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2009年11月19日 (木)

裁判員の責務について考えさせられる

6 正義の女神テーミス

    本年5月21日からスタートした裁判員制度。今日で半年が経過した。ケペルは制度そのものをあまり理解していない。もし自分が裁判員に選ばれたら、仕事として公判に立ち会うことになる。被告人に対して質問ができるらしい。だが自分にはその責務がはたせるかどうか自信がない。

  今日の新聞に次の記事があった。仙台地裁で強姦致傷被告に対して裁判員が「むかつくんですよね」と声を荒げ、裁判長に制止されたという。ブロガーの意見をみると、「裁判員の気持ちがわかる」とか「率直な意見だ」という声が多いのが気になる。法律の知識のないケペルの常識の範囲内の意見では、法廷の場は厳粛であるべきで、いかなる凶悪犯であっても現時点では審議中であり、一方的な感情で威圧したり、脅しをかけて反省の弁を無理やり求めるたりすることが、裁判員の責務なのか疑問である。一般人の犯罪に対する憎悪の感情が顕わに表面化してよいならば、もはや公正な裁判ではなく、一般人によるリンチ刑になってしまう虞がある。裁判長は「このあたりで」と穏便にすまそうとしたのであろうが、どこまでの行為が審議のさまたげとなる行為なのかは知らないが、裁判員が「むかつくんですよ」と周囲の人に自分の感情を押しつける行為が認められるならば、公正な審判などできない。また裁判員には法律の知識は不要ですという謳い文句であるが、社会常識も不要なのか。事実認定と量刑について判断する場で、冷静さを欠き暴言の中で裁かれるということに強い憤りを感じる。いまの若者は「むかつく」とか「チョーむかつく」という言葉を平気で使う。法律の専門用語は難しくわかりにくいので、法廷の場でわかりやすい日常語を、というのが裁判員制度の一つの趣旨であるが、厳粛な法廷の場では適切ではないと考える。

2009年11月15日 (日)

政治家は健康管理は万全に!!

   谷垣禎一自民党総裁が15日午前9時20分ごろ、自転車が転倒して、顔を数針縫う怪我をされたというニュースを聴いた。今年、56歳の若さで急死した中川昭一さんといい、政治家は健康がまず第一と思う。岡田克也外相を今日テレビでみて驚いた。痩せていて顔色が悪い。多亡で十分な休養もとれないとは思うが、健康管理には十分に気をつけてください。

2009年11月 2日 (月)

変節漢

    もうはや今年も一年を回顧する季節になったが、やはり雑誌の休刊が相次いだことが印象的である。とくに総合オピニオン雑誌「諸君!」(文芸春秋)は6月号で休刊した。創刊は昭和44年6月という。たしかに総合誌はあまり若い読者はいないし、書き手も多くは亡くなり、近頃の大学の学者たちはあまり過激な論文はないように思える。そのため「論座」「月刊現代」そして「諸君」と消えていった。「諸君!」は「正論」と並んで保守オピニオン誌の代表誌である。休刊を惜しむ人、歓迎する人、さまざまであろう。わたしは政論に無関心であるが、そのむかし清水幾太郎(1907-1988)が「日本よ国家たれ、核の選択」(諸君1980年7月号)が掲載されたときは衝撃的であった。清水幾太郎といえば、何といっても戦後の「反基地闘争」「反安保闘争」などをリードした進歩的知識人の代表であった。「転向」「変節漢」などの声が聞かれた。だが思想の世界は、基本的にとどまるも良し、変転するも良し、一個人の自由であろう。

「日本も世界も猛烈な勢いで変っている。日本の高度成長にしても、終戦直後の日本人に想像もつかないことだった。・・・・Aの時点で言ったことと、Bの時点で言うこととは、同じことであろうはずはないですよ。隠居してしまえば別ですがね・・・・」清水はこのように言っている。それから社会主義国のソビエトが解体した。大国がもろく崩壊するのを初めて見た。凡人はあとで知る。清水クラスのインテリは先を読む。清水ほどではなくても、身近にいる全共闘世代も変節するのが得意だ。むかし館長を難癖をつけて攻撃しておきながら、30年後のいま自らがその職にいる。当人にはそれなりの理由づけがなされるのだろうが、端で見て知っている者にはどうにも官の無定見さが愚かしく思える。人生、隠居するのが一番である。

