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2024年12月 3日 (火)

なぜ年末になると第九が演奏されるのか?

 1824年5月7日、ウィーンのケルントナートア劇場においてベートーヴェンの交響曲第9番がはじめて演奏された日である。ベートーベン自身が指揮した。合唱曲「歓喜に寄す」が入った第九は、今日、世界中で平和と国際協調のための賛歌とされ、もっとも有名で人気のあるクラシック作品のひとつである。ところで日本では、第九は年末の風物詩といわれ、12月になると毎年全国各地でコンサートが開催される。その理由は明らかでないが、ベルリンでは戦前からニューイヤーコンサートとして、大みそかの深夜に、ただ幾第九を演奏することが多かった。その風習が日本に持ち込まれたのかもしれない。年末に第九を演奏するというのは、もともと第一次世界大戦後、平和を願うドイツのライプツィヒで始まった。いまでも伝統行事として、大晦日に第九の演奏会が開かれている。だが海外では、年末にはヘンデルの「メサイア」(ハレルヤコーラスで有名な曲)が一般で、第九を演奏することは少ない。ではなぜ、日本に第九演奏が定着したのか?これには諸説あるが、太平洋戦争で亡くなった人々への鎮魂歌だったという意味が大きい。日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮(1884-1953)で3夜も第九の演奏会で成功を収めた。これが契機となって全国各地でも第九の演奏会が行われた。つまり、第九の演奏は貧乏な楽団員にとって年越しの餅代稼ぎとなった。第九は大合唱付きで、チケットがさばきやすかった。また12月はベートーヴェンの誕生月でもあることや、日本人に第九は絶大な人気があることがあげられる。

 

 

2024年10月 1日 (火)

東京ソング

Img_943571_34041895_0    東京を題材にした歌謡曲は佐藤千夜子の「東京行進曲」や小唄勝太郎・三島一声の「東京音頭」をはじめとして無数にある。某テレビ局が調査したところ、「東京」「TOKYO」とタイトルに冠した曲だけでも1271曲あるという。「銀座」「赤坂」「池袋」「新宿」など地域名を含めると1500曲以上はあるだろう。

    戦後は笠置シズ子「東京ブギウギ」、灰田勝彦「東京の屋根の下」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」。しかし東京ご当地ソングが増加するのは1960年代になってからである。東京オリンピック前後の東京は好景気に沸き、繁華街が大盛況となり、東京は不夜城となっていった。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、松尾和子「グッド・ナイト東京」、坂本九「サヨナラ東京」、渡哲也「東京流れ者」、井沢八郎「ああ上野駅」、西田佐知子「赤坂の夜は更けて」、日野てる子・高城丈二「青山の灯も消えて」、三田明「アイビー東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、中原理恵「東京ららばい」、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、大木英夫・津山洋子「新宿そだち」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、真田ナオキ「恵比寿」等々、ヒット曲は多い。私の好きな東京ソングはピチカート・ファイブ「トーキョーは夜の七時」、裕木奈江の「冬の東京」(1994)。韓国歌手のチェウニは「トーキョー・トワイライト」「東京の枯葉」「ガラスの東京タワー」など東京ソングの女王である。ズバリ「東京」というシンプルなタイトルは、やしきたかじん、マイペース、JUJU、ケツメイシ、手嶌葵の曲がある。

  海外をみてもロンドンとかパリとか単に都市名のみの曲はあまり見当たらない。「モスクワの夜は更けて」「とんでイスタンブール」とか「想い出のサンフランシスコ」とか形容詞がつくものである。フランシス・ルマルクは日本での知名度はあまり高くないが、実力派のいかにも「シャンソン歌手」という感じで、彼の代表曲「A Paris」(1949年)がある。ジャネット・エヴラ「パリ」。また稀少例としてファウスト・チリアーノの「ローマ」(1972)がある。ローマの橋をテーマにした佳曲。彼は特捜最前線のエンディング「私だけの十字架」で日本でもお馴染みの歌手であるが本国でも有名な一流歌手だ。国名ならば「ブラジル」、メンデルスゾーンの「交響曲イタリア」。

 

 

2024年8月24日 (土)

