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2009年11月 3日 (火)

僕の、世界の中心は、君だ

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    原題は「波浪注意報」。日本公開のタイトルは、スホ(チャ・テヒョン)が星空の下で二人の永遠を願うスウン(ソン・ヘギョ)に「これからは僕の世界の中心は君だ」と究極の愛を告白をする言葉からきている。もちろん片山恭一の小説「世界の中心で、愛をさけぶ」の韓国リメイク版。世間での評価は低いかもしれないが、巨済島(コジュド)の花が咲いている美しい景色を見ているだけで癒される。ソン・ヘギョのセーラー服姿ももう見られないだろう。

   スホとかスウンを漢字で書くとどんな字になる、とお互いに手のひらに書いて見る韓国ならではのシーンがある。スホという名前は韓国ではよくある名だ。「春のワルツ」もスホだった。「スーホの白い馬」にででくる「スーホ」はモンゴル人の名前にしては変だという指摘がなされたことがある。おそらく中国の本から漢音で訳したためである。韓国人名も漢字ありきで、それに韓国流の音がつく。漢語で「約束」は「ヤクソク」とほぼ日本語と同音になることはよく知られている。たが韓国語は日本語と同じウラルアルタイ語系に属しているものの、いくら聞いてもわからない。韓国のポップスを聴くと、なんとなくカンツォーネに近い感じがする。人名で「ソルミ」(女性名)など、イタリア人の名にあったように思う。韓国人が愛を告白することがストレートなのもイタリア人によく似ている。イタリアの艶笑喜劇が好きだが韓国のラブストリーも好きだ。同じ素材で各国が競作するのも国民性がでていて楽しい。

2009年11月 1日 (日)

文士夫人職業十二景

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原泉              吉行あぐり

   「文学時代」昭和5年8月号に「文士夫人職業十二景」というグラビアがあり、吉行エイスケ夫人の美容院、中野重治夫人の左翼女優、中河与一夫人の託児所所長、蕗谷虹児夫人の手芸教室、山田清三郎夫人の産婆、江戸川乱歩夫人の下宿女将など紹介されている。

  吉行あぐりの美容院はドラマ化されてよく知られている。中野重治夫人とは原泉(1905-1989)のことである。舞台女優としての活躍は知らないが、戦後日本映画での老婆役では一番の女優さんだ。「獄門島」「犬神家の一族」「悪霊島」「丑三つの村」「遠雷」など祖母、祈祷師、鬼婆などの役が多い。

    本名は原政野(まさの)、戦前は原泉子(はらせんこ)、戦後は原泉(はらいずみ)という芸名で活躍していた。

2009年10月30日 (金)

岸辺のアルバム

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  昭和49年9月、台風16号の影響で増水した多摩川が決壊した。3日間に民家18戸が流出した。この出来事に着想をえた脚本家・山田太一はドラマ「岸辺のアルバム」を描いた。これまで昭和40年代のテレビはホームドラマの全盛期であったが、妻の浮気という負の面とマイホームの喪失というインパクトのある二要素が物語の骨格となっている。家が川の氾濫で流されることは、タイトルバックで当初から視聴者に知らせている。つまりどのようにして平凡な家庭が崩壊していくかを予告しているのである。このドラマは名作としてあまりにも有名である。シナリオライターを目指すものには教科書のような筋の展開である。またキャスティングがこれ以上のものはありえないというほどの絶妙さがある。脇役も光っている。とくにヒロイン八千草薫の友人・原知佐子の存在は重要であろう。良妻賢母、そしておとなしい感じの八千草が竹脇無我と単なる話相手の友だちから浮気の相手へと一線を超えるには何かの契機が必要である。原は重い病気で入院している。八千草は見舞いにしばしば病院を訪れ、若い男性と交際していることを話す。すい臓ガンと死の宣告をされた原は最後に八千草に自分も浮気をしていることを告白する。相手はなんと大学生。別れの話を八千草にことづけて死んでしまう。その大学生は単なる金めあての遊びで八千草は女の人生の儚さを感じる。生きている間、もっと人間らしい自由な生き方をしたいと考えるようになる。内気で世間知らずな女性だけにかえって思い切った行動に走ることがある。このように話の展開が自然にはこばれている。その大学生を演ずるのは穂積ペペ。かえるの風邪薬で有名に子役タレント。青年になって「飛び出せ青春」では、ダメな高校生。そしてこのドラマではイカレタ大学生。そういえば村野武範も杉浦直樹の生意気な部下として出演している。そして「ずうとるび」の新井康弘。歌手デビューして3年目、歌手がダメなので女優に転身したばかりのカワイイ風吹ジュン、と脇役が見逃せない。

2009年10月27日 (火)

秋深き

    映画「秋深き」(池田敏春監督)を見る。園田競馬場とか近場の風景が楽しい。原作は織田作之助の短編。新婚まもない妻が乳がんで死ぬ話だが、お涙頂戴ものではなくて、そこは大阪の夫婦もの、「夫婦善哉」のような味をうまく映像で表現できている。八嶋智人と佐藤江梨子のコンビがいい。もちろん男性視聴者はサトエリをめあてに見るのだが、露出シーンを排除したことがかえって成功している。乳がんをあえて切除しなかったことは愚かしい行為なのだろうが、そのことは若い夫婦のいちずな愛が乳房に象徴されていていいシーンだ。佐藤浩市など大物スターが脇役で出演しているが、日本映画の今の底力を見たような気がする。

    織田作之助は最初の妻、宮田一枝を病気で亡くしている。一枝はカフェーの女給、映画のサトエリは一代でホステス。時代は現代に変更しているものの、原作者・作之助の体験も少しはうかがえるように思う。

2009年10月21日 (水)

「佐分利信」芸名の謎

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  佐分利信、本名は石崎由雄(1909-1982)。昭和5年、日活に入社し、翌年、島津元の芸名でデビュー。昭和10年に同じ年の上原謙(本名、池端清亮)と揃って松竹蒲田に入社。島津保次郎監督は自分と同じ苗字ではまずいということで、「佐分利信」と改名した。名前は箱根冨士屋ホテルでピストル自殺した駐華公使・佐分利貞夫に由来する(左利きの公使が右手にピストルを持っていたことから他殺の疑いもある)。また画家の「佐分真」に由来するともいわれる。このほか小津安二郎が川中島で雌雄を決した上杉謙信、武田信玄の両雄から1字ずつを上原謙、佐分利信に与えてライバル意識をかりたてたともいわれる。佐分利貞夫は昭和4年に、佐分真(1898-1936)も昭和10年に亡くなっているが、故人とどのような関係があるのか不明である。

2009年10月18日 (日)

八木保太郎

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    戦後、生活綴り方教育で知られた無着成恭の編集した「山びこ学級」は山形県山元村の新制中学校の生徒たちの作文集「きかんしゃ」がもとになっている。本書は未読だが、先日その話をもとにした映画「山びこ学級」(今井正監督)を見た。むかし見たように思うが、改めて見て感心した。シナリオがいい。とくにみんなで「トンコ節」を合唱するところが。おしつけの道徳教育ではなくて、生活の中で自ら問題意識をもつことの大切さを強調している。その教えがトンコ節のエピソードにあらわれている。芸者のお座敷ソングが当時流行っていた。田舎の子供たちもラジオで聞いて知らぬものはない。だがなぜ芸者は帯をとかねばならぬのか、どういった境遇なのか、考えてみよ。東北はむかしから貧しさから娘売りが流行った。戦後もまた娘売りがでているという。娘は都会にでてどうなるのか。そうするとこの流行歌にも東北の現実があらわれている。歌詞の意味をよく理解してみよう、ということだ。生活教育が映画の全編にみなぎっている。この映画はおそらく劇団民芸が舞台で先にやって好評だったので、映画化されたのだろう。主演は木村功だが、ほかにも滝沢修や北林谷栄など名優がずらり出演している。民芸では下元勉が青年教師を演じていた。シナリオは八木保太郎(1903-1987)という日本脚本界の大物である。満映時代からのベテラン脚本家の壮年時代、油ののった傑作なのだ。脚本とはこういうものだというお手本ともいえる。昨今、NHK連続テレビ小説の脚本が低下している。ただ面白そうな話をつなげただけでは人のこころにひびかない。いまの脚本家は登場実物のキャラクターを設定して、あとはキャラクターが自然に動き出す、などということをよくいう。デタラメな話だ。ドラマには1本筋の通ったところがないといけない。木村功の青俳時代のNHK「アイウエオ」(脚本・早坂暁)は明治百年を記念したドラマだったが内容もすばらしかった。ギャラクシー賞を受賞している。ドラマはシナリオが大切だ。

2009年10月15日 (木)

ラスト、コーション

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    1938年。日本軍の中国への圧力が高まり、香港に逃れた女子学生のワン・チアチー(タン・ウェイ)。香港の演劇部で、レジスタンスの学生クァン・ユイミン(ワン・リーホン)を愛するようになる。ワンはイー(トニー・レオン)をハニートラップ(色仕掛け)で暗殺する計画をもちかけられる。貿易商のマイ夫人と偽り、イーに近づく。しかし彼らの計画は失敗に終る。

    1942年の上海。あの事件以来、本格的にレジスタンス活動に身を投じたクァンは、上海大学に通うワンを訪ね、もう一度、イー暗殺への協力を頼み込む。再びマイ夫人に扮し、イーに近づいたワン。彼女の仕組んだ罠とも知らずに、二人は身体の関係を結ぶ。しかし、逢瀬を重ねるうち、彼女は本気でイーに惹かれ、彼もワンを愛するようになっていった。やがて、暗殺実行の夜。イーがワンを連れて宝石商を訪ねた時、クァンとその仲間が銃を構えているのを知っていたワンは、「逃げて」とつぶやいてしまう。間一髪、危機を脱したイーは、部下に命じて暗殺を企てた抗日グループを逮捕させる。その中にはワンの姿もあった。事実を知ったイーは「ワンを夜10時に処刑しろ」という命令を下す。

    映画「ラスト、コーション」はタン・ウェイの清楚と妖艶を見事に使い分けた演技によって国際的にヒットした。タン・ウェイ(湯唯)は、1979年10月7日、浙江省楽清市の生まれ。10代からモデルをつとめ、2004年ミス・ユニバース・コンテスト北京大会で5位に選出されたことで、芸能界入り。TV「警花燕子」(2005年)の主役を獲得、中国中央テレビの女優賞を受ける。ワン・チアチーの役は1万人の候補者からオーディションで選出された。「ラストコーション」の大胆な演技により、新しいセックス・シンボルとなったが、現在、中国当局によって事実上、芸能活動を干された状態にあるという。

ラスト・コンサート

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   男はかつては名声を得たピアニストだったが、いまでは愛も希望も失っていた。女は不治の病に冒されながら、残された人生を懸命に生きていた。男はうつむいてモン・サン・ミッシェルの海辺を歩いていた。軽やかな少女のハミングが聞えた。白いマフラーを海風になびかせて、栗色の髪にのせたベレー帽を飛ばされぬよう右手で頭を押さえている。「私はステラ。あなたは?」男は黙っていた。「ちょっと、あなたに聞いているのよ!お名前は?」「名前なんてない。誰もいないと思ってくれ」「あら、そう。つまり、透明人間ってわけね」「いい加減にしてくれ!俺に話しかけるな」ステラのすすりなく声がした。「リチャードだ」

   フランス北西部ノルマンディーにある祈りと癒しの聖地モン・サン・ミッシェルで偶然に出会ったリチャードとステラ。2人は絶望をかかえていたが、リチャードはぬかるみを見下ろしているのに対し、ステラは星を見上げながら希望を忘れなかった。

2009年10月10日 (土)

看護婦の日記

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    映画「看護婦の日記」(吉村廉監督)は太宰治の戦後第1作の小説「パンドラの匣」を大映が昭和22年に映画化した作品である。お話は終戦直後の高原の結核療養所を舞台に「ひばり」と呼ばれる若い患者(小林桂樹)と看護婦・竹さん(折原啓子)とマア坊(関千恵子)との淡い恋愛心理を描いている。結局、ひばりが思いを寄せた理想的な女性の竹さんは院長(見明凡太郎)と結婚し、哀しい思いをする。映画は青年の淡い悲恋として淡々と明るく描いている。原作の太宰の小説はもともと仙台の新聞「河北新報」に連載されたものだが、オリジナルは昭和18年に木村庄助の闘病日記をもとにして書き下ろした「雲雀の声」である。昭和19年に印刷に廻されたが空襲のため本屋が全焼し、ついに日の目を見なかった。その時、残ったゲラ刷りをもとにして戦後「パンドラの匣」として発表した。太宰は「この小説は健康道場と称するある療養所で病ひと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛てた手紙の形式になっている。手紙の形式の小説は、これまでの新聞小説には前例が少なかったのではなからうかと思はれる。だから、読者も、はじめの四五日は少し勝手が違ってまごつくかも知れないが、併し手紙の形式はまた、現実感が濃いので、昔から外国に於いても日本に於いても、多くの作者に依って試みられて来たものである。パンドラの匣といふ題に就いては、明日のこの小説の第一回に於いて書き記してある筈だし、此処で申し上げて置きたいことはもう無い。甚だぶあいそうな前口上でいけないが、しかしこんなぶあいそうな挨拶をする男の書く小説が案外面白い事がある」と宣伝している。

   映画に若い看護婦役で出演した関千恵子は「大映ファン」という雑誌のインタビューで三鷹の太宰治の家を訪問している。映画「看護婦の日記」は太宰本人も見たことと思う。今となっては貴重な1本である。開けてはならぬ口の封印を切り、人間世界の災禍がでたが、底に芥子粒ほどの小さい光る石が残っていた。その石にかすかに「希望」という字が書かれていたというギリシア神話に由来する。終戦直後という時代背景を考えると、太宰は読者に戦争の災禍にあっても明るい希望をもって書いたように受け止められる。

2009年10月 8日 (木)

深く静かに潜航せよ

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   戦後十数年たつと日本やアメリカでは戦争映画が盛んに作られた。「深く静かに潜航せよ」(1958)はクラーク・ゲーブルとバート・ランカスターの共演が見所である。1958年というと「若き獅子たち」(エドワード・ドミトリク監督)、「突撃」(スタンリー・キューブリック監督)、「人間の条件」(小林正樹監督)などがある。戦争映画は二種類に分かれる。戦争のもつ非人間性を告発した反戦映画と攻防戦や飛行機、戦車、軍艦などのアクション映画である。「突撃」や「人間の条件」が反戦映画なら、「眼下の敵」(ディック・パウエル監督)などは潜水艦と駆逐艦の攻防を描いた戦争アクションの代表作であろう。この「深く静かに潜航せよ」も「眼下の敵」の路線をねらった作品であろう。第二次大戦の豊後水道は日本海軍が太平洋へ出る重要な海域である。ここで昔、リチャードソン艦長(クラーク・ケーブル)は駆逐艦アキカゼに潜水艦を撃沈され、多くの艦員を戦死させてしまった。いつか駆逐艦アキカゼに復讐しようと考えていた。潜水艦ナーカに乗ってリチャードソンは豊後水道に向かう。軍の命令に違反して、駆逐艦を攻撃する。副官ジム(バート・ランカスター)や艦員らと対立する。日本の駆逐艦との攻防戦はいつもながらスリルがあるが、57歳のゲーブルはさすがに往時の精悍さは欠く。ともかく潜水艦の緊張感は映画で十分に堪能できる。

2009年10月 6日 (火)

ハリウッドのキング

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   生前クラーク・ゲーブルはこう言っていた。「ぼくが死んだら、墓石にこう書いてください。‘自分の幸運を知っていた幸運児、ここに眠る’と」クラーク・ゲーブル。生まれは1901年オハイオ州カディス。父はドイツ系移民で油田鉱夫。生後7ヵ月で母を失い、苦学して多くの仕事を転々とした。その後、彼は「ハリウッド オブ キング」と呼ばれる大スターになったが、愛妻キャロル・ロンバードを飛行機事故で失い決して幸運な人生ではなかった。爽快さのゲーリー・クーパー、重厚さのクラーク・ゲーブル、天下の人気は二分したが、クーパーに比べると作品的にも恵まれなかった。だがクーパーに勝るとすれば、それは共演女優の豪華さであろう。西部劇中心のクーパーの相手役は地味な女優が多いが、クラークはジョーン・クロフォードをはじめトップ女優がズラリと並んでいる。ノーマ・シアラー(自由の魂、不思議な間奏曲、愚か者の楽園)、バーバラ・スタンウィック(夜の看護婦、スピード王)、グレタ・ガルボ(スザン・レノックス)、ジーン・ハーロー(紅塵、春の火遊び、支那海、妻と女秘書、サラトガ)、キャロル・ロンバード(心の青空)、ヘレン・ヘイス(ホワイト・シスター)、ジョーン・クロフォード(暗黒街に踊る、笑う罪人、蜃気楼の女、ダンシング・レディ、奇妙な積み荷)、クローデット・コルベール(或る夜の出来事)、マーナ・ロイ(白衣の騎士、男の世界、妻と女秘書、テスト・パイロット)、ジョン・クロフォード(私のダイナ、空駆ける恋)、コンスタンス・ベネット(或る夜の特ダネ)、ロレッタ・ヤング(野性の叫び、市への鍵)、ジャネット・マクドナルド(桑港)、マリオン・ディヴィス(スタアと選手)、ヴィヴィアン・リー、オリヴィア・デ・ハヴィランド(風と共に去りぬ)、へディ・ラマー(同志X)、ロザリンド・ラッセル(ポンペイの出逢い)、ラナ・ターナー(無法街、何処かで君をみつける、帰郷、叛逆者)、グリア・ガースン(冒険)、デボラ・カー(宣伝屋)、エヴァ・ガードナー(栄光の星の下で、モガンボ)、ジーン・ティアニー(私を離さないで)、グレース・ケリー(モガンボ)、スーザン・ヘイワード(一獲千金を夢見る男)、ジューン・ラッセル(たくましき男たち)、エリノア・パーカー(ながれ者)、イヴォンヌ・デ・カーロ(南部の反逆者)、ドリス・デイ(先生のお気に入り)、キャロル・ベーカー、リリー・パルマー(僕は御免だ)、ソフィア・ローレン(ナポリ湾)、マリリン・モンロー(荒馬と女)

   こうして共演者たちを並べてみてもハリウッド女優史1930-50代になるだろう。こんな彼の人望を物語る晩年のエピソードがある。エリザベス・テーラー、モンゴメリー・クリフト主演の「去年の夏突然に」(1959)のプレミア・ショーのはねたあと、スターたちが行きつけのレストランにぞろぞろ集まった。その時の最良の席は、本来ならその夜のヒロイン、リズのためにリザーブされてしかるべきだが、そうではなくてクラークのために用意されていた。彼女とても文句はない。やがてクラークが来店すると、リズはもとより、ゲーリー・クーパー、オードリー・ヘプバーン夫妻、ロック・ハドソン、ダニー・ケイなど、錚々たるスターたちが立ち上がって敬意を払ったという。キングの面目躍如たるものがある。彼女たちは冗談ではなく、彼のことを、キングと呼んでいたし、クラークもそう呼ばれてもテレもしなかった。

2009年9月27日 (日)

オスカー授賞は拒否できないのか?

    アカデミー賞でいつも話題になるのはオスカー拒否問題だろう。最初に物議をかもしたのはジョージ・C・スコットだろう。「ハスラー」(1961)で助演賞でノミネートされた際に、「俳優は競いた合うべきではない」と表明してこれを拒否した。その後、「パットン大戦車軍団」(1970)で主演賞を受賞した際にもオスカーを受け取らなかった。しかし現在、アカデミー賞一覧などを見ると授賞したことになっている。スコットに与えられたオスカー像は、いったん「パットン大戦車軍団」の製作者であるフランク・マカーシーに渡された。のちにスコットの承諾を得て、パットン将軍記念館に寄贈された。「ゴッドファーザー」(1972)で主演賞を受賞したマーロン・ブランドーも「インディアン問題に抗議するため」という理由でオスカーを拒否したが結局代理受理している。

2009年9月23日 (水)

「四月の雪」と「乱れ雲」

   旧聞になるが、ペ・ヨンジュンの「四月の雪」(ホ・ジノ監督)を見て、ふと思った。この話は成瀬巳喜男監督の「乱れ雲」に似ていると。雪と雲の違いだけだ。否、「四月の雪」は交通事故者のお互いの配偶者の愛だが、「乱れ雲」は加害者と被害者の未亡人という相違はある。このため日本側は韓国に抗議しなかったのか。あるいはヨン様ファンの多い日本女性に配慮したのだろうか。

    外国の盗作疑惑は他にもある。ディズニーの「ライオンキング」は手塚治虫の「ジャングル大帝」によく似ている。「鉄腕アトム」は海外で知られているのだから、パクリの可能性は高い。ジャングル大帝はアニメ化される以前から、子供たちには貸し本屋で一番人気の漫画だった。あまりに堂々とした盗作を見逃しているようでは、国際的にバカにされるだろう。虫プロはなぜディズニーを訴えなかったのかいまだに謎である。

2009年9月22日 (火)

連続ドラマの終わり

   NHK連続テレビ小説「つばさ」もいよいよ最終週「二度目の春」が放送されている。蔵造り通りに戻った老舗和菓子屋「甘玉堂」、ラジオポテトも川越キネマの場所に残ることができた。つばさの周りの人々もそれぞれの道を歩んでいる。翔太、真瀬も新しい道を探した。だがつばさと加乃子の問題だけが残されていた。ラストでつばさがどのようにはばたくのか…興味が残されている。でも脚本家やプロデューサーのいう「泣けて笑えるドラマ」というふれ込みではあるが、泣くことも笑うこともできないドラマだったような気がする。それに比べて韓国ドラマ「空くらい地くらい」(BS朝日で放送中)は140話を超えてますます内容は膨らんでいく。ムヨンの実母ジンスクとジス(ハン・ヒョジュ)が対面する場面。ジンスクはジスに赤ん坊の時のムヨンの産着や育児日記を渡す。手形と足形がある。「あなたは大切な存在」という回の挿話だが、感動的なシーン。ムヨンは自分が捨てられたと思い悲しんでいた。この話は少し「つばさ」とも共通する。「空くらい地くらい」では具体的にグッズで母の愛情を表現してくれた。それを受け取ったジスはムヨンに見せて、ムヨンは「俺がまた落ち込んだとき、そんなことは無いと思うけど、そんなときまた見せてくれ。それまで預かってくれ」という。ジスも軽くうなずく。このような何気ない会話がいい。もちろん韓国ドラマなので主役のパク・ヘジンとハン・ヒョジュのラブラブがイイ感じでないとドラマは成り立たない。「つばさ」は多部未華子と翔太、真瀬との愛情関係に距離があり、恋愛未満だったことがドラマが盛り上がらない一番の要因であろう。多部未華子は清楚ないい女優だと思うが、今後女優として一皮むけてほしい気がする。

2009年9月 2日 (水)

見るべき程の事は見つ

   NHK連続テレビ小説「つばさ」。斎藤(西城秀樹)が川越を去る。つばさ(多部未華子)は加乃子にDJをさせることを思いつく。そんな時、ラジオ-ぽてとのメンバー、伸子、ロナウ二郎、浪岡たちもそれぞれの目的で去っていくという。物語りも終盤に向かっていく。「見るべき程の事は見つ」平家物語の新中納言、平知盛の最期の言葉だ。「見届けなければならないことは見終えた」だがこの後に続く言葉がある。「今は自害せん」と言って、知盛は入水するのだ。「平家物語」を知るものには、この言葉はいささか重すぎてあまり楽しめない。つまりこれは脚本家や演出家たちの視聴率が取れない達観からきた言葉なのかもしれない。あるいは視聴者たちもドラマ「つばさ」に対して「見るべき程の事は見つ」という気持ちかもしれない。「つばさ」はハートフル喜劇か悲劇か知らないが、最後のドンデン返しを待つしかない状況だ。

2009年8月31日 (月)

テレビ開局56年

Img_0013 「赤ちゃん誕生」昭和41年 松方弘樹 小林千登勢

   日本テレビは昭和28年8月28日に開局し、先日56周年を迎えた。30日の日曜日の夜。「24時間テレビ」加山雄三の「サライ」が流れるなか、放送内のゴールが絶望的でも雨の中を懸命に走るイモトアヤコ。その画面の隅には民主党の当確と自民党大物の落選確実。NHK大河ドラマでは徳川家康(松方弘樹)が北の政所(藤純子)を巧みに取り込む陰謀。テレビはベテランの実力派の活躍とともに絶えず新しいタレントも生まれている。それにしても126.585㎞を完走したのは立派だ。朝ドラ「つばさ」は作りものなので万理の完走に感動はなかったが、イモトはトレードマークの濃い眉毛が雨で無くなり、本当の彼女の姿がみえたような気がする。

2009年8月22日 (土)

ドラマの中では秀頼は誰の子か?

    淀殿は文禄2年、豊臣秀頼を産む。このとき秀吉は57歳。しかも秀吉には正室北政所ほか多数の側室に子ができなかったことから、当時から秀頼は秀吉の実子ではないのではないかという噂は存在していた。事実は謎であろうが、ドラマ上ではどうなっているのだろうか。大河ドラマ「功名が辻」(2006年)では永作博美の淀殿が好演で、中村橋之助との愛欲の場面もかなりあったように記憶する。現在放送中の「天地人」で深田恭子・淀殿は永作博美のような驕慢なところがなく、おっとりした姫君にみえる。これからどのように変化するか見ものであろが、小栗旬の石田三成との男女の交わりがないように見える。「天地人」はかなり歴史に忠実に作っているので、秀頼は秀吉の実子としているのであろうか?。それにしては笹野高史との寝所の場面がないので、見ているものには秀頼が誰の子か、今ひとつはっきりしない。

2009年8月16日 (日)

結ばれない永遠の愛

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   ローマ歴訪中のアン王女は、こっそり宮殿を抜け出して新聞記者のジョーに出会う。お互い身分を隠して、知らず知らずのうちに恋におちていく2人。絶対に結ばれないとわかっているからこそ盛り上がる愛もある。「永遠のローマ」という言葉がある。「ローマの休日」は結ばれない愛であるから、「永遠の愛」なのかもしれない。

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「ローマの休日」で人気沸騰し、ライフの表紙を飾ったオードリー・ヘプバーン。珍しいセクシー・ショット。

2009年8月11日 (火)

烙印の堕天使たち

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    昭和11年というのはニ・ニ六事件が起こった年である。しかし同じ年の5月18日に起きた阿部定事件のほうが国民の関心は遥かに高かった。平成21年夏。総選挙を控えた8月2日夜10起こった酒井法子の6日間にわたる逃走劇も日本国内はもとよりアジア諸国にも関心の高いニュースとなった。阿部定が細面の美人と報ぜられ、日本中がその話題でもちきり。大阪駅にいた、横浜に飛んだ、いや広島だ、仙台だとデマの嵐。今回の酒井法子の場合も、身延山にいる、摩周湖で自殺した、いや宗教団体に匿われている、など怪情報が錯綜した。

    阿部定逮捕の様子はこうである。高輪署の安藤部長刑事は管内の旅館をしらみつぶしに調べた。「お定さんだね」女はこっくりうなづいた。もう逃れられないと覚悟して「夜になったら死ぬつもりでした」と語った。「例のものはどうした」と聞くと、定は帯の間から、ハトロン紙包みをとり出し、それを大事そうにみせただけですぐにしまい込んでしまった。酒井法子の場合は文京区にある警視庁富坂庁舎に親族と弁護士を伴って出頭、逮捕された。だが6日間行方をくらましていたため、尿検査から陽性反応は出なかった。自宅から発見された覚醒剤もごく微量であるため、不起訴になる可能性もある。なかなか知能犯である。

    なぜ国民的アイドルが覚せい剤にはまったのだろうか。「人間が変わったのではない。人間とは元来そういうものであり、変わったのは世相の上だけのことだ」と坂口安吾が「堕落論」で述べたように、世相、つまり覚せい剤がここまで広がっているという恐ろしい現状なのだろう。酒井法子も38歳。80年代女性アイドルたちもみな40歳前後なのだ。南野陽子、斉藤由貴、芳本美代子、菊池桃子、中山美穂、西村知美。昭和61年4月8日、岡田有希子が突然サン・ミュージック事務所のビルから飛び下り自殺し、世間に衝撃を与えた事件から23年が経つ。岡田有希子は永遠に18歳の清純な乙女のままだが、生き残ったアイドルたちはユッコの背後霊を背おって生きていかなければならない運命にある。アイドルに潜む心の闇の部分は誰にもわからない。

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2009年8月10日 (月)

人気スター前歴しらべ

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  俳優になる前、さまざまな経験をしているスターも多い。男優はフットボール、プロレス、ボクシングなどスポーツ関係が多い。ジョン・ウェイン、リチャード・ウィードマークはフットボールの選手だった。カーク・ダグラスは本名をハサー・デニロビッチ・デムスキーといい、貧しいロシア移民の子で、売れない時代プロレスラーだった。ウディ・ストロードもプロレスラー。ラフ・ヴァローネはトリノ大学時代、国際的なサッカーの選手として鳴らしていた。ロバート・ライアン、ジャック・バランス、リノ・ヴァンチュラはプロ・ボクサー、マイケル・ランドンは槍投げ。ユル・ブリンナーは空中ぶらんこ。ピーター・オトゥール、アラン・ラッド、コーネル・ワイルドは新聞記者。リチャード・ベースハート、ロナルド・レーガンはラジオのアナウンサー。マルチェロ・マストロヤンニは家具職人。ロック・ハドソンは郵便配達夫。ショーン・コネリーは棺桶みがき。ロバート・レッドフォードは画家志望。グレゴリー・ペックは学生時代ボート部に在籍していたが1938年のレガッタに出場して背中を痛めたため兵役を免除された。出征で男優がいなくなっていた映画会社からハンサムなペックが注目されてスターの道を歩む。最近では「ハムナプトラ2」「スコーピオン・キング」のザ・ロックのように映画俳優の合間にプロレスを続けてやっているスターもでている。

第二のジェームズ・ディーン俳優の現在

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パトリシア・ゴッジとディーン・ストックウェル

    第2のジェームズ・ディーンと騒がれた青春スターは多数いるがその後どうなっただろうか。ディーン・ストックウェルは1936年生まれの73歳。「息子と恋人」(1960)や「かもめの城」(1965)でスターとなった。「アンネの日記」のミリー・パーキンスと結婚したが、その後あまりパッとした活躍はなかった。ウィキペディアの項目にその名前は無いだろうと思ったが、あった。なんと彼は80年代に入りデビィッド・リンチ監督作品に出演し、名脇役としての地位を確立して現在も活躍している。もともとハリウッドの名子役で「錨を上げて」(1945)や「紳士協定」(1947)などの名作にも出演しているディーン・ストックウェルは息の長い役者人生を送っていた。

   クリストファー・ジョーンズは日本ではよく知られた二枚目俳優である。ジェームズ・ディーンの再来といわれた。映画「ライアンの娘」は公開当時イギリスやアメリカでは巨匠デヴィッド・リーンへの過大な期待から酷評だった。しかし日本では好評だった。なかでもイギリス将校ランドルフに扮するクリストファー・ジョーンズは女性の心を鷲づかみにした。ところが彼はその後、忽然と姿を消した。何十年たってようやく舞台の端役をしている情報が入った。そして日本未公開の映画にも出演している。クリストファー・ジョーンズの失踪はいまだ謎に包まれている。おそらくピア・デゲルマルクとの恋が関係していると想像したい。2人は「鏡の国の戦争」や「さよならを言わないで」で共演している。当時2人の恋の噂はあった。だがピアは貴族と結婚し、離婚。拒食症となり、同じ病気の人を救う目的で基金を設立したが使途不明金、虚偽申告で訴訟問題へと発展。私財が無くなり、薬物中毒となり投獄される。そのようなピアの没落人生のため、人生に悲観したクリストファー・ジョーンズも映画界から離れたのではないだろうか。現在67歳。ディーン・ストックウェルのように再起されることを願う。

Img_0010 ピア・デゲルマルク

   クリストファー・ジョーンズの生い立ちを紹介しよう。1941年8月18日、アメリカ、テネシー州ジャクスンに生まれた。3歳の時に母を亡くし、それから後11年間をメンフィスの孤児院で過ごした。ハイスクールを卒業後2年間の軍隊生活を経てニューヨークのYMCAで暮らした。ここで始め画家を志して勉強をしたが、のちに俳優志望に転換、有名なアクターズ・スタジオに学んだ。そしてニューヨークの舞台で様々な端役を演じ、それからハリウッドに行ってTVシリーズ「西部の流れ者ジェシー・ジェームズ」に出演。この好演によって映画「青春の海」(1967)でデビュー。その醸し出す孤独感、憂愁を含んだ眼差しは女性のハートを大いに揺さぶった。私生活ではアクターズ・スタジオの校長の娘スーザン・ストラスバーグ(「女優志願」)と結婚するも、離婚した。その陰にはピア・デゲルマルクとの恋があったと推測する。

主要出演作品「青春の海」(67)「熱い肌」(68)「狂った青春」(68)「鏡の国の戦争」(68)「さよならを言わないで」(70)「ライアンの娘」(70)「マッド・ドッグズ」(1996)「ユーガット・サーブド」(2004)

2009年8月 9日 (日)

ジェーン・バーキンという女性

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   新聞でジュリエット・グレコの来日公演の広告を見る。1950年代、サルトルの実存主義のミューズといわれた彼女は、現在82歳だがお元気だ。グレコは映画「悲しみよこんにちは」にも出演し、主題歌も歌っていた。主演のジーン・セバーグ(1938-1979)は40歳で早死にしたが、実はアメリカの女優だった。1960年代に活躍した「太陽がいっぱい」のマリー・ラフォレ(69歳)や「ガラスの墓標」のジェーン・バーキン(62歳)も元気に活躍のようすだ。最近の彼女を雑誌で見て少し驚く。でもスレンダーな体とジーンズはやっぱりジェーン・バーキンだ。ジェーンは今年のカンヌ映画祭で話題作「アンチキリスト」で主演女優賞を受賞した。女優、歌手、脚本家。そして「冬の子供たち」で作詞家でデビューしている。セルジュ・ゲンスブールとの間にできた娘シャルロット・ゲンスブールは人気女優(「なまいきシャルロット」)だ。自由奔放の自分流スタイルで幸福をつかんだジェーン・バーキンの生き方は素晴らしい。そして彼女が大原麗子と同じ年ということにフランスと日本の文化の違いを感じる。

2009年8月 7日 (金)

「さよ」という女

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   女優の大原麗子さんが3日に亡くなられた。長い闘病生活と一人暮らしのため、死亡後、数日経過して発見されるという悲しいニュースである。若い頃の東映時代はおきゃんでお転婆というイメージだったが、テレビで愛らしい美女へと変身した。その後、映画へ戻ると「セカンド・ラブ」「居酒屋兆治」「おはん」、大河ドラマ「春日局」など大女優としての道を歩む。とくに「居酒屋兆治」の「さよ」という儚く病弱な女性は彼女のイメージと重なる。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2009年8月 3日 (月)

連続テレビ小説「つばさ」を最後まで応援します

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   今日、本屋で「NHKステラ」のカレンダー・カードをゲットした。多部未華子の写真の顔が心なしか沈んでみえる。視聴率が一向に上昇しない。4月スタートは17.7%だったが、15.9、16.0、14.0と5月、6月は推移し、7月の前半の山場を迎えても13.8、「嵐の中で」14.2、「さよならおかん」14,4、「二十歳の夏の終わりに」13.2であった。先週は長瀞ロケで斉藤由貴が再び登場したのに、逆に下がっている。今週「太陽がいっぱいだ」で再びラジオポテトにもどるヒロインつばさだが視聴率が上昇する機運はなさそうだ。多部未華子の熱烈なファンは別にして一般視聴者から不評であることは逃れようもない事実である。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」のようなホームドラマというふれこみであったが、暗い話が多くて、つばさや翔太も元気がない。この企画は昨年の「篤姫」ブームの影響がNHKサイドにあったようだが、宮崎あおいのようなメリハリのある演技ならばもうすこし明るいコミカルな雰囲気になったろうが、多部未華子という魅力ある素材を生かしきれなかったことが悔やまれる。多部はバレエが得意なようで、身のこなしの美しさがある。なにより素顔のままの美しさと聡明さが魅力である。いわゆる芸能人らしさがないことが最大の魅力で朝ドラのヒロインとしてはふさわしい女優であっただけに作品的にめぐまれなかったことは残念である。もちろん将来のある女優さんであるので、NHKで大ブレークして固定したイメージがつくよりも長い女優人生を考えた場合、朝ドラ大コケのほうがよかったということもありえるように思う。韓国のドラマのように不評なら中止ということがないので、ともかく安心して最後まで「つばさ」を応援することにする。

2009年7月18日 (土)

今後の展開が気になる朝ドラ「つばさ」

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   今日放送の連続テレビ小説「つばさ」で、真瀬(宅間孝行)はみちるに問いつめられて、つばさへの愛を白状した。偶然それをつばさに聞かれてしまう。来週から放送の「さよなら、おかん」ではつばさは、ラジオぽてとを飛び出し、旅にでるらしい。翔太との愛も破局し、真瀬の愛も受け入れ難く、現実逃避したのだろうか。このドラマは多彩な登場人物がありながら、ひとりひとりの人物の内面性があまり描かれていないような気がする。とくに感ずるのはホームドラマでありながら、男性の弱さが誇張されすぎている。玉木竹雄(中村梅雀)は臆病でいつも泣いてばかりいるし、大谷翔太(小柳友)、弟の知秋(冨浦智嗣)、鈴本スーパーの俊輔(三浦アキフミ)など気弱な感じがする。いまはやりの草食系男子かもしれないが、ドラマを平板にしているように思う。逆に女優陣は高畑淳子、手塚理美、山本未來、松本明子など元気溌剌としている。とくに手塚さんはいつもの彼女のイメージよりも気の強い女性を演じている。今の時代の家族のあり方を描いているそうだが、それが現実であるからかえって笑えないのかもしれない。これほど笑えないコメディーもめずらしい。たとえば突如画面に現われる加乃子のサンバ・チームや殺虫剤のCMなども何故か笑えない。子どもを残して家出したという現実があるからだ。竹雄が玉木家の職人になる前の過去も暗いものがある。翔太の怪我もサッカー選手としてかなり致命的なものらしいので前途は多難である。友人の万理(吉田桂子)の翔太への愛も断ち切れないものだろうが、心の傷となっているはずだ。知秋の万理への片想いもかなわぬ恋におわる公算が高い。小料理屋「こえど」の麻子(井上和香)の恋も実らなかった。登場人物それぞれが重い荷物を抱えているホームドラマは楽しくない。「つばさ」が評判が悪いのは、にぎやかで楽しい家族のようにみえながら、玉木家がいいしれぬ暗さ、いまわしい過去のようなものをひぎずりながら生きているからである。よく例にあげられるが「シェーン」という映画は、なぜいつまでも人気があるかというと、それは西部劇やアクション映画ではなく家庭劇だからだ。監督のジョージ・スチーブンスは家庭劇の得意とする監督である。アラン・ラッドとヴァン・ヘフリンの男達が力を合わせて大木の根を除去するシーン。ジーン・アーサーが夕餉の支度をするシーン。アメリカの平凡な開拓者の家庭を叙情的に描いている。男や女の強さを描いている。つばさにも韓国ドラマのジス(ハン・ヒョジュ)ほど果敢に現実問題と格闘する姿勢は見られない。ジスはこれからムヨンとの愛を獲得していく。つばさは自らの行動で愛をえるかどうか期待したい。

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2009年7月17日 (金)

えぇ・・・朝ドラ「つばさ」は真瀬と結ばれちゃうの?