2009年10月12日 (月)

多元主義とアメリカ社会

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   バラク・オバマ米大統領がノーベル平和賞を受賞することになった。早すぎるという声もあるが、とりあえず、オバマ大統領、おめでとう。「核なき世界」にむけての行動にみんなが期待しているということであろうか。

   アメリカは、当初100万人といわれたアメリカインディアンの土地に、主としてヨーロッパからの移民によって開拓が進められた新興国である。ヨーロッパ諸国と比べて後進国であったアメリカが何故世界中で一番資本主義が発達した国となったのか。それは「人種のるつぼ」といわれるように、地球上のあらゆる人種・民族が混在する複合民族国家であることが大きな要因のひとつであろう。世界中からの移民によって建設した国家である。それが経済的にも、文化的にも、豊かさとダイナミズムとヴァイタリティをもたらした。アメリカの社会学者タルコット・パーソンズ(1902-1979)はそれを多元主義と呼んでいる。個人の進取の気性と、自由と、個々のイニシャティブ、つまりリベラル・デモクラシーの健全な発展が必要なのである。

2009年9月22日 (火)

国家と戦争

Img_0014 ホッブズ「リヴァイアサン」扉絵

  歌人というのは一般人より言語感覚に鋭いのだろう。道浦母都子の朝日新聞2009.9.13付論稿「国家戦略局、違和感ある政治用語一新を」は考えさせられるものがある。民主党新政権が作り出した新しい機関「国家戦略局」という名称が戦争を想起させるもので政治用語として適切でないという趣旨である。決して機関設立そのものへの異議ではない。単なる言葉だけの問題ではあるが、歌人ならではの意見であろう。同様の趣旨は朝日新聞の投稿欄「声」にもあった。国家は国家総動員法を想起させるとのことであった。しかし単に「国家」がいけないのであれば、「国家公務員」「国家賠償法」「国家補償」「国家法人法」などいくらでも使用例があり、一笑にふされるであろう。現在、地球上の民族は国家を一つの単位として国家を構成し、国権の発動する機関であるので、「国家」の政治用語としての使用に関しては全然問題がないといわざるをえない。

   しかしながら、歴史家の立場として考えてみると国家と戦争とは常につきまとうのも事実である。中世封建社会の変化により、ヨーロッパの各国では国王による中央集権化が進み、近代市民社会への過渡期にあたる絶対主義体制が成立した。16世紀におけるスペイン、イギリス、17世紀のフランスがその典型であるが、18世紀初めのスペイン継承戦争によりスペインが没落し、かわってオーストリア、プロイセン、ロシアが登場した。これら諸国はヨーロッパの覇権をめぐってたえず争いを続けた。とくに17世紀に覇をとなえたフランスは、たびかさなる戦争で財政難をおこし、18世紀後半に革命を起こすに至った。ナポレオン戦争後の19世紀のヨーロッパは、自由主義と国民主義、そして帝国主義へと移行した。近代化に遅れた日本も明治国家となって帝国列強に加わるようになる。そして日清、日露戦争に勝利する。

   歌人・与謝野晶子には二つ年下の籌三郎という弟がいる。明治37年秋、晶子は旅順に出征している弟に「君死に給ふこと勿れ」とよびかける詩を「明星」に発表した。「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとも何事か」と決然といいきった。非国民と非難されても、晶子は「少女と申す者は誰も戦争ぎらいに候」と答えたという。国家よりも肉親の情が大事であることはいつも世も変わりない。やはり「国家戦略局」は陳腐な名称である。

2009年9月17日 (木)

秋扇

Ougiaki

    77パーセントという高い支持率の鳩山内閣が始動した。新人議員、田中絵美子や福田衣里子の国会初登院姿もういういしい。4年前、小泉チルドレンの佐藤ゆかり、片山さつきを思い出す。夏の総選挙が終って、季節はもう秋。まるで使わなくなった扇がひっそりしまわれるような寂しさである。

  一夜明けて忽ち秋の扇かな
                  虚子

2009年9月10日 (木)

