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2018年12月12日 (水)

ラディゲとベアトリス

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 ベアトリス・ヘイスティングス

    1914年、モディリアーニ(1884-1920)は、ザッキン(1890-1967)の紹介でイギリスの女流詩人でジャーナリストであるベアトリス・へイスティングス(1879-1943)を知る。彼女は北アフリカに生まれ、へイスティングスと結婚するも、間もなく別居。ロンドンへ行き週刊誌「ニューエイジ」のパリ特派員としてモンパルナスのノルヴァン街13番地に住んでいた。詩人エズラ・バウンドを発見し、小説家キャサリン・マンスフィールドと交友があった。モディリアーニは教養が高く、女権論者の5歳年上のベアトリスに惹かれた。やがて2人は恋仲となり同棲する。ベアトリスをめぐる詩人マックス・ジャコブ(1876-1944)との三角関係も1916年半ばには破局を迎えた。その後、ベアトリスはかつてモディリアーニから紹介されたレイモン・ラディゲ(1903-1923)と関係を持つようになる。ラディゲは年上女性との体験をもとに「肉体の悪魔」を1919年ころから書き始め、1923年に完成しベストセラーとなった。ラディゲは腸チフスにかかり、1923年12月12日、パリの病院で20歳の若い生涯を閉じた。ベアトリスはその後ファシズムのシンパとなったが、1943年に自殺している。翌年、ベアトリスの昔の恋人マックス・ジャコブもユダヤ人強制収容所で病死している。

2018年3月 9日 (金)

恋愛映画にみられる「すれ違い」考

4l02   古今東西のラブストーリーを見ても、愛する2人が運命に弄ばれて「すれ違い」の末にひきさかれるという展開が王道である。恋愛小説で世界で最も成功したと思われる作品の1つにデュマ・フィスの「椿姫」がある。難病、身分違い、生活苦などの要素があるがマルグリット・ゴーチェとアルマンとの「すれ違い」が見ものである。20世紀の映画の時代に入っても「すれ違い」は恋愛映画の重要なファクターとなっている。ロバート・シャーウッド作「哀愁」は青年将校と踊子との「すれ違い」劇である。日本映画をみても「愛染かつら」「君の名は」、山口百恵の赤いシリーズから近年の「恋空」「ハナミズキ」に至るまで「すれ違い」が見られる。韓国は恋愛映画の宝庫。「猟奇的な彼女」「私の頭の中の消しゴム」「ただ君だけ」(2011年)など。

Bokuragaita_a01    生田斗真、吉高由里子の「僕等がいた」も遠距離恋愛で6年間音信不通の男女の切ないラブストーリーである。そのため映画では2人がまみえるシーンが少ない。

    矢野元晴(生田)が元恋人の山本奈々(小松彩夏)を交通事故で死なせたということ、母を自殺に追いやったということ、など過去の出来事が心の闇となって苦しんでいる。高橋七美(吉高)の家庭環境は映画では描かれていないが、普通の家庭に育ったとみてよい。明るく、前向きな女の子で、高校時代は学級委員として学園祭にもがんばっていた。その後、東京のS女子大を卒業して現在は出版社に勤務しながら、同窓の竹内匡史(高岡蒼佑)と付き合っている。だが心の中では初恋の人、矢野を慕い続けている。ストーリー、全体のプロットは「冬のソナタ」に似ている。初恋が永遠であること、三角関係、舞台は雪国の田舎町。「僕等がいた」では釧路、札幌。冬ソナは春川。日活映画「北国の街」(倉本聡)など含めて冬ソナ型の恋愛映画である。吉高は来年のNHK朝ドラヒロインになる。「僕等がいた」はなんと他に3人の朝ドラヒロインが出演している。本仮屋ユイカ、須藤理彩、比嘉愛未。

2016年12月 4日 (日)

