 

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

 

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

 

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

 

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

 

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

 

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

 

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

 

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

 

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

 

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

 

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

 

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

 

シャレード フランク・チャックフィールド

 

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

 

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

 

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

 

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

 

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

 

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

 

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

 

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

 

軽蔑 ピエロ・ピッチオーニ

 

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

 

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

 

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

 

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

 

サンセット77  ウォーレン・バーカー

 

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

 

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

 

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

 

街角のカフェ  フランク・ミルズ

 

今宵のあなた モートン・グールド

 

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

 

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

 

ラブ・タイム・ゴウ・バイ(カサブランカ)  ビージー・アデール

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

怒りの荒野 ウーゴ・モンテネグロ楽団

 

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団、ジョージ・メラクリーノ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館からレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

 

 

 

 

2025年2月14日 (金)

東京ソング

Img_943571_34041895_0  東京。行政機関や企業の本社が集中しており、日本の顔とも言える都市です。東京を題材にした歌謡曲・流行歌は佐藤千夜子の「東京行進曲」や小唄勝太郎・三島一声の「東京音頭」をはじめとして無数にある。某テレビ局が調査したところ、「東京」「TOKYO」とタイトルに冠した曲だけでも1271曲あるという。「銀座」「赤坂」「池袋」「新宿」など地域名を含めると1500曲以上はあるだろう。

    戦後は笠置シズ子「東京ブギウギ」、灰田勝彦「東京の屋根の下」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」。しかし東京ご当地ソングが増加するのは1960年代になってからである。東京オリンピック前後の東京は好景気に沸き、繁華街が大盛況となり、東京は不夜城となっていった。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、松尾和子「グッド・ナイト東京」、坂本九「サヨナラ東京」、渡哲也「東京流れ者」、井沢八郎「ああ上野駅」、西田佐知子「赤坂の夜は更けて」、日野てる子・高城丈二「青山の灯も消えて」、三田明「アイビー東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、中原理恵「東京ららばい」、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、大木英夫・津山洋子「新宿そだち」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、真田ナオキ「恵比寿」等々、ヒット曲は多い。私の好きな東京ソングはピチカート・ファイブ「トーキョーは夜の七時」、裕木奈江の「冬の東京」(1994)。韓国歌手のチェウニは「トーキョー・トワイライト」「東京の枯葉」「ガラスの東京タワー」など東京ソングの女王である。ズバリ「東京」というシンプルなタイトルは、やしきたかじん、マイペース、JUJU、ケツメイシ、手嶌葵の曲がある。

  海外をみてもロンドンとかパリとか単に都市名のみの曲はあまり見当たらない。「モスクワの夜は更けて」「とんでイスタンブール」とか「想い出のサンフランシスコ」とか形容詞がつくものである。フランシス・ルマルクは日本での知名度はあまり高くないが、実力派のいかにも「シャンソン歌手」という感じで、彼の代表曲「A Paris」(1949年)がある。ジャネット・エヴラ「パリ」。また稀少例としてファウスト・チリアーノの「ローマ」(1972)がある。ローマの橋をテーマにした佳曲。彼は特捜最前線のエンディング「私だけの十字架」で日本でもお馴染みの歌手であるが本国でも有名な一流歌手だ。国名ならば「ブラジル」、メンデルスゾーンの「交響曲イタリア」。モーツァルトの「交響曲第38番プラハ」。

 

 

2025年1月22日 (水)

ジャズが流れる部屋

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   本日は「ジャズの日」。1月22日が何故か?JAZZの「JA」がJanuaryの先頭2文字であり、「ZZ」が「22」に似ていることからという。

    ジャズといえば中高年の男性というイメージがある。ジョン・コルトレーンだ、ソニー・ロリンズだ、マイルス・デイビスだとか、ジャズにうるさいのが友達にいる。ところが最近、「女子ジャズ」という言葉が生まれ、いま若い女性にジャズがうけているというオジサンたちにちょっと嬉しいようなニュース。ジャズにもいろいろあるので、女子ジャズがどんな傾向なのかは知らない。jazzという言葉の起源は明らかではない。古くはjassと表記されていた。卑猥な意味をもつとする説や、19世紀からアメリカ南部の黒人が使っていた性行為にどの性的意味、熱狂や急速なテンポ・リズムを意味するスラングのjazzによるとする説などがある。jassという言葉の意味は様ざまに変化し、黒人音楽を、ジャズと称するようになった時期も明らかでない。ジャズのリズムはもともとアフリカのものであったが、奴隷としてアメリカにおくられたアフリカの黒人がニューオーリンズにもたらし、黒人の演奏者らによってジャズ音楽に育てられた。作曲家のジェリー・ロール・モートンは、1902年に自分のピアノ演奏スタイルをジャズを名付けたといい、後年にジャズの創始者と自称したが、信じる者はいなかった。ジャズと称される以前は、ラグタイムと混同された形でラグタイム・ミュージック、またはラグと呼ばれていた。1910年代にニューオーリンズで生まれたジャズは、1920年代にはいって、ラジオの普及とともに、急速に全米に広がった。1930年代ではスイングジャズとしてダンス音楽として広まり、戦後1950年代からジャズはフランク・シナトラなどの人気歌手によって聴く音楽として世界中に普及していく。ヨーロッパ映画のヌーヴェル・ヴァーグにもジャズが取り入れられ、日本も1960年代の映画・ドラマの音楽にもモダンジャズがバックに流れた。戦後日本の洋楽はジャズが中心だったといってよい。ケペルの趣味は、懐古的でサッチモやベニー・グッドマン、トミー・ドーシー、グレン・ミラーといったビッグバンドのスイングジャズが好みだ。もっとも自分ひとりで聞くにはいいが、BGMとしてはうるさ過ぎるので、女子ジャズといわれるものが心地よさそうだ。(New Orleans)