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   NHK連続テレビ小説「つばさ」の視聴率は低迷を続けている。それでもヒロイン多部未華子ちゃんのファンは辛抱して見続けているはず。多部ちゃんは何も今さら朝ドラのヒロインにならなくてもいいクラスの女優だった。新人の女優であれば、脚本がまずくても有名になることで女優としてのスタートがきれる。多部の場合はこれまでが順調だっただけに、あの脚本、演出では可愛そうな気がする。先日、駅前の大銀行に行ったとき、昼どきでロビーでは朝ドラの再放送。だがいつもなら大勢が視聴しているのに、なんと誰もテレビを見ていない。ハイビジョンの大型テレビ。ゆったりとしたソファー。銀行内は混雑している。しかし待っている人は雑誌を読んだりして、テレビを見ようとはしない。史上最低の朝ドラと酷評され、「小江戸」川越の人も呆れる下品なドタバタ劇、脈絡のないドラマの展開、寒イボの出るギャグの数数、NKNにはドラマの内容に関して苦情が多いという。でも諦めずに毎日見ている。なんと、今日の放送で大展開があった。台風が川越に接近する中、つばさは河川敷に住む翔太の父親を心配して行くが、あべこべに川に溺れる。足の悪い翔太はつばさを助けることができない。と、その時、真瀬が突如現われ、つばさを救出し、唇を奪う。つばさの手から翔太との想い出のストラップが落ちたのは、二人の将来を暗示しているようだ。真瀬はみちるに愛を告白されていたが、つばさのことが好きなようだ。娘の優花もつばさをお母さんのように慕っている。つばさは翔太とは結ばれず、真瀬の後妻になるのだろうか。これまで朝ドラヒロインが初恋の人ではなく、年上男性と結ばれることは多い。「かりん」の細川直美と榎本孝明、「こころ」の中越典子と仲村トオル、「風のハルカ」の村川絵梨と松岡充。いずれもかなりの年長だが二枚目揃いで許せる気がする。だが今回の多部未華子と宅間孝行は不釣合いだ。これから視聴者の共感をえるようなドラマの進行になるのだろうか。不安であるが、興味が出てきた。

2009年7月12日 (日)

あじさい忌

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    石原裕次郎の命日は7月17日。主演した映画「あじさいの歌」にちなんで紫陽花忌といわれる。今年は節目の23回忌にあたる。集英社の日本文学全集「石坂洋次郎集」巻末の「作家と作品」に引用された写真には石原裕次郎と石坂洋次郎が和室で会食している。同席には芦川いづみ。映画「陽のあたる坂道」(昭和33年4月封切り)のときとある。石坂洋次郎は信次を石原裕次郎をイメージしながら書いたという。だがこのとき何故主演の北原三枝ではなく、芦川いづみがいるのだろう。芦川の役は足の悪い妹役で家庭教師役の北原三枝に比べると助演といった役どこである。石坂・石原・芦川のコンビの作品は「陽のあたる坂道」(昭和33年)以外にも「乳母車」(昭和31年)、あじさいの歌」(昭和35年)、「あいつと私」(昭和36年)がある。芦川いづみは石原より年齢は1歳下。つまり「陽のあたる坂道」の役は当時23歳で実年齢よりもだいぶん幼い女学生役を演じていたことになる。痩せていた芦川は少女の役が似合っていた。ところがケペルの記憶では確か芦川いづみの女学生は髪は長かったし、この写真の雰囲気とは異なる。「私はこんな体だけど子供ができるでしょうか」と町医者に診察してもらう場面は秀逸である。文学全集の写真の芦川の髪はショートである。この会席の写真は、おそらく「陽のあたる坂道」より数年のちの写真ではないだろうか。「あじさいの歌」の芦川(:けい子の役)も長い髪をしている。「あいつと私」の時の芦川(このときも役名は同じで「けい子」だった)はショート・ヘアーである。前年昭和35年12月封切りの「闘牛に賭ける男」を最後に北原三枝との共演作品はなく、12月2日に結婚式を挙げている。翌年1月24日、志賀高原でスキーによる骨折により長期入院している。この会席写真は退院後の「あいつと私」(昭和36年9月封切り)打ち合わせではないかと推測する。石原裕次郎27歳、芦川いづみ26歳。あるいは石原、芦川が半袖なので、昭和33年4月封切りの「陽のあたる坂道」の打ち合わせだとすると、昭和32年の夏頃、石原23歳、芦川22歳ということも考えられないことではないが。どちらにしても20歳前半の若者が大作家と気軽に対談できるというのはたいしたものである。

2009年7月11日 (土)

モノクロ映画の回想シーン

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    映画の構成で回想形式を用いたものは、とても印象に残る。「哀愁」(マーヴィン・ルロイ監督)。第二次大戦のさなか、霧に濡れるロンドンのウォータールー橋で陸軍大佐クローニン(ロバート・テイラー)は若き日の回想に耽る。時は第一次大戦下のロンドンにさかのぼる。空襲警報の鳴り響くウォールタールー橋で、大尉のクローニンはバレリーナのマイラ(ヴィヴィアン・リー)と運命的な出会いをする。木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」。ファースト・シーンは老人になった政夫(笠智衆)が故郷の村を訪ね、流れる小川の情景などを見て、昔の切ない思いを回想する。マイラも民子も死んでもうこの世にはいない。しかし想い出の中に若く美しい面影がいつも瞼に浮かぶ。青春の感傷はモノクロ映画の回想シーンから始まる。「哀愁」と「野菊の如き君なりき」は全然異なる映画のようでありながら、橋と川、都会と田舎、結ばれぬ二人、愛しい人の死、その構成要素は一致している。日本と外国の悲恋映画の最高傑作は冒頭に回想シーンをとることでも一致している。

2009年7月 5日 (日)

石原裕次郎「富士山頂」

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   昨夜テレビで「富士山頂」を観る。昭和45年、石原裕次郎36歳の作品。この年、大阪万博開催、日航よど号ハイジャック事件、三島由紀夫割腹事件、「少年マガジン」では「あしたのジョー」「巨人の星」が連載中だった。まさに我が人生も始まろうという時代だったが、この映画を観たことは一度もなかった。このあと石原プロは「ある兵士の賭け」が興行的に失敗して、負債5億8千万円をかかえる。ともかく「黒部の太陽」にしても「富士山頂」にしても、五社協定と斜陽産業という問題に直面しながら、大自然と闘う男たちをスケールの大きなテーマで描こうとするスター石原裕次郎の映画への熱い思いは伝わってきた。
   気象庁測器課長・葛城章一(芦田伸介)は台風の被害を減らそうと、富士山レーダー取り付けに情熱を傾けていた。三菱電機技術部員・梅原悟郎(石原裕次郎)もまた、富士山レーダーに情熱をかけ、大成建設の伊石昇(山崎努)と、山頂の気圧や地盤を調査する。やがて2社合同の工事が開始する。零下30度、風速20メートルの苛酷な条件の中、難作業は続けられる。加田雄平(渡哲也)がレーダードームをヘリコプターに吊るして輸送し、直径9メートル、500キロの巨大なドームが完成する。富士山レーダーは長年気象観測のシンボル的存在であった。

2009年6月26日 (金)

ある愛の詩

Img 1982年撮影の「スクリーン」掲載写真

   マイケル・ジャクソン死去のニュースと同日夕刊にはがん闘病中のファラ・フォーセット死去の悲報もあった。ファラとライアン・オニールとの長い交際は知られていたが、最近二人は正式に結婚することが明らかになったばかりだった。マイケル・ジャクソンはライアン・オニールの娘テータム・オニールとも交際の噂があったし、1970年代から80年代にかけてはハリウッドのゴシップを賑わしていたスターたちだ。だが、マイケル・ジャクソン、ライアン・オニール、テータム・オニールと華麗なスターたちも近年はスキャンダルばかりで、われわれの青春の思いでも色褪せて過ぎていくという感がある。
   ファラ・フォーセットはマイケルと同日死亡のため訃報記事の扱いが小さいが、まちがいなく80年代アメリカのセックス・シンボルだった。マリリン・モンロー、キム・ノバク、ラクウェル・ウェルチ、ファラ・フォーセット、シャロン・ストーン、キャメロン・ディアスと続く。1976年から始まったTVシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」の初代エンジェルの一人。水着姿のポスターが1200万枚売るほどの人気だった。初代エンジェルはファラ・フォーセット(中村晃子)、ケイト・ジャクソン(高林由紀子)、ジャクリン・スミス(上田みゆき)の三人。真っ白い歯とボリューム豊かなヘアとスレンダーなボディが魅力的だった。私生活ではリー・メジャーズと別れたあと、1980年ころからライアン・オニールとの交際は常に映画雑誌で知っていたが、30年のちも恋多き二人が連れ添っていたとはハリウッド・ラブストリーもいいもんだ。一方のライアン・オニール。若い頃、ミア・ファーロー(「ローズマリーの赤ちゃん」)、ババーラ・パーキンス(「哀愁の花びら」)、ジョアンナ・ムーア(「黒い罠」)、リー・テーラー・ヤング(「悪女のたわむれ」)ら有名女優ばかりとの交際は華麗だ。それも昔の話になった。彼も現在は慢性白血病という。おもえば「ある愛の詩」のライアン・オニールはハリウッドを代表する青春スターだったが、なにかしら時の流れを感じさせる。

2009年6月23日 (火)

大役を逃したスターたち

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   1992年頃、ロンドンでは、若きシェイクスピアと彼を信奉する貴族の娘ヴァイオラとの恋愛映画を企画していた。配役には「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツに決定した。ところがクランクイン1ヵ月前になってジュリアがドタキャンした。製作者側は面白い企画だけになんとか映画化したいと6年の歳月をかけて、売り出し中の女優のグィネス・パルトローを見つけた。これが「恋におちたシェイクスピア」(1998年)である。ブラピと婚約解消した彼女は、この映画でアカデミー主演女優賞を獲得した。

    映画の大役を逃したという話は過去にもたくさんある。ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン共演の永遠のラブ・ストーリー「カサブランカ」(1943年)。キャストは最初リックはロナルド・レーガン、イルサはアン・シェリダンだった。ついでジョージ・ラフトとヘディ・ラマーのコンビになった。ところが当時ギャング映画の大スターだったラフトは「レーガンごときが断わった役を俺がやれるか」と断わってしまった。それで当時は悪役からようやく主役をやりはじめたボギーに白羽の矢が立った。相手役もスウェーデンからハリウッドに招かれたものの決定打のなかったバーグマンがイルサを射止めた。ボギーもバーグマンもこの映画がのちにこんなに名作になるとは思ってもいなかった。戦時中のこともあって、時局的に自由を讃美する内容もすばらしく、アカデミー賞では、作品賞・監督賞・脚本賞が与えられた。映画の魅力は共演したハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの二人であるのに受賞はなかった。主題歌「時の過ぎゆくまま」も、今も歌い継がれている最高のラブソングだ。「僕達にはパリの想い出がある。君の瞳に乾杯!」

キッズ・スターは大成しない?

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    むかしから芸能界には「子役あがりは大成しない」というジンクスがある。(もちろん日本には高峰秀子、美空ひばり、中村メイコという例外もあるが…)。ハリウッドでもジャッキー・クーガン、ミッキー・ルーニー、マーガレット・オブライエンなど名子役たちも大成したスターとはいえない。「ホーム・アローン」のマコーリー・カルキンや「ターミネーター2」のエドワード・ファーロングたちも100万ドルスターといわれたが今はどうだろう。30歳を過ぎたところなので、これからが正念場だが前途にはかなり厳しいものがある。テレビでよく再放送される映画はいつも彼らの古い作品でいつまでも少年のままなので、新作を見るとまず驚きが先にくるだろう。そういう意味ではジョディー・フォスターとレオナルド・デカプリオは、成長ぶりを見続けているので別格スター級だろうか。ジョディは3歳からTVのCMにでていたが14歳のとき映画「タクシードラバー」の少女娼婦役で世界のスターとなった。デカプリオも14歳のころからCMに出演し、TVの「愉快なシーバー家」でティーンのアイドルとなった。そんなデイカプリオもいまや35歳。新作はなんとマーティン・スコセッシ監督の「シナトラ」。彼はこの役をとるためボーカル・コーチを雇ってトレーニングを始めたという。いくらなんでもシナトラばりの声がすぐに出るとも思われないが、「子役あがり」がスターを維持していくためには、数倍の努力と精進が必要なのだろう。

2009年6月17日 (水)

愛とサラン

   NHK連続テレビ小説「つばさ」の一場面。「ラジオぽてと」の建物はもとは映画館だ。カラオケ大会の会場にするため万理の父親・泰典(金田明夫)が歌いながらやって来た。ヘルメットには「愛」の文字。カラオケ大会のテーマは「愛」だ。

    3時から「天くらい地くらい」を見ているとジス父とミョンジャの結婚話で大騒動になる。スニムは後妻で年の離れた夫に先立たれ苦労したため猛反対。だがミョンジャの愛も一途だ。「相手の看護のために一生終ってもくいはない」という。「ナイチンゲールか?」「いや、それがサランだ」やはり韓国語で「サラン」という言葉は決め台詞なのだ。「つばさ」の「愛」の歌のオン・パレードがいかにも安っぽく聞える。「天くらい地くらい」の登場人物はそれぞれの立場で必死なのが伝わる。サンヒョンが離婚話を切り出したのも驚かされる。真面目で一途な性格だけに思いつめると結論は早い。わがままだが可愛いウンジュだけに男性視聴者からするともったいない気がする。ウンジュも反省しているみたいだし。韓国の男性は日本の男性よりも男っぽいのだろう。それと伝統行事や礼儀作法にやかましいようだ。日本と韓国のドラマを平行して毎日見ていると、似ているようで、異なる点も多い。感情表現がストレートな韓国だけにドラマ的に迫力がある。

  ドラマ終盤になってやっとジス(ハン・ヒョジュ)が登場。宣伝のスチールでは中央にいるが、どうも出番が少ない。人気があり番組をかけもちしていて忙しいのかもしれない。ともかくムヨンとウナが仲良く映画デートしたので不機嫌なのだ。ムヨンは「やきもちやくのはおかしい」という。ジスは「そんなことで大学にいけるのか」と心配する。どうも二人のツンデレになりそう。ツンデレは面白い。一方のつばさは入院中の翔太とラブラブ。ラブラブは見ていてあまり面白くない。ライバル万理も早くも撤退したのもツマラナイ。吉田桂子の出番が少ないのも残念だ。今後新たな障害が二人にあるだろうがもっと意外な展開を期待したい。「つばさ」はヒロインと翔太の話が進展しないと視聴率があがらないだろう。

2009年5月 8日 (金)

面白いタイトルの洋画

   グレゴリー・ペック主演の「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)という変わったタイトルの映画があった。「日曜日に鼠を殺した猫が、月曜日には人間に殺されてしまう」という意味があるそうだ。この映画に限らず、往年の名画には面白いタイトルの作品は多い。思いつくままに挙げると、「赤いトタン屋根の猫」(1958年)、「欲望という名の電車」(1951年)、「灰色の服を着た男」(1956年)、「イヴの総て」(1950年)、「エデンの東」(1955年)、「お茶と同情」(1956年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「下り階段をのぼれ」(1967年)、「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1967年)などなど。タイトルからどんな映画が想像できるでしょうか?わりと近年の作品ではレベッカ・デ・モーネーの「ゆりかごを揺らす手」(1992)とか二コール・キッドマンの「冷たい月を抱く女」(1993)などサスペンス系に興味をそそられるタイトルのものがあります。

2009年5月 7日 (木)

変わったタイトルの洋画

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    退職して、早寝早起きの習慣は健康に良いが、あまりにも朝起きるのが早い。10時に寝ると5時には目が覚める。何もすることがなく時間をもてあます。そこで夜、妻と昔に録画しておいたビデオを見る。何百本の中からどれを選ぶか。変わったタイトルの洋画を選ぶ。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年)と「愛しのシバよ帰れ」(1952年)の2本。
    映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」はジェームズ・M・ケインというアメリカの作家の同名小説をルキノ・ヴィスコンティが北イタリアに舞台を移してリアリズムで描いている。もちろん映画に郵便配達など登場しない。映画を見たが、タイトルと内容がどう結びつくのか意味不明。
    「愛しのシバよ帰れ」のタイトル中の「シバ」という愛犬も映画に登場しなかった。かつて可愛がっていた愛犬が失踪した。妻は過去のことばかり追い求める。過去の自分との決別がテーマになっているという解説があったが、シバがその象徴といわれてみればなんとなくわかる気がする。ケペルはこのころのアメリカ映画は大好きである。テーマがはっきりしていて人間がよく描かれている。シナリオ重視がいい。大スターになる以前のバート・ランカスターが見れるのも楽しい。

2009年5月 4日 (月)

死と生について

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   昨晩、テレビで映画「象の背中」(2007年)を放送していた。48歳のエリートサラリーマン(役所広司)が末期の肺がんで余命半年と医師から宣告される。残された日々をいかに過ごすかがテーマとなる。初恋の人にあったり、ケンカ別れした旧友に会ったり、仕事で迷惑かけた人に偶然にあって謝罪したりする。ホスピスで家族と充分にふれあいの日々を過ごしたり、愛人ともいい関係で別れる。重いテーマを秋元康ならではのトレンディー風に描いている。リアリティはない感じだった。同日、BSで綾瀬はるか版「世界の中心で、愛をさけぶ」を見た。片山恭一の原作とテレビ版とはだいぶん違うようだ。小説では祖父が朔太郎に大きな影響を与える人物として扱われている。朔太郎とアキとの会話にこんなのがある。

   「人の死にも理由があると思う?」「思うわ。わたしはね、いまあるもののなかに、みんなあると思うの」ようやく口を開くと、アキは言葉を選ぶようにして言った。「みんなあって、何も欠けてない。だから足りないものを神様にお願いしたり、あの世とか天国に求める必要はないの。だってみんなあるもんだもの。それを見つけることの方が大切だと思うわ」しばらく間を置いて、「いまここにないものは、死んでからでもやっぱりないと思うの。いまここにあるものだけが、死んでからでもきっとありつづけるんだと思うわ。うまく言えないけど」「ぼくがアキのことを好きだという気持ちは、いまここにあるものだから、死んでからもきっとありつづけるね」ぼくは引き取って言った。「ええ、そう」アキは頷いた。「そのことが言いたかったの。だから悲しんだり、恐れたりすることはないって」

2009年4月30日 (木)

信長vs忍者軍団

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    昨夜NHK「歴史秘話ヒストリア」を見る。忍者がテーマであるが表面的、観光的な内容でものたらない。忍者の生活や悲惨さがリアルに伝わらない。もし製作者が白土三平の「忍者武芸帳」を読んでいたら視点が変わっただろう。

    忍者が最も歴史の舞台に現われ、華やかな活躍を見せるのは戦国時代であろう。諸大名の抗争が激化すると、夜間行動を中心とする忍びの専門的技術も考案され、忍者たちはそれぞれ大名にかかえられ、特別の任務を帯び活躍するようになった。伊賀流、甲賀流のほか、扶桑流、甲陽流、根来流、戸隠流など諸流が生れた。徳川家の服部半蔵、北条家の風魔小太郎、毛利家の佐田兄弟、村上家の相部次郎左衛門、武田家の富田郷左衛門、上杉謙信の使った担猿(のきざる)らは有名である。とくに伊賀と甲賀は600~700人の忍者集団がいて一大勢力となっていた。天下統一の野望に燃える織田信長は禍根を絶つため、天正9年、残虐な殲滅作戦を展開した。これを天正伊賀の乱という。

   白土三平の「忍者武芸帳」はこの時代を背景にしているものの、その非情で虚無的な唯物史観(??)は衝撃であった。白土三平の父が画家岡本唐貴というプロレタリア美術なのでおそらく影響があるのだろう。兄が近所の貸本屋から借りてきた「忍者武芸帳」、記録によると昭和34年12月に三洋社から発売されたとあるから、おそらく昭和35年頃のことであろう。それまで時代劇の漫画といえば、堀江卓の「つばくろ頭巾」や武内つなよしの「赤銅鈴之助」であったから、のちに劇画といわれるリアルで残虐な絵柄は子ども心に強烈であった。百姓の首が飛ぶ。女、子どもが飢え死にをする。われわれの祖先がどんな悲惨な生活をして生きてきたか、こどもにも恐ろしいほど伝わる。小学校低学年だったケペルには白土漫画はすこしハードすぎた。今、この年になって読むと、人生や世の中を庶民の「生」の強さをペンで見事に表現している。筋や構成もスケールが大きく、歴史を考えさせられる。良い子のみなさん、忍者の実態を知るには「忍たま乱太郎」や「歴史秘話ヒストリア」を見るより白土三平のマンガを読むべし。

2009年4月 6日 (月)

舞い降りた天使・多部未華子

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    多部未華子。この春からのNHK連続テレビ小説「つばさ」のヒロインを務めている。まなざしは強く、たたずまいは可憐。かわいい系だがぶりっ子ではなくて、あくまで自然体なのがいい。初の平成生まれのヒロイン。進化した女性の容貌を感じるが、落ち着いた仕草にふしぎと「昭和の香り」がする。むかし内藤洋子(「その人は昔」)や仁科明子(「初恋」)に対していだいた清純な情感を抱かせてくれる稀有な人である。おそらく年輩の男性には人気があるであろう。彼女の存在はCMや女学生姿に早くから着目していたものの、朝ドラのヒロインに選ばれたとき、いささか不安があった。朝ドラは低視聴率が続いている状態であるし、演出にはマンネリ化がみられた。ところが「つばさ」のタイトルバックの新鮮さに魅かれた。静止画を基本とした落ち着きのある映像はまるで写真集を開いているようにな新鮮さがただよう。「あっ、天使が舞い降りた」と瞬間思った。ドラマは中村梅雀、高畑淳子らの演技派共演者に囲まれて快調なすべりだしだ。しかし見所は多部ちゃんの豊かな表情である。グラビアアイドル全盛の時代にあって本物の女優がでてきた。

2009年2月26日 (木)

水戸黄門漫遊せず

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加賀邦男 月形竜之介 大友柳太朗 千原しのぶ

  水戸藩第2代藩主・徳川光圀(1628-1701)は黄門様として庶民に親しまれている。映画やテレビでは助さん格さんを連れて旅に出たことになっているが、実際には、諸国はおろか、ほとんど旅に出たことはなかった。唯一旅らしいのは、延宝2年江戸参府の途中、水戸から江戸に直行せず、上総、安房へ回り、そこから船で鎌倉へ渡ったことがあるだけだった。ではなぜ漫遊したことになってしまったのだろうか。学問好きの光圀は「大日本史」の編纂のため、家臣を諸国に派遣し、資料の収集をさせている。この家臣の旅が光圀自身の旅として誤って伝えられたという。水戸黄門の役者といえば渋さでは月形竜之介が天下一品であった。なんと昭和29年には「水戸黄門漫遊記」「副将軍初上り」「地獄極楽大騒ぎ」「闘犬崎の逆襲」の4本の映画が作られている。助さんは第1作は徳大寺伸、第2作は大友柳太朗、第3作は月形哲之介。格さんは3作とも加賀邦男だった。加賀は志賀勝の父。ウィキペディアで調べると、悪役俳優とあるが、ケペルの記憶では善玉役者の印象が強い。

2009年2月19日 (木)

映画「黄昏」

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   ウィリアム・ワイラーの映画「黄昏」(1951)はセオドア・ドライサー(1871-1945)の小説「シスター・キャリー」が原作となっている。ワイラー監督は本来「嵐ヶ丘」「女相続人」など文芸物を得意としている。ところが「ローマの休日」のロマンチック・コメディ、「ベン・ハー」の歴史劇、「コレクター」のサイコなどジャンルの広さに驚かされる。

   「黄昏」はワイラーの作品の中ではとりたてて高い評価を受けてはいない。あまりに悲劇的なため興行的には失敗だったろう。しかしながら演技者オリビエとジェニファー・ジョーンズの共演など見所は多い。ストーリーは中年の男が美しい女性のため人生を破滅するという往年の名作ドイツ映画「嘆きの天使」に近いものがある。なぜ「嘆きの天使」があのように成功をおさめ、「黄昏」は失敗したのだろうか。ローラは魔性の女であったが、キャリーは情が深く、善人であったことで、筋立てが凡庸になった感がある。

   シカゴへ出てきた田舎娘キャリー(ジェニファー・ジョーンズ)が妻子ある高級レストランの支配人ジョージ・ハーストウッド(ローレンス・オリビエ)と出会う。二人はニューヨークへ駆け落ちをして安アパートで暮らしはじめる。たがジョージの新しい仕事先はなかなか見つからず落ち込む。そんなときキャリーの言葉がいい。「ジョージ。買い物に行ってきてちょうだい。牛乳1本と新聞、それに葉巻を」。それを聞いてジョージは「君はすばらしい人だ」と抱擁する。そのような日常的な言葉でやさしいを表現することはちょっと今のテレビなどでは見られないシークエンスであろう。ドライサーの原作にあるものなのか、ウィリアム・ワイラーによるものか、ルース・ゲイツ、オーガスタ・ゲイツの脚本によるものか知らないが、この悲劇的な原作の中でもイイ台詞はある。

   ちなみにジョージの因業な正妻を演じている女優はミリアム・ホプキンスという。若い頃、エルンスト・ルビッチの「陽気な中尉さん」「極楽特急」「生活の設計」などのコメディで粋な演技を魅せていた。いまDVDでめずらしいものが見れてありがたいものだ。

2009年1月31日 (土)

元祖お天気姉さん・相沢早苗

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    日本のテレビニュース番組の天気予報ではきれいな女性が解説してくれるのを何時の頃からか楽しみとなった。「7時28分の恋人」といわれる半井小絵はナイスバディで一度もトチリを聞いたことがない度胸のよさがすごい。山本志織は華奢な腕と目鼻立ちのはっきりした顔立ちの美人。加藤祐子、渕岡友美、関嶋梢も淑やかな感じの美女たち。NHKもいつごろからかこのような美人ばかりを揃えるえるようになったか知らないが、男性にとってはうれしい限りではある。が、美女に見とれてしまいどうも肝心の天気情報を聞きそびれる傾向にある。むかしは天気予報は年輩の男性だったようにおもうが、いつごろから「お天気姉さん」がテレビに登場するようになったのか正確なことは知らない。ただ相沢早苗が1980年代に愛くるしい笑顔で「お天気姉さん」の愛称が一般的になったように思う。花王のバブのCMなどにも登場していた。同じ頃、宇江佐りえ、志摩のぶ子などもアイドル的人気のお天気姉さんが登場した。テレビ各局がニュース番組で競って魅力あるお天気姉さんを発掘していった。現在までのところ最も人気があり美人だったのは、大石恵だろうか。大石恵が女優業や写真集などで一定の成功を収めたことで、後年、山田玲奈のような美形とタレント性を兼ね備えたお天気姉さんも出現するように進化していく。どうやら大学のミスコンの優勝者が気象予報士という職業を選ぶというコースができているようだ。

   いま半井小絵と山本志織とどっちが好き、と男性に問うと意見はおそらく二分するだろう。お天気姉さんブームはこれからも続いて、わずか二分間が男性にとって至福の時間である。

洋画界の新世代スターは誰だ

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 公開中の映画「マンマ・ミーア」で花嫁ソフィアを演じているアマンダ・セーフライド(23歳)がキュートな笑顔で魅力的である。今もっともハリウッドで注目されている若手女優は誰だろう。ヤングスターの筆頭は「ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー」で数学の天才学生ガブリエラを演じているヴァネッサ・ハジェンズ。フィリピン人の母を持つエキゾチックな20歳。「ランド・オブ・ウーマン」のクリスティン・スチュワート、「不思議の国のアリス」のミア・ワシコースカは18歳。「ハードキャンディー」のエレン・ページは17歳。「キャンプ・ロック」のデミ・ロヴァートは16歳。マイリー・サイラス、セレーナ・ゴメスも16歳。「テラビシアにかける橋」のアナソフィア・ロブは15歳。

   実力派の若手女優では、「Lの世界」のキャサリン・メーニッヒ(31歳)。「ターミネーター・サラコナーズ・クロニックス」で女ターミネーターを演じるサマー・グロー(27歳)。「ストリート・ファイター」のクリスティン・クルック(26歳)。「ステップ・アップ」のジェナ・ディーワン(28歳)。「トランスフォーマー」のミーガン・フォックス(22歳)。「ドラゴンボール」のエミー・ロッサム(22歳)。

   だが最近、なぜか日本の洋画ファンが新人発掘をしなくなった。たとえば「小さな恋のメロディー」のトレイシー・ハイドや、「ロミオとジュリェット」のオリビア・ハーシーのような存在がいなくなった。この中から一人でも日本での人気スターが現われるだろうか。

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                   エレン・ページ

2009年1月22日 (木)

裸体表現の自由と映画芸術

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   「ヴィーナス」  ジョルジョーネ

    人類は原始時代以来、ヴィーナス像など裸体芸術を創作してきた。とくに古代ギリシア人たちによって生み出された裸体芸術は、主に彫刻であったが、身体を幾何学的原理に基づいた完全なる美しさのヌードを創り上げ、古典古代の芸術を最高の水準にまで高めた。ちなみにわれわれ日本人は「ヌード」と聞くと、ご婦人方は顔を赤らめ、嫌らしいと感じられるかもしれないが、実は英語には、はだか(naked)と裸体像(nude)と二語は区別されており、ヌードという語は教養ある使い方をすれば、別に不快な響きを伴わないそうである。(ただし、いまだ日本で日常会話で使うのは要注意である)