酒杯の歌

  本日は「愛酒の日」。酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の明治18年の誕生日。酒杯の歌は西洋にも数多くあります。映画「プリティ・ウーマン」(1990)のラストシーンに流れていた曲はヴェルディの歌劇「椿姫」だった。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアがサンフランシスコのオペラハウスで「椿姫」を見るシーンもある。第1幕第2章で歌われるのが「乾杯の歌」。「楽しもう 酒杯と歌は夜と笑いを美しくするのだ。この楽園の中で新たな日が、私たちを見出すように」映画「オーケストラの少女」(1937)でも最後にディアナ・ダービンが喜びの涙で頬を濡らしながら歌い続ける。(8月24日)

 

2024年7月30日 (火)

女性歌手たちのデビュー曲

  1949年のこの日、美空ひばりが「河童ブギウギ」でコロムビアレコードからデビューした。そこでこれまでの歌姫たちをデビュー曲と共にふりかえってみよう。小笠原美津子が先日、宝塚市内の病院で99歳で亡くなられた。1938年にビクターよりデビューした。2年後の「十三夜」のヒット曲や東海林太郎とのデュエット曲で知られる。榎本美佐江は戦時中は工場や軍隊の慰問などに回っていたが、1946年にテイチクに入社し、市丸の代役で歌った「十三夜」(オリジナルは1940年の小笠原美都子)がヒットした。当時レコード化されていなかったが、実質的に榎本の初ヒットといえる。鈴を鳴らしたような美声と美貌で新東宝で多数出演したが、レコード歌手として地位を確立したのは1949年ビクター移籍後のことである。由紀さおりの「ヒッチハイク娘」はどんな歌なのだろう。(7月30日)