 

You'd be so nice to come home to   Helen Merrill  1956

 

Lallaby of Birdland  Sarah Vaughan  1954

 

You Belong To Me  雪村いづみ

 

Fools Rush ln(恋は愚かと言うけれど)Jimmy Dorsey 1945   

 

Strange Fruit(奇妙な果実) Billie Holiday

 

 

2024年12月22日 (日)

ベート―ヴェン「運命」

  1808年のこの日、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」がウィーンでベートーヴェン自身の指揮により初演される。交響曲第5番ハ短調(作品67)を「運命」と呼ぶのは日本だけで、外国ではほとんど通用しない。ベートーヴェンのレコードの解説に由来しているらしい。一説によると、本野虫太郎の「音楽倶楽部」第4巻第10号(昭和4年)の記事「名曲の解説ベートーヴェンの第五交響曲運命ハ短調」が「運命」という言葉がタイトルに使われた最初だという。長らく「運命」は日本だけが使われていたと考えられていたが、最近はドイツでも運命Schicksalssinfonieと使い初められているらしい。((12月22日)

 

 

2024年12月 8日 (日)

なぜ年末になると第九が演奏されるのか?

 1824年5月7日、ウィーンのケルントナートア劇場においてベートーヴェンの交響曲第9番がはじめて演奏された日である。ベートーベン自身が指揮した。合唱曲「歓喜に寄す」が入った第九は、今日、世界中で平和と国際協調のための賛歌とされ、もっとも有名で人気のあるクラシック作品のひとつである。ところで日本では、第九は年末の風物詩といわれ、12月になると毎年全国各地でコンサートが開催される。その理由は明らかでないが、ベルリンでは戦前からニューイヤーコンサートとして、大みそかの深夜に、ただ幾第九を演奏することが多かった。その風習が日本に持ち込まれたのかもしれない。年末に第九を演奏するというのは、もともと第一次世界大戦後、平和を願うドイツのライプツィヒで始まった。いまでも伝統行事として、大晦日に第九の演奏会が開かれている。だが海外では、年末にはヘンデルの「メサイア」(ハレルヤコーラスで有名な曲)が一般で、第九を演奏することは少ない。ではなぜ、日本に第九演奏が定着したのか?これには諸説あるが、太平洋戦争で亡くなった人々への鎮魂歌だったという意味が大きい。日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮(1884-1953)で3夜も第九の演奏会で成功を収めた。これが契機となって全国各地でも第九の演奏会が行われた。つまり、第九の演奏は貧乏な楽団員にとって年越しの餅代稼ぎとなった。第九は大合唱付きで、チケットがさばきやすかった。また12月はベートーヴェンの誕生月でもあることや、日本人に第九は絶大な人気があることがあげられる。

 

 

2024年8月24日 (土)

酒杯の歌

  本日は「愛酒の日」。酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の明治18年の誕生日。酒杯の歌は西洋にも数多くあります。映画「プリティ・ウーマン」(1990)のラストシーンに流れていた曲はヴェルディの歌劇「椿姫」だった。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアがサンフランシスコのオペラハウスで「椿姫」を見るシーンもある。第1幕第2章で歌われるのが「乾杯の歌」。「楽しもう 酒杯と歌は夜と笑いを美しくするのだ。この楽園の中で新たな日が、私たちを見出すように」映画「オーケストラの少女」(1937)でも最後にディアナ・ダービンが喜びの涙で頬を濡らしながら歌い続ける。(8月24日)

 

2024年7月30日 (火)

