ビリケンの流行
とがった頭で眉が釣り上がった裸体の人形ビリケンさんは大阪だけのものではない。ミズーリ州カンザスの若い女性芸術家フローレンス・プリッツが1908年、シカゴのデザインコンテストで優勝した作品。特許登録をしたところ、ビリケンカンパニーという会社が商標ライセンスを買い取り、福の神としてビリケンの貯金箱を売出し大ヒット商品となった。日本にも1909年頃に入ってきたが、とくに花柳界で人気となった。永井荷風が「今の世の中で西洋というなれば有難がる。醜悪なるビリケンの流行もまた理なきにあらず」(「厠の窓」)と皮肉っている。
ビリケンコイン(アメリカ 1930年代)
「ビリケン」という奇妙な名前は当時、アメリカで知られた政治家ウイリアム・ハワード・タフト(1857-1930)の愛称ビリーにあやかり、「ビリケン」Billikenと命名したと伝えられる。タフトは「桂・タフト協定」(1905)で日本でも知られる。(アメリカは韓国における日本の支配権を、日本はフィリピンにおけるアメリカの支配権をお互いに確認した協定)タフトは1909年に第27代アメリカ大統領となる。
日本では寺内正毅(1852-1919)が1916年、内閣総理大臣となった。寺内はシベリア出兵を強行し、軍備拡張、大衆課税の増徴、言論弾圧を行い、その超然主義的態度は軍閥政治、非立憲内閣と世論の批判を受ける。寺内の禿げ頭がビリケンにそっくりだったことから、非立憲(ひりっけん)をひっかけて「ビリケン内閣」と呼んだ。1918年、米騒動によって内閣は崩壊した。巨人のエース戸郷翔征はビリケンに似ている。(North Dakota)
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