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2015年3月20日 (金)

戦後の流行「ルーズソックス」

Artc9812024    連続テレビ小説「おひさま」。真知子が父に「東京行きを許してくれなかったら、私、パーマネントします」と。パーマ嫌いの父は仕方なく許す、という設定。昭和14年、街に「パーマネントはやめましょう」の標語も登場し、電髪は華美で戦時下にふさわしくないとみられていた。戦後いっきにみんなパーマをしだした。モンペ姿からショート・スカートへ。髪は笠置シズ子や原節子、戦後の写真はみんなパーマだ。「美しくなりたい」と洋裁学校がはやった。昭和28年にはミス・ユニバースの伊東絹子の出現で「八頭身」という流行語が生まれた。昭和30年には落下傘スタイルのスカートの裾が大きく広がったスタイルが流行する。昭和36年にはシームレス・ストッキングが発売される。「♪ふりむかないで~」とザ・ピーナッツが歌う。そして昭和40年からミニ・スカートが大流行。

   時代はとんで平成8年から仙台の女子高生が膝うえ丈のスカートにふくらはぎまでのダブダブにはいた白いルーズソックスを防寒用に考案。数年後、ミニスカの流行とともにコギャルたちの間でルーズソックスが広がっていった。ルーズlooseとは「だぶだぶの」の意味の和製英語で、欧米ではほとんど通用しない。しかし靴下そのもののルーツは1982年にニューヨークのエリック・G・スミスが「ブーツ・ソックス」(E.G.スミス社製)として販売されたもので、彼は、日本の女子高生のためにそんな靴下を作ったわけではなかった。老若男女がリラックスしてるはける靴下として売り出したのだが、1992年、日本市場に進出すると、あっというまに女子高生が殺到し、他の若男や、老男・老女は、はけなくなってしまったのである。とくに長さ60㎝、90㎝のものが人気であった。だが2004年頃になると「ダサい」「古い」「時代遅れ」と、流行は花火のようにアッというまに消えてしまった。

2014年10月23日 (木)

赤い唇

Plumplips_2  何世紀ものあいだ、女性は魅力を高めるためあらゆる努力をはらってきた。そしてもっとも効果的な方法は唇を真っ赤に染めることである。古代エジプトの女王クレオパトラの唇も赤かったであろう。口紅が赤い理由は、復活と魔除けのためと考えられる。そして現在でも赤い唇が魅力的であることに変わりはなく、マリリン・モンロー、アンジェリーナ・ジョリー、ミラ・ジョヴォヴィッチも赤いルージュがよく似合う。

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2014年2月20日 (木)

なぜイギリスでは理髪店のサインポールが2色なのか?

75870_160753560630023_3789678_n     理髪店の看板サインポール(正式にはバーバー・ポール)は赤白青の3色が世界共通である。だがイギリスでは赤と白2色の理髪店が多い。なぜだろうか。

 

 

 

Barbershoppast     近代以前の西洋では、理髪師が外科医も兼ねていて、理髪外科医と呼ばれていた。彼らは傷を治療したり、歯を抜いたり、そして血を抜く瀉血も行っていた。これは病気は悪い体液によって起こるとされていたからで、患者は棒を杖のように持ち、腕を固定し、理髪外科医は上腕の血管を切り、血を抜いた。血が棒につくのを目立たぬように赤色に塗られていた。その棒は包帯を洗って干すポールとして使われていたことから、理髪店の目印となった。はじめ赤白であったが、1745年、イギリスで理容師と外科医が別々のギルドになるとき目印のため青が加えられた。こうして理髪店の看板は赤白青になったが、中にはそれに反発し、赤白の看板をそのまま使う理髪店もいた。つまり、3色はイギリスでは定着しなかったが、1789年のフランス革命に登場した三色旗の影響でフランスの理髪店は3色のポールとなり、アメリカでは19世紀末の愛国心の高まりによって星条旗の青が加えられ、これが世界中に広まったといわれる。ただフランス国旗と同じ配色であることから、イギリスだけは3色が普及しなくなったと考えられる。(Barber Pole)

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2012年11月23日 (金)

石原姓はなぜ眉が濃くて太いのか?

5e8dada0   映画「白雪姫と鏡の女王」のリリー・コリンズの濃い眉が話題になっている。これまでハリウッドでもグィネス・パルトローやキルステン・ダンストのように薄い眉毛が美人の主流だった。かつて80年代はマーゴ・ヘミングウェイやブルック・シールズ、ジェニファー・コネリーのように太い眉の全盛時代もあった。日本でも戦後、生命力にあふれた新しい女性像を表現するため太い眉の女優が現れた。それまで日本では細くて薄い三日月眉が美人の典型とされていた。久我美子や北原三枝の登場で太い眉毛が社会的にも認知されたといえる。その後、80年代になってブルック・シールズの影響で、石原真理子、安田成美など太い眉のトレンディー女優が現れる。北原三枝は石原まき子となったが、なぜか石原姓には太い眉が多い。石原良純、石原さとみ、石原真理子、石原まき子。ムムム、不思議だ・・・。

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2012年4月19日 (木)