    ギリシアの裸体表現は、ヨーロッパにおいてはイタリアの文芸復興期に、とくに絵画形式によって裸体が芸術の中心主題として取り上げられてきた。ヨーロッパの裸体表現は近代のルノアールの水浴などに代表されるように、今日美術館で猥褻性を指摘されることなく普通に観賞が可能である。数年前、大阪市が購入したモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」は誘うような挑発的な裸婦の陰毛が描かれているとして、展覧会から一時撤去されたエピソードなどあるが、概ね絵画のように人物が動かないものは陰毛が描かれていても猥褻と判断されず、芸術作品としての扱いを受けるようである。ところが写真や映画となると猥褻性を指摘する人は多い。むしろ近年、性犯罪と関連づけてポルノ規制の強化の動きが目立つ。日活ロマンポルノの時代を青春だった人は巷に扇情的なポルノ映画のポスターは日常的風景だった。陰毛はタブーであったが、ボカシや黒マスクが入りながらも見ていた。平凡パンチやプレイボーイのヌードも陰毛はタブーであったが、局部を林檎で隠したヌード写真が話題になった。篠山紀信の激写もヌード写真に大きく貢献したと思う。1980年代にはビニールに入れられたビニ本が書店を賑わした。1990年代にはヘア・ヌードという和製英語も生まれ、週刊現代、週刊ポスト、ヘア・ヌード写真集などがブームになった。しかし、イメージを重視する企業側からの反発もあってヘア・ヌードは沈滞する。また1999年施行の児童ポルノ法によって未成年の裸体表現が事実上禁止された。雑誌の販売部数は激減し、映画においても女優の裸体演技はほとんど見られなくなった。1970年代スター女優のヌードは常識の感があった。「愛の嵐」のシャーロット・ランブリング、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のマリア・シュナイダー、「O嬢の物語」のコリンヌ・クレリー、「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル、「続エマニエル夫人」のカトリーヌ・リベ、「青い体験」のラウラ・アントネッリ、「家庭教師」のオッタビア・ピッコロ、「甘い暴走」のジャクリーン・ビセット、「さらば夏の日」のジャネット・アグラン、「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーブ、「茂みの中の欲望」のジュディー・ジースン、「姉妹」のナタリー・ドロン、「わらの犬」のスーザン・ジョージ、「ふたりだけの恋の島」のオルネラ・ムーティ、「欲情の島」のローズマリー・デクスター、「エヴァの恋人」のミレーユ・ダルク、「愛の終りに」のミリュエル・カタラ、「続青い体験」のクラウディオ・カッシネッリ、「危険旅行」のミムジー・ファーマー。近年亡くなった「フレンズ」のアニセー・アルビナや「ジェレミー」のグリニス・オコナーなど少女の初々しい裸体は永遠に脳裏に浮かぶ。このほかシャロン・ケリー、サンドラ・ジュリアン、クリスチーナ・リンドバークなど本格的なポルノ女優もたくさんいたであろうが品行方正な青年だったので残念ながら未見である。

   むかしフランス映画に「舞踏会の手帖」という作品があった。若い日の華やかりし頃の思い出を胸に抱き、昔の女性に会いに行く。そこで儚い人生の現実を知る。いま時代は規制の方向にすすんでいるので、かつての素晴らしい自由な時代ではない。せめてむかしの思い出を大切にしておきたい。だがこの調子でいくと近未来社会には、過去や思い出を語ることすら国家が規制する管理体制が到来するかもしれない。

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   アニセー・アルビナ

2009年1月18日 (日)

ジェマ・クレーブンの「シンデレラ」

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ジェマ・クレイブンからシンデレラの靴を見せてもらう恩田トキ子

  「シンデレラ」といえばディズニーのアニメを思い浮かべる方がおおいだろう。ところがシャーマン兄弟のミュージカル映画、実写版「シンデレラ」(1976)が好きだという男性が意外と多い。理由はもちろん主役のジェマ・クレーブンが可憐で美しいからである。王子様はベテランのリチャード・チェンバレンだったが、シンデレラは新人のジェマ・クレーブンが選ばれた。1950年、アイルランド生まれで当時25歳だった。シェークスピア劇団のキャリアがあるだけに張りのある美しい声が魅力的で、歌と踊りが得意。もっと映画界で活躍してほしかったが、残念なことに舞台に戻られたのでその美しい姿をみることがかなわなかった。出演映画作品は、「シンデレラ」(1976)、「ワーグナー、偉大なる生涯」(1983)、「穴」(2001)など僅かに3本ほどしかないが現在もその美しさは当時とあまりかわらないらしい。

   ところで童話の「シンデレラ」の話は、実母を早く失った気立てのやさしい娘が、のちに嫁してきた継母とその連れ子の娘に虐待されて女中代わりに使われ、粗末な服装をして火たきなどをして灰だらけらなっている。シンデレラとは灰かぶりという意味である。娘は舞踏会で王子と出会い、王子が彼女をみそめるが、娘は急いで帰るときくつを片方落としてしまう。王子はそのくつをたよりに娘を探し出し、めでたく2人は結婚する。この話は、ヨーロッパでは16世紀イタリアのストラパラロやバジレの説話集に出ているのをはじめ、おびただしい類話が各国で発見されて学者の関心をよび、1893年にマリアン・コックスが類話345を比較研究している。話として最も美しくまとまっているのはペローの「サンドリヨン」である。またこれに類似した話に、娘が醜く身をやつして家を出てさすらい、殿様の家の風呂焚きに雇われているところを若殿に見初められて結ばれる話「燈心草の帽子」(編笠)があり、こちらのほうが古い形と考えられる。その後、南方熊楠が中国の唐代にすでにこの話が記載されているのを発見(酉陽雑爼の「葉限」)、これが今までのところ最古のシンデレラの原型とされているが、話の起源はもっと古いだろう。日本でもこの話は人気があったようで、早く「落窪物語」「住吉物語」に扱われたのをはじめ、中世の御伽草子の「鉢かづき」などを経て、現代でも「お銀小銀」「糠福米福」などの話になって民間で語られている。(参考文献:「児童文学辞典」東京堂)

2009年1月17日 (土)

ファッショナブルな女優シドニー・ローム

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      ローマのスペイン広場でのシドニー・ローム

   映画「個人生活」(1974)でアラン・ドロンの相手役に抜擢され一躍スターになったシドニー・ロームは今どうしているのだろうか。今年62歳になるらしい。大きな瞳で抜群のプロポーション、「魅惑の妖精」というにふさわしい華やかさがあった。ネットで調べると「マリア・カラス最後の恋」(2005)で準主役級で健在である。ヨーロッパで活躍のベテラン女優の映画はなかなか日本で公開されないので淋しいが今も美しく輝いているのだろう。来日したときの荷物は、毛皮やドレスの詰まったトランクが多くて周囲を驚かした。生れは米オハイオ州であるがヨーロッパのエレガンスを漂わせる本物の女優である。誕生年は1946年説と1951年説があるが、おそらく1946年ではないだろうか。「電撃!スパイ大作戦」(1969)に出演しているが18歳には見えない。ほかにも「荒野の大活劇」(1969)や「欲望の館」(1972)など下積み時代を経験している。「ラッキー・タッチは恋の戦略」「危険なめぐり逢い」「ザ・ツイスト」「ポール・ポジション」「ジャスト・ジゴロ」などあるが、やはりドロンとの共演の「個人生活」が最も知られている。

「サークル・ゲーム」をもう一度

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    ケペルがまだ高校生のとき「フレンズ、ポールとミッシェル」という映画をみた。アニセー・アルビナの幼い裸身が鮮烈な印象であった。麗しのアニセー・アルビナの近況をネットで調べると、なんと2006年11月10日、52歳の若さで亡くなっていた。「赤いポスター」(1975)ではジャン・ビゴ賞を受賞し、フランスの青春スターの地位を築いたが、残念ながら日本では未公開の作品が多かった。

    「フレンズ」(1970)の当時はまだ16歳。あまりの人気で「続フレンズ」(1973)もつくられた。少女がヌードになることは洋画でもまだめずらしかった。日本映画では1972年に由美かおるが「同棲時代」で脱いだ。街頭のポスターはあっというまに無くなった。関根恵子や秋吉久美子らも続々と美身をさらした。そのころ香港から可愛いフォーク歌手が日本デビューしている。アグネス・チャンである。1972年11月発売の「ひなげしの花」、翌年の「草原の輝き」などのヒットでまたたくまにアイドルとなった。日本ではアイドル歌謡であったが、アグネスはもともとはメッセージ性の強いフォーク歌手志向であった。香港で1971年バフィー・セントメリーが歌った「サークル・ゲーム」をカバーして大ヒットとなった。「サークル・ゲーム」は映画「いちご白書」の挿入歌だ。ベトナム反戦、学園紛争がテーマのキム・ダービー主演の青春映画。つまり平凡や明星で天地真理や麻丘めぐみと並んで笑顔をふりまいていたアグネスだが、政治性や社会的関心は本来的な資質であった。そのアグネスは今、児童ポルノの単純所持の禁止事項を法制化するための運動を積極的に取り組んでいることは周知のとおりである。ケペルはアグネス・チャンのファンだった。だが「だった」と過去形で言わざるをえない。数年前にアグネスはテレサ・テンの歌うはずだった曲を吹き込んだことがあった。テレサが最初来日のとき日本ではアグネスの人気絶頂期だったので、さっぱり売れなかった。アグネスとテレサとのそんな因縁は誰でも知っていることなので、やはりアグネスがテレサの曲を歌うことに抵抗感があった。今回の児童ポルノ禁止の運動についても正直ファンとしては抵抗感がある。アグネス日本デビュー当時、映画界ではアニセー・アルビナなどの少女ヌードが日本に大きな影響を与えたことは既に述べたが、当時の映画雑誌を所持しているケペルにとっては宝物のような写真もポルノの所持として違法性を帯びることになるであろう。芸術か猥褻かの論議ではなく、被写体が少女、児童であれば罰するという内容のシロモノである。日本人でないアグネスが国内法の改正に積極的に関与することも不自然である。性の商品化は、それを儲けとする業者を取り締まることは必要であるが、単純所持にまで及ぶということについては、同意できかねる。

2009年1月13日 (火)

平成生まれのヒロイン誕生

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   先日NHKBS「蔵出し劇場」でレッツゴーヤングの再放送を見た。1981年のもので太川陽介、石野真子の司会の頃である。お目当てはもちろんサンデーズで松田聖子、倉田まり子、浜田朱里、佐藤恵利がいた。なかでも佐藤恵利は山口百恵に似た感じの女の子でケペルのお気に入りだったが、あまり人気が出ずに消えた。しかし今も時代劇の脇役で元気に女優を続けているらしい。アイドルから女優へ転身する人は多いが地味で息の長い俳優人生もまたいいだろう。これと対象的なのはNHK連続テレビ小説のヒロインだろう。「うず潮」の林美智子、「おはなはん」の樫山文枝、「旅路」の日色ともゑ、「繭子ひとり」の山口果林、「藍より青く」の真木洋子など初期の頃は新人女優の登竜門といわれた。朝ドラのヒロインが国民的女優として民放のトレンディー・ドラマや映画に出演してトップ女優として成功する例は最近でも健在である。松嶋菜々子、竹内結子、池脇千鶴、石原さとみ、宮崎あおい、榮倉奈々などを輩出している。近年は無名の新人ではなく相当なキャリアと実績のあるスター女優がヒロインとなるケースが目立つ。3月30日から放送の「つばさ」のヒロイン多部未華子の場合はどうだろう。すでに2005年にブルーリボン新人賞を受賞し、「山田太郎ものがたり」「鹿男あをによし」「ヤスコとケンジ」とドラマで活躍しており、若い人の間ではかなりの知名度のある若手女優であるが、国民的知名度はいま一歩のところであろう。加えてここ数年、朝ドラの視聴率はかつての勢いはなく、低視聴率に悩まされている。多部ちゃんファンにとっては毎日会えることはうれしいが、女優としての真価が問われるだけに少し怖い気がする。平成生れのヒロイン誕生に期待したい。

2008年12月31日 (水)

フランス映画この一年

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  クロード・ルルーシュ、ジャン・リック・ゴダール、フランソワ・トリュフォ。映画といえばフランス映画というのは、ずいぶんと昔のはなしとなった。今では、現代フランス映画は、ほとんど話題にならない地味な作品ばかり。でもやはり少し気になる。今年1年、日本で公開された映画をリバイバル作品も含めて総決算。

ドキュメンタリー作家ニコラ・フィリベール監督の「かつて、ノルマンディーで」(2007)。

ジョエル・セリア監督が思春期の少女の不安定に生と死を描いた「小さな悪の華」(1970)主演カトリーヌ・ヴァジュネール。

エリック・エマニュエル・シュミット監督の大人のラブ・コメディー「地上5センチの恋心」(2006)。主演カトリーヌ・フロ。

ジャック・リヴェット監督の19世紀の貴族社会の男女の恋を描いた「ランジェ公爵夫人」(2006)。主演ギョーム・ドパルデュー、ジャンヌ・バリバール。

ジュリー・デルビー監督の「パリ、恋人たちの2日間」(2007)は、仲の良いカップルに突如訪れる別れの危機をユーモラスに描く。主演ジュリー・デルビー、アダム・ゴールドバーグ。

ドゥニ・デルクール監督の「譜めくりの女」(2006)は、ピアニストへの夢を絶たれた少女の絶望、時を隔てた愛憎を描く。主演はカロリーヌ・フロ、デボラ・フランソワ。

クリストファー・トンプソン監督の「モンテーニュ通りのカフェ」(2006)は、パリの一軒のカフェに集まる人々を描いたヒューマン・コメディー。主演はセシル・ド・フランス、ヴァレリー・ルメルシエ。

同性への淡い恋を描いたセリーヌ・シアマ監督の「水の中のつぼみ」(2007)。主演ポーリーヌ・アキュアール、アデル・ヘネル。

誕生日のパーティで美術商のフランソワは、祝福どころかそれまで友人だと思っていた人々から「君には友達がいない」という言葉を聞かされ、ショックを受ける。フランソワは偶然親切なタクシー運転手に出会う。人生の半ばを過ぎた男の孤独を描くパトリス・ルコント監督の「ぼくの大切なともだち」(2006)。主演はダニエル・オーターユ、ダニー・ブーン。

普通の女性が、ある日、理不尽な恐怖にさらされるホラー。ジュリアン・モーリー、アレクサンドル・バスティロ共同監督作品「屋敷女」(2007)。主演アリソン・パラディ、ベアトリス・ダル。

ジャン・ベッケル監督が、孤高の画家と庭師との交流を描く「画家と庭師とカンパーニュ」(2007)。主演はダニエル・オーターユ、ジャン・ピエール・ダルッサン。

ケヴィン・マクドナルド監督の「敵こそ、我が友」(2007)。元ナチスのクラウス・バルビーは戦後南米へ亡命。ボリビアに軍事政権を誕生させる黒幕となり、チェ・ゲバラ暗殺の首謀者となる

アルベール・ラモリス監督の「赤い風船」(1956)。風船と友達になった少年の純真さを描く。主演パスカル・ラモリス。

ホウ・シャオシェン監督「ホウ・シャオシェンのレッド・バルン」(2007)。都会に暮らす母子の孤独な生活を中心に、古き良きパリの美しさをスケッチ風に描く。

フランスの美しい田園風景のなか、10歳の少女の不安と冒険心を描くジャン・ピエール・アメリス監督の「ベティの小さな秘密」(2006)。主演アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ。

奇妙な宿に迷い込んだ男女のサバイバルを描くザヴィエ・ジャン監督の「フロンティア」(2007)。主演カリーナ・テスタ、オルレアン・ウイイク。

しがない中年男たちがダンスによって輝きを取り戻す姿をユーモアと哀愁を織り交ぜて描くファビエン・オンテニエンテ監督の「ディスコ」(2008)。主演フランク・デュボスク、アベス・ザーマニ、サミュエル・ル・ビアン、エマニュエル・ベアール。「シャル・ウィ・ダンス」のフランス版か?

パリに暮らす人々の群像劇をセドリック・クラビッシュ監督が描く「パリ」(2008)。ロマン・デュリス、ジュリエット・ビノシュ。

アラン・コルノー監督の「マルセイユの決着」(2007)はジャン・ピエール・メルヴィルの「ギャング」のリメイク。主演はダニエル・オーターユ、モニカ・ベルッチ。

フランスで唯一の騎手の養成学校を舞台に、騎手になる子どもたちの姿をとらえたドキュメンタリー作品。バンジャマン・マルケ監督の「ジョッキーを夢見る子供たち」(2008)

港町シェルブールの傘屋の娘と自動車修理工は結婚を誓うが、男はアルジェリア戦争へ行く。数年後、クリスマスの日、偶然再会する。ジャック・ドミー監督「シェルブールの雨傘」(1964)。主演カトリーヌ・ドヌーブ、ニーノ・カステルヌオーヴォ。リバイバル作品

2008年12月30日 (火)

ヒロインこの10年

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   いつの時代もトップ女優はいる。古くは田中絹代、原節子、山本富士子、吉永小百合。しかしどんな美人女優も加齢による美貌の衰えを隠すことはできないし、やがて観客動員力は低下していく運命にある。そして次々と若くてフレッシュな女優が現われる。昨夜、テレビで放送された「恋空」の新垣結衣のピュアな魅力に惹かれた若者は多いはずである。いま旬の女優といえば、宮崎あおい(「篤姫」)、井上真央(「花より男子」)、戸田恵梨香(「流星の絆」)、上戸彩(「セレブと貧乏太郎」)、石原さとみ(「長生き競争」)、新垣結衣(「フレフレ少女」)、堀北真希(「イノセント・ラヴ」)などがいる。数年前には、沢尻エリカ(「パッチギ」)と長澤まさみ(「世界の中心で、愛をさけぶ」)の時代が来るといわれた。だが芸能界異変はつきもので、実際に今年活躍した女優は綾瀬はるか(「ハッピーフライト」「おっぱいバレー」)と永作博美である。23歳の綾瀬はるかは理解できるとして、永作博美は童顔で若くみえるが、38歳である。今年「人のセックスを笑うな」「同窓会」「弁当夫婦」「その日のまえに」「魔法遣いに大切なこと」「クローンは故郷をめざす」と映画6本とドラマ「四つの嘘」に出演している。アイドル氷河期といわれたグループribbonの時代からよくぞ厳しい芸能界を生きのびてきたと感心する。1970年生まれの永作博美は、富田靖子、中山美穂、坂井真紀らと同じ年であるから、その芸歴の古さがわかるであろう。アラフォー世代の永作博美は同世代ライバル深津絵里、常盤貴子らを凌ぐ活躍をした一年だった。

    このブログ記事のタイトルを「ヒロインこの10年」としたのは、現在中心となって活躍している女優の生れた年代がだいたい1980年前後が多いからである。つまり28歳前後。ちなみに1980年の生れに広末涼子、田中麗奈、竹内結子、榎本加奈子、小池栄子、1981年生れに柴咲コウ、内山理名、池脇千鶴、佐藤江梨子、小野真弓、1982年生れに深田恭子、加藤あい、岡本綾らがいる。1979年生まれには奥菜恵、仲間由紀恵、国仲涼子、ともさかりえ、1978年生れには長谷川京子、小西真奈美、酒井美紀、釈由美子らがいる。1980年代前後の女優が一番役が付きやすいと思われるが、準主役というケースが多い。やはりヒロインは20歳前後であろう。南沢奈央(「赤い糸」)、福田沙紀、北乃きい、黒川智花、黒木メイサなど横一線であるが、新垣結衣の人気は当分続きそうな予感がする。

切ナイ恋物語「恋空」

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    東宝映画「恋空」は興行成績39億円の大ヒットとなった。原作は美嘉の実話風ケータイ小説。大人からみると純愛物とは言い難い衝撃的な内容もあるが、映画を観たさわやかさは、すべて主演女優の新垣結衣の清潔感からくるものであろう。テレビ版で他の女優が田原美嘉を演じたが純愛ドラマとしての魅力が感じられなかった。新垣結衣が泣く表情、笑う表情、すべて天然のもので業とらしい演技ではない。素のままの表現が見る者を自然に感動させるのである。新垣結衣という魅力ある新人スターによってこの映画「恋空」は成功した。また小説も書き出しがすべてである。

もしもあの日君に出会っていなければ

こんなに苦しくて

こんなに悲しくて

こんなに切なくて

こんなに涙があふれるような想いはしなかったと思う。

けれど君に出会っていなければ

こんなにうれしくて

こんなに優しくて

こんなに愛しくて

こんなに温かくて

こんなに幸せな気持ちを知る事もできなかったよ…。

涙こらえて私は今日も空を見上げる。

空を見上げる。

2008年12月29日 (月)

外国映画この一年

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    今年は米大統領選挙だったが、ハリウッド・スターがオバマを強く支持したことが1番の話題であった。なかでもレオナルド・デイカプリオ、トム・クルーズ、ジュリア・ロバーツ、ハリソン・フォード、ウィル・スミス、トム・ハンクスといった大物スターが目立った。

2008年はジョー・デップ、アラン・リックマン主演の「スウィニー・トッド街の悪魔の理髪師」で幕を開けた。

全米脚本家組合のストライキによりゴールデングローブ賞受賞式が中止になった。

   今年もファンタジー映画のブームが続いた。「ライラの冒険、黄金の羅針盤」(ダコタ・ブルー・リチゃーズ、ニコール・キッドマン)、「ナルニア国物語第2章カスピアン王子の角笛」(ベン・ハーンズ、ケート・ブラシェット)、「テラビシアにかける橋」(アナソフィア・ロブ、ジョッシュ・ハッチャースン)、「魔法にかけられて」(エーミー・アダムズ)、「スパイダーウィックの謎」(フレディー・ハイモア、サラー・ボルジャー)、「ウォーター・ホース」(アレックス・エテル)など。

    興行的にヒットした映画は、「アイ・アム・レジェンド」(ウィル・スミス)、「レッドクリフPart1」(トニー・レオン、金城武)、「インディ・ジョーンズ、クリスタル・スカルの王国」(ハリスン・フォード、ケートブランシェット)の3作品。

   ロマンスでは、ジェラード・バトラーが活躍。ジョディ・フォスターと「幸せの1ページ」、ヒラリー・スワンクと「P.S.アンラヴユー」。そのほか「かけひきは恋のはじまり」(ジョージ・クルーニー、レネー・ゼルウェガー)、キーラ・ナイトリーは「つぐない」(ジェームズ・マカヴェイ)、「シルク」(マイケル・ビット)の2本。「最後の初恋」(ダイアン・レーン、リチャード・ギア)、「ベガスの恋に勝つルール」(キャメロン・デイアズ、アシュトン・カッチャー)など多彩であるが、「メイド・オブ・オナー」のパトリック・デンプシーは米雑誌「ピープル」の「最もセクシーな男性」に選ばれた。

   アクションでは「ボディ・オブ・ライズ」(レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ)、「アイアンマン」(ロバート・タウニー・ジュニア、テレンス・ハワード)、「ドラゴン・キングダム」(ジャッキー・チェン、ジェット・リー)、「地球が静止する日」(キアヌー・リーブス、ジェニファー・コネリー)など。

   訃報としては、チャールトン・ヘストン、ポール・ニューマンの大物スターの死去も悲しい出来事であったが、「ダークナイト」のヒース・レッジャー(28歳)や「依頼人」゜ゴールデンボーイ」のブラッド・レンフロー(25歳)の若手俳優の薬物中毒による急死は衝撃を与えた。

   アジアの作品では、ホ・ジノ監督の「ハピネス」(イム・スジョン、ファン・ジョンミン)、「ファン・ジニ」(ソン・ヘギョ、ユ・ジテ)、「アドリブ・ナイト」(ハン・ヒョジュ、キム・ヨンミン)、「ラスト・コーション」(トニー・レオン、タン・ウェイ)、「恋の罠」(ハン・ソッキュ、キム・ミンジョン)など話題性のある作品があった。

2008年12月26日 (金)

不滅の美人スターは誰れ?

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   新年号の雑誌が本屋の店頭に並べられているが、アエラはじめ雑誌の表紙の多くは宮崎あおい。どうやら2008年は篤姫の一人勝ちだった。少女モデル出身の宮崎あおいは演技力だけでなくフォトジェニックな魅力が素晴らしい。

  今年、洋画雑誌ロードショーが廃刊したので、スクリーン誌だけになった。スクリーンは「オードリー・ヘプバーンの素顔」ということで大特集をしてなかなか健闘している。オードリーの17回忌、生誕80周年ということだが、15頁にわたる豊富なカラー写真はこれまでのどの特集より充実している。もちろん新時代のオードリー女優たちも紹介している。ナタリー・ポートマン、オドレー・トトゥー、アン・ハサウェー、キーラ・ナイトリー、でも写真でみる限り、オードリーの魅力には遠く及ばない。

    世界の美人スターといえば、戦後はイングリッド・バーグマンから始まった。イギリスの名花ヴィヴィアン・リーも戦前の女優だが、大戦の関係で戦後人気女優にのしあがった。ヴィヴィアン・リーの「哀愁」と並んで人気のあったのは、「心の旅路」のグリア・ガースンである。バーグマン同様に大柄な美人であり、上品で教養がある。貴婦人と呼ぶのに最もふさわしい女優はグリア・ガースンかもしれない。

    妖艶な魅力といえば「賄賂」「パンドラ」「裸足の伯爵夫人」のエヴァ・ガードナー。知的で気品のある美しさといえば「黒水仙」「イグアナの夜」のデボラ・カー。だがオードリー以前の映画界はむしろグラマー美人に人気があった。肉体派のはしりは「にがい米」「シーラ山の狼」「紅薔薇は山に眠る」のイタリアのシルバーナ・マンガーノだろうか。マリリン・モンローが「ナイアガラ」でお尻を左右に大きく振って歩いたとき、日本の男性は生ツバをのみこんだものである。そしてオードリーの最大のライバルといえば、グレース・ケリーとエリザベス・テーラーだろう。だがオードリーの魅力がいつまでも新鮮で人気があるのは、映画での名演だけでなく、古びないファッションセンスにある。とくに「麗しのサブリナ」にはジヴァンシーのオードリー・ファッションの基本アイテムがぎっしりある。洗練の極致「ティファニーで朝食を」、シック&カジュアルな「シャレード」「いつも2人で」など女性にとってオードリー映画はオシャレのお手本だ。

2008年12月13日 (土)

伝説のセックスシンボル・ベティ・ペイジ

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   第二次大戦中、米軍兵士たちに一番人気のあった女優はベティ・グレイブル(1916-1973)であった。その後、ジェーン・ラッセル(1921-  )やマリリン・モンロー(1926-1962)が登場して、いわゆるセックス・シンボルとして人気を集めた。モンローの全盛期にモンローに匹敵する人気があり、黒髪でボンデージやランジェリー、そしてキュートな笑顔で、裏マリリン・モンローと呼ばれたベティ・ペイジ(1923-2008)が85歳で亡くなったことが大きく報道されていた。ベティは7年間活躍したが、ある上院議員のポルノ追放キャンペーンのため、表舞台から姿を消した。しかし1978年頃からベティの再評価が起こり、近年ではメアリー・ハロンという女性監督によってグレッチェン・モル主演で伝記映画が製作され、その名前は再び世に知られるようになった。映画公開当時、日本でベティ・ペイジの写真を調査研究しようとしたところ、日本の公共図書館にはほとんどベティに関する資料を所蔵するところが無かった。マリリン・モンローの膨大な情報量に比べ、ベティに関する資料の少なさに日本の図書館の選書に疑問をいだいたものである。

   日本では、日活ロマンポルノの衰退以後、映画や図書に対する規制は社会的に強化される傾向にあるといえる。しかし性風俗に関する著作物の蒐集保存は、これまで軽視されがちであるが、公的な保存機関である図書館に期待することはほとんど不可能なため、個人的コレクションの対象としては「稀少性」と「再評価の気運がある」ことからも文化史的価値は高いものがある。江戸の浮世絵版画が高価なのと同じであろう。最近、ポルノなどを規制する法律を強化する動きがあるようだが、個人的に所有することまで規制することには、少なからず疑問をもっている。

    1950年代、マリリン・モンローは日本でもすごい人気であった。その出演作品の多くは話題となり、今日でもDVDで見ることができる。モンローのほかにもダイアナ・ドース、ジェーン・マンスフィールドなどお色気女優が映画界に現われた。だが、ピンナップ主体であるベティ・ペイジのことは日本の芸能雑誌で紹介されることはほとんどなかったであろうし、プレイボーイ日本語版は当時まだ無かったので知られることはなかっただろう。その頃、初期のプレイボーイ誌を輸入して購読していた日本人はどれくらいいるのだろうか。ベティ・ペイジよりもむしろエレン・ストラットン、リサ・ウィンターズ、リンネ・ナネット・アルストランド、マリリン・ワルツ、マーガレット・スコット、ジャッキー・レインボウ、アーリン・ハンター、マルゲリーテ・エムビー、アン・フレミングなど初期のプレイメイトの名前が残されている。

2008年11月 5日 (水)

歌笑と痴楽

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    ケペルは落語はほとんど聴かないが、子供の頃、好きだった落語家が一人いる。柳亭痴楽(1921-1991)だ。顔をくしゃくしゃにして、節を付けて話す。「柳亭痴楽はイイ男。鶴田浩二や錦之助、それよりずっとイイ男。上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃、外回り」と美文調が子供にはとても新鮮だった。有名な「痴楽綴り方教室」は、実は三遊亭歌笑(1917-1950)の「純情詩集」「歌笑綴り方教室」の影響によるものらしい。「七つ八つで帯解けて、十九二十は器量よし、世の移り変わりと共に怪異な容貌とはなりぬ…」とある。「怪異な容貌」とは、歌笑は強度の斜視で、エラの張った四角い顔だったからである。痴楽が「柳亭痴楽はイイ男」「破壊し尽された顔の持ち主」と顔をネタにするのも歌笑の影響によるものである。

    歌笑は、昭和25年5月30日、大宅壮一との対談を終え、銀座松坂屋前の電車通りを横断中、疾走してきたアメリカ軍のジープにはねられ死亡した。32歳の若さだった。翌日の新聞には小さい記事で掲載されていた。終戦直後の暗い世相を明るくした戦後最大の爆笑王の扱いとしてはひっそりしたものであったのは、加害者が占領軍の兵士であったためだろう。結局、ひき逃げ犯人はうやむやになったままであった。

2008年10月30日 (木)

今年、引退する有名人

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   シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子(36)が引退会見を開いた。高橋尚子に限らず今年は何故か大物の引退宣言が目立つ。野球界では、桑田真澄、野茂英雄、清原和博、体操の鹿島丈博、陸上の朝原宣治、柔道の井上康生、サッカーの森島寛晃、レスリングの伊調馨・伊調千春などなど多彩な顔ぶれである。スポーツ選手は肉体的な限界もあるので、ある程度予測されることだが、この人の動向が今年一番騒がせたであろう。小泉純一郎の政界引退である。

    芸能界では、自然と消えていくケースが多いが、石田未来は20歳で「自分探しをします」と引退宣言した。グラビアアイドルの小向美奈子(23)と共に惜しまれる引退であろう。

   海外では「アンダーカヴァー」のホアキン・フェニックスが34歳の若さで俳優業を引退し、音楽活動に専念するという。ホアキンはリヴァー・フェニックス(1970-1993)の弟であり、2度のアカデミー助演男優賞にノミネートされた演技派である。

    ところで石田未来は、「いしだみく」と読む。「未来」という名を使う芸能人は多いが、「みらい」「みく」「みき」など読みが異なる。こういう場合、普通に「未来(みらい)」と読ませたほうが売れる可能性が高い。志田未来は「しだみらい」と読み、「14歳の母」「正義の味方」と好調だ。山本未來(やまもとみらい)、上野未来(うえのみく)、森山未来(もりやまみらい)、羽生未来(はにゅうみく)などがいる。

   このように、自ら表舞台を去っていく人もあれば、今年、有名人になった人もある。エドはるみ、山本モナ、スザンヌ、はるな愛、鳥居みゆき、木下優樹菜、DAIGO、上地雄輔などテレビはまた新しい有名人を生んでいる。最近の売れっ子の傾向として「おばかキャラ」が好まれる。ただし男性の場合、ルックスも重要視されるようだ。とくに「セレブと貧乏太郎」の上地雄輔は今いちばん旬な芸能人で将来性もありそうだ。

オードリー・ヘプバーンの離婚

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「戦争と平和」のため乗馬の訓練をするオードリー・ヘプバーン

   ケペルが映画雑誌を講読しはじめたころは、オードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーは、おしどり夫婦として知られていた。昭和42年の二人の離婚は雑誌で大きく取り上げられた。ところが、すでに「映画の友」昭和30年7月号に「もろもろアルファベット帖」欄に次の記事がある。

【わからないもの】オードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーの結婚継続年数。ビング・クロスビーの毛髪。ジョン・ウェインのラテン系女好き。ジョン・クロフォードの年齢。アラン・ラッドの貯金高(新潟・石崎敬輔)

   むかしの雑誌には読者の投稿にもなかなか味のある記事が多い。「映画の友」を購読している層は若い人からかなりの年輩層まで幅が広かったようである。当時から、年輩の眼から見て、オードリーの結婚には疑問視していたファンもあったようだ。メル・ファーラー(1917-2008)は今年の6月2日、満90歳で亡くなった。才能豊かではあったが、女性関係は派手で、生涯に5度結婚している。オードリーは4番目の妻で、結局14年間も続いた。いまでは女性のお手本としてオードリー・ヘプバーンは伝説化されてしまったが、パラマウント時代のオードリーは、プリンセスのような気品であらゆる男性をとろけさせる魅力をもったアイドル女優だった。オードリーの結婚はウブで世間知らずで結婚願望の強い若い女性が、中年のプレイボーイの手に落ちたという感じがあって、メル・ファーラーへのやっかみは相当にアメリカでも強かったようだ。ブロードウェイの舞台「オンディーヌ」、「戦争と平和」、「緑の館」とオードリーと共演したときは順調であったが、離婚後のメル・ファーラーが十分な活躍できなかったのは、そのためではないだろうか。

オードリーとの離婚は、メルの女性関係が原因であると最近の雑誌にはある。相手はスペインの少女スターだったマリソルともフランスのカトリーヌ・ドヌーヴとも言われている。(「スクリーン2009.3」102頁)

2008年10月27日 (月)

生きものの記録

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    むかし「終着駅」(千家和也作詞)、「甘い生活」(山上路夫作詞)、「草原の輝き」(安井かずみ作詞)、「芽ばえ」(千家和也作詞) 、「バス・ストップ」(千家和也作詞)など歌謡曲の題名を洋画から借用すると何故かよくヒットした。城みちるの「イルカにのった少年」(杉さとみ作詞)も、ソフィア・ローレン、アラン・ラッドの「島の女」の主題歌「イルカに乗った少年」ではないか、と思っていたが、ある番組で城みちる自らが映画のパクリだったことを白状していた。