女性歌手たちのデビュー曲一覧

  1949年のこの日、美空ひばりが「河童ブギウギ」でコロムビアレコードからデビューした。そこでこれまでの歌姫たちをデビュー曲と共にふりかえってみよう。小笠原美津子が先日、宝塚市内の病院で99歳で亡くなられた。1938年にビクターよりデビューした。2年後の「十三夜」のヒット曲や東海林太郎とのデュエット曲で知られる。榎本美佐江は戦時中は工場や軍隊の慰問などに回っていたが、1946年にテイチクに入社し、市丸の代役で歌った「十三夜」(オリジナルは1940年の小笠原美都子)がヒットした。当時レコード化されていなかったが、実質的に榎本の初ヒットといえる。鈴を鳴らしたような美声と美貌で新東宝で多数出演したが、レコード歌手として地位を確立したのは1949年ビクター移籍後のことである。由紀さおりの「ヒッチハイク娘」はどんな歌なのだろう。(7月30日)

淡谷のり子「久慈浜音頭」 1930
小唄勝太郎「島の娘」 1933
渡辺はま子 「海鳴る空」 1933
美ち奴 「さくらおけさ」 1934
笠置シヅ子「恋のステップ」 1934
二葉あき子「愛の揺り籠」  1936
菅原都々子「お父さんの歌時計」 1937
越路吹雪「ブギウギ巴里」 1946
吉岡妙子「昼も夜も」 1947
平野愛子「港が見える丘」 1947
美空ひばり「河童ブギウギ」 1949
織井茂子「安南夜船」 1949
宮城まり子「なやましブギ」 1950
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952
ペギー葉山「ドミノ」     1952
雪村いづみ「想い出のワルツ」 1953
楠トシエ「僕は特急の機関車で」 1953
大津美子「千鳥のブルース」 1955
島倉千代子「この世の花」 1955
西田佐知子「伊那の恋唄」 1956
浜村美智子「バナナ・ボート」 1957
伊東ゆかり「かたみの十字架」 1958
ザ・ピーナッツ「可愛い花」 1959
こまどり姉妹「浅草姉妹」 1959
森山加代子「月影のナポリ」 1960
坂本スミ子「黒い天使」 1960
多摩幸子「明子の唄」 1961
弘田三枝子「子供ぢゃないの」 1961
岸洋子「たわむれないで」 1962
木の実ナナ「東京キカンボ娘」 1962
梓みちよ「ボッサ・ノバでキッス」 1962
園まり「鍛冶屋のルンバ」 1962
髙石かつ枝「旅の夜風」  1962
三沢あけみ「ふられ上手にほれ上手」 1963
九重佑三子「シェリー」 1963
いしだあゆみ「ネェ、聞いてよママ」 1964
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」 1964
都はるみ「困るのことヨ」 1964
大月みやこ「母恋三味線」 1964
小林幸子「ウソツキ鴎」 1964
日野てる子「カイマナ・ヒラ」 1964
渡辺順子(黛ジュン) 「ダンケ・シェン」 1964
笹みどり「女の舞台」 1965
三船和子「ベトナムの赤い月」 1965
由紀さおり(安田章子)「ヒッチハイク娘」 1965
青江三奈「恍惚のブルース」 1966
山本リンダ「こまっちゃうナ」 1966
加藤登紀子「誰も誰も知らない」 1966
日吉ミミ(池和子)「涙と艶歌船」 1967
テレサ・テン「鄧麗君の歌第1集」 1967
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967
瀬川瑛子「涙の影法師」 1967
渚ゆう子「早くキスして」 1967
和田アキコ「星空の孤独」 1968
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」 1969
芹洋子「野に咲く花のように」 1969
藤圭子「新宿の女」 1969
藤野ひろ子「浜でギターを弾いてたら」 1969
安倍lt理津子「愛のきずな」 1970
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」 1970
八代亜紀「愛は死んでも」 1971
天地真理「水色の恋」 1971
小柳ルミ子「わたしの城下町」 1971
天童よしみ「風が吹く」 1972
森昌子「せんせい」 1972
松任谷由実「返事はいらない」 1972
谷山浩子「銀河系はやっぱりまわっている」 1972
山口いづみ「緑の季節」 1972
山口百恵「としごろ」 1973
石川さゆり「かくれんぼ」 1973
キャディーズ「あなたに夢中」 1973
川中美幸「新宿天使」 1973
高橋真梨子「ジョニィへの伝言」 1973
キム・ヨンジャ「教えてください」 1974
伊藤咲子「ひまわり娘」 1974
中島みゆき「アザミ娘のララバイ」 1975
岩崎宏美「二重唱(デュエット)」 1975
金沢明子「津軽じょんから節」ほか(LP若い民謡」収録)1975
大場久美子「あこがれ」 1977
榊原郁恵「私の先生」 1977
渡辺真知子「迷い道」 1977
矢野顕子「いろはにこんぺいとう」 1977
柴田まゆみ「白いページの中に」  1978
