頼山陽、母を奉じて吉野に遊ぶ
日本一の桜の名所「吉野山」は、修験道の聖地であり、古くから和歌や詩に詠まれ、歴史の名所も数多くある。歌人の西行、南朝悲話の後醍醐天皇、義経・静御前逃避行、豊臣秀吉の花見、そして頼山陽である。頼山陽は広島の人で京都に住んだ。母と吉野の桜を見た故事逸話は有名であるが、出典がなかなか見つからない。ただ「山陽詳伝」(渡部主一編)iに収録する森田益の一文がある。
頼山陽、嘗て母を奉じて吉野に遊び、一目千本に至る。桜花爛漫として雲の如し。母大いに喜びていわく「今にしてわが願ふに足れるなり」と。山陽、平生喜うんの情あらわさず、ここにおいて喜び顔面に溢れて いわく、「ああ母の一言、まさに宰相になるに勝る」と。
頼山陽は母と一緒に吉野だけでなく、全国各地を数多く旅行しているようである。なぜ古来よりこの故事・逸話が好まれるのだろうか。桜という景色の日本的な美しさとはなやかさはもちろんのことであるが、それが親孝行の話と一体となって、とくに親を亡くしたものには、たまらない懐かしさを感じさせられるのではないだろうか。
« サラエボ事件(1914年) | トップページ | 長たらしいタイトル・書名 »
「日本史」カテゴリの記事
- 磐梯山噴火(1888年)(2026.07.15)
- 西陣大火(2026.06.20)
- 征韓論(2026.05.26)
- 鳥取県は高校日本史の教科書に登場しているのか?(2026.05.21)
- 南山一揆(2026.04.16)


コメント