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2017年9月14日 (木)

誠の旗は行く

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   むかし日本ハムの金子誠選手の応援で「誠」の旗が用いられていた。なぜ新選組の誠の旗がたなびいているのか。北海道日本ハムファイターズで函館五稜郭→新選組、という繋がりか。グッズは五稜郭タワーでよく売られていたらしい。

   韓国ドラマ「師任堂」23話の挿話。申師任堂の息子イ・ヒョンリョンが学ぶ中部学堂。訓導官が「宋の劉安世が師の司馬光に、数多い漢字のうち最も大切なものは何かと問うた。司馬光はどの字を示したと思う?」イ・ヒョンリョンは「それは誠の字である。君子が終身備えるべき語で妄語せざるべきことである」と。

2017年8月 5日 (土)

世界陸上はじまる

   1年前のきょう、南米大陸で初のオリンピック、リオデジャネイロ・オリンピックの開幕があった。開会式は8月5日午後6時(日本時間6日午前9時)マラカニアン競技場で行われ、207の国と地域から約10,500人の選手の参加がした。本年はロンドン世界陸上がきょうから始まる。マラソンは6日。

2017年6月25日 (日)

何と申しましょうか

  巨人対中日、東京ドーム。石川慎吾のファールチップがドラゴンズ松井雅人捕手の急所を直撃した。松井は痛さに悶絶し、しばらく立ち上がれず。場内アナウンスで「松井捕手はただいま治療をしております」と。この痛みは男性にしかわからず、「何と申しましょうか」の名言を生んだ。ラジオの野球中継で観戦していた時代の話である。昭和30年6月7日、やはり後楽園球場で行われた巨人対中日戦の出来事である。中日の杉下茂投手は打者の藤尾茂にシュートを投げた。藤尾は腰をくの字に曲げたがよけ切れず、ボールはなんと藤尾の股間の一物に命中してしまった。藤尾は、激痛に悶え苦しみ、脂汗が流れはじめた。

    当日は、ネット裏でNHKの志村正順アナウンサーと小西得郎がラジオの実況中継をしていた。志村アナウンサーは「当たりました。杉下のうなるような剛球が、なんと藤尾のき・・・・」。志村はここまで放送したが、さすがにあとの言葉が出ない。そこで志村アナは、左ぐつで小西の右ぐつを蹴っ飛ばした。次はあんたがいえという催促なのだ。

 くつを蹴っ飛ばされた小西も弱った。仕方がない。マイクに向かって何か言わなければならない。「なんと申しましょうか・・・・」。ここで間をおき、一呼吸してからポンといってのけた。「藤尾君の今の痛さばかりは、ご婦人には絶対、わからない痛さでして・・・」これが受けた。小西さん、よくいってくれたという感動の声が寄せられた。

   この件については、あとで小西さん自身もこんなことを言っている。「解説を終えて帰宅したら、小泉信三先生から電話をもらいまして、きょうの解説はよかった。あれでいいんだってほめてくださいました。あの一言が私の解説稼業の支えになりました。」

   NHKの野球解説者、小西得郎(1896-1977)の間延びしたユーモラスな話しぶりが、視聴者に大いに受けて小西節「何と申しましょうか」は1956年の流行語となった。(参考:近藤唯之『プロ野球監督列伝』)

2017年6月 6日 (火)

なぜ巨人は弱いのか?

   泥沼巨人、地獄の13連敗。プロ野球のワースト記録は1981年のロッテの18連敗がある。1日の楽天戦では好投池田を交代、長野バント空振り、重信牽制アウトと采配も乱れた。2日のオリックス戦では4-1が継投のミスで5-6の逆転負け。3日、男村田が満塁本塁打を放ったが4-5で惜敗。4日、新人の山岡に打線が沈黙。 6日、裏目の采配で42年ぶり11連敗、5位転落。8日、先発池田、外崎に満塁弾を浴び、完敗。なぜ巨人が弱いのか。一二番が固定しない。中軸の本塁打が少ない。中継ぎ投手の不在。陽岱鋼の故障。正捕手小林の貧打。長野のスランプ。さまざまな要因があげられるが、守護神カミネロを降格して、クルーズを抜擢したのが凶とでた。低迷する巨人をあたたかく見守り続けよう。ところでなぜ由伸はベンチで座らず立ったままなのか。監督が座らないとコーチも立つしかなく、ベンチの雰囲気が辛いと思う。男前の顔がテレビに映るのはファンサービスの一つだが、だれが名付けたか由伸を「地蔵監督」と呼んでいる。

