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2019年7月15日 (月)

なぜ、老人は帽子をかぶって外出するのか?

   街中を歩いて見渡すと老人たちの多くは、帽子をかぶっている。私自身、帽子はかぶらない。シニア男性のファッションとして帽子はいつ頃からか定着している。帽子の種類はいろいろあるが、大きく分けると二種類。ドラマ「深夜食堂」の常連客、忠さん役の不破万作がかぶっている、デニム地のキャップ。夏の日射・熱中症防止になる台形のクラウンに下向きのツバのついたバケットハットが多い。では帽子はどんな理由でかぶっているのだろうか。理由は聞いていないので分からないが、薄くなった髪を隠すためか。本当の理由は、むかしの知人に出会うことを避けるための顔隠しではないだろうか。映画「あなたへ」(2012年)健さんがカッコよくキャップをかぶっていたので、それを真似るシニアが急増したらしい。

 

2019年5月21日 (火)

ショートヘアの流行

16_00107img1    1973年のこの日、山口百恵が「としごろ」でデビューした。70年代岡崎友紀、森昌子、桜田淳子などによってショートヘアはちょっとしたブームだった。ショートヘアの歴史を見れば、一時期オードリー・ヘプバーンやジーン・セバーグなどが一世を風靡した。しかし日本の女優がショートにするというは水の江滝子ら男装の麗人以外はあまりみられなかった。ショートヘアは1960年代後半、ミニスカートブームとともに起こり、70年代、山口百恵によって一般化した。そして1980年代になって、薬師丸ひろ子、原田知世らアイドル女優の出現でショートは定着化する。酒井法子、広末涼子、内田有紀。最近では長澤まさみ、剛力彩芽、菊池亜希子(画像)、広瀬すず、有村架純、本田翼、西内まりや、波瑠など芸能界で広まっている。しかしショートヘアはいつの時代も少数派である。(5月21日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近は韓国のイヒョリもショートヘアにしている。

 

Photo

 

番外編

 

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正統派美女ではなくても笑顔をショートヘアで魅力的になる(本田翼)

 

ツイギーの影響により、60年代はミニスカートとショートヘアはセットだったようです。

 

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2019年5月 4日 (土)

西洋事物起源「スリッパ」

 現代の日本家屋は様式のフローリング床が多いので、室内履きのスリッパを使用する家庭が一般的なスタイルである。日本でスリッパという呼び名があるのは、江戸末期にオランダ医シーボルトが伝えた「上沓(スリップルス)」から来ているという説がある。明治初頭、室内で靴を脱ぐ習慣の無い西洋人が土足で屋内へ入り込む問題が生じたため、それを解決するために徳野利三郎が1907年(1876年という説もある)に発案した上履きが、現在のスリッパの原型であると言われる。当時は、靴の上から履くためのものだった。

  アジアや西洋の中世に起源をもつスリッパであるが、実際の形状にはさまざまで例外も多い。概して、かかと部分の高さがまつたくないか、あってもくるぶしより低い、ヒールはないか、あっても低い、という特徴がある。典型はイスラム、インドのバブーシュカ(16世紀)と呼ばれるはきものや、朝鮮の婦人用のはきものなどに見られる。また西欧ルネサンス期の婦人用の室内ばき、タントゥフルと呼ばれたオーバーシューズの一種、さらに16世紀以降婦人用として流用したミュールなどもこの種に属する。のち、外出用のはきものが一般に閉鎖的で足にぴったりした形に変化すると、slipperの形状は欧米では室内ばきとして発達し、今では自室や風呂場など限られて使用されている。

 

2019年3月 7日 (木)

紐(ひも)の歴史

  糸・布・紙や動物の皮革、植物の樹皮、化学繊維などを材料とし、これを組んだり、織ったり、編んだり、撚ったり、絎たり、細長く線状にしたもの。一般に紐を作ることを「紐打」といい、その製作技法から組紐・織紐・網紐・撚紐・絎紐・裁紐などの種類がある。紐の歴史は古く、縄文土器には、二条の撚縄や三条以上の撚紐の回転押捺文様が施されている。奈良時代には仏教伝来とともに大陸より組紐技術が伝えられ、経典や袈裟などに用いられた。奈良の正倉院に残された箜篌(くご)という楽器には古代紐が飾りつけられている。真田紐と呼ばれたのは、太い木綿糸を平たく厚く編んだ平打の組紐で、天正のころ、真田昌行がこれを刀の柄糸に用いたところからこの名が生まれたという。

2019年3月 2日 (土)

小顔に見せる前髪「命毛(いのげ)」

「命毛(いのちげ)」とは書道で、文字を書くのに最も大切な毛であるところから、筆の穂先のいちばん長い毛のことを「命毛」という。最近は美容界で別な意味もある。小顔で可愛く見せるため、前髪の両端に、ひと束分の頬に落ちる長めの毛をいう。頬に影が落ちて顔が小さく見える効果がある。

2019年1月27日 (日)

