理髪店の3色ポールの由来はむかし理容師が外科医を兼任していたから
中世ヨーロッパにおいて理容師はたいてい外科医を副業としていた。12、13世紀に俗人の間に無髯の風が流行し、理髪店も増加した。理髪店が医療も兼ねていたことから、当時盛んだった「瀉血(しゃけつ)」という治療のために静脈の血を抜くこともしていた。瀉血に使用したポールが血で染まるため、目立たぬように赤色に塗られていた。そしてそのポールは包帯を洗って干す棒として使われていた。そして店先に45度の角度で置かれていたことから、理髪店の目印となった。はじめ赤・白の2色であったが、やがて理髪店と外科医と分離したころから、青が加えられ、赤白青の三色のポールが1540年ごろフランスで登場した。イギリスでは1745年に、外科医の看板は「赤・白」に、理容師の看板は、「赤・白・青」と区別された。20世紀になって3色のクルクル回転する電飾の看板が世界中に普及した。日本では明治の頃、砂糖菓子の有平糖に似ていることから「有平棒」と呼ばれたが、昭和8年から今日のような電飾スタンド型サインポールが現れた。( barber poles,sign pole )


連続テレビ小説「おひさま」。真知子が父に「東京行きを許してくれなかったら、私、パーマネントします」と。パーマ嫌いの父は仕方なく許す、という設定。昭和14年、街に「パーマネントはやめましょう」の標語も登場し、電髪は華美で戦時下にふさわしくないとみられていた。戦後いっきにみんなパーマをしだした。モンペ姿からショート・スカートへ。髪は笠置シズ子や原節子、戦後の写真はみんなパーマだ。「美しくなりたい」と洋裁学校がはやった。昭和28年にはミス・ユニバースの伊東絹子の出現で「八頭身」という流行語が生まれた。昭和30年には落下傘スタイルのスカートの裾が大きく広がったスタイルが流行する。昭和36年にはシームレス・ストッキングが発売される。「♪ふりむかないで~」とザ・ピーナッツが歌う。そして昭和40年からミニ・スカートが大流行。
















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