2017年4月29日 (土)

野球における和製英語

   テレビで野球中継を見ながらビールで晩酌。内野と外野との間にゆるく舞い上がって落ちる安打をテキサス・ヒットという。なぜテキサス州なのか。テキサスのマイナーリーグは貧打でクリーン・ヒットがなく、それを皮肉って Texas Leaguer's Hit という言葉が生まれた。日本の野球でよく使われるカタカナの野球用語は、そのまま使っても外国人には通じないものが多い。総てさがすと100個以上もあるといわれる。例えば、ピッチャーの投げたボールが直接にバッターの身体に当たることをデッドボール(dead ball)という。英語では、HEP、またはそのもともとの英語で hit-by-pitch (字間にハイフンをつけないでhit by pitch)も使われます)という。あるいはその状態を説明する pitch that hits the batter などといっている。動詞では、he was hit by a pitch and broke his right wrist(彼は死球を受けて右手首を骨折した)などと使う。

   日本語のキャッチボールの意味は、捕球したボールを相手に返球するところまで含んでいるが、英語 catch ballは単にボールを捕球するという意味。つまり正確には、catch a ball and return to the person who has thrown the ball to you(ボールを捕球し、それを投げた人に返球する)となる。

サイクルヒット、シートノック、スイングアウト、タイムリーエラー、タイムリーヒット、スリーバント、トップバッター、ナイター、ノーカウント、フォアボール、フライ、ホームイン、ホームスチール、ランニングホームラン

2017年4月 5日 (水)

四股名あれこれ

  いよいよ大相撲初春場所。稀勢の里の逆転優勝で盛り上がった。

   四股名もずいぶんと難しい名が多くなった。豪風(たけかぜ)、鳰の湖(におのうみ)、天鎧鵬(てんがいほう)、磋芽司(さがつかさ)、阿武咲(おうのしょう)など。むかしは、力士の四股名といえば、○○山、△△海、□□川、というように一定のパターンがあった。出身地に因んだ四股名が多かったが、最近ではあまり人気がない。山のつく力士は幕内では栃煌山、松鳳山、碧山など。とくに「川」の四股名をつけた現役力士は安芸乃川(幕下)関取はひとりである。かつて横綱では第2代は綾川五郎次、第5代は小野川喜三郎が江戸時代、第14代は境川浪右エ門が明治10年代、大正・昭和には第34代男女ノ川登三が横綱では最後である。男女ノ川は195センチの長身で人気があった。同じ頃、大関の清水川元吉も人気があった。Photo_2_2 遠藤の新四股名は清水川だそうだ。

  ほかの関取では、旭川、前田川、相模川、幡瀬川、二瀬川、廣川、藤ノ川、若瀬川、黒瀬川、長谷川などが記憶に残る程度である。このような「川」のつく四股名が不人気の原因は、日本の川は護岸改修などでコンクリートに固められ、かつてのような荒々しさがなくなったからではないか、と分析している。

    旭日松という力士が十両にいる。こうや豆腐で知られる食品会社は「旭松」。力士は「あさひしょう」と読むそうである。海苔の老舗「山本山」と同じ四股名の巨漢力士がいたがやはり八百長問題で引退した。春場所三段目優勝の「玉金剛」。「タマコンゴウ」だと読むのだが、「タマキンツヨシ」にしか読めない。

難しい四股名

男女ノ川登三 みなのがわとうぞう

益荒雄宏夫  ますらおひろお

禊鳳英二    みそぎどりえいじ

巨砲丈士    おおづつたけし

名寄岩静男  なよろいわしずお

栃纏勇光   とちまといゆうこう

大蛇潟粂蔵  おろちがたくめぞう

星岩涛祐二  ほしいわとゆうじ

 

2017年3月27日 (月)

なぜオフサイドという反則ルールがあるのか?

