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2018年4月11日 (水)

キム・ユジョン

Tue_jan_20_15_38_03_utc_0900_2015_t   韓国の音楽番組「人気歌謡」(SBS)を観ていると司会者が若い。キム・ユジョンという「トンイ」「太陽が抱く月」など有名作品のヒロインの子供時代を演じていた子役である。キム・ユジョン(金裕貞)、キム・ソヒョン(金所炫)、キム・セロン(金賽綸)の三人のことを「三金」と呼ぶ。成長は早いもので今では恋の噂もちらほらある芳紀19歳のとっても売れっ子の女優さん。橋本環奈と同じ年。若い男の子はきっとミュージシャンじゃなくてユジョンちゃん目当てに見ているのではと推測する。ユジョンちゃんも歌とダンスに挑戦中である。でもとても悲しいお知らせ。体調不良が続いたので病院で検査したら甲状腺機能低下症という診断がだされた。しばらは休養してまた可愛い笑顔を見せてね。Kim You Jung 金裕貞

2018年3月25日 (日)

あなたの十八番はなんですか?

 老人ホームなどを訪れるとカラオケの会がさかんである。カラオケは歌うことで脳の活性化やストレスの軽減などの効果があり、高齢者の健康維持に役立つと注目されている。たくさんある曲目のなかなら自分に合った曲を選ぶ、つまり選曲が大事。でも高齢者に向いた曲ってなかなかないですよね。やはり青春時代に流行った歌や懐メロが無難かもしれない。ちなみに表題に年齢がでてくる楽曲を探してみた。ザ・ピーナッツがケーシー・リンデンの歌を日本語でカバーした「悲しき16才」(1960年)。翌年、ニール・セダカが作曲した曲に日本語でカバーした弘田三枝子の「すてきな16才」。高田美和の「17才は一度だけ」。西郷輝彦の「17才のこの胸に」。南沙織のデビューシングル「17才」(1971年)。のちに森高千里がカバー。岩崎宏美「二十歳前」(1978年)。フォークデュオ風のデビューシングル「22才の別れ」(1975年)。安倍なつみ「22才の私」。西城秀樹「33才」(1988年)原曲はフィリオ・イグレシアスの名曲。40代、50代の歌などは探しても見つからず、やっとダニー飯田とパラダイスキングの「悲しき60歳」がある。原曲はトルコの歌らしい。

2018年3月24日 (土)

諸説あり!「じんじろげ」の由来

 岡田奈々をセンターにしたAKB48のシングル曲「ジャーバージャ」。ジャーバージャとは特に意味のない造語である。流行歌には昔から意味不明の歌詞が好まれるようである。ダンチョネ節、デカンショ節、ズンドコ節、ツーレロ節などなど。西城秀樹のヒット曲「ギャランドゥ」も意味のない造語。ここでは森山加代子がおさげ髪の頃歌ってヒットした「じんじろげ」を取り上げる。「♪ジンジロゲヤ ジンジロゲ ドレドンガラガッタ ホーレツラッパノ ツーレツ」意味不明の歌詞が続く。「そんな変な歌、歌うんじゃありません」と母に叱られた。歌詞は日本語と外国語をごちゃまぜにしたようにみえる。当時、森山の所属する芸能事務所社長の曲直瀬正雄が学生時代に覚えた歌詞にあうよう作曲家中村八大に作らせたといわれる。レコードは昭和36年1月に東芝音楽工業から「じんじろげ」として発売された。おりからテレビが各家庭に普及しだしたときであり、キュートな森山の印象とともに多くの人々の記憶に残る。しかし出所不明な歌曲であることから今日歌われることはほとんどない。第二の説は久留島秀三郎(1888-1970)が明治41年にインド人から聞いたとする説。その後、ボーイスカウトを通じて広まった。第三の説は大正中期の旧制高校寮歌。「ヂンヂロゲ踊り」という暗闇で行う結婚式を擬した秘祭。第四の説は昭和38年頃、元演歌師、渋谷白涙が自分の作品だとする。彼の話によれば、大正6、7年ころ、ボビーというインド人から教えられたという。裁判に及んだものの証拠不十分ということで渋谷の主張は認められなかった。しかしこの原曲がインドの民謡であることは可能性が高い。「ヒラミヤバミヤ チヨイナダ ディーヤ」の部分については、ヒンズー語で「雨が降ってきた忽ち川と流れる」(Hila mil pari a jori nana diya)と解することができる。つまり原曲はインド民謡「雨期礼賛の歌」と考えられるが、いまだこの民謡が本当に歌われ存在するのか確証はとれていない。曲直瀬が記憶していたのは大正初期の演歌師が歌っていた俗謡だろう。ちなみに「じんじろげ」とは一説によると「女性の陰毛」のことと説かれるがあまり根拠はない。その卑猥性のため今日あまり放送されないのかもしれない。

