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2019年8月 9日 (金)

結婚行進曲

 高温注意報が続くのに、世の中、なぜか結婚ラッシュだ。小泉進次郎と滝川クリステル、速水もこみちと平山あや、そして新川優愛と一般男性。朝ドラ「なつぞら」もヒロインなつと坂場、雪次郎と夕見子、天陽、ノブさん、主要な登場人物が一勢に結婚にゴールイン。結婚が人生の最高の幸せなのだろうか。結婚式の披露宴で、新郎新婦の登場で必ずといってよいほど流れるワーグナーの「結婚行進曲」。しかしヨーロッパでは不吉な曲として結婚式で使われることはない。これはワーグナーの歌劇「ローエングリン」第3幕の中で演奏される曲「婚礼の合唱」で、ローエングリンとエルザは結婚するが別れてしまう悲しい内容である。

2019年7月31日 (水)

歌姫たちのデビュー曲

  戦前戦後の歌姫たちをデビュー曲と共にふりかえる。小笠原美津子が先日、宝塚の病院で99歳で亡くなられた。1938年にビクターよりデビューした。2年後の「十三夜」のヒット曲や東海林太郎とのデュエット曲で知られる。榎本美佐江は戦時中は工場や軍隊の慰問などに回っていたが、1946年にテイチクに入社し、市丸の代役で歌った「十三夜」(オリジナルは1940年の小笠原美都子)がヒットした。当時レコード化されていなかったが、実質的に榎本の初ヒットといえる。鈴を鳴らしたような美声と美貌で新東宝で多数出演したが、レコード歌手として地位を確立したのは1949年ビクター移籍後のことである。由紀さおりの「ヒッチハイク娘」はどんな歌なのだろう。