    これらは確信犯的なパクリだが、むかしは知らないで過去の作品と同じ題名になることもしばしばあった。黒澤明(1910-1998)の「生きものの記録」(昭和30)という映画も、題名が丸岡明(1907-1968)の小説「生きものの記録」と同一であることが制作段階で作家からの抗議で判明した。問題の小説は昭和10年に「三田文学」に発表され、芥川賞候補にもなり、翌年、沙羅書店から刊行されている純文学の名作である。大分、物議を醸したようだが、結局は示談となって、そのまま映画は公開された。

    ストーリーは、町工場の経営者、中島喜一(三船敏郎)は原水爆の実験に脅威を感じ、この地球上で安全な場所は南アメリカだと考える。しかし周囲の人々は彼の心配を理解せず、彼はついに発狂して、工場に放火していまう。当時35歳の三船が70歳の工場長をフケで熱演したが、興行的には失敗だった。半世紀のち、「生きものの記録」で検索すると、丸岡明には申し訳ないが、いまでは後発の映画作品のほうが有名になってしまったのも皮肉な話である。

2008年10月26日 (日)

ジェニーの肖像

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    貧しい画家のエブン・アダムス(ジョゼフ・コットン)は、ある日、偶然ひとりの少女と出会う。ジェニー(ジェニファー・ジョーンズ)といって不思議な魅力の持ち主だった。ほんの短い時間ではあったが、それは印象的な出会いで、風景画家だった彼を少女のスケッチへと向かわせる何かがあった。しばらくして、運命とも言うべき力が二人を再会に導くが、驚いた事にジェニーは、わずかな間に少女から大人へと成長を遂げていた。エブンは不思議に思うが、二人の間に強く運命を感じ、ジェニーの肖像画を描くようになる。ドイツ出身の表現主義の映画監督ウィリアム・ディターレ(1893-1972)が愛と幻想に満ちたストーリーをファンタジックに描く「ジェニーの肖像」(1948)はアカデミー特撮効果賞、ベネチア映画祭主演男優賞を受賞している。なお、ジョセフ・コットン&ジェニファー・ジョーンズの共演作品には、このほか「君去りぬ後」(1944)、「ラヴレター」(1945)がある。原作はロバート・ネイサン(1894-1958)

男女のカップルは夢とロマンをもたらす

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   アメリカのエリオット・アーウィットは、目線を低くした等身大の人間像と国境を越えたヒューマニズム、ユーモアの漂う作品で知られる写真家である。なかでもちっちゃなカップル、年季の入ったカップル、不思議なカップル、など、男と女が織りなす、甘くやさしい写真を40年以上とり続けた。

    恋愛メロドラマの世界もハリウッド、日本映画も美男美女の愛を美しく純潔なものに描くという古典的パターンは、韓国映画の登場によって、さらに量産されるようになった。日本でも一時期、薄っぺらいメロドラマとして、低迷した時期もあったが、昨年の「恋空」の大ヒットによって、カップルの映画は不滅のジャンルであることを証明している。名コンビといわれるスターを思いだすままにあげると、ダグラス・フェアバンク&メリー・ピックフォード、クラーク・ゲーブル&ジーン・ハーロー、ミッキー・ルーニー&ジュディ・ガーランド、ハンフリー・ボガート&ローレン・バコール、ジョン・ウェイン&モーリン・オハラ、ジェームズ・スチュアート&ジューン・アリスン、ジャック・レモン&シャーリー・マクレーン、ライアン・オニール&アリー・マックグロー、リチャード・ギア&ジュリア・ロバーツ、上原謙&田中絹代、佐田啓二&岸恵子、浜田光夫&吉永小百合、三浦友和&山口百恵、などであろうか。このようなゴールデン・カップルといわれるスターはいまではあまり見られない。

2008年10月24日 (金)

家定は暗愚だったのか

    第13代将軍徳川家定が倒れたのは安政5年6月25日であるから、死の11日前である。この日は諸大名に総登城が命ぜられ、紀州慶福(7月21日家茂と改名)を世嗣に決定した旨の発表があり、そのお広めとして慶福以下に御対顔があったその日である。家定はそのあと急に工合が悪くなり、当時大奥に勤めていた佐々鎮子の話によると、松の廊下から人につかまってお出になったという。そしてそのまま回復を見ず、7月6日申の下刻(午後5時)亡くなった。数え年35歳である。

    家定は12代将軍・家慶の三男で、「幼少にて重き疱瘡に罹り給ひ、満面の痘痕に醜くなららせれ、且病身がちなる上、俗に謂ゆる癇症にて、眼口時々痙攣し、首また之に従い、一見笑ふべき奇態を為し、言語も亦やや訥して吃るが如くなりけり」(「徳川慶喜公伝」)といった気の毒な生立ちで、成人するとその癖を恥じて人に会うのを厭い、「御簾中は前後三人まで迎へられしかど、曽て男女の語らひもなら」ざる状態で、ひどい抑鬱症に陥っていたらしい。大河ドラマ「篤姫」で家定を好演した堺雅人と原作者の宮尾登美子が文藝春秋で対談している。それによると宮尾登美子は家定の癇症を水銀中毒だったとしている。「徳川家に限らず、貴族の奥さんは自分で子供を育てずに、乳母を雇って、お乳を飲ませます。その乳母が厚塗りのお化粧をしていて、赤ちゃんが舐めるんですよ、白粉を」そして宮尾は「(家定は)さほど暗愚じゃなかった」と言っている。堺雅人は山南敬助役で広く知られるようになったが、もともと舞台俳優だ。今回の「篤姫」ブームでも夫婦愛が素晴らしかったので、また多くのファンを得たようだ。いろんな役ができる役者さんとしてこれからも面白い演技を期待している。

2008年10月 9日 (木)

お姫さまだっこ

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   少女マンガを読むと「お姫さまだっこ」に対する感情には極上のものがあり、少女の憧れの一端をうかがうことができる。そのルーツはディズニーの「シンデレラ」であろうが、王子さまが長身で力持ちであること、お姫さまがダイエットに成功することが必須要件であり、現実社会で成就するにはなかなかハードルが高いポーズのように思える。映画「哀愁」の宣伝スチールのように男性が軽々と抱いているくらいでないとサマにならないであろう。

   「哀愁」のマイラ(ヴィヴィアン・リー)は、もとは可憐なバレリーナだったが、恋人(ロバート・テーラー)を戦場で失ったと勘違いをし、街娼に身をおとすという悲しい話である。ウォータールー橋で娼婦として媚を売るヴィヴィアンが、上品な雰囲気そのままなのが、かえってメロドラマのヒロインとして最高の演技となっている、とある映画評論家が書いていた。あれがシモーヌ・シニョレの爛れた娼婦ぶりであれば、おぞましいドラマになるであろう。

 ロンドンの あの橋のたもとで

 バレーを踊りし 麗しき瞳

 一年前の 我が乙女よ

 とわに誓いし まことの愛

 手に握りしめ

 いつも離さず いだきし

 ラッキー・ビリケン 今は無く

 一人淋しく 橋にたたずむ

2008年10月 7日 (火)

メトロの匂い

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    今も昔もフランスの女性は世界中の男性の憧れである。フランス女性と知り合う機会の先ずない日本人男性の最も手っ取り早い方法はフランス映画の中から「理想の女性」や「永遠の女性」を探すことだった。アルレッティ、マリー・ベル、コリンヌ・リュシェール、アナベラ、ダニエル・ダリュー、ミシュリーヌ・プレール、アヌーク・エーメ、フランソワーズ・アルヌール。だがたった一作ながらその面影を生涯忘れぬ女優がいる。ミレーユ・バラン。

    映画「望郷」でギャングのペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)はカスバに身を隠していたが、ある日、パリから来た美しい女ギャビー(ミレーユ・バラン)にあう。ペペは彼女がもつ故郷パリの匂いに惹かれる。「君はパリのメトロの匂いがする」、ペペがギャビーに言うシャレた言葉は世界映画史の中でも最高の名セリフである。

     ところでミレーユ・バラン(1911-1968)という女優のことは、「望郷」以外何も知らない。あれほど印象に残る女優なのにウィキペディアの項目にもない。「ビバ!フランス映画の女優たち」にわずかに紹介記事がある。パリでモデルをしていた21歳のとき、モーリス・カノンジュ監督に見出されて「クラス万歳」に出演。G・W・パプスト監督のフランス亡命時代の作品「ドン・キホーテ」をへて、1936年のジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「望郷」に出演。眉を細くひいたメランコリックなパリの女を演じて世界的にその名を知られる女優となった。だがこの当たり役のイメージが強すぎてか芸域を広げられないまま1946年「最後の騎打」を最後に引退。不遇のうちに、パリにて病死した。

2008年9月29日 (月)

「パン売りロバさん」近藤圭子

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  ロバのおじさん チンカラリン

  チンカラリンロン やって来る

  ジャムパン ロールパン

  できたて やきたて いかがです

  チョコレートパンも アンパンも

  なんでもあります チンカラリン

 昭和30年代、四輪の馬車をひくロバのパンの移動販売が日本各地に見られた。「♪ロバのおじさん チンカラリン」というテーマソングを歌っているのは、われらが近藤圭子ちゃんだ。昭和20年代から30年代初期にかけては、童謡歌手が大人気だった。川田正子、孝子、美智子の川田三姉妹、古賀さと子、安田祥子・章子、松島トモ子、伴久美子、渡辺典子、なかでも近藤圭子は少女から美人女優へと成長した美形アイドル№1だった。昭和18年3月18日生まれ。現在65歳ということになる。7歳より、キングレコード専属作曲家・山本雅之に師事し、昭和26年、「仔豚のラッパ」でデビュー。テレビ時代になると、「八頭身美人」といわれた近藤圭子のスタイルのよさが日本テレビ局の目にとまり専属スター第一号となる。テレビでは「星をみつめて」「私のおかあさん」「ああ無情」の主役に抜擢され、映画も「透明人間」「宮本武蔵」に出演している。雑誌「少女」の昭和31年人気スター投票を見ると、堂々の第5位にランクされている。

  第1位 松島トモ子

  第2位 美空ひばり

  第3位 中村錦之助

  第4位 古賀さと子

  第5位 近藤圭子

   近藤はその後もテレビ、映画で活躍し、「豹の眼」(昭和34年)、「快傑ハリマオ」(昭和35年)と大人気番組に出演している。三橋美智也が歌う「快傑ハリマオ」のレコードのB面は近藤圭子が歌う「南十字星の歌」だ。NHKのテレビ・ミュージカル「バリ島への道」の主役を勤めた。ところが昭和40年4月28日、草津の有料道路の乗用車の中で妻子ある男性と短刀で刺し違えるという心中未遂事件を起こした。童謡歌手から美人女優という人も羨む22歳のアイドル近藤圭子が、はじめて知った純粋な愛が何故、心中という選択に向かったのか、詳細は謎であるが、ともかく聖女は忽然とケペルの前から消えていった。ネット情報によると、昭和49年にはアメリカ人と結婚し、ハワイで今も幸せに暮らしているという。

2008年9月28日 (日)

熱いトタン屋根の猫

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    アメリカを代表する俳優がまた一人去っていった。映画「明日に向かって撃て」「スティング」「タワーリング・インフェルノ」などで知られたポール・ニューマン(1925-2008)が、9月26日、がんのためコネティカット州ウェストポートの自宅で死去した。83歳だった。

   ポール・ニューマンは1925年1月26日、オハイオ州クリーブランドに生れた。父親は運動具店を経営していた。父の弟が、詩人肌の新聞記者だったので、少年時代は新聞記者になりたいと思っていた。しかし12歳で子供劇団にはいって舞台を踏むうち演劇への興味にとりつかれて、ケニヨン・カレッジで演劇に専念した。第二次大戦では海軍に召集され通信士として太平洋戦域で従軍した。復員後、エール演劇学校に入学。プロとしてのデビューはテレビであったが、ほどなくブロードウェーの舞台にチャンスをつかみ、14か月のロングランとなった「ピクニック」での演技がワーナー映画の注目をひいて、ハリウッドへ。「銀の盃」であざやかなデビューとなる。だが1年で、ハリウッドがいやになり、ニューヨークの演技研究所アクターズ・スタジオで演技の研鑽を重ねた。ハリウッドは再び彼を呼び戻し、「傷だらけの栄光」「長く熱い夜」「左ききの拳銃」などの異端児的な役どころで売り出した。ポールは「第二のマーロン・ブランドー」などと呼ばれた。「熱いトタン屋根の猫」(1958)ではアカデミー主演賞候補となった。

   南部に大農場を裸一貫から築いたビック(パール・アイヴス)はガンで死期が迫っている。本人は知らないが、息子たちは知っている。次男ブリック(ポール・ニューマン)は、毎日酒びたりだった。彼は親友スキッパーと妻マギー(エリザベス・テーラー)との仲を疑ったが、スキッパーの自殺にショックを受けて以来、マギーとの夫婦の交渉をなくしていた。スキッパーとブリックは微妙な友情に結ばれていた。ブリックの兄夫婦が遺産をねらってやってくる。ドラマは人間の赤裸々な欲望と、南部の頽廃を鋭くえぐる。テネシー・ウィリアムスの舞台劇をリチャード・ブルックスが映画化。題名の意味は夫との性交渉がなくなった若妻が、欲情をもてあましている状態をいっている。ポール・ニューマンはその後も何度もアカデミー主演男優賞にノミネートされたが長く賞に恵まれず、初の受賞は「ハスラー2」(1986)だった。

2008年9月26日 (金)

正義の味方、月光仮面の人気の秘密

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    「♪タケダ、タケダ、タケダ…」というコマーシャル・ソングで始まる「月光仮面」第2部「パラダイ王国の秘宝」は日曜日夜7時からの30分番組であった。ケペルは「月光仮面」世代であるが、まだ家庭にテレビはなく、銭湯で見た記憶がある。

    乏しい制作費のためセットなしのオールロケ。今からみるとチープなドラマづくりであるが、なぜ当時の子供たちをあれほど惹きつけたのか謎であった。映画評論家・樋口尚文の新著「月光仮面を創った男たち」は緻密な検証の上に、その謎への独自の解明が試みられている。いわば「三丁目の空き地」説とでもいうべきもので、以下、梗概を記す。

    「月光仮面」の人気を決定づけた第1部(全71話)のほとんどは、夕方6時から10分間の帯番組として週6回放送されていた。すなわち、こどもたちが学校を終えて空き地で大暴れをして帰宅するや、そのタイミングでテレビでわずか10分の安づくりなヒーロー物が始まるのである。単純なストーリーは、空き地での決戦の一日のしめくくりとして、このうえなく画期的で愉しいものだったのではないか、と推論している。それと「月光仮面」の颯爽たるバイク姿が、その時代の勢いを背負った夢のプロダクトでもあった、としている。

    誰もがみんな知っている「月光仮面」だが、実は誰もがみんな知らずにいる、昭和の奇跡があった。大瀬康一のインタビュー、川内康範(作家)、船床定男(監督)、小林利雄(制作、宣弘社)など緻密な調査がされていてノンフィクション、ルポルタージュとしても優れている。

    なぜ「月光仮面」世代の当人たちがあまり「月光仮面」についての綿密な調査に無関心だったのだろうか。それは人生のうちでおそらく最も楽しかったであろう日々の思い出は、だだぼんやりとした記憶にとどめておきたいからであろう。「月光仮面がなぜ人気があったか」などという詮索は「ウルトラマン」世代にお願いするほうが客観性があっていいだろう。

2008年9月12日 (金)

ロードショーの廃刊

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    集英社の洋画雑誌「ロードショー」が11月21日発売の2009年1月号で休刊するという。この場合の休刊とは、イコール廃刊というケースがほとんどらしい。創刊は1972年3月。創刊時の思い出が蘇った。ケペルは阪神野田駅で働いていたが、まだ給料が少なく、駅近くの商店街にある本屋で販売中の「ロードショー」を買わずに立ち去った。表紙はカトリーヌ・ドヌーブでとても美しいかった。その年の8月に公務員になって、やっと雑誌が買えるようになった。全盛期はなんと「スクリーン」と「ロードショー」2誌も買っていた。しかしいつしか「スクリーン」だけになった。久しぶりに本屋で手に取ってみたが薄くなっているのに驚く。思えば洋画のヒット作も少なく、人気スターが育っていない。淀川長治、荻昌弘、小森和子といった人気映画評論家も亡くなった。ロードショー1975年スターベスト30はこんな顔ぶれがいた。

第1位 ブルース・リー

第2位 アラン・ドロン

第3位 ジュリアーノ・ジェンマ

第4位 スティーブ・マックィーン

第5位 ロバート・レッドフォード

第6位 クリント・イーストウッド

第7位 ポール・ニューマン

第8位 ジェームズ・ディーン

第9位 チャールトン・ヘストン

第10位 クラーク・ゲーブル

第11位 ジャン・ポール・ベルモンド

第12位 ピーター・フォーク

第13位 ピーター・フォンダ

第14位 アル・パシーノ

第15位 エルビス・プレスリー

第16位 ロジャー・ムーア

第17位 ロバート・ワグナー

第18位 ダスティン・ホフマン

第19位 デビット・マッカラム

第20位 クリス・ミッチャム

第21位 チャールズ・ブロンソン

第22位 ショーン・コネリー

第23位 ジェームズ・コバーン

第24位 チャールズ・チャップリン

第25位 ユル・ブリンナー

第26位 ジェームズ・カーン

第27位 バート・レイノルズ

第28位 レナード・ホワイティング

第29位 ジョン・ヴォイド

第30位 ジャック・ニコルソン

   これらの顔ぶれをみて、現在も活躍しているロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、ダスティン・ホフマン、ショーン・コネリー、ジャック・ニコルソンたちを並べてみると、ある程度当然の結果といえなくもない。もう一つ特徴をあげると、スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、デビット・マッカラムといえば「大脱走」(1963)の出演者たちだ。あるいはデビット・マッカラムをはずしてユル・ブリンナーを入れると「荒野の七人」(1960)のスターたちだ。つまりハリウッド映画は、60年代、70年代は、スティーブ・マックィーンがシンボル的存在だった。マックイーンはほんとうの意味で、アクションの面白さを映画で見せてくれたスターだった。テレビ「拳銃無宿」に出演していた無名の俳優が、世間の注目を集めたのは「荒野の七人」だった。マックイーンの敏捷な動きと鮮やかなガン・プレイは主役のユル・ブリンナーを喰ってしまった。その後、マックイーンは再びブロンソンやジェームズ・コバーンと組んで「大脱走」に出演し、軽妙な演技と飾り気のない素朴な持ち味で多くのファンを獲得した。「マンハッタン物語」(1963)の失業青年、「シンシナティ・キッド」(1965)のギャンブラー、「ネバダ・スミス」(1965)の復讐に燃える混血児、「砲艦サンパブロ」(1965)の水兵、どんな役でも常にカッコイイ。とくに「ブリット」(1968)の刑事、「栄光のル・マン」(1970)のレーサー、「ジュニア・ボナー」(1971)の西部男、「パピヨン」(1973)の終身犯、「タワーリング・インフェルノ」(1974)の消防隊長、と演技者としても成長してきた。1980年11月7日、ハリウッドきってのアクションスターも肺がんには勝てず、50歳の若さで急死したが、彼の穴をうめるような魅力あるスターはその後も現れていない。

2008年9月 9日 (火)

南北のファン・ジニ競演

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   李朝時代に実在した名妓であり詩人でもある黄真伊(ファン・ジニ)の生涯を描いた映画・ドラマはこれまでに何回かある。1957年のド・クムボン、1986年のチャン・ミヒ、そして現在NHKBS2で放送中のハ・ジウォンのドラマ「ファン・ジニ」である。

   ファン・ジニの生没年など詳しい経歴は明らかではないが、「チャングムの誓い」に登場する李朝第11代王・中宗(在位1506-1544)と同時代を生きた女性である。妓生であるファン・ジニのはかない人生が歴史に名を残すことはほとんどなかったが、両班たちが書き残した様々な記録にその名が登場し、名妓として伝説が残っていった。

    このように、古くからファン・ジニは朝鮮の人々を魅了してやまず、多くの作家が小説を書いてきた題材であり、イ・テジュン(1936年)、キム・タクファン(2002年)の作品がある。キムの「ファン・ジニ」は韓国KBSでハ・ジウォンでドラマ化された。さらに北朝鮮の作家ホン・ソクチュンの「ファン・ジニ」は2004年に韓国でも出版されてベストセラーとなり、北の作家として初めて南の文学賞(萬海文学賞)を受賞した。そして今度日本でも公開されるホン原作の映画化「ファン・ジニ」(チャン・ユニョン監督)が劇場公開される。主演は清純派のソン・ヘギョ。可憐さと妖艶さが同居する魅力的なヒロイン像として期待される。ハ・ジウォンとソン・ヘギョ、二つの「ファン・ジニ」を比較するのも興味深いものがある。

2008年9月 8日 (月)

綾小路麗子

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    NHK大河ドラマ「篤姫」で徳川家定の母、本寿院を演じて活躍中の高畑淳子。「魂萌え」あたりから主演級の役も多くなったが、もともと劇団出身の女優さんで演技力には定評がある。若い頃は東映の特撮作品によく出演していた。「仮面ライダーーBLACK RK」(1988)のマリバロンや「特捜ロボ・ジャンパーソン」(1993)のスーパー・サイエンス・ネットワークの女帝・綾小路麗子など悪役が得意だった。

2008年8月31日 (日)

時代劇は東映

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前列左から片岡千恵蔵、大川橋蔵、東千代之介、加賀邦男、千原しのぶ、伏見扇太郎

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前列左から尾上鯉之助、里見浩太郎、長谷川裕見子、片岡栄二郎、中村錦之助、大友柳太朗、市川右太衛門

   昨夜のNHKの思い出のメロディー。今から50年前の昭和33年を一つのキーワードにしていた。東京タワー、長嶋茂雄巨人デビュー、石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」。だが忘れちゃならない、あの頃、時代劇も黄金期だった。とくに片岡千恵蔵次郎長シリーズは年に一度の東映一家勢ぞろいに心を奪われた。シリーズといっても配役は作品ごとに入れ替わる。ちなみに昭和33年の正月映画「任侠東海道」(松田定次監督)では清水次郎長(片岡千恵蔵)、大前田英五郎(市川右太衛門)、増川仙右衛門(大川橋蔵)、大瀬半五郎(東千代之介)、法印大五郎(加賀邦男)、お竹(千原しのぶ)、大野鶴吉(里見浩太郎)、おきく(長谷川裕見子)、小政(片岡栄二郎)、桶屋の鬼吉(中村錦之介)、大政(大友柳太朗)であった。ただ印象としては前作の「任侠清水港」での中村錦之介・森の石松が殺される場面が記憶に残る。石松が都鳥の三兄弟に連れられて閻魔堂で騙し討ちに遭い、保下田の久六の子分どもに惨殺される。

   子どもの頃、市場に住んでいたが近くに新しくスーパー・マーケットが出来た。そこの開店祝いに東映のスター尾上鯉之助が来店するというので、女性たちは大騒ぎだったことを思い出した。

2008年8月29日 (金)

次郎長二十八人衆

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左から清水次郎長(長谷川一夫)、法印大五郎(千葉敏郎)、小政(本郷功次郎)

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左から桶屋鬼吉(林成年)、追分三五郎(石井竜一)、大野鶴吉(鶴見丈二)、大瀬半五郎(品川隆二)、森の石松(勝新太郎)

    まだ家庭にテレビがなかった子どもの頃、夜はラジオから流れる浪曲が庶民の娯楽の一つだったように思う。そのなかでも広沢虎造の清水の次郎長が最も人気だった。もちろん映画館でも東映や大映のオールスターキャストの次郎長映画は最高の痛快娯楽大作である。今日の夕刊でマキノ雅彦監督の「次郎長三国志」が近く公開されると知った。お決まりの三度笠に富士山の背景が映画館で見たい気持ちを抱かせる。気になる配役であるが、清水次郎長(中井貴一)、森の石松(温水洋一)、小政(北村一樹)、大政(岸部一徳)、桶屋の鬼吉(近藤芳正)、法印大五郎(笹野高史)、関東綱五郎(山中聡)、沼津の佐太郎(大友康平)などであるが、全体的にベテランの脇役俳優で豪華スター陣という感じはあまりしない。ちなみに昭和34年の大映「次郎長冨士」のキャストは次のとおり。清水次郎長(長谷川一夫)、森の石松(勝新太郎)、大政(黒川弥太郎)、小政(本郷功次郎)、桶屋の鬼吉(林成年)、大瀬半五郎(品川隆二)、竹居の安五郎(香川良介)、神戸長吉(舟木洋一)、増川仙右衛門(島田竜三)などである。新作の「次郎長三国志」と大きく異なる点は二枚目揃いであるということであろう。「次郎長冨士」では、長谷川一夫、勝新太郎に市川雷蔵を吉良仁吉に充てて、三大スターを共演させるという魅力ある配役陣であった。新作「次郎長三国志」はおそらく村上元三の小説がベースであろう。秋葉の火祭、代官斬り込み、荒神山の血煙、石松金毘羅代参、閻魔堂の騙し討ち、鬼吉喧嘩状、富士川の決戦など浪曲や講談にでてくるお馴染みの話が展開するだろう。さて巷間「次郎長二十八人衆」などといわれるが、子分たちの正確な名前を知らない。映画や浪曲などでもやや異なることが多いだろう。たとえば有名な広沢虎造の「石松三十石船道中」で子分を順番にあげる下りがある。

1.大政(山本政五郎)

2.小政(小松村の七五郎)

3.大瀬半五郎

4.増川仙右衛門

5.法印大五郎

6.追分三五郎

7.大野の鶴吉

8.桶屋の鬼吉

9.美保の松五郎(三保の松五郎)

10.問屋場の大熊

11.鳥羽熊

12.豚松(美保の豚松)

13.伊達の五郎

14.石屋の重吉

15,お角力綱

16,鍋売り初五郎

17番以降は「うるせいぇな。おい、下足の札貰っているんじゃねぇやい。ナニ云ってやがんで、幾等次郎長の子分が強いったって、強いといって自慢するのはそんなもんだい、あとの奴ァ、もう、一山いくらの者ばっかりだよ」とセリフが面白い。これらの子分はだいたい実在性が高いと思われる。

   その他、出なかった名前は、森の石松、関東綱五郎、竹居の安五郎、神戸長吉、小川の勝五郎、沼津の佐太郎、森の八五郎、七栗の初五郎、相撲常(相撲の常吉)。28人までにはあと数人の名前が不明である。

  他にも浪曲などで登場する名前は次のとおり。寺津の勘三郎、国定の金五郎、舞坂の富五郎、田中の敬次郎、四日市の敬太郎、辻の勝太郎、由比の松五郎、吉良の勘蔵、興津の清之助。ただしこれらの名前の人物が実在したのか、次郎長の子分であるのかは不明。

2008年8月23日 (土)

「コタンの口笛」の幸田良子

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   「コタンの口笛」は昭和32年の石森延男(1897-1987)の児童文学で第1回未明文学賞を受賞し、昭和33年にはNHKでドラマ化され(主演・武部秋子、山崎猛)、昭和34年には成瀬巳喜男監督で東宝映画「コタンの口笛」(主演・森雅之、久保賢、幸田良子)が制作されている。

    アイヌを父としてシャモ(日本人)を母とする畑中マサは中学3年生。弟ユタカは中学1年生。父イヨンは日雇いで、母は早くなくなっている。星一徹と同じ家族構成である。ちなみに映画版で、教室で金がなくなった件でマサがクラスメイトから嫌疑をかけられるシーンがあるが 、アニメ版「巨人の星」でも同様の話があった。

    アイヌの子であるばかりに、シャモの子にいじめられる。町の百貨店経営者の娘後藤ハツと弟のゴンは、マサやユタカと同級であるが、ふたりに対し、ばかにしたり、つらくあたったりした。ある日、ユタカは、ゴンに「この者売り物なり」という紙を背にはりつけられ、とうとう決闘を申し込む。しかしユタカは、ゴンの友だちのサボにバットでなぐられ、失神してしまった。

   それ以来、酒飲みだったユタカの父は禁酒して、きこりとなり、新しく生活をたてなおそうとしていた。

    マサは図画の谷口先生が好きで、美術展入選作「湖畔の少女」のモデルになったりした。

   ある日、父は倒れる木の下敷きになって死ぬ。叔父の金二が姉妹を町へ行かせては働かせる。家は売られて、二人はコタンの部落をでていく。映画「コタンの口笛」でマサを演じた少女スター幸田良子はわずか2年で映画界から消えた。「コタンの口笛」「愛の鐘」「恐るべき火遊び」「夜の流れ」わずか4作品しかない。あの劇中のマサとユタカの姉妹、幸田良子、武部秋子たちはあれからどうなったのだろうか。ちなみに弟役の久保賢は山内賢として日活青春スターとして活躍した。

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2008年8月10日 (日)

ソニア・ペトローヴァ

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   アラン・ドロンの「高校教師」(ヴァレリオ・ズルリー二監督、1972年作品)が日本で公開されたのは昭和48年10月のこと。ドロンの人気絶頂で職場の若い女性が見に行きたいといっていたのを思い出す。名門の家庭の出身ながら、ある暗い過去を持つ人生に投げやりになっている不良教師(アラン・ドロン)と薄幸の女生徒(ソニア・ペトローヴァ)。二人は激しい恋に落ちるが、悲しい結末に終わる。

   ソニア・ペトローヴァの冷たく冴えた美貌、冬の湖を思わせる瞳は強烈な印象が残った。彼女のプロフィールを知りたいと思ったがわからなかった。生年月日も不詳である。推定によると、映画作成時、17歳だったそうで、1955年生まれ、今年53歳くらいであろうか。出身地はフランス・パリ。出演作は「高校教師」とヴィスコンティの「ルードウィヒ神々の黄昏」の2本のみ。ペトローヴァはバレリーナだったが、カンヌ映画祭で実験的小品に出ているところを、ヴィスコンティに見出されて映画界入りしたらしい。デビューそこそこでズルリー二、ヴィスコンティという名監督の作品に出演したが、演技的基礎がなかったためだろうか、消えていったが、その美しさは永遠に記憶に残る。

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2008年6月15日 (日)

新東宝メロドラマ

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         「細雪」(阿部豊監督)高峰秀子、田崎潤

  「新東宝の亡霊が夜な夜な都会の安眠をさまたげている」昭和36年につぶれた新東宝作品が深夜テレビで放送されて、時ならぬ新東宝ブームをまきおこしたときの週刊誌の記事の見出しだ。新東宝といえば、まさにエロとグロが氾濫する見世物映画であった。だが、このような大蔵貢(1899-1978)にみられる路線は昭和31年からのもので、初代社長の佐生正三郎の時代には溝口健二の「西鶴一代女」のような傑作も製作され、どちらかというと文芸メロドラマ路線の感があった。

    昭和21年秋、東宝映画の労働者は製作体制の民主化を要求して、大規模なストライキにはいった。当時、東宝は大河内伝次郎、長谷川一夫、原節子、高峰秀子、藤田進、黒川弥太郎、山根寿子、花井蘭子、入江たか子、山田五十鈴という「十人の旗の会」というスターを専属にしていた。彼らはその年の11月、東宝を離脱した。こうして誕生したのが新東宝であり、昭和22年3月、劇映画の製作を開始した。第1回作品は「東宝千一夜」(山根寿子)、つづいて「今日は踊って」(長谷川一夫)、「大江戸の鬼」(高峰秀子)であった。やがて「花ひらく」(高峰秀子)、「天の夕顔」(高峰三枝子)、「三百六十五夜」(高峰秀子)と新東宝メロドラマ路線が確立した。「夢よもう一度」「結婚三銃士」(上原謙、高杉早苗、山根寿子)、「望みなきに非ず」(小杉勇、木暮実千代)、「異国の丘」(花井蘭子)、「湯の町エレジー」、「人間模様」(山口淑子)、「グッドバイ」(高峰秀子)、「深夜の告白」(池部良)である。翌25年になると、「処女室」(高峰秀子)、「暁の脱走」(山口淑子)、「細雪」(轟夕起子、高峰秀子)、「山のかなたに」(池部良、角梨枝子)、「雪夫人絵図」(木暮実千代、上原謙)などである。わけても「細雪」は、谷崎潤一郎のベストセラーを原作に、蒔岡家の四姉妹を鶴子(花井蘭子)、幸子(轟夕起子)、雪子(山根寿子)、妙子(高峰秀子)と当時最高の人気女優をズラリと並べ、一流の技術スタッフ、豪華なセット、衣裳を駆使した文芸大作だった。佐生正三郎社長は「配給の神様」と言われたが、経営状態は悪化し、昭和28年2月には退陣した。大蔵貢新社長が就任するのは昭和30年12月29日で、昭和31年から「大蔵路線」といわれる見世物的な娯楽映画の製作に切り替わる。しかし、質は悪かったが、そこには娯楽映画特有の魅力や活力があった。

2008年6月13日 (金)

山口百恵・水野晴郎対談

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    「水曜ロードショー」の解説者で「シェーン」のあとで、「いゃあ、映画って本当にいいもんですね」で知られた水野晴郎さんが6月10日亡くなられた。76歳だった。雑誌「スクリーン1975年4月号」に「水野晴郎連載対談」で16歳の山口百恵と対談している。

百恵 映画の中でも冒険する人の姿にすごく憧れるんですよ。

水野 百恵ちゃんが冒険心をもっているんだよね、何でも挑戦の…(笑)。

百恵 街なんかでも知らないところへ平気で一人でスタスタと行っちゃうんです。冒険と言う事とは違うんですけど、自分がココへ行きたいと思うともうまっすぐ行ってしまうんです。

水野 人間誰でも大小は別として冒険心をもってると思うんだな。その冒険心がどんな形で表へ出て来るのか…。冒険心というのは人間の生命力の一つの象徴だと思う。

百恵 ある人に言われたんです。人間はいつも砂漠の砂であるべきだって…あらゆるものを吸収することが必要だって。

水野 映画というすばらしい世界の知識や人生をいつぱいもった水分を、うんとぼくたちは吸収できるチャンスがあるんだから、幸せだよね。

    1月17日で16歳になったばかりの百恵ちゃん。「伊豆の踊り子」で映画デビュー。「人間はいつも砂漠の砂であるべきだ」という名言は、なかなか16歳の少女でいえるものではない。ところで写真の百恵ちゃんの服は実際の高校の制服であろうか。とても爽やかだ。

 水野はその後、山口百恵に映画「シベリア超特急」の出演を依頼している。脚本を送ったところ、「今はまだできません」と断わられたそうだ。おそらく水野は16歳の百恵ちゃんに好感を何十年も持ち続けていたのであろう。アイドル百恵伝説の一つのエピソードではないだろうか。

2008年6月 7日 (土)

ジーン・ハーロウの急死

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    昭和12年6月7日、プラチナ・ブロンドで人気のあったジーン・ハーロウ(1911-1937)が映画「サラトガ」の撮影中に急死するという海外特報が入った。当時、ハーロウはクラーク・ゲイブル(1901-1960)と供にMBMの2大看板スターであった。

