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2021年8月13日 (金)

「回力球」って何?

Spq0811102302014p1   スポーツ競技名を漢字表記すると、バスケットボールは「籠球(ろうきゅう)」ですが、バドミントンは「羽球(うきゅう)」(毛球もうきゅうとも)と書きます。スポーツ競技漢字表記は以下のとおり。

ドッジボール 避球(ひきゅう)
ボーリング  柱技(ちゅうぎ)または十柱球
ラグビー     闘球(とうきゅう)
ゴルフ     打球(だきゅう)、孔球(こうきゅう)
ホッケー    杖球(じょうきゅう)
ゲートボール 門球(もんきゅう)
アメリカンフットボール 鎧球(がいきゅう)
ハンドボール  送球(そうきゅう)
ビリヤード    撞球(どうきゅう)
アイスホッケー 氷球(ひょうきゅう)
ハイアライ    回力球

 

 

 

 

2021年8月 4日 (水)

メダルを噛むのは下品なの?

Imageca4etdik   連日のメダルラッシュに沸く東京五輪。ところで金メダルをかじるパフォーマンスは最近見られなくなった。最初にこのパフォーマンスをしたのはだれであろう。1988年のソウル五輪の水泳男子200m自由形で優勝したオーストリアのダンカン・ジョン・アームストロングが初めといわれている。日本人では1996年アトランタ五輪の野村忠宏が金メダルをかじるポーズをしたことが最初といわれる。1998年、長野五輪でスピードスケートの岡崎朋美が銅メダルを獲得し、2月14日だったので、バレンタインデーにちなんでメダルをチョコレートにみたてて、かじってみせたのも流行となった。しかしそれ以前からメダルをかじるポーズはあったともいわれる。純金であるかどうかをたしかめるしぐさともいわれ、はっきりしたことはわからない。金メダルをかじるの姿が見られなくなったのは、ソチ五輪のとき、JOCがメダルを噛むのは下品として禁止の通達を出したからである。これに対して為末大は「メダルの所有権は選手にあり、国際的に行われている行動だから問題ない」と反論している。

 

 

 

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ダンカン・アームストロング選手がメダルを噛んだ理由は「勝利の味を、文字通り噛みしめる」からだそうだ。

2021年8月 3日 (火)

ボクシングの起源

Boxer_wearing_the_caestus  女子ボクシング入江聖奈が金メダルを獲得した。拳で殴りあうことは、人類が地球上で生活するようになってからずっと行われると考えられるが、軍事的な訓練が発達して競技となったのは古代ギリシャ時代と考えられる。古代オリンピック競技大会ではピュージリズムが正式種目として行われ、グラウコス、エウチュモス、テアゲネスなどの優勝者の名前が記録として残っている。リングがなく、グローブの代わりにかわひもを拳の部分から肘にかけて巻き付け防護する(ヒマンテス)ことが許された。

Caestus1    帝政ローマ時代になると、見世物として職業化が進み、金具や鉄鋲を打ち込んだカエストゥスと呼ばれた革ひもを巻き付けて戦うようになり、死者が出ることも稀ではなかった。西暦393(年にローマ皇帝により禁止された。(pugilism,caestus)

2021年6月19日 (土)

ベースボール記念日

Cartwrightalexabio   1846年のこの日、公式の記録に残る史上初の野球の試合がニュージャージー州で行われた。前年、アレクサンダー・カートライト(1820-1892)はイギリスの球技であるタウンボールを、文書化して統一ルールを定めた。これが現在の野球のはじまりといわれる。いわゆるニッカーボッカー・ルールでは「先に21点を取ったチームが勝ち」となっていた。あるとき「いつ試合が終わるか分からないから、料理の準備ができない」と野球チームのコックが苦情を言った。20対0で、あと1点取ればゲームは終了になるのに、点がはいらない場合など観客も飽きてくるだろう。そこで1試合最低1人3打席回ってくるようにした結果9イニング制となった。南北戦争を機に南部にも広まり、全米で人気を博するようになった。(Alexander Joy Cartwright Jr. 6月19日)

2021年6月 9日 (水)

