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2009年12月 3日 (木)

ファースト・ラブ

    年末になるとテレビ番組は恒例の歌謡祭がある。ベストヒット歌謡祭(読売)、FNS歌謡祭(関西)など続けて見る。新しいアーティストや楽曲は知らないが、ずいぶんレベルが向上している。昨夜のFNS歌謡祭は46曲、名曲とコラボと生演奏。EXILE、コブクロ、嵐、スマップ、絢香、平井堅、ゆず、倖田来未など豪華アーチスト。宮本笑里という可愛いバイオリニストも出演していた。目玉は森高千里、槇原敬之、稲垣潤一あたり。郷ひろみ、稲垣らが最年長組だろう。宇多田ヒカル、安室奈美恵、浜崎あゆみ、らはビッグなんだろうか?出演していない。少年マガジンの連載中の流石景「GEグッドエンディング」を見ていたら、エリが「黒川ユキのファースト・ラブは絶品だよ。女のあたしでもうっとりしゃうもーん」というセリフがある。宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」は1999年の曲で10年前だ。今でも高校生の定番の名曲なのだろうか。着メロとかで知っているのだろう。ケペルはもちろん藤圭子の「命預けます」だ。

2009年9月15日 (火)

ラム酒

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   カリブのお酒といえばサトウキビから作ったラム酒。昭和32年にベラフォンテの「バナナ・ボート」の歌をカリプソ娘・浜村美智子が「デエ~オ、イデデイデデ~オ」と歌い爆発的にヒットした。歌詞に「ラムでも飲んで待っててね」とあった。この歌のおかげで日本でもバーでラム酒が飲まれるようになったという。

2009年8月23日 (日)

思い出のメロディー

Img_0007 昭和39年5月号

   懐メロといえば東海林太郎、ディック・ミネ、淡谷のり子といった戦前派の歌手が主役だった。しかし時は流れ、もはや昭和40年代の流行歌は立派な懐メロになった。昨夜放送されたNHK「思い出のメロディー」の主役は、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(昭和44年)いしだあゆみだった。風邪薬ルルのコマーシャルや「アッちゃん」の主題歌を歌っている頃の彼女はボーイッシュで元気なお姉さんという感じだった。「ブール・ライト・ヨコハマ」で見違えるようにキレイになって昭和40年代はヒット曲連発の女性歌手の中心的存在だった。日本女性らしい独特の情緒を醸しだし、台詞のような長い歌詞に新境地を開いた。「喧嘩のあとでくちづけを」「あなたならどうする」「砂漠のような東京で」など長い題名の曲も流行となった。昨夜の彼女は夏らしく涼やかな和服をステキに着こなしていた。まるで和風オードリー・ヘプバーンといったところだ。久しぶりのマドンナの登場に癒されたおじさんも多いだろう。

2009年7月 2日 (木)

もう気分は夏ですね

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   今日は半夏生(はんげしょう)。夏至から数えて11日目くらいの日で、この日までに農作業を終えておくという昔から農家にとっては大事な節目の日です。この時期にカラスビシャク(漢名は半夏)というドクダミ科の薬草が生えることから名付けられた。
   7月に入り、いよいよ夏本番という気分がする。夏らしいBGMを聞く。「夏の日の恋」というとムード音楽の定番で、パーシー・フェイスが有名だが、ジョニー・ソマーズのハスキー・ボイスの歌入りもイイ感じ。日本ではスリーグレーセスのデビュー曲だった。(なんと今でもジョニー・ソマーズもスリーグレーセスも元気で歌っているらしい)
「夏にキッス、冬に涙」というピアノ曲もイイ感じだ。

2009年4月25日 (土)

アイドルを探せ

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   60年代フレンチポップスの「シンボル・ガール」「イエ・イエ娘」「レナウン娘」のシルヴィ・バルタンは何人だろうか?バルタン星人。いいえ、父はフランス人だが母はハンガリー人。生れはブルガリア西部の村イスクレッツ。つまり琴欧洲とは同郷人。(ヴェリコ・タルノヴォ)ブルガリアは第二次世界大戦は三国同盟に加盟(1941年3月1日)したので日本とは同盟国であり、イギリス、アメリカに対して宣戦布告をしている。戦後、ソ連軍進駐により、シルヴィ・バルタン一家はパリに移ったと思われる。

