スーパーを視察するなど庶民派をアピールしていた麻生太郎首相が、民主党の牧山弘恵議員にカップめん一個の値段を聞かれ、「400円ぐらい?」と答弁し、あらためて庶民感覚のなさを露呈してしまったことがある。
ちなみにカップめんの代表といえば日清食品のカップヌードル。昭和46年5月の発売で当初、関東地方のみの販売で当初価格は100円程度だった。発売翌年の2月に、浅間山荘事件が起きると、機動隊員らがカップヌードルを食べる場面が全国に中継された。これによって、カップヌードルは全国販売となった。新製品「日清チキンラーメン受験生応援カップ」「出前一丁受験生応援カップ」の価格は各170円。マルちゃんの「赤いきつね」「緑のたぬき」は100円ショップでも売っている。カップめんのスーパーでの小売価格は100円以下のものも多い。貧乏自慢するつもりはないが、ケペルにとってはカップめんは高級品であり、ゆで麺を買うことにしている。
さて、元祖インスタントラーメン、日清食品の即席ラーメン「チキンラーメン」が発売されたのは昭和33年8月25日。定価35円だった。
僕はよくリュウ・ド・セーヌなどの通りの小さな店先を通りすぎる。古道具屋、古本屋、銅版画屋などの店が、窓いっぱい品物を並べている。誰もはいっていく人はいない。ちょっと見ると、商売などをしていそうに見えぬくらいだ。しかし、店の中をふとのぞきこんでみると、誰か彼か人間がいて、知らん顔ですわったまま本を読んでいる。明日の心配もなければ、成功にあせる心もない。犬が機嫌よさそうにそばに寝ている。でなければ、猫が店の静かさをいっそう静かにしている。猫が書物棚にくっついて歩く。猫は尻尾の先で、本の背から著者の名まえを拭き消しているかもしれない。こういう生活もあるのだ。僕はあの店をそっくり買いたい。犬を一匹つれて、あんな店先で二十年ほど暮らしてみたい。ふと、そんな気持ちがした。( リルケ「マルテの手記」)
まるでケペルの店「女性の書斎・ひとり好き」のような風景が100年ほど前のパリには実際に存在していたのだろうか。あの店が何屋さんかは明らかではない。ともかく古い本が読める、店があることだけは事実だろう。リルケの「マルテの手記」は小説ではあるが、20世紀初頭のパリの情景が、リルケの目(小説ではマルテになっているが)を通して、折々の思索のように綴られている。筋のようなものはないので、通読するには難解なものであるが、リルケのブログと思えば興味深々、熟読玩味できる作品である。リルケは国民図書館(ビブリオテク・ナシオナル)にはよく通ったらしく、図書館の記述もあるが、リルケが20年ほど店先で暮らしたいといったこの幻想の読書室の正体は謎である。
ローマの古いことわざに「本にはそれぞれの運命がある」というのがある。なかなか味わいのある格言だ。人の人生と同じように本にも幸せな本もあれば不運な本もある。ケペルの店に納まった本はしあわせだろう。ところが最近は紙で印刷された本はスペースをとるので、だんだんと居場所がなくなってきたようだ。図書館でも町の本屋でも、あちこちに散らばり、さがすことができなくなって、そのうちにあとかたもなく亡くなってしまうかもしれない。電子書籍で何でも読めると無知な人は思うだろうが、実は意外と電子書籍で閲覧できる本は著作権の壁もあって限られている。それでも本は売れなくなってきたから、身近な町の駅前の小さな本屋や、裏町の古本屋は消えていってしまった。東大の村田喜代美教授は、「本は氾濫する情報と異なり、確かな歴史と未来への教養を形づくる」と言っている。しかし本は当然のこと積読ではだめで、読まなければならない。イギリスの諺に「本はつねにひもどかなければ木片にすぎない」と積読を戒めている。
当読書施設にご来館される方のなかには、明確な読書目的をもって来られるとはかぎらない。時間つぶし、たまたまの気まぐれに、あるいは雨宿りに。実は雨宿りが結構多い。傘をもたずに外出して、驟雨に遭い、よそ行きの服を着ていたりしたので、雨宿りに入ってみるというケース。それでもいい。雨はうれしい。
本ぶりになって出て行く雨やどり
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林達夫「歴史の暮方」、柳宗悦「蒐集物語」、三枝博「日本の思想文化」、小林秀雄「人生について」、鏑木清方「こしかたの記」、武井武雄「本とその周辺」、岡茂雄「本屋風情」、出久根達郎「古本綺譚」、藤木九三「雪、岩、アルプス」、増田義郎「インカ帝国探検記」、梅棹忠夫「文明の生態史観」、レッシング著、大庭米次郎訳「賢者ナータン」、リッケルト著、野上豊一郎訳「春の目ざめ」、安倍能成「綱島梁川集」、谷川徹三「教養と人生」、堀秀彦「恋愛」、秋山英夫「人間ニーチェ」、ヒルティ「希望と幸福」、シュヴァイツァー「愛と思索の日々」、山室静「