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2026年3月 5日 (木)

黄巾の乱おこる

Photo_13   およそ1800年前、中国では大土地所有と商業によって富をきずいた豪族が、お互いの領土を奪い合っていた。漢の王室は幼帝が続き、宦官・外戚の政治介入で混乱し、宦官が官僚を弾圧し、国がばらばらになっていた。ちょうどそのころのことである。鉅鹿郡の張角が、ある日山中で南華老人という老人に出会い、「太平要術」という三巻の書を授けられた。以来張角はこの書を必死に学んで、やがて雨や風を呼ぶ術を会得し、自ら太平道人と号する。おりから国に疫病が流行し、張角は不思議な力をもって人々をよく治療したので、たちまに信者の数がふくれあがった。

  後漢王朝、霊帝のとき、光和7年(184年)3月5日、太平道の信徒を中心に農民反乱が起こった。張角のよびかけにこたえて、集まる者の数は、またたくまに増えて50万人を超えた。黄色の旗をててた軍隊を見て、官軍は「黄巾賊」と呼んだ。太平道は五斗米道とともに道教の源流となった。黄巾軍の指導者、張角、張宝、張梁、張曼成、波才らが蜂起した。だが張角は184年に病死し、張宝・張梁も戦死し、すぐに何進、盧植、皇甫嵩らによって黄巾党は鎮圧される。渕兗州の牧に就任した曹操は、黄巾賊の残党を制圧した。これらの反乱は、後漢王朝の衰退を決定づけ、軍閥的な勢力が多数出現し、群雄割拠の様相を呈するが、やがて三国時代の幕開きとなる。

スローガン「蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし」に見られる漢朝統治の天下が死んで黄色の天になるという意味は、火徳の王朝の次には黄色の土の徳を有する王朝が成立する、という五行思想の王朝交代説である。

 のちの魏の太祖となる曹操は黄巾の乱平定で頭角をあらわし、陶謙がおさめている徐州に進軍する。呂布と戦い、これをやぶり、長安を逃げ出した献帝を救って天下に号令いる大義名分を得た。徐州長官の陶謙は、救援におもむいた劉備の人物をみこんで、徐州を劉備に託して陶謙は病没する。

 

 

 

 

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