待賢門院たまこと美福門院なりこ
大河ドラマ「平清盛」。目下、朝廷での主役は鳥羽上皇の皇后・中宮、璋子と得子。藤原璋子は藤原公実の娘で崇徳、後白河天皇の母で院政を混乱させた美女であった。院号は待賢門院。得子は藤原長実の娘で1139年に皇子躰仁(なりひと)を生む。近衛天皇である。だが1155年に近衛天皇が若くして没したとき、得子(後のの美福門院)はこれを崇徳上皇と藤原頼長の呪詛として、上皇の皇子重仁親王を退けて、後白河天皇を即位させた。これが崇徳天皇と後白河天皇の争いとなり、崇徳が破れて遠流される、保元の乱の遠因は権力者白河法皇に鍾愛された待賢門院原因となる。
ところでドラマでは璋子を「たまこ」、得子を「なりこ」と呼んでいる。竹内理三の「武士の登場」(中公・日本の歴史6)では「しょうし」「とくし」とルビがある。最近の研究成果なのだろうか?。
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