香水の歴史

250pxsimone_martini_046   身体および衣服に付香する風習は、古代からさまざまな王国でおこなわれてきた。最初の香料は焚いて芳香を出すいわゆる香が主であった。しかしこのほかに油脂に芳香をしみこませたものもあり、古代エジプトでは自然流出の芳香性樹脂などで軟膏状の化粧剤を製して皮膚に塗っていたことが、遺物などによってうかがわれる。この化粧剤はギリシア人にも用いられた。ローマ人も香料をひじょうに好んだが、この時代には芳香性物質を油に溶かした液体のものがあり、現在のアルコール性香水の遠因ともいえる。中世に入り蒸留法によって香水が作られる。1370年ハンガリー王カーロイ1世の王妃エルジェーベト(1305-1380)の命令により作られたハンガリーウォーターが最初である。ハンガリアンウォーターは香水好きのフランス王シャルル5世に献上され、ヨーロッパ各地に広まり、西洋香水の原型となった。その後、ローマ貴族フランギバニが香粉をつくり、その末孫が香粉のかおりをアルコールに移すことに成功した。すなわちフランギバニ香水である。こうして香水はイギリスのエリザベス女王時代には広く男女ともに用いられ、18世紀前半ルイ15時代にはオーデコロンが現れる。19世紀ナポレオン3世の皇帝妃ウェジニーはパリ社交界の華となり、皇后にふさわしい香りをつくった。香水メゾン、ゲラン(1828年開店)は、蜂の塑像をあしらったオーデコロン「アンペリアル」、結婚式用に「ブーケ・ド・ウジェニー」を創作し、皇室御用達となった。

2018年11月20日 (火)

ネクタイの起源

Jnejutaikuroachia   ネクタイnecktieは男子服では特に重要なアクセサリーとなっているが、その起源には諸説ある。古くは紀元2世紀ローマ兵が防寒のために首に巻いたウール布フォーカルfocalを起源とする説。あるいは直接の起源としてクラバット説がある。フランス語でネクタイはクラバット(cravate)、イタリア語もcravatteという。(米語でもcravateともいう)。クラバットの語源はクロアットcroate、つまりクロアチアの軽騎兵(画像)のことである。17世紀、オーストリアのクロアチア兵は家庭からの無事の帰還を祈ってもらった赤い布を首に巻いていた。これを見たフランスのルイ14世が「あれは何か?」と聞いたところ、兵隊の事だと勘違いした側近が「クラバットです」と答えたため、布の方が「クラバット」になってしまった。当時のパリ市民の間で布を首に巻くことが流行して、やがてネクタイとなった。

    日本で初めてネクタイの製造をはじめたのは、1884年10月1日、帽子製造業者だった小山梅吉が神田柳原の古着市場で舶来の中古「ネッキタイ」(当時ネクタイをこのように呼んでいた)を買い求め、それを分解して、見様見真似で作ったのが国産第一号のネクタイである。

2017年6月 3日 (土)

口もと考現学

1247247891   コロッケがアントニオ猪木や岩崎宏美の物真似で下アゴを大きく突き出して歌うと爆笑をさそう。口元の微妙な変化で印象が変わってくる。「人は見た目が100%」。最近、若い女性の間で自撮りで可愛く写るとしてキュートな「アヒル口」が再び流行している。本当のアヒル口ではなく、口先をやや突き出したような状態で口角をキュッと上げる。世間的には板野友美や田中美保で知られる。もともとアヒル口が可愛くみえるというのは古くからハリウッドで知られ、映画「散り行く花」でリリアン・ギッシュ(画像)が指先で口角を突き上げる仕草をしていた。日本では石川ひとみが「口がアヒルに似ている」と田原俊彦にいわれて、自らイラストでアヒル口を描いている。「アヒル口」という言葉が定着したのは広末涼子から。

アヒル口の反対は「受け口」や「しゃくれ」の下顎が突き出た感じ。田宮二郎はやや受け口気味な俳優だった。「アヒル口」が失敗して「河童口」になる女の子も多い。

50667831  江戸時代から可愛いと評判だったのは「おちょぼ口」。樗蒲(ちょぼ)とは「しるしに打つ点」の意で、「おちょぼ口」とは「小さくかわいい口のこと」。福助人形は頭が大きく、目が切れ長で、円らな瞳で福耳。そして「おちょぼ口」で裃を着て正座している。大田南畝によると「享保3年冬より、叶福助の人形流行」(一話一言)とある。はじめ茶屋、遊女屋などで祀られたが、のちに一般家庭にも広まった。

2017年4月 2日 (日)

マリー・アントワネットの度の外れた贅沢は周囲のお世辞からか?

Marie_antoinette_in_court_d   マリー・アントワネットといえば、誰もが知っている18世紀西欧のファッションリーダー。パニエを入れて膨らませたミニ丈のスカート、リボンやバラの装飾。彼女はなぜ度の外れた遊びや贅沢を好むようになったのか。牧歌的な(=野暮ったい)オーストリアの宮廷から、洗練の極みであるベルサイユへやってきた。アントワネットが女王として君臨するための自信と手段として、わかりやすいファッションに傾倒していった。アントワネットの服飾デザイナー、ローズ・ベルタンはこう言っている。「マリー・アントワネットはダサかったから」。作家シュテファン・ツバイクは「うぬぼれはつねに他人の称賛によって強められる」と書いている。つまり他人のお世辞で、その気になったという。(世界史)

2016年6月18日 (土)

傘好きハンウェイ

Jonashanway494x590  傘や笠は、古くから世界各地でさまざまなものが作られた。天蓋式の傘は古くから中国にあり、日本にも奈良時代に伝わっている。開閉の自在な傘が現われたのは「近世世事談」によれば1594年に堺の商人が豊臣秀吉に献じたのが初めとされ、ヨーロッパからもたらされたことがわかる。西欧ではルネサンスの時代に貴婦人の間で日傘が流行した。しかし男性が雨傘をさすという習慣はほとんどなかった。1750年ころイギリスの貿易商ジョナス・ハンウェイ(1712-1786)は世界中を旅行するうちペルシャで人々が雨の日に傘をさす光景をみかけた。パリで開閉式の傘を買って、彼は雨の日も晴れの日も30年間いつも傘を携帯してロンドンの街を歩いた。初めは女みたいだと人々の嘲笑をかうが、雨傘の実用性と経済性が次第に認識され、やがては傘は英国紳士のシンボルと言われるようになった。 Jonas Hanway

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