ルーの法則

Photo_8   1850年6月9日ドイツの動物生理学者ウィルヘルム・ルーの誕生日である。イエナ大学でヘッケルに学び、ベルリン大学でフィルヒョーに学ぶ。当時は比較発生学研究が主流だったのに対し、胚に人工的に細工をして、その経過から発生の仕組みを解き明かそうとする、いわゆる実験発生的な手法を用いた。彼はヘッケルらの手法に反発し、「発生学は進化論のしもべではない」と言ったといわれる。

    彼の名前が今日でも広く知られるのは、保健体育科の教科書でよく知られる「ルーの三原則」によってである。実は、当初のルーの説は三つではなかった。内容は、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理、など多岐にわたる研究である。後世の研究者が、ヒトの器官や機能は適度に使えば発達し、使わなければ退化・萎縮し、過度に使えば障害を起こす、という三法則にまとめたことによって、現代トレーニングの原則として、広く適用されているのである。1924年9月15日、死去。74歳。( 6月9日.Wilhelm Roux )

2021年5月19日 (水)

自転車(明治事物起源)

   自転車という外国の乗り物が、近代日本に、いつ頃伝わり、どのように受容されたのであろうか。わが国に自転車が伝来したのは、長い間、明治3年(1870年)と見る説が定説のように流布されていた。これは石井研堂「明治事物起源」の影響が大きい。しかしこの説で日本で初めて自転車に乗ったとされる佐藤アイザックという人物の正体が明らかとなった。本名を横山錦柵といい、嘉永2年生まれで、18歳で英語を学ぶため渡米し、1877年に帰国している。つまり1870年の自転車渡来とは無関係であることが判明した。明治10年代には横浜で自転車のレンタル業が始まっている。また国産初の自転車製作は滋賀県長浜市の国友鉄砲鍛冶師が1891年に作ったともいわれている。

 

3d688a3a  自転車の発明は1817年ドイツのカール・フォン・ドライスが発明したドライジーネと呼ばれる木製の二輪車が今の自転車の元となったとされている。ところが自転車の発明は西洋ではなく、江戸中期に日本人がすでに発明していたという説が近年あきらかにされた。増田一裕によると、武州児玉郡北堀村の組頭の庄田門弥が1729年に「陸船車(りくせんしゃ)」という木製の乗り物を作った。徳川吉宗も興味をもち、陸船車を江戸に献上させたという。

 

 自転車といえば徳川慶喜。慶喜は明治20年ころ当時珍しかった自転車を購入し、静岡で乗り回し余生をエンジョイしている。 日本に自転車が一般に普及するのは1890年代に入ってからである。福沢諭吉や夏目漱石は自転車に乗れたのか?福沢は高齢になっているので少し無理かもしれない。ただし1902年に慶応義塾自転車競技部が設立され、息子の福沢一太郎が初代部長であるから、自転車にはなみなみならぬ関心があったことと思う。漱石には「自転車日記」という作品がある。1902年、留学先のロンドンで下宿の婆さんに薦められて自転車に初めて乗った。すでに35歳になっていたが、運動神経のよい漱石は悪戦苦闘のすえ、どうやら無事乗りこなすまでに上達した。漱石と同世代の東洋史学者、那珂通世は自転車博士といわれるほど自転車が好きで、朝鮮や満州に自転車旅行している。中村春吉は1902年、自転車で世界一周旅行を達成した。

 

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  徳川慶喜

 

Niigata192x300  最近、新潟県加茂市で「なるべく自転車に乗らないように」という文書が小中学生に配布された。交通事故防止のためであるが環境整備が大事であるとの批判もある。近代人にとってもはや自転車は不可欠なものだが、交通マナーなど安全教育の徹底を若いうちに図る必要がある。「人生とは自転車のようなもので、倒れないようにするには走らなければならない」(アインシュタイン)

 

 

2021年5月 5日 (水)

「いだてん」三島弥彦と金栗四三

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    三島弥彦                  金栗四三

 

  1912年のこの日、第5回オリンピックストックホルム大会が開催された。日本が初参加。日本の参加選手は短距離の三島弥彦(1885-1954)とマラソンの金栗四三(1891-1983)。三島は明治の内務官僚・三島通庸の息子。100m、200mは予選敗退したが、400mは準決勝へ。しかし足痛のため棄権。金栗は競技中に失踪し、行方不明。54年後、ストックホルムの競技場にゴールテープが用意され、マラソン記録に決着がついた。記録は54年と8ヵ月6日。「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。(5月5日)

 

 

 

 

 

 

2021年3月12日 (金)

関根金次郎

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 関根(左)、坂田(右)、中央は小野五平十二世名人

 

    坂田三吉の宿命のライバル、関根金次郎は千葉県野田市の出身。二人の対決は16勝15敗1分で坂田が勝ち越している。関根は大正10年に十三世名人となり、棋界近代化に尽くした。昭和21年3月12日、77歳で逝く。

2021年3月 6日 (土)

2時間の壁を突破できるか?

