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2016年10月 1日 (土)

ネクタイの起源

Jnejutaikuroachia   ネクタイnecktieは男子服では特に重要なアクセサリーとなっているが、その起源には諸説ある。古くは紀元2世紀ローマ兵が防寒のために首に巻いたウール布フォーカルfocalを起源とする説。あるいは直接の起源としてクラバット説がある。フランス語でネクタイはクラバット(cravate)、イタリア語もcravatteという。(米語でもcravateともいう)。クラバットの語源はクロアットcroate、つまりクロアチアの軽騎兵(画像)のことである。17世紀、オーストリアのクロアチア兵は家庭からの無事の帰還を祈ってもらった赤い布を首に巻いていた。これを見たフランスのルイ14世が「あれは何か?」と聞いたところ、兵隊の事だと勘違いした側近が「クラバットです」と答えたため、布の方が「クラバット」になってしまった。

    日本で初めてネクタイの製造をはじめたのは、1884年10月1日、帽子製造業者だった小山梅吉が神田柳原の古着市場で舶来の中古「ネッキタイ」(当時ネクタイをこのように呼んでいた)を買い求め、それを分解して、見様見真似で作ったのが国産第一号のネクタイである。

2016年6月18日 (土)

傘好きハンウェイ

Jonashanway494x590  傘や笠は、古くから世界各地でさまざまなものが作られた。天蓋式の傘は古くから中国にあり、日本にも奈良時代に伝わっている。開閉の自在な傘が現われたのは「近世世事談」によれば1594年に堺の商人が豊臣秀吉に献じたのが初めとされ、ヨーロッパからもたらされたことがわかる。西欧ではルネサンスの時代に貴婦人の間で日傘が流行した。しかし男性が雨傘をさすという習慣はほとんどなかった。1750年ころイギリスの貿易商ジョナス・ハンウェイ(1712-1786)は世界中を旅行するうちペルシャで人々が雨の日に傘をさす光景をみかけた。パリで開閉式の傘を買って、彼は雨の日も晴れの日も30年間いつも傘を携帯してロンドンの街を歩いた。初めは女みたいだと人々の嘲笑をかうが、雨傘の実用性と経済性が次第に認識され、やがては傘は英国紳士のシンボルと言われるようになった。 Jonas Hanway

2016年3月23日 (水)

日本の教育界がセーラー服を採用した本当の理由

Photo_2   公開中の橋本環奈主演の「セーラー服と機関銃 卒業」が予想を上回る高い評価を受けているらしい。やはり美少女+セーラー服は男子に根強い人気がある。だが現実社会ではブレザーの採用校のほうが多く、セーラー服は毎年減少を続け、その数10%程度にとどまっている。日本以外の国でセーラー服を着た女学生は少ないが、タイや中国で採用したところ、人気で志望者が大幅に増えたともいわれる。

   セーラー服の起源は19世紀はじめイギリスの水夫・水兵が着ていた服である。胸元のスカーフは、水兵が手拭い代わりに使っていたタオルの名残りと言われる。水兵服からヒントを受けてデザインされたセーラー服は、日本では大正9年に平安女学院がセーラー服を採用したのが最初で、以後、お茶の水高師附属高女や雙葉高女が通学服として採用し、全国に普及した。なぜ日本の教育界がセーラー服を採用したかについては諸説ある。①男子の学生服が立襟で陸軍式の5つボタンのチュニックを採用したため、それならばと女子には海軍の軍服にした。②セーラー服の胸が大きく開いた逆三角形になっており、海に落ちた時にすぐに服を破り、泳ぎやすくするため。③制服決定権は教育関係者にあり、男社会の時代、セーラー服のファッションが男に好まれたといういわば先生のエロスから。これらの理由を具に検討するに、①のいくら軍国主義の時代とはいえ、陸軍に対抗して海軍、というのは根拠としては首肯しがたいものがある。②の根拠はよく言われるが、女学校で海に溺れるというケースはまれではないだろうか。③の理由は男としてよくわかる。だが、胸襟が大きく開いている理由は、単にエロスというだけではなく、乳房の発育と関係するのではないだろうか。女子の乳房の膨らみは10歳くらいで初潮を迎えたときから女性ホルモンが分泌されて、それから約10年間、20歳ぐらいになるまで成長する。つまりセーラー服の着用時が最も乳房の発育期にあたり、3年間、同じサイズの服を着続けるとバストの部分が窮屈となる。そのため襟がV字で大きく開いたセーラー服が適当と実用面で判断したのではないだろうか。

2016年3月19日 (土)

面ファスナーの歴史

  テープの一種に、面ファスナー(Hook and loop fastener)がある。日本の商品名は「マジックテープ」といい、ざらざらした2つの面を合わせると、ぴたっとくっつき、強く引っ張れば離れ、何回も使うことができる。1941年、スイスの登山家のジョルジュ・ド・メストラル(1907-1990)はアルプスを歩いていたとき、植物の実が衣服にくっつき、悩まされた。なぜ、くっつくのか、不思議に思った彼は、その実をよく観察した。実はたくさんの鉤状の棘がついていた。そのため、衣服にくっつくとなかなか離れなかった。「そうだ、これをファスナーに応用できないものだろうか」そして考えついたのが、面ファスナーだった。1948年に研究を開始し、1951年に特許出願し、1955年に認定された。(George de Mestral)

