服部正就の改易
皇居にある半蔵門は、この門の警固を担当した旗本、服部正成、正就父子の通称「半蔵」に因んでいる。服部半蔵というと忍者の頭領というイメージが強いが、正成はあくまで伊賀同心を指揮する旗本であり、服部半蔵本人は忍者ではない。それどころか、正成の後を継いだ正成の長男、服部正就は21歳の時、服部家の家督および服部半蔵の名を引き継いだが、伊賀組同心との関係が悪化し、正就は部下を切り殺した咎で慶長9年(10年という説もある)12月2日、改易を申し付けられた。遠江国掛川へ蟄居させられる。慶長20年5月大阪の陣で討ち死にする。服部家は正就の弟の正重が継ぎ、子孫は桑名藩の重臣となって幕末まで続いている。
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