   サッカーやラグビーにはオフサイドという反則がある。サッカーの場合オフサイドラインというのがあって、ゴールキーパーを除き、一番後ろにいる守備選手からエンドラインと平行にひかれたラインをオフサイドラインといい、攻撃側の選手がラインより内側にいると反則となる。なぜオフサイドが反則なのか?はっきりしたことはわからない。待ち伏せ攻撃を卑怯と考える説。またオフサイドがないと得点は入りやすくなるが、試合が単調でつまらなくなるという説。歴史的にみると、もともと「戦争ごっこ」から生まれたスポーツで、実際の戦争では、最前線に並ぶ兵士より前に味方がいるのはありえない。だから想定上ありえないポジションにいる選手はプレーに参加ではないというルールが生まれたとする説もある。

2017年3月19日 (日)

モハメド・アリと自転車

  モハメド・アリが12歳のとき、父から誕生日のプレゼントに自転車をもらった。ところが、ある日、この宝物の自転車が盗まれた。警察でアリは「自転車を盗んだヤツをぶちのめしてやる」と泣きながら叫んだ。このときジョー・マーチン(1916-1996)という警察官がボクシングジムのトレーナーをしており、「やっつけたいヤツにチャレンジする前に、闘い方を身に付けた方がいいよ」と優しくさとした。つまり殴るのはリングの上で、スポーツとしてやることをすすめたのだ。アリは6か月トレーニングした後、アマチュアデビュー戦で3ラウンド判定勝ちした。もしアリが自転車を盗まれなかったら、ボクシングをやっていなかったかもしれない。Joe Martin

2017年3月 6日 (月)

スポーツ新聞の日

  1946年3月6日、日刊スポーツが創刊された。タブロイド判4ページ、1部50銭だった。スポーツ新聞といえばプロ野球。そして各紙は大体ご贔屓の球団が決まっている。

Daily   デイリースポーツはもちろん阪神タイガース。ところが王貞治・長嶋茂雄両選手をコンビにして「ON砲」と呼んだのはデイリースポーツが最初である。アメリカのヤンキースのMM砲(ロジャー・マリス、ミッキー・マントル)を倣ってデイリーの記者が命名したという。最近、スポーツ新聞を読む機会が無くなったが風俗記事も少なくなったらしい。1部140円なり。

2017年2月27日 (月)

2時間の壁を突破できるか?

1967_photo   東京マラソン。ウィルソン・キプサング・キプロティチ(ケニア)が2時間3分台で優勝した。日本人トップは井上大仁の2時間8分22秒で8位に入った。世界と日本の差は大きい。

    スポーツにはルールがあり、記録がつぎつぎに塗り変えられている。数あるスポーツ記録の中で最も注目すべきは男子マラソンの2時間の壁である。はたして人類は2時間を破ることができるのだろうか。男子マラソンの世界記録の推移をみてみよう。

1908年 2時間55分18秒4

1925年 2時間29分1秒8

1953年 2時間18分40秒8

1967年 2時間9分36秒8 (クレイトン)

1998年 2時間6分5秒(ダコスタ)

1999年 2時間5分42秒(ハヌーン)

2003年 2時間4分55秒(テルガト)

2008年 2時間3分59秒(ゲブレシラシエ)

2011年 2時間3分38秒(マカウ)

2013年 2時間3分45秒(キメット)

2013年 2時間3分23秒(キプロティチ)

2014年 2時間2分57秒(キメット)

   ちなみに現在、日本人男子の最高記録は、高岡寿成の持つ、2時間6分16秒(2002年)である。

   1967年12月3日、福岡国際マラソンでデレク・クレイトン(画像)が2時間10分の壁を破ったが、この世界記録の達成には1人の日本人選手が貢献している。序盤戦はクレイトンが驚異のハイペースで独走したが、九州電工の佐々木精一郎が後方集団から1人追い上げ28㎞過ぎに並びかける。6㎞ほど並走したが、38㎞地点で佐々木は右脇腹をおさえて後退した。もし佐々木の猛追がなければクレイトンの大記録はなかったかもしれない。生中継でTVリアル観戦した記憶は今も鮮明に残っている。(Derek Clayton)

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