渡辺はま子 「海鳴る空」 1933
美ち奴 「さくらおけさ」 1934
二葉あき子「愛の揺り籠」  1936
菅原都々子「お父さんの歌時計」 1937
越路吹雪「ブギウギ巴里」 1946
笠置シズ子「東京ブギウギ」 1947
吉岡妙子「昼も夜も」 1947
美空ひばり「河童ブギウギ」 1949
織井茂子「安南夜船」 1949
宮城まり子「なやましブギ」 1950
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952
ペギー葉山「ドミノ」       1952
雪村いづみ「想い出のワルツ」 1953
楠トシエ「僕は特急の機関車で」 1953
大津美子「千鳥のブルース」 1955
島倉千代子「この世の花」 1955
西田佐知子「伊那の恋唄」 1956
浜村美智子「バナナ・ボート」 1957
伊東ゆかり「かたみの十字架」 1958
ザ・ピーナッツ「可愛い花」 1959
こまどり姉妹「浅草姉妹」 1959
森山加代子「月影のナポリ」 1960
弘田三枝子「子供ぢゃないの」 1961
岸洋子「たわむれないで」 1962
木の実ナナ「東京キカンボ娘」 1962
梓みちよ「ボッサ・ノバでキッス」 1962
岸洋子「たわむれないで」 1962
三沢あけみ「ふられ上手にほれ上手」 1963
九重佑三子「シェリー」 1963
いしだあゆみ「ネェ、聞いてよママ」 1964
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」 1964
都はるみ「困るのことヨ」 1964
大月みやこ「母恋三味線」 1964
小林幸子「ウソツキ鴎」 1964
日野てる子「カイマナ・ヒラ」 1964
渡辺順子(黛ジュン) 「ダンケ・シェン」 1964
三船和子「ベトナムの赤い月」 1965
由紀さおり(安田章子)「ヒッチハイク娘」 1965
青江三奈「恍惚のブルース」 1966
山本リンダ「こまっちゃうナ」 1966
加藤登紀子「誰も誰も知らない」 1966
日吉ミミ「涙と艶歌船」 1967
E7acacefbc90efbc91e99b86テレサ・テン「鄧麗君の歌第1集」 1967
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967
瀬川瑛子「涙の影法師」 1967
渚ゆう子「早くキスして」 1967
和田アキコ「星空の孤独」 1968
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」 1969
芹洋子「野に咲く花のように」 1969
藤圭子「新宿の女」 1969
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」 1970
八代亜紀「愛は死んでも」 1971
天地真理「水色の恋」 1971
小柳ルミ子「わたしの城下町」 1971
天童よしみ「風が吹く」 1972
森昌子「せんせい」 1972
松任谷由実「返事はいらない」 1972
山口百恵「としごろ」 1973
石川さゆり「かくれんぼ」 1973
キャディーズ「あなたに夢中」 1973
川中美幸「新宿天使」 1973
高橋真梨子「ジョニィへの伝言」 1973
キム・ヨンジャ「教えてください」 1974
中島みゆき「アザミ娘のララバイ」 1975
岩崎宏美「二重唱(デュエット)」 1975
大場久美子「あこがれ」 1977
榊原郁恵「私の先生」 1977
渡辺真知子「迷い道」 1977
矢野顕子「いろはにこんぺいとう」 1977
竹内まりや「戻っておいで・私の時間」 1978
松田聖子「裸足の季節」 1980
小泉今日子「私の16才」 1982
中森明菜「スローモーション」 1982
原田悠里「俺に咲いた花」 1982
星ひろみ(伍代夏子)「恋の家なき子」 1982
菊池桃子「青春のいじわる」 1984
中山美穂「C」 1985 
南野陽子「恥ずかしすぎて」 1985
浅香唯「夏少女」 1985
渡辺美里「I'm free」 1985
中村美律子「恋の肥後つばき」 1986
島津亜矢「袴をはいた渡り鳥」 1986
椎名恵「今夜はANGEL」 1986
伍代夏子「戻り川」 1987
坂本冬美「あばれ太鼓」 1987
森高千里「NEW SEASON」 1987
藤あや子「ふたり川」 1987
工藤静香「禁断のテレパシー」 1987
香西かおり「雨酒場」 1988
夏川りみ(旧芸名・星美里)「しほり」 1989
田川寿美「女…ひとり旅」 1992
安室奈美恵「太陽のSEASON」 1995
華原朋美「keep yourself alive」 1995
水森かおり「おしろい花」 1995
宇多田ヒカル「Automatic」 1998
浜崎あゆみ「poker face」 1998
椎名林檎「幸福論」   1998
aiko「あした」       1998
MISIA「つつみ込むように」 1998
水樹奈々「想い」     2000
中島美嘉「STARS」   2001
一青窈「もらい泣き」   2002
JUJU「光の中へ」    2004
Perfume 「リニアモーターガール」 2005
新妻聖子「夢の翼」   2006
越智志帆(superfly)「ハローハロー」 2007  
西野カナ「I」        2008 
miwa「don't cry anymore」 2010
家入レオ「サブリナ」   2012
大原櫻子「頑張ったっていいんじゃない」2014
あいみょん「生きていたんだよな」 2016
栞菜智世「Hear 信じあえた証」 2016

 

 

 

 

 

 

2019年7月28日 (日)

日本の夏うた

Zone   夏の歌といえばサザンとTUBEが定番!井上陽水「少年時代」、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」。タイトルは沢田研二「勝手にしゃがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」をちゃんぽんにしたもの。ゆず「夏色」、チューブ「シーズン・イン・ザ・サン」、サザンオールスターズ「TSUNAMI」「いとしエリー」「チャコの海岸物語」「夏をあきらめて」、松田聖子「青い珊瑚礁」、チューブ「あー夏休み」、プリンセス・プリンセス「世界でいちばん熱い夏」、Whiteberry「夏祭り」、吉田拓郎「夏休み」、サザンオールスターズ「真夏の果実」、榊原郁恵「夏のお嬢さん」、大黒摩季「夏が来る」、松田聖子「夏の扉」、aiko「花火」、キャンディーズ「暑中お見舞い申し上げます」、class「夏の日の1993」、ピンク・レディー「渚のシンドバッド」、ケツメイシ「夏の思い出」、美空ひばり「真赤な太陽」、AKB48「ポニーテールとシュシュ」、ZONE「secret base 君がくれたもの」。AKB48「真夏のSounds good」。嵐「Summer Splash」「Happiness」、森山直太朗「夏の終わり」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」、石井明美「ランバダ」、ザ・ワイルドワンズ「思い出の渚」