  シルヴィ・バルタン(「初恋の二コラ」)に限らずシャンソン歌手には外国生まれの人が多い。イヴ・モンタン(「枯葉」)はイタリア。アンリ・サルヴァドールはフランス領ギアナ。アニー・コルディ(「バナム」)はベルギー。エディ・コンスタンチーヌはアメリカ。アダモ(「雪が降る」)はイタリア生れのベルギー育ち。ミッシェル・ポルナレフ(「愛の休日」)はパリ生まれのロシア系。シャルル・アズナブールはパリ生れのアルメニア人。ダリダ(「あまい囁き」)はエジプト生れのイタリア人。ペチュラ・クラーク(「恋のダウンタウン」)はイギリス。ナナ・ムスクーリ(「日曜日はダメよ」)はギリシア。エンリコ・マシアス(「恋心」)はアルジェリア。つまり皆コスモポリタンなのだ。

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2009年2月22日 (日)

女は年を重ねて輝く

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    婦人公論3月7日号。作家・あさのあつこ、歌手・秋元順子、女優・戸田恵子。女性は努力と才能次第で、40代、50代を過ぎてから開花することを教えてくれる。記事中には記されなかったが、戸田さんの二度の離婚の相手とは、池田秀一と井上純一。二人とも10代で人気スターとなった方。池田秀一はNHK「次郎物語」、井上純一は「青春ド真中」「ゆうひが丘の総理大臣」「あさひが丘の大統領」の生徒役で知られた。イケメンの場合、中年を過ぎて再起することは至難の事だ。井上純一は郷ひろみがバーニングプロへ移籍というジャニーズ事務所最大の危機を支えたタレントである。たのきん登場まで、井上の人気で低迷期をしのいだ事務所功労者の一人だ。もう一人の功労者が今年1月28日にこの世を去った。フォーリーブスのター坊こと、青山孝史だ。歌唱力と音楽面でリーダー的存在であった。今日、ジャニーズ事務所があるのはフォーリーブスの活躍があってのこと。コンサート会場でファンの将棋倒しが発生するほどの人気ぶりだった。新御三家の登場などで人気の時期は短かかったが、70年代ファンには忘れられない。花男の盛りは短いが、中年女性はいつまでも元気。

2009年2月14日 (土)

いとしのバレンタイン

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    今日はバレンタインデー。むかしからこの頃ラジオでかかる曲はフランク・シナトラの「マイ・ファニー・バレンタイン」と決まっていた。ネルソン・リドルの指揮・演奏でシナトラの名唱中の名唱。シナトラとキム・ノヴァック主演の映画「夜の豹」(1957年)に挿入されていた。もともとはロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲による1937年の作品。同年のミュージカル「ベイブス・イン・マイ・アームズ」で使われた曲だった。このミュージカルは2年後MGMで映画化され、ジュディ・ガーランドが歌って知られるようになった。バレンタインとは男性の名前。つまり、この曲はバレンタインデーとは全く関係がないのだ。「私のいとしのバレンタイン様」と女性があこがれの男性に思いを伝える歌である。女性が歌うべき曲ではあるが、なぜかチェット・ベーカー、フランク・シナトラなど男性の曲が多く、人気が高い。

オバマ・ブーム便乗商法はハワイアン復権

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   今、世界中でもっとも有名な人、オバマ大統領。書店ではズラリとオバマ本が並ぶ。洋書コーナーでは豪華な写真集がいろいろ出版されている。185センチと背が高く、やせ型で親しみやすい笑顔。45歳だけど実際よりも若く見える。日本では麻生首相の支持率が20%以下といわれるが、一方のオバマの支持率はなんと90%以上ともいわれる。日本でオバマを支持したところでどうなるものでもないが、「オバマを勝手に応援する会」というユニークなものもあるそうだ。また福井県の小浜市は「おばまガールズ」や「ちりとてちん」の便乗効果で観光客が増加した。映画「フラガール」をヒントにした町おこし作戦が功を奏したのだ。俗に言う「勝ち馬にのる」ことは勝利への鉄則ではないだろうか。不景気なこの時代、何か明るい話題はないだろうか。フラガールズで思い出すのは、昭和20年代後半から昭和30年代にかけてのハワイアン・ブームだ。これも戦後ニッポン人が必死になって復興を模索するなかで考えた、アメリカ景気の便乗「勝ち馬に乗れ」商法の一つだった。日本の遊園地や都会のビア・ガーデンではいつもハワイアンが流れていた。夏は池や湖にボートがあって、ハワイアン・フラダンス・ショーがあった。日本で人気のハワイアンというのはハパ・ハオレ・テューン(半分白人化された曲)である。戦後、ハワイ観光ブームによって日本にもたらされたハワイアンを日本人はとても好んだ。アンティ・イオナ、ソル・ポーピー、レイ・キニー、ダニー・スチュアート、アルフレッド・アパカ、ラニ・マッキンタイア、ソル・フービー、リンダ・ハワイズ・カナリ、レナ・マシャードなど代表的な音楽家たちである。古代ハワイの伝統音楽が西洋音楽と接触してポピュラー音楽となっていった。日本にもバッキー白片や大橋節夫、和田弘とマヒナスターズ、エセル中田、南かおる、日野てる子などの人気者が登場した。シャッター通りといわれる地方の商店街の皆さん、この夏はBGMにハワイアンを流したり、盆踊りなど楽しい企画をして盛りあげてみてはいかがでしょうか。

