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2026年7月20日 (月)

皇女和宮、家茂、そして天璋院篤姫

Photo  文久2年2月11日、将軍徳川家茂と皇妹・和宮との婚礼が行われた。政略結婚にもかかわらず、家茂と和宮は仲睦まじく暮らすが、家茂は内外の政局に苦慮する。文久3年、陸路上洛。京都では将軍上洛にあわただしい動きがあった。そのころ諸国の志士たちが上京し、攘夷が遂行しようとする動きがあった。会津・薩摩を中心とした文久3年のクーデターの後、文久4年1月、家茂は海路で再上洛した。前回の上洛と違って、尊攘派が一掃された京都であり、家茂に対して従一位右大臣の昇位が令されて、昨年とは変わったもてなしを受けた。将軍家茂は在京4カ月にして、海路江戸に帰った。慶応2年、第二次長州征伐の途上、病に倒れ、7月20日に大坂城で病死、和宮は21歳で未亡人となる。このとき江戸城大奥を完全に支配していた人物は、天璋院篤姫であった。篤姫は薩摩藩から13代将軍家定に嫁ぎ、家定の死後は14代将軍の家茂を補佐する。皇家から嫁いだ和宮と初めて対面した際、篤姫は上座に座り、菌(しとね)の上に着座したのに対し、和宮は下座に座らされ、しかも菌がなかった。和宮はこれを屈辱に感じ、以後2人の間には確執が生れた。だが、徳川家が窮地に立たされると、それぞれの立場から、官軍に江戸攻撃の中止と徳川家の存続を訴えかけた。和宮は「公武一和」の旗印のもとで、姑である天璋院篤姫とともに、徳川宗家を守り抜くことに婦道を全うした。女の一分を貫きとおした二人である。

 

 

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