肉体の悪魔

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   第1次世界大戦下のパリ近郊のリセ。17歳の青年フランソワ(ジェラール・フィリップ)は看護婦マルト(ミシュリーヌ・プレール)と出会い、ひと目で恋に落ちる。軍人の婚約者がいるマルトも、年下のフランソワにどんどん惹かれていく。だがマルトの母の反対や、フランソワの両親の心配もあり、二人は別れる。しかし半年後、偶然の再会をきっかけに以前にも増して、二人の恋は燃え上がる。夜の桟橋で逢う約束をした二人。そこにはすでに一時間もフランソワを待つマルトの姿があった。二人は肉体の悪魔にひきずられていく。この許されぬ愛もやがて戦争が終結すれば断ち切らねばならないのだ。マルトが妊娠した。それが隠せなくなった時、ついにマルトは夫にすべてを打ち明ける決心をする。フランソワには、それに反対する勇気もなかった。別れのひとときを思い出のレストランですごした二人は、はじめてランデブーをしたカフェに出かけ、そこで終戦を知らせる国歌を聞いた。だがマルトは力つきて倒れ、フランソワは駆けつけた母によって引き離されてしまった。凱旋した夫に見取られ、死の床のマルトは、フランソワの名を呼びながら、愛の結晶を残して死んでいた。

   クロード・オータン・ララ監督「肉体の悪魔」(1947)は、レイモン・ラディゲの有名な恋愛小説をロマンティックに脚色した戦後フランス映画を代表する作品。当時24歳だったジェラール・フィリップは17歳の少年の繊細な心を完璧に演じあげた。彼は1922年12月4日南仏カンヌで生れた。女性たちのため息をあつめたフランス映画界のプリンスは1959年、36歳の若さで世を去った。墓は南仏サントロペ近郊の美しい村ラマチュエルにある。

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2016年11月 2日 (水)

ハンカチと別れ

   ハンカチが服飾品として盛んに使われだしたのはブルボン王朝のフランス宮廷でのこと。貴婦人たちが絹のハンカチの美しさを競いあった。当時はロココ調が流行し、長方形、三角形、丸型など様々な形のものが存在していた。そこでマリー・アントワネットは正方形が使いやすいとルイ16世に進言して、1785年に「ハンカチのサイズは縦横同一にせよ」という法令を布告させた。それに因んで日本ハンカチーフ協会では11月3日を「ハンカチの日」に制定した。(昭和58年)理由はマリー・アントワネットの誕生日(11月2日)に近い祝日による。

    ハンカチはかつてはイニシャルや紋様を入れた愛の贈り物の定番だった。シェークスピアの「オセロ」では、オセロが妻デスデモーナに贈った一枚のハンカチが悲劇をもたらすことになる。また最近では、ハンカチを恋人に贈ると「もうお別れしましょう」という意味になるという。トレンディ・ドラマの先駆けとなった「東京ラブストーリー」の最終回で、赤名リカ(鈴木保奈美)が永尾完治(織田裕二)の故郷を訪れた帰りに、駅のホームの柵に結びつけたハンカチ。それには赤い口紅で「バイバイ カンチ」と書かれてあった。

2016年10月31日 (月)

ローランサンとアポリネール

Marielaurencin     マリー・ローランサンは、1883年10月31日、パリで生まれた。私立の画塾で学び、キュビズムの仲間たちと出会い人気者となる。1907年、ローランサンはピカソを介して詩人のギョーム・アポリネール(1880-1918)と知りあい、ふたりは熱い仲となる。

   しかし、この恋は実らなかった。アポリネールはモナリザ盗難事件への関与を疑われてサンテ監獄に入ることとなった。ローランサンの母は、「そんな男に娘はやれない」と反対し、5年に及んだ恋は消えた。アポリネールはこのときのつらい別れの思いを詩「ミラボー橋」にうたった。