2016年3月11日 (金)

有松絞り

Lrg_10346474  愛知県有松地方(名古屋市)で生産される木綿絞りの総称。江戸時代に有松の竹田庄九郎が始め、尾張藩の保護と奨励を受け、東海道の街道筋の土産物として広く知られるようになった。近年はおもに上品でお洒落な絞り浴衣の生地として用いられている。2016年NHKドラマ10「愛しくて」でヒロイン小夏が絞り染め作家として伝統工芸の有松絞りを新しい意匠で海外に紹介するという設定で紹介され注目される。

2016年2月16日 (火)

口もと考現学

1247247891   コロッケがアントニオ猪木や岩崎宏美の物真似で下アゴを大きく突き出して歌うと爆笑をさそう。口元の微妙な変化で印象が変わってくる。最近の女の子のキメポーズはキュートな「アヒル口」。本当のアヒル口ではなく、口先をやや突き出したような状態で口角をキュッと上げる。世間的には板野友美や田中美保で知られる。アヒル口が可愛くみえるというのはハリウッドでも知られていたようで指先で口角を突き上げる仕草をする。反対は「受け口」や「しゃくれ」の下顎が突き出た感じ。田宮二郎はやや受け口気味な俳優だった。「アヒル口」が失敗して「河童口」になる女の子も多い。

50667831  江戸時代から可愛いと評判だったのは「おちょぼ口」。樗蒲(ちょぼ)とは「しるしに打つ点」の意で、「おちょぼ口」とは「小さくかわいい口のこと」。福助人形は頭が大きく、目が切れ長で、円らな瞳で福耳。そして「おちょぼ口」で裃を着て正座している。大田南畝によると「享保3年冬より、叶福助の人形流行」(一話一言)とある。はじめ茶屋、遊女屋などで祀られたが、のちに一般家庭にも広まった。

2016年1月 9日 (土)

19世紀ファッションとマフ

   マフ(muff)とは手の保護・防寒のために用いる両端の開いた服飾品。15世紀にイタリアにあらわれ、その後、ヨーロッパ各地に普及した。初期のものは絹製で、ベルトに吊るしていた。17世紀には大きなマフが流行したが、18世紀になると小型になった。フランス革命までは男女ともに用いたが、後に女性専用のものとなった。印象派の女流画家ベルト・モリゾ(1841-1895)が描く「冬(マフを持つ女性)。
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    コンスタンタン・ギース(1802-1892)「マフをした2人の女性」(1864年頃)には彼女たちがひざ丈型のクリノリンや、当時流行のヘアスタイルとともに、防寒用のマフが描かれている。ギースはロンドンやパリの都市生活、社交界などをテーマに描いた。
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(Barthe Morisot,Constantin Guys)

少女と帽子

Imgrc0064359824 クッキーの詰め合わせをある人からいただいた。箱絵には帽子を被った少女の横顔が描かれている。深沢邦朗の絵で、ほとんどが帽子を被った少女の作品である。たしかに少女には帽子がよく似合う。現在活躍中の画家、大津英敏も淡い色調で少女の作品を多数描いている。

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 大津英敏 「少女時代」 1990年

2015年8月26日 (水)

大江健三郎はなぜ丸メガネなのか?

Photo_2Photo  ラウンド・デザインのフレーム、いわゆる丸メガネは、メガネフレームが作られた初期の頃は主流のかたちだった。昔は丸いレンズを削らずにそのまま枠に入れるという方式でメガネができていた。したがって明治から昭和初期に活躍した人物はほとんど丸メガネである。現在でも笑福亭鶴瓶のようにお笑いの芸能人には丸メガネがみられるが、一般人で丸メガネを愛用している人は少ない。小説家の大江健三郎が古風な感じの丸メガネを愛用しているのはサルトルの影響を受けているからと言われる。

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三木清、江戸家猫八、堀辰雄、北里柴三郎、若山セツ子、西田幾多郎、吉沢独陽、菊池寛

 

2015年8月25日 (火)

女性の太眉ブーム

Photo   女性の眉の太さは時代により大きく変化する。江戸時代、引眉(ひきまゆ)といって、眉を剃って長円形の細い眉を墨で描く化粧法が流行した。明治になって廃れたものの、「三日月眉」は美人の形容として残った。戦前の美人女優の写真などをみると眉は自然なものが多いが、戦後、オードリー・ヘップバーンの流行により太眉が流行する。久我美子や安西郷子などは太い眉で現代性を強くアッピールした。

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Photo_5  第二次の太眉ブームは1980年代後半から90年代前半のバブル期にみられる。石原真理子などが代表例である。しかし90年代後半になると安室奈美恵が登場し一変する。彼女のファッションをマネしたアムラーがこぞって眉毛を細くした。だが2010年代に入ると、ナチュラルな清楚感を漂わす太眉が再ブームの兆しがみえる。

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