義仲忌
紅梅を近江に見たり義仲忌 森澄雄
倶利加羅峠の戦いで、木曽義仲が近くの民家から500頭の雄牛を集めさせ、角に松明を結んで火をつけた。狂うようにして暴走した牛の群れが、平家軍の中へ突っ込んでいく。恐怖に度を失った平家は、つぎつぎと深い谷底へと転がり落ちていった。「源平盛衰記」に描かれた義仲の火牛の計は本当だろうか。どうも司馬遷の「史記」田単列伝を引用したらしい。戦国時代の斉の将軍・田単は前279年、火牛の計で燕軍を即墨城外へ撃破した故事が有名である。寿永2年7月28日、義仲は源行家とともに入京する。だが旭将軍とたたえられた義仲も、わずか二月年たらずで落日の人となる。元暦元年(1184年)正月20日には北陸に敗走中、粟津原で義経・範頼の大軍に敗死する。愛人の巴は女武者であったが、「女連れで死ぬのは恥ずかしい」という義仲のことばに、泣きながら、いずこへか去ったと伝えられる。大津の義仲寺には義仲と芭蕉の墓が隣り合わせに建てられている。(1月20日)
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