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2019年11月23日 (土)

大相撲はつまらない

  休場多すぎと白鵬の独走で優勝争いがつまらない。来年2月の福祉大相撲のお知らせ。第1回慈善大相撲(1967年)に出演した解説者・北の富士さんは東京ぼん太「マアいろいろあらァな」を歌ったらしい。本人は全然記憶にないと否定。「俺には持ち歌、ネオン無情があるよ」真相は不明だが、選曲はナイスだ。

 

 

2019年7月16日 (火)

ナイターは英語にあらず

  プロ野球ペナントレースも後半戦が始まった。テレビで野球中継を見ながらビールで晩酌するのは至福ひとときだろう。内野と外野との間にゆるく舞い上がって落ちる安打をテキサス・ヒットという。なぜテキサス州なのか。テキサスのマイナーリーグは貧打でクリーン・ヒットがなく、それを皮肉って Texas Leaguer's Hit という言葉が生まれた。日本の野球でよく使われるカタカナの野球用語は、そのまま使っても外国人には通じないものが多い。日本製英語を総てさがすと100個以上もあるといわれる。例えば、ピッチャーの投げたボールが直接にバッターの身体に当たることをデッドボール(dead ball)という。英語では、HEP、またはそのもともとの英語で hit-by-pitch (字間にハイフンをつけないでhit by pitch)も使われます)という。あるいはその状態を説明する pitch that hits the batter などといっている。動詞では、he was hit by a pitch and broke his right wrist(彼は死球を受けて右手首を骨折した)などと使う。

   日本語のキャッチボールの意味は、捕球したボールを相手に返球するところまで含んでいるが、英語 catch ballは単にボールを捕球するという意味。つまり正確には、catch a ball and return to the person who has thrown the ball to you(ボールを捕球し、それを投げた人に返球する)となる。

  サイクルヒット、シートノック、スイングアウト、タイムリーエラー、タイムリーヒット、スリーバント、トップバッター、ナイター、ノーカウント、フォアボール、フライ、ホームイン、ホームスチール、ランニングホームラン、ゲッツーなどすべて和製英語。

 野球以外ではカンニング、ワンパターン、オーダーメイド、スキンシップ、コンセント、キーホルダー、パワーハラスメント、デコレーションケーキ、ガードマン、コインランドリー、リフォーム、リベンジなどなど。

2019年7月14日 (日)

なぜラグビーボールは楕円形なのか?

    「空に燃えてるでっかい太陽 腕にかかえた 貴様と俺だ」と布施明が歌う「貴様と俺」は夏木陽介主演の「青春とは何だ」の挿入歌だ。ドラマの山場に流れるので主題歌よりも有名になった。むかしの学園ドラマはラグビー、サッカーなどの球技クラブを主体に熱血教師の奮闘ぶりを描くので、試合のシーンが多い。「貴様と俺」は永遠の青春の応援歌となった。そして青春ドラマの花形スポーツといえばサッカーよりもラクビーがまさるように思う。「青春とは何だ」「でっかい青春」(竜雷太)「われら!青春」(中村雅俊)「スクール・ウォーズ」(山下真司)はラグヒーを通じて友情、団結、純愛を描く青春ドラマだった。

  「紳士が行なう獣のスポーツ」と形容されるラグビー。正式名称は「ラグビー・フットボール」という。イギリスのパブリック・スクールで各校独特のルールで盛んにおこなわれていたが、1823年ラグビー校におけるゲーム中興奮のあまりウィリアム・ウェブ・エリスが規則と慣習に反して相手のキックを受けてそのまま走ったことが契機となってラグビー・ゲームの特徴が創始されたと言われている。また一説にはエリスは興奮のあまりボールを受けて走ったのではなく、彼が故郷のアイルランドでやっていたゲーリック・フットボールのプレーをそのままやったにすぎないともいわれている。ラグビーとサッカーがさまざまな点で類似するのはその起源を同じくするためである。ではサッカーボールが球形なのに、ラグビーボールはなぜ楕円形なのか。ラグビーボールは、昔は豚の膀胱に空気を入れて革で包んだものだった。そのため形や大きさはばらばらで、技術的にも完全な球体をつくることが難しかったため、そのまま楕円形になったといわれる。

220pxebclarke  日本で初めてラグビーを指導したのは明治32年の秋、イギリス人英語教師エドワード・ブラムエル・クラーク(1874-1934)が慶応義塾の学生たちに伝えたのが最初とされる。クラークはまだ日本語が上手でないため、ケンブリッジ大学で同級生だった実業家の田中銀之助(1873-1935)にコーチを依頼し、共に学生たちの指導を始めた。(因みに田中銀之助は「天下の糸平」といわれた田中平八の孫である)当初は、麻布の仙台ヶ原(現在の南麻布一丁目)の野原をグラウンドにして練習していた。その前からあった横浜の外人クラブと明治34年に最初の試合が行なわれた。明治43年には京都第三高等学校、明治44年には同志社大学、大正7年には早稲田大学ラグビー蹴球部が創部された。昭和4年に大阪に花園ラグビー場が、昭和22年に港区青山に東京ラグビー場(現・秩父宮ラグビー場)がラグビー専用競技場として誕生した。日本におけるラグビーは大学・社会人を中心に発展してきたといえる。

