柴田天馬「聊斎志異」
結城廉造は大正8年頃、満州旅行中に病気にかかり、奉天の満鉄病院に入院した。退屈なので院内にあった「読書会雑誌」を読んだ。その中に清代の怪異小説「聊斎志異」の一編の翻訳が収録されている。廉造はその浪漫性の美しい文章の虜となった。帰国して兄の結城禮一郎(1878-1939)にその話をすると、兄が主宰する玄文社から出版することになった。これが名訳で名高い柴田天馬訳の「和訳聊斎志異」の誕生である。
結城禮一郎、廉造の父は元新撰組、甲陽鎮撫隊で活躍した結城無二三(1845-1912)である。玄文社本は好評であったが部分訳なので、昭和8年に第一書房から全訳の第一巻を刊行した。ところがこれが発禁本となり、全訳の刊行は戦後をまたなければならなかった。蒲松齢の「聊斎志異」は天下の奇書であるが、その翻訳を読めるのは一読書子が病気をした結果であり、坂本龍馬暗殺事件に係わる新撰組隊士の子息というのも面白い。
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大変に興味深い情報ですので
どこからこの情報を入手されたのか
出典をお示しください。
よろしくお願いします。
投稿: | 2012年11月 7日 (水) 08時16分
この記事に関心を寄せていただきうれしく思います。この記事はどうも複数の文献をもとに成り立っています。「聊斎志異」と新撰組の2つの接点を示した文献があるのかどうか分かりませんが、私の強引な手法のようです。種本としては「定本聊斎志異」柴田天馬訳、修道社。三大奇書として知られる聊斎志異はとくに柴田天馬訳が有名ですが、私が高校生のとき購入したのは昭和44年ころに出ていた6巻もの。その第6巻の月報(本の間にある栞のようなもの)に柴田天馬みずからが「聊斎志異完訳まで」という長文を載せている。その中に満鉄に入社して、読書会雑誌に執筆したこと、結城廉造から手紙があり、兄礼一郎の玄文社から出版した旨の経緯が書かれている。
これとは別に私は新撰組が好きで新撰組隊士の事蹟などを調べているうちに結城無ニ三とい人物を知り、子息の礼一郎が「旧幕新撰組の結城無二三」を上梓していることから、つながりで一文を草したわけであります。
投稿: ケペル | 2012年11月 7日 (水) 11時27分
早速のご教示、ありがとうございます。月報の記事だとは、見つけにくいところでしたね。感謝いたします。ケペル様の文章を、無断で私のグログ「武蔵野日和下駄」に引用しました。ご了承いただければ幸いです。ケペル様のブロブの恐るべき博識に惹かれ、かねてより愛読しているひとりです
投稿: | 2012年11月 7日 (水) 17時07分