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2019年3月28日 (木)

パリの美術館・博物館

  パリには大小あわせて100以上の美術館・博物館がある。日本では美術館・博物館という区別が明示されるが、フランスではすべてミュージアム(ミュゼ)である。だから、フランスの展示施設を日本語に直すときには、収蔵品の性格にしたがって、ルーヴル美術館とか自然史博物館とか、選択がなされている。パリにはルーヴル、オルセー、ポンピドーセンターといった有名美術館のほか、オランジュリー美術館、ギメ美術館、ピカソ美術館、パリ市立近代美術館、国立近代美術館、パリ工芸博物館、プティ・パレ美術館、マルモッタン美術館、カリナヴァレ美術館、市立近代美術館、モンパルナス美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ジャックマール・アンドレ美術館、バカラ・ギャラリー・ミュージアム、コニャック・ジェイ美術館、ルイ・ヴィトン財団美術館、カルティエ現代美術館、クリュニー中世美術館、ダリ美術館、ドラクロワ美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ロマン派美術館、ロダン美術館、ブールデル美術館、マイヨール美術館、パリ市立ガリエラ・モード美術館、建築・文化博物館、国立自然歴史博物館。欧州写真博物館。チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)がある。このほかモンマルトルにはゴッホの像で知られるザッキン美術館や素朴派の画家たちの作品を集めたパリ市立アル・サン・ピエール素朴派美術館がある。

 

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  ジャックマール・アンドレ美術館

 

  そしてモンソー通り沿いに建つニッシム・ド・カモンド美術館。19世紀末のユダヤ人豪商モイズ・ド・カモンド伯爵(1860-1935)の邸宅を改装して一般公開している。ゴブラン織りのタピストリー、棚にはセーブルの食器セット、壁にはヴェネツィア派の絵画、図書室、と当時のパリの香気が漂う。(Paris,Nissim de Camondo)

 

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祖父アブラハム・ソロモン・カモンド(左)、ニッシム・ド・カモンド(右) 1868年

 

  セーヌ川沿いにあるケ・ブランリ美術館は原始美術のコレクター、ジャック・ケルシャン(1942-2001)が収集したアフリカ・アジア・オセアニア・南北アメリカの民俗芸術品を展示している

 

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 ケ・ブランリ美術館

 

  欧州初公開された「風神雷神図屏風」。チェルヌスキ美術館はパリ8区、モンソー公園沿いのヴェラスケス通り7番地にある。

 

 

2019年2月14日 (木)

富士山と日本人

 富士山は古くから日本人のあこがれや信仰の対象として親しまれてた美しい山である。ある照明装置の会社が富士山のライトアップを計画したところ、反対の意見が多数寄せられた。霊峰富士山はすべての日本人がそこに回帰する心のふるさと、信仰の対象なのである。また外国人からみてもフジヤマは日本の象徴なのだ。戦時中、富士山をペンキで赤く染める作戦がたてられていたそうだ。ダウンフォール作戦という。富士山の姿をかえることで、日本人の戦意を失わせようと考えたから。ところが、とんでもないペンキの量と、ペンキを運ぶ飛行機が必要とわかり、作戦は中止となった。

  これまで、数多くの文人・画家・武人から一般の庶民にいたるまで、あらゆる階層の人びとが富士を語り、作品に表現している。だがなぜ日本人は富士山を三峰に描くのだろうか。実際にはほとんど三峰には見えない。藤原成一は「三峰に富士山が描かれた場合は、これは普通の絵ではなく、聖なる絵、聖画といっていい」と言う(NHK「美の壺」276)。鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立された。室町時代に描かれた「富士曼荼羅図」は現存する最初の三峰型富士である。仏の三尊様式にのっとって、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来の姿が象徴されている。(参考:天野紀代子・澤登寛聡編「富士山と日本人の心性」)  Operation Downfall

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2018年12月 8日 (土)

ロマネスク美術「枠組みの法則」

Photo 11世紀から12世紀にかけて西欧でみられたキリスト教美術をロマネスクとよぶ。聖堂の柱や梁、壁には数々の彫刻が施されているが、身体が不自然にデフォルメされたり、変に曲がっていることがある。フランスの美術史家アンリ・フォション(1881-1943)は、この奇怪な造形の秘密を「枠の法則」というルールで説明している。つまり聖堂の浮彫などは建築の構造に支配されているので、必然的にデフォルメされることがある。画像の浮彫りはシャルトル大聖堂の枠組みの法則の実例。 Henri Focillon

2018年10月15日 (月)

ラ・ボエーム

 ジャコモ・プッチーニの作曲した4幕オペラ。19世紀のパリ、カルチェラタンには貧しい芸術家の若者が暮らしていた。とくに物語は詩人ロドルフォとお針子ミミの悲恋を中心に描く。オペラ原作はアンリ・ミュルジェールの小説「ボヘミアン生活の情景」(1851年)からとられた。初演は1896年2月1日、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮によりトリノ・レージョ劇場で行われた。初演はまずまずの成功をおさめ、批評家の不評はあったものの各地での再演の度に聴衆からの人気は次第に高まっていった。

2018年9月 1日 (土)

