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2020年11月 8日 (日)

ルーヴル美術館

    パリはいうまでもなく世界で最も美しい観光都市であり、主要な名所旧蹟を訪れるだけでも数日間は要する。ルーヴル界隈の美術館、博物館だけでも大小100近くある。なかでもルーヴル美術館は世界中から年間800万人の来館者が訪れる。美術品が40万点以上収蔵しており、3万5000点が展示されている。宮殿の美術品を公開したのは1763年11月8日のことで、ルーヴル美術館のはじまりである。

    建物は3翼に分かれており展示は、リシュリー翼、ドノン翼、シュリー翼からなっている。フィリップ2世(在位1180-1223)が1200年ころにパリ右岸の町を防備するために要塞を築いたのがはじまりで、14世紀にシャルル5世、16世紀にフランソワ1世(在位1515-1547)が改修して王の居城に改め、次いでアンリ2世(在位1547-1559)が改造拡張し、その後も大規模な工事が続けられた。宮殿ルーヴルが美術館に生まれ変わったのは1793年8月10日。この時、王家の美術品は市民のものとなった。ほぼ現在の形になったのは、19世紀ナポレオン3世の時代である。このようにルーヴル美術館は開館以来220年の歴史を刻んできた。

代表的な作品
ミロのヴィーナス
サッカラの「書記座像」
プラクシテレス女神像
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」
ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
フォンテーヌブロー派「ガブリエル・デストレとその妹」
デューラー「自画像」
ルーベンス「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」
プーシエ「オダリスク」
フラゴナール「勉強」
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドール夫人」
コロー「モルト・フォンテーヌの思い出」

 

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「鉛筆をけずる若いデッサン画家」シャルダン 1737年

 

( keyword;Musee du Louvre )

2020年10月25日 (日)

ピカソはなぜいつも横縞シャツを着ているのか?

P_picasso2   画家パブロ・ルイス・イ・ピカソは1881年10月25日スペイン南部の港町マラガに生れた(プラサ・デ・ラ・メルセド36番地)。父ドン・ホセ・ルイス・ブラスコはマラガ州立サン・テルモ工芸学校の図画教師、母マリア・ピカソ・ロペスはアンダルシア出身。したがってパブロ・ルイス・ピカソがスペインの通常の呼び名であるが、父の姓ルイスはアンダルシアではよくある姓なので、1901年以降は署名から削って「パブロ・ピカソ」(Pablo Picasso)としている。ネットでもピカソの本名が長いことが話題になっている。マラガ市役所にある出生届には「 Pablo Diego  Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano de la Santisima Trinidad Ruiz y Picasso 」(パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ、デ、パクラ、ファン、ネポムセーノ、マリア、デ、ロス、レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ、ラ、サンティシマ、トリニダード、ルイス、イ、ピカソ)と書かれている。スペインでは名前の長さは家柄が古くて由緒正しいものであることを示している。また名前は長いほど幸福がやどると信じられてきた。パブロは一人息子で、美しい顔立ちのうえに早熟な才能に恵まれていたので、小さいころから愛情に慣れっこになり、これは生涯彼につきまとった。ピカソの写真を見ると多くは横縞のシャツを着ている。これは彼が港町マラガの生まれで生来、海が好きだからなのだろう。ピカソのポーターは「バスク」柄といわれるもの。バスク地方の漁師が仕事着として着ていたもので、バスク州ゲルニカがナチスに空爆されたことを忘れないという決意があるのであろう。(4月8日)

 

 

 

 

 

 

2020年8月 4日 (火)

