埴輪の美
挂甲の武人(埴輪)
群馬県太田市強戸成塚出土 群馬 相川考古館蔵
古墳の周囲、中腹、頂上部などに並べて立てられた素焼きの粘土製品をいう。埴輪は、円筒、人物、動物、器財、家などの種類がある。埴輪の起源がなんであったか、ということについては諸説あってまだよくわかっていない。埴輪の存在は江戸期から知られていたであろうが、明治になって人類学を先導した坪井正五郎が、出土遺物の調査から過去の生活習俗を読み取る試みが進められた。1888年の論文「埴輪土偶に基づき古代の風俗を演ぶ」がある。大正昭和期にになると、美術の観点から埴輪をみるようになる。高村光太郎は「やさしい強さと、清らかさとはよく此の特質を示している。美の健康性がここに在る」(「日本美の源泉」婦人公論)と埴輪の日本美を高く評価している。このころ高村は日本文学報国会に属し、大和民族の優秀性を唱えた、昭和17年、戦時下に書かれた美術評論である。この反省があってか、戦後、埴輪は考古学上の遺物であり、博物館に飾られるが、美術館にはあまりみかけなくなった。
5世紀ごろ、騎馬戦に適した武具として大陸よりもたらされた挂甲(けいこう)という鎧をつけている。右袵重ねで、衝角付き冑には頬当てと錣が付いている。両手には甲当ての上に鞆を結んで左手には弓を持ち、剣に右手をかけている。埴輪作者の関心はもっぱらこれらの武具にあり、挂甲の小札は刻線で、冑の鋲留は浮文で詳細にあらわされている。新式武具の威力に感銘したためだろうか。頬当ての間から見える武人の顔は、古墳時代後半の一般的な表現である。
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