姦通罪と掠奪婚

   有島武郎(1878-1923)は大正12年軽井沢別荘で波多野秋子と情死した。有島の死は彼女の夫波多野春彦から姦通罪をもって脅迫されたことが、直接的原因とされている。ところで有島の代表作「或る女」のヒロイン葉子をスキャンダル記事で追い込む田川法学士夫人のモデルは鳩山一郎の母・鳩山春子(1863-1938)だといわれている。有島は社会主義高揚期にあって、ブルジョワとプロレタリアとで苦悩し、鳩山一族をブルジョワの代表して考えたのであろう。100年経っても日本一の政界の名家は健在だった。鳩山由紀夫の内閣総理大臣誕生の日が来るのは近い。ファースト・レディは鳩山幸。鳩山幸は上海生れの神戸育ち。「若みゆき」という名で宝塚歌劇団で娘役として活躍していた。退団後、渡米し、サンフランシスコでレストランを経営する日本人男性と結婚。ところが、その3年後に留学生・鳩山由紀夫と出会って不倫関係となる。2人はそのまま日本に帰国。つまり留学先のお世話になった人と奥さんを奪ってしまったことになる。いまだから掠奪婚ですませられるが、むかしでいう姦通罪である。あの有島武郎が心中におついめられた行為が、名家鳩山一族ならば許されるという日本社会がなんとも言葉にないものを感じている。

2009年8月13日 (木)

社会の木鐸

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    世の中に警告を発し、社会を正しい方向に導くというこの意味の言葉は、新聞の代名詞としてしばしば使われる言葉である。しかしながら最近の新聞を読んでいると、「社会の木鐸」というよりも「世論誘導」というような気がする。近頃の政権交代ムードはマスコミのあおりの結果であり、真の民衆の声からの革命とは無縁のものであろう。だが日本の歴史的な出来事がこれからはじまるのも事実であろう。如何なる結果になるにせよ静かに見守りつづけよう。どうせこの世は有為転変。つくられたものは変わっていくのだから。

2009年8月 4日 (火)

象徴天皇論と筧克彦

    敗戦後、新憲法の制定が問題になったとき、従来の神権天皇制をどうすべきかが争点となり、天皇制廃止論も一部にはあった。しかしアメリカの判断によって、新憲法は天皇主権・神権主義は否定しつつも、天皇という世襲的機関は、まったく政治的権力をもたない儀礼的役割をもつものとして認めることとなった。つまり象徴天皇制は主にアメリカの意向によるものとされているが、日本の憲法学者たちはいつごろから象徴天皇論を唱えるようになったのであろうか。新憲法制定には三宅正太郎、横田喜三郎、金森徳次郎ら憲法学者の名前が挙げられる。ところが戦前、美濃部達吉よりも優秀な人材として知られた筧克彦(1872-1961)の名前については今日では秘されることが多い。筧はドイツ留学時にキリスト教と出会い、帰国後、すでに大正初期から独自の古神道論を展開し、キリスト教の神と天皇制との融合を試みようとしていた。この筧克彦から貞明皇后はキリスト教に接したといわれる。その仲介となったのは関屋貞三郎の妻である関屋貞子である。また戦時中には吉田茂らのグループは敗戦を想定して、戦争放棄と天皇の象徴制を構想していたらしい。つまり筧の象徴天皇論は明確な形ではないものの、独自の神道哲学とヘーゲル哲学の融合から、天皇を非権力的な存在にしようとする戦前の思想がすでに国内にも存在しており、新憲法の「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という戦後の思想潮流へと帰一するのである。

2009年7月27日 (月)

ファースト・レディはトップモデルで歌手

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   フランス大統領サルコジは26日ベルサイユ宮殿の庭園内をジョギング中に身体の不調を訴え、ペリコプターで陸軍病院へ搬送された。サルコジの趣味はジョギングで、今月訪問先のニューヨークでもセントラルパークでジョギングをしていた。サルコジはセシリアと離婚したのちモデルで歌手のカーラ・ブルーニと結婚。18日に開かれた南アフリカ元大統領マンデラの誕生日を祝うパーティーで、ブルーニは自身のヒット曲「ケルカン・マ・ディ~風のうわさ」を歌った。パーティーにはスティービー・ワンダーやシンディー・ローパーなども出席していたが、サルコジ大統領の親米ぶりに夫人の内助の功ありということか。美しいファースト・レディー、今度は献身的な介護に務めるのだろうか。