 

 

2019年6月19日 (水)

演歌オワコン説

  日本の音楽のジャンルは一般に国内ロック・ポップスと歌謡曲・演歌に分けられる。大みそか恒例のNHK紅白歌合戦は、ここ数年、歌謡曲・演歌に大ヒット曲がなく、J・POP中心の番組構成になってきている。若者はいう「JAZZや演歌は今どきオワコンである!」と。しかしAKBやジャニーズばかりのグループ&ダンス歌謡もつまらない。このような状況はお隣の韓国も似ているが、韓国にはトロットといわれる大衆歌謡がある。「トロット王子」といわれるパク・ヒョンビンやチャーミングな女性歌手ホン・ジニョンが人気があり、いまでもトロットの人気は衰えをしらない。

  さて、ここで問題です。日本で初めて「歌謡曲」と名づけられた曲は?

A 大正3年の「カチューシャの唄」

B 大正14年の「夏が来たかと」

C 昭和4年の「東京行進曲」

 「カチューシャの唄」は爆発的な流行を示し、いわゆる大衆流行歌謡のルーツになっているが、当時は「流行唄」「流行小唄」などと呼ばれていた。「歌謡曲」ということばがはじめて用いられたのは、大正14年7月12日に東京放送局の本放送が始まってからであり、その直後の7月27日に「夏が来たかと」など4曲(北原白秋作詞・町田嘉章作曲)が放送されたとき、町田嘉章がこれをはじめて歌謡曲と名づけたことから始まっている。昭和4年に西条八十作詞・中山晋平作曲・佐藤千夜子の「東京行進曲」がレコードになって、当時25 万枚という売行きを示したが、このころになると、この種の歌を「流行歌」というようになり、このあとぞくぞくと流行歌が大衆のあいだにうたよれるようになる。戦後になると、NHKなどの放送で、この種の流行歌をすべて「歌謡曲」というようになって、流行歌ということばの影がうすくなっていった。昭和30年代、美空ひばりや三波春夫などの活躍で歌謡曲の全盛時代を迎えたが、海外のヒット曲を日本語でカバーする和製ポップスも出現した。昭和40年代ビートルズの来日以降、GSブームやフォーク、ニューミュージックとさまざまなジャンルが区分されるようになり、旧来の歌謡曲は次第に「怨歌」「演歌」ということばが用いられるようになった。カラオケブームで昭和末期まで演歌のヒット曲は生まれたが、売り上げでは次第に衰退する。平成になると旧来の和製ポップスが「Jポップス」と呼んで若者たちに支持されるようになった。しかし新時代を迎え、ふたたび昭和歌謡の名曲をカバーする動きもみられる。8日に「日本作詞大賞」福田こうへい(天竜流し)が発表され、30日のレコード大賞に向けた歌謡レースが始まる。Park Hyun Bin、Hong Jin Young

2018年のヒット曲

U.S.A.  DA PAMP

Lemon 米津玄師

オールドファッション back number

プロローグ Uru

マリーゴールド あいみょん

half of me   平井堅

Gifts   Superfly

プロポーズ  純烈

 

 

 

 

 

 

2019年6月 9日 (日)

ロックの日

   六(ろく)九(く)で「ロック」の語呂合せ。楽曲ロックの記念日。日本のロック史は1955年ころにロカビリーとして流行するが、60年代後半にはGSブームに押され、退潮傾向となる。やがて矢沢永吉、忌野清志郎などが登場し、90年にはXJAPAN、ブルーハーツ、B'zなどが広く大衆に支持されロックとしての一つのジャンルが確立される。なかでもサザンの桑田圭祐はニューミュージック、J-POPなどを基本にしながらロックも取り入れた幅広いサウンドを提供し続けている。

 

2019年6月 5日 (水)