2019年6月23日 (日)

元芸能人だった野球選手の妻たち

  むかし男の子の夢はプロ野球選手になること。そして甲子園に出場してアイドルと結婚すること。この三条件を叶えた選手は少ない。清原和博くらいか。だが最近では巨人の野上亮磨がいる。甲子園センバツ準優勝投手で、モーニング娘の石川梨華と結婚し、2017年に巨人に入団している。三条件はかなりハードルが高いが、芸能人と結婚した選手なら多数いる。1950年2リーグ制からでもおそらく40組以上のカップルがいる。女優、歌手、モデル、タレント、宝塚歌劇団出身など(アナウンサーは除く)。

 

榎本美佐江(金田正一)

 

仁木多鶴子(小野正一)

 

島倉千代子(藤本勝巳)

 

姿美千子(倉田誠)

 

ジャネット八田(田淵幸一)

 

白川奈美(富田勝)

 

横山エミー(井本隆)

 

相田寿美子(荒木大輔)

 

木村亜希(清原和博)

 

岡村孝子(石井浩郎)

 

瀬能あずさ(石井琢朗)

 

橋本清美(平野謙)

 

中嶋美智代(サブロー)

 

榎本加奈子(佐々木主浩)

 

大河内志保(新庄剛志)

 

仲根かすみ(和田毅)

 

新山千春(黒田哲史)

 

渡辺典子(西岡洋)

 

松本典子(笘篠賢治)

 

相川恵里(押尾健一)

 

菊池美緒(松井稼頭央)

 

紗栄子(ダルビッシュ有)

 

里田まい(田中将大)

 

スザンヌ(斉藤和己)

 

紺野あさ美(杉浦稔大)

 

 以下はあまり知らない芸能人たち

 

秋本祐希(大友進)

 

山内麻美(小谷野栄一)

 

池端忍(古木克明)

 

上葉えりか(杉内俊哉)

 

大橋裕美子(新井貴裕)

 

大東めぐみ(大久保秀昭)

 

北島えり(代田建紀)

 

琴まりえ(今井啓介)

 

斉藤ますみ(後藤光尊)

 

サントス・アンナ(美馬学)

 

笙田ひろ子(大豊泰昭)

 

白鳥靖代(土橋勝征)

 

高木加織(山口俊)

 

滝口ミラ(森山周)

 

堀一美(中根仁)

 

ますあや(T岡田)

 

MADAM REY(田尾安志)

 

麻由(隠善智也)

 

安田芽衣子(一場靖弘)

 

結城めぐみ(本間満)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月19日 (水)

私を野球につれてって

 本日は「ベースボール記念日」。1846年のこの日、公式な記録に残る史上初の野球の試合がニュージャージー州ホーボーケンで行われた。野球はアレクサンダー・カートライトが1842年にタウンボールを楽しむニッカ・ボッカ―・ベースボール・クラブという社交クラブを設立したことに始まる。1845年に決められたニッカ―・ボッカ―・ルールが現代の野球規則の下地になった。

    フランク・シナトラ、ジーン・ケリー主演のミュージカル野球映画「私を野球につれてって」(1949)の主題歌は今でも大リーグ試合中の7回の攻撃の前に歌われる国民の愛唱歌である。映画の中で当時の大統領セオドア・ルーズベルト(1858-1919)が登場している。第26代大統領で在位期間は、1901-1909なので、今からほぼ100前のお話。エスター・ウィリアムズのクラシックな水着姿も美しい。他にベティー・ギャレット、エドワード・アーノルドが出演している。

   だがなぜかこの映画は日本未公開だった。昭和24年といえば、赤バット・青バットで野球ブームが到来、笠置シズ子の「ホームラン・ブギ」が流れていた。フランク・オドール監督(1897-1969)率いるサンフランシスコ・シールズが来日。3Aのチームに対して日本は1勝10敗という結果に悔しい思いをしたものだ。

    ところで映画の中のようにセオドア・ルーズベルトが熱心な野球ファンであったかは知らないが、第28代大統領ウッドロー・ウィルソン(1856-1924)には次のようなエピソードがある。

   第一次世界大戦中のことで、大統領は好きな野球を見ることができなかった。だが、ある日、ワシントンで赤十字の基金を集めるための慈善試合が行なわれ、久しぶりに野球を見ることができた。ご機嫌でホワイトハウスに帰ってきたが、待っていたのは憂鬱な知らせであった。

「閣下、炭鉱のストライキで石炭が不足しています」

「大統領も、ストライキ三つでアウト、ということにならんもんかね」とウィルソンは補佐官にぼやいてみせたという。(6月19日)

