哲学の日
本日は「哲学の日」。紀元前399年のこの日、ギリシアの哲学者・ソクラテスは、死刑宣告を受けて、「悪法もまた法なり」と言って、自ら毒杯を飲んで亡くなったとされる。だがソクラテスの有名な言葉「悪法もまた法なり」の出典は、いくらさがしてもない。弟子のプラトンが書き残したという事実もない。この言葉は本当にソクラテスの言葉なのであろうか。プラトン(前427-前347)がソクラテス(前470頃-前399)に出会ったのは、ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」によればプラトン20歳、ソクラテス56歳、前407年と推定している。一説によると、プラトンの兄のアディマントスかグラウコンがソクラテスと親しかったからといわれる。ともかく、プラトンは以後8年間ソクラテスの弟子となる。その後ソクラテスは前399年、死刑となるが、その時、プラトンは28歳だった。ソクラテスの死は、プラトンにとって哲学の原点となった。
ソクラテスの死後、プラトンは他の人々とともに、メガラのエウクレイデスのところに一時身を寄せたほか、キュレネやエジプトに旅をしたと伝えられている。この頃、亡きソクラテスを主人公とする対話篇を書きはじめた。「政治家が哲学するか、哲学者が政治をするようにならないかぎり、人類は不幸から救われないであろう」(『国家』)というプラトンの政治哲学が生まれた。
ソクラテスが投獄されたとき、毒逃亡の機会があったにもかかわらず、国法に従って毒杯をあおいで死んだ、という話が日本では明治以来伝わるが、実はこれは作りはなしである。ソクラテス自身の著作はなく、弟子の伝聞にもない。英語でそれらしき部分には、「obey and do not do otherwise」つまり「自分の哲学に殉じて死を選ぼう」という意味。悪法でも刑に服する、の意味とは正反対。むしろ「法だからといって従う義務はない。自分自身の信念にのみ従う」ということである。明治の法曹はソクラテスの故事を遵法精神として鼓吹した。まことに国家にとって都合のよい名言である。(4月27日)
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コメント
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そうなんですか…! 知りませんでした。
けれど、私はこう考えます。
出典はどうであれ、これまで多くの人々がこのことわざに「納得・賛同」してきたという事実と言うか「実績」から、これは“正しい”と…。
投稿: ヴぁるす | 2012年11月29日 (木) 02時42分
この記事よんだのかな。
ここではそうやって流されることへの警鐘がならされているのでは?
投稿: | 2015年6月22日 (月) 22時48分