新井白石と康熙帝
1657年のこの日、新井白石が生まれた。木下順庵の門に入って儒学を学び、その推挙で、甲府の徳川綱豊の儒臣となつた。やがて6代将軍家宣、7代将軍家継の2代に仕えて政治を担当した。
中国歴代皇帝のなかでも名君とされる清朝第4代皇帝の康熙帝が1654年生まれなので、2人はほぼ同時代人である。康熙帝の61年にわたる在位のなかで、税金を安くして国民生活を安定させ、黄河の治水工事や大運河を修理した。18世紀初め、江戸幕府はオランダと清とだけは長崎で貿易を認めていた。またそれ以外にも、朝鮮に対して対馬藩、琉球に対して薩摩藩、アイヌ民族に対して松前藩が外交関係を結んでいた。とくにオランダ・中国は「通商の国」であり、輸入超過の状態が続いていた。清の康熙帝が統一をとげると、海上の平和が回復し、日本に来航する中国商船が激増した。このため新井白石は1715年に正徳新例とよばれる貿易統制を行なった。「信牌」とよばれる証明書を発行し、これを持参する者に限り貿易を認めるものである。だが中国では、伝統的に信牌とは朝貢国に対して与えるものであったため、清当局の一部で問題になった。白石は信牌は「日本の政府が交付したものではなく、唐通事が交付するものである」と抗議を行った。康熙帝もまた「これは通訳と商人の間で取り交わされた民間の証文にすぎない」として問題にしないとの裁可を下し、1717年には落着した。(2月10日)
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