最新研究・文明の始まり
いま文明の起源が歴史学者の間で見直されようとしている。世界最古の文明メソポタミア、それより5000年以上前につくられた謎の巨大遺跡がトルコ南東部、ギョベック・テぺ(トルコ語で太鼓腹の丘を意味する)で発見された。直径20mほどの円形の石の建物が並ぶ。そびえる石の柱の高さは5m以上。それは濃厚が始まるずっと前で、考古学上でいえば中石器時代の頃である。土器も金属器もない狩猟採集の時代に文明が誕生していたのだろうか。
日本では文明の誕生は大河流域に発達した四大文明が長らく唱えられていた。しかし今世界では四大文明説を始まりとする考えをしている国はほとんどない。1967年刊行された「大世界史」の第1巻、三笠宮崇仁著の「ここに歴史がはじまる」がベストセラーとなり、最古の文明の担い手はシュメル人だと考えられた。文明形成の過程をよくあらわしているのがメソポタミアの遺跡である。長い年月にわたる生活の痕跡が、テベとか、テルとよばれる遺丘の形をとり、層位的に把握できる。シャニダール(前10000年ころ)、カリム・シャヒル(前8000年ころ)の遺跡は原始的な農耕と、粗放な牧畜による、早い段階の村落をしめしている。今日、中石器時代のナトゥフ文化(前10000年-前8000年)と呼ばれている。ジャルモ遺跡(前6800-前5800年ころ)は、それよりも格段に進歩した文化を持っている。もはや季節的な住居ではなく、牧畜をもった家屋が50戸ほどの集落で300人が住んでおり、エンマー小麦・豆類、ヤギ・犬・豚の家畜化がなされ、初期村落共同体に特有の粗製土器のほか、輸入品と考えられる彩文土器があり、すでに原始的な交流がおこなわれていたことをしめしている。その結果、人々は飢えの心配が少なくなり、村落ができて定住生活がはじまる。このような食料生産の開始は、18世紀後半にイギリスではじまった産業革命にもくらべられる大きな変革なので、食料生産革命といわれる。(Jarmo、世界史、文明の誕生) 文献:世界の農耕起源 スチュアート・ヘンリ編著 和田久彦ほか訳 雄山閣 1986
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