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2023年9月24日 (日)

ティル(愛の誓い)

 「街角のカフェ」というピアノ曲を知っていますか。明るいサウンドで昭和のラジオ番組や喫茶店でよく流れていた。カナダのフランク・ミルズが作曲したのだが、曲は知っててもタイトルやフランク・ミルズの名前はほとんどの人は知らないようだ。私はホテルのロビーやスーパーなどでBGMが流れていると、かならず耳をそばだてて聴く。曲のタイトルを当てるのが好きである。とても美しいバラードなのにタイトルが思い出せない。若いころラジオでよく流れていた。メロディーから曲名を検索できないので半分あきらめていた。ある日自分のレコードを聴いていたらその曲が流れていた。

マントヴァーニー・オーケストラの「ティル」である。原曲はドイツのベルト・ケンプフェルト楽団の曲が有名でトランペットの響きがロマンチックだ。トニー・ベネット、トム・ジョーンズ、アンディ・ウィリアムズなどが歌いスタンダードな名曲なのだが、タイトル「Till」が素っ気なく、日本語版では「愛の誓い」というサブタイトルがつく。前置詞のtill(までの意味)。そういえば歌詞の始まりが「ティル」である。タイトルが短すぎるため日本ではポビュラーになれなかった。その2年後に公開された映画「避暑地の出来事」の主題歌「A Sammer Place」は「夏の日の恋」というタイトルで日本でも大ヒットした。パーシーフェイスやジョニー・ソマーズ、日本語歌詞でスリー・グレイセスが歌い、ムード音楽の定番となった。でも「Till」の好きな人も意外と多い。

 

   「Till」をいろいろなポビューラー歌手で聞き比べると、ジュリー・ベールがいちばん良い。50年代から60年代活躍したシンガーだが、日本ではトニー・ベネットやアンディ・ウィリアムに比べて知名度が低い。だが海外ではその美声はいまでも人気がある。代表曲は「ベニスの夏の日」「情熱のホムバ」「モナリザ」「アルべデルチ・ローマ」「イナモラータ」「アルディラ」「魅惑のワルツ」「愚かなり我が心」「慕情」「愛の泉」「モア」など半世紀にわたり多くの映画主題歌やスタンダード・ナンバーを吹き込んでいる。彼の声の感じは尾崎紀世彦と布施明を足して二で割ったような感じ。

 

 

 

 

 

 

2023年8月30日 (水)

どうなるジャニーズ

  本日は松本潤の39歳誕生日。彼にとっても辛い誕生日となった。ジャニー喜多川の性的虐待問題について、再発防止特別チームは性加害の事実を認定し、藤島ジュリー景子社長の辞任を提言した。BBCが喜多川氏の性加害を報道したことで、国内でもジャニーズ事務所への批判が急速に高まっている。大手企業のCMが検討されている。たとえば木村拓哉の「やっちぇNISSAN」当面は中止せずに継続するが、契約が満了した時点で契約は見直されるもよう。今後のジャニーズ事務所はどうなるのか。戦後、日本のポップス界で黄金時代を飾ったのは渡辺プロダクションとジャニーズ事務所だった。SP盤から17cm45回転シングル盤に移行した頃に登場した音楽がロカビリーである。石原裕次郎主演の映画「陽のあたる坂道」(昭和33年)で腹違いの弟のジミー小池(川地民雄)が新人歌手としてジャズ喫茶で歌う場面があるが、当時の雰囲気がよくでている。ちなみにこの石坂洋次郎の原作小説だが、なんとなく田代信次(石原裕次郎)が「エデンの東」のキャルに似ているように感じるのはケペルだけだろうか。

0ea51e89   ともあれ日本のポップス史の劈頭を飾るのは、まず小坂一也とワゴンマスターズであろう。ウエスタンから派生してロッカビリーが登場し、十代の女性を中心に絶大な人気を博した。昭和31年にプレスリーの日本語カヴァー「ハートブレイクホテル」、「アイウォントユー・アイニードユー・アイラブユー」、昭和32年にプレスリーとジェームズ・ディーンの映画主題曲をカップリングしたA面「優しく愛して」B面「ジャイアンツ」が、SP盤と併行して発売された。昭和32年の秋には都内のジャズ喫茶でロカビリー人気が沸騰。これに目をつけた渡辺プロダクションが昭和33年2月、日劇ウエスタン・カーニバルを開催したところ大成功だった。平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎がロカビリー三人男と呼ばれた。さらに清野太郎、飯田久彦、藤木孝、佐々木功、フランツ・フリーデル、鹿内タカシ(鹿内孝)、スリー・ファンキーズ、克美しげる、ほりまさゆき、清原タケシ、ジミー時田、竹田公彦、坂本九、田辺靖雄、ジェリー藤尾、鈴木やすし、紀本ヨシオ、かまやつひろし、瀬高明、沢雄一、倉光薫、目方誠などの歌手がでた。また歌謡曲とポップスとは未分化であるが松島アキラ、守屋浩、井上ひろし、佐川ミツオ(佐川満男)、石橋イサオ、北原謙二、菊池正夫(城卓矢)などがいる。北原謙二は「若いふたり」で歌謡曲のイメージがあるが、「北風」というウエスタンの古典をヒットさせている。