泣き男ジョニー・レイ

Johnnyrayray_johnny  梅雨の季節、ムード歌謡の崎島じゅん「ずっと愛してる」がヒットのきざしがする。雨の定番の曲といえば、ジリオラ・チンクエッティ「雨」、ジョニー・レイ「雨に歩けば」(1956)、ザ・カスケーズ「悲しき雨音」(1963)、そしてB・J・トーマス「雨にぬれても」(1969)。とくに「雨に歩けば」は今まで何回聞いたか数えきれないほどだけど意外と歌手のことは何も知らない。LPアルバム「懐かしのポピュラー・ヒット・ソング」の一曲として「雨に歩けば」が収められているが、ジョニー・レイ(1927-1990)の顔写真がない。オレゴン州ダラスの生まれ。「Prince of Wails」(泣き叫びの王子)といわれる。プリンス・オブ・ウェールズのもじりと称され、1950年代、ジョニーの人気はすごかった。聴覚が不自由だったが、「クライ」(1951)がヒット。映画「ショーほど素敵な商売はない」で人気を不動のものにした。だが「雨に歩けば」は最後のヒットだった。翌年、耳の手術に失敗したらしい。歌手活動は続けたが一時のような人気はなく、淋しい晩年だった。享年63歳。「雨に歩けば」は失恋の痛みを忘れるために雨の中をかまわず歩いていたら、ずぶ濡れになった。どうしても君を忘れられないという内容の歌詞である。( Johnnie Ray,Cascades,B.J.Thomas )

2019年6月 4日 (火)

天安門事件と鄧麗君の時代

6_1r32c608_0  1989年のこの日、北京市で天安門事件が起こった。民主化を求めて終結していたデモ隊に、軍隊が武力行使し数千人の死傷者が出た。香港や台湾では激しい事件への抗議が起きたが、なかでも台湾出身のアジアの歌姫・テレサ・テン(鄧麗君)の行動が注目される。テレサが歌う「何日君再来」は1980年になって、中国大陸で音楽テープによって爆発的に広まっていた。共産党当局は彼女の歌を不健全な「黄色歌曲」(ピンク歌曲)として禁止していたが、人々はひそかにこの歌を聴いていた。これは1983年末まで続けられた。やがて鄧小平の開放政策への転換によって、テレサの歌も解除されたが、天安門事件によって北京コンサートは中止となる。テレサは天安門事件後、中国の自由と民主化を願っていた。「わたしはチャイニーズです」と述べた後、自由を語りはじめた。彼女の歌声は今も、台湾、香港、中国、韓国、フィリピン、日本、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、タイなどアジア各地で流れている。20世紀最高のアジアの歌姫と呼ばれている。代表曲は日本語の「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」のほか、中国語の代表曲「千言萬語」「甜蜜蜜」「小城故事」「月亮代表我的心」、アルバム「淡淡幽情」。アン・ルイスの「グッバイ・マイ・ラブ」のカバー曲「再見我的愛人」もヒットした。生前テレサはこんなことを言った「わたしには3つのことが出来なかったことがある。1つは高い学歴をもてなかった、1つは結婚できなかった、そして最後の1つは中国で歌えなかったこと。」1967年「鄧麗君之歌第一集」は二種類あり、「何日君再來」を改題した「幾時称回來」が入っているのと、「女鯨兒園」に差し替えたもの。「何日君再來」は文化統制下の台湾で禁歌だった。生涯、テレサは「何日君再來」を4回レコーディングしている。母が歌っていたというこの歌にテレサはどのような思いを重ねたのであろうか。(中薗英助「何日君再来物語」 河出書房新社) Dang Le Quan 6月4日

 

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2019年5月28日 (火)