理髪店のサインポール

2304562684764anoldantiquebarbershop   中世ヨーロッパにおいて理容師はたいてい外科医を副業としていた。12、13世紀に俗人の間に無髯の風が流行し、理髪店も増加した。理髪店が医療も兼ねていたことから瀉血という治療のために静脈の血を抜くこともしていた。瀉血に使用したポールが血で染まるため、目立たぬように赤色に塗られていた。そしてそのポールは包帯を洗って干す棒として使われていた。そして店先に45度の角度で置かれていたことから、理髪店の目印となった。はじめ赤・白の2色であったが、やがて理髪店と外科医と分離したころから、青が加えられ、赤白青の三色のポールが1540年ごろフランスで登場した。やがて3色のクルクル回転する電飾の看板が世界中に普及した。日本では明治の頃、砂糖菓子の有平糖に似ていることから有平棒と呼ばれたが、昭和8年から今日のような電飾スタンド型サインポールが現れた。

( keyword;  barber poles,sign pole )

2010年11月23日 (火)

小百合の事物由来日記

  勤労感謝の日。パパと遊園地へ行ってきました。小百合のパパは小林旭のように格好いい男です。帰りにパパと電車に乗っていたら、パパが痴漢を捕まえました。暴れまわる痴漢に得意の回し蹴りでノックアウトさせ、駅員に痴漢を引き渡しました。でも痴漢と格闘したあと、パパの額を見ると、なにやら髪にズレが…。パパの秘密を見てしまいました。

    ところで鬘は英語で「wig」(ウィッグ)といいます。鬘の使用は古代オリエントにも見られ、エジプトでは鬘をつけたミイラが発見されています。この風習は古代ローマにもひきつがれ、たとえばオウィデウスは、現在のドイツ地方から輸入された金髪が鬘用としてローマの夫人に最も好まれたと記しています。17世紀フランスではルイ13世が自ら使用したことから、宮廷で男女ともはなやかに鬘をつけるようになりました。でもこのような風習もフランス革命以後は消滅するようになりました。

2010年3月21日 (日)

制裁より人権

    天に向かって吐いた唾は己に落下する。高校無償化をめぐり、朝鮮学校の実態が問題となって川端文科相は「高校の課程に類するかどうか」という口実をつけて、除外措置をとった。これまで全国の大学は朝鮮学校の卒業生に対して「高校を卒業した者と同等以上の力がある」としてきただけに、逆行しており、民族差別といわれてるのは当然である。実際に朝鮮学校除外という政策が拉致問題の解決に役立つのか疑問である。おそらく政府もそんな甘い見通しは持っていない。では国連の人権委員会の勧告を無視してまで何故この問題にこだわるのだろうか。拉致家族への配慮か。むしろ本質は、少数民族を差別して、国民の政府への批判の矛先をかわすことにあるとみている。これまでも近代日本国家はこの差別化の手法を繰り返している。関東大震災の朝鮮人虐殺がそうである。殺された総数ははっきりとわからないが、おそらく6000人以上とみられている。人権の尊重とは、憲法にある「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」とあるこのような過去に流された多くの血の歴史をふまえてのことである。そして前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。つまり、北朝鮮への制裁よりも、人権を重視するのが政治道徳の本道である。今回の朝鮮学校除外は憲法の理念に反する行為であり、高校無償化は朝鮮学校にも同様に適用すべきものである。

2010年3月 3日 (水)

高校無償化は民族差別なく

    高校無償化制度で朝鮮学校を除外するかどうかが焦点となっている。今年は日韓併合100年にあたる。政府は拉致問題や経済制裁を理由にしており、有本恵子さんのお母さんの「一律反対」の声のように、北朝鮮への感情的なものが大きいように思える。だが教育問題を政治の拉致問題と絡めて論議すれば、特定の民族だけを差別することとなり、人種差別に関わる大きな人権問題に発展するであろう。いまは日韓百年の歴史をふまえた冷静な判断が求められる。

    明治43年8月22日、韓国併合条約の調印が行われ、これをもって「大韓帝国」の名が消滅し、日本が昭和20年8月15日までの36年間にわたっての日帝36年が存在した。朝鮮に対して、あるときは土地や食糧の補給地として、さらに兵士の兵站基地として、朝鮮を搾取したことは明白な歴史的事実である。そして皇民化政策によって、日本語が公用語として教育された。敗戦後、在日朝鮮人は母国に引き揚げるよりも、そのまま日本に暮らしたいと思った人も多数いただろう。GHQは昭和21年11月に声明を出した。「現在、在日朝鮮人は約60万だが引き揚げを要請している者は総計僅かに7万5千に過ぎない。日本当局は朝鮮人には、どんな差別待遇もしないよう保障する言明を発しており、また占領軍当局は、こうした指令が完全に行われるよう常に腐心している。」とある。日本政府は在日朝鮮人に対して、いかなる差別もしない、と約束したのだ。歳月は経ち、為政者は戦後の経緯など忘れ、目先の政治情勢のみを優先する。だが戦後も日本の復興に尽くしてきた外国籍の人たちの子供たちに、いまの経済制裁は無関係な話である。朝鮮学校には北朝鮮だけでなく韓国の国籍の人も多くいる。南北分断は昭和25年の話で米ソの冷戦構造で生まれたものだ。そしてその元凶は日韓併合である。つまり日本に朝鮮学校があるのは日韓併合100年の結果であり、日本人がその責任をとるのは当然のことである。朝鮮学校を高校無償化から除外することは明白な人種差別にあたり、人権差別撤廃条約の「教育に関する権利の平等保障義務」に違反することになる。国連から差別改善の勧告を受けることは国際社会の一員として不名誉なことであり、日本が世界中から非難されることになる。国際社会で人種差別の日本に支持する国はなく、結局、日本は孤立化し、拉致問題の解決そのものにも逆効果となってしまう。

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