    このようにロカビリーははじめ男だけの世界であったが、アメリカでコニー・フランシスやブレンダ・リーといったガール・シンガーが人気を集めると日本でも女性ポップスが続々でてくる。これまでもジャズ歌手としての江利チエミ、雪村いずみは依然として人気者だったが、テレビ時代になって昭和34年「可愛い花」でザ・ピーナッツがデビューすると、テレビの「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」のレギュラーとして活躍しはじめ、森山加代子、田代みどり、渡辺トモ子、斎藤チャ子、弘田三枝子、中尾ミエ、青山ミチ、木の実ナナ、伊藤アイコ、園まり、後藤久美子、ベニ・シスターズ、梅木マリ、安村昌子、麻生京子、伊東ゆかり、スリー・グレイセス、伊藤照子、梶原マチ子、小野ヒロ子、槇みちる、沢リリ子、甲山紀代、梓みちよ、富永ユキ、九重祐三子などのアイドルが活躍した。カヴァー・ポップス全盛期であるので、コニー・フランシス、ジョニー・ソマーズ、シルビー・バルタン、ミーナ、ウィルマ・ゴイク、スキーター・ディヴィス、ペギー・マチー、フランス・ギャルといった世界のヒット曲を子供でも歌えることができた。昭和40年になってベンチャーズ、アストロノウツなどの来日によりエレキ・ブームが起こった。東京ビートルズやスパイダースがデビューしたが、昭和41年6月のビートルズ来日は日本ポップス史の画期的出来事であった。その直後の昭和41年7月のブルー・コメッツの「青い瞳」がでて、日本でもヴォーカル&インストゥルメンタル・グループが可能であることが実証された。昭和42年になると、マスコミはこれら歌中心のエレキ・バンドを「グループサウンド」と命名した。とくに昭和42年2月「僕のマリー」でデビューした沢田研二をはじめとする京都出身のタイガースが、十代の少女達を中心に爆発的な人気を得た。ジャッキー吉川とブルーコメッツ、田辺昭知とザ・スパイダース、寺内タケシとブルージーンズ、加山雄三とランチャーズ、ザ・サベージ、ワイルド・ワンズ、テンプターズ、ゴールデン・カップス、フィンガーズ、ジャイアンツ、ジャガーズ、カーナビーツ、オックス、レイジャーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、シャープ・ホークス、シャープ・ファイブ、ズー・ニー・ブー、ザ・リガニーズなど団塊の世代らしく昭和42年から44年までに100有余のグループがレコード・デビューし、500種近くのシングルが発売された。

 

   昭和40年、エイミー・ジャクソンの「涙の太陽」がヒットし、女性がビートに乗ったパンチのある曲を歌った。昭和42年2月、黛ジュンがミニスカートで「恋のハレルヤ」を歌って、ビート・ガールの時代が始まる。歌謡曲の女王の美空ひばりがブルー・コメッツをバックにして「真っ赤な太陽」(昭和42年6月)を歌ったのには正直、驚いた。黛ジュンは「霧のかなたに」(昭和42年7月)、「乙女の祈り」(昭和43年1月)とヒットを連発し、「ひとりGS」の女王的存在だった。とくに「乙女の祈り」の「恋にもえる胸の願いはひとつ、好きな人とかたく結ばれたい」と歌い出しにサビの部分をもってきた「ひとりGS」の特徴を現した名曲といえるだろう。昭和42年10月には中村晃子の「虹色の湖」がヒットした。中村晃子は数年前からテレビにででいたキュートな娘だったが、オールスターワゴンというバックに支えられてヒットに結びついた。翌年には渡辺プロがバックアップした梢みわ「恋のバイカル」がヒツトしている。「シャボン玉ホリディー」など人気歌番組に出演したこととパンチのきいた歌唱法、キュートなルックスで黛ジュンの路線を継承したものである。そのほかに小畑ミキ、葉山エツコ、響かおる、木の実ナナ、鍵山珠理、金井克子、奈美悦子、久美かおり、恵とも子、泉アキ、ジュディ・オング、朱里エイコ、万里れい子、山本リンダ、小山ルミ、由美かおる、ミッチー・サハラ、はつみかんな、麻里圭子、堀内美紀、江美早苗、徳永芽里、川奈ミキ、木下節子、水沢有美、浅尾千亜紀などがいる。いしだあゆみ「ブールライト・ヨコハマ」以前は人気はあったものの、ヒット曲に恵まれなかったが、「太陽は泣いている」(昭和43年3月)が「ひとりGS」の特徴がよくでている。