淡谷のり子「久慈浜音頭」 1930
小唄勝太郎「島の娘」 1933
渡辺はま子 「海鳴る空」 1933
美ち奴 「さくらおけさ」 1934
笠置シヅ子「恋のステップ」 1934
二葉あき子「愛の揺り籠」  1936
菅原都々子「お父さんの歌時計」 1937
越路吹雪「ブギウギ巴里」 1946
吉岡妙子「昼も夜も」 1947
平野愛子「港が見える丘」 1947
美空ひばり「河童ブギウギ」 1949
織井茂子「安南夜船」 1949
宮城まり子「なやましブギ」 1950
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952
ペギー葉山「ドミノ」     1952
雪村いづみ「想い出のワルツ」 1953
楠トシエ「僕は特急の機関車で」 1953
大津美子「千鳥のブルース」 1955
島倉千代子「この世の花」 1955
西田佐知子「伊那の恋唄」 1956
浜村美智子「バナナ・ボート」 1957
伊東ゆかり「かたみの十字架」 1958
ザ・ピーナッツ「可愛い花」 1959
こまどり姉妹「浅草姉妹」 1959
森山加代子「月影のナポリ」 1960
坂本スミ子「黒い天使」 1960
多摩幸子「明子の唄」 1961
弘田三枝子「子供ぢゃないの」 1961
岸洋子「たわむれないで」 1962
木の実ナナ「東京キカンボ娘」 1962
梓みちよ「ボッサ・ノバでキッス」 1962
園まり「鍛冶屋のルンバ」 1962
髙石かつ枝「旅の夜風」  1962
三沢あけみ「ふられ上手にほれ上手」 1963
九重佑三子「シェリー」 1963
いしだあゆみ「ネェ、聞いてよママ」 1964
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」 1964
都はるみ「困るのことヨ」 1964
大月みやこ「母恋三味線」 1964
小林幸子「ウソツキ鴎」 1964
日野てる子「カイマナ・ヒラ」 1964
渡辺順子(黛ジュン) 「ダンケ・シェン」 1964
笹みどり「女の舞台」 1965
三船和子「ベトナムの赤い月」 1965
由紀さおり(安田章子)「ヒッチハイク娘」 1965
青江三奈「恍惚のブルース」 1966
山本リンダ「こまっちゃうナ」 1966
加藤登紀子「誰も誰も知らない」 1966
日吉ミミ「涙と艶歌船」 1967
テレサ・テン「鄧麗君の歌第1集」 1967
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967
瀬川瑛子「涙の影法師」 1967
渚ゆう子「早くキスして」 1967
和田アキコ「星空の孤独」 1968
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」 1969
芹洋子「野に咲く花のように」 1969
藤圭子「新宿の女」 1969
藤野ひろ子「浜でギターを弾いてたら」 1969
安倍lt理津子「愛のきずな」 1970
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」 1970
八代亜紀「愛は死んでも」 1971
天地真理「水色の恋」 1971
小柳ルミ子「わたしの城下町」 1971
天童よしみ「風が吹く」 1972
森昌子「せんせい」 1972
松任谷由実「返事はいらない」 1972
谷山浩子「銀河系はやっぱりまわっている」 1972
山口いづみ「緑の季節」 1972
山口百恵「としごろ」 1973
石川さゆり「かくれんぼ」 1973
キャディーズ「あなたに夢中」 1973
川中美幸「新宿天使」 1973
高橋真梨子「ジョニィへの伝言」 1973
キム・ヨンジャ「教えてください」 1974
伊藤咲子「ひまわり娘」 1974
中島みゆき「アザミ娘のララバイ」 1975
岩崎宏美「二重唱(デュエット)」 1975
金沢明子「津軽じょんから節」ほか(LP若い民謡」収録)1975
大場久美子「あこがれ」 1977
榊原郁恵「私の先生」 1977
渡辺真知子「迷い道」 1977
矢野顕子「いろはにこんぺいとう」 1977
柴田まゆみ「白いページの中に」  1978
高見知佳「シンデレラ」 1978
竹内まりや「戻っておいで・私の時間」 1978
紅屋おかめ 「泣くなオカメちゃん」  1978
久保田早紀「異邦人」  1979
松田聖子「裸足の季節」 1980
山下久美子「バスルームから愛をこめて」 1980
小泉今日子「私の16才」 1982
中森明菜「スローモーション」 1982
原田悠里「俺に咲いた花」 1982
星ひろみ(伍代夏子)「恋の家なき子」 1982
小久保尚美「誰にも云わないで」 1983
菊池桃子「青春のいじわる」 1984
中山美穂「C」 1985 
南野陽子「恥ずかしすぎて」 1985
森川美穂「教室」 1985
浅香唯「夏少女」 1985
渡辺美里「I'm free」 1985
今井美樹「黄昏のモノローグ」 1986
中村美律子「恋の肥後つばき」 1986
島津亜矢「袴をはいた渡り鳥」 1986
椎名恵「今夜はANGEL」 1986
伊藤智恵理「パラダイス・ウォーカー」 1987
伍代夏子「戻り川」 1987
坂本冬美「あばれ太鼓」 1987
森高千里「NEW SEASON」 1987
藤あや子「ふたり川」 1987
工藤静香「禁断のテレパシー」 1987
香西かおり「雨酒場」 1988
山口由子「幾千の涙を贈りたい」 1988
遊佐未森「瞳水晶」 1988
西田ひかる「ぼくらのセディ」  1988
小野リサ「カトピリ」 1989
夏川りみ(旧芸名・星美里)「しほり」 1989
林原めぐみ「約束だよ」 1989
山口弘美「つよがり」 1989
高橋由美子「Step by Step」 1990
西野妙子「A級キッス」 1990
田川寿美「女…ひとり旅」 1992
音羽しのぶ(司千恵子) 「涙という名の港町」 1992
広瀬香美「愛があれば大丈夫」 1992
藤田恵美(ルクプル)「海の底でうたう唄」 1994
安室奈美恵「太陽のSEASON」 1995
華原朋美「keep yourself alive」 1995
水森かおり「おしろい花」 1995
宇多田ヒカル「Automatic」 1998
浜崎あゆみ「poker face」 1998
椎名林檎「幸福論」   1998
aiko「あした」       1998
川野夏美「あばれ海峡」 1998
MISIA「つつみ込むように」 1998
島谷ひとみ「大阪の女」 1999
クミコ「接吻」     2000
水樹奈々「想い」     2000
中島美嘉「STARS」   2001
一青窈「もらい泣き」   2002
加藤ミリヤ「Never let go」 2004
木村カエラ「Level42」    2004
JUJU「光の中へ」    2004
Beni「harmony」     2004 
Perfume 「リニアモーターガール」 2005
新妻聖子「夢の翼」   2006
青山テルマ「ONE WAY」  2007
越智志帆(superfly)「ハローハロー」 2007 
ステファニー「君がいる限り」 2007 
西野カナ「I」        2008 
miwa「don't cry anymore」 2010
出光仁美「おんな七厘」 2010
藍井エイル「MEMORIA」 2011
家入レオ「サブリナ」   2012
杜このみ「三味線わたり鳥」  2013
大原櫻子「頑張ったっていいんじゃない」2014
あいみょん「生きていたんだよな」 2016
栞菜智世「Hear 信じあえた証」 2016
羽山みずき「紅花慕情」 2016
三浦透子「おかあさんへ」 2016
朝花美穂「なみだの峠」 2018
門松みゆき「みちのく望郷歌」 2019
鈴木愛理「Escape」 2019 
望月琉叶「失恋慕情」 2020
Liyuu「Magic Words」2020
石川花「空に咲いて」 2022
梅谷心愛「磐越西線」 2023

 

 

 

 

 

 

2024年5月10日 (金)

鉄道唱歌の歌詞に金閣寺がない理由とは?