現代彫刻

  20世紀の彫刻は、19世紀のロダンから絶大な影響を受けている。ブールデルやマイヨールなども、もっとも強くロダンの精神に接して多くのものを学び取った。しかし二人とも、のちにはロダンに反旗をひるがえした。現代彫刻はその表現様式のうえからみて、大きく三つの流れに分けることができる。第一は、伝統的な人体表現を基礎としながら、それに自由な変形を加えて新しい生命感を表現しようとするもので、マイヨールをはじめ、グレコ・ファッチーニ、ヘンリー・ムーア、ザツキン、アレキサンダー・アーキペンコ、スキーピング、モーリス・ランバートらがいる。第二は、純粋に抽象的な形態の組み合せによって独自な造型世界を求める抽象主義の流れで、ブランクーシやアルプらがその代表であろう。ブランクーシに影響を受けたカール・アンドレはミニマル・アートと呼ばれる20世紀を代表する作家である。そして第三に、激しい表現によって人間の本質を追求しようとする表現主義的傾向がある。ジャコメッティなどその最もすぐれた作家と言うことができよう。

2020年6月 5日 (金)

自然と調和しないものは醜い

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    コロナウイルス感染が大きな社会問題となっている。その対策にはテレワークやリモートなどITの活用を唱える評論家は多い。科学者は大企業や資本家たちと共同してさらに汚染を拡大しているように思える。19世紀ジョン・ラスキンはイギリスが機械文明化されて、自然の風景が破壊されて行くのをみて、「もしこのような状態がイギリスの将来であるならば、意匠も美術の発達もないだろう」といっている。これは産業革命に対する憎悪の言葉で、あくまで自然の美のうちに芸術の美を見出そうとした。「近代画家論」の中で、真の美術は自然を写すことである、と主張している。ラスキンの思想を受け継いだウィリアム・モリスも、「人間の手で作られた物は、とにかく或る形を必ず持っているものであって、もしその形が自然と調和して自然を助ける場合は、それは美しいものであるし、もし自然と調和しないで自然を妨げるものであれば、それは醜いものである」と言っている。彼等はあくなき人間の欲望を反省し、人間らしい生活を自然の中に確立することを考えたのである。

2020年5月20日 (水)

美の都フィレンツェ

080224pt1    イタリア中部のトスカーナ地方の都市フィレンツェ。14世紀、毛織物工業を中心とする製造業と金融業で、莫大な富を蓄積し、イタリア・ルネサンスが花開いた。町のシンボルともいうべきミケランジェロの「ダヴィデ像」(1501-04)はシニョリーア広場にあるが、これはレプリカで、原作はアカデミア美術館にある。近くのサン・マルコ美術館にはフラ・アンジェリコの「受胎告知」(1437-1446)がある。

Img    アルノ川沿いには人気のウフィツィ美術館がある。ボッティチェリ、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ・・・・名作がずらりとある。ダ・ヴィンチ20歳のときに描いた「受胎告知」(1472)もある(画像はマリアの部分のみ)。アルノ川対岸にはラファエロ「大公の聖母」「小椅子の聖母」のあるピッティ美術館がある。

2020年4月15日 (水)

印象派30人の画家たち

Works_c3a_32    19世紀後半の絵画の流れをふりかえった場合、その主流をなすものは、モネなどの印象派グループの活動であろう。しかし、彼らの活動は、まとまった芸術運動としてはざっと10年ほどしか続かなかった。1874年のこの日、パリで第1回印象派展覧会が開かれ、1886年まで前後8回にわたって続いた。しかし、その最後の展覧会は、メンバーからいっても出品内容からいっても、もはや正統な印象派の枠を完全に越えてさらに新しい方向へとむかうものであった。スーラたちの新印象派や、一般に後期印象派と呼ばれるゴーギャンやゴッホの作品であった。強烈な色彩による感情表現は表現主義の先駆となり、やがて20世紀に入り抽象表現を生んでいく。(4月15日)

 

