無料ブログはココログ

2022年8月16日 (火)

ああ引退

西武の内海哲也が今季限りで引退することを発表した。2010年前後、巨人のエースだった。常にポジティブで明るく、ガッツがあり、チームメイトからも人望が厚かった。長い野球人生お疲れ様でした。

2022年8月11日 (木)

ゴルフの起源

   ゴルフ人口は一時よりは減ったと言われていますが、いまでもゴルフの関する話題は尽きない。女性の正会員を認めない五輪会場のゴルフ場が問題となっている。

   ゴルフの起源については、様々な説があってはっきりしないが主に3つの説がある。第1は、紀元80年、ローマ帝国のユリウス・アグリコラ将軍がスコットランドを征服していたとき、羽毛をつめた革製のボールを木杖で打つパガニカという球戯を行い、3世紀にわたるローマ軍の長期占領中に土着してゴルフになったという説。第2のオランダを起源とするものは、オランダの球戯、ヘットコルフェンというホッケーに似たゲームが変化してスコットランドにわたったという説。第3はスコットランドの羊飼いの牧童たちが羊を追いながら石を転がして遊んだという説。いずれにしても14世紀中ころから、現在の方法に近いゴルフが行われた。1457年のスコットランド。国王ジェームス2世は、ゴルフは武技・弓術の妨げになるという理由で議会に命じ、12歳から50歳の国民にゴルフ禁止令を布告させた公文書が残っている。

 ゴルフの起源には諸説あるものの、およそ500年以上も昔からスコットランド地方ではゴルフが始められていたことは間違いない。ところで何故ゴルフの1ラウンドは18ホールなのか?1858年にセントアンドリュースクラブの委員たちが集まって相談したところ、スコッチが飲み干して無くなるのが、ちょうど18ホールでプレーしたとろでした空になる。そこで「18ホールでやめようじゃないか」と、ある委員が提案したのが起源だといわれている。

 

 

2022年6月 9日 (木)

ルーの法則

Photo_8   1850年6月9日ドイツの動物生理学者ウィルヘルム・ルーの誕生日である。イエナ大学でヘッケルに学び、ベルリン大学でフィルヒョーに学ぶ。当時は比較発生学研究が主流だったのに対し、胚に人工的に細工をして、その経過から発生の仕組みを解き明かそうとする、いわゆる実験発生的な手法を用いた。彼はヘッケルらの手法に反発し、「発生学は進化論のしもべではない」と言ったといわれる。

    彼の名前が今日でも広く知られるのは、保健体育科の教科書でよく知られる「ルーの三原則」によってである。実は、当初のルーの説は三つではなかった。内容は、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理、など多岐にわたる研究である。後世の研究者が、ヒトの器官や機能は適度に使えば発達し、使わなければ退化・萎縮し、過度に使えば障害を起こす、という三法則にまとめたことによって、現代トレーニングの原則として、広く適用されているのである。1924年9月15日、死去。74歳。( 6月9日.Wilhelm Roux )

2022年6月 8日 (水)

数字の7はなぜラッキーナンバーなのか?

Main8g20120408ddd1900552g30  古くから数字には意味のあることが信じられてきた。数字の中に7がある場合は「霊的な成長をしています」というメッセージが込められており、7は幸運の数字であることが英語圏で信じられてきた。とくに「777」は大当たりの数字とされている。野球でラッキーセブンはとくに有名である。巨人や中日ドラゴンズではホームの試合のとき7回裏の攻撃前にビーナスやドアラが宙返りをすることが恒例となっている。とくに9イニング制の野球において7回は先発投手の疲れが出始めるころで、試合が動くイニングと見なされている。俗にラッキーセブンといわれる。1885年9月30日、ホワイトストッキングスの7回の攻撃で、平凡なフライを打ち上げたが、強風に吹かれてホームランになった。これでホワイトストッキングスはリーグ優勝を決めたことから「ラッキーセブン」という言葉が生まれた。大リーグでは7回の少し休憩タイムがあり「わたしを野球に連れてって」を歌うのが恒例となっている。こうした7回の攻撃で試合が動くという通説は本当であろうか、名古屋大学で統計調査をしたところ、7回の攻撃の得点率は、むしろ全イニングの平均を下回るという結果がでた。7回よりも6回のほうが得点が入りやすいという。こうした7が特別な意味をもつ数字であることは、聖書からきている。旧約聖書にある「神は7日間で天地万物を創造した」という記述から、7は「完全」という意味をもつようになり、さらに新約聖書では神聖視され、幸運を招く数字になったといわれる。