2018年3月23日 (金)

春はセンバツから(選抜入場行進曲の話)

  センバツ、始まりました。今年の開会式入場行進曲は大会歌「今ありて」(阿久悠作詞、谷村新司作曲)。「♪ああ、甲子園、緑の山脈」いい曲ですね。でもなんでぇ~。通常は前年に世に流行ったヒット曲から選ばれることが多いのに。昨年は氷川きよし「男の絶唱」という演歌がレコード大賞だったからか。なぜか近年、日本レコード大賞を受賞した曲が入場行進曲に採用されるケースは少なくなっている。過去に8回あるが、昭和34年から平成29年までの大賞受賞曲でダブル受賞がわずか8曲とはなかなかの狭き門である。これまでの全曲は次のとおり。多様性の時代の表れなのか。

いつでも夢を(橋幸夫、吉永小百合)

こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)

また逢う日まで(尾崎紀世彦)

ルビーの指輪(寺尾聰)

パラダイス銀河(光GENJI)

おどるポンポコリン(B.B.クイーンズ)

TSUNAMI(サザンオールスターズ)

蕾 つぼみ(コブクロ)

2018年3月17日 (土)

謎のジャズ曲「アラビアの唄」

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  朝ドラ「わろてんか」において広瀬アリス演じる美人漫才師が歌い出す。

♪砂漠に日が落ちて 夜となる頃

  恋人よ 懐かしい

  唄をうたおうよ

  あの淋しい 調べに

  今日も 涙 流そう

  恋人よ アラビアの

  唄をうたおうよ

    ケペルの父は昭和の初め、浅草の宝亭という店でコックをしていた。そのころ、カジノ・フォリーで榎本健一と二村定一をよくみたといっていた。カジノをもじって「タバコの火が落ちて、火事となる頃」という替え歌がはやった。ところでエノケンは日本の喜劇王だが、現在、二村定一の名を知る人は少ない。流行歌手第一号といってもいいだろう。

    二村定一(1900-1942)。本名・林貞一、愛称・べーちゃん。明治33年6月13日、下関市中之町で、料亭を営む二村貞衛、林トキの長男として生まれる。大正4年、大阪薬学校に進学したが、宝塚少女歌劇に傾倒したため、中退。大正9年、浅草金龍館で根岸歌劇団の高田雅夫に弟子入り。大正末年には森歌劇団、五彩会歌劇団、草玉木座で佐々紅華のオペレッタに出演。大正14年「ジャズ・ソング」、昭和3年「アラビアの唄」「青空」が大ヒット。

    この「アラビアの唄」はアメリカではほとんど知られていない曲である。昭和2年、アメリカから帰国した堀内敬三(1897-1983)がフレッド・フィッシャー(1875-1942)の曲に訳詩をつけて楽譜を出版した。同年、二村定一が浅草オペラで歌い、のち天野喜久代とデュエットのレコードを発売。フィッシャーは「ダーダネラ」「シカゴ」などのスタンダードを残した有名な音楽家であるが、ジャズであるかは疑問。また「アラビアの唄」もジャズであるか疑問がある。当時、アメリカの新曲であれば、即ジャズと考んがえられていたようだ。二村はやがてディック・ミネなどの登場によって人気は下降する。しかし「アラビアの唄」のもの哀しいメロディーは浅草オペラを代表する名曲として記憶にのこるであろう。

2018年3月13日 (火)