   このほか60年代活躍した歌手でポップ&歌謡曲の区別のつかないシャンソン、ラテン、ハワイアン、ジャズ、フォーク各種ジャンルの大物歌手としては、フランク永井、笈田敏夫、ジェームズ繁田、旗照夫、ペギー葉山、高英男、芦野宏、ウイリー沖山、アイ・ジョージ、水原弘、越路吹雪、藤沢嵐子、石井好子、朝丘雪路、岸洋子、坂本スミ子、西田佐知子、日野てる子、布施明、ジャニーズ、マイク真木、荒木一郎、ちあきなおみ、奥村チヨ、高田恭子など多数いる。

2023年8月24日 (木)

酒杯の歌

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  本日は「愛酒の日」。酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の明治18年の誕生日。酒杯の歌は西洋にも数多くあります。映画「プリティ・ウーマン」(1990)のラストシーンに流れていた曲はヴェルディの歌劇「椿姫」だった。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアがサンフランシスコのオペラハウスで「椿姫」を見るシーンもある。第1幕第2章で歌われるのが「乾杯の歌」。「楽しもう 酒杯と歌は夜と笑いを美しくするのだ。この楽園の中で新たな日が、私たちを見出すように」映画「オーケストラの少女」(1937)でも最後にディアナ・ダービンが喜びの涙で頬を濡らしながら歌い続ける。(8月24日)

 

2023年6月 8日 (木)

イパネマの娘

Photo_2    ブラジルのリオでジャネイロ近郊の海水浴場といえば以前はコパカバーナが有名だったが、1960年代はじめあたりからイパネマ海岸も急にクローズ・アップされるようになった。それは原名を「カロータ・ジ・イパネマ」英名を「ガール・フロム・イパネマ」という曲がビニシウス・ジ・モライス作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン(通称トム・ジョビン)作曲で1962年に作られたからであろう。その初吹き込みと思われるものは1963年3月、スタン・ゲッツによって行われたが、この時、英語の詞も入れたほうがいいということになり、ジョアン・ジルベルト夫人であったアストラッド・ジルベルトが歌い、一躍彼女もスターになった。その彼女も先ごろ亡くなられた。

    曲の内容は、イパネマ海岸を腰のリズムもさっそうと歩んでいく、ビキニ姿の美少女エロイーザの姿にまるでロマン派の詩人のような賛辞を捧げている。「この世でもっとも美しい天の贈り物が歩いていく。彼女が歩いているだけで、この世は愛を知りすべてが美しく光輝く」とうたう。ビニシウス(1913-1980)は誰かにいつもより新しい幸福を追いかけることばかり熱心で生涯9回も結婚したという。イパネマの娘のモデルとなった娘は、結婚してエロイーザ・ピニェイロという名前で現在84歳となっている。Heloisa Pinheiro

 

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2023年5月10日 (水)

鉄道唱歌の歌詞に金閣寺がない理由とは?

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  北山の金閣(鹿苑寺)は足利義満が造営した別荘で、1950年の火災により再建された。東山の銀閣とともに室町時代の様式を伝えている。1900年のこの日、「鉄道唱歌」(作詞・大和田建樹)第1集東海道篇が発行された。歌詞第50番には京都各社寺の四季折々の表情が詠まれている。

 

夏は納涼の四条橋

 

冬は雪見の銀閣寺

 

桜は春の嵯峨御室

 

紅葉は秋の高雄山

 

   ところが鉄道唱歌には何故か金閣寺は詠まれていない。ほかにも東寺、清水寺、知恩院、真如堂、賀茂神社、南禅寺はでてくる。鉄道唱歌が作られたときはまだ金閣寺は火災に遭っていない。「冬は雪見の金閣寺」でもよいのではないだろうか。金閣寺がないのは鉄道唱歌最大の謎である。当時、銀閣寺の東山文化という歴史用語はあったが、金閣寺の北山文化はまだなかった。(5月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年5月 1日 (月)

