阿野廉子と隠岐
正平14年のこの日、阿野廉子が崩御する。阿野廉子は後醍醐天皇の后妃。恒良親王・成良親王・義良親の3人の子を産んでいる。後醍醐の隠岐配流の期間、阿野廉子は随行していたであろう。おそらくこの1年間に、生涯を結ぶきずなとなる愛情が2人の間にできたのではないだろうか。
隠岐の月の出は遅く、あたりは漆黒の闇に包まれている。その間にまぎれるようにして、黒木の御所から慌しく一丁の輿が担ぎ出された。当然、御所警固の侍が怪しんで誰何する。駕籠から顔を出したのは廉子だった。日頃は取り澄ました廉子があでやかに微笑みかけて「ちょっと侍女のお産見舞いに行くところなの」と言う。どぎまぎした警固の侍はそれ以上の吟味もせず、うっかり通してしまった。ところがなんとその輿には、廉子とともに後醍醐が息を殺して身をひそめていたのだった。廉子の機転で後醍醐は無事、隠岐を脱出できた。廉子=悪女説は後世の創作と考えられている。(4月29日)
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