近代流行歌史100曲

661  昨日のTBSの「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」を軽く見ていたが、楽曲と映像の選曲センスがよかった。昭和、平成のJ-POPから構成されているが、日本の近代歌曲の歴史は明治に始まる。大河ドラマ「いだてん」で綾瀬はるかが自転車に乗って歌う曲は「自転車節」。明治41年の神長瞭月作詩・作曲だが歌詞が少し違う。「♪ 会いたかばってん会われんたい」というのは熊本弁。レコードのない時代、メロディーにのせてそれぞれ各地で歌詞が替えられた。子供のとき聞いたのは、漫才の砂川捨丸が「ハイカラ節」(チリリン節)だった。歌は世につれ、世は歌につれ」というが大衆に好まれ、ひろく歌われる曲は流行歌・歌謡曲は昭和になってから。はじめは「はやり唄」と称され、明治からあった。「宮さん宮さん」は1868年に作成されトコトン節もしくはトンヤレ節ともいう。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎(品川の恋人・中西君尾が節をつけたという説もある)。「ギッチョンチョン」「コチャエ節」「ざんぎん節」「官員節」「梅ヶ枝節」「すててこ」「ダイナマイト節」「ちょんこ節」「さいこどんどん」「オッペケペー節」「日清談判」「法界節」「剣舞節」「春はうれしゃ」「レールエ節」「さのさ節」「東雲節」「魔風恋風」「ロシャコイ節」「ラッパ節」「チャカホイ節」「ああ金の世」「スカラー・ソング」「間がいいソング」「奈良丸くずし」「カチューシャの唄」「恋はやさし野辺の花よ」「ゴンドラの唄」「ばらの唄」「さすらすの唄」「新金色夜叉」「東京節」「船頭小唄」(中山歌子)、「籠の鳥」、「復興節」、「ストトン節」、「ヨサホイ節」。藤原義江「鉾をおさめて」、二村定一「アラビアの唄」「君恋し」、佐藤千夜子「東京行進曲」、川崎豊・曽我直子「沓掛小唄」、二村定一「洒落男」、河原喜久恵「ザッツ・オー・ケー」、藤山一郎「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」、小林千代子「涙の渡り鳥」、小唄勝太郎「島の娘」、松平晃「サーカスの唄」、東海林太郎「赤城の子守唄」、ディック・ミネ「ダイナ」、東海林太郎「旅笠道中」、音丸「船頭可愛いや」、ディック・ミネ、星玲子「二人は若い」、ディック・ミネ「上海リル」、渡辺はま子「忘れちゃいやよ」、美ち奴「ああそれなのに」、藤山一郎「青い背広で」、上原敏「妻恋道中」、淡谷のり子「別れのブルース」、楠木繁夫「人生劇場」、霧島昇、ミス・コロンビア「旅の夜風」、渡辺はま子「支那の夜」、岡晴夫「上海の花売娘」、高峰三枝子「湖畔の宿」、灰田勝彦「鈴懸の径」、小畑実・藤原亮子「勘太郎月夜唄」、近江俊郎「月夜船」、並木路子「リンゴの唄」、二葉あき子「夜のプラットフォーム」、笠置シズ子「東京ブギウギ」、近江俊郎「湯の町エレジー」、久保幸江「トンコ節」、伊藤久男「イヨマンテの夜」、二葉あき子「水色のワルツ」、美空ひばり「越後獅子の唄」、津村謙「上海帰りのリル」、美空ひばり「りんご追分」、神楽坂はん子「ゲイシャ・ワルツ」、織井茂子「君の名は」、春日八郎「お富さん」、島倉千代子「この世の花」、三橋美智也「りんご村から」、三波春夫「チャチキおけさ」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」、水原弘「黒い花びら」、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、坂本九「上を向いて歩こう」、水原弘「黒い花びら」、村田英雄「王将」、北島三郎「なみだ船」、舟木一夫「高校三年生」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、美空ひばり「柔」、マイク真木「バラが咲いた」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトー」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、森進一「港町ブルース」、菅原洋一「今日でお別れ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」、南こうせつとかぐや姫「神田川」、さくらと一郎「昭和枯れすすき」、布施明「シクラメンのかほり」、山口百恵「横須賀ストーリー」、ピンク・レディー「UFO」、ゴダイゴ「ガンダーラ」、西城秀樹「ヤングマン」、ジュディ・オング「魅せられて」、海援隊「贈る言葉」、寺尾聡「ルビーの指輪」、あみん「待つわ」、細川たかし「矢切の渡し」、玉置浩二「ワインレッドの心」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」、吉幾三「雪国」、光GENJI「パラダイス銀河」、美空ひばり「川の流れのように」、「おどるポンポコリン」、「情けねぇ」、Dreams Come True「晴れたらいいね」、Mr.Choldren「innocent world」、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」、SMAP「夜空ノムコウ」、宇多田ヒカル「Automatic」、サザンオールスターズ「TSUNAMI」、スピッツ「チェリー」、SMAP「世界に1つだけの花」、夏川りみ「涙そうそう」、一青窈「ハナミズキ」、秋川雅史「千の風になって」、ゴールデンボンバー「女々しくて」、西野カナ「会いたくて会いたくて」、植村花菜「トイレの神様」、EXILE「Ti Amo」、AKB「ヘビーローテーション」、いきものがかり「風が吹いている」、星野源「恋」。

