西陣大火
西陣で織物生産の基盤ができたのは応仁の乱の後である。西陣は永正10年に京都の綾織物の生産を独占した。江戸時代になって元禄において頂点に達した。ところが享保15年6月の大火いわゆる「西陣焼け」によって職人が離散したこともあって衰退する。享保15年6月20日、午後2時ごろ、上立売通室町西入ル上立売町より出火し翌日に及ぶ。この間、西陣百八町焼失する。享保の大火、享保改革の奢侈禁止が京都の織物業界に打撃を与えた。そのうえに享保をすぎたころから、西陣の技術をもち帰った桐生・長浜・丹後などの機業地が発展して競争相手になってきた。天明8年1月30日、団栗図子より出火、いわゆる「天明の大火」のときも、西陣は大きい打撃をうけた。(6月20日)
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