    今日ではクラーク・ゲイブルと言えば、「風と共に去りぬ」(1939)で共演したヴィヴィアン・リー(1913-1967)を名コンビと思いうかべるかもしれないが、実はゲーブル=ハーロウのコンビは、「紅塵」「春の火遊び」「支那海」「妻と女秘書」「サラトガ」と日本でもヒットしていた。ジーン・ハーロウとヴィヴィアン・リーとの年齢は僅か2歳しか違わないのである。

   ジーン・ハーロウの役柄は、夜の世界の女、いかがわしい稼業の獏連女がよく似合った。セクシー女優で、演技力はなかったが、主演作を重ねるうちにメキメキ上達し、役者として次第に演技開眼していく途上であった。腎臓病を患っていたらしいが、母親がクリスチャン・サイエンスという医学的な処置を拒否する宗教を信奉していたために、医者に見せることが遅れて亡くなったということは、なんとも惜しまれる死であった。

2008年5月25日 (日)

ガルボとファッション

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   1925年、アール・デコの展覧会がパリで開催された。スカート丈が、膝の丈にまで短くなったということは、ファッションの歴史でも革命的な出来事だった。この年、グレタ・ガルボはスウェーデンからハリウッドへやって来た。大女で、大きな足、うどの大木といわれた女性が、数年後には1920年代のファッション・リーダーになる。ガルボこそがこの時代に要求した女であり、ギャルソンヌ・スタイルにぴったりした理想のスターであった。1920年代後半のモードは、ガルボを中心にして世界が回った。ギャルソンヌ・スタイルの特徴は、余分なものを捨て去ることだった。手始めにまず髪を切り、スカート丈を短くする。そのことによって、きりっとしたなかに、女性らしい色気と個性美が生まれた。ガルボといえば帽子が連想される。しかし、帽子はガルボに限らず、グロリア・スワンソン、ヴィルマ・パンキー、ベティ・アーマン、ジョン・クロフォードなどなど、ほとんどの女優が愛用している。

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髯剃り見習いから「神聖ガルボ帝国」の女王へ

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    グレタ・グスタフソンは、1905年9月18日、ストックホルムの貧しい家庭に生まれた。両親は正式な結婚ではなく、14歳の時に日雇労務者の父が病死すると、学校を中退して、理髪店で髯剃り見習いをやっていたという。(この世の中には少女時代のガルボに髯を剃ってもらった男がいたという驚きの歴史的事実)その後、姉の友人の紹介でデパートに就職。帽子売り場の売り子をした。やがて、その美貌を買われて帽子カタログのモデルを努める。1924年、スウェーデン映画の立役者マウリッツ・スティルレル(1883-1928)に見出されて、「イェスタ・ベルリングの伝説」のヒロインに抜擢される。1925年6月6日、二人はニューヨークに着いた。メトロの重役ルイス・B・メイヤーはハリウッド中の美容師を動員して泥臭い女優を磨きあげ、「グレタ・ガルボ」という芸名をつけた。またスティルレルは、ガルボに礼儀作法から服の選び方まであらゆるたしなみを教えた。こうして理想の女性は男たちによって創りあげられた。

   主演第2回作品「明眸罪あり」の初日あいさつで、司会者が「こちらがミス・ガルボです。一言も英語がしゃべれません」と紹介し、ガルボもスウェーデン語で答えたが、観客はなんとなく笑ってしまった。以来ガルボは決して、初日の招待試写会に出席しなくなった。言葉の問題と、生来の社交嫌いは、ガルボの神秘性を際立たせ、効果的な魅力となった。ロン・チャーニーはガルボにこう言った。「神秘はぼくに役立っている。しかし、きみにはもっと役立つだろう」ガルボ伝説のはじまりである。華やか名声とは裏腹に、倹約家で香水や化粧品のたぐいを持たなかったという。その謎めいた私生活のゆえに、ガルボはいっそう永遠の面影を人々に与えた。日本ではむかしから永遠に冒すべからざる女神として「神聖ガルボ帝国」とよく呼んでいる。(これは映画評論家の筈見恒夫の造語である。)36歳の若さで引退し、何度もカムバックの噂はあったが、長い隠遁生活に入る。1990年、85歳で永眠。

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銀幕の女王グレタ・ガルボ

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   きら星のごとく女神がひしめくハリウッドにあって、最高に美しく輝くスターは、おそらくグレタ・ガルボ(1905-1990)であろう。映画史上もっともフォトジェニックな面立ちといわれるガルボの写真を何枚も見比べてみても、彼女の変幻自在な表情のため同一人物とは思われないほどである。と、言っても彼女につけられた渾名は「スウェーデンの美のスフィンクス」である。エキゾチックでミステリアスではあるが、図体がでかく、無表情で無愛想、どこか得体の知れない女という嘲笑が込められている。「変幻自在な無表情」「無個性で個性的」な顔立ちに神秘性を感じ、美の女神として崇め、ひれ伏したのであろうか。その謎を解くカギは、やはり「笑わない」ということであろう。ほとんどの女優は笑顔をチャーム・ポイントにするであろう。ところがガルボは、眉をひそめて不快そうな顔をしていても美しかった。否、怒ったときの顔が一番美しいという人もいる。

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2008年5月24日 (土)

エステル・テイラー

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    セダ・バラは「愚者ありき」(1914)という映画で、男を片っ端から破滅に陥れる悪女を演じ、「ヴァンプ」と呼ばれて人気を集めた。以後も、クレオパトラ、カルメン、サロメといった毒婦、悪女を次々と演じた。そもそも「ヴァンプ」とは何か。「ヴァンパイア」の略である。広辞苑には「妖婦。毒婦。淫婦。また、その役を演ずる女優。バンプ」とある。ほかの辞書には「故意に男性を魅惑し食い物にする女」とある。イギリスの詩人ラドヤード・キップリングの詩に「ヴァンパイア」があるのが起源という。

    1920年代のハリウッド映画はまさにヴァンプ花盛りであった。今ではその名をほとんど知られないが、エステル・テイラー(1899-1958)もヴァンプ女優の典型であった。古老の話(双葉十三郎と淀川長治の対談)を聞いてみよう。

双葉 セダ・バラは長さんが言ったみたいに演技もメークもいわば歌舞伎的だったけど、その後に来たエステル・テーラーは同じヴァンプでも少し現実味が出てきて、ほんとになまめかしい、いい女だったね。

淀川 フォックスはだいたい田舎くさいのに、エステル・テーラーが出てきた時はびっくりしたね。何とも知れんきれいで、「ある愚者ありき」なんかセダ・バラがやった後にエステル・テーラーで作ったけど、よかったよ。あんな女優には誰でも征服されちゃうね。

双葉 長さんはエステル・テーラー気違いだからな。ヘビー級のチャンピオンのジャック・デンプシーと結婚して、また有名になったね。

淀川 僕は清純派の双葉さんと違って、ヴァンパイアーが好きだから(笑)。

   *   *   *   *   *

    エステル・テイラーは17歳で離婚後に演技を学び、ブロードウェイのコーラス・ガールになる。美女テイラーと結婚した拳闘家ジャック・テンプシーは闘争本能を忘れ3年間も試合をせず、1926年9月にジェーン・タニーに敗れ王座を去った。映画だけでなく実生活でも男を破滅する女だったのだろうか。代表作「紐育の丑満時」(1920)「或る愚者有りき」(1922)「十誡」(1923)「ドン・ファン」(1926)「リリオム」(1930)「街の風景」(1931)「シマロン」(1931)「南部の人」(1945)

   (参考文献:「スタアがスタアだった時代」別冊太陽・女優Ⅱ)

2008年5月20日 (火)

禁酒法時代の女性のファッションと映画

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リリアン・ギッシュ(1896-1993)アメリカ映画の先駆者グリフィスに育てられた純情型の人気スター。「散り行く花」「東への道」

  アメリカの1920年代を歴史家は「ローリング・トゥウェンティーズ」と呼んでいる。景気がよく、なにかと騒々しかった時代という意味である。この他にも、ジャズ・エイジ、ナンセンス時代、迷える世代、とかあるが、やはり禁酒法時代(1920-1933)という呼び名が最も知られているだろう。ナイトクラブがニューヨークやシカゴに続々と誕生した。そうしたナイトクラブはギャングが経営する店であり、たいていジャズ・バンドと美しいコーラス・ガールが客を楽しませていた。ギャングはジャズ・バンドのパトロンであり、コーラス・ガールの愛人だった。そして、ギャングは禁制の酒を大衆に提供する「恩人」だった。アル・カポネは言った。「私はビジネス・マンだ。」

   政治の世界では汚職・スキャンダルが絶えなかった。ハーディング大統領は、大統領らしい顔をしているからという理由で、大統領に選ばれ、クーリッジはホワイト・ハウスで最も多く昼寝した大統領だといわれる。

   しかしながらこの1920年代を最も象徴する出来事は女性のファッションが激変したことではないだろうか。スカートは足首から膝まで上昇した。これはミニ・スカート以上の女性の服装の変化であった。肌の色に近いストッキングを女性がはくようになったのも1920年代である。ブラジャーの発達によって、女性たちはヴィクトリア朝の遺物と化したコルセットを棄てるようになった。しかし、女性のファッションには、1920年代のアメリカにおいて、もっと大きな変化があった。一つはスタイルの国際化である。アメリカはパリの影響をもろに受けるようになり、そして、パリ・コレクション紹介の先達となったのが、いまでもつづいている「ヴォーグ」である。もう一つの変化は既製服の大量生産であり、これによってファッショナブルな衣類が安い値段で着られるようになった。だが、1920年代に行なわれた調査によると、女がどんなものを着ているかということに大部分の男は気がついていない。とすれば、なせファッションは1920年代にこれほど大きな重要性を持っていたのか?それは女は男のために着飾るのではなく、ほかの女と競争するために着飾る、と。

   とにかく、鈍感なる男たちも女性のファッションの変化に気づくとすれば、それは映画の中で華やかに着飾った女優たちによってであろう。アメリカ映画はスター・システムによって映画の最初の黄金時代をつくり、世界の映画市場を征服した。アラ・ナジモヴァ、セダ・バラ、パール・ホワイト、ルース・チャタートン、メアリー・ピックフォード、ルース・ローランド、ノーマ・タルマッジ、リリアン・ギッシュ、ポーラ・ネグり、コンスタンス・タルマッジ、グロリア・スワンスン、ドロシー・ギッシュ、ビリー・ダヴ、マレーネ・ディートリッヒ、クララ・バウ、ジャネット・ゲイナー、グレタ・ガルボなどなど女優たちによって、1920年代がそれを知らない後世の者たちにとっても、夢のような、楽しい時代として想い描かれるのである。

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  アラ・ナジモヴァ(1879-1943) ロシア出身の名女優。「人形の家」「サロメ」「椿姫」「孔雀夫人」

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 セダ・バラ(1885-1955)ヴァンプ(妖婦)の女王。「愚者ありき」「カルメン」「クレオパトラ」

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パール・ホワイト(1889-1938)連続冒険活劇の女王。「ポーリンの危難」「電光石火の侵入者」

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メアリー・ピックフォード(1893-1979)「アメリカの恋人」といわれた大スター。「小公女」「嵐の国のテス」「ロジタ」「雀」

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ノーマ・タルマッジ(1893-1957)美貌、演技力を兼ね備えた実力スター。「久遠の微笑み」「椿姫」「秘密」

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ルス・ローランド(1892-1937)連続冒険活劇の女王。「赤輪」「ルスの冒険」

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 ポーラ・ネグり(1897-1987)ヴァレンチノの恋人「カルメン」「チート」「スエズの東」

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 グロリア・スワンソン(1897-1983)社交界の女王。「夫を変える勿れ」「港の女」「男性と女性」「ありし日のナポレオン」「今宵ひととき」

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   コンスタンス・タルマッジ(1897-1973)「イントレランス」「恋のかけひき」「桃色女白波」「金魚娘」「粋な殿様」

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   ドロシー・ギッシュ(1898-1968)「嵐の孤児」「ロモラ」

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ビリー・ダヴ(1900-1998)ジークフォルド・フォリーズの踊り子からスターになった美女。「ダグラスの海賊」「アメリカ美人」

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 クララ・ボウ(1905-1965)性的魅力あふれる現代娘イット・ガール。「It(あれ)」「つばさ」「フラ」「暗黒街の女」

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ジャネット・ゲイナー(1906-1984)純情可憐の典型的美人。栄光あるオスカー女優第1号。「第七天国」「サンライズ」「街の天使」

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ルイーズ・ブルック(1906-1985)都会派、モダンガールの代表的女優。「美女競艶」「百貨店」「夜会服」「人生の乞食」

2008年5月19日 (月)

ヘプバーン、父親との再会

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    オードリー・ヘプバーンはイギリス人の保険会社で働く父ジョセフ・アンソニー・ヘプバーン・ラストンと、オランダ王室貴族へームストラ男爵の血筋を持つ母エッラ・ファン・ヘームストラとの間に1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルで生まれた。第二次大戦中、両親は離婚し、ヘプバーンは母の母国オランダのアルンヘムに住み、ナチス・ドイツ占領下の苦労を味わった。イギリス人の父ジョセフは、親ナチス運動に加わっていた。そのような彼女の経歴は当時、極秘とされていた。「魔女狩り」のようなマッカーシズムが吹き荒れていたアメリカの芸能界で、父親の親ナチス運動が公になることは、彼女にとって危険なことであったが、どうしても父親の安否が気がかりであった。

   1953年、「ローマの休日」で一躍世界のトップスターとなったヘプバーンは、1959年、映画「尼僧物語」の撮影のため、20年ぶりに故郷ベルギーのブルッへに戻ってきた。ヘプバーンは別れ別れになった父とどうしても会いたかった。その願いはかなえられた。父方の従兄、ウォルター・ラストンの手引きで、ヘプバーンは父親と再会をはたした。(一説によると二人は1957年、アイルランドのダブリンで再会したとも伝えられる。)

外国スターと声優

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   ケペルが小学生の頃、学校から帰るとテレビで「3時の名画座」を見ていた。主に1950年代以前のアメリカ映画を放送していた。お気に入りは、ビング・クロスビーとボブ・ホープの珍道中シリーズ。とくにボブ・ポープの柳沢真一の吹き替えが印象に残る。しかし、販売されているビデオの吹き替えでは、藤村有弘(ボブ・ホープ)、中村正(ビング・クロスビー)とある。記憶ちがいなのだろうか。

   最近はテレビ放送でも吹き替えより字幕を好む人が増えているという。ケペルは断然吹き替え派である。「ローマの休日」もオードリー・ヘプバーンの声を何人もの女性が担当しているが、声優により雰囲気が変わる。そのため放送される度に録画している。やはり池田昌子が好きだ。だいたい昭和40年代にはスターと声優は固定化されているようだ。それらの主なアテレコ声優をあげてみる。

クラーク・ゲーブル、ロバート・テーラー(納谷悟朗)

ハンフリー・ボガート(久米明)

ジャン・ギャバン(森山周一郎)

グレゴリー・ペック(城達也)

フランク・シナトラ(家弓家正)

モンゴメリー・クリフト(山内雅人)

アラン・ドロン(野沢那智、堀勝之佑)

トニー・カーチス(広川太一郎)

ケーリー・グラント(中村正)

リチャード・ウィドマーク(大塚周夫)

タイロン・パワー(前田昌明)

ジョン・ウェイン(小林昭二)

ジェームズ・ギャグニー(近石真介)

ジャック・レモン(愛川欽也)

ヘンリ・フォンダ(小山田宗徳)

ウィリアム・ホールデン(近藤洋介)

イングリッド・バーグマン、デボラ・カー(水城蘭子)

オードリー・ヘプバーン(池田昌子)

マリリン・モンロー(向井真理子)

エヴァ・ガードナー(翠準子、沢田敏子)

ドリス・デイ(楠トシエ)

ローレン・バコール(来宮良子、大塚道子)

エリザベス・テーラー(武藤礼子)

ソフィア・ローレン(此島愛子、今井和子)

ラナ・ターナー(瀬能礼子、津村悠子)

ブリジッド・バルドー(渋沢詩子、白石冬美)

シャーリー・マクレーン(小原乃梨子)

コニー・スティーヴンス(増山江威子)

キム・ノヴァク(真山知子)

グレース・ケリー(野口ふみえ)

ヴィヴィアン・リー(寺島信子)

ジナ・ロロブリジダ(森ひろ子)

   なかでも、知性派ヘンリー・フォンダ(小山田宗徳)や情熱家バート・ランカスター(久松保夫)はスターの個性と声優の持ち味がブレンドして、今でも耳に残る。久松保夫(1919-1982)は「日真名氏飛び出す」でお茶の間のスターとなり、「ララミー牧場」のジェス・ハーパー(ロバート・フラー)や「スタートレック」のスポック(レナード・ニモイ)もあるが、持ち役はバート・ランカスターである。

2008年5月17日 (土)

男の色気

   男の色気とは何か?これがなかなか定義することが難しい。タバコを加えて、一人で悦に入っている男もいるだろう。イタリア男のような軽いのりでジョークをとばす男もいるだろう。作務衣を着て修行僧になったつもりの男もいる。人それぞれで自分流のスタイルを見つけるのが良いだろう。

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    さて、「男の色気を感じる俳優は?」というアンケートをとれば、おそらくジョニー・デップかもしれない。でもケペル世代としては、アラン・ラッドとジェラール・フィリップをあげる。これぞ「男の色気ここにあり」という二人の珍しい写真である。軍服姿のアラン・ラッド(1913-1964)は天下一品であろう。「マッコーネル物語」(1955)の撮影開始まえの一瞬を捕らえた写真で、穏やかな人柄がよくでている。送られたファン・レターにはほとんど自筆で返事していたという。日本にもファンは多かったが、背の低さに悩み続け、ほとんど人前に出るのを嫌った孤独で寂しいアラン・ラッドに、ケペルは「シェーン!カムバック」と泣きながら叫ぶのである。

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   ジェラール・フィリップ(1922-1959)といえば、世界中の女性のハートを鷲つかみにしたフランスの貴公子である。わずか36歳でこの世を去ったが、佳人薄命は男にも適用されるものなのか。淡くやさしい瞳の二枚目であるが、容貌もさることながら、その演技力で名優としての高い評価を得た俳優なのである。あまりにも完璧であるため、これまでケペルは近づきにくかったが、この写真、どこかおどけていて親しみがもてます。パリの馴染みの喫茶店。一人でリラックスしていた時間、突然、日本人カメラマンの早田雄二が闖入して「写真をお願いします」といわれて、まずは、日本のファンへのごあいさつ、といったところかもしれない。

2008年5月 4日 (日)

ヴェロニカ・ゲリン

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   次々と新作が公開され、好調なケート・ブランシェット。実在した女性記者ヴェロニカ・ゲリン(1959-1996)の麻薬犯罪との勇気ある戦いを描く。BSで映画「ヴェロニカ・ゲリン」(2003年度、ジョエル・シューマカー監督)を見た。

   1994年、ダブリンの低所得者住宅地にはまだ子供の麻薬中毒者が溢れていた。女性記者ヴェロニカは犯罪者の利益のため多くの子供が犠牲になっていることを許せず、この事実を報道する決意を夫に打ち明ける。早速、裏社会に詳しいトレーナーや刑事から情報を集め、危険人物にも果敢な取材を行なう。そんなある日、彼女の自宅の窓に銃弾が撃ち込まれる。恐怖を感じるヴェロニカだが、脅しに屈せず取材を続ける。そんな彼女に2度目の渓谷が。今度は自宅に押し入った男が彼女の太股に銃弾を撃ったのだ。だがこれで世論を味方につけたヴェロニカは、麻薬犯罪組織の首謀者ギリガン(ジェラード・マクソーリー)に迫る。

   この映画の背景には北アイルランドをめぐる民族問題がある。17世紀以降、アイルランド北部のアルスター地方にイギリスから多数のプロテスタントが移住した。19世紀になり、アルスター地方に繊維工業や造船業などがさかんになると、アイルランド南部から移住するカトリック教徒も増え、文化・習慣が異なる両者の間で、職や住居をめぐり、対立が激化するようになった。1922年、イギリス自治領としてアイルランド自由国が成立したとき、9州からなるアルスター地方のうち、プロテスタントの多い6州はそれに加わらず、「北アイルランド」としてイギリス(連合王国)に属した。アイルランド共和国も1937年の憲法で北アイルランドを自国領とした。しかし、カトリックの多い地方でも自己に有利な選挙区を設定して政治の実権を握っている北アイルランドのプロテスタントは、政治や経済の上で、少数派のカトリック教徒に対し優位を占めてきた。就職や住居などでしばしばプロテスタントから差別をうけているカトリックの住民の中には、実力でアイルランドの統一をめざすIRA(アイルランド共和国軍)などの組織も生まれている。プロテスタントとカトリック教徒の対立の根は深く、住民の意見も多様だが、1998年になってようやく平和的な解決に向かうって動きはじめた。

2008年5月 3日 (土)

ブルース・リー伝説

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 子役時代のブルース・リー(作品不明)

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   「グリーン・ホーネット」の頃(1966年)

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 バン・ウィリアムズとブルース・リー

    ブルース・リー(1940-1973)は、サンフランシスコで生まれたが、6歳のときから少年時代を香港で過ごす。古典劇の名優であった父親の影響で子役として約20本の香港映画に出演している。18歳のとき単身渡米する。ワシントン大学哲学科に入学。道場を開いて、中国武術を広めようとしていた。当時の写真を見ると、書棚には武道・哲学・古美術などあらゆる書物が並べられ向学心に燃えた青年であることがうかがえる。ところが、その武道がハリウッド関係者の目にとまり、TV「グリーン・ホーネット」のカトー役に抜擢される。たちまち派手なアクションで人気がでる。いま世界中で武道が見直されているが、ブルース・リーが世界に与えた影響ははかりしれないものがある。

デビッド・キャシディ

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   映画「理想の恋人.com」を見ていたら、サラ・ノーラン(ダイアン・レーン)の理想のタイプはデビッド・キャシディ、という話がでてくる。そして「人気家族パートリッジ」の歌を三姉妹で歌うシーンもある。デビッド・キャシデイとはその甘いマスクと歌声で70年代初期、少女達を夢中にさせたアイドルである。日本でもかなりのファンがいた。その人気絶頂のとき、あるライブ会場でファンの少女が転倒して死亡するという事故があって、それが原因で一時ステージから遠ざかったという。現在58歳。ネットで調べるといまは元気に歌手として活動しているようだ。ちなみにケペルは長女のローリーを演じていたスーザン・デイがお気に入りだった。あの人は今、どうしているだろう。

2008年5月 1日 (木)

実力派女優ケート・ブランシェット

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  クリスチィーナ・リッチが好きで、「耳に残るは君の歌声」(2000年)を映画館でみた。だがヒロインのスージー(クリスチィーナ・リッチ)よりも友人のロシア人ダンサーのブロンド美女に魅せられた記憶がある。あの「エリザベス」で有名になったケート・ブランシェットである。昨夜はBSで「シャーロット・グレイ」(2001年)を見る。

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   第二次大戦下、シャーロットはスパイの特訓を受けて、フランスに潜入する。南仏のレジスタンスのリーダーのジュリアン(ビリー・クラダップ)の手引きで、彼の父ルベード(マイケル・ガンボン)の家のメードとして住み込み、諜報活動をする。その家には二人のユダヤ人少年がかくまわれていた。彼女はドイツ軍列車爆破などに関わっていく。やがてドイツ軍がこの山奥の町にも侵攻してくる。何者かが仕組んだわなで偽の情報をつかまされ仲間を失い、さらには探していたピーター(ロバート・ペンリー・ジョーンズ)も死んだと聞かされ失意のシャーロットに、ナチの手先となった村の教師が言い寄ってくる。彼はルベード家に乗り込み、ルベードと少年たちをナチに引き渡す。ジュリアンは教師を殺害し、シャーロットと逃亡しようとする。だが、彼女はそれを断わると、少年たちの乗る収容所行きの列車を追いかけ、彼らに生きる希望を与える一通の手紙を渡す。戦争が終わり、ジュリアンと再会する。「ずっと言いたかった。私の名前はシャーロット・グレイよ」と。

   今夜もBSでケート・ブランシェットの「ヴェロニカ・ゲリン」(2003年)が放送される。楽しみだ。

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2008年4月29日 (火)

今宵もダイアン・レーン

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    今宵もBSでダイアン・レーン主演の「理想の恋人.com」を見る。離婚したばかりの幼稚園の教諭サラ・ノーラン(ダイアン・レーン)は落ち込んでいる。姉のキャロル(エリザベス・パーキンス)はサラになりすましてインターネットの恋人募集サイトに無断で登録する。「当方、グラマーでユーモア抜群。愛犬家に限る」まもなくサラは殺到する恋人候補とのデートで大忙しになる。なんと50歳といっていた男は、サラの父親の71歳のビル(クリストファー・プラマー)だった。悲惨な初デートの連続の中で、サラが気になる男性が一人だけ。ボートの設計者のジェイク(ジョン・キューザック)だ。ビルからジェイクの本当の気持ちを知ったサラは真実の愛を自ら進んでつかむ。ネットで見つけた理想の恋人探しをロマンチック・コメディとしてまとめている。

    40歳を越えて主演作品が続くダイアン・レーン。思えば、80年代初頭は美少女スターが花盛りだった。ブルック・シールズ(「青い珊瑚礁」「エンドレス・ラブ」)、テータム・オ二ール(「インターナショナル・ベルベッド」「リトル・ダーリング」)、クリスティー・マクニコル(「リトル・ダーリング」)、ジョディー・フォスター(「白い家の少女」「フォクシー・レディー」)、そしてダイアン・レーン(「リトル・ロマンス」「ラスト・レター」)。ジョディー・フォスターは別格として、一番個性的ではなかったダイアン・レーンが今日までスター女優として生き残れたのは何故だろうか。それはダイアンが少女のみずみずしさを保ちながら、大人の女性としての知的なセンスを磨きあげたことに、現代女性から支持されたのだろう。映画「理想の恋人」は決して名作ではないかもしれないが、リラックスして大人が楽しめる娯楽作品に仕上がっている。ダイアン・レーンも適役である。美少女スターが年をとって老け顔になっても、年齢が魅力になって人気が回復したケースは稀であろう。

2008年4月28日 (月)

ダイアン・レーンはイタリアがよく似合う

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   今夜はBSでダイアン・レーンの「トスカーナの休日」(2003年)を見る。離婚を経験したアメリカの書評家(作家)フランシス(ダイアン・レーン)は、その傷心ぶりをみかねた親友からトスカーナ旅行をプレゼントされる。コルトーナで一軒の築300年の屋敷を衝動買いしてしまう。フランシスは親切な不動産屋(ヴィンセント・リオッタ)の協力で、荒れ果てた家の修復に取りかかる。フランシスの夢はこの家で結婚式のパーティーをして家族をもつことになった。シャンデリアの部品を買うためローマに出かけたフランシスは、若くてハンサムなマルチェロ(ラウル・ボヴァ)と出会い、情熱的な一夜を過ごす。その日から見違えたように輝いていくフランシス。だが、妊娠した親友が遊びに来たり、若いポーランド人の大工の純愛をサポートしたりして、マルチェロとは会えない日々が続く。ある日、フランシスは思いきって白いドレスを着てマルチェロのいるアマルフィ海岸のポジターノへ突然に会いに行く。待望の彼との再会も悲恋に終わってしまう。それでも彼女はトスカーナの太陽のもと、力強く生きていくことをちかう。

   原作はフランシス・メーズのベストセラー小説だそうだが、往年のキャサリン・ヘプバーン主演「旅情」を彷彿させるものがある。「リトル・ロマンス」(1979)で14歳でデビューしたダイアン・レーンも43歳。少女スターが大人の女優として成功することは至難であるが、ダイアンはみごと演技派として復活した。クリストフ・ランベールとの結婚、出産、離婚、ジョシェ・ブローリンとの再婚と、ひととおりの経験を経て、「パーフェクト・ストーム」(2000)ではマーク・ワールバーグの年上の恋人、「運命の女」(2002)では不倫するリチャード・ギアの妻を演じている。この「トスカーナの休日」以後も「理想の恋人.com」などロマンチック・コメディーなどの作品が好調である。

    それにしても「リトル・ロマンス」の舞台はベニスだったが、今回はトスカーナ。なぜかダイアン・レーンのお相手には明るく陽気なイタリア男がよく似合う。

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2008年4月26日 (土)

スーパーマンの悲劇

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弾よりも速く、力は機関車よりも強く

高いビルも、ひとっ飛び

空を見ろ!

鳥だ!

飛行機だ!

いや スーパーマンだ!

そうだ スーパーマンだ。よその星から、人間をはるかにしのぐ力と能力を持ってやって来たスーパーマン。凄まじい河の流れを変え、鋼鉄を素手で曲げる。普段は、メトロポリタン紙の礼儀正しい記者クラーク・ケントと名を変えて、真実と正義と、アメリカのために、日夜闘いを続けるのである。

    地球を守るために遠い星からやって来たスーパーマンは、クラーク・ケントと名乗り、デーリー・プラネット新聞の記者としてあらゆる犯罪に挑みこれを撲滅する。テレビシリーズ「スーパーマン」(1952-1958)が日本でも放送されるや、ジョージ・リーブスは世界のヒーローになった。だがスーパーマンの重圧に負けたのか、1959年6月、謎のピストル自殺を遂げた。

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 「スーパーマン」はその後、クリストファー・リーブ(1952-2004)主演によりSFX劇場用映画として見事に蘇った。クリスファー・リーブの「スーパーマン」は、1978年、1980年、1983年、1987年と4本制作され、いずれも世界的な大ヒット。もともと舞台俳優をめざしていたクリストファー・リーブも様々な役に挑戦することを望んだが、スーパーマンとしてのイメージが強いため俳優として伸び悩んでいた。1995年落馬事故により、半身不随となり、2004年に52歳の若さで死去。何故かスーパーマン役者には、不運、不幸などの悲劇がつきまとうようだ。

2008年4月21日 (月)

プロレスラーになった逃亡者

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   東京オリンピックが華やかに行なわれていた頃、日本の奥様方は今でいうヨン様の「太王四神記」のように、ひとりのアメリカ俳優のドラマ「逃亡者」を夢中になってみていた。デビッド・ジャンセンという中年の渋い俳優だった。それまでアメリカ人といえば陽気なヤンキーというイメージがあったが、無実の罪をきせられたリチャード・キンブルは物静かで理知的で、いつも孤独な影がある、そこが母性本能を刺激したようだ。睦五郎の吹き替えも女心を酔わせた。

    リチャード・キンブル。職業、医師。正しいかるべき正義も時として盲しいる事がある。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に遭って辛くも脱走した。孤独と絶望の逃亡生活が始まる。髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った片腕の男を探し求める。彼は逃げる、執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を、今夜を、そして明日を生きるために。

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   矢島正明のナレーションが始まるとテレビの前に釘づけになった。妻殺しの片腕の男を追うキンブルと、キンブルを追うジェラード警部の、二つの逃亡・追跡劇がサスペンスを盛りあげる。これまで日本で放送されたアメリカのテレビは西部劇中心だったが、「逃亡者」は、長距離バスや列車、田舎町、ドラグストアなどアメリカの現代社会を知るうえでも役立ったドラマだった。最終回、キンブルが片腕の男を追いつめ無人の遊園地でのシーンは全米でもテレビ史上最高の視聴率をマークしたという。

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    ところで、「逃亡者」リチャード・キンブルには実際のモデルがいる。1954年7月4日、オハイオ州クリーブランド郊外の自宅で医師のサム・シェパードは妻マリリン・シェバードを殴り殺した罪で有罪を宣告された。1966年11月16日、無罪となった。翌年12月に医師免許の復活を認められたが、医療事故を起こして廃業。その後、45歳のサムはなんとプロレスラーに転向、初戦を勝利で飾った。コリーン・ストリックランドという20歳の女性とも再婚したが、その半年後の1970年4月6日、急死した。

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わたし作る人、ぼく食べる人

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    ハウス食品初の即席めん「シャンメンしょう味」のCMがテレビで放送されたのは昭和50年8月末のことだった。

「今なんどきですか?」

「ハイ、ラーメンどっきっよ!」

そして結城アンナがラーメンをテーブルに座った佐藤祐介に運ぶ。

「わたし作る人」(結城アンナ)、「ぼく食べる人」(佐藤祐介)と言いつつラーメンを食べる。そして町田義人の歌が流れ、「結果!、♪ハウスシャンメン、しょうゆ味!」と終わる。

   このCM開始から1ヵ月余り過ぎた9月30日、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のメンバー7人は、ハウス食品の本社を訪れ、「男は仕事、女は家事・育児という従来の性別役割をより定着させるもの」としてCM中止を要請した。ハウス食品では消費者の声を無視できないとして、CM中止を決定した。新聞や週刊誌はこぞってこの問題を取り上げた。「言葉狩り」「重箱の隅をつつく行動」など、抗議に批判的な論調も少なくなかったが、これが、日本で始めて性差別広告として批判された事例として画期的な意味を持つものとなった。これを契機に性差別広告批判運動は高まりを見せ、「男女の性別役割分業」という言葉を、世に広めた結果となった。

2008年4月20日 (日)

山口百恵不死鳥伝説

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    昭和48年ひとりの14歳の少女が歌手としてデビューした。山口百恵である。昭和55年10月日本武道館で引退コンサートまで、8年間、1970年代を疾風の如く駆け抜けた。「山口百恵は菩薩である」(平岡正明)と評されるほどに、芸能活動を一切行なわなくとも不死鳥のようなスターとしての存在感は今や伝説となっている。