    ミラボー橋のしたセーヌは流れ

   わたしたちの恋も

   せめて思い出そうか

   悩みのあとには喜びが来ると

    アポリネールと別れ、母の死を看取ったローランサンは、1914年、男爵で画家のドイツ人ヴェッチェンと結婚する。だが、第一次大戦が勃発し、敵国人となった夫妻は中立国スペインに亡命する。夫はやがてアルコール依存症でローランサンを悩ませ、7年後に離婚する。

    アポリネールは第一次大戦に志願して、1916年に頭部を負傷、3度の手術を受けるが完治しないままスペイン風邪で1918年38歳で死亡する。1921年、パリに戻ったローランサンは、気品のある高級感でパリで売れっ子の画家となり成功をおさめた。絵画をはじめ版画、詩、舞台美術など多くの分野で活躍した。1956年6月8日、パリで心臓発作で死去、享年72歳。(Marie Laurencin,Guillaume Apolinaire)

2016年9月21日 (水)

ああ離婚

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  イギリスの諺に、「結婚は悲しみを半分に、喜びを二倍に、そして生活を四倍にしてくれる」といっている。まさしくそうであるが、しかし、なかなかそういかないのが人生である。愛は永遠か、それとも儚なく脆いものなのか?ハリウッド一有名なカップル、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットは離婚の危機にあると報道されている。歴史を紐解くと、かの孔子は19歳で結婚したが、子供ができるとまもなく妻と離婚したという。釈迦も29のとき妻ゴーバーと子供を捨てて出家の道を選んだ。カエサルは不貞を働いた妻ポンペイアと離婚した。イギリスの皇太子妃ダイアナは1981年にチャールズと結婚したが、二児に恵まれたが、1996年、結婚生活15年にして、2人は離婚した。ローレンス・オリビエ&ヴィヴィアン・リー(1940-1960)、クインシー・ジョーンズ&ペギー・リプトン(1974-1990)、トム・クルーズ&ニコール・キッドマン(1990-2001)、リチャード・ギア&シンディ・クロフォード(1991-1995)、ジョニー・デップ&アンバー・ハード(2015-2016)。

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2016年7月13日 (水)

アモーレの国イタリア

   ディーン・マーチンの歌に「イナモラータ Innamorata」というのがある。意味は「君を愛している」。歌では女性のことをさしているようだ。イタリア女優といえば、ソフィア・ローレン、クラウディア・カルディナーレ、ラウラ・アントネッリ(昨年6月、73歳でこの世を去っている)、オルネラ・ムーティ、ティナ・オーモン、グロリア・グイダといった感じだろうか。なんとなく中世ルネサンス「ボルジア家の毒薬」以来の淫らな貴婦人の伝統がイタリアには息づいているような気がする。イタリアには人生でなくてはならない大切なことが3つあるという。amor(アモーレ)、cantare(カンターレ)、mangiare(マンジョーレ)、つまり恋愛、歌うこと、食べることである。そしてその中でもアモーレが一番。映画をみれば女優を主演にする作品が多い。イタリアは日本と面積はほぼ同じながら人口は半分くらい。だが日本よりはるかに国際的で、世界中から美女を発掘して主演させている。スウェーデンから16歳のエヴァ・オーリン(殺しを呼ぶ卵)を、フランスからカトリーヌ・スパークを世界的スターにしている。ティナ・オーモンもアメリカ生まれだが、イタリア映画で活躍した。

 

2016年4月27日 (水)