ああ、「東京行進曲」

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モガ・モボ全盛の銀座風景(昭和4年)

 

   モダン・ボーイとか、モダン・ガールという言葉がしきりに使われた昭和4年頃、若い女性が職業婦人として新しい職場へ進出した。スチュワーデスの前身であるエア・ガール、そしてバス・ガール、マニキュア・ガール、マネキン・ガール、ダンサー、電話交換師、美容師、雑誌編集員などパーマネントや断髪の彼女たちは、若い女性の憧れの職業だった。

  長い髪した   マルクスボーイ

  今日も抱える 「赤い恋」

  かわる新宿 あの武蔵野の

  月もデパートの 屋根に出る

    この年、「ジャズ」「ダンサー」「リキュール」「ラッシュアワー」「シネマ」「デパート」などの横文字を散りばめて東京の最先端風俗を表現した流行歌「東京行進曲」が25万枚の大ヒットとなった。「東京行進曲」は、菊池寛の小説を原作とした日活映画「東京行進曲」(溝口健二監督、夏川静江主演)の主題歌だった。西条八十・中山晋平のコンビで佐藤千夜子が唄った。つまり「東京行進曲」は、映画、レコード、ラジオという新しいメディアの相乗りで作ったマスコミ主導型の大ヒットだった。ただし前掲の4番の歌詞は、レコード会社の意向で「シネマ見ましょかお茶のみましょか」と変更されて売り出された。

   「東京行進曲」以降、流行歌の世界では、東京は繰り返し歌われるかっこうの題材となった。また東京物はヒットするというジンクスのようなものが生れた。実際、東京を題材にしたヒット曲は多い。小唄勝太郎「東京音頭」、藤山一郎「東京ラプソディー」、岡晴夫「東京の花売娘」、笠置シズ子「東京ブギウギ」、高峰秀子「銀座カンカン娘」、美空ひばり「東京キッド」、暁テル子「東京シューシャインボーイ」、三浦洸一「東京の人」、大津美子「東京アンナ」、コロンビア・ローズ「東京のバスガール」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「東京カチート」、島倉千代子「東京だよおっ母さん」、神戸一郎「銀座九丁目は水の上」、守屋浩「僕は泣いちっち」、フランク永井・松尾和子「東京ナイト・クラブ」、石原裕次郎・牧村洵子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、三波春夫「東京五輪音頭」、西田佐知子「東京ブルース」「赤坂の夜は更けて」、井沢八郎「ああ上野駅」、竹越ひろ子「東京流れ者」、坂本九「サヨナラ東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、山内賢・和泉雅子「二人の銀座」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、かぐや姫「神田川」、内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」、中原理恵「東京ららばい」、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」、宇多田ヒカル「東京NIGHTS」、桑田佳祐「東京」。銀座という街をモチーフにした曲たげで、770曲以上あるといわれるから、東京全体だと1000曲以上はあるだろう。

   だが近年、東京を題材をした歌謡曲にヒット曲がでないのは何故だろうか?(個人的にはマイペースの「東京」が好きだ。もちろん新しい曲ではない。「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む美しい都。東京へはもう何度も行きましたね。君が咲く花の都」というサビの部分が懐かしい青春の一曲です)ネットで探すと、ポルノグラフィティ「東京ランドスケープ」、ゴスペラーズ「東京スヰート」、小田和正「Little Tokyo」、銀杏BOYS「東京」、福山雅治「東京」、コフクロ「東京の冬」、角松敏生「Tokyo Tower」などでているようだが、ケペルの年齢のためかなじみがない。