7の実例

ノアが神殿を7回回った

生きラム教徒はメッカの巡礼でカーバ神殿を7回回る

ボーイング777

 

 

2022年3月27日 (日)

野球伝来150年

    アメリカで発達したベースボールが我が国に伝来した歴史を調べると、北海道こそは野球の発祥地といってもいい。これまでの通説では、日本における野球は明治6年開成学校の生徒がアメリカ人のホーレス・ウィルソン(843-1927)、同校予備門のイギリス人のストレンジ、マジェットらの外人教師らに教えられてはじめたのが最初とされてきた。また明治15年アメリカから帰国した平岡熙(1856-1934)によって日本初の野球チーム「新橋アスレチック・クラブ」が結成された。この功績によって平岡熙は1959年、正岡子規は野球用語を邦訳したとして2002年、ホーレス・ウィルソンは日本に野球を伝えた功績により2003年、それぞれ野球殿堂入りをはたしている。

    ところがスポーツライターの大和球士(1910-1992)は一冊の本を読んでもうひとつの日本野球のルーツがあることに気づいた。その本は言語学者の大島正健(1859-1938)の回想記で『クラーク先生とその弟子たち』という。クラーク博士を敬愛するキリスト者にとってはたいへんに有名な名著であり、古い県立図書館には所蔵している本である。ただしそれに野球の関係する重要な記述が含まれているとは誰しも思わなかった。その本は病床にあった大島正健の口述を長男の大島正満がまとめたもので、初版は帝国書院(1937)、第2版(1948)、補訂第3版宝文館(1958)、国書刊行会(1973)、補訂増補版(1990)と版を重ねて出版され関係者のその本に対する情熱が察せられるであろう。

    さて、開拓使仮学校(札幌農学校の前身)は明治5年5月に東京・芝の増上寺境内に開校、当時、アメリカ人アルバート・G・ベーツが英語教師として明治6年2月に来日した。彼は無類のベースボール好きで、持参した1本のバットと3個のボールで生徒たちにベースボールを教えた。当時は道具などもなく、ボールは手縫いで素手で捕球していた。対外試合はなく、仲間内でプレーしていた草野球程度のものであったであろう。開拓使仮学校は明治8年7月に札幌農学校となり、札幌へ移転した。もちろん北海道でもベースボールは続けられていた。明治13年に入学した第4期生の河村九淵によると「寄宿生は一般に身体の摂生に注意し、殊に運動と体育とに務めた。春から秋の間はベースボールにいそしみ、積雪期には毎夕三々五々相携えて散歩した」とある。この文章から、ベースボールが特別なスポーツというよりも健康的なレクリェーションとして楽しんでいたことがうかがわれるであろう。新渡戸稲造も「私も日本の野球史以前には、自分で球を縫ったり、打棒を作ったりして野球をやったこともあった」(東京朝日新聞明治44年8月29日)と語っている。

    さて、本題の日本における野球のはじまりであるが、何事につけもののはじまりは諸説あることをご理解たまわりたい。ホーレス・ウィルソンが殿堂入りしていることから開成学校が野球博物館公認ではあるが、野球事始が明治6年ということであるならば、ある調査によると、開成学校は10月9日に開校したのに対し、開拓使仮学校の開校は4月15日である。この半年間でアルバート・ベーツが生徒たちにベースボールを教えていたことは十分に考えられることではないだろうか。

    ただし、ベースボールの伝来がイコール日本野球のはじまりではない、とする意見もある。野球は2チームあって対戦して成り立つスポーツで、キャッチボールや仲間内でプレーしたり、練習試合をしていても、野球のはじまりとは認められない。残念ながら開拓使仮学校ではリクレーションとしてベースボールをしていたものの、チームを組織して公式試合をした記録が確認できないので、正式なベースボールとして現在の段階では認定されていないのであろう。

自転車(明治事物起源)

   自転車という外国の乗り物が、近代日本に、いつ頃伝わり、どのように受容されたのであろうか。わが国に自転車が伝来したのは、長い間、明治3年(1870年)と見る説が定説のように流布されていた。これは石井研堂「明治事物起源」の影響が大きい。しかしこの説で日本で初めて自転車に乗ったとされる佐藤アイザックという人物の正体が明らかとなった。本名を横山錦柵といい、嘉永2年生まれで、18歳で英語を学ぶため渡米し、1877年に帰国している。つまり1870年の自転車渡来とは無関係であることが判明した。明治10年代には横浜で自転車のレンタル業が始まっている。また国産初の自転車製作は滋賀県長浜市の国友鉄砲鍛冶師が1891年に作ったともいわれている。「日本近代総合年表」(岩波書店)によると、1889(明治22)年の項に「この年、大阪・神戸に自転車(鉄輪)流行し、貸自転車ふえる。賃料1時間5銭」とある。