Blog11005

 

  北山の金閣(鹿苑寺)は足利義満が造営した別荘で、1950年の火災により再建された。東山の銀閣とともに室町時代の様式を伝えている。1900年のこの日、「鉄道唱歌」(作詞・大和田建樹)第1集東海道篇が発行された。歌詞第50番には京都各社寺の四季折々の表情が詠まれている。

 

夏は納涼の四条橋

冬は雪見の銀閣寺

桜は春の嵯峨御室

紅葉は秋の高雄山

   ところが鉄道唱歌には何故か金閣寺は詠まれていない。ほかにも東寺、清水寺、知恩院、真如堂、賀茂神社、南禅寺はでてくる。鉄道唱歌が作られたときはまだ金閣寺は火災に遭っていない。「冬は雪見の金閣寺」でもよいのではないだろうか。金閣寺がないのは鉄道唱歌最大の謎である。当時、銀閣寺の東山文化という歴史用語はあったが、金閣寺の北山文化はまだなかった。(5月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月 2日 (木)

五月のバラ

Photo_2  バラの季節となった。伊丹市荒牧バラ公園には世界のバラ約250種1万本が咲いている。「五月のバラ」というバラードを聴き比べ。塚田三喜夫、尾崎紀世彦、布施明、松崎しげる、舟木一夫、鹿内孝、菅原洋一、藤原誠、秋川雅史、岩出和也などがリリースしている。この曲のオリジナルは、「思い出のバラ」という題名でフランツ・フリーデル(津川晃)が1969年に創唱した。その後、ブレンダ・リーがカバーして広く知られるようになった。

2024年4月28日 (日)

演歌は滅亡するのか?

  日本の音楽のジャンルは一般に国内ロック・ポップスと歌謡曲・演歌に分けられる。大みそか恒例のNHK紅白歌合戦は、ここ数年、歌謡曲・演歌に大ヒット曲がなく、J・POP中心の番組構成になってきている。若者はいう「JAZZや演歌は今どきオワコンである!」と。しかしAKBや旧ジャニーズばかりのグループ&ダンス歌謡もつまらない。このような状況はお隣の韓国も似ているが、韓国にはトロットといわれる大衆歌謡がある。「トロット王子」といわれるパク・ヒョンビンやチャーミングな女性歌手ホン・ジニョンが人気があり、いまでもトロットの人気は衰えをしらない。日本の演歌界は演歌の女王八代亜紀が亡くなり淋しいかぎり。北島三郎、森進一、五木ひろしなど大御所はいるがみんなご高齢になったね。橋幸夫は昨年、潔く引退かと思いきや謝罪会見で撤回するという珍展開。氷川きよしも「Kiiina」と名乗り迷走しているがデビュー25周年「昭和歌謡史」を発売、復活の兆しをみせる。先日、韓国で日韓共同でNO1.歌姫を決定する番組があった。日本から東亜樹や住田愛子、かのうみゆ、福田未来などが出場し喝采を浴びた。ぜひ日本でもトロット・ガールズとして活躍してほしい。「冬のソナタ」を歌った「歌心りえ」とは、2004年に冬ソナ日本語バージョンをリリースしている。3人組音楽ユニットSptemberのボーカル・八塚りえのこと。

 

  さて、ここで問題です。日本で初めて「歌謡曲」と名づけられた曲は?