Kitajima_hidetomo   ところで「東京」という地名はいつごろどうして生まれたか。岩倉具視の側近である北島秀朝(1842-1877)が慶応4年に「江戸を東京と改むべし」という建白書を新政府に提出している。その提言によって、江戸城の明け渡しなども終えた明治元年7月17日、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」という詔勅が出た。北島こそ、東京の名付け親である。

 

 

2019年5月14日 (火)

世界で最も売れた歌手

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    1998年のフランク・シナトラの忌日。わが家で最初にレコードが来たのは、兄貴が買ってきたフランク・シナトラのEP盤4曲入りだった。はじめたった1枚きりのレコードなので何回もすりきれるほど聞いた。「夜のストレンジャー」「夜も昼も」「愛の泉」「慕情」。それから私はビング・クロスビーやナット・キング・コール、パット・ブーン、アンディ・ウィリアムなどのLPを集めはじめた。しかしネットで調べるとシナトラはランキング10位にも入らない。ビートルズ、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ABBA、クイーン、マドンナ、エルトン・ジョン、レッド・ツェッペリン、A.R.、ラフマーン、ナナ・ムスクーリ、ティノ・ロッシ、フリオ・イグレシアス、アーラ・プガチョワ、マライア・キャリー、ビージーズ、ピンク・フロイド、AC/DC、セリーヌ・ディオン、ローリング・ストーンズ、ホイットニー・ヒューストン、エアロ・スミス、U2、スティーヴィー・ワンダー、ジュネシス、デヴィッド・ボウイ、バーバラ・ストライサンド、バックストリート・ホーイズ、ボン・ジョヴィ、ガース、ブルックス、シカゴ、ダイア・ストレイツ、ブルース・スプリングスティーン、イーグルス、ステイタス・クオー、二ール・ダイアモンド、バリー・ホワイト、ガンズ・アンド・ローゼス、ビリー・ジョエル、ボニーM、ブリトニー・スピアーズ、ブライアン・アダムズ、カーペンターズ、シェール、ティープ・パープル、デパッシュ・モード、ドリー・パート、フリードウッド・マック、ジョージ・マイケル、ジョニー・アリディ、ケニー・ロジャース、キッス、ライオネル・リッチー、ルチアーノ・パヴァロッティ、メタリカ、オリビア・ニュートン・ジョン、ポール・マッカートニー、フィル・コリンズ、スコーピオンズ、ロッド・スチュワート、ティナ・ターナー、ザ・フー、グロリア・エスティファン、レディー・ガガ、エミネム、アイアン・メイデン、B’z、ドアーズ、プリンス、リアーナ、カルロス・サンタナ、ヴァン・ヘイレン、ビヨンセ、ジャーニー、ユーリズミックス、ルイス・ミゲル、ユパック

これらは順位ではない。たえず新しいアーティストが生れる。しかし私はシナトラが一番と思っている。

   1942(年12月30日、ニューヨークのパラマウント劇場。フランク・シナトラはベニ―・グッドマンに紹介されてステージに立った。割れんばかりの歓声。グッドマンは思わずつぶやいた。「こりゃ、いったい、どうしたっていうんだ?」スマートな容姿、情感豊かな甘い歌声。その年にデビューを果たしていたシナトラはすでに女学生たちのアイドルだった。興奮のあまり失神するファンも現れた。とんとん拍子に人気を得たが、第二次大戦後、その人気は一時下降する。だが、1953年、映画「地上より永遠に」でアカデミー助演男優賞を受賞、みごとに返り咲いた。しかし、その華やかな名声の陰には、黒い噂が絶えなかった。ジョン・F・ケネディにモンローを紹介したのはシナトラだったため、ふたりの謎の死に関わったのではないかと囁かれ、映画「ゴッドファーザー」のジョニー役はシナトラがモデルともいわれている。その私生活の明暗も、歌声に反映されたのか、1969年、波瀾の人生を思うかのような名曲「マイウェイ」は空前の大ヒットとなる。「ザ・ヴォイス」と呼ばれ、歌手の第一人者はシナトラである。TBSチャンネル2で「音楽の巨人たち#1」1962年に初来日のときキャバレー・ミカドで公演したショーの模様が放送される。(5月14日)

 

 

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