島原の乱(1637年)
肥前島原・天草地方は、寛永11年以来凶作続きであったが、農民は島原領主松倉勝家や天草領主寺沢堅高の苛酷な年貢の取立てに苦しめられた。年貢未納者には「蓑踊り」「倒吊り」などの苛酷な処刑が行われた。寛永14年(1637年)10月25日、天草四郎を総大将とする一揆が勃発する。島原・天草のキリシタン農民は、代官・林兵左衛門を殺し、神社仏閣を焼き、島原城下に放火して藩主松倉重政の居城を襲撃した。板倉重昌の率いる幕府軍と城代三宅藤兵衛らが約4万の一揆軍と戦うが敗死する。だが4か月後の寛永15年2月28日、武器・兵糧がつきた原城は陥落し、16歳の天草四郎時貞も戦死した。幕府の戦後処理はきわめて厳しいものとなった。捕虜は婦女子を含めてすべて斬罪。一方、乱の原因をつくった島原藩主松倉勝家は改易、斬罪。唐津藩主寺沢堅高は天草を没収されるが、この裁定を不満としてのちに自害、御家断絶となる。幕府はこれを機にさらに禁教を強化した。(10月25日)
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