    昭和47年12月、「スター誕生」決勝大会で牧葉ユミ「回転木馬」を歌った山口百恵は、昭和48年5月「としごろ」でデビュー。続く「青い果実」「ひと夏の経験」のキワドイ歌詞で注目されるようになった。昭和48年ではまだライバルたちとは横一線であった。画像は、左から菅原昭子、百恵、森昌子、藤正樹、桜田淳子である。菅原昭子は「17才の行進曲」、森昌子は「せんせい」、桜田淳子「天使も夢みる」でそれぞれデビューした。百恵の最大のライバル、桜田淳子はメリハリのきいた明るい歌声で「花物語」「三色すみれ」「黄色いリボン」「わたしの青い鳥」「はじめての出来事」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」とヒットを連発させていた。百恵は映画「伊豆の踊り子」が興行的に成功し、テレビ「赤いシリーズ」も高視聴率をマークした。東大生が「山口百恵を守る会」を発足した話題も人気向上に貢献したであろう。芸能界で売れる、売れないは紙一重の違いであろう。演歌の菅原昭子は歌唱力もあり美人だったが、売れなかった。あゆ朱美(「ギターをひいてよ」「小さなブランコ」)も売れなかったが、のちに戸田恵子として声優、女優として成功をおさめた。小林美樹(「人魚の夏」)も人気はありながらヒットに恵まれず、アナウンサーに転身した。麻丘めぐみの実姉の立木久美子(「思い出のカルチェラタン」)も山口百恵の「青い果実」と同時昭和48年9月にリリースしたが売れなかった。スタ誕出身者では、最上由紀子(「初恋」)、松下恵子(「花嫁の父」)、三橋ひろ子(「私の花言葉」)、堺淳子(「祭りの想い出」)、そして百恵に勝利したシルビア・リー(「霧のエトランゼ」)、すべて玉砕した。百恵のライバル・マッハ文朱(「花を咲かそう」)も女子プロ界でスターとなったが、百恵に敗れたタレントといえるであろう。百恵・淳子の戦いは、淳子が少女歌手から大人女性への転身を図るため中島みゆきの曲を歌う頃から、アイドル性を喪失してファンは少しづつ離れていったように思える。平成4年に結婚し、結局二人は主婦という同じ道を歩むことになる。百恵にとって淳子は最大のライバルであったであろう。「淳子ちゃんは、正しいと思ったことは、私たちにとって鬼より怖いプロデューサーやディレクターにも堂々と意見を言った。淳子ちゃんは誰がなんと言おうと自分のペースで成長してきたけど、私は周囲に無理矢理大人にさせられたようで、そんな私を淳子ちゃんにだけは見られるのがいやで、いつも淳子ちゃんを意識していた」と雑誌のインタビューに百恵は語った。

安保闘争と炎加代子

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    昭和35年は安保闘争の年である。炎加代子という女優はこの時代を象徴している。当時、学生たちの間では既存の権威を否定してかかる「ナンセンス」という言葉が流行った。炎加代子が出演した作品にも安保闘争を描いたものが多い。「乾いた湖」(篠田正浩監督)では学生運動の闘士・下条卓也(三上真一郎)が大衆運動を軽蔑し、「デモなんかくだらない!革命だ」と叫ぶ。「太陽の墓場」(大島渚監督)では炎加代子は大阪の釜ヶ崎の女を熱演した。実生活では共演の若手男優と心中未遂を起こして、すぐに映画界から消えたが、少年たちに強烈な印象を残した女優である。ある雑誌の対談での発言「セックスしている時が最高よ」と語ったことからたちまち流行語となった。それは安保という政治的な時代の中で、ひたすらセックスという私ごとを追い求めることへの共感があったからであろう。

2008年4月13日 (日)

ハリス・フーセンガムと恵とも子

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    いま50歳以上の男性ならば、この懐かしいアイドル・タレントの名前を半数近くの方は知っているだろうし、50歳以下ならばほとんど知らないだろう。現在のようなグラビア・アイドルの位置が確立していない時代、男の子の記憶に残る永遠の青春スターであった。

    恵とも子。昭和24年生まれ。アメリカ人の父を持つハーフ・タレント。茶色の髪に青い瞳が可愛い。昭和38年に東京音楽院に入学、スクール・メイツの一員として音楽番組に出演。明星スター・パレードのマスコットガールになる。太田博之との「プラチナ・ゴールデンショー」の司会や映画「てなもんや幽霊道中」「東京市街戦」「陽のあたる坂道」に出演。レコードは昭和40年「ピンクの口紅」(「なぜか教えて」)、「大人の匂い」(花のおしゃべり」)。渡辺プロに所属し、テレビ出演も多数ある。昭和40年、41年、42年と雑誌のモデルとしても活躍する。「明星」の昭和41年1月号は橋幸夫、恵とも子である。2月号が舟木一夫、吉永小百合であるから、当時全盛だった吉永を抑えての正月号の登場であった。プロマイドの売り上げもローティーンの男子に人気があったので吉永に匹敵していたと思う。カネボウハリスはフーセンガム広告に恵とも子を大々的に起用し、週刊少年マガジンに頻繁に登場した。ちばてつや「ハリスの旋風」は「あしたのジョー」の前作品であるが、それまで少年週刊誌は戦争記事や忍者特集などで、女性タレントが誌面にでることは皆無だった。現在の少年誌は表紙も中味も女性アイドル中心であるが、恵とも子はその先駆け的役割を果たしたグラビア・アイドルといえる。

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              昭和41年1月号

女優の顔

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   「立川志らくのシネマ徒然草」248回「ソン・ヘギョ淡いままでいてください」(キネマ旬報1480)を読む。立川は女優の顔を「濃い顔」と「淡い顔」に分類している。エリザベス・テーラー、ソフィア・ローレン、オードリー・ヘプバーンは濃い顔である。韓国女優のソン・ヘギョ(「フルハウス」)は「淡い顔」(薄い顔)であるという。

    立川に限らず最近の日本男性はどうやら「薄い顔」を好むようである。そういえば電車の中吊り広告に見る女性誌の特集記事には「モテ顔」「小顔」「あっさり顔」「癒し系」「童顔」「かわいい」「さわやか」「ナチュラル」「自然美」という語が肯定的に使われていることからも、薄いメイクでキツイ印象を与えない女性が当世風美人とされているようである。インドの女優の写真を見るとスゴイ美人が多いが、日本でスターとなった女優は一人もいない。しかし日本男性は昔から「薄い顔」が好みだったというとそうでもない。日本映画界最大の美人女優といえば原節子である。ところが原の顔立ちは鼻は大きく、あっさり顔というよりは「濃い顔」である。山本富士子も鼻が立派で「濃い顔」である。石原裕次郎の奥さん、北原三枝は「君の名は」で情熱的なアイヌ娘を演じて人気がでた女優である。やはり「濃い眉」が特徴である。当時、ヘプバーン旋風が日本を席巻していたが、サブリナの濃い眉を若い女性はまねをしていた。久我美子、岡田茉莉子、有馬稲子、司葉子、淡路恵子、根岸明美、青山京子など皆んな眉は太く長く「濃い顔」をしている。この傾向は基本的には1980年代まで続いている。薬師丸ひろ子が一人勝ちの人気を誇った時代も、「濃い顔」で売れた。「跳んだカップル」の敵役の石原真理子の濃い眉は時代の象徴であった。現在のような「薄い顔」が好まれるようになったのは、何時頃からであるかは明言できない。例えば、飯島直子が濃い眉をしていたが、缶コーヒーのCMでブレイクしたときは、「癒し系」の顔立ちへと変化していた。現在の「薄い顔」の象徴は小西真奈美であろう。長身で小顔。小さい目であっさりした顔立ち。モデルのShihoがさわやか系で人気をえたことも、「薄い顔」の成立に大きく貢献したかもしれない。

    このように「薄い顔」が標準美人として君臨するようになったが、「爽やかな笑顔と明るいキャラクター」というだけでは女優としては物足らないように感じる。やはりハリウッドでは「濃い顔」「個性的キャラクター」が女優に求められる。美人系のキーラ・ナイトリー(「パイレーツ・オブ・カビリアン」)、アン・ハサウェー、ペネロペ・クルズは「濃い顔」であるし、ミラ・ジョヴォヴィッチ、アンジェリーナ・ジョリー、レネー・ゼルウェガー、ナタリー・ポートマン、二コール・キッドマン、シャリーズ・セロン、ジョデー・フォスターなどトップ女優は個性派(知性派とアクション派に分かれるが)が健在で「薄い顔」の女優は少ない。日本映画界のほうは、上野樹里、沢尻エリカ、長澤まさみ、田中麗奈、石原さとみ、宮崎あおい、蒼井優、榮倉奈々、谷村美月、成海璃子、伊藤美咲、長谷川京子、相武紗季、多部未華子、新垣結衣、堀北真希、山田優、池脇千鶴と若手主演級の女優を並べてみたが、往年の映画女優の華やかさに比べると物足らなさを感ずるのはケペルだけだろうか。やはり現在アジアでの人気女優は韓国女優のソン・ヘギョが一番かもしれない。

2008年4月 5日 (土)

松竹歌舞伎と松竹映画

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(左より)佐分利信、佐野周二、上原謙、岡田茉莉子、小山明子、高千穂ひづる、佐田啓二、高橋貞二ら松竹映画スター

 松竹の創業は、大谷竹次郎(1877-1969)が京都阪井座を買収した明治28年である。「松竹」の名前は、明治35年、双子の兄の白井松五郎(1877-1951)と共に、松竹合名会社を設立したことに始まる。演劇興行会社で100年以上もの歴史を持つことは世界にもあまり類例がない。

    明治36年1月、1回目の興行は、歌舞伎の実川延二郎(後の2代目延若)一座で、出し物は「曽我の実録」「乳貰い」「左甚五郎」。興行は大成功だったという。竹次郎が大津の連隊に入隊したのを契機に兄松次郎もこの仕事に加わり、2人は競い合うように京阪の劇場を手中にして、明治43年には本郷座と新富座を買収して東京へ進出した。大正3年、歌舞伎座経営、昭和5年には東京劇場を新築開場した。松竹が、映画に乗り出したのは大正9年のことで、「松竹キネマ」を興し、栗島すみ子、川田芳子、五月信子、英百合子、柳さく子、岡田嘉子、伏見直江、歌川八重子、八雲恵美子、田中絹代などの看板女優を中心に蒲田調といわれる女性向映画を得意とした。戦後の松竹大船調では、小津安二郎、木下恵介、大庭秀雄、中村登、吉村公三郎、渋谷実、野村芳太郎などの監督が健在で日本映画の黄金時代を築いた。昭和35年頃から大島渚、吉田喜重、篠田正浩ら松竹ヌーベル・バーグといわれる若手監督が登場する。映画産業そのものは斜陽となったが、松竹では山田洋次監督による渥美清の喜劇路線で不振を何とか乗り切ってきた。岩下志麻、倍賞千恵子、松坂慶子らが長らく松竹の看板女優であったが、近年、田中麗奈が「犬と私の10の約束」「築地魚河岸三代目」「ゲゲケの鬼太郎千年呪い歌」と松竹作品の出演が続いている。

角川春樹とハワード・ヒューズ

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    「愛情物語」クランク・アップ記念撮影

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      「地獄の天使」(1930年)ポスター

   16歳のミュージカルを夢見る少女仲道美帆(原田知世)は3歳の時に捨てられた孤児ではあるが、「あしながおじさん」を探すために長崎へ旅をする。「時をかける少女」(昭和58年)で一躍、薬師丸ひろ子に並ぶアイドル女優になった原田知世の主演第二作は、角川春樹自らが監督した作品「愛情物語」(昭和59年)だった。このように実業家(出版業)がメガホンをとることはめずらしいが、映画の都ハリウッドでもサイレントからトーキーへと代わる時代に、実業家ハワード・ヒューズ(1905-1976)が映画監督をしている。

   1930年、石油成金の息子で大富豪のハワード・ヒューズは初作品「地獄の天使」のヒロインの代役を探していた。主演女優はスウェーデンの女優グレタ・ニッセンであったが、彼女の訛りがひどかったので、トーキー映画に使えなくなった。そんな時、たまたまエキストラの無名女優ジーン・ハーロウ(1911-1937)がスタジオにいた。ヒューズはこの映画に莫大な制作費を投じた。世間はヒューズの愚かさを嘲笑し、その失敗を誰もが予言した。ところが大方の予想に反して、映画は大ヒットした。妖婦ジーン・ハーロウはこの映画で「プラチナ・ブロンド」といわれるセックス・シンボルになった。ジーンが登場する舞踏会のシーンはブロンドを見せるためにテクニカラーが施している。

   最近では「アビエイター」(2005年)という映画で、レオナルド・デカプリオがヒューズを演じている。そしてジーン・ハーロウをグウェン・ステファニー、キャサリン・ヘプバーンをケイト・ブランシェット、エヴァ・ガードナーをケイト・ベッキンセールが演じているというが興味をそそられる。

   ジーン・ハーロウの私生活は不可解をきわめ、1932年、MGMの製作者ポール・バーンと結婚したものの、バーンは謎の自殺をとげた。1933年撮影監督ハロルド・ロッスンと三度目の結婚をしたがこれも長つづきはしなかった。バーンに打たれた腎臓が障害をおこして、1937年6月7日、26歳の若さで急死した。

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2008年4月 3日 (木)

映画にみるクレオパトラ

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  古代エジプト、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ(前69-前30)はその美貌をもってして歴史にその名を知られるが、彼女は本当に美人だったのだろうか。残念なことにクレオパトラが美人だったという証拠は何もない。ただプルタルコスの記録には、「彼女に親しく接することには、抵抗できない魅力があった。そして彼女の容姿は、説得力にみちた言葉や、そのふるまいに多少とも表れていた独自の性格と結びついて、一種の心地よい刺激をかもし出した。彼女が語るとき、その声の響きは甘く快かった」とあるように魅力的な女性だったことは間違いなさそうだ。実際は小柄で痩せ型だったといわれるクレオパトラを絶世の美女にしたのは、やはり映画の影響が大きいだろう。無声映画時代からクレオパトラはスクリーンに登場した。セダ・バラの「クレオパトラ」(1917年)は彼女の数ある出演作のなかでも、有名な作品となった。続いてクローデット・コルベールの「クレオパトラ」(1939年)、ヴィヴィアン・リーの「シーザーとクレオパトラ」(1945年)、リンダ・クリスタルの「クレオパトラ」(1959年)などがあるが、なんといっても20世紀フォックスが社運をかけた超大作、エリザベス・テーラーの「クレオパトラ」(1963年)がクレオパトラ映画の決定版であろう。その後もヒルデガード・ニールが「アントニーとクレオパトラ」(1971年)で演じているが、エリザベス・テーラーを超える存在感のあるクレオパトラはスクリーンでは登場していない。

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  セダ・バラ

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  クローデット・コルベール

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  ヴィウィアン・リー

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  リンダ・クリスタル

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  ヒルデガード・ニール

2008年3月20日 (木)

東京大空襲

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     焼け野原となった東京

   2夜連続でドラマ「東京大空襲」を見た。ケペルの両親はすでに他界したが、東京大空襲のとき、墨田区に住んでいた。姉和子(当時3歳)と3人で暮らしていた。母から断片的に聞いたことはあるが、詳しく聞いたことは一度も無い。こんな悲惨な経験をしていたのかと思うと、何ともいえない感情になる。両親がもし空襲で死んでいたら、今の自分はこの世に存在していないのだから…。家を失い、父の田舎へ疎開したが、都会育ちの母は疎開先での暮らしに馴れなかった。

   昭和20年3月10日未明、グアム、サイパン、テニアンから飛来した米軍のB29爆撃機279機が、低空で東京上空に侵入、江東、墨田、台東区を中心に2時間あまりにわたって東京下町一帯を爆撃した。約10万人以上の尊い命が一夜にして奪われた。

   このようなわたしたちの父母の時代の出来事をもとに、フィクションを加えてドラマをつくっている。藤原竜也(大場博人)、堀北真希(桜木晴子)、瑛太(朴順仁)、柴本幸(山田和江)などフレッシュな顔ぶれも魅力である。主題歌は秋川雅史「愛する人よ」。

2008年3月17日 (月)

七人の刑事と警視庁物語

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        七人の刑事

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        警視庁物語

  もの悲しいハミングが流れ、よれよれのコートにハンチング帽という中年の渋い部長刑事、芦田伸介が登場する。TBSのテレビドラマ「七人の刑事」(昭和36年から44年)は警視庁赤木班(堀雄二)の七人の刑事たちの聞き込みや張り込み、参考人への取調べといった地道な捜査を通じて真実に迫るドキュメンタリー・タッチの社会派ドラマだった。キャストは課長の堀雄二をはじめ、芦田伸介、菅原謙次、佐藤英夫、美川陽一郎、城所英夫、天田俊明。山下毅雄作曲、歌・ゼーグ・デチネのテーマソングも良かった。赤坂のクラブで遊び歌っていた客のユダヤ人の宝石商デチネをたまたま居あわせた山下がレコーディングさせ、大ヒットとなった。ところが、ゼーグはその後、詐欺容疑で海外に逃亡したため、「七人の刑事」の歌を聞くことはできない。またドラマそのものも当時は録画保存という体制がなかったため、数回分だけでほとんど現存していない。リアルタイムで見れた幸せを感謝したい。

   この「七人の刑事」の原型ともいえるのが、東映の「警視庁物語」である。脚本の多くは長谷川公之が手がけているし、堀雄二が主演している。1時間ちょっとの映画なのでSP作品。二本立てということだが、地方の映画館では三本立て興行だったかもしれない。お目当ては東映イーストマンカラーのオールスター総天然色、明朗痛快娯楽時代劇だったが、添え物的に白黒のリアルな現代ドラマをみせられ強烈な印象となった記憶がある。それにあの月光仮面の大村文武が登場している。込み入った話の筋は理解できなかったかもしれないが、リアリズムというものも意外に、子どもにも楽しめる作品だった。警視庁に電話がなって、捜査員が受話器をとる。「なに!女性のバラバラ死体!」と、いった調子で話が展開していく。全25本あるそうだが、昭和30年の「終電車の死美人」を第1回とするかどうかは、研究者によって異なるという。昭和31年作品は「逃亡五分前」「魔の最終列車」「追跡七十三時間」、昭和32年作品は「白昼魔」「上野発五時三五分」「夜の野獣」、昭和33年作品は「七人の追跡者」「魔の伝言板」、昭和34年作品は「顔のない女」「一〇八号車」「遺留品なし」、昭和35年作品は「深夜便一三〇号車」「血液型の秘密」「聞き込み」、昭和36年作品は「不在証明(ありばい)」「十五才の女」「十二人の刑事」、昭和37年作品は「謎の赤電話」「十九号埋立地」、昭和38年作品は「ウラ付け捜査」「全国縦断捜査」「十代の足どり」、昭和39年作品は「自供」「行方不明」。  メンバーは「七人の刑事」のような固定制ではなく、毎回異なっている。堀雄二、神田隆、花沢徳衛、中山昭二、波島進、宇佐美諄、伊藤久哉、松本克平、福原秀雄、曽根秀介、菅沼正、外野村晋、関山耕司、南原伸二(南原宏治)、今井健二ら。下の写真の俳優すべて知っているかたは相当なマニアですね。

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左上より:佐原広二、山本麟一、須藤健、千葉真一、花沢徳衛、堀雄二

右上より:神田隆、南広、中山昭二、波島進、大村文武、石原房太郎

2008年2月28日 (木)

ふたりのナターシャ

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(ご注意)本記事は「ケペルの架空対談」第3回。ケペルが往年のアイドル女優に面会するとい新企画の架空記事です。

   1968年、朱里エイコがパンチのきいた声で「がんばれアニマル・ワン。メキシコめざして」と歌っていた年、ケペルにとって二人のナターシャがいた。ひとりは、メキシコ五輪の女子体操の名花ナタリア・クチンスカヤ。当時、ソ連のプラハ侵攻の直後であったため、世界の同情はベラ・チャフラフスカに集まった。しかしケペルの視線は19歳のクチンスカヤの若々しい肢体に集中していた。判定においても彼女に不利な状況であっかが、笑顔を絶やさず可愛らしかった。まさしく、彼女こそ「戦争と平和」のナターシャであった。

   その2年前、ソ連は国家的事業で「戦争と平和」を制作していた。完成までに6年を費やした、ヒロインのリュドミラ・サベーリエワに会いにケペルはモスクワへ行った。

   *    *    *    *    *    *

ケペル「はじめまして。戦争と平和は本当に大作ですね。ナターシャ役はどのようにして決ったのですか」

リュドミラ「子どもの頃からバレエの学校へ行ってプリマになることが夢だっんです。そのころセルゲイ・ボンダルチュク監督は超大作の映画に取り組んでいましたが、ナターシャ役が未定で1年が過ぎていました。そこで文化省のお声がかりで、コンテストにでることになって、選ばれてしまいました」

ケペル「撮影にはどれくらいかかりましたか」

リュドミラ「原作では17歳から21歳までですが、私もナターシャの年齢とほぼ同じに少女から女性へと成長していくように撮影しました。」

ケペル「これからの夢は何ですか」

リュドミラ「もうプリマへの夢は諦めました。ナターシャの役が大きすぎたのでなかなか映画出演も決らなかったのですが、最近、新作を撮っています」

ケペル「何という映画ですか」

リュドミラ「ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの映画です」

ケペル「最近結婚されたそうですね」

リュドミラ「ええ、アレクサンドル・ズブルーイェフと結婚しました。娘が生まれました」

可愛い赤ちゃんを抱いていた。

ケペル「名前はなんというの?}

リュドミラ「ナターシャです」

    *   *   *   *   *    *    *

   旧ソ連が制作した超大作「戦争と平和」のヒロイン女優リュドミラ・サベーリエワは1942年1月24日生まれ。現在66歳になっている。澄んだ瞳は北国の湖、透明な肌は純白の雪。ソビエト映画界が世界に誇る花リュドミラ・サベーリエワ、いまごろどうしているだろう。

2008年2月27日 (水)

明日に飛躍する女子高生・内藤洋子

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(ご注意)本記事は「ケペルの妄想対談」第2回。ケペルが往年のアイドル女優に面会するという新企画の架空記事です。

   雑誌「りぼん」のカバー・カールから、「氷点」の暗い宿命を健気に生きる辻口陽子で一躍美少女スターとして人気が沸騰した内藤洋子。ケペルは鎌倉の学校に通う内藤洋子を訊ねた。

    *   *    *   *   *   *

ケペル「洋子ちゃん、初めまして」

洋子「先生、関西からわざわざ来きていただきありがとうごさいます」

ケペル「ええ、鎌倉の川端先生宅で李朝の陶器をみせていただいた帰りに寄ってみました」

洋子「黒澤監督の赤ひげでデビューして3年になります」

ケペル「次回の新作はどんな作品?」

洋子「舟木一夫さんと共演で、なんとミュージカル映画なんです」

ケペル「それはすごい。歌のレッスンはしているの」

洋子「毎日、猛特訓で。挿入曲が白馬のルンナっていうんです。昨日、レコード化が決まりました」

洋子は、可愛いおでことくりくりとした目で笑顔でこう言った。

洋子「私どんな役でもこなせる女優になりたいんです」

映画は松山善三監督で「その人は昔」という。今後の彼女の活躍が楽しみだ。

牧場を駆ける少女ジュディ・バウカー

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(ご注意)本記事は「ケペルの妄想対談」シリーズ第1回。ケペルが往年のアイドル女優に面会するという新企画の架空記事です。

   フランコ・ゼフィレリ監督の「ブラザー・サン シスター・ムーン」で聖女クレアを演じたジュディ・バウカーは一躍スターとなった。最新作はアンナ・シューエルの児童文学の古典的名作「ブラック・ビューティ」(1877年)のテレビドラマ化。

     *    *    *    *    *

   美しい森に囲まれたイギリスの小さな村に主人公ヒッキーを演じるジュディ・バウカーがいた。ブルー・グレイの澄んだ瞳が美しい少女だ。

「初めまして、日本から来たケペルです」

ジュディ「初めまして。日本へは是非一度行きたいと思っています」

「ブラザー・サン シスタームーンを観ました。こころが洗われるような映画です」

ジュデイ「ロンドンのアート・アンド・テクニカル・カレッジでダンスを習っていましたが、私の写真がファション雑誌に載って、それで監督からクレア役のお話があったんです」

「映画の成功でたくさんの出演依頼がきたでしょう」

ジュデイ「ええ、とても驚いています。依頼が殺到しましたが、黒馬物語は子どものころから愛読していたので、お引受しました」

「日本でもNHK放送されるそうです。これからのご活躍を祈っています」

ジュディはおとぎの国のお姫様のように美しく、栗色の髪をなびかせて、緑の森の中を駆けていった。

     *    *    *    *    *

    ジュディ・バウカーは1954年4月6日生まれで、「黒馬物語」のときは20歳。イギリスのシャウフォード生まれ。彼女が3歳のとき、政治家である父親がアフリカにあるイギリスの植民地ザンビアの知事を命ぜられて一家はアフリカに移った。8年間、アフリカの修道院で過ごした。イギリスに戻って宗教系のサリスピューリー校に入学。趣味はピアノ、ダンス、絵画。

「そっくりショー」と青春歌謡

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   昨夜のNHK歌謡コンサートで仲宗根美樹の昭和36年のヒット曲「川は流れる」を久しぶりに聞いた。仲宗根は昭和19年6月23日生れであるから、当時16歳か17歳だった。我が家にテレビが来たのが昭和35年。あの頃の女性歌手の記憶が鮮明なのは何故だろう。ハワイアンの日野てる子は昭和20年7月13日生まれ。昭和40年には歌謡曲に転身し、「夏の想いで」をヒットさせた。

   日野てる子といえば何故か「そっくりショー」を思い出す。ハイビスカスの花を髪にかざして南国ムードたっぷりに歌う可憐な容姿。そしてボードビリアン小野栄一の軽妙な司会ぶり。「そっくりショー」はコロッケなどの戯画化したものまねではなく、一般素人の容姿が似ているかどうかがポイントで歌は多少下手でも優勝できた。審査委員長は、蝶ネクタイがトレードマークで日劇ヌードショーの元締め丸尾長顕(1911-1986)である。

    当時は青春歌謡の全盛時代であった。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家を筆頭に三田明、梶光夫、安達明、久保浩、叶修二、川路英夫、山田太郎、太田博之、望月浩などなど美形の男性が出現した。青春歌謡で現在も第一線で活躍しているのは美川憲一くらいであろうか。ともかく生中継の時代、テレビは面白かった。

2008年2月26日 (火)

映画は見世物から第七芸術へ

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                   バイオグラフ社の広告(1909年)

    アメリカやフランスの科学者によって発明された動く写真は、はじめは見世物としての大衆娯楽でしかなかったが、メリエスやグリフィスやアベル・ガンスら欧米作家たちの創意による分析や構成が加えられ、それら映像のもつリズムやテンポが新しい芸術手段として評価されるようになった。イタリアの若き映画理論家リッチョット・カニュード(1877-1923)は、音楽・舞踏・文学という「時間の芸術」と、建築・絵画・彫刻の「空間の芸術」の既成の6つの芸術をつなぐ第7番目の芸術として、「映画は第七芸術という総合芸術である」と宣言した。(「第七芸術宣言」1911年)

   カニュードのいう映画の総合芸術とは、装置の美術性とか、演技の演劇性とかいう意味ではなく、あらゆる芸術の本質的な諸機能を統一したものという意味で、映画は第七芸術という総合芸術だというのである。

   1900年になって、イギリスのアルバート・スミス、スチュアート・ブラックストンによって、アメリカで最初の映画会社ヴァイタグラフが創立され、ニューヨークに撮影所が設置された。ベントレイ・キャンベルの戯曲「白い奴隷」が、第1回作品として発表されている。1908年になると活動写真はますます盛んになった。エジソン、バイオグラフ、エッサネイ、カレム、ルビン、ヴァイタグラフ、シーリング、パテー、ジョージ・クライン、メリエスなどの会社がアメリカ全土に配給戦を演じた。

    ドイツでは、演劇界の巨人マックス・ラインハルトが、初めて映画を監督、「擲弾兵ローランド」を発表した。スウェーデンでは、スヴェンスカ社が映画制作を開始している。後年、イングリッド・バーグマンを生んだのもこの社である。

    無声映画時代は純粋な映像表現が追求され、表現主義や前衛映画運動が起こり、フォトジェニー、モンタージュの理論が実践された。ロベール・ウィーネ監督の「カリガリ博士」(1919年)は表現主義の画家ヴァルター・レーリッヒが装置を担当し、表現派美術を応用して、第一次大戦後の不安定な社会心理が国民にある共感を呼び起こさせた。ウェルネス・クラウス(カリガリ博士)、コンラット・ファイト(眠り男セザレ)、フリードリヒ・フェアー(フランシス)らも好演している。

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    カリガリ博士

2008年2月25日 (月)

沖行く船の無事を祈る

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                   千葉県・勝浦灯台

   灯台守の妻・田中きよ(1911-1999)が雑誌「婦人倶楽部」に「海を守る夫とともに20年」という手記を寄稿したのは昭和31年のことだった。夫・田中績(1909-2002)は、昭和8年の岩手・魹ヶ崎を始め、サハリンのモネロン島(海馬島)、長崎・五島列島の女島、千葉・勝浦埼、福島・塩屋埼、秋田・入道崎、宮崎・都井岬など8ヵ所、37年間、任地はすべて人里離れた「陸の孤島」であった。妻きよは夫の仕事を支え、10人の子どもを育てた。この手記を読んだ木下恵介が感動して、映画「喜びも悲しみも幾歳月」を制作した話はあまりに有名であろう。(引用文献:「二人でかざす一筋の光」朝日新聞2008.2.23)

シモーヌ・シニョレとマリオン・コディヤール

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   シモーヌ・シニョレとチャールトン・ヘストン

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     女の情念を演じ続けたシモーヌ・シニョレ

   第80回米アカデミー賞の授賞式が24日夜、ロサンゼルス・ハリウッドのコダックシアターで開かれた。作品賞は「ノーカントリー」(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン監督)、主演男優賞はダニエル・デイ・ルイス(「ゼア・ウィルビー・ブラッド」)、主演女優賞はマリオン・コティヤール(「エディット・ピアフ愛の讃歌)。ダニエル・デイ・ルイスは第62回「マイ・レフトフット」で2度目で予想通りの受賞といえる。番狂わせは主演女優賞であろう。本命のケート・ブランシェット、ジュリー・クリスティーを抑えて、フランス映画で、フランス語で演技をしたフランス人女優が受賞したことになる。過去フランス女優がアカデミー主演女優賞を受賞したのは、第32回(1959)の「年上の女」のシモーヌ・シニョレ以来49年ぶりである。ただしこの「年上の女」はジャック・クレイトン監督、ローレンス・ハーヴェイ共演によるイギリス映画作品。つまりシモーヌ・シニョレはイギリス女性役で英語だったようだ。そもそもアカデミー賞の受賞作品の対象になるのは、「その年度の1月1日から12月31日までの間にロサンジェルス地区の劇場で1週間以上商業上映されたもの(外国語映画など一部例外あり)」という規定である。要するに「羅生門」「地獄門」のように外国語映画でも受賞の可能性はあるが、主演賞となるとかなりハードルは高い。マリオン・コディヤールの受賞はフランスのセザール賞主演女優賞とのダブル受賞となるが、フランス語で演技したフランス女優というのは、アカデミー史上初めての快挙なのである。

   だが、シモーヌ・シニョレ(1921-1985)がハリウッドで認められたことも意外な事実であろう。女の哀しい宿命を演じたら、彼女の右に出る女優は世界中探してもいないであろう。たが余りにフランス的であり、ハリウッドに馴染まないタイプだろう。オスカー受賞後、「愚か者の船」(1965)、「悪魔のくちづけ」(1967)など数本の作品に出演したが、フランスに戻った。

   シモーヌ・シニョレはドイツのビースバーデンで生まれた。幼くして、パリに移住し、タイピストや英語教師などを経て演技に興味を抱き、1942年から映画にエキストラ出演。本格的デビューは1945年の「理想的なカップル」。その後「デデという名の娼婦」(1946)「肉体の冠」(1951)「嘆きのテレーズ」(1953)「悪魔のような女」(1955)「年上の女」(1958)で個性的な容貌、抜きんでた演技力と存在感で戦後のフランス映画界を代表する女優だった。

   後進のアヌーク・エーメ、ジャンヌ・モロー、フランソワーズ・アルヌール、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブなどの美人女優がオスカーを手中にはできなかったが、マリオン・コディヤールの受賞を心から喜びたい。

2008年2月17日 (日)

女の道は一本道

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   「汚れた手」の佐々木すみ江(昭和42年)

    NHK大河ドラマ篤姫第6回「女の道」(2月10日放送)。今和泉島津家の於一(宮崎あおい)が当主・島津斉彬の養女となることに決まった。城に出向く日の朝、奥女中の菊本(佐々木すみ江)はそっと於一の髪をなおしていう。「御養女の件、お迷いなのはわかりますが、女の道は一本道に御座います。定めに背き引き返すは恥に御座います」というセリフがいい。そして菊本は自害して於一に武家の女の生き様を示す。菊本のとった行動がいま大きな話題になっている。視聴者の中にも、昔の日本人が身に付けていた品格や礼節をドラマを通して感じたようだ。菊本自害の理由は今夜の放送で明らかになるだろう。

    ところで、この菊本を演じた佐々木すみ江。若い世代の方でも「ふぞろいの林檎たち」を初め多数のドラマでお馴染みのベテラン女優だが、劇団民芸出身(民芸俳優養成所第1期生)。ケペルは残念ながら舞台は一度も見ていない。「穀倉地帯」「楡の樹蔭の欲望」「セールスマンの死」「かもめ」など翻案劇が多いため、西洋人のインテリ女性が似合っていた。画像に見える「汚れた手」オルガ役に扮する佐々木は、大柄で目鼻立ちのハッキリした女性党員を好演している。テレビドラマの姑役しかしらないが、若い時代、和製ソフィア・ローレンという感じだったらしい。

2008年1月21日 (月)

アル・ディ・ラ「恋愛専科」

    朝刊で女優スザンヌ・プレシェット死去のニュースを知る。昭和37年8月公開のトロイ・ドナヒュー共演の「恋愛専科」はイタリアの観光地をふんだんに取り入れた青春映画の愛すべき作品だった。ことにプレシェットの美しさが印象にあり、その後も「鳥」「遠い喇叭」「黒ひげ大旋風」「火曜日ならベルギーよ」と彼女が出ていれば何でも見た。デビッド・ジャンセンの「逃亡者」にも「絶望の時」(39話)「臆病の兎たち」(68話)にゲスト出演している。

   ところで「恋愛専科」の主題曲「アル・ディ・ラ」とはどういう意味であろうか。イタリア語「al di la」は「~の向こうに」という意味で、「アル・ディ・ラ(~の向こうに)…チ・セ・トゥ(君がいる)」ということらしい。映画ではエミリオ・ペリコーリが歌ったが、もともとサンレモ音楽祭の優勝曲でルチアノ・タヨーリとベティ・クルティスが歌った。そのほかにもトニー・ダララ、コニー・フランシス、ペギー葉山、岸洋子など多数の歌手がレコーディングしている。

とんなに貴重なものにもまして

君が 

どんなに大それた夢にもまして

君が

この世で一番美しいものにもまして

星のかなたに 

君が

あのかなたに君が僕のために

僕一人のためだけに

深い深い海のかなたに

君が 

この世の果てへのかなたに

君が 

果てしない大空のかなたに

生命にもまして

君が 

あのかなたに君が僕のために

炎の光、恋の夢

あのかなたに

   映画「恋愛専科」が近所の映画館で上映していた頃をはっきり記憶している。映画館の真向かいはレコード屋だった。市場の横でいつも大勢の人で賑わっていた。だが昭和40年代になると映画は斜陽となり、そこも間もなくスーパーという新形式の店が出現した。ハリウッドのスザンヌ・プレシェットにお会いしたことは一度もないが、海をへだてた日本にもファンは多く、「アル・ディ・ラ」の甘いメロディーとともに皆それぞれの思い出があるだろう。

