征韓論
征韓論は、幕末以来の政治思想の一つであった。西欧諸国に武力に対抗するには、日本の力では無理があり、吉田松陰は李氏朝鮮・清にまで打って出て、東アジアを統一した勢力にすることが必要だと主張していた。また勝海舟は、アジア各国を説いて連合し、大いに海軍をおこして西洋と対処すべしと主張した。木戸孝允も王政復古以来、たえず中央権力を強化させる施策として征韓論の実行を唱えた。征韓論の思想には、領土・貿易獲得のほか、不平士族の反抗を外にそらし、強兵に向かって一致せしめようとする戦術的な企図などが混在していた。征韓の議がとくに明治6年に至って現実の政治問題となったのは、岩倉大使の欧米巡歴中の留守政府にあって西郷隆盛らがこの問題をとらえて自己の勢力扶植をはかったからである。ところが岩倉大使一行が9月に帰朝すると、岩倉・大久保らは内治の整備にあるとの理由でこれに反対した。ここにおいて10月23日、西郷隆盛は参議を辞任し、つづいて24日、板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らの4参議も辞職した。新内閣は、内治派によって構成された。明治7年2月には、ついに佐賀の乱が起こった。その後も士族の不平不満はますます強まり、熊本の神風連の乱を皮切りに、秋月・萩で士族の反政府暴動が起こる。
参考文献
「再考・征韓論政変と大久保利通」勝田政治 国士館史学30 2026年3月
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