3d688a3a  自転車の発明は1817年ドイツのカール・フォン・ドライスが発明したドライジーネと呼ばれる木製の二輪車が今の自転車の元となったとされている。ところが自転車の発明は西洋ではなく、江戸中期に日本人がすでに発明していたという説が近年あきらかにされた。増田一裕によると、武州児玉郡北堀村の組頭の庄田門弥が1729年に「陸船車(りくせんしゃ)」という木製の乗り物を作った。徳川吉宗も興味をもち、陸船車を江戸に献上させたという。

 

 自転車といえば徳川慶喜。慶喜は明治20年ころ当時珍しかった自転車を購入し、静岡で乗り回し余生をエンジョイしている。 日本に自転車が一般に普及するのは1890年代に入ってからである。福沢諭吉や夏目漱石は自転車に乗れたのか?福沢は高齢になっているので少し無理かもしれない。ただし1902年に慶応義塾自転車競技部が設立され、息子の福沢一太郎が初代部長であるから、自転車にはなみなみならぬ関心があったことと思う。漱石には「自転車日記」という作品がある。1902年、留学先のロンドンで下宿の婆さんに薦められて自転車に初めて乗った。すでに35歳になっていたが、運動神経のよい漱石は悪戦苦闘のすえ、どうやら無事乗りこなすまでに上達した。漱石と同世代の東洋史学者、那珂通世は自転車博士といわれるほど自転車が好きで、朝鮮や満州に自転車旅行している。中村春吉は1902年、自転車で世界一周旅行を達成した。

 

Photo
  徳川慶喜

 

Niigata192x300  最近、新潟県加茂市で「なるべく自転車に乗らないように」という文書が小中学生に配布された。交通事故防止のためであるが環境整備が大事であるとの批判もある。近代人にとってもはや自転車は不可欠なものだが、交通マナーなど安全教育の徹底を若いうちに図る必要がある。「人生とは自転車のようなもので、倒れないようにするには走らなければならない」(アインシュタイン)

 

 

2021年11月24日 (水)

格言「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の嘘

   「あなはスポーツをしていますか?」と聞かれる。「何もしていない」と答えると、軽蔑した目つきでメタボの腹をジッとみるや「あそこのジムへ行くといいですよ」と教えてくれる。スポーツブーム、健康ブームだ。しかしケペルは「メメント・モリ(死を想え)」のほうが心の癒しになる。スポーツにより肉体改造をしたり食事を節制することは、一種の脅迫観念に取り憑きかれているように感じる。そんなとき保健体育で覚えた「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」の格言を思いだす。この言葉は世界中の人類みんなが知っている名言なのか、日本だけが有名なのか分からない。ともかく明治日本の富国強兵、運動会、体育の奨励とともに広まったことだけは間違いない。もともとはローマの詩人ユベナーリス(60-130)の「諷刺詩」第10巻に見える。「人間の欲望や祈りは皆ひとしく虚栄の強いものであり、わが子を愛する母親はその子が美しいあることを祈るものである。だが一体、いつ上品さと美しさが一致したであろうか。あなたやあなたの国家にとって何が最善であるかを決定することは神々にまかせるのがよいだろう。ところであなたは何か祈りこどでもあれば食用豚からの内臓やソーセージなど犠牲を捧げて神に祈ることは出来るだろう。だがそうだとしても、もしそうする必要があるならば、あなたは自分自身に与えることが出来ることをこともとるのがよいだろう。だからもし、祈るならば、健康な身体に健康な精神があれかしと祈るべきであろう(Orandum est,ut sit mens in corpore sano)。なぜならば、逞しい心臓は死の恐怖をもたず、長寿を自然の神の最小の賜物と思い、あらゆる種類の苦労に堪えることが出来、憤怒も欲望も知らず、ヘラクレスの悲哀と辛苦がサルダナパルスの愛や饗宴やクッションよりも、一層よいものであると考えられるものだから。(私はあたなにこういう心臓をこそ求めるべきだというのだが、それはあなたが自分に求めることが出来るからだ)そうすれば運命の流れを軽蔑出来るのではあるまいか。