A 大正3年の「カチューシャの唄」

B 大正14年の「夏が来たかと」

C 昭和4年の「東京行進曲」

 「カチューシャの唄」は爆発的な流行を示し、いわゆる大衆流行歌謡のルーツになっているが、当時は「流行唄」「流行小唄」などと呼ばれていた。「歌謡曲」ということばがはじめて用いられたのは、大正14年7月12日に東京放送局の本放送が始まってからであり、その直後の7月27日に「夏が来たかと」など4曲(北原白秋作詞・町田嘉章作曲)が放送されたとき、町田嘉章がこれをはじめて歌謡曲と名づけたことから始まっている。昭和4年に西条八十作詞・中山晋平作曲・佐藤千夜子の「東京行進曲」がレコードになって、当時25 万枚という売行きを示したが、このころになると、この種の歌を「流行歌」というようになり、このあとぞくぞくと流行歌が大衆のあいだにうたよれるようになる。戦後になると、NHKなどの放送で、この種の流行歌をすべて「歌謡曲」というようになって、流行歌ということばの影がうすくなっていった。昭和30年代、美空ひばりや三波春夫などの活躍で歌謡曲の全盛時代を迎えたが、海外のヒット曲を日本語でカバーする和製ポップスも出現した。昭和40年代ビートルズの来日以降、GSブームやフォーク、ニューミュージックとさまざまなジャンルが区分されるようになり、旧来の歌謡曲は次第に「艶歌」「怨歌」「演歌」ということばが用いられるようになった。井沢八郎の「艶歌一代」(「ああ上野駅」のB面、1964年発売)。カラオケブームで昭和末期まで演歌のヒット曲は生まれたが、売り上げでは次第に衰退する。平成になると旧来の和製ポップスが「Jポップス」と呼んで若者たちに支持されるようになった。しかし新時代を迎え、ふたたび昭和歌謡の名曲をカバーする動きもみられる。また若者たちが好むアニメに演歌好きな女子が登場することもある。例えば村上巴(声:花井美春)「おんなの道は星の道」など。三山ひろし、山内惠介、福田こうへい、真田ナオキ、純烈など中堅演歌歌手のガンバリに期待したい。

 

 

 

2024年4月27日 (土)

クリフォード・ブラウン

 クリフォード・ブラウンはアメリカ出身の黒人ジャズ・トランペット奏者である。ブラウンの才能は早くから認められ、1954年にはブラウン・ローチ・クインテットを結成し、作品も多く残した。だが活動期間は僅か3年くらいで、1956年に自動車事故で早世する。「バーランドの夜」「いつかどこかで」「スターダスト」「煙が目にしみる」「ブルー・ムーン」「ジェニーの肖像」「慕情」「ローラ」。

2024年4月26日 (金)

さらば友よ

126841091490516103286    歌謡コンサートのラストは森進一「さらば友よ」。題名からアラン・ドロン&チャールズ・ブロンソンの映画を想起させる。70年代から80年代にかけて、洋画や小説と同名の歌謡曲が次々と作られた。映画の題名には著作権が発生しないので、そこから歌謡曲のタイトルにつけてもOKとなって阿久悠らがヒットを連発し、一大ブームとなった。弘田三枝子「人形の家」や奥村チヨ「終着駅」が嚆矢であろう。これらを俗に「借り物歌謡曲」というらしい。野口五郎「甘い生活」、山口百恵「禁じられた遊び」、桜田淳子「黄色いリボン」、伊丹幸雄「青い麦」、平浩二「バス・ストップ」(ママリン・モンローの映画は「バス停留所」、井上順「昨日・今日・明日」、堺正章「街の灯り」、小川順子「夜の訪問者」、城みちる「いるかに乗った少年」(ソフィア・ローレンの「島の女」主題歌)、アグネス・チャン「草原の輝き」、沢田研二の「勝手にしゃがれ」。「時の過ぎゆくままに」は「カサブランカ」のオマージュであるし、久保田早紀「異邦人」はカミュやシルクロードからインスパイアーされている。松田聖子「青い珊瑚礁」もブルック・シールズ主演映画。



2024年4月20日 (土)

佐川満男さんを悼む

 12日、歌手の佐川満男さんが死去した。享年84歳だった。現在は味のある脇役俳優と知られているが、スタートはアイドル歌手であり、デビュー曲は「二人の並木道」(昭和35年)。アメリカのヒット曲を日本語にカバーした和製ポップスが流行していた。昭和33年2月に渡辺プロダクションが日劇ウェスタン・カーニバルを開催したところ大成功を収めた。平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎がロカビリー三人男と呼ばれた。それに続く第二世代が清野太郎、飯田久彦、藤木孝、佐々木功、鹿内タカシなど。関西出身の佐川ミツオもロカビリーと流行歌をミックスした独特な節回しでヒットを連発した。「背広姿の渡り鳥」「太陽に向かって」「無情の夢」おりから各家庭にテレビが普及する時代で、音楽番組も多く佐川ミツオは引っ張りだこだった。歌手・佐川満男を再評価したい。

 

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