上方の浮世絵

歌麿、写楽、北斎、広重。有名な浮世絵の多くは江戸で描かれ出版されたもので、浮世絵といえば江戸というイメージがあるが、じつは京都や大坂など上方にも浮世絵はあって、大勢の浮世絵師が活躍していたのだ。今ではその名前はほとんど知られていないが、初期の流光斎如圭や松好斎半兵衛、西川祐信、幕末の柳斎重春、長谷川貞信、一養亭芳滝といった名匠がいいた。

江戸の浮世絵は美人画、役者絵、相撲絵、風景画など題材が豊富であるが、上方の浮世絵の九割近くが役者絵である。役者絵を楽しむには、描かれている芝居や役柄、役者など、その背景についての知識が必要になってくる。その特色ゆえに上方浮世絵は、後に浮世絵を鑑賞する人々に受け入れられることなく、忘れ去られて行ったと考えられる。

2018年8月 2日 (木)

伊闕仏龕碑

   唐の書道家、猪遂良45歳の時の楷書である。貞観15年(641)伊闕とは洛陽の南方にある龍門のことで、そこの石窟の賓陽洞の南の外壁の刻された摩崖碑を「伊闕仏龕之碑(いけつぶつがんのひ)」と呼ばれる。碑文の内容は太宗の第四子の魏王泰が生母の長孫皇后の追善のために、新たに石窟を造営したことを記したものである。

2018年4月 8日 (日)

ミロのヴィーナスの両腕

397305055810999  本日は「ヴィーナスの日」。1820年のこの日、エーゲ海のメロス島の農夫がヴィーナス像を発見した。ルーヴル美術館の至宝ミロのヴィーナスは理想のプロポーションといわれる。上半身と下半身の比率が1対1.618で、人間が最も美しいと感じる黄金比だそうである。両腕がないことも全身が露わになって魅力を増している。失われた両腕は本来どのようなしぐさをしていたのだろうか。右手は衣のすそを抑えるように下にたれて、左手は筋肉の隆起から見て、前にだし肩よりは少し上でリンゴを持っていたと考えられる。(keyword;Venus de Milo,Golden Ratio、4月8日 )

2018年4月 7日 (土)

ハリウッド・スターの墓地

   ロサンゼルス郊外にある「ハリウッド・フォーエヴァー墓地」には映画関係者の墓がたくさんある。ルドルフ・バレンチノ(シーク、熱砂の舞)、ダグラス・フェアバンクス(バグダッドの盗賊)、ノーマ・タルマッジ(噂の女)、ジェーン・マンスフィールド(女はそれを我慢できない)、タイロン・パワー(剃刀の刃)、フェイ・レイ(キングコング)といった往年の大スターが眠っている。俳優のクリフトン・ウェッブ(剃刀の刃、愉快な家族)の幽霊が出るという噂がある。「アビ―・オブ・サーム」と呼ばれる霊堂に、不思議な光の球が現れたり、すっと冷たい風が吹き抜けたり、オーデコロンの香りが漂っていたりするという。Hollywood Fover Cemetary

 

 

2018年3月26日 (月)

後鳥羽天皇と新古今和歌集

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伊賀の局 伊藤小坡  昭和5年

  歴代天皇のうち、第82代後鳥羽天皇ほど多芸多才な天皇は見当たらない。歌道、書画、管弦、蹴鞠などの宮廷に伝統の技芸は玄人はだしであったし、刀剣の鍛錬も行った。天皇みずからの鍛刀は「菊一文字」と称して現在も幾振りか伝えられている。なかでも秀でているのは歌道だった。元久2年(1205)3月26日、「新古今和歌集」が完成した。1978首、20巻。撰者は源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経。

  ところで後鳥羽院の愛妃に伊賀の局がいた。もとは白拍子で亀菊という。上皇は寵愛のあまり摂津国長江・倉橋の二荘を賜った。鎌倉幕府はこの荘園に地頭を補任したが、地頭の横暴が激しいという理由で、上皇はその地頭の罷免を幕府に命じた。しかし執権・北条義時は聞き入れず拒否したため、この事件が一因となって承久の変が起こった。上皇は承久の変に敗れて、1221年7月13日、隠岐に配流され同島で没した。いわば伊賀局も傾国の美女といえなくもない。

    伊藤小坡(1877-1968)は、三重県宇治山田(現・伊勢市)の猿田彦神社の宮司の長女として生まれた。明治31年京都に来て、谷口香嶠に師事。大正4年第9回文展で「制作の前」で三等賞となり、以後文展、帝展に出品、大正8年日本自由画壇の結成に参加したが、翌年には竹内栖鳳のすすめで脱退し再び官展に帰った。上村松園につぐ閨秀作家といわれる。昭和43年に90歳で没した。

2018年3月16日 (金)

ブランクーシ「無限柱」

Img14625  1957年のこの日、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの忌日。ブランクーシはルーマニア南西部のオルテニア地方のゴルシュ県ホビツァに生まれる。ルーマニアで木工職人の修行をし、1904年パリ美術学校で彫刻を学んだ。彼の作品の中でも最もスケールの大きいものは、第一次大戦の戦没者のための記念碑として、1937年、ルーマニアのトゥルグ・ジュ市に設置された「無限柱」である。

   高さ30メートル近くの鉄製の柱で、そろばんのたまを積み重ねたような形状を特徴としている。正式の名称は「終わることなき感謝の柱、英雄たちの記念碑」である。(3月16日)

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