横光利一忌
本日は小説家、横光利一の1947年の忌日。急性腹膜炎で49歳の若さで逝去した。最初の長編「上海」では新感覚派的手法による野心的実験を試みた。次いで「機械」「寝園」「紋章」では自意識過剰に悩む知識人を心理主義的手法や、四人称の設定によって追及。この論の実践として「家族会議」を書いた。大作「旅愁」を書き始めたが、未完のまま没した。
作家に関わる作品や遺品、あるいは写真で紹介しようとする試みは近年さかんで、全国各地に文学館・記念館は数百あるといわれる。だが不幸にも戦前期、昭和文学の主導者であった横光利一文学記念館はない。単独館がないという意味で、展示室の類は数箇所ある。妻の横光千代の書簡が価格12000円で市場で販売されているが、記念館がないと散逸してしまう恐れがあるだろう。横光の父が測量技師で、幼い頃、各地を転々としたことも関係するであろう。生れは福島県北会津郡の東山温泉の旅館「新瀧」だった。千葉県佐倉へ移り、明治37年に母の故郷三重県阿山郡東柘植村で落ち着いた。横光利一の故郷は三重県柘植であろう。ここには柘植歴史民俗資料館や三重県立上野高校明治校舎「横光利一史料展示室」がある。妻千代の故郷山形県鶴岡市の大宝館にも展示室がある。(12月30日)

三重県立上野高校明治校舎には中学時代の日記など所蔵し、最も充実したコレクションである
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