1967_photo   鈴木健吾選手がびわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒という日本新記録を更新した。だが日本勢と世界との差はまだ大きい。スポーツにはルールがあり、記録がつぎつぎに塗り変えられている。数あるスポーツ記録の中で最も注目すべきは男子マラソンの2時間の壁である。はたして人類は2時間を破ることができるのだろうか。男子マラソンの世界記録の推移をみてみよう。

 

1908年 2時間55分18秒4

 

1925年 2時間29分1秒8

 

1953年 2時間18分40秒8

 

1967年 2時間9分36秒8 (クレイトン)

 

1998年 2時間6分5秒(ダコスタ)

 

1999年 2時間5分42秒(ハヌーン)

 

2003年 2時間4分55秒(テルガト)

 

2008年 2時間3分59秒(ゲブレシラシエ)

 

2011年 2時間3分38秒(マカウ)

 

2013年 2時間3分45秒(キメット)

 

2013年 2時間3分23秒(キプロティチ)

 

2014年 2時間2分57秒(キメット)

 

2018年 2時間1分39秒(キプチョゲ)

 

   ちなみに現在、日本人男子の最高記録は、鈴木健吾の持つ、2時間4分56秒(2021年)である。

   1967年12月3日、福岡国際マラソンでデレク・クレイトン(画像)が2時間10分の壁を破ったが、この世界記録の達成には1人の日本人選手が貢献している。序盤戦はクレイトンが驚異のハイペースで独走したが、九州電工の佐々木精一郎が後方集団から1人追い上げ28㎞過ぎに並びかける。6㎞ほど並走したが、38㎞地点で佐々木は右脇腹をおさえて後退した。もし佐々木の猛追がなければクレイトンの大記録はなかったかもしれない。生中継でTVリアル観戦した記憶は今も鮮明に残っている。(Derek Clayton)

 

 

2020年11月25日 (水)

野球英語

  野球用語には英語がたくさん使われる。ブルペン(bulpen)とは、試合に出ていない投手の練習場である。もともと「牛の囲い場所」という意味だが、なぜ野球で使われるのか不明である。一説には、闘牛場で送られるのを囲いの中で待っている牛を投手に見立てたともいわれる。投球板のあるマウンド(mound)。「小丘、土手」の意味。内野と外野との間にゆるく舞い上がって落ちる安打をテキサス・ヒットという。なぜテキサス州なのか。テキサスのマイナーリーグは貧打でクリーン・ヒットがなく、それを皮肉って Texas Leaguer's Hit という言葉が生まれた。日本の野球でよく使われるカタカナの野球用語は、そのまま使っても外国人には通じないものが多い。日本製英語を総てさがすと100個以上もあるといわれる。例えば、ピッチャーの投げたボールが直接にバッターの身体に当たることをデッドボール(dead ball)という。英語では、HEP、またはそのもともとの英語で hit-by-pitch (字間にハイフンをつけないでhit by pitch)も使われます)という。あるいはその状態を説明する pitch that hits the batter などといっている。動詞では、he was hit by a pitch and broke his right wrist(彼は死球を受けて右手首を骨折した)などと使う。

   日本語のキャッチボールの意味は、捕球したボールを相手に返球するところまで含んでいるが、英語 catch ballは単にボールを捕球するという意味。つまり正確には、catch a ball and return to the person who has thrown the ball to you(ボールを捕球し、それを投げた人に返球する)となる。

  サイクルヒット、シートノック、スイングアウト、タイムリーエラー、タイムリーヒット、スリーバント、トップバッター、ナイター、ノーカウント、フォアボール、フライ、ホームイン、ホームスチール、ランニングホームラン、ゲッツーなどすべて和製英語。

 

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