卒業ソング

  卒業シーズンにふさわしい歌は近年もさかんに作られている。だから世代によってずいぶん違いが出るかも。うたコン川嶋あい「旅立ちの日に」いい曲だね~。

3月9日 レミオロメン

手紙 拝啓十五の君へ アンジェラ・アキ 

贈る言葉 海援隊

さくら 森山直太朗

乾杯 長渕剛

道  EXILE

時の描片 トキノカケラ EXILE 

桜  コブクロ

my graduation  SPEED

振り向けば  Janne Da Arc

サラバ青春  チャットモンチ-

桜咲く頃 PLAYEST

旅立ちの日に SMAP

桜の栞  AKB48

桜の花びらたち AKB48

卒業  尾崎豊

旅立ちの日に 川嶋あい

卒業写真 松任谷由美

なごり雪 イルカ

制服  松田聖子

卒業  菊池桃子

卒業  斉藤由貴

YELL  いきものがかり

無限大  関ジャニ∞

サクラサク 北乃きい

グラジュエイション 倉田まり子

春なのに  柏原よしえ

卒業  沢田聖子

じゃあね おニャン子クラブ

いい日旅立ち 山口百恵

夢をあきらめないで 岡村孝子

大きくなったら 柚梨太郎

春の歌 スピッツ

キセキ GReeeeN

思い出のアルバム

ありがとうさようなら

巣立ちの歌

2018年3月12日 (月)

春はセンバツから

   めっきり春らしく暖かくなった。昨日から大相撲。豪栄道、高安両大関が黒星発進。荒れる春場所。平昌パラリンピック閉会式は18日。センバツ開会式は23日。今年の入場行進曲を知っていますか?大会歌の「今ありて」。桜開花予想は九州福岡は20日ごろ。2月3月はいろいろあったが平昌五輪の間に南北が急接近。森友学園問題で揺れる安倍政権だが、国際政治は合衆国トランプ大統領と北朝鮮金正恩委員長の米朝首脳会談がモンゴルのウランバートル(?)で5月までに予定されている。日本は国際的には蚊帳の外である。

2018年2月23日 (金)

懐かしの映画音楽インデックス

 フィギュアスケートの伴奏曲はクラシックだけでなく映画音楽もよく使われるようになったように思う。たとえば「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」「ライムライト」などは定番曲になっている。ロシアのエフゲニア・メドベージェワはイタリアの映画音楽作曲家ダリオ・マリアネッリの「アンナカレーニナ」(2012)を使用した。劇中、舞踏会シーンで流れた楽曲をパントマイムのような独特的な表現をしている。映画音楽の中には映画そのものより音楽のほうが有名になったものも数多くある。「キャリオカ」はラテン・ナンバーとして知られるが、もともとは映画音楽。アステア、ロジャーズの「空中レヴュー時代」(1933)のなかで2人が踊り、キャリオカ・ダンスが人気を博した。「紅の翼」はジョン・ウェイン主演の作品だが、テーマ曲がよく知られている。シャンソンの名曲「枯葉」は映画「夜の門」(1946年)でイヴ・モンタンが歌って広く知られるようになった。「チコと鮫」(音楽フランチェスコ・デ・マージ)は伊藤アイコがテーマ曲を歌っている。「ワレリアの恋」も映画よりも美しいメロディーで知られる。「愚かなり我が心」はジャズのスタンダードナンバー。もともとはスーザン・ヘイワード主演の映画。映画「世界残酷物語」のテーマ曲「モア」はイギリスの歌手ダニー・ウィリアムズが歌って大ヒットとなる。「ピクニック」の「ムーングロウ」は燃えるように鮮やかな月あかりという意味。「黒いオルフェ」の主題歌「オルフェの唄」は甘く美しいメロディをブレノ・メロが歌っていた。

サークル・ゲーム(いちご白書)

モア(世界残酷物語)

ワレリアの恋(赤いテント)

マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)

ヴェニスの夏の日(旅情)

愛しのレティッシア(冒険者たち)

アフリカの星のボレロ(撃墜王アフリカの星)

カーニバルの朝(黒いオルフェ)

テリーのテーマ(ライムライト)

ララのテーマ(ドクトルジバコ)

ムーン・グロウ(ピクニック)

時の過ぎゆくまま(カサブランカ)

トゥ・ラヴ・アゲイン(愛情物語)

ムーラン・ルージュの歌(赤い風車)

夏の日の恋(避暑地の出来事)

ニューヨーク・シティ・セレナーデ(ミスター・アーサー)

