始皇帝と兵馬俑坑の謎
1974年3月、西安郊外で発見された兵馬俑坑は誰もが始皇帝のものであると信じて疑わないが、始皇帝の時代を示す遺物は意外と少ない。一つは「呂不韋○年」と銘のある矛であるが、後代に侵入者が置き忘れたものであるかもしれない。専門家によると、副葬品の兵器は時代遅れものだという。始皇帝の時代は鉄製の兵器が主流であったが、副葬品のほとんどが青銅製のものである。また兵馬俑が極彩色に塗られているが、五行思想のため始皇帝の軍隊は黒色で統一されていたといわれている。車軌を統一したといわれるがバラバラである。数々の疑問から、始皇帝の時代ではなく、始皇帝の高祖母、5代前の恵文王の妻で宣太后の陵墓(前4世紀後半)ではないかと説く学者もいる。宣太后は「古代の西太后」とも称されるほど、国力は大いに繁栄していた。始皇帝陵、阿房宮の建設、そして万里の長城などで莫大な費用と人員を要したことを考えると、始皇帝以前のものとする説も十分にありうる話ではないだろうか。いまだ始皇帝の地下宮殿は発掘されていない。中国政府がわざと発掘を先延ばししている本当の理由は、被葬者の遺骸に女性用装身具を身につけていることを恐れているからかもしれない。なぜこのような無用の長物を建造したのだろうか。
禅語に「秦時のたくらんさん」という言葉がある。「伝灯録」の陳尊宿章。ある僧が門をノックする。
陳尊宿「だれだ」
「それがしです」
「この秦時のたくらんさんめが」
「秦時のたくらんさん」というのは、阿房宮の造営に使用された建築道具、すなわち穴を穿つためのドリルがその本義だといわれる。
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