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2008年1月20日 (日)

ワンサカ娘とワンサガール

  「♪ドライブウェイに春が来りゃ イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ」と「レナウン・ワンサカ娘」(小林亜星作詞・作曲)のCMが日曜洋画劇場で毎週流れた。昭和36年、かまやつひろし、昭和37年、デューク・エイセス、昭和38年、ジェリー藤尾&渡辺友子、昭和39年、弘田三枝子、昭和40、41年、シルヴィ・バルタン、その後もヒデとロザンナ、久美かおり、セルスターズと一流ミュージシャンが歌い継いでいる。ところで「ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ」という「ワンサ」という意味がよく分からなかった。広辞苑によると①「がやがやと大勢が押しかけるさま」とある。③わんさガールの略、とある。「わんさガール」とは「下っ端の映画女優や踊り子。大部屋女優」とある。

    当時まだ若かった小林亜星が③の意味で使ったとは考えられない。おそらく「ワンサカ ワンサ」とは①の沢山という一般的な意味で使用したのであろうが、当時のご年輩方には同時に「ワンサガール」という古い流行語を懐かしく思い出した方も定めしおられたにちがいない。現代感覚と昭和初期モダンとが「ワンサ」という一語に込められたとても優れたCMソングだ。

   ワンサガールの語源は「映画撮影所の大部屋女優や無名女優のことである。これは大正9年に松竹の蒲田撮影所が創立されてまもなくできたことばであるが、大部屋のあたりにわんさとむらがっている女優たちをみて、こんなのをワンサガールというんだわ、とある人がいったのが、すっかり流行したものであって、もちろん英語ではない。現今では少女歌劇のライン・ダンスにでる女優のこともワンサガールという。またワンサと略することもある。」(日置昌一著「ことばの事典)

 

2008年1月18日 (金)

浦辺粂子と「稲妻」

   浦辺粂子(1902-1989)は明治35年10月5日、静岡県下田で生まれた。沼津高女卒業後、浅草の金竜館の踊り子としてデビューするが、芽がでず、芸名も遠山ちどり、静浦ちどり、と変えたが売れなかった。ある時、思いあぐねて易者に見てもらうと「このまま東京にいると死ぬか大怪我をする」と言われ、大阪へ向かった。この年の9月に関東大震災が起きた。一座の娘役が急病で倒れたため、芸名を浦辺粂子に変えて舞台に立ったところ、好演が認められた。大正13年日活の「清作の妻」で映画に出演し、20代で老け役女優として活躍した。

    戦後は昭和24年「異国の丘」、昭和25年「細雪」、昭和27年「稲妻」、昭和28年「雁」「煙突の見える場所」と脇役ながら日本映画の全盛期の名作に出演し好演した。とくに「稲妻」の高峰秀子の母親おせい役は印象に残る。東京の観光バスガールをする清子(高峰秀子)は勝気な美しい娘。母おせいは結婚、離婚を繰り返し、四人の兄妹の父は皆違うという複雑な家庭。長姉縫子(村田知英子)、次姉光子(三浦光子)、兄嘉助(丸山修)。次姉光子の夫が急死したことから保険金をめぐって兄弟間でトラブルが起きる。嫌気がさした末っ子の清子は家出をする。いやな男(小沢栄)や好男子(根上淳)なども登場するが、あくまで娘と母親との和解で物語りは終わる。戦後、適齢期の男はほとんど戦争で死んで、男1人に女28人の時代。女が一人で生きていくことが難しい時代だった。林芙美子の原作だったらしく、公開当時の映画ポスターには「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」とある。女性映画の第一人者の成瀬巳喜男はこの映画で1952年度ブルーリボン作品賞をとっている。助演女優賞は中北千栄子だったが、浦辺粂子こそ受賞にふさわしかったと思う。

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2008年1月16日 (水)

ヒッチコック「汚名」のキス・シーン

    戦後初めてアメリカ映画が公開されたのは、昭和21年2月封切りの「春の序曲」(ディアナ・ダービン)と「キュリー夫人」(グリア・ガースン)であった。(ともに1943年製作)

    占領軍は毎週2本の作品を公開し、1本は娯楽作品、もう1本は民主主義の啓蒙に役立つ作品とする基本方針を立てた。つまり「春の序曲」は娯楽作品、「キュリー夫人」は啓蒙的な内容をもった作品というわけだ。

    「カサブランカ」(1942年製作)「ガス燈」(1944年製作)も昭和21年に公開され、イングリッド・バーグマンの人気は沸騰した。さらに5年間の空白を一気に埋めるかのようにバーグマンの主演作が続々と上映された。

昭和23年「聖メリイの鐘」(1945年製作)

昭和24年「汚名」(1946年製作)

昭和25年「サラトガ本線」(1945年製作)

昭和26年「白い恐怖」(1945年製作)

昭和27年「凱旋門」(1948年製作)

昭和27年「誰がために鐘は鳴る」(1943年製作)

    6年の間にバーグマンのこれまでの代表作が観ることができたのであるから、この時代、日本での最高の人気女優が彼女であったことは間違いない。とくにヒッチコック監督の「汚名」は、戦後に製作された映画であり、イングリッド・バーグマン&ケーリー・グラントという美男美女カップルのため、スリラーよりもラブシーンが話題となった。当時「キス・シーンは3秒まで」という規定があったが、ヒッチコックはこの規定を逆手に取り、二人が愛し合うシーンでは、3秒以内の短いキスを何回も続けさせた。その結果、二人のキス・シーンは2分半にも及び官能描写が話題となり興行的に大ヒツトを記録した。

「あらすじ」

    第二次世界大戦も終わりに近い頃、アメリカの法廷で、ひとりの男がナチスのスパイとして懲役20年の刑を宣告された。そのため、娘のアリシア・フーバーマン(イングリッド・バーグマン)世間から冷たい目で見られていた。

    ある夜のパーティーで友達からデブリン(ケーリー・グラント)という男を紹介される。悲しみを紛らすためにひどく酔ったアリシアは、デブリンと夜のドライブに行き途中でスピード違反のために警察につかまるが、その時デブリンが示した手帳から彼が何やら警察と関係ある男だと知って狂気のように怒った。

    デブリンは彼女の気を静めるために殴って家へ連れ帰り、その夜ひと晩中アリシアを看護した。翌朝、デブリンは自分がFBI情報部の一員であり、南米におけるナチのスパイ組織を調査するために、一緒にリオへ行ってくれるようにと頼みこむ。

    南米へ飛ぶ飛行機上で、アリシアは父が毒薬自殺したことを知る。アリシアとデブリンは仕事の束の間に本当の恋におちいった。やがて命令が与えられる。それはリオに亡命している金持の団体が何か陰謀を企んでいるので、その実態を調査することだった。

    アリシアはその一団の一員であるアレックス・セバスチャン(クロード・レーンズ)がかつての父の友人であり、以前彼女を恋していたこともあって、セバスチャンの身辺を探るよう命令される。偶然のような再会。アレックスは母親(ミルドレッド・ナトウィック)や来合わせていた客達を紹介した。そしてセバスチャンは熱心にアリシアとの結婚を望んだ。それに対して何の反応も示さないデブリンにつらあてするかのように、アリシアは求婚わ受け入れた。

    新婚旅行から帰った日、アリシアは地下の酒倉の鍵をいつもセバスチャンが持っているのを知り、その中に秘密があることを感じとった。そしてデブリンと秘かに公園で連絡した時その話を告げる。

    結婚披露のパーティーでデブリンは招待客として招かれる。そしてアリシアが夫の鍵束から外しておいた酒倉の鍵を受け取り地下室に降りていった。ふたりは暗い酒倉で逢引きをする。そしてワインの瓶の中に黒い粉を発見する。その時、足音がしてセバスチャンが現れた。ふたりは密会中を見られたようにとりつくろう。その後、再び鍵束に地下室の鍵がついているのを見てセバスチャンは妻の行動に疑問を持つようになる。セバスチャンが最も恐れたのは、自分がアメリカのスパイを妻にしてしまった大きなミスを仲間に知られることだ。母親は、毒薬を少しずつアリシアに飲ませて病気で死んだように見せかける方法を提案する。

    デブリンの上官プレスコット(ルイス・カルハーン)は瓶の中の黒粉が原子爆弾に使われるウラニウム鉱であることを知って驚く。ドイツもまた原子爆弾の開発に力を入れていることが分かる。

    その間にもアリシアは毒薬入りのコーヒーを飲まされ、次第に衰弱していった。一方、デブリンも連絡のないアリシアの身を案じて単身セバスチャンの邸へと乗り込み、彼女を連れ出そうとした。それを制止しようとあせるセバスチャンの態度に、居合わせたナチス党員たちの疑惑の目が集中する。スパイとしての彼の失策は明らかとなった。アリシアとデブリンにようやく平和な恋が訪れた。

   原子爆弾の話は、撮影直前(1945年10月)になった、ヒッチコックによって書き加えられたためである。

2008年1月15日 (火)

風を聴く日

    「そのころ私たちの家は、池上本門寺裏の、石段を上がった所にありました」と黒柳徹子のナレーションで始まる向田邦子新春シリーズ「風を聴く日」を見る。

    長沢家は植物学者の父・浩二郎(菅原謙次)が1年半前に家出し、病気がちな母・里子(加藤治子)と二女の晶子(小泉今日子)、三女の愛子(林美穂)が暮らしていた。昭和14年の暮れ、夫が戦死した長女・絹子(田中裕子)が、正月で久々に実家に戻った。

    ある日、晶子が会社の帰りに家出した父が愛人(風吹ジュン)と一緒にいるところを目撃する。後日、絹子と晶子は父の隠れ家を訪ねる。父と母との微妙な感情のずれが少しづつ浮き出されていく。田中裕子、加藤治子らいつものレギュラー陣だが、今回の見所は、やはり父親役の菅原謙次(1926-1999)だろう。オカリナを吹いたり、ビング・クロスビーのレコードを聞いている。往年の映画スターで、愛煙家として知られ柔道三段の腕前を持つ彼も大病したらしく痩せているのがたいへん痛ましく感じる。正月ドラマなのに父も母も亡くなるという縁起悪いストーリー展開。だが、どこかにほのぼのしているところが感じられるのが向田邦子ワールドである。このドラマが放送された1995年1月9日から8日後に阪神大震災が発生した。

元祖ラブコメは何か?

   いま日本でも韓国でも恋愛映画、なかでもハッピーでロマンチックなコメディ、いわゆる「ラブコメ」というジャンルが人気だ。ロマコメとラブコメとの違いは、どちらも恋愛とハッピーエンドを条件として区別はなかなか困難であるが、ラブコメはより喜劇性、ドタバタ性の強いものをいう。例えば、「ローマの休日」はロマコメであり、ドラマ「おくさまは18歳」は典型的ラブコメである。現在、日本では上野樹里、韓国ではキム・ジョンウン、キム・ハヌルなどがラブコメの女王ともいえる地位を確立している。LaLaテレビ放送中のソン・ヘギョ&ピの「フルハウス」などは典型的ラブコメであろう。日本映画での元祖ラブコメといえば薬師丸ひろ子&鶴見辰吾の「翔んだカップル」(1980)という説がある。しかし、ラブコメのルーツとなるとやはりハリウッド映画であろう。

    19世紀末のヨーロッパの演劇界や文学は悲劇的な結末のものが流行した。その影響を受けたアメリカ映画界でもサイレント初期はリリアン・ギッシュの「散り行く花」、グレタ・ガルボの「肉体の悪魔」(1927)、「恋多き女」(1929)など悲恋物語ばかりだった。「アメリカの恋人」とよばれ愛されたメリー・ピックフォードが元祖ラブコメの女王といえるかもしれない。トーキー時代になってダンスとジャズのミュージカル映画が全盛となる。このころアメリカ映画はほとんどがハッピーエンドというアメリカン・ロマンスのスタイルが成立したとみている。そして銀幕を不滅の黄金コンビが彩った。ルビー・キラー&ディック・パウエル、ジンジャー・ロジャーズ&フレッド・アステア。元祖ラブコメといえばクラーク・ゲイブル&クローデッド・コルベールの「或る夜の出来事」といわれている。しかしロマコメとラブコメとの区別がつきにくい作品であろう。真の意味でのラブ・コメ映画の出現となると、チビッコの青春コンビ、ジュディ・ガーランド&ミッキー・ルーニーのアンディ・ハーディシリーズ(1938-1941)だろう。残念ながらこの時期、戦争のために日本では劇場公開できなかったため、ラブコメが日本に移入することはなかった。戦後アメリカ映画のラブコメのヒロインといえば、シャーリー・マクレーン、ゴールディ・ホーン、メグ・ライアン、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、キルステン・ダンストと続々と現れている。

   つまり日本、韓国でのラブコメの成立は、アメリカに比べ50年は遅い。なぜこれほど遅れたのだろう。吉永小百合&浜田光夫、山口百恵&三浦友和の共演映画も観客は悲劇性を好んでいた。ラブコメも作ってはみたがファンには不評だった。日本でのほんとうのラブコメの登場はバブル期まで待たねばならなかった。

2008年1月13日 (日)

ボギーあんたの時代はよかった

   ハンフリー・ボガート(1899-1957)の初期の出演作29本のうち半分は殺されるか死刑になる役だった。共演者といえば、ジェームズ・ギャグニー、エドワード・G・ロビンソン、ジョージ・ラフトといったギャングスターばかり。恐いという印象がある。ところが実際のボガートは「とても傷つきやすく、穏やかな人だった。そして嘘と名のつくものはすべて嫌った」とローレン・バコールはいう。「マルタの鷹」(1941年)の探偵サム・スペード役で大スターとなった。

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                                            ハードボイルド映画で花をそえたヒロインたち。ベティ・デイビス(化石の森、札つき女、倒れるまで、愛の勝利)、シルビア・シドニー(デッド・エンド)、ジョーン・ブロンデル(身代わり花形)、プリシラ・レーン(彼奴は顔役だ)、メアリー・アスター(マルタの鷹)、アイダ・ルピノ(ハイ・シエラ)、イングリッド・バーグマン(カサブランカ)、ローレン・バコール(脱出、三つ数えろ、潜行者、キーラーゴ)、バーバラ・スタンウィック(第二の妻)、キャサリン・ヘプバーン(アフリカの女王)、ジェニファー・ジョーンズ(悪魔をやっつけろ)、エヴァ・ガードナー(裸足の伯爵夫人)、オードリー・ヘプバーン(麗しのサブリナ)。

男は神に非ず

    さて問題。ビビアン・リー、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘプバーン、三人の美人女優全てと共演した誠にうらやましい男優は誰か。

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   本名はレジナルド・ケアリー・ハリソン(1908-1990)。ハリソンは1908年3月5日、イギリスのランカシャーで絹仲買人の息子として生まれ、16歳の時にリバプールのレパートリー劇場で初舞台。リバプール・カレッジを卒業後は地方巡業に出て1930年、ロンドンに進出する。映画デビュー作はガートルード・ローレンスの「男は神に非ず」。マール・オベロンと「月のかなたに」、ビビアン・リーと「茶碗の中の嵐」「セント・マーティンの小径」、ロザリンド・ラッセルの「城砦」、マーガレット・ロックウッドと「ミュンヘンの夜行列車」、アンナ・ニーゲルと「大空に散る恋」、アイリーン・ダンと「アンナとシャム王」、ジーン・ティアニーと「幽霊と未亡人」、リンダ・ダーネルと「殺人幻想曲」、ケイ・ケンドールと「完全なる良人」、ドリス・デイと「誰かが狙っている」、リタ・ヘイワースと「楽しい泥棒日記」、エリザベス・テーラーと「クレオパトラ」、オードリー・ヘプバーンと「マイ・フェア・レディ」、ジャンヌ・モローと「黄色いロールスロイス」でそれぞれ共演している。このような恵まれた女優歴を飾れたのは、上品で洗練された紳士役で女性の美しさを際立たせるのが上手だったためであろう。実際、彼は名うてのプレイボーイで共演女優の多くと結ばれている。「艶事師」で共演したリリー・パルマー(1914-1986)、「完全なる良人」で共演したケイ・ケンドール(1926-1959)、レイチェル・ロバーツ(1929-1980)みな女優と結婚、離婚を繰り返している。彼とは、レックスとセクシーを合成させた「レクシー・ハリソン」の異名を持つレックス・ハリソン(1908-1990)である。

戦中の戦争映画

    戦時中に封切りされた戦意高揚を目的に撮られた映画の中で最も多くの日本人が見た映画は、おそらく日米開戦1周年を目前に控えた昭和17年12月3日封切りの「ハワイ・マレー沖海戦」であろう。海軍省の後援で全国の学生、軍需工場、婦人会などが動員され、占領地も含めると約1億人がこの映画を観たといわれている。

    ストーリーは、予科練に入隊した友田義一(伊藤薫)が山下教官(藤田進)たちから海軍精神を叩き込まれて一人前の飛行兵に成長していく過程と、真珠湾攻撃、マレー沖での活躍ぶりを記録映画風に再現している。だが現実での戦況は、この年6月のミッドウェイ海戦の敗北ですでに劣勢に追い込まれていた、という事実を1億人は何も知らなかった。

    日中戦争が始まってから戦争映画は数多くつくられた。主な作品を挙げると、小杉勇「五人の斥候兵」「土と兵隊」、佐分利信「西住戦車長伝」、藤田進「海軍爆撃隊」、大日向伝「燃ゆる大空」、井上莞「空の少年」、阪東妻三郎「将軍と参謀と兵」、高田稔「望楼の決死隊」、佐分利信「愛機南へ飛ぶ」、高田稔「決戦の大空」、中田弘二「シンガポール総攻撃」、山内明「海軍」、大河内伝次郎「あの旗を撃て」、藤田進「加藤隼戦闘隊」、渡辺義夫「轟沈」、星野和夫「君こそ次の荒鷲だ」、水島道太郎「肉弾挺身隊」、藤田進「雷撃隊出動」、長谷川一夫「後に続くを信ず」、高田稔「愛と誓い」など。

2008年1月 2日 (水)

昭和の精神史としての「父の鎮魂歌」

    小泉信三(1888-1966)の一人息子・信吉は、大正7年に生れ、慶応を卒業し、海軍士官になり、昭和17年10月22日、特設砲艦「八海山丸」に乗艦し南太平洋沖にて戦死した。享年25歳。山田太一脚本のドラマ「父の鎮魂歌」は小泉信三の著書「海軍主計大尉小泉信吉」を原作に東芝日曜劇場ドキュメンタリードラマとして平成4年に放送された。父親・信三のイメージを大切にしたいという小泉家の要望で、演ずる杉浦直樹は終始後ろ姿で登場する。

    昭和17年2月、重巡洋艦「那智」は南方攻略作戦支援任務のためスラバヤ沖海戦に参加した。小泉信吉(杉浦直樹)は初任務につく信吉(志村東吾)に次のような手紙を書く。

    「君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何より誇りとしている。僕は若し生れ替わって妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない」

   信吉の人柄は、自由闊達で、父・母(冨司純子)を尊敬し、二人の妹(有森也美、美栞了・旧芸名・小柴香織)を慈しみ、常に穏やかで寡黙の人だった。友人から武田信玄といわれていた。戦前期の昭和をドラマ化すると、当時の日本軍国主義を批判し、美化と誇張が目立つものが大半である。しかしこの「父の鎮魂歌」は、当時の限られた状況のなかで、ごく自然に父親の息子を偲ぶ心情がドキュメンタリードラマ風に仕上がっている。進行役に西田敏行、評論家・桶谷秀昭も解説者として登場。

2008年1月 1日 (火)

平清盛と市川雷蔵

    市川雷蔵(当時24歳)は、関西歌舞伎から映画界に入った翌年、溝口健二監督の「新・平家物語」(昭和30年)の主役に抜擢された。若武者雷蔵の迫力ある演技は新鮮で美しかった。ラストの名場面。雷蔵扮する平清盛が貴族の神輿に弓を放つ場面の撮影の時だった。衣裳係が手間取った。溝口はネチネチいじめることで有名だ。「早くしてください。夕陽が沈んだらこのシーンは撮れないんですよ」この時突然、これまで無言だった雷蔵がタンカを切った。「やかまし言うない。今日お日さんが沈んだら、明日は東から出てくるわい。明日撮ったらええやろ」溝口は「なにを言う」と小声で口ごもり、雷蔵の気迫に度肝を抜かれた。溝口はあとで「若いから元気よくて気持ちいいよ」とスタッフに言っていた。こうして雷蔵は天下の名監督との勝負に勝った。端役の歌舞伎役者にケリをつけて、映画界で青年平清盛を颯爽と演じ、スターの地位を確立したことは言うまでも無い。

   市川雷蔵、本名・亀崎章雄は昭和6年8月29日、京都市堀川丸太町で商社員の父・亀崎松太郎と商家出身の母・中尾富久との間に生れた。しかし生後6ヵ月で伯母夫婦である関西歌舞伎の市川九団次の養子となり、竹内嘉男と改名、15歳で市川筵蔵となり、さらに昭和26年市川壽海の養子となり、太田吉哉と改名、八代目市川雷蔵となる。もともと歌舞伎の血筋ではなく、養父が歌舞伎役者だあったため、亀崎章雄は竹内嘉男、太田吉哉と三度も改名することとなった。

   では、次の映画スターは誰だろう?

①中村鶴三

②大辺男

③門田潔人

④植木正義

⑤高橋照市

⑥加藤郁郎

⑦浅川善之助

⑧池端清亮

⑨有島行光

⑩小野榮一

⑪丹羽富成

⑫奥村利夫

⑬小田剛一

⑭小川錦一

⑮柴田吾郎

⑯佐野邦俊

      *

回答

①尾上松之助、②大河内伝次郎、③月形龍之介、④片岡千恵蔵、⑤嵐寛十郎、⑥古川緑波、⑦市川右太衛門、⑧上原謙、⑨森雅之、⑩鶴田浩二、⑪大川橋蔵、⑫勝新太郎、⑬高倉健、⑭中村錦之助、⑮田宮二郎、⑯里見浩太朗

あの娘の名まえを呼んでみたら

   「恋というもの知りたくて、あの娘の名まえを呼んでみたら、俺の心のかたすみを、冷たい夜風が吹きぬけた♪」(にしきのあきら「もう恋なのか」)

    男にとって女の名まえには、いとおしさ、せつなさがつきものです。「ひとみちゃん」(神戸一郎)、「江梨子」(橋幸夫)、「純子」(小林旭)、「順子」(長渕剛)、「SACHIKO」(ばんばひろふみ)とヒット曲も多数ある。そこで美人女優の本名を調べてみた。むかしの女優は「100メートル先から見ても、実にきれいだ」という伝説の美女ばかりを集めた。次の本名は誰でしょう?

①会田昌江

②平山秀子

③西山都留子

④旭爪明子

⑤河野美保子

⑥加治信子

⑦香川阿都子

⑧大鷹淑子

⑨倉成直子

⑩牧野香子

⑪浅井信子

⑫富沢住恵

⑬加藤和枝

⑭坂爪セツ子

⑮菱田美恵子

       *

①原節子、②高峰秀子、③轟夕起子、④月丘夢路、⑤越路吹雪、⑥乙羽信子、⑦浜木綿子、⑧李香蘭、⑨津島恵子、⑩香川京子、⑪浅丘ルリ子、⑫桂木洋子、⑬美空ひばり、⑭若山セツ子、⑮丘さとみ

2007年12月30日 (日)

大奥ブームと「篤姫」

    吉屋信子の「徳川の夫人たち」が昭和41年から43年まで朝日新聞に連載され大奥ブームを作るきっかけとなった。映画では東映が昭和42年「大奥秘物語」(佐久間良子、山田五十鈴、藤純子主演)、「続・大奥秘物語」(小川知子・緑魔子主演)、昭和43年「大奥絵巻」(佐久間良子、淡島千景、大原麗子主演)で興行的成功を収めた。フジテレビでも昭和43年、昭和58年と「大奥」を放送した。平成15年の「大奥」では菅野美穂が天璋院篤姫を演じ、池脇千鶴、浅野ゆう子らが主演して、平成の大奥ブームが再燃した。平成16年に「大奥第一章」(松下由樹主演)、平成17年に「大奥華の乱」(内山理名、藤原紀香、小池栄子主演)で女の嫉妬、憎悪、陰湿なイジメ、ドロドロの陰謀が人気を呼んだ。NHK大河ドラマもこの「大奥ブーム」に便乗したかたちで「篤姫」がいよいよ登場する。幕末の動乱期、島津斉彬の養女として第13代将軍徳川家定の正室として大奥を統率した天璋院篤姫(1836-1883)。ピュアなイメージのある宮崎あおいがいかに幕末の尼将軍といわれた篤姫を演じるかに注目が集まる。

   大奥とは、江戸城中で将軍の御台所と側室の住居。江戸城総面積1万1千余坪の半分以上を、大奥が占める。政務の表と大奥の境の廊下は御錠口(御鈴口)と呼ばれ、銅板張りの大戸が立てられ「此より内男入る可からず」という紙札が掲げられていた。大奥に入れる男は将軍ただ一人だった。大奥には下働きまで含めれば約1千人の女性がいた。7、8人の側室がいるのがふつうで、最多の11代将軍家斉には21人の側室がいた。将軍の正室は公家や親王家から選ばれ、お付きの女中も多かったから、大奥での生活は京都風で、落語の「たらちね」さながらの状況だったという。

2007年12月29日 (土)

嘆きの天使

     ラート(エミール・ヤニングス)は、中年をすぎた堅物の独身教師。学校と下宿を往復する以外の世界を知らなかった。ある日、学生が落としたエロ写真から、補導上、キャバレーへ自ら乗り込む。

   灯に身を焦がす  蛾のように

   私は男を狂わす  根無し草

    そこには学生たちの人気者の歌姫ローラ・ローラ(マルレーネ・デートリッヒ)がいた。そして、妖艶なローラの部屋へ案内されたラートは、すっかり彼女の魅力に心を奪われてしまった。翌日の夜も、ラートはキャバレーへ行き、その夜は下宿へも戻らなかった。翌日、学生たちはラートをひやかした。彼は学生たちをどなりつけたが、学生たちは騒ぎたて、授業をボイコットした。これがもとで学校を退学したラートはローラと結婚し、一座と旅回りに出た。だが、一座の経営は思わしくなく、たくわえを使い果たしたラートは、妻のヌード写真を酒場で売り歩くまでに落ちぶれた。座長キーぺルト(クルト・ゲロン)はラートを道化役にしたてることにした。商売に抜け目のない座長は、落ちぶれたラートが教鞭をとっていた高校のある町へ乗り込んだ。道化姿のラートの前には、自分が手塩にかけた学生たちが見物していた。しかも、舞台裏ではローラが若い男と接吻していた。これを知ったラートはローラにつかみかかったが、一座の者にたたきのめされた。絶望したラートは雪の降る町に逃げた。翌朝、高校の教室で道化姿のラートが死んでいた。

    原作はハインリッヒ・マンの小説「ウンラート教授」。「ウンラート」とはダメ教授という意味があるらしい。世紀末ドイツでは、デカダンスとファム・ファタール(宿命の女)が流行し、蟲惑的な魔性の美女が中年男を惑わす話が好まれた。

    「嘆きの天使」は、1930年、ジョゼフ・フォン・スタンバーグで映画化されるや、デートリッヒの脚線美によって全世界に衝撃の嵐を呼んだ。しかし、この映画をナチスは退廃芸術という理由で上映禁止処分にした。キーぺルトを演じたユダヤ人俳優クルト・ゲロンもアウシュビッツの収容所で殺された。

「夢千代日記」に見る女性美

   ドラマの舞台となった山陰・湯村温泉荒湯の近くには吉永小百合がモデルとなった「夢千代像」がある。NHKドラマ「夢千代日記」(早坂暁脚本、深町幸男演出)によって、吉永小百合=夢千代=芸者というイメージが一般には広まったような感がする。しかし5話連続の最初の作品を見たかぎり、夢千代(吉永小百合)ほど芸者らしくない芸者はないないという印象を持った。民謡「貝殻節」を踊るシーンは何度もあるが、客と親しく話すとか、酌をするというシーンはほとんど無かった。インテリ芸者で笑顔もなく、はかなげで寂しそうである。清純派・吉永小百合ほど芸者が似合わない女優もめずらしい。思えば日本映画の大女優はほとんど芸妓が似合う。酒井米子、柳さく子、八雲恵美子、梅村蓉子、田中絹代、飯塚敏子、山田五十鈴、花柳小菊、淡島千景、山本富士子。日本情緒をかもし出す芸者役ができて看板女優であった。吉永が「伊豆の踊子」を演じたときも、利発そうな吉永が、字がよめないカオル役で学生に文字を聞くシーンなど不自然だという声をきいたことがある。現代的、健康的、聡明という優等生イメージの強い吉永が、古風な女、病弱、暗い、という孤独で哀しい女をいかに演じるかに興味の大半がそそがれる作品なのである。聖女としての夢千代を鮮明にするためには、対照的な女優を配する必要がある。小悪魔的な緑魔子、秋吉久美子であり、若い大衆演劇の男と駆け落ちをするプレイガールの大信田礼子を配し、聖の対比である俗を印象づける。注目すべきは、芸者置屋の下働きを演じた夏川静江の存在であろう。古風な女優の多い戦前の日本映画界にあって、理知的で近代的な印象のある女優であった。また、さびれたストリップ小屋に流れる暗い70年代のアングラソングも効果的である。「私の名は朝子です。歳は18、身長は163センチです。自分では綺麗な方だと思っています。今、髪は短いですが、じき長くなると思います。お酒はまだあまりのめませんが、ブルースとタンゴくらいは踊れます」というナレーションで緑魔子のストリップショーが始まる。場末のさびしさや惨めさがよく表現されている演出であろう。

   日本では明治以来、男性が描く理想的な女性像として、近代的でバタくさくハイカラな女性美に憧れることと、竹久夢二の描く大正美人に憧れることが、絶えず繰り返えしている。女性崇拝で知られる谷崎潤一郎が「痴人の愛」でナオミを描き、古典回帰後に「蘆刈」「春琴抄」「細雪」で日本的女性美を讃美したことなど典型例であろう。ドラマ「夢千代日記」は近代的女性・永井左千子が運命ゆえに芸者となり、たえず死の影につきまとわれながら生きていくという、孤独な女の人生を場末の猥雑な人間模様の中で描いている。吉永小百合の美しさを際だつことに成功した数少ない作品であろう。

2007年12月27日 (木)

夢千代日記

   いまBS放送で5夜連続「夢千代日記」(1981年)を放送している。山陰の陰鬱なムードの中で、とらえどころのないストーリーの展開である。吉永小百合主演、そして名作という予備知識がないと見ていないかもしれない。本日、第4話が終わった。「ドラマ人間模様」と題するだけあって、次々と多彩な人物が登場する。主人公、置屋「はる屋」の女将・夢千代(吉永小百合)の被爆も第4話の暴力団の沼田(草薙幸二郎)の話しでようやくわかった。山根刑事(林隆三)が張り込んでいた殺人犯・市駒(片桐夕子)も自首したことによって、ストリーの大筋がほぼ見えてきた。金魚(秋吉久美子)、千代春(楠トシエ)、菊奴(樹木希林)、小夢(中村久美)、ストリッパーのアサ子(緑魔子)、ほかに大信田礼子、田島令子、夏川静江、加藤治子などなど絢爛たる女優陣と、中条静雄、長門勇、ケーシー高峰というベテラン個性派男優陣を配している。吉永小百合という日本を代表する美人女優を共演させるにあたって相当な異色で大胆なキャスティングであったと思えるが、それが大成功している。吉永小百合は国民から優等生を求められる女優であるだけに、役柄には限界が生じる。その分を個性的な共演者を散りばめることによって、一見喜劇と思えるようだが、いっそう美しいヒロインの悲しみ、孤独感が強められ、深まっている。まるでモーパッサンの悲観とバルザックの人間喜劇を合わせたような作品構成であり、脚本家の早坂暁の独創性には脱帽する。しかしこの「夢千代日記」は、いわゆるグランドホテル形式といわれるもので、あまり新しい手法ではない。もともとグレタ・ガルボがあまりに美しすぎて映画が通俗的なメロドラマになるので、一流ホテルを舞台にさまざまな客の人間模様を描いたところ大成功した。グランドホテル形式には、「大空港」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「タイタニック」など事故ものが多いが、日本海にある淋しい温泉場を舞台にした良質のグランドホテル形式は高く評価してよい。(この作品はすでに高く評価されてますね)

   今年「女性の品格」が流行語にもなったが、吉永小百合はまさにこの「夢千代日記」によってアイドル女優から、一女性の哀しみ、孤独感を表現できる女優となったように思う。昭和20年生まれという吉永は、沖縄戦、原爆などの社会の問題にも積極的に関わり、自らの生と人に対する優しさを持ち続けて、まさに女性の品格の体現者となりつつある。山田洋次監督の新作にも期待したい。

2007年12月24日 (月)

美女と老婆

    女性のなりたい顔ベストランキングというのがある。すこし古いデータだが(2003年10月)韓国でのベストテンは以下のとおり。

    第1位はキム・ハヌル(「彼女を信じないでください」)4206票、第2位はソン・イエジン(「私の頭の中の消しゴム」)3210票、第3位はチェ・ジウ(「エアポート」)1580票、第4位はキム・ナムジュ(キム・スンウと結婚)、第5位はイ・ヨンエ(「親切なクムジャさん」)、第6位はソン・ヘギョ(「ファン・ジニ」)、第7位はキム・ヒソン(「悲しき恋歌」)、第8位はパク・ソルミ(「黄金のリンゴ」)、第9位はキム・ソヨン(「イブのすべて」)

    4年前の統計なので、現在ならキム・テヒ、ハ・ジウォン、ハン・ジヘ、ハン・ジミン、ナム・サンミや若手のハン・ヒョズ(「春のワルツ」)、ソン・ジヒョ(「朱蒙』)、パク・シネ(「「天国の樹』)、ユン・ウネ(「宮」)、キム・オクビン(「こんにちは神様」)などが台頭しているかもしれない。

   ところで、男性から見て意外に思えるのは、韓国を代表する美人といえば、キム・ヒソンかイ・ヨンエであろうが、なんとこれら正統派美人女優を抑えて、なごみ系、いやし系のキム・ハヌルがダントツの1位だったことである。おそらく、韓国女性は、あまりキレイキレイでなく、ほどほどを選択したのであろう。この結果には、当然との声もあり、「やっぱりハヌルでしょう」「同じ女でも、かわいいと感じる」と同性から好かれる人柄に人気が集中したようだ。

    これに比べると、日本女性は、なんとストレートにズバリ顔で選んでいる。「月刊デ・ビュ10月号」(オリコン・エンタメント)では1000人の女性を対象として「なりたい顔の女性芸能人」アンケートを実施した。