コンスタン・ギース    1802-1892
ルイ・ウジェーヌ・ブーダン 1824-1898
カミーユ・ピサロ     1830-1903
エドゥワール・マネ    1832-1883
エドガー・ドガ      1834-1917 
ポール・セザンヌ    1839-1906
アルフレッド・シスレー 1839-1899
クロード・モネ      1840-1926
オディロン・ルドン    1840-1916 
ピエール・オーギュスト・ルノワール 1841-1919
フレデリック・バジール 1841-1870
アルマン・ギヨマン   1841-1927 
ベルト・モリゾ      1841-1895
メアリー・スティーヴンソン・カサット 1844-1926
アルベール・デュボワ・ピエ 1846-1890
ポール・ゴーギャン   1848-1903
ギュスターヴ・カイユボット 1848-1910
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890
イポリット・プティジャン  1854-1929
シャルル・アングラン 1854-1926
アンリ・エドモン・クロス 1856-1910
マクシミリアン・リュス  1858-1941 
 
ジョルジュ・スーラ    1859-1891
レオ・ゴーソン      1860-1944
テオ・ファン・ライセルベルク 1862-1926
ボール・シニャック       1863-1935
リュシアン・ピサロ    1863-1944
アンリ・クレメンス・ヴァン・デ・ウェルデ 1863-1957
 
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 1864-1901
ルイ・エ          1864-1940 

 

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 アルベール・デュボワ・ピエ「夜明けのマルヌ河」
 

 

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 クロード・モネ「黄昏、ヴェネツィア」

 

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マクシミリアン・リュス「ルーブルとカルーゼル橋、夜の効果」 1890年


2020年3月26日 (木)

後鳥羽天皇と新古今和歌集

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伊賀の局 伊藤小坡  昭和5年

 

  歴代天皇のうち、第82代後鳥羽天皇ほど多芸多才な天皇は見当たらない。歌道、書画、管弦、蹴鞠などの宮廷に伝統の技芸は玄人はだしであったし、刀剣の鍛錬も行った。天皇みずからの鍛刀は「菊一文字」と称して現在も幾振りか伝えられている。なかでも秀でているのは歌道だった。元久2年(1205)3月26日、「新古今和歌集」が完成した。1978首、20巻。撰者は源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経。

  ところで後鳥羽院の愛妃に伊賀の局がいた。もとは白拍子で亀菊という。上皇は寵愛のあまり摂津国長江・倉橋の二荘を賜った。鎌倉幕府はこの荘園に地頭を補任したが、地頭の横暴が激しいという理由で、上皇はその地頭の罷免を幕府に命じた。しかし執権・北条義時は聞き入れず拒否したため、この事件が一因となって承久の変が起こった。上皇は承久の変に敗れて、1221年7月13日、隠岐に配流され同島で没した。いわば伊賀局も傾国の美女といえなくもない。

    伊藤小坡(1877-1968)は、三重県宇治山田(現・伊勢市)の猿田彦神社の宮司の長女として生まれた。明治31年京都に来て、谷口香嶠に師事。大正4年第9回文展で「制作の前」で三等賞となり、以後文展、帝展に出品、大正8年日本自由画壇の結成に参加したが、翌年には竹内栖鳳のすすめで脱退し再び官展に帰った。上村松園につぐ閨秀作家といわれる。昭和43年に90歳で没した。

2020年2月23日 (日)

富士山と日本人

 本日は天皇誕生日であるが「富士山の日」でもある。富士山と天皇とはいかにも日本的である。天皇陛下60歳の還暦の祝と日曜日が重なっているが、新型コロナウイルス流行のため盛大な集会が行われないのは残念である。富士山は古くから日本人のあこがれや信仰の対象として親しまれてた美しい山である。ある照明装置の会社が富士山のライトアップを計画したところ、反対の意見が多数寄せられた。霊峰富士山はすべての日本人がそこに回帰する心のふるさと、信仰の対象なのである。また外国人からみてもフジヤマは日本の象徴なのだ。戦時中、富士山をペンキで赤く染める作戦がたてられていたそうだ。ダウンフォール作戦という。富士山の姿をかえることで、日本人の戦意を失わせようと考えたから。ところが、とんでもないペンキの量と、ペンキを運ぶ飛行機が必要とわかり、作戦は中止となった。

