大江戸繁盛記
江戸は、12世紀に江戸重継が居館を定め、1457年に太田道灌が城郭を築いた。本格的に築城されたのは1603年2月12日、征夷大将軍に就任した徳川家康(当時62歳)によって江戸幕府が開かれてからで、以来、江戸は目覚ましい発展を遂げた。元禄6年、人口は35万だったが、天保14年には58万人に増加した。当時、ロンドンの人口は約55万、パリも50万人程度で、江戸はまさに、世界一の巨大都市であった。大江戸八百八町というが、はたして実際はどれくらいの町数があったのか。寛文2年(1662年)が674町、正徳3年(1713年)が933町、延享年間(1744-1747)が1678町となる。実に、八百八町の倍以上である。
江戸には、将軍と幕臣団(旗本・御家人)だけでなく、参勤交代制により、二百数十藩の江戸詰めの大名家臣団が、大勢各藩邸で生活していた。その上に、これら武家たちの膨大な需要を支える商人・職人らが、多数、集住していた。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、その旧領関八州を徳川家康(1542-1616)に与えると、家康は江戸城を本拠と定める。慶長8年8月1日、家康は江戸城に入る。江戸城は将軍の居城、また中央政庁としての偉容と規模を整えていく。天下普請として諸大名に工事を分担させ、神田山の切り崩し、海岸の埋め立て、掘割の開削により城下の整備が行われ、三代将軍家光の頃までに、江戸の都市づくりの基礎はほぼ完成した。
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世界一の都市というのも、徳川幕府の幕藩政治の行政機構がいかに優れていたかを証明するものだろう。(゚ー゚)
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年8月 1日 (木) 00時36分
人口が当時世界一の都市、トイレ文化もリサイクル機能も当時としては突出ですね
投稿: | 2014年8月 1日 (金) 09時29分