    第1位は沢尻エリカと新垣結衣、第3位は宮崎あおい、第4位は長澤まさみ、第5位は香里奈、第6位は浜崎あゆみ、第7位はリア・ディソン、第8位は蛯原友里、第9位は綾瀬はるか、第10位は松嶋菜々子と柴咲コウ。

    沢尻エリカが第1位の理由としては、「肌がきれいで顔型もきれい」「目鼻立ちがハッキリしている」「エキゾチックな風貌」「美人であり可愛い」「清純さと小悪魔的セクシーさを併せ持つ」という点に人気が集中した。やはり今年一番話題をふりまいた女優はエリカ様だった。

    エリカの魅力のポイントである「小悪魔」というキーワードで思い出すことがある。ケペルが学生の頃、銭湯の脱衣場に封切り映画のポスターがズラリと貼ってあった。緑魔子という女優はまさに小悪魔的魅力の象徴で、主演映画のポスターを眺めていたが、残念なことに映画は一度も見ずにおわった。ところがなんとNHK大河ドラマ「風林火山」の終盤の回に彼女が登場していた。川中島の決戦をしらす貪欲な老婆の役である。もちろん彼女の目はありし日の美貌を伝えるものの、多くの視聴者はただの奇怪な老婆にしか見えないであろう。女優というのは、いろいろの役を演じることで結構楽しんでいるのかもしれない。

霧笛が俺を呼んでいる

    昭和30年代、日活はタフガイ石原裕次郎を筆頭に、マイトガイ小林旭、そして「第三の男」として赤木圭一郎(1939-1961)を売り出した。都会的な甘いマスクで憂いを感じさせた「トニー」はまたたくまに人気スターとなった。(愛称の由来は、西河克巳監督がトニー・カーティスに似ていると感じたことからきている)

   赤木圭一郎の代表作のひとつ「霧笛が俺を呼んでいる」(山崎徳次郎監督、昭和35年)。すずらん丸のエンジンが故障して港に着いた航海士・杉敬一(赤木圭一郎)は旧友の浜崎(葉山良二)を訪ねる。が、杉は浜崎が2週間前に突堤で溺死体で発見されたことを知る。杉は浜崎の恋人美也子(芦川いづみ)とバンドホテルで会う。杉は森本刑事(西村晃)から浜崎が麻薬の売人だったと知らされる。実は浜崎は生きていた。浜崎は麻薬を持ち出し逃亡しようとする。それを知った渡辺(二本柳寛)一味は浜崎を殺そうとする。赤木は浜崎に自首をすすめる。しかし浜崎はビルの非常階段から転落死する。

   ストーリーは、もちろんキャロル・リードの名作「第三の男」そのままであるのはご愛嬌。アメリカ人の作家ホリーが赤木で、ハリー・ライムが葉山で、アンナが芦川であろう。石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」がハンフリー・ボガートの「カサブランカ」の翻案であるのと同様、映画ファンのお楽しみでもあるのだ。

    原作の「第三の男」に無い登場人物は難病の美少女。まだ少女の面影を残す吉永小百合が葉山良二の妹役で登場しているが、添え物的であり、ヒロインはやはり芦川いづみである。スカーフをした芦川の憂いに満ちた表情は美しい。霧の流れる波止場でのラストシーン。芦川が「これから私は北海道へ行きます。あなたはどこへいらっしゃるの」と聞くと、「そうさなぁ。なんだか霧笛が俺を呼んでいるような気がするぜ。霧笛にでも聞いてくれよ」という気障なセリフも、赤木圭一郎だからサマになる。赤木ほど「マドロス」が似合うスターはいない。実際に赤木は海への憧れやみがたく、当時の東京商船大学を受験している。失敗して成城大学に入学し、日活第4期ニューフェースとして入社。この映画が撮影された頃の東京は安保闘争で混乱していた。

    昭和35年6月15日、赤木(当時大学在学中だった)はスポーツカーを運転して日活撮影所に向かう途中、安保反対のデモ隊に遭遇した。赤木は撮影所のテレビでデモの様子を熱心に見つめていたと、共演者の西村晃は語る。そして赤木は西村に頼んで、9日後の樺美智子の追討デモに参加している。「こんな時に、ピストルごっこなんかやっていていいのかな?」と赤木は同じ大学生として感想を周囲にもらしたという。翌年、赤木圭一郎はゴーカートによる激突事故で21歳の短い生涯を閉じる。

   共演者の吉永小百合は後年、次のように語っている。「撮影所だけが私の世界だったのです。そこで好意を持ったり、初恋とも呼べる感情を抱かなかったと言えば、うそになります。でも、そこに踏み込んでいくほど積極的に恋愛を考えませんでしたし、忙しさの中で私はみたされていたのかも知れません」(「現代」1996.3)この15歳のスターレット吉永小百合の初恋の相手とは誰であろう。おそらくは、憧れのスター、赤木圭一郎ではないだろうか。

2007年12月20日 (木)

三波春夫と美空ひばり

   大晦日のNHK紅白歌合戦の曲順が発表され、大トリを五木ひろし、トリを石川さゆりが勤めるという。ところで「トリを取る(最後に高座にあがる)」というのは、もともと落語、講談、義太夫、浪花節などの寄席でつかわれた言葉である。落語家には、前座・二ッ目・真打という三段階のランクがある。技量のすぐれた出演者が一日の最後の演目をしめくくる責任を持つことから、最後の出番を勤めることを「トリを取る」といい、その実力のある噺家を「真打ち」というようになった。しかし今日、ニュースなどでよく耳にするのは、紅白歌合戦の最後の出演者、つまり歌手の誰がその年の「トリを取る」かに関心が集まるようだ。

   紅白歌合戦でのトリといえば美空ひばり(1937-1987)と三波春夫(1923-2001)の対戦が思い出される。まさに歌謡曲黄金時代の年の締めくくりに相応しい豪華なショーであった。

昭和38年「哀愁出船」「佐渡の恋歌」

昭和39年「柔」「俵星玄蕃」

昭和41年「悲しい酒」「紀伊国屋文左ェ門」

昭和42年「芸道一代」「赤垣源蔵」

   過去4度の対戦があったが、昭和38年は81.4パーセントで最高視聴率を記録した。昭和41年の対戦は三波春夫が大トリを取り「豪商一代紀伊国屋文左衛門」(作詞・北村桃児、作曲・長津義司)を熱唱した。この歌は三波の持ち歌のなかでもとくに所要時間が長い歌謡浪曲である。

  沖の暗いのに白帆がサー見ゆる

  あれは紀の国ヤレコノコレワイノサ

  みかん船じゃ エー

  八重の汐路に 広がる歌が

  海の男の 夢を呼ぶ

  花のお江戸は もうすぐ近い

  豪商一代 紀の国屋

  百万両の 船が行く

2007年12月 8日 (土)

第58回紅白歌合戦出場歌手人名録

   紅白初出場歌手「有原栞菜」の名前が読めますか?若い人は常識なんでしょうね。答えは、この記事の最後にあります。   

   ところで、TVで見た紅白歌合戦の初出場者が、ほとんど見知らぬ歌手が大勢いるのを奇怪に感じたが、そのうち多くは「AKB48」という秋葉原を拠点とするアイドルグループだった。同グループ内に佐藤という同姓(佐藤亜美菜、佐藤夏希、佐藤由加理)が3人もいる。

    この顔ぶれをみてみると、紅白の対決というよりも、つんくvs秋元康の紅組の楽屋対決ではないだろうか。

紅組

aiko

秋元才加(AKB48)

阿久津博子(ミヒマルGT)

綾香

有原栞菜(キュート)

アンジェラ・アキ

石川さゆり

板野友美(AKB48)

井上奈瑠(AKB48)

梅田彩佳(AKB48)

梅田えりか(キュート)

浦野一美(AKB48)

大江朝美(AKB48)

大島麻衣(AKB48)

大島優子(AKB48)

大塚愛

大堀恵(AKB48)

岡井千聖(キュート)

岡村孝子(あみん)

奥真奈美(AKB48)

小野恵令奈(AKB48)

柏木由紀(AKB48)

河西智美(AKB48)

片山陽加(AKB48)

加藤晴子(あみん)

亀井絵里(モーニング娘。)

川崎希(AKB48)

川中美幸

菊地彩香(AKB48)

久住千春(モーニング娘。)

熊井友理奈(ベリーズ工房)

倉持明日香(AKB48)

香西かおり

倖田來未

小嶋陽菜(AKB48)

伍代夏子

小林香菜(AKB48)

小林幸子

駒谷仁美(AKB48)

佐伯美香(AKB48)

早乙女美樹(AKB48)

坂本冬美

佐藤亜美菜(AKB48)

佐藤夏希(AKB48)

佐藤由加理(AKB48)

篠田麻里子(AKB48)

ジュンジュン(モーニング娘。)

須藤茉麻(ベリーズ工房)

清水佐紀(ベリーズ工房)

菅谷梨沙子(ベリーズ工房)

鈴木愛理(キュート)

高橋愛(モーニング娘。)

高橋みなみ(AKB48)

多田愛佳(AKB48)

田中れいな(モーニング娘。)

田名部生来(AKB48)

嗣永桃子(ベリーズ工房)

出口陽(AKB48)

天童よしみ

徳永千奈美(ベリーズ工房)

戸島花(AKB48)

中川翔子

仲川遥香(AKB48)

中島早貴(キュート)

中島美嘉

中西里菜(AKB48)

中村正人(ドリームズ・カム・トゥルー)

中村中

中村美律子

仲谷明香(AKB48)

長山洋子

夏焼雅(ベリーズ工房)

成田梨紗(AKB48)

成瀬理沙(AKB48)

新垣里沙(モーニング娘。)

野口玲菜(AKB48)

野呂佳代(AKB48)

萩原舞(キュート)

浜崎あゆみ

早野薫(AKB48)

一青窈

平嶋夏海(AKB48)

平原綾香

BOA

前田敦子(AKB48)

増田有葉(AKB48)

松岡由紀(AKB48)

松原夏海(AKB48)

水森かおり

道重さゆみ(モーニング娘。)

光井愛佳(モーニング娘。)

峯岸みなみ(AKB48)

三宅光幸(ミヒマルGT)

宮澤佐江(AKB48)

矢島舞美(キュート)

吉田美和(ドリームズ・カム・トゥルー)

米沢瑠美(AKB48)

リア・ディソン

リンリン(モーニング娘。)

和田アキ子

渡辺麻友(AKB48)

白組

秋川雅史

石井竜也(米米クラブ)

五木ひろし

稲垣吾郎(スマップ)

ウエンツ瑛士(WaT)

宇佐美吉啓(エクザイル)

大久保謙作(米米クラブ)

大橋卓弥(スキマスイッチ)

緒方龍一(ウィンズ)

岡野昭仁(ポルノグラフィティ)

小野田安秀(米米クラブ)

Gackt(神威楽斗)

香取慎吾(スマップ)

金子隆博(米米クラブ)

北島三郎

北山たけし

木村拓哉(スマップ)

草彅剛(スマップ)

黒澤良平(エクザイル)

黒田俊介(コブクロ)

小池徹平(WaT)

国分太一(トキオ)

小渕健太郎(コブクロ)

坂口良治(米米クラブ)

さだまさし

佐藤篤志(エクザイル)

城島茂(トキオ)

新藤晴一(ポルノグラフィティ)

すぎもとまさし

田崎敬浩(エクザイル)

橘慶太(ウィンズ)

千葉涼平(ウィンズ)

常田真太郎(スキマスイッチ)

寺尾聰

徳永英明

得能律郎(米米クラブ)

鳥羽一郎

中居正広(スマップ)

長瀬智也(トキオ)

馬場俊英

林部直樹(米米クラブ)

氷川きよし

平井堅

布施明

前川清

眞木大輔(エクザイル)

槇原敬之

松岡昌宏(トキオ)

松本利夫(エクザイル)

美川憲一

森進一

山口達也(トキオ)

                  *

クイズの正解。有原栞菜(ありはらかんな)。最近、「栞菜」という女子の名前はちょっと流行みたいです。

2007年12月 7日 (金)

懐かしの「紅白歌合戦 昭和38年」

    NHKは第58回紅白歌合戦の出場歌手を発表した。初出場歌手の顔ぶれを見てもなじみがない。ちなみに最高視聴率81.1パーセントだった第14回(昭和38年)の50組の歌手は皆知っている。

紅組

司会・江利チエミ、弘田三枝子「悲しきハート」、仲宗根美樹「奄美恋しや」、松山恵子「別れの入場券」、雪村いづみ「思い出のサンフランシスコ」、こまどり姉妹「浮き草三味線」、坂本スミ子「テ・キエロ・ディヒステ」、高石かつ枝「りんごの花咲く町」、楠トシエ「銀座かっぽれ」、江利チエミ「踊り明かそう」、トリオこいさんず「いやーかなわんわ」、吉永小百合「伊豆の踊子」、朝丘雪路「永良部百合の花」、島倉千代子「武蔵野エレジー」、畠山みどり「出世街道」、西田佐知子「エリカの花散るとき」、越路吹雪「ラスト・ダンスは私に」、スリー・グレイセス「アイ・フィール・プリティ」、倍賞千恵子「下町の太陽」、三沢あけみ「島のブルース」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、ペギー葉山「女に生れて幸せ」、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、五月みどり「一週間に十日来い」、中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり「キューティパイ・メドレー」、美空ひばり「哀愁出船」

白組

司会・宮田輝、田辺靖雄「雲に聞いておくれ」、守屋浩「がまの油売り」、北島三郎「ギター仁義」、アイ・ジョージ「ダニー・ボーイ」、和田弘とマヒナスターズ「男ならやってみな」、ジェリー藤尾「誰かと誰かが」、三浦洸一「こころの灯」、森繁久彌「フラメンコかっぽれ」、立川澄人「運がよけりゃ」、ボニー・ジャックス「一週間」、北原謙二「若い明日」、田端義夫「島育ち」、三橋美智也「流れ星だよ」、村田英雄「柔道一代」、橋幸夫「お嬢吉三」、フランク永井「逢いたくて」、ダーク・ダックス「カリンカ」、芦野宏「パパと踊ろう」、舟木一夫「高校三年生」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」、旗照夫「史上最大の作戦マーチ」、デューク・エイセス「ミスター・ベイスマン」、春日八郎「長崎の女」、植木等「どうしてこんなにもてるんだろう・ホンダラ行進曲」、三波春夫「佐渡の恋唄」

          *

   最多出場44回の北島三郎はこの年「ギター仁義」で紅白初出場する。昭和38年出場歌手で今年も選ばれたのは北島ただ一人である。多くの人気歌手の中で北島への拍手は少なかった。あの時、誰が今日を想像できただろうか。芸能界の浮き沈みは予測不可能なのだ。

 この年の大ヒット曲はもちろん「こんにちは赤ちゃん」である。また低迷期を脱した美空みばりが「哀愁出船」(昭和38年)、「柔」(昭和39年)、「柔」(昭和40年)、「悲しい酒」(昭和41年)、「芸道一代」(昭和42年)、「熱禱(いのり)」(昭和43年)、「別れてもありがとう」(昭和44年)、「人生将棋」(昭和5年)、「この道を行く」(昭和46年)、「ある女の詩」(昭和47年)と10年連続をトリをつとめたスタートの年であった。そして美空ひばりがトリだった昭和47年の紅白の視聴率80.6パーセントを最後に、二度と80パーセントの大台に乗ることはなく、逓減傾向は顕著になっていった。

   ケペルはあの頃は子供だったが、市場で商売をしていたので、大晦日は稼ぎ時でいつもより遅くまで店をあけていた。9時5分に紅白が始まったが、まだ店のあとかたずけやら、天上から吊り下げられたモールの撤去やらで、なかなかテレビの紅白が見られないのでラジオから流れる紅白を聴いていた思い出がある。

2007年12月 3日 (月)

カレンダー女優の近況

   師走になると書店では来年のカレンダーが並んでいる。古くなったカレンダーは捨ててしまうだろう。しかし収集癖のあるケペルはカレンダーを破らず保存しておく。あとで懐かしい自分だけのコレクションになる。1994年の東宝東和スターカレンダーが倉庫からでてきた。表紙はアリッサ・ミラノ、1月はジャニン・ターナー、2月はダイアン・レーン、3月はブリジット・フォンダ、4月はアリッサ・ミラノ、5月はブルック・シールズ、6月はコン・リー、7月はシャロン・ストーン、8月はミラ・ジョヴォヴィッチ、9月はジェニファー・ティリー、10月はマリー・ジラン、11月はリンダ・ハミルトン、12月はジェーン・マーチ。14年前という、ちょっと懐かしめなのがいい。

    アリッサ・ミラノ。「コマンドー」(85)でシュワルツェネッガーの肩にちょこんと乗っていた少女も今では35歳の女ざかり。90年代にはセクシー路線に転じて、TV「チャームド」の再放送などでお馴染み。

   ミラ・ジョヴォヴィッチ(32歳)はリュック・べッソン監督の作品で女優として開眼し、いまでは「バイオハザード」のシリーズでアクション女優の大スターとなった。

   コン・リー(42歳)は「中国の山口百恵」といわれたほどの国民的女優。チャン・イーモウ監督に見出され「赤いコーリャン」(88)「菊豆」(90)「紅夢」(91)「秋菊の物語」(92)など名作多数。1996年にはシンガポールの煙草会社の大富豪と結婚。チャン・ツィイーとともに「SAYURI」(05)などに出演しアジアを代表する国際的女優として活躍している。

    ダイアン・レーン(42歳)は「リトルロマンス」(79)で可憐な美少女スターだったが、フランシス・コッポラ監督に認められ「ランブルフィッシュ」(83)「コットンクラブ」(84)に出演。近年は「トスカーナの休日」(03)など大人の演技派女優として活躍している。

   リンダ・ハミルトン(51歳)は、「ターミネーター」(84)のサラ・コナー役を好演。近年はTV出演で新作映画がないのが残念である。

   シャロン・ストーン(49歳)は「氷の微笑」(92)「硝子の塔」(93)でセックス・シンボルとなった。出演作も多く、チャリティ活動でも知られる。

    ブルック・シールズ(42歳)は「プリティ・ベイビー」(78)「青い珊瑚礁」(80)「エンドレスラブ」(81)と「エリザベス・テーラーを凌ぐ美貌」と絶賛された。その後は肥満とリズと同じコースをたどるが、近年はTVや舞台で活動しているという。

   ブリジット・フォンダ(43歳)は、祖父がヘンリー・フォンダ、父がピーター・フォンダというフォンダ一家の三代目。「アサシン」(93)で注目されたが、作曲家ダニー・エルフマンと03年に結婚、一児の母である。

    マリー・ジラン(32歳)は、ジェラール・ドパルデューと共演した「さよなら、モンペール」(91)でデビューし、シャルロット・ゲンズブール以来のフランス映画界の美少女アイドルとして騒がれた。「ひとりぼっちの狩人たち」(95)でロミー・シュナイダー賞を受賞。「アンネの日記」などの舞台にも出演。近作は「美しき運命の傷跡」(05)

    ジェーン・マーチ(34歳)は「愛人ラマン」(92)で映画デビュー。「薔薇の素顔」(94)の大胆な演技も話題になった。「ドラキュラ・イン・ブラッド血塗られた運命」(00)でルドルフ・マーティンと共演。「ザ・ヴァイキング」(03)では主演している。

    ジェニファー・テリー(49歳)は白人と中国人との混血。「恋のゆくえ」(89)「ゲッタウェイ」(94)

    ジャニン・ターナー(45歳)は「クリフハンガー」(93)でシルベスター・スタローンの恋人ジェシー役で出演。

    いずれにせよ12人の美女たちはみなさん、ご健在で活躍中とのことです。

2007年12月 2日 (日)

老優の活躍にも注目を

   ケペルはいまでも洋画雑誌を毎月購読している。ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、ダニエル・ラドクリフ、オーランド・ブルーム、など旬の人気スターには正直ほとんど興味がない。昔はすみずみまで読んだのにここ何年かはパラパラめくるだけ。映画館にも行かない。遅れてテレビで見る。

   「るい」さんからのコメントでピーター・オトゥールの主演映画「ビィーナス」(2006)を初めて知る。75歳で現役。今年の主演映画は「スターダスト」「ザ・クリスマス・コテッジ」の2本。「アラビアのロレンス」で共演したオマー・シャリフ(75歳)も「オーシャン・オブ・ファイヤー」(2004)で復活した。70年代、セクシーなアクションスターで人気だったバート・レイノルズ(71歳)は難病、離婚、自己破産と低迷していたが「ブギーナイツ」(1997)で再起し、活躍している。

    こうして洋画界を見ると現役で活躍の大スターはまだまだいる。その筆頭格はクリストファー・リー(85歳)。ドラキュラ伯爵役のホラー映画で知られ、出演作は250本にも上る。クリント・イーストウッド(77歳)「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」などの活躍はご存知のとおり。マイケル・ケーン(74歳)も「サイダーハウス・ルール」(1999)以後も多数出演作がある。アメリカン・ニューシネマのスターたちも皆70歳近くなった。「明日に向かって撃て」のロバート・レッドフォード(71歳)、「卒業」のダスティン・ホフマン(70歳)、「真夜中のカーボーイ」のジョン・ボイド(69歳)、「イージー・ライダー」のピーター・フォンダ(67歳)、デニス・ホッパー(71歳)、「マッシュ」のドナルド・サザーランド(72歳)、「愛の狩人」のジャック・ニコルソン(70歳)などみなん現役スターである。

    個性派では、「コレクター」のテレンス・スタンプ(68歳)も渋い脇役で活躍している。二枚から喜劇に転じたレスリー・ニールセン(81歳)も息の長い俳優だ。美男スターのウォーレン・ビーティ(77歳)もアネット・ベニングと結婚して悠々自適。外国スターといえば日本ではアラン・ドロン(72歳)である。映画出演はないものの日本のテレビに出演したり、その存在感はいまだ健在である。

2007年11月24日 (土)

永山一夫と「ゼロ戦黒雲隊」

    ブーゲンビル島の南側にバラレ、ファウロ、ピエズなどのショートランド諸島がある。昭和18年4月18日午前7時30分過ぎ、連合艦隊司令長官・山本五十六は、ラバウル基地からバラレ島に赴く途中、米軍戦闘機の襲撃を受けた。午前7時50分頃、山本長官搭乗の一番機は、モイラ岬のジャングルに墜落、山本五十六以下11名は全員死亡。

   バラレ島は小さな島であったが昭和18年頃は、ここを根拠地として零戦の航空隊が活躍していた。そのような航空隊の活躍を描いたドラマ・映画・漫画は昭和30年代数多くつくられた。漫画では、ちばてつや「紫電改のタカ」、貝塚ひろし「零戦レッド」、九里一平「大空のちかい」、辻なおき「0戦はやと」「0戦太郎」。映画では、石原裕次郎の「零戦黒雲一家」、加山雄三の「ゼロファイター」「太平洋の翼」など。

   テレビドラマでは「ゼロ戦黒雲隊」(昭和39年)があった。加茂正人(亀石征一郎)隊長が南方最後の基地バラレ島に指揮官として赴任したのは、米軍の攻撃は日増しに激しくなる昭和18年のことであった。バラレを死守する40数名の部下たちはならず者の集団だった。隊員のなかでも中村甲太(永山一夫)はとくに乱暴者であった。加茂は中村と対立しながらも、やがて強い絆で結ばれ、「ゼロ戦黒雲隊」と敵に恐れられた強力な部隊を統率していった。

   永山一夫の俳優としての活躍はこの「ゼロ戦黒雲隊」をはじめとして「空手三四郎」、映画「日本暗黒史」「昭和残侠伝」など迫力のある演技が光った。永山はNHK番組「おかあさんといっしょ」の人形劇コーナー「ブーフーウー」の狼の声としても知られていた。

   永山一夫はテレビ初期に日本人に強烈な印象を残した俳優である。本名コン・ヒョンスン。永山は二人の子どもを連れて昭和46年10月24日、万景峰号で北朝鮮に帰国した。当時36歳で売れっ子の俳優の突然の帰国は週刊誌などでも大きく取り上げられた。「社会主義の祖国」「地上の楽園」と謳われ夢を抱いて北朝鮮に帰国したが、その多くは悲惨な現実に直面したという。しかし約9万人といわれる北朝鮮帰国者たちのその後の人生がどうであったかという詳しい情報はいまではわからないという。北朝鮮帰還事業を思うと、いまでも永山一夫のドスの聞いた声が耳に残る。フランク赤木が歌う「ゼロ戦黒雲隊」の主題歌。

  空が赤いぜ赤いぜ血潮の色だ

  雲が走るぜ走るぜ果て無く遠く

  行くぞ大空風切って

  翼ひとふりにっこり笑う

  ゼロ戦ゼロ戦黒雲隊

2007年11月 5日 (月)

流れる星は生きている

   「いま、日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、国家の品格を取り戻すことである」という数学者・藤原正彦の「国家の品格」は今でもよく読まれている。ところで藤原正彦の父・新田次郎(1912-1980)は、昭和18年満州国観象台(中央気象台)に高層気象課長しとて赴任した。その年、正彦は、次男として満州の新京で生まれた。昭和20年には、妹の咲子も生まれた。ところが、昭和20年敗戦により、新田次郎は抑留生活を送る。妻の藤原てい(当時26歳)は、長男正宏(6歳)、次男正彦(3歳)、長女咲子(1ヵ月)の3人の愛児を連れて想像を絶する苦難の末、満州から引き揚げた。この体験をもとにした小説「流れる星は生きている」は戦後の大ベストセラーとなった。昭和24年9月、大映作品で三益愛子(1910-1982)主演で映画化(小石栄一監督)され、劇中三條美紀が歌う主題歌「流れる星は生きている」(古関裕而・曲、藤原てい・詩)もヒットした。(ジャズ歌手池真理子の吹き替え)

    映画、小説とフィクションであるが、当時同じ体験をした日本人は多く、ほとんど事実であるかの如く、共感をもって迎えられた。

    藤村けい子(三益愛子)は三人の子を連れてようやく内地に引き揚げた。恋人と別れた堀井節子(三條美紀)も引揚者の一人だった。しかし内地の風は冷たく、肉親にも裏切られた。ようやく身を寄せた引き上げ寮には、かつての満州に宮原幸枝(羽鳥敏子)もいた。節子は幸枝の勧めで嫌々ながらキャバレーの歌手になる。けい子は製本屋で働く。長男の正一(大久保進)も靴みがきをして母を助ける。ところが次郎(佐藤勝彦)が養子に出されることを盗み聞きした正一と次郎は家出する。ようやく2人を探し出したときは、正一はジフテリアにかかっていた。けい子は診療費に窮して、身を売る決心をする。しかし、節子はこれを押しとめた。幸い善良な医師(徳川無声)のおかげで、次郎は一命をとりとめた。そして、けい子や節子が待ちに待った、良人や恋人の引き上げ船が入港するのはそれから間もなくのことであった。

    大映母もの映画といえば、三益愛子主演で計31作品が製作された。なかでも三條美紀との共演が思いで深い。「山猫令嬢」「母」「母紅梅」「流れる星は生きている」「母燈台」「母椿」「姉妹星」。三條美紀は時には「山猫令嬢」のようにセーラー服の女学生だったり、「流れる星は生きている」ではキャバレー歌手だったりで、三益愛子との関係は多彩である。いずれにせよ、昨今ブームの泣ける映画、韓国ドラマをはるかに超えたドラマチックな仕上がりである。宮原幸枝(羽鳥敏子)は満州で愛児を亡くし、帰国して身を売ってキャバレーで働く。三益愛子とは対照的な女の生き方として注目される。戦後スターの羽鳥敏子はこの頃池部良と結婚していた。かなり活躍した女優である。また「愛のスウィング」で戦後ジャズブームを築いた池真理子の歌声が聞けるのも楽しい。池真理子は世界的に知られる禅学者の鈴木大拙の長男・鈴木勝と結婚している。ジャズ歌手と禅、山岳小説と数学者、引き揚げ・靴磨きと品格、60年の歳月は日本人の戦後を物語っている。

2007年10月21日 (日)

白昼の死角

    映画「白昼の死角」(村川透監督、昭和54年)は高木彬光(1920-1995)の同名の小説を映画化したピカレスク・ロマン。戦後の混乱が続く昭和23年。東大生の隅田光一(岸田森)は鶴岡七郎(夏八木勲)、木島良助(竜崎勝)、九鬼善司(中尾彬)らと金融会社「太陽クラブ」を設立する。しかし闇金融疑惑で隅田は検挙され焼身自殺を遂げる。同志の非業の死を見た鶴岡は復讐を誓う。現行の法律の死角を突く完全なる経済犯罪者として鶴岡は蘇る。

    高木は昭和34年「黄金の死角」として「週刊スリラー」に連載したが、翌年カッパブックスに「白昼の死角」として改題し刊行した。小説の序盤に登場する隅田光一のモデルは光クラブ事件の山崎晃嗣(1923-1949)であることはよく知られている。ほかにも山崎をモデルにした小説としては、三島由紀夫「青の時代」、清水一行「産業集団」、北原武夫「悪の華」、田村泰次郎「大学の門」など多数あるが、高木作品が成功例といえるだろう。

    山崎晃嗣は大正12年、木更津に生まれた。父は市長を勤める医者の長男。木更津中学、一高、東大と進み、大学時代には17科目に優、3科目だけが良という秀才だった。この抜群の頭脳を生かして日医大3年生の三木仙也らと闇金融「光クラブ」を設立して、インフレに苦しむ中小企業に金貸しをはじめた。しかし昭和24年11月、資金繰りに困り、「貸借法、全て清算カリ自殺」と遺書を残して服毒自殺した。

    山崎は、翌日の行動プランを分刻みに記録していたというほど几帳面な性格であった。自分の合理主義をもって時代に挑戦することにあった。「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる」いわば劇場型人間。もっとも高木彬光「白昼の死角」では主役ではなく脇役である。山崎晃嗣は戦後社会が生んだアプレ・ゲールの典型であるが、山崎のエピゴーネンともいえる村上世彰、堀江貴文など現在においてもしばしば登場する。これまでも山崎の日記は出版されているが、大学ノート3冊に書かれた昭和21年ごろの日記が神田の古書店で出品され、いま話題になっている。

セーラー服と機関銃

   映画「セーラー服と機関銃」の撮影は昭和56年夏、薬師丸ひろ子の夏期休暇に合わせて、東京・新宿周辺でのロケが行なわれた。当時、薬師丸ひろ子は、東京都立八潮高等学校2年生で「野性の証明」「翔んだカップル」「ねらわれた学園」に続く4本目の主演作品だった。6月8日、ひろ子と相米慎二(1948-2001)監督との打ち合わせが青山のレストランであった。6月29日には、相米監督とともに脚本家の田中陽三との打ち合わせ。田中のひろ子の印象は「キ真面目な女の子に会ったという感じ。普通、あまり役者さんはいろんなこと言わないもんだけど、しっかり喋ってくれて、なんだか怒られてしまった気分です。マルッ!」と語る。6月30日、学校のテストを受けたあと、調布の日活撮影所で機関銃の試射、弾着テストを行なう。初めて機関銃をぶっとばしたひろ子は大きな目をさらに大きくして、「凄い!」とビックリ。7月6日、期末試験。この頃映画の準備は着々と進んでいた。7月17日、衣裳合わせ、本読みと撮影開始に向かって盛り上がってきた。7月22日、五反田の喫茶店リットーでクランク・イン。7月31日、ひろ子はこの日、機関銃発射の感じをつかむためクレー射撃場へ体験取材に行ったが、高倉健とバッタリ会う。8月11日、九段の暁星学園でロケ。高校生を中心にエキストラ300人を集めて、星泉を目高組組員が校門で待ち受けているシーン。8月18日、映画最大のヤマ場、浜口物産機関銃殴り込みシーン撮影。ひろ子の撃った火薬が弾けて砕け散ったビンの破片がひろ子の頬を襲った。すぐに救急病院に飛び込んだが、左頬に1センチ弱の傷になってしまった。翌日、撮影中止。8月20日、絆創膏をとり、撮影再開。8月27日、伊豆ロケ。ひろ子は夏休みの宿題の追い込み。「80%くらいしかできなかった」と情けない顔をする。9月6日、クレーンに吊るされてコンクリート漬けにされるシーン。9月7日、これもハイライトであるキスシーンを撮る。何度かためらった末の撮影。9月13日、暴走族シーンを撮り終えて、後はラストシーンを残すだけ。ひろ子の体調は最悪。9月15日、伊勢丹新宿店の前で、地下鉄通風口からの風でスカートをひらめかせるシーン。ついにクランク・アップ。ロケ・バスに戻りひとりで大声で泣く。10月には、主題歌「セーラー服と機関銃」(詩・来生えつこ、曲・来生たかお)、EP盤B面「あたりまえの虹」をレコーディング(KRS)。11月30日、フジTV「夜のヒットスタジオ」に生出演。当日の出演者は松田聖子、沢田研二だった。12月17日、TBS「ザ・ベストテン」出演。12月19日、映画は全国東映系で公開。丸の内、渋谷、新宿の舞台挨拶。映画は大ヒツトとなり、機関銃を撃った後に吐く台詞「カ・イ・カ・ン」は流行語となる。主題歌も爆発的ヒット。ひろ子の歌い方は何か学校の音楽の時間を思い出す。アイドル歌手としては天地真理以来のファルセット唱法で新鮮であり、清潔感、透明感があった。(参考:「薬師丸ひろ子フォトメモワールPart3」富士見書房)

  さよなら別れの

  言葉じゃなくて

  再び逢うまでの

  遠い約束

  現在を嘆いても

  胸をいためても

  ほんの夢の途中

  このまま何時間でも

  抱いていたいけど

  ただこのまま 冷たい頬を

  あたためたいけど

  都会は秒刻みの

  あわただしさ

  恋もコンクリートの

  籠の中

  君がめぐり逢う

  愛に疲れたら

  きっともどっておいで

  愛した男たちを

  想い出にかえて

  いつの日にか

  僕のことを

  想い出すがいい

  ただ心の 片隅にでも

  小さくメモして

  スーツケース

  いっぱいに つめこんだ

  希望という名の

  重い荷物を 君は軽々と

  きっと持ち上げて

  笑顔見せるだろう

  愛した男たちを

  かがやきにかえて

  いつの日にか

  僕のことを

  想い出すがいい

  ただ心の 片隅にでも

  小さくメモして

2007年10月11日 (木)

ぬげた草履

    昭和40年7月15日、中島さと子(1904-1974)は、ある婦人雑誌の企画「新時代の嫁と姑」というテーマで女優の左幸子と対談をした。その頃、さと子は4年前に書いた「咲子さんちょっと」がドラマ化され原作本もベストセラーとなり、文筆業で忙しくなっていた。夫の中島菊