   以上の要旨から考えられることは、ユベナーリスは決して「健全なる精神が健全なる身体に存在している(すなわち宿る)」とは言明していない。むしろ不一致が一般的だからこと、その一致を祈るべきだといっている。ユベナーリスの言いたい点はあくまでつまらないことに犠牲をささげて祈る当時の世相を批判し、諷刺することであった。これが今日みられるような「健全な精神は健全なる精神に宿るのであり、不健全な身体には宿らない。だから身体を鍛えることが大事だ」というふうにとらえられるようになったのは何故か。おそらく近世イギリスの代表的哲学者ジョン・ロックがその著書「教育論」(1693)の冒頭に「健全なる精神は健全なる身体に宿る(A sound mind in a sound body)」とユウェナーリスのこの句を引用したからであろう。明治の翻訳家がユベナーリスの考えとはかけはられたロックの引用句を金言名句として紹介したものであろう。藤原紀香のようなナイスバディに必ず健全な精神が宿るとは限らない。それは節制の賜物ではあるが精神とは別ものである。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という現実とかけ離れたことを金言として教育してきたことを問題とした学者を知らない。スポーツ選手を集めて大学の名を有名にする学校があるが、決まって経営本位のみせかけであり、学問とは無縁のところである。スポーツで当選した議員も全般的な政策には無知でありロクな人はいない。つまり古来より身体と精神とが一致することは稀である。

2021年10月22日 (金)

高卒1年目の新人王投手

   2021年もあと二月半。ことはどんな年だったかという回顧記事もそろそろ出てくる。やはりコロナ禍に開けてコロナ禍で終わりそうだ。東京五輪と総選挙の年でもあった。国際政治ではアメリカのアフガン撤退が大きな事件だった。スポーツ界では大谷翔平が大リーグでの大活躍が光る。横綱白鵬の引退はひとつの時代の終焉を感じる。「平成の怪物」といわれた松坂大輔や「ハンカチ王子」の斎藤佑樹も引退した。斎藤はプロ11年間で15勝26敗の成績を残した。松坂のような高卒1年目で新人王を獲得した投手は過去に何人いるのか。直近では田中将大(2007年、楽天)がいる。一番古くは権藤正利(1953年、大洋松竹)。拓和本司(1954年、南海)。稲尾和久(1956年、西鉄)。尾崎行雄(1962年、東映)。池永正明(1965年、西鉄)。堀内恒夫(1966年、巨人)。そして33年ぶりに松坂大輔が1999年に獲得した。田中将大で8人である。

2021年8月13日 (金)

「回力球」って何?

Spq0811102302014p1   スポーツ競技名を漢字表記すると、バスケットボールは「籠球(ろうきゅう)」ですが、バドミントンは「羽球(うきゅう)」(毛球もうきゅうとも)と書きます。スポーツ競技漢字表記は以下のとおり。

ドッジボール 避球(ひきゅう)
ボーリング  柱技(ちゅうぎ)または十柱球
ラグビー     闘球(とうきゅう)
ゴルフ     打球(だきゅう)、孔球(こうきゅう)
ホッケー    杖球(じょうきゅう)
ゲートボール 門球(もんきゅう)
アメリカンフットボール 鎧球(がいきゅう)
ハンドボール  送球(そうきゅう)
ビリヤード    撞球(どうきゅう)
アイスホッケー 氷球(ひょうきゅう)
ハイアライ    回力球

 

 

 

 

2021年8月 4日 (水)

メダルを噛むのは下品なの?

Imageca4etdik   連日のメダルラッシュに沸く東京五輪。ところで金メダルをかじるパフォーマンスは最近見られなくなった。最初にこのパフォーマンスをしたのはだれであろう。1988年のソウル五輪の水泳男子200m自由形で優勝したオーストリアのダンカン・ジョン・アームストロングが初めといわれている。日本人では1996年アトランタ五輪の野村忠宏が金メダルをかじるポーズをしたことが最初といわれる。1998年、長野五輪でスピードスケートの岡崎朋美が銅メダルを獲得し、2月14日だったので、バレンタインデーにちなんでメダルをチョコレートにみたてて、かじってみせたのも流行となった。しかしそれ以前からメダルをかじるポーズはあったともいわれる。純金であるかどうかをたしかめるしぐさともいわれ、はっきりしたことはわからない。金メダルをかじるの姿が見られなくなったのは、ソチ五輪のとき、JOCがメダルを噛むのは下品として禁止の通達を出したからである。これに対して為末大は「メダルの所有権は選手にあり、国際的に行われている行動だから問題ない」と反論している。

 

 

 

20100221081251

 

ダンカン・アームストロング選手がメダルを噛んだ理由は「勝利の味を、文字通り噛みしめる」からだそうだ。

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2022年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30