竹内式部と宝暦事件
江戸時代の朝廷は、幕府政治によって逼塞を余儀なくされていた。この朝廷の権威低下を憂い、幕府の専制に抵抗を表明する尊王論が、竹内式部を中心に少壮公卿の間で唱えられるようになった。若い桃園天皇も神道に傾倒したため、朝廷関係の悪化を心配する関白・摂家や所司代によって進講中止を諫奏するも聞き入れられず、宝暦7年7月24日、竹内式部の進講が中止となり、朝廷内の尊王論者の公卿10余名が処罰された。これを宝暦事件という。この事件は、幕政を揺るがす最初の尊王論台頭としての大きな意味をもち、また、山県大弐や藤井右門の明暦事件とともに、幕府が尊王思想運動を弾圧した事件として、政治史上重要な意味をもつ。
参考文献
大貫大樹「竹内式部と宝暦事件」錦正社 2023年
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