マネキンガールの話
世界的不況というが、近所の野球場跡地に大型ショッピングセンターができた。阪急百貨店が中心だが、ブティックなどの専門店も多い。日曜日、年の瀬の買い物客で賑わうが、やはりモードの主役はマネキンだ。
そもそも衣裳を着せて飾る陳列用の人形をマネキンと呼ぶが、これはフランス語の「マヌカン」に由来する。フランス語の「マヌカン」にするか、英語の「マネキン」にするか、論争があった。資生堂取締役の白川虔三は「マヌカン(招かぬ)よりマネキン(招金)の方が縁起がいい」と主張したのが言葉の始まりといわれる。マネキンの黎明期には、人形ではなく本物の女性がマネキンガールとなって立っていた。大正11年3月に東京で開かれた平和博覧会で、盛装した婦人を陳列所にたたせたところ大評判となった。ついで大正14年10月に上野公園で開かれた電気博覧会では東京電気会社マツダランプが小西道子、西村明子を窓飾美人としてマネキンガールにしたところ、大当たりとなったものである。商品を身に着けるマネキンガールの最初は昭和3年3月24日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会において高島屋呉服店が最初である。戦後昭和20年代まで販売促進員としてのマネキンガールは女性の憧れの職業の一つだった。



最近のコメント