継体王朝の謎
継体天皇陵とされる今城塚古墳の出土品模型などを展示した「今城塚古代歴史館」(高槻市)がオープンした。第26代の継体天皇(在位507-531)は、悪逆無道といわれた武烈天皇のあと王位をついだ天皇で何かと古代史では論争される天皇である。日本は中国のように不徳のものあらば新しい王朝を開くという易姓革命思想がなく、天皇家の万世一系を建前としている。しかし実際には何度が王朝は断絶しているが、その1つが継体簒奪説である。継体は応神5世の孫ということであるが、その間の具体的な系図は史書に明らかにしていない。現在、継体と応神系王朝とは断絶朝とみる学者は多い。また継体の出自と勢力基盤にも不明な部分が多い。①畿外北方説(近江または越前)直木孝次郎②越説(または越前)林屋辰三郎③近江説・山尾幸久④摂津三島野説・原島礼二。継体天皇の陵墓と確実視されたのは1997年から10年間にわたる調査結果の成果であろう。527年、筑紫を本拠むとする筑紫君磐井がヤマト王権に反旗を翻し、翌年、ヤマト王権から派遣された大将軍、大連の物部麁鹿火率いる軍隊と激しい戦闘を繰り広げた。磐井の乱の後、ヤマト王権は古代律令国家の形成に向かう。(参考:原島礼二「倭の五王とその前後」1970年)、「新・古代史」NHK出版新書 2025年)
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