  これまで、数多くの文人・画家・武人から一般の庶民にいたるまで、あらゆる階層の人びとが富士を語り、作品に表現している。だがなぜ日本人は富士山を三峰に描くのだろうか。実際にはほとんど三峰には見えない。藤原成一は「三峰に富士山が描かれた場合は、これは普通の絵ではなく、聖なる絵、聖画といっていい」と言う(NHK「美の壺」276)。鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立された。室町時代に描かれた「富士曼荼羅図」は現存する最初の三峰型富士である。仏の三尊様式にのっとって、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来の姿が象徴されている。(参考:天野紀代子・澤登寛聡編「富士山と日本人の心性」)  Operation Downfall、2月23日

 

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2019年11月24日 (日)

カナの婚礼

 ナポレオン時代、ルーヴル美術館の収蔵品は、イタリア遠征、エジプト遠征で、膨大な数にふくれあがった。ルーヴルで一番大きな絵画「カナの婚礼」も、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョレー修道院の食堂に飾られていたが、ナポレオンによって1798年フランスに運ばれた。縦666㎝、横990㎝の最大の絵画の作者パオロ・カリアーリ、通称ヴェロネーゼは15世紀末、ヴェネツィア派の画家で、多くの祭壇画、壁画を制作したが、演劇的な空間の大画面の「饗宴図」で知られる。「カナの婚礼」(1562年)は婚礼に招かれたキリストが、瓶のなかの水をワインに変えたという最初の奇跡を主題に描かれたもの。

2019年11月11日 (月)

パリの美術館・博物館

  パリには大小あわせて100以上の美術館・博物館がある。日本では美術館・博物館という区別が明示されるが、フランスではすべてミュージアム(ミュゼ)である。だから、フランスの展示施設を日本語に直すときには、収蔵品の性格にしたがって、ルーヴル美術館とか自然史博物館とか、選択がなされている。ルーヴル美術館は古代から19世紀にわたり、ルーヴルの続き、つまり19世紀の終わりから20世紀に関する芸術は、オルセー美術館と国立現代美術館が紹介している。パリにはルーヴル、オルセー、ポンピドーセンターといった有名美術館のほか、オランジュリー美術館、ギメ美術館、ピカソ美術館、パリ市立近代美術館、国立近代美術館、パリ工芸博物館、プティ・パレ美術館、マルモッタン美術館、カリナヴァレ美術館、市立近代美術館、モンパルナス美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ジャックマール・アンドレ美術館、バカラ・ギャラリー・ミュージアム、コニャック・ジェイ美術館、ルイ・ヴィトン財団美術館、カルティエ現代美術館、クリュニー中世美術館、ダリ美術館、ドラクロワ美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ロマン派美術館、ロダン美術館、ブールデル美術館、マイヨール美術館、パリ市立ガリエラ・モード美術館、建築・文化博物館、国立自然歴史博物館。欧州写真博物館。チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)がある。このほかモンマルトルにはゴッホの像で知られるザッキン美術館や素朴派の画家たちの作品を集めたパリ市立アル・サン・ピエール素朴派美術館がある。

 

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  ジャックマール・アンドレ美術館

 

  そしてモンソー通り沿いに建つニッシム・ド・カモンド美術館。19世紀末のユダヤ人豪商モイズ・ド・カモンド伯爵(1860-1935)の邸宅を改装して一般公開している。ゴブラン織りのタピストリー、棚にはセーブルの食器セット、壁にはヴェネツィア派の絵画、図書室、と当時のパリの香気が漂う。(Paris,Nissim de Camondo)

 

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祖父アブラハム・ソロモン・カモンド(左)、ニッシム・ド・カモンド(右) 1868年

 

  セーヌ川沿いにあるケ・ブランリ美術館は原始美術のコレクター、ジャック・ケルシャン(1942-2001)が収集したアフリカ・アジア・オセアニア・南北アメリカの民俗芸術品を展示している

 

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 ケ・ブランリ美術館

 

  欧州初公開された「風神雷神図屏風」。チェルヌスキ美術館はパリ8区、モンソー公園沿いのヴェラスケス通り7番地にある。

 

 

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