 

2019年6月 9日 (日)

ルーの法則

Photo_8   1850年6月9日ドイツの動物生理学者ウィルヘルム・ルーの誕生日(1850-1924)。イエナ大学でヘッケルに学び、ベルリン大学でフィルヒョーに学ぶ。当時は比較発生学研究が主流だったのに対し、胚に人工的に細工をして、その経過から発生の仕組みを解き明かそうとする、いわゆる実験発生的な手法を用いた。彼はヘッケルらの手法に反発し、「発生学は進化論のしもべではない」と言ったといわれる。

    彼の名前が今日でも広く知られるのは、保健体育科の教科書でよく知られる「ルーの三原則」によってである。実は、当初のルーの説は三つではなかった。内容は、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理、など多岐にわたる研究である。後世の研究者が、ヒトの器官や機能は適度に使えば発達し、使わなければ退化・萎縮し、過度に使えば障害を起こす、という三法則にまとめたことによって、現代トレーニングの原則として、広く適用されているのである。1924年9月15日、死去。74歳。( 6月9日.Wilhelm Roux )

2019年5月29日 (水)

なぜ山に登るのか?

Clark0508  「なぜ山にのぼるのか」の問いに「そこに山があるから」。この有名な文句は、実は「なぜエベレストに登るのか」という質問に対するジョージ・マロリーの回答である。いつしか一般的な「山」と言い換えられて広まっているが、もともとは世界最高峰のエベレストに限定しているのである。

    歴史記録としてはエベレスト初登頂は1953年5月29日、エドモンド・ヒラリー(1919-2008)とテンジン・ノルゲイ(1914-1986)が成功した。だが2人に遡ること29年前の1924年6月8日に、マロリーとアービンが世界の高みを極めていた可能性がある。1999年、エベレスト北面8160mの地点で、マロリーの遺体が発見された。そして標高8490mの地点からマロリーが使用した№9酸素ボンベが発見されている。これはマロリーは帰還の際に絶命したと考えられ、登頂に成功したことを推測させるものである。だが決定的な証拠となるコダックのカメラが未だ発見されていない。マロリーがエヴェレスト初登頂したか否かは謎のままである。

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ヒラリーとテンジンは登頂後、何杯も紅茶を飲んで、かわききった喉をうるおした

2019年5月11日 (土)

ヒマラヤ登山の歴史(20世紀後半)

  1945年、第二次大戦が終わると、これまで厳重な鎖国政策をとり続けていたネパールが開国し、1950年、ネパール入りしたフランス隊は、たった一度の攻撃で、人類初の8000m峰アンナブルナに初登頂してしまった。これを皮切りに53年、世界最高峰エベレストが悲願のニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとテンジンによってようやく落ち、同年、ナンガパルバットもドイツ・オーストリア隊によって登られた。こうして第二次大戦前には1つとして登られなかった8000m峰が、次々と登られ、56年、日本隊も宿願のマナスルを手にし、チベット領内にそびえる8000m峰の最後を飾るゴサインタンが、64年、中国隊によって登られた。これをもってヒマラヤの黄金時代はあっけなく去った。1970年5月11日、松浦輝夫、植村直己が日本人とし初登頂に成功する。そして、100座を超す7000m峰も、目ぼしいものはほとんど登りつくされ、新しい処女峰を地図の上で見つけることもむずかしくなった。これからはすでに登られた山の別ルートによる開拓、とくにカラビナ・ハーケン・アイゼンなどを用いる人工登山、すなわち鉄の時代にはいりつつある。またスキーを使った娯楽・スポーツといった観光化と、ヒマラヤはしだいに大衆化しようとしている。

 

 

2019年3月18日 (月)

テニスの神様フレッド・ペリー

220pxfred_perry_01   2013年ウィンブルドン男子シングルス決勝ロジャー・フェデラー(スイス)対アンディー・マレー(イギリス)の対戦が行なわれ、マレーが勝利した。本大会でイギリス人選手が優勝するのはフレッド・ペリー(1909-1995)以来の実に77年ぶりとなる。ペリーはウィンブルドンでは1934年から36年まで3連覇を達成し、「テニスの神様」と呼ばれている。ハンサムで女性に人気があり、イギリスよりもむしろアメリカで人気が高く、マレーネ・ディートリッヒやジーン・ハーロウとも関係があった。第二次世界大戦には米空軍から参戦している。(Wimbledon,Andy Murray,Fred Perry)

2019年3月 3日 (日)

東京マラソン、日本勢不調

   冷たい雨が降る中、38000人のランナーが東京を走る。来年に迫った五輪とコースが重なる箇所もある。男子はビルハヌ・レゲセ、女子はルティ・アガが優勝(ともにエチオピア)。日本期待の大迫傑は29キロ付近でリタイヤ、設楽啓太は14位と不調だった。女子日本人トップは一山麻緒(7位)。

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