2009年2月 9日 (月)

歌手・薬師丸ひろ子

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  会社の帰りの  電車の窓から

  マーマレード色の 夕焼けを見たの

  知らない間に 涙がこぼれて

  ともり始めた家の灯 胸に染みた

   むかし「薬師丸ひろ子の声はうっとうしくて嫌いだ」とある友人は言っていたのを思い出す。たしかに薬師丸の声は、男性にとって心地よいと感ずる人と嘔吐感へとつながる人と極端に二分するらしい。ケペルはメロディラインに乗った彼女特有の伸びのある高音は聞いていてとても気持ちいいと感ずるほうである。そのため彼女のシングル、LP、あるいはベストもののCDなど多く所有しているし、何度となく愛聴している。先週テレビが壊れたのでプラズマの42インチテレビを買った。そして録画しておいた昨年9月放送の薬師丸ひろ子「SONGS」を再見する。「カ・イ・カ・ン!」

    デビュー30周年を迎えた彼女は自身のキャリアの中で培った表現力で当時よりも上手くなっていた。過去日本映画界で歌う女優はたくさんいるが彼女ほど歌の好きな人はいるだろうか。薬師丸の歌の原点は合唱だそうで、番組の中でも島根県雲南市立吉田小学校のこどもたちと「夏の思い出」を一緒に合唱している。ラストに歌った「風に乗って」がとくに印象に残った。「今夜風に乗り、言葉を届けよう、彼の住む街に素足で舞い降りて」というステキな歌詞だ。NTTのイメージソングだったが、たしか玉置浩二と結婚した頃の歌だった。薬師丸のヒット曲は多い。「セーラー服と機関銃(夢の途中)」「愛情物語」「メイン・テーマ」「時代」「あなたを・もっと・知りたくて」「WOMAN」。でもこの「風に乗って」は薬師丸ひろ子にとっていかに大切な曲であるか。そしてファンも大好きな曲で、いわば隠れた名曲だと思う。

2009年1月26日 (月)

アナザー・アイドル

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   島田奈美            水野きみこ

    80年代は女性アイドル全盛時代だった。松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、中森明菜などキラ星の如くアイドルが誕生した。しかしその中で一瞬の煌めきで消えたアイドルも多い。1982年ポリドールより「私のモナミ」でデビューした水野きみこ、1986年「ガラスの幻想曲」でデビューした島田奈美もスターレットの一人だろう。島田奈美は西村知美との関わりで認知されることも多いが、水野きみこは雑誌の写真だけでテレビの歌番組出演の記憶がほとんどない。島田奈美の「パステルブルーのためいき」はシングルレコードを持っているが名曲だ。水野きみこは2年、島田奈美も実働5年で引退した。今、水野きみこは43歳、島田奈美は37歳、いわゆるアラフォー世代だ。ネットで調べるとなんと島田は現在島田奈央子としてDJとして活動している。こうしたいわゆるメジャーではないが、可憐に咲いた一輪の花のような存在を応援したくなるのである。いまから応援しても遅かったのだが、あの時はなにかと忙しかった、お金もなくてレコードが買えなかった、コンサートへも行けなかった、と色々と言い訳がましく述べつつ、ずっと君たちのことを覚えているよ、と伝えたい。もし彼女たちが「思い出のメロディー」のような懐メロ番組に登場して、元気で歌ってくれたら愉しいことか、と先ずありえないだろうことを想像している。

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