高見知佳「シンデレラ」 1978
竹内まりや「戻っておいで・私の時間」 1978
紅屋おかめ 「泣くなオカメちゃん」  1978
久保田早紀「異邦人」  1979
松田聖子「裸足の季節」 1980
山下久美子「バスルームから愛をこめて」 1980
小泉今日子「私の16才」 1982
中森明菜「スローモーション」 1982
原田悠里「俺に咲いた花」 1982
星ひろみ(伍代夏子)「恋の家なき子」 1982
小久保尚美「誰にも云わないで」 1983
菊池桃子「青春のいじわる」 1984
中山美穂「C」 1985 
長保有紀「女の人生待ったなし」 1985
南野陽子「恥ずかしすぎて」 1985
森川美穂「教室」 1985
浅香唯「夏少女」 1985
渡辺美里「I'm free」 1985
今井美樹「黄昏のモノローグ」 1986
中村美律子「恋の肥後つばき」 1986
島津亜矢「袴をはいた渡り鳥」 1986
椎名恵「今夜はANGEL」 1986
伊藤智恵理「パラダイス・ウォーカー」 1987
伍代夏子「戻り川」 1987
坂本冬美「あばれ太鼓」 1987
森高千里「NEW SEASON」 1987
藤あや子「ふたり川」 1987
工藤静香「禁断のテレパシー」 1987
香西かおり「雨酒場」 1988
山口由子「幾千の涙を贈りたい」 1988
遊佐未森「瞳水晶」 1988
西田ひかる「ぼくらのセディ」  1988
小野リサ「カトピリ」 1989
夏川りみ(旧芸名・星美里)「しほり」 1989
林原めぐみ「約束だよ」 1989
山口弘美「つよがり」 1989
高橋由美子「Step by Step」 1990
西野妙子「A級キッス」 1990
田川寿美「女…ひとり旅」 1992
音羽しのぶ(司千恵子) 「涙という名の港町」 1992
広瀬香美「愛があれば大丈夫」 1992
藤田恵美(ルクプル)「海の底でうたう唄」 1994
安室奈美恵「太陽のSEASON」 1995
華原朋美「keep yourself alive」 1995
水森かおり「おしろい花」 1995
宇多田ヒカル「Automatic」 1998
浜崎あゆみ「poker face」 1998
椎名林檎「幸福論」   1998
aiko「あした」       1998
川野夏美「あばれ海峡」 1998
MISIA「つつみ込むように」 1998
島谷ひとみ「大阪の女」 1999
クミコ「接吻」     2000
水樹奈々「想い」     2000
中島美嘉「STARS」   2001
一青窈「もらい泣き」   2002
加藤ミリヤ「Never let go」 2004
木村カエラ「Level42」    2004
JUJU「光の中へ」    2004
Beni「harmony」     2004 
Perfume 「リニアモーターガール」 2005
新妻聖子「夢の翼」   2006
青山テルマ「ONE WAY」  2007
越智志帆(superfly)「ハローハロー」 2007 
ステファニー「君がいる限り」 2007 
西野カナ「I」        2008 
miwa「don't cry anymore」 2010
出光仁美「おんな七厘」 2010
藍井エイル「MEMORIA」 2011
家入レオ「サブリナ」   2012
杜このみ「三味線わたり鳥」  2013
大原櫻子「頑張ったっていいんじゃない」2014
あいみょん「生きていたんだよな」 2016
栞菜智世「Hear 信じあえた証」 2016
羽山みずき「紅花慕情」 2016
三浦透子「おかあさんへ」 2016
朝花美穂「なみだの峠」 2018
門松みゆき「みちのく望郷歌」 2019
鈴木愛理「Escape」 2019 
望月琉叶「失恋慕情」 2020
Liyuu「Magic Words」2020
石川花「空に咲いて」 2022
梅谷心愛「磐越西線」 2023

 

 

 

 

 

 

2024年5月10日 (金)

鉄道唱歌の歌詞に金閣寺がない理由とは?

Blog11005

 

  北山の金閣(鹿苑寺)は足利義満が造営した別荘で、1950年の火災により再建された。東山の銀閣とともに室町時代の様式を伝えている。1900年のこの日、「鉄道唱歌」(作詞・大和田建樹)第1集東海道篇が発行された。歌詞第50番には京都各社寺の四季折々の表情が詠まれている。

 

夏は納涼の四条橋

冬は雪見の銀閣寺

桜は春の嵯峨御室

紅葉は秋の高雄山

   ところが鉄道唱歌には何故か金閣寺は詠まれていない。ほかにも東寺、清水寺、知恩院、真如堂、賀茂神社、南禅寺はでてくる。鉄道唱歌が作られたときはまだ金閣寺は火災に遭っていない。「冬は雪見の金閣寺」でもよいのではないだろうか。金閣寺がないのは鉄道唱歌最大の謎である。当時、銀閣寺の東山文化という歴史用語はあったが、金閣寺の北山文化はまだなかった。(5月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

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