キッスは奈良時代からあった

Photo   最近、女性議員の路上チューが話題となった。日本人のキスの風習はいつ頃から始まったものであろうか?ブログ「MIKAのルンルン日記」を読むと「日本人はキスしません、と言ったものの、実際恋人同士はキスしますよね。でもそれはどうやら戦後欧米の影響を受けて始まった風習らしく、それ以前の時代の人はキスなどしたことがないらしいです。その証拠に私の78歳になるお祖母ちゃんは、そんなの人生の中で一度もしたことかない、と私に暴露してくれましたし、数年前に日本で戦前のおばあちゃん達は例えば子供がいてもキスした事が無い、ということを調査するテレビ番組を見たことがあります」と書かれている。しかし戦前に日本人はキスをしなかったという俗説は明らかな誤りで、歴史文献を漁ると日本人のキスの歴史は意外と古くからみえる。キスの習慣は奈良時代に中国から伝えられたといわれる。しかし、それはごく一部の貴族階級だけのことで、庶民の間に普及したのは江戸時代になってからでオランダ人が伝えたらしい。キスのことを口を二つに重ねることから「呂の字」といった。日本初の英和辞典「諳厄利亜語林成」では「Kiss 相呂」と載っている。 さらに、キスという言葉が「口吸い」から「接吻」という言葉になったのは明治初期のことである。キスを最初に接吻と訳したのは上田敏である。国木田独歩の恋愛日記「欺かざるの記」(1893年)には「接吻また接吻」と接吻の文字が何度も何度も出てくる。むかしの定番宴会ソング「軍隊のぞき節」の4番目の文句に「♪別れのキスもそこそこに くぐる営門2分前」とある。戦前、路上チューはあまりみられないものの、四畳半でキスは盛んにおこなわれていた。

    ところで米国大学の脳科学の研究によると、キスをすると、オキシトシンという愛情ホルモンの数値が上がり、大きな多幸感をもたらす。また唾液の交換により免疫力がアップするといわれている。

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2015年9月28日 (月)

芸能人同士の結婚

   岡田准一&宮崎あおい、福山雅治&吹石一恵、片岡愛之助&藤原紀香が結婚‼ ドラマや映画で共演してそのまま現実の世界でも結婚なんて話はよくある。向井理の妻、女優の国仲涼子は出産。その後も、堀北真希&山本耕史、杏&東出昌大が続々と結婚ラッシュ。福山と吹石は共演作はなにか?調べてみたが大河ドラマ出演は「龍馬伝」と「平清盛」でニアミスしたものの、共演はない。むかし同じ映画会社の所属のスター同士の結婚は禁止だったそうだ。それを破って結婚したのが石原裕次郎。「狂った果実」で共演した北原三枝と4年後には豪華な結婚式を挙げている。

2015年6月23日 (火)

安珍清姫

Img_0   安珍清姫の伝説は「本朝法華験記」や「今昔物語集」に見られるが、熊野詣での若僧と牟婁郡の宿の女主とあるだけで、安珍の名は「元亨釈書」、清姫は根津美術館蔵「賢学草紙」に出てくるのが最も古い。和歌山県日高郡の道成寺に「道成寺縁起絵巻」が伝来するが、名は見えない。

   物語は、熊野詣での奥州白河の安珍という若僧が紀州牟婁郡の真砂の里で庄司清重の家に泊まった。庄司の娘はみめうるわしく清姫といった。安珍は行く末はわが妻にせんとひそかに清姫に語った。ところが、ある夜、安珍は障子に映った蛇身の清姫を見て、その物凄い形相に恐れをなした。それとは知らず姫は安珍を慕いつづけた。安珍は熊野詣での帰りにきっと立ち寄って添い遂げましょうと約束して旅立った。けれども、熊野詣でをすませた頃になっても、安珍は戻って来なかった。裏切られた清姫は、真砂の里から、田辺、印南と、安珍を追って走る。清姫の姿は今は鬼女のような姿に変身していた。やがて安珍に追いついたものの、人違いと言われて清姫は激怒する。蛇身となって、日高川を渡る。安珍は女人禁制の道成寺の釣鐘の中に隠れるが、蛇となった清姫は鐘に巻きつくと炎となって燃えあがった。蛇が去ったあと、炭と化した安珍の亡骸があった。寺の老僧の夢に二匹の蛇が現われ、法華経の書写と回向をたのむので、そのとおりにすると、再び夢で、天人となったことを告げたという。この安珍清姫の伝説に基づいて、謡曲「道成寺」、浄瑠璃「日高川入相桜」、歌舞伎「京鹿子娘道成寺」などが成った。

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