世界文学小史」、神宮輝夫「子供に読ませたい本」、カザミヤン「イギリス魂」、和歌森太郎「歴史の見かた」、吉田光邦「江戸の科学者たち」、中村浩「糞尿博士世界漫遊記」、賀川豊彦「聖書の謎」、庄司浅水「奇談千夜一夜」、川合彦充「日本人漂流記」、江戸川乱歩「探偵小説の謎」、宮本常一「伊勢参宮」、近野不二男「幻島の謎」、ウェスターマーク「人類婚姻史」、ゴルドマン「隠れたる神」、松田修「植物世相史」、篠田統「米の文化史」、金森健生「マンガ昭和史」、串田孫一「博物誌」、長尾久「ロシヤ十月革命の研究」、呉濁流「泥棒に生きる」、吉岡三平「岡山の女性」、高峰秀子「いいもの見つけた」、常石茂「中国の故事と名言」、栃折久美子「モロッコ革の本」、中島梓「美少年学入門」、西口克己「山宣」、クルプスカヤ「児童教育論」、山崎謙「人間論」、ルカーチ「レーニン論」。
伊丹は城と酒と俳諧のまちである。14世紀中ごろには伊丹氏の小さな砦のような城があった。歴史に伊丹が登場するのは、管領細川氏の被官となり、やがて一向一揆と対決するようになる。織田信長が入京すると、伊丹氏はいちはやく信長に応じ、池田、芥川の城主とともに摂津三守護といわれたが、荒木村重が伊丹城を滅ぼし、有岡城とした。その村重も石山合戦で、信長に反抗したために、有岡城は信長の攻撃により落城した。日本史の中で伊丹が登場するのはこの時期だけではないだろうか。ところが伊丹空港の存廃をめぐる論議のなかで、いま空港の跡地利用として、東京の首都機能をバックアップするという構想が浮上している。ケペルの住んでいるところは昆陽池から1キロ以内のとろこである。実現すれば副首都圏内の読書施設になるのだが。
トーマス・フランシス・カーター(1882-1925)は、その著書「中国における印刷の発明とその西漸」のなかで「紙の発明とその伝播は印刷の発明とともに、宗教改革の道をひらき、教育の普及を容易にし、火薬・羅針盤の発明とならんで、近代世界を形成する上に大きな役割を果した」と述べている。今日いうところの紙は、中国において後漢の宦官・蔡倫が樹皮・麻くず・ぼろ・魚網くずなどの植物繊維を原料としてつくつたのが最初であると後漢書が伝えている。紙文明は、15世紀のグーテンベルクの印刷術の発明とともに、近代文明と教育の普及を担ってきた。だが20世紀の印刷物の氾濫は膨大な量に達し、その保存・整理が問題視されてきた。今年、日本でもアイ・パッドの発売により、紙の図書をめぐる状況は大きな変化をみせている。自分でスキャナーを購入して、紙の本を裁断機で切断して、スキャンして、自分で電子書籍をつくる人も出てきた。愛書家が聞いたら卒倒しそうな話だが、狭いマンション暮らしの人にとっては本の保管スペースなどをコストで換算すれば、処分するほうが得策と考えるのだろう。税金で運営される公共図書館でも書庫の収納限界に達した館では、電子化が促進される時代になってきた。本に対する専門的な知識を持たない職員の多いところでは、貴重な書籍が失われていく現状を知っているものにとっては、電子書籍元年という呼び声(新商品の販売戦略の営利行為)が愚行、蛮行の時代の時代の到来であることを確信している。なおカーターの大著は「中国の印刷術」として東洋文庫の一冊として翻訳されているが、執筆動機にはフランスのぺリオ(1878-1945)の千仏洞の経典の発見などの影響もみられる。つまり欧米人が砂漠の敦煌から東西文明の交渉史に衝撃を受けた著作なのである。文化史や文明論、および文化行政は1000年スパンの巨視的な態度でみなければいけない。
人類は地球上における動物の進化の過程で、その一分岐として出現した。近年エチオピアで発見された440万年前のラミダス猿人と呼ばれる化石は、明らかにチンパンジーとは異なる特徴をもっており、これが現在知りうる最古の人類=猿人Ape man とされている。その特徴は直立して二足歩行し、両手で道具を用い、火を扱い、労働して、言語を基礎とする文化をもつことだといわれている。だがこのような特徴だけであれば部分的には他の動物でも行える。ペンギンやカンガルーは直立して歩くし、動物園のゴリラやチンパンジーなどでもテレビを見る。室内で飼っているイヌやネコはテレビを見る。人間だけが行い、他の動物が絶対にマネできない行為とは何か。それは、読書するということである。人間以外の動物は本を読まない。ではケータイやアイ・パッドで読書すればよいのか。近頃、ケータイを診ながら町を歩いている人をよくみかける。まるで人をやめた、サルがケータイを手にしているような感覚にとらわれる。読書とは毎日同じ時間にする生活習慣でなければならない。明窓浄几、明るい窓と清らかな机、書斎があってはじめて行える行為である。
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