にぎわう夜の盛り場

  2016年12月18日、ハリウッド女優のザ・ザ・ガボールさんが死去した。99歳だった。代表作は「赤い風車」「黒い罠」。生涯9回結婚し、夫にはブルハン・アザス・ベルガ(トルコの政治家)、コンラッド・ヒルトン(ホテル経営者)、ジョージ・サンダース(俳優)などがいた。   カーティス・クリーク・バンドに「ザ・ザ・ガボールのおしりのエクボ」というちょっと風変わりのタイトルの曲がある。

 日本でもカジノ建設の計画が進められているようだが、19世紀末のパリではキャバレーやナイトクラブが隆盛を極めてヨーロッパの歓楽の中心地であった。モンマルトルの丘には、赤い風車が屋根の上にあるキャバレー「ムーラン・ルージュ」が有名である。ロートレックやボナール、ゴッホたちがその狂乱の様子を描いている。ほかにもピガール広場にあった「死んだ鼠」(ラ・モール)、「門衛の賭博場」「花嫁の寝床」なども有名だった。野外の舞踏場「リラの園」では、たくさんの花の香りに包まりながら、マズルカ、ポルカ、カンカンなどをオーケ―ストラが演奏しながら、大勢の人々が踊っている。

2023年4月29日 (土)

五月のバラ

Photo_2  バラの季節となった。伊丹市荒牧バラ公園には世界のバラ約250種1万本が咲いている。「五月のバラ」というバラードを聴き比べ。塚田三喜夫、尾崎紀世彦、布施明、松崎しげる、舟木一夫、鹿内孝、秋川雅史、岩出和也など。この曲のオリジナルは、「思い出のバラ」という題名でフランツ・フリーデル(津川晃)が1969年に創唱した。その後、ブレンダ・リーがカバーして広く知られるようになった。

2023年3月20日 (月)

LPレコードの日

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   1951年のこの日、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売された。ブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮ニューヨーク・フィルによる2枚組の「ベートーヴェン第九」だった。戦後間もなくの日本では、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルターを三大巨匠と呼んでいた。(3月20日)

 

 

 

 

2023年3月 4日 (土)

「お誕生日のうた」は最近、著作権が切れた

 老若男女、現代はどんな人でもマイク片手に歌を歌う時代である。カラオケの選曲に悩む方もおおいだろう。では世界でいちばんよく歌われている歌は何か?世界中で一番歌われている歌として、ギネスブックにも登録されているのは、誕生日を祝うために歌われている「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」である。原曲は米国ケンタッキー州のミルドレッド&パティ・ヒル姉妹(Mildred J.Hill、Patty Smith Hill)が1893年に作詞・作曲した「みなさんおはよう グッドモーニング・トゥ・オール Good Morning to All」という合唱曲である。1920年前後にGood MorningとHappy Birthdayを替えた歌が広まった。当初この歌は、幼稚園の朝の挨拶の歌として歌われていた。ところが、この歌のメロディに別の歌詞がつき、替え歌の「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」が歌われたところ、大ヒットし、全世界に広まることになった。レコード化は意外と遅くて、1947年にビング・クロスビーが歌った「Happy Birthday」がリリースしている。この曲については、ワーナー・チャペルミュージックとそれに反対する団体とであらそわれていたが、2015年に正式にパブリック・ドメイン(著作権なし)となった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年3月 3日 (金)

さらば友よ

126841091490516103286    歌謡コンサートのラストは森進一「さらば友よ」。題名からアラン・ドロン&チャールズ・ブロンソンの映画を想起させる。70年代から80年代にかけて、洋画や小説と同名の歌謡曲が次々と作られた。映画の題名には著作権が発生しないので、そこから歌謡曲のタイトルにつけてもOKとなって阿久悠らがヒットを連発し、一大ブームとなった。弘田三枝子「人形の家」や奥村チヨ「終着駅」が嚆矢であろう。これらを俗に「借り物歌謡曲」というらしい。野口五郎「甘い生活」、山口百恵「禁じられた遊び」、桜田淳子「黄色いリボン」、伊丹幸雄「青い麦」、平浩二「バス・ストップ」(ママリン・モンローの映画は「バス停留所」、井上順「昨日・今日・明日」、堺正章「街の灯り」、小川順子「夜の訪問者」、城みちる「いるかに乗った少年」(ソフィア・ローレンの「島の女」主題歌)、アグネス・チャン「草原の輝き」、沢田研二の「勝手にしゃがれ」。「時の過ぎゆくままに」は「カサブランカ」のオマージュであるし、久保田早紀「異邦人」はカミュやシルクロードからインスパイアーされている。松田聖子「青い珊瑚礁」もブルック・シールズ主演映画。

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