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   「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」映画カサブランカの中で歌うドーリー・ウィルソン。劇中ではバーグマン扮するイルザの求めに応じてドーリー・ウィルソンがピアノを弾く。実はもともとこの歌は1931年にハーマン・フップフェルドが作曲・作曲し、同年のミュージカル「どなたも大歓迎」に使用された。ルディ・ヴァリーのレコードがヒットし、ビング・クロスビーなどもラジオで盛んに歌っていた。

2018年2月22日 (木)

エーメンの歌

   NHKあさイチに指揮者の小澤征爾が出演している。おそらくこれは再放送の映像か。クラシック以外に好きな音楽は、と聞かれて、「エーメン、エーメン」と手拍子を取りながら歌い出した。普通なら周りの者も応じて唱和するただろうに、イノッチも有働アナもこの歌を知らないらしく音楽にのってこない。曲は、ゴスペルソングで、キリスト教徒が祈りの最後に唱えるヘブライ語の言葉で「エイメン(そうなりますように)」という意味。1963年のシドニー・ポアチエ主演の「野のユリ」での感動的なシーンで使われている。1961年に渡米した小澤が指揮者として活躍してその名が全米で知られるようになった頃に流行ったので本人にとって想い出深い一曲だったのだろうか。

2018年2月 7日 (水)

西洋音楽史略年表

   今年はドビュッシー没後100年。冬季五輪のフィギュア競技などクラシックの名曲を聴く機会も多い。バロック以降の西洋音楽史の略年表。

1600年 バロック音楽は、17世紀から18世紀中ごろまでのおよそ1世紀半の時期をさす。フィレンツェのジョバンニ・バルディ伯のもとに集まった学者・詩人・音楽家のグループであるカメラータによる新しい理論の提唱とその実践とによって開始された。

1607年 モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」がマントヴァで上演

1717年 ヘンデル、管弦楽組曲「水上の音楽」

1717年 バッハ、「G線上のアリア」(1717年から1723年の間)

1725年 ビバルディ、バイオリン協奏曲・四季

1727年 バッハ、管弦楽組曲。4曲あるが、作曲年代には異説がある。

1786年 モーツァルト、「フィガロの結婚」初演

1787年 モーツァルト、「アイネクライネ・ナハトムジーク」

1793年 ハイドン「交響曲第100番軍隊」(1793年から1794年)

1797年 ハイドン「弦楽四重奏曲第7番第2楽章」(神よ、皇帝フランツを守り給え)

1800年 ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調(作品21)。1824年までベートーヴェンの交響曲の作曲時代が続く。各国で教養ある音楽ディレッタントによる家庭音楽がさかえる。

1824年 ベートーヴェン 交響曲第9番

1825年から26年 シューベルト「交響曲第8番ロ短調(未完成)」

1829年 ロッシーニ「ギヨーム・テル」(ウィリアム・テル序曲)

1833年 ショパン「練習曲集」(別れの曲)

1839年 シューマン「子供の情景」(トロイメライ)

1853年 リスト「ハンガリー狂詩曲」

1855年 ショパン「幻想即興曲」

1867年 ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」

1868年 スメタナ「交響詩(わが祖国)」

1869年 ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」

1871年 ヴェルディ「アイーダ」初演

1872年 ビゼー「アルルの女」

1874年 ムソルグスキー「展覧会の絵」

1875年 チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」(ピアノコンチェルト)

1876年 グリーグ組曲「ペール・ギュント」

1877年 チャイコフスキー「白鳥の湖」初演

1880年 ボロディン「中央アジアの草原にて」初演

1883年 ブラームス「交響曲第3番」

1886年 サン・サーンス「動物の謝肉祭」(白鳥)

1887年 ブルックナー「交響曲第8番ハ短調」

1894年 ドビュッシー「牧羊神の午後への前奏曲」

1894年 ドヴォルザーク「交響曲第9番(新世界より)」

1899年 シベリウス「交響詩フィンランディア」

1900年 サティ「ジュー・トゥ・ヴー」

1902年 マーラー「交響曲第5番」

1910年 ストラヴィンスキー「火の鳥」初演

1926年 プッチーニ歌劇「トゥーランドット」誰も寝てはならぬ

1935年 ショスタコビッチ「第五交響曲」

1